鎮守府への帰り道、一筋の煙が見えた。
「あの煙、何っぽい?」
夕立ちゃんが呟いた。嫌な予感がした。
火のない所に煙は立たない……。気が付くと私は誰よりも早く鎮守府に向けて走っていた。
「ちょっと照月! 待ちなさい!」
叢雲ちゃんが何か叫んだけど何を言ったのか理解できなかった。理解する余裕が無かった。
鎮守府に向かって全力で駆け抜ける。艤装の機関が負荷に耐えきれなくなって悲鳴を上げる。だけど今は、艤装の事はどうでもいい。一刻も早く鎮守府に帰ることが第一だ。
焦燥感は鎮守府に近づくにつれて強くなり、予感は確信へと変わっていく。同時に鎮守府の被害の状況も明らかになっていった。あちこちが崩落していて、火の手が上がっている。空襲があった直後だ。
「なんで……」
鎮守府を目の前にして膝をつくような虚脱感を感じた。
物が焼ける焦げ臭い嫌な匂いが鼻を突く。この匂いをかぐのは激戦区の鎮守府にいた時以来だと思う。
「とりあえず火を消すわよ。私は近くの鎮守府に救援要請をするから照月と響は水道管を探して。夕立は警戒をお願い」
視界の端にピンポン玉ぐらいの大きさの深海棲艦の艦載機が飛んでいるのが鎮守府の向こう側に見えた。
「警戒は夕立ちで良いっぽい……?」
あの艦載機が向かう先に鎮守府を空襲した深海棲艦がいる。
「警戒をするのは臆病な方が都合がいいの。いいから指示に従いなさい」
今ならまだ追いつけるかもしれない。頭に血が上った。
「照月! どこに行くのよ!?」
目の前が真っ赤になるのと同時に叢雲ちゃんに服を引っ張られた。
「邪魔しないで! 今ならまだ間に合う。追いかけなきゃ……!」
「敵の規模も分からないのに突っ込む気!? 何馬鹿なこと言ってんのよ!」
「関係ない。相手が誰でも私ならやれる、提督の仇を討たなきゃ……」
「いい加減にしなさい! アイツを見殺しにする気!? まだ死んでるって決まったわけじゃないんだから生きていることを前提に動きなさい!」
「でも……」
「私情とアイツのどっちが大事なのよ! 今なら助かったとしても時間が経つと手遅れになるわよ。いいから指示に従いなさい!」
(提督を助けて!)
叢雲ちゃんの声と本来の私の叫び声にハッとさせられた。
少し冷静に考えてみれば確かに叢雲ちゃんの言う通りだ。今の私に必要なのは提督の仇を取ることではなく彼を助けることだ。
「ごめん、私がどうかしてた」
「謝罪は後で幾らでも聞くから今は救出作業を優先しなさい。照月は響と一緒に消火とアイツを探すのが役目よ」
返事も返さずに救出作業に向かった。
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「本当二、ソンナ艦娘ガイタノ?」
空襲を終えた後に艦載機を収容しながらほっぽちゃんが呟きました。
鎮守府への空襲はとても上手く行きました。ただ、上手く行き過ぎているとほっぽちゃんは感じました。相手が油断しがちな安全な後方の鎮守府への奇襲だったとはいえ対空砲火一つありませんでしたし、空襲をしている間、艦載機からは艦娘を一切見ませんでした。
鎮守府には畑があったり洗濯物が干してあったりと誰かが暮らしているのは確実だと思いますがそれ以外には何もありませんでした。
「ギャーギャー」
イ級は必死になって嘘じゃないことを主張しましたがほっぽちゃんは半信半疑でした。ほっぽちゃんからするとイ級が嘘を言っているようには見えませんが、何も抵抗が無かった事も事実です。罠かもしれませんし、もしかすると全く関係のない鎮守府を空襲してしまったかもしれません。そう思うとほっぽちゃんは悪いことをしたかもしれないと思いました。
「艦娘ガ増エルカラ、ハグレチャダメダヨ」
鎮守府を空襲してしまった以上、増援の艦娘が集まってくることは目に見えています。人間が安全だと思い込んでいる後方を空襲してしまったからなおさらです。
ほっぽちゃんがいくら強いと言っても一人で増援の艦娘全員を相手にする自信はありませんでしたし、深海棲艦の皆が勝ち目がないから人間と講和するべきかもしれないと考えだしている時期にこんなところで死ぬのは嫌です。ぽっぽちゃんは逃げることにしました。
イ級を連れて海域を脱出している最中にほっぽちゃんはふと、昔助けてくれた人間の事を思い出しました。彼は提督になると言っていましたが今、どこで何をしているのでしょうか? 提督を諦めてしまったかもしれませんし、どこかの小さな鎮守府で艦娘と暮らしているかもしれません。それか、どこかで大成功して大物になっているのかもしれません。彼が今何をしているのかは分かりません。だけど、もし生きているなら彼ともう一度会ってみたいと思いました。
ほっぽちゃんはその命の恩人がいた鎮守府を空襲していたことに戦争が終わるまで気づくことはありませんでした。
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病室の中、私の目の前の真っ白なベッドの上に頭が包帯に巻かれた提督が横たわっている。彼の左手からは点滴のチューブが伸びていて透明な薬品に繋がって、心電計が彼の弱い心音をアナログ式の黒い画面に写していた。
あれから何日がたったのだろうか? 提督は目を覚まさない。
どうして……どうしてこうなってしまったのだろうか?
