「朝よ。起きなさい」
次の日、叢雲の声で目が覚めた。
「おはよう……」
「何をするのか決まった?」
「ああ、大丈夫だ」
「何をするのか聞いてもいいかしら?」
一日中考えたから答えは決まっている。
「照月ともう一度、話し合おうと思う」
もう一度、話し合おう。僕の出した結論はそのようなものだった。
彼女と話がしたい。だけど、どうしても話したくない、もしくは彼女の話を聞いた上でどうしてもこの鎮守府にいたくないなら仕方がないと思う。
彼女を止める気は無い。彼女が鎮守府からいなくなるなら笑顔で見送るつもりだ。立場を利用して無理矢理にでも止めることはできない。僕は自分のわがままではなく、あくまでも彼女の幸せを願うべきだから。
響に指摘されて気づいたけど、僕は照月に依存しすぎていた。彼女無しでは生きていけないと考えていた。彼女と別れることが彼女の為になり、望みなのであればそれに従うべきだと思う。
昔の僕は彼女無しで生きていくなんて考えられなかったけど今は違う。今の僕なら彼女無しでも生きて行くことができる。照月を見送ることができる。そう思っての結論だった。
「話し合ってどうするの?」
「話し合って、本当に別れるのかを決めたい。照月がどうしてもここを離れたいというなら、止めるつもりはない」
「それがアンタの出した結論なわけね」
「そうだな……」
1連の話を叢雲は落ち着いた様子で聞いていた。
「怒らないんだな」
「アンタがしっかり考えて出した結論なら何も言えないわ」
「そうか……」
少し前のように怒鳴られるかもしれないと思っていたが何も言われなくて少しだけホッとした。
「一つ朗報があるわよ」
「何だ?」
「あの子がアンタを避ける理由が分かったわ」
「本当か?」
「本人から聞いたわけじゃないから確信は無い。確信が無いから私からアンタに話すことはできないわ。だけど、アンタが話し合いたいというなら話し合うきっかけを作ることはできるかもしれない。本当の理由は本人の口から聞きなさい」
「分かった。ありがとう」
照月ともう一度、話し合えるかもしれない。ただ、それだけの事だったけど嬉しかった。
「それと」
叢雲の表情が僕を怒鳴る時のものに変わった。嫌な予感がした。
「昨日の執務が一切できていないのはどういう事かしら?」
「あっ……えっとそれは……」
「まさか、響につられてサボっていたとか言うんじゃないわよね?」
叢雲の指摘は図星だった。あの後、響との釣りに夢中になってしまい、気づいたら一日が終わっていた。
「すまん」
「馬鹿! 執務は提督としての義務なんだからそのぐらいしっかりやりなさい!」
叢雲の怒鳴り声が響き渡った。
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最終日。
今日さえ乗り切れば忌々しい日々がやっと終わるという事実に軽い安堵感を感じる。だけど、最終日こそ最も気をつけなければならないと思う。冬月を失ったのは作戦の本当に最終段階だったし、提督との約束を破るきっかけも最後の日だった。最後の日は良くも悪くも何かが起きるこれが私の経験則だ。
昨日、提督は一日中執務をせずに響ちゃんと釣りをしていた。もしかすると提督は響ちゃんと一緒に鎮守府に残る覚悟を決めたのかもしれない。響ちゃんが説得してくれたのだとしたら私にとってありがたい話だ。
起床から出撃までは提督と顔を合わせる事もなく、何も起きずに進んだ。出撃もいつも通り。提督に嫌われるために出撃先で私はやりたくもない深海棲艦の虐殺を行う。
今は深海棲艦を拷問しても何も感じない。ただ、ただ虚しいだけ。いつの間にか、少し前まで感じていた高揚感は一切感じなくなっていた。同じようにそれに伴う性欲もあまり感じない。私はただ自らの任務の為に戦い続ける機械になっている。そんな気がした。
「照月、ちょっといいかしら?」
戦闘が終わった時ぐらいに叢雲ちゃんに声をかけられた。
「叢雲ちゃん、何?」
「最近、仕事が甘くない?」
「そう?」
「深海棲艦を殲滅せずに逃がしてるわよ」
