昔昔と言っても5年ほど前のこと、深海棲艦の1人である北方棲姫……通称ほっぽちゃん(と、言ってもこの頃は明確な名前すらありませんが)が産まれました。ほっぽちゃんの見た目は人間の5歳くらいで頭の中の年も同じぐらいでした。
ほっぽちゃんは皆の人気者でした。深海棲艦のお姉さんや他の皆に可愛がられて毎日、戦うことも無く深海棲艦の基地の近くで遊んでいました。
しかし、ある日事件が起きます。ほっぽちゃんは遊んでいたところ突然来た嵐に襲われ、気づいたころにはどこか知らない遠い場所に流されてしまいました。辺り1面の水平線。方角もどこがどこなのか分かりません。
ほっぽちゃんは困ってしまいました。どこに向かっても景色は一向に変わりませんし、時間が経つとどうしてもお腹が空いてきます。いつの間にか日が沈むぐらいの時間になってしまいました。
「オ家帰リタイ……」
人間が艦娘という生きた戦争の道具で深海棲艦を殺して回っている事を思い出しました。ほっぽちゃんはとても怖いと思いました。必死になって海の上を走りますが景色は一向に変わりません。宛先の見えない怖さにほっぽちゃんはべそをかきだしました。
突然、視界の先に浜辺のような物が見えました。もしかしたら、優しいお姉さん達のいる深海棲艦の拠点に帰ってきたのかもしれません。ほっぽちゃんは全力で走りました。
しかし、近づいて行って違うことに気づきました。海岸線に沿って灰色の壁が立てられていましたし、その先端には白くて細長い大きな建物が立てられています。
そして灰色の壁の上には……
「ニンゲン?」
誰かが座ってこちらを見つめていました。初めは深海棲艦のお姉さんかと思いましたが肌が黄土色でしたし髪は真っ黒だったことですぐに違うことに気づきました。
ほっぽちゃんは敵である人間かもしれないと思い怖くなりました。だけど、今更何も無い暗い海に戻る事なんて怖くてできませんし、何よりも疲れています。仕方なく、海岸線まで走りました。海岸線に近づくにつれ、誰かも怯えた表情でこちらを見ている事にほっぽちゃんは気づきました。
彼と目が合います。
グー
海岸線まであと、数メートルで人間が目の前というところでお腹が空いた音がしました。いつもなら深海棲艦のお姉さん達が持ってきたお肉やお魚を食べている時間です。
「腹が空いているのか?」
海岸線にいた誰かが声をかけました。ほっぽちゃんは素直にうんと頷きました。
「食べるか?」
彼は手に持っていたおにぎりを恐る恐るほっぽちゃんに渡しました。
ほっぽちゃんはそれが何なのかは分かりませんが食べられそうな物と判断して齧り付きました。
「オイシイ……」
彼がほっぽちゃんに渡した物はおにぎりでした。ほっぽちゃんにとっておにぎりは初めて食べる物でありましたがとても美味しいものでした。あまりにもの美味しさに、渡されたおにぎりをすぐにたいらげてしまいました。
「モット頂戴!」
「あ、ああ……分かった……」
ほっぽちゃんはそれを合計で3個食べてお腹がいっぱいになりました。
「君は深海棲艦かい?」
食べ終わるのを見計らってか彼がほっぽちゃんに声をかけました。
「人間ハ、ソウ呼ンデルヨ。アナタハ、ニンゲン?」
「そうだな。なんでこんな所にいるのか聞いていいか?」
「基地ノチカクデ遊ンデタンダケド、嵐ニ巻キ込マレチャッタノ。ソレデ、歩キマワッテキヅイタラココニ……」
「なるほどな。元いた場所には帰れないのか?」
「ソレガデキタラタラコンナ所ニイナイヨ!」
「すまん。そうだったな……ちょっと待ってくれ」
人間の彼はそう呟くと立ち上がると五分ほどして大きな紙を持ってきました。
「何コレ?」
「海の地図みたいな物だよ」
「地図ッテ何?」
「えーと……一部の場所を小さくして紙に書いたものだよ」
「フーン」
「今いるのがここだから、深海棲艦のいると思われる場所で最短なのたしかここで……」
ほっぽちゃんは彼が何をやっているのかよくわかりませんでしたが彼のやっていることは見方によっては、敵への情報漏洩……つまりスパイ活動であり軍紀違反に近い物です。彼は、その危険を冒してでもほっぽちゃんを助けようとしていました。
