耳なし芳一のお話で、耳にお経をちゃんと書いた場合はどうなるのか。

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耳にもしっかりとお経を書きこんだ芳一の話

 それは平安時代末期。

 

 今から七百年以上も昔の事になるが、当時長門の国赤間関壇ノ浦と呼ばれていた海峡において、平家と源氏との間の長きに渡る争いの、そして最後となる大戦(おおいくさ)が起こった。

 

 その壇ノ浦の戦いで敗れた平家は一族の女・子供全て、その幼き帝であった安徳天皇と共に海の藻屑と消え去ることとなった。そのようなことがあったため、その海と浜辺は七百年間に渡り平家の怨霊に祟られ続けることとなった。海には平家蟹という不思議な蟹が棲むようになり、その甲羅にはまるで人間の顔を宿しているように見え、それは平家の武者の魂がそうさせていると云われているのである。

 その海岸一帯では、平家蟹以外にもたくさんの不思議な事が見聞きされるようになった。闇夜には幾千となき鬼火が波打ち際をふわふわと漂い、または遥か沖の波の上にちらちらと飛ぶ魔の火と称する青白い光りなどである。

 風の立つ時には大きな叫び声がまるで戦の鬨の声のように海から轟き渡った。

 

 平家の武者たちは、滅び亡骸となった後も現世(うつしょ)に姿を現して、もがき足掻きてこの世で無念を晴らそうとし続けていたのである。

 夜、海峡を漕ぎ行く船のほとりに立ち顕れては船を沈めようとし、また海を泳ぐものを絶えず待ち受けては海の底へ引きずり込もうとするのである。

 

 これらの死者を慰めるために建立されたのが、すなわち赤間ヶ関の仏教の御寺なる阿彌陀寺(あみだじ)であったが、その墓地もまた海が見える場所に設けられた。そしてその墓地の内には入水された幼き帝と、その歴々の臣下の名を刻みつけた立派な石碑が立てられ、かつそれ等の人々の霊を慰めるために、仏教の法会がそこでしっかりと行われることとなった。

 

 阿彌陀寺が建立され、幼帝の墓が出来てから以後は平家の亡霊たちによる禍いはなりをひそめたが、しかしそれでもなお時に怪異を引き起こし、人々に禍いを齎すのであった。

 

 ――彼等が今もなお心の平穏を得ていなかった事の証として。

 

 時は流れ、幾百年か以前の事、この赤間ヶ関に芳一という盲人が住んでいた。この見目麗しき盲人の少年は、吟誦(ぎんしょう)して琵琶を奏するのが非常に巧みであるとして世に名を知られていた。幼き時分から吟誦(ぎんしょう)し、かつ弾奏する訓練を受けていたのであるが、まだ少年の身でありながらすでにその師匠たちを凌駕していた。本職の琵琶師としてこの少年は主に平家と源氏の物語を吟誦するので有名であった。特に壇ノ浦の戦の歌を謡うと鬼神すらも涙をとどめ得なかったという事である。

 

 琵琶法師として身を立てはじめの頃の芳一は甚だ貧しかったが、しかし助けてくれる親切な友があった。すなわち阿彌陀寺の住職というのが、詩歌や音楽を大変に好んでいたので、たびたび芳一を寺へ招じては弾奏させ、吟誦さしたのだ。

 いつしか住職はこの美しき少年の驚くべき技倆にいたく感心して、芳一に寺をば自分の家とするようにと云い出したのであるが、芳一は感謝してこの申し出を受け入れたので、芳一には寺の一室を与えられた。

 

 食事と宿泊とに対する返礼として、静かな夜には住職の求めに応じてその閨にて琵琶を奏し、その巧みな技で住職を深く悦(よろこ)ばせるという約束を交わして。

 

 ある夏の夜の事、住職は死んだ檀家の家で法事を営むように呼ばれたので、芳一一人を寺に残して、弟子の僧を全員連れて出かけてしまった。大層暑く寝苦しい夜であったので、盲人である芳一は涼もうと思って、寝間の前の縁側に出ていた。この縁側は阿彌陀寺の裏庭をちょうど見下す位置にあったので、ここで芳一は住職の帰りを待ち、琵琶の練習をしながら自分の孤独を慰めていた。

 

 だが夜も半ば過ぎたにも関わらず住職は帰って来なかった。

 しかし戸の内ではくつろぐには夏の夜気はまだなかなかに暑く、芳一は少しでも涼しい縁側の外に居続けた。

 

 すると、裏門から近よって来る足音が聞こえてきた。誰かが寺の庭を横断して縁側のところまで進み寄ってきて、芳一のすぐ前にて立ち止ったのだ。

 

 住職の気配とはまるで違ったその者は、あり得ないほどの底力のある声で盲人の名を呼んだ。

 

 出し抜けに。

 無作法に。

 ちょうど、侍が下賤の者を呼びつけるように。

 

『芳一!』

 

 芳一はそのあまりの声量にびっくりしてしばらくは返事ができなかった。

 すると、その声の持ち主は厳しい命令を下すような調子で再び呼ばわった。

 

『芳一ぃ!!』

 

「は、はい!」

 

 と威嚇する声に縮み上ってしまった芳一は返事をした。

 