叢雲ちゃんの指摘は当たっている。提督に嫌われる為に行動するようになってからはいかに深海棲艦を陰惨に殺すかを心がけていた。衝動に身を任せていた時のように複数をいたぶるのを楽しむのではなく、できるだけ悲惨な1つの死体を作る事に集中していた。
「そうかな?」
「貴女が倒しきれない敵は私達が処理する事になるのよ。そこら辺、分かっているの?」
「ごめん。でも、叢雲ちゃん達なら倒し切れるでしょ? 逃がしちゃった事とかあるの?」
「少数ならいいけど、多すぎると無理よ。貴女が殺す一体以外の個体が蜘蛛の子を散らすように逃げるから倒しきれないのよ。殲滅しきらないと何が起こるのか分かってる?」
「分かってるよ……」
深海棲艦の艦隊は極力殲滅しろ。艦娘の育成学校でも昔の提督でもそう教わった。最弱のイ級だとしても民間船舶からしたら脅威だし、そのイ級が仲間を引き連れてくる事があるというのがその理由だ。だけど、深海棲艦を掃討中のこの辺りを通る民間船舶なんていないし、近くに目立った危険な深海棲艦は確認されていない。何かが来たとしても私が始末するし、殲滅し損ねた所で何も起きないはずだ。
「仕事には真面目な貴女らしくないわね。何かあったの?」
叢雲ちゃんの私を心配するのではなく、問い詰めるような話し方に嫌な予感がした。
「別に」
「聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「何?」
「20年前、幼いアイツを助けたのって今の貴女でしょ?」
心臓を鷲掴みにされたような感触が走る。嫌な予感は的中した。
「どうしてそう思ったの?」
「貴女の昔の提督に聞いた。あの時の貴女が赤い目をしていた事を認めたわ」
内心舌打ちをした。あの人はなんでそう気軽に人の心の中を話すのだろうか?
「ふーん、そうなんだ」
内心動揺していたけど何事も無かったフリをして呟いた。
「なんでアイツを避けるの? 本来の貴女はアイツを愛してるんでしょ?」
嘘をつこうか迷った。だけど、嘘をついたところで勘のいい叢雲ちゃんにはすぐにバレてしまうだろう。それならいっその事全て話してしまおうと思った。
「大切な人だからだよ」
「どういう事?」
叢雲ちゃんの顔が歪んだ。
「叢雲ちゃんだってわかるでしょ? 狂人の私にとって偶然と言っても、あの時に子供を助けた事は生涯の中で唯一誇れる事なの。言うまでもなく私は狂ってる。私の狂気にあの子を巻き込みたくないだけ。私の手で提督を壊したくないの」
「アイツを守りたいって思ってるわけね……」
「そうだよ。だから、私は提督に嫌われたい。突き放して欲しいし、この鎮守府からもいなくなりたいと思ってる。本来の私も納得してくれている」
「本来の照月は納得していると言ったけど、本当?」
「どうせ長くないから別れた時に提督を悲しませるぐらいなら先に別れておいた方がいいと思うって言っていたよ。それと私と同じように提督を壊してしまうかもしれないって不安も感じてたとも言ってた。本来の私も私と同じなんだよ。他人を守りたいと思う事の何が悪いの?」
私の正義の為にやっているんだから邪魔しないで欲しい。それが私の本音だった。
「本当にこれでいいと思っているの?」
「何が言いたいの?」
「辛いと思わないの?」
「別に。本来の私は違うと思うけど私にとって提督は他人でしかないから」
「嘘が下手ね」
何かが心にグサリと刺さるのを感じた。
「今度は、何?」
「貴女がアイツを避けるのを辛いと思っている事はアイツも知ってるわよ」
えっ……提督に……? 落ち着け。叢雲ちゃんの話が嘘か本当かは分からない。それに、提督を避ける事を辛いと思ってしまう理由は私自身もよく分かっていない。彼を通じて現実世界との繋がりを持てているという1面もあるけど、そんな物は私から切り離して良いと思っている。他人でしかない、というのも守りたい理由を除けば事実のはずだ。
「動揺しているわね。何故、貴女が辛いと思うか理由を教えるわ。貴女はアイツが好きなのよ」
「えっ……?」
「勿論、異性として、という意味よ」
私が……提督を好きだと思ってる……?