「ジャア、アッチノ方向ニ行ケバ帰レルノ!?」
数分後、彼の説明を受けてなんとなく理解したほっぽちゃんが聞きました。
「恐らくだがな。上手く帰れなかったら、またここに戻って来てくれ。あそこの洞窟に隠れていればそう簡単には誰かに見つからないと思う」
ほっぽちゃんが彼が指さした方を見ると小さな洞窟がありました。確かにあそこなら陸上からはいい具合に岩が陰になっているため見つけにくそうです。
「分カッタ」
「直ぐに出発するか?」
「明日ニスル。今日ハ疲レタカラ……」
「そうか。時間も遅いしその方がいいな。夜の海は危ないし、警備している艦娘の目に引っ掛かるかもしれないから出るなよ」
「分カッタ……」
「早朝は警備の目が緩くなるから逃げるならその頃か……そういえば、寒くないか?」
「寒イッテ何?」
「大丈夫そうだな……じゃあ僕は行くから……」
「待ッテ!」
彼が立ち去ろうとするのを見てほっぽちゃんが彼の腕を掴みました。
「どうした?」
「独リニシナイデ」
ほっぽちゃんは、ここに来た時よりは落ち着いていましたが怖い事には変わりありません。ほっぽちゃんにとって彼との出会いは幸運な物で、せっかく得ることができた小さな平穏を手離したくありませんでした。
「困ったな……すまん。また戻ってくるからもう少し待ってくれないか?」
「イヤ」
「うーん……待つのは少しでいいし、お菓子を買ってきてあげるから……」
「何カ持ッテ来テクレルノ?」
「美味しい食べ物を買ってくるぞ」
「分カッタ……我慢スル……」
食べ物を買って来てくれると聞いてほっぽちゃんは我慢する事にしました。
7〜8分程して、彼は走りながら戻ってきました。
「すまん。待たせたな」
「遅イ! 早ク食ベ物寄越セ!」
「その前にこれを受け取ってくれないか?」
「コレ何?」
彼が渡してくれた物にほっぽちゃんは怪訝な顔を向けました。彼が渡した物は熊のぬいぐるみでしたがほっぽちゃんは、可愛いと思いました。
「ぬいぐるみだ。近くの店で買ってきたんだが……気に入って貰えるか?」
「クレルノ?」
「ああ、そうだな」
「アリガトウ」
ぬいぐるみに大喜びするほっぽちゃんに彼は、目の前の深海棲艦が気に入ってくれて良かったたと思いました。
「それとどら焼きだ」
「食ベ物?」
「そうだな」
彼が持ってきたどら焼きは甘くてとても美味しい物でほっぽちゃんはどら焼きをすぐに食べてしまいました。
「また、明日来るよ」
「独リニシナイデ!」
「ぬいぐるみを俺の代わりだと思ってくれないか?」
「コレヲ?」
「そうだな。また明日、絶対に会いに来るから……」
「ドウシテモダメ?」
「どうしてもだな。悪いが寮の門限がうるさくて……」
「門限ッテ何?」
「えーと……」
ほっぽちゃんは彼の説明から何となく彼が住んでいる場所に帰らなければならない事を理解しました。
「分カッタ。帰ラナキャナンダネ。イツ頃、会イニ来ルノ?」
「5時頃……と言っても分かってもらえるか自信が無いな。太陽が昇る頃だ」
「オ日様ガ昇ル頃? 分カッタ、待ッテル。ソレマデ我慢スル」
「ありがとう」
「約束ダカラネ!」
会話が終わると彼はいなくなってしまいました。
波と風が吹く音がする中、ほっぽちゃんは一人で取り残されました。洞窟の中にいましたが、この日は月明かりが無く辺り一面真っ暗です。砂浜に打ち付ける波の音しません。
時間が経つにつれて、ほっぽちゃんは一人でいるのが怖くなってきました。今頃、深海棲艦のお姉さんたちは必死になって探しているかもしれないとほっぽちゃんは思いました。
「オ家帰リタイ……」
呟いてみましたが、ほっぽちゃんに今できることは怖さに耐えて待つことだけです。親切な人間から貰ったクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると少しだけ怖さが和らぎました。
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「大丈夫か?」