私が勝手なことをしたから?
本来の私の感情を無視したから?
深海棲艦を自分勝手に拷問したから?
鎮守府は安全だと思い込んでいたから?
私は……ただ、提督を守りたかっただけなのに……
お願い。目を開けて。提督の声が聞きたい。せめて、もう一度、話せるだけでもいいから。あの時の事を謝りたい。好きだって言葉を伝えたい。だからお願い。目を開けてよ……
運命のあの日、がれきの下敷きになっていた提督をなんとか助ける事には成功した。叢雲ちゃんの言う通り、もう少し遅かったら火に巻き込まれていただろうし、本当に間に合わなかったと思う。
空襲もハラスメント(嫌がらせ)目的だったのか、二次空襲は無く、被害を抑える事に集中できたのがのが不幸中の幸いだった。
大本営への報告や被害状況の確認など事後処理は叢雲ちゃんが元提督とのコネを使ったりして全部やってくれた。おかげで私は提督から離れずにすんだし、提督も良い病院に入院することができた。彼女には感謝するべきだと思う。
だけど……根本的なことは何も解決していない。
現在、提督は生死の境目をさまよっている。医者の話だと意識が戻る可能性は20%ぐらいという話だ。諦めてしまいたくなるぐらいに低い。
もしかすると提督はもう目を覚まさないかもしれない。
嫌だ。そんな事起きて欲しくない。
やっと提督の事が好きだと気づけたのに。彼と一緒にいてもいいって分かったのに。何もかもが遅すぎた。
本当に大切な物は失って気づくって知っていたはずなのに。冬月を失った時に気づいたはずなのに。どうして私は繰り返してしまうのだろうか?
私は祈ることしかできない。彼の手を握る事しかできない。彼の傍にいる事しかできない。私は……無力だ。
ドアが開く音がした。部屋に入ってきたのはお盆を持った叢雲ちゃんだった。
「しばらく何も食べてないでしょ? 食事、持ってきたわよ」
「いらない」
「いいから、食べなさい。食事をとる事の大切さぐらい分かってるでしょ? 貴女まで倒れたら元も子も無いわよ」
食欲は無かったけど叢雲ちゃんの言う事はもっともだ。激戦区の鎮守府にいた時はどんなに忙しくても食事だけは取れと念押しされていたし、それは正しいと思う。食事をとる事の大切さをすっかり忘れていた。
「うん……そうだね……」
「それと、悪いけどここでできる範囲でいいから執務を手伝ってくれる?」
「響ちゃん達じゃダメなの?」
「貴女らしくない事を言うわね。夕立にやらせているけど間に合わないのよ。それと、響は過去のトラウマを思い出して引きこもってるわ」
響ちゃんは過去に深海棲艦の襲撃で自分以外の鎮守府の皆を皆殺しにされた過去を持っている。提督とは仲が良かったし、その時の事を思い出してしまったのだと思う。
「そうなんだ……」
「じゃあ、私は行くから」
背を向けた叢雲ちゃんにふと疑問が浮かんだ。
こんな状況なのに彼女はよくやってくれている。だけど、それ故に彼女が何も感じていないように見えてしまう。彼女はどう思っているのだろうか?