そんな事あるはずがない。たしかに人間として好いている面はあるけど異性として意識した事は無い。私が提督の事が好きだなんてそんな事……
「本来の照月とアイツがイチャついていていた時に嫉妬したのもそれが原因。そして、アイツを避けようとする貴女が辛いと思ってしまうのも……」
「黙って!!」
心の中を土足で踏みじられるような感触が嫌で気づいたら声が出ていた。
「黙れも何も私は事実を言っているだけよ。本当の事を言われるのがそんなに嫌なのかしら?」
「うるさい!」
「いつか気づくと思って黙っていたけど、いつまで経っても気づかないし、しまいには自分のエゴで変な事をやり出すから言ってるのよ!」
「黙ってって言ってるよね? それと、悪いけど私を分かったように話すのは嫌だから止めてくれないかな?」
「内面を探られるのを嫌がるのは相変わらずね。アイツが貴女の狂気を止めようとした時もこんな感じだったのかしら?」
「……!」
提督が深海棲艦を拷問する私を止めに来た日のことを思い出した。あの時私は、この人は何も分かっていないと解釈して逆ギレに近い態度をとった上で彼の手を払い除けた。相手の事を何も分かっていないのに押し付けがましい態度を取られるのが嫌だった。
「いい加減、逃げてないで自分のトラウマと向き合ったらどうなの?」
「だまれ!」
発作的に叢雲ちゃんの胸ぐらを掴んだ。だけど、彼女は瞬き1つせずに私を見つめていた。
「私の何がわかるの? 叢雲ちゃんは自分の存在意義を悩んだ事がある? 生きていちゃいけない存在だって気づいて自分で自分を呪った事は? 分かりもしないのに私を語らないで!」
「自分を責めているのは自分だけってまだ気づけないの?」
「えっ……?」
叢雲ちゃんを掴んでいた手の力が緩むのを感じた。
「たしかに、貴女の行動を気味悪く思う子はいる。だけど、誰も貴女の事をせめてないじゃない」
「それはそうだけど……」
「本当は嫌なんでしょ? 自分で自分を責めるのも一人なのも」
「1人なのは別に……」
「強がらない方がいいわよ。本当はアイツと一緒にいたいんでしょ?」
叢雲ちゃんの言葉が不思議と心の中にストンと落ちるのを感じた。私自身も気づいていなかった気持ちだと思う。どうして今まで気づかなかったのだろう?
「でも私……狂人なんだよ……提督を壊しちゃうかもしれないから……」
「いいのよ。アイツが全てを知る事になったあの日、狂気の渦に巻き込まれてもいい。死ぬまで照月と一緒にいたいと言っていたって言ってたんでしょ? アイツはこれから何が起こるとしてもあくまでも貴女と一緒にいたいの」
叢雲ちゃんの言う通りだ。提督は私に壊されてもいいと言っていた。あくまでも私と一緒にいたいと言っていた。
思えば本来の私が提督の事を好きになったきっかけは、この時だったと思う。彼女は自分という気が狂った人間を全面的に受け入れた事に驚きを感じていた。今まで全面的に私を受け入れてくれたのは秋月姉さんだけだったから。
当時の私は面白いとしか思わなかったけど、今聞くと違った聞こえ方がしてしまう。
提督は本来の私だけでなく別人格の私の事も受け入れてくれるだろうか……?
(もう、いいよ)
「えっ?」
ここ何日も話していなかった本来の私の声が聞こえた。
(本当は提督と一緒にいたいんでしょ? 前にも言ったけど私が死んだ後は貴女の人生だから、貴女の自由にして)
「でも……」
(提督の事が好きなんでしょ? 悪いのは今まで提督を取られるのが嫌で話さなかった私だから……)
「そうなんだ……」
気づいていたんだ。だけど、本来の私を責める気にはなれなかった。
「本来の照月かしら?」
私は無言で頷いた。
「何て言ってたの?」
「私が死んだ後は貴女の人生だから好きにして欲しいって……」
「良かったじゃない。アイツと一緒にいられるわよ」
「本当に……いいの?」
声が震えているのが自分でも分かった。
「当たり前じゃない。誰もそれを止める権利は無いし、邪魔をする人間もいない。貴女は一人なのかもしれないけど、それは見寄りがないアイツも同じなのよ」
「そうなんだ……」
私は1人。だけど、提督も一人ぼっち。私は狂っているけどもそんな私を全面的に受け入れる彼も同じぐらいに狂ってる。
考えてみたら私達は似ている。共通点は沢山見つかる。お互いに惹かれあったのは似たものを感じていたからかもしれない。
私は、提督が好きだ。
今までは燻るような嫉妬心のような嫌な気持ちを感じ続けていたけど、私の中のそれの正体がようやく分かった。
「アイツが話したがってたわ」
叢雲ちゃんが呟いた。鎮守府に戻ったら最初にやるべき事が決まった。提督に会いにいく、それが最優先だ。