声に目を開くと昨日会った親切な人間がいました。ほっぽちゃんはいつの間にか寝ていてしまったみたいです。周囲は明るくなっていていました。
「ん……」
「寝てただけみたいだな……食べるか?」
「ウン」
人間が差し出したおにぎりを食べました。おにぎりの中の具は、少ししょっぱい赤い身の何かでした。ほっぽちゃんは前に食べた事のある魚の味だと思いました。
「もう少ししたら朝令の時間になって鐘が鳴る。その隙がチャンスだな」
ほっぽちゃんがおにぎりを食べ終わるのを待ってから腕時計を見た彼が呟きました。
「ドコ二向カエバイイノ?」
「この方位磁針で南東の方角だな。かなり走らなければならないがそこを目指していけば辿り着けると思う」
「コレドウヤッテ使ウノ?」
「えっと……」
どうやって説明するかと彼が頭を抱えましたが丁寧な解説だったおかげでほっぽちゃんは理解することができました。
「コノ赤イ尖ッタ先ガ差ス方向二走レバイインダネ」
「そうだな。時間はかかるだろうけど恐らく深海棲艦の基地に戻れると思う」
彼がそう呟くのとほぼ同時に鐘が鳴りました。
「時間だな。スマン、俺はそろそろ行かなきゃならん。後は君が頑張ってくれ」
「ナマエ……」
「ん?」
「名前ハ何テ言ウノ?」
「俺か? 俺は大原信也という名前だ。君は名前があるのか?」
「私ハマダ無イノ……」
「そうか……」
「シンヤ、アリガトウ」
「君の幸運を祈るよ」
信也と名乗った人間は優しい笑顔を見せました。
その後、ほっぽちゃんは目的地の近くにいた深海棲艦に発見され無事、元いた深海棲艦の基地に帰ることが出来ました。
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1週間が経ちました。ほっぽちゃんはまたあの時の美味しい物を食べたくなりました。幸いな事に方位磁針は残っていますし、行き方も知っています。深海棲艦のお姉さんたちに遊びに行く話しをしてほっぽちゃんは海に出ました。
3時間後、ほっぽちゃんは人間と出会ったまた同じ場所にいました。今日は人間はいません。洞窟に隠れて待っていると白いビニール袋を手首にぶら下げた彼が溜息をつきながら前にいた場所に向かってトロトロと歩いて行くのが見えました。
「シンヤ!」
ほっぽちゃんの声に彼はびっくりしました。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「アノ時ノ美味シイ物ヨコセ!」
「わ……分かった……」
彼がおにぎりを袋から出すとほっぽちゃんはバクバクと食べだしました。
「どうやってここに来たんだ?」
「前、クレタ方位磁針ヲ使ッタノ。」
「なるほどな……他の深海棲艦は何か言わないのか?」
「明日ノ朝二帰ルッテ言ッテアルカラ大丈夫」
「よく許可が取れたな……ここに来るまでに危ないことは無かったか?」
「何モ無カッタヨ」
「それならいいんだが……」
ほっぽちゃんは彼と話していて、彼がため息をついていた理由が気になりました。
「ネェ、何デタメ息ヲツイテタノ?」
「気の所為じゃないか?」
「イイカラハナセ!」
「仕方ないな……」
彼はほっぽちゃんにテストの成績が悪くて教官に怒られた事を話しました。ほっぽちゃんは成績が何なのかは分かりませんでしたが彼の話から何となく他人からの評価だと気づきました。
「何デ成績ガ悪イト怒ラレルノ?」
「何でって……深海棲艦の世界でも役に立たない奴は色々言われたりしないか?」
「何モ言ワレ無イヨ」
「そうか……」
「ニンゲンノ世界ッテ大変ナンダネ」
「まぁそうだな……」
「何デ真也ハ提督二ナロウト思ッタノ?」
「誰かを助けたいと思ったからだな」
「何デソウ思ッタノ?」
彼の顔が歪みました。
「……聞きたいか?」
「ウン」
彼は話しずらそうに過去の出来事を語り出しました。ほっぽちゃんは彼の両親が深海棲艦に殺されてしまった事を知りました。ほっぽちゃんは彼に謝りたくなりました。
「ゴメン……ソウナンダ……」
「君が罪悪感を感じる必要は無くてもいい。両親を殺した深海棲艦は君とは関係がないからな」