「叢雲ちゃんは辛くないの?」
私の声に叢雲ちゃんが足を止めた。
「辛いに決まってるじゃない……」
彼女の苛立つような話し方に全てを察した。叢雲ちゃんは鎮守府を支えるために強がっているだけだ。
私や響ちゃんだけでなく叢雲ちゃんまで倒れると鎮守府の現状維持すらできなくなる。だから彼女は鎮守府の秘書艦の義務感で必死になって苦痛に耐えている。ただ、それだけの話だった。
「ごめん」
「私の事はいいから、できる事に集中しなさい。頼んだわよ」
「うん……」
叢雲ちゃんはお盆の上に載っていた携行栄養食と水と書類を置いて部屋を後にした。
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味のしない食事を終えて叢雲ちゃんから押し付けられた書類を片付けていると数時間ほどして、またドアが開いた。
「照月、来客よ」
「うん」
叢雲ちゃんの後ろから現れたのは私が激戦区にいた時の提督だった。今回も秘書艦は連れていなくて彼一人だ。彼が部屋に入るのを見て叢雲ちゃんは部屋から出て行った。
「久しぶりだな」
「はい……お久しぶりです……」
「改めて、鎮守府を離れるかどうか君の出した結論を聞きたい。どうしたいんだ?」
考えるまでもなく答えは決まっている。
「鎮守府から離れたくありません。申し訳ありません。私から言っておいてですが異動の件は無かった事にして下さい」
「分かった。お前がそれを望むならそうしよう」
「感謝します……」
彼がチラリとベッドの上にいる提督を見た。
「心配するな。その男はそう簡単に死ぬ人間じゃない。お前がいるなら必ず帰ってくる」
彼はそう言ってくれたけど、ただの気休めの言葉にしか聞こえなかった。
「はい……」
「何か困った事があったなら連絡しろ。ここの秘書艦が何もかもやってくれるだろうが俺の方で、できることがあるなら教えてくれ」
「ありがとうございます……」
「それと、もうひとつ話があるんだが……」
「何ですか?」
「今回の空襲を大本営は重く受け止めている。その関係で近々、最果ての鎮守府近くの海域で深海棲艦の大規模な掃討戦が行われる。参加するか?」
相変わらず意地の悪い人だと思った。この期に及んでこの人はわたしを試そうとしている。彼は私に提督を選ぶのか復讐を選ぶのかと聞いている。聞くまでもなく私がどう答えるかは分かっているはずなのに……
昔の私なら喜んで参加したと思う。敵討ちを大義名分にして深海棲艦を笑いながら血祭りにしていたと思う。だけど今は……
「不参加でお願いします」
私は提督の傍にいたかった。
「そうか」
彼が私に背を向けた。
「この先、何が起きるとしても自分で選んだ道を大切にしろ。確かに、お前が選べる道は少なかった。だが、少ない道の中から選んできた結果がお前をここまで連れてきた。だからこそ、この先で後悔をしないためにその道を大切にした方がいい」
少ない選択肢の中から自分で選んできた道だからこそ、その道を大切にしろ。
彼の言葉が妙に心に残った気がした。
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気がつくと見たことの無い場所に1人で立っていた。辺り1面、白い花畑で青い空が見える。
確かに僕は鎮守府にいて深海棲艦の空襲を受けたはずだ。なのに今の僕の体には傷一つ無い。一体何が起きているのだろうか?
「ここは……?」
「やれやれ、知ってはいたが思ったよりも情けない見た目の男だな」
後ろからした声に振り向くと1人の少女がスカイブルーの瞳で僕を見つめていた。麗人という言葉が相応しい美しい少女だった。髪は雪のように真っ白で腰までの長さがあり、照月と同じ秋月型のセーラー服を着ていた。背は照月よりも少し高いぐらいで僕よりは一回り小さい。
「君は……?」
僕は彼女はどこかで見た事がある気がする。だけど、いつどこで見たか全く思い出せない。彼女は何者なのだろう?
「初めまして……だな。私は秋月型八番艦、冬月。いつも姉が世話になっている」
「なっ……!」
目の前の少女は死んだはずの艦娘だった。