「ずっと、一緒にいてあげなさいよ」
「うん……」
高揚感のような緊張感のようなよく分からない暖かい気持ちを感じながら、私は帰路についた。
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2人が話し合っていた同じくらいの時間、ほっぽちゃんは最果ての鎮守府の近くの海域を1人で探検していました。ほっぽちゃんは前線から離れたこの辺りには小さな鎮守府が1つあるだけですし、人間側もろくに警戒していない事を知っていました。
ほっぽちゃんの目的は近くの偵察と付近のはぐれ艦隊の深海棲艦を連れて帰る……という大義名分でしたが実質的には観光のようなものでした。偵察といっても人間の居住区を艦載機で興味本位に見渡すだけのつもりでしたし、はぐれ艦隊を連れて帰るのもついでぐらいのつもりでした。ただ、深海棲艦の皆にバレると怒られてしまうので大義名分で誤魔化していました。
1人でしたが迷子になって1人でべソをかいていたあの時とは違います。ほっぽちゃんは立派な姫級の深海棲艦になっていて目の代わりになるたこ焼きみたいな艦載機を持っていましたし、持っている主砲で砲撃もできました。ほっぽちゃん1人で艦隊を1つ相手にする事さえ可能でした。
とはいえ、人間側に危険個体扱いされているほっぽちゃんが見つかると倒そうとする艦娘が押し寄せてくる事は目に見えているのでそれを避けての単独行動でした。
そんなほっぽちゃんが海域内を走っていると1匹の傷ついたイ級が酷く怯えた様子で逃げてきました。
「ドウシタノ?」
「ギューギュー」
イ級はほっぽちゃんに深海棲艦を拷問する艦娘から逃げてきた事を告げました。
「ナニ? ソンナ艦娘ガイルノ?」
ほっぽちゃんも今までに何度か頭がおかしくなったり、敵視してしつこく起きかけてくる艦娘を見たり聞いたりしましたがその中でも異様な物でした。信じられませんでしたが目の前のイ級が嘘をついているようには思えません。
「分カッタ、私ガヤッツケテヤル!」
ほっぽちゃんは近くにある小さな鎮守府を空襲する事にしました。死人が少し出るかもしれないけどお互い様だし、少し脅してやろう。ほっぽちゃんの中ではその程度の認識でした。
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「ふぅ」
溜まっていた執務が一通り終わって椅子に背中を預けた。何をする事もなく、そのままボーッとして時間だけが過ぎていく。
ふと、時計を見たら正午に近い時間となっていた。そろそろ照月達が帰ってくる時間だ。照月は今頃、何を考えているのだろうか? いかに僕をまくかを考えているのかもしれない。
「そうなったらしょうがないか……」
脳裏に浮かんだ嫌な光景に独り言を呟く。叢雲は照月との間に話し合いの場を設けてくれると言っていたけども上手くいくという保証はどこにもない。彼女と話すことが無く一日が終わってしまうかもしれない。照月と会えるのは今日が最後になるのかもしれない。
だけど、そうなってしまったらしょうがないと思う。僕に彼女を止める権利は無いし、そんな強引な事はできないから。
だけど、もしなんとか照月と話すことができたとしたら……
「……止めよう。悪い想定ばかりするのは悪い癖だ」
脳裏に浮かんだ上手く話せるだろうか? という言葉にまた、独り言を呟いた。考えるだけ時間の無駄だ。悪い想定ばかりしてしまうのは昔からだけど、最近になってより酷くなった気がする。今の僕は自分のできる範囲の事をするべきだ。
戸棚から照月が好きな銘柄の菓子を取り出した。コーヒーも彼女が普段好んで飲む物が用意してある。上手くいった時の準備は万端だ。
照月の対話はきっと上手くいく。上手くいかなかったとしても大丈夫。僕は提督を続けていくことができる。今の僕にできることは彼女の帰港を待つことだけだ。
窓から海の水平線を見つめた。照月達の姿はまだ無い。波は穏やかで、深海棲艦と戦争中なのが嘘のように見える。
「ん?」
水平線の彼方に小さな幾つかの点が浮かんだ。点はこちらに向かって近づいてくる。近づいてくるにつれてその正体が分かってきた。真っ黒な球体に口がついたような見た目で手……正体を知って背筋が凍り付いた。あれは、深海棲艦の艦載機だ。
ありえない。この鎮守府は後方で空母クラスの深海棲艦は聞いたことが無いし、叢雲からの報告にも上がったことは無い。
「まずい……!」
鎮守府に艦娘はいないし、この鎮守府には対空火器の類はない。このままだと、瓦礫の下になる。
咄嗟に逃げようとしたが、間に合わず辺り一面に爆発音が鳴り響いた。
誤字報告ありがとうございます