「ウン……」
その後もほっぽちゃんは彼と話をしました。話を聞いてほっぽちゃんは人間の世界と深海棲艦の世界は色々と違う事を知りました。彼の話は愚痴がメインでしたがほっぽちゃんは彼に同情しました。対して彼はほっぽちゃんとの話で元気が出たらしく、自然と会話が少しづつ盛り上がってきました。
しかし、時間はすぐに過ぎてしまいます。太陽が沈みそうになっているのを見てほっぽちゃんは帰らなければならないことを思い出しました。
「ソロソロカエルネ」
「暗くなってきたが大丈夫なのか?」
「夜デモ見エルカラ大丈夫ダヨ」
「そうか……」
「マタ、会イニ来テイイ?」
「困ると言っても来そうだな……構わないが絶対に誰にも見つからないようにしてくれよ。下手をしたら死ぬかもしれないからな」
「ウン。気ヲツケル。マタネ」
「またな」
ほっぽちゃんは夕方の海に消えました。帰り道、遠くに艦娘がいるのを見たりもしましたが見つからずに深海棲艦の基地まで帰ることができました。
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それからもほっぽちゃんは定期的に彼に会いに来ました。彼は毎日、夕食代わりのおにぎりを持って防波堤を訪れます。会いに来る日は2人で日が沈むまでには会いに来ると約束をしました。
ほっぽちゃんは彼から色々な事を聞いたり、おもちゃで遊んだりしました。彼と一緒に撮った写真や貰ったぬいぐるみはほっぽちゃんにとって宝物になりました。
彼のお話は、ほっぽちゃんにとって新鮮な物でとても楽しい時間でした。誰かを助けたいという気持ちには共感しましたし、この人とは戦いたくないとも思いました。
彼の方も同じらしく、彼が話し合いで解決できたらいいなと呟くこともありました。ほっぽちゃんは彼と民間人は絶対に殺さない約束をしました。彼も人を襲う深海棲艦は許せないとしつつもできることなら殺したくないと言いました。
しかし、幸せな時間はそう長くは続きませんでした。
2ヶ月したある日、いつものように防波堤を訪れると彼はこの世の終わりのような暗い顔をしていました。
「ドウシタノ?」
「大切な話がある」
彼はほっぽちゃんに目を合わせませんでした。ほっぽちゃんは、彼が落ち込んでいるのは今まで何度も見ていましたがいつもと様子が明らかに違います。ほっぽちゃんは不安になりました。
「本当に申し訳ないと思っているが会いに来るのを辞めてくれないか?」
「エッ? 何デ!?」
「教官に見つかったんだ」
「アノ怖イ人?」
教官についてはほっぽちゃんも彼からよく聞いていました。怖くて厳しい人というのが彼から話を聞いたほっぽちゃんの持った印象でした。
「そう……だな。仮にも敵対関係である深海棲艦とは会うべきじゃないと言われたよ」
「イヤ!」
ほっぽちゃんは彼の腕を掴みました。
「すまん……どうしても無理なんだ。君はここに来ちゃいけないんだ」
「ソウダ! シンヤモコッチ二来レバイイヨ! 皆ニハ私ガ全部話スカラ!」
「やめてくれ!」
彼は初めてほっぽちゃんの手をはらいのけました。
「ナンデ……?」
「悪いが人間を辞める気は無い。提督になりたい。その為にここまで頑張ってきたんだから……」
「ドウシテモダメナノ?」
「そうだな……本当にすまん」
彼の様子からどうしても無理な事をほっぽちゃんは悟りました。
「分カッタ。我慢スル……」
「君はいい子だな」
彼はほっぽちゃんの頭を撫でてくれました。ほっぽちゃんは嬉しいと思いました。
「ジャアネ」
「またいつかな。次は戦場で敵としてになるかもしれないがな……生きていたら……また会おう」
「ウン……」
彼の頬に涙がつたいました。
「シンヤ」
「どうした?」
「今マデアリガトウ」
「こちらこそ今までありがとうな」
ほっぽちゃんは海に消えました。
途中、何度も泣きたくなりましたが泣きたい気持ちを必死になって我慢しました。
この日を最後に戦争が終わるまで、ほっぽちゃんと彼が直接会う事はありませんでした。
次回は本編に戻ります