「私は盲目で御座います! そのためどなたがお呼びになっているのか解りません! ご無礼をお許しください」

 

 見知らぬ人は言葉をやわらげて言い出した。

 

『何も恐がる事はない、拙者はこの寺の近所に居るもので、お前の所へ用を伝えるように言いつかって来たものだ。拙者の今の殿様と云うのは、大変高い身分の方で、たくさんの立派な供を連れてこの赤間ヶ関に御滞在なされているのであるが、壇ノ浦の戦場を御覧になりたいというので、今日、そこを御見物になったのだ』

 

「は、はい」

 

『お前がその戦(いくさ)の話を語るのが、殊の外上手だという事を殿様がお耳に入れたので、お前のその演奏をお聞きになりたいと御所望されておる。であるから、琵琶をもち即刻拙者と一緒に尊い方々の待ち受けておられる屋敷へ来るがよい』

 

 当時、侍の命令と云えば容易に、断るわけにはいかなかった。それで、芳一は草履をはき琵琶をもち、知らぬその侍と一緒に寺を出て行った。

 その侍は盲人である芳一を巧みに案内して行ったけれども、足が速く、盲人の芳一は急ぎ足で歩かなければならなかった。

 

 芳一を手引きするその手はまるで冷たい鉄のようであり、武者の足どりのカタカタいう音からしてその侍は甲冑を身に纏っているようであった。

 

(殿様の衛士の方であろうか)

 

 芳一の最初の驚きは去って、今は自分の幸運を考え始めた。

 

 何故かというと、この家来の人の「大変高い身分の人」と云った事を思い出し、自分の吟誦を聞きたいと所望された殿様は、名の知れた大名に外ならぬと考えたからである。

 

 やがて侍は大きな門らしきところで立ち止った。

 

 だが、阿彌陀寺の大門の他にこの町に大きな門があるとは聞いたことが無く芳一は不思議に思った。

 

『開門!』

 

 と侍は呼ばわった。すると閂を抜く音がして、大きな門が開いたので芳一は侍に連れられて中に入って行った。広い庭を通り過ぎて、奥にある玄関まで辿り着いたのでそこで侍は足を止めた。

 

 芳一を連れてきたこの武士が再び大きな声で叫んだ。

 

『これ、誰か内のものはおるか! 芳一を連れて参ったぞ!』

 

 すると急いで歩く足音、襖の開く音、雨戸の開く音、女たちの話し声などが聞えて来た。女たちの言葉から察して、芳一はそれが高貴な家の召使である事を知った。しかしどういうお屋敷へ自分は連れられて来たのか皆目見当が付かなかった。

 

 が、それをとやかく考えている間もなかった。

 

 手を引かれて石段を登ると、その一番最後の段の上で「草履をぬげ」と云われ、それから女の手に導かれるまま、板張りの長い廊下を歩き、覚え切れないほどたくさんの角を曲がり、驚くべきほど広い畳を敷いた床を通り、やがて大きな部屋の真中に案内された。

 そこに大勢の貴人が集まっているのが芳一には分かった。

 

 絹のすれる音は森の木の葉の音のようであった。それからまたなんだかガヤガヤ云っている大勢の声も聞えた。低音で響くその話し言葉は宮中の雅な言葉であった。

 芳一は楽にするようにと云われ、座蒲団が用意されたのでその上にて座を組み、持参してきた琵琶の調子をみていると、老女の声が芳一に向ってこう言いかけた。

 

『ただ今、琵琶に合わせて、平家の物語を語っていただきたいという御所望に御座います』

 

 きっとこの老女は用向きを取り締る女中頭なのだろうと芳一は考えた。

 だが平家の物語を全て謡い語るのには幾晩もかかってしまう。それ故芳一は進んでこう訊ねた。

 

「一夜では物語の全てをとても謳い語ることはできませぬが、物語のどのくだりを殿様は御所望で御座いますか?」

 

 女の声は答えた。

 

『壇ノ浦の戦(いくさ)の話をお語りなされ。そのくだりが一番哀れの深い処で御座いますから』

 

 芳一は声を張り上げ、烈しい海戦の歌をうたった。

 持つ琵琶があるいは撓(たわ)んでしまうほどの熱を込めて奏で、艪(ろ)を漕ぎ船が進む音、はっしと飛ぶ矢の音、武者たちの雄叫び、足を踏み鳴らす音、兜にあたる刃の響き、打たれ海に没するものたちの音を、驚くばかりの演奏(わざ)をもって再現した。

 

 芳一はその演奏の途切れ途切れに、自分の左右から賞讃に囁く声を聞いた。

 

『何という巧い琵琶師だろう!』

『都でさえこんな琵琶を聴いた事がない!』

『国中を探しても芳一のような謡い手は二人とおるまい!』

 

 称賛の声を耳にした芳一はいっそう勇気が出て来て、ますます上手く弾き、且つ謡った。

 

 そしてその芳一の演奏のあまりの見事さに周囲は森の中のように静まり返った。しかし物語の終りに美人弱者の運命――婦人と子供との哀れな最期――双腕に幼帝を抱き奉った祖母である二位の尼の入水を語った時には――聴者はことごとく皆一様に、長く長く戦(おのの)き、慄える苦悶の声をあげ、それから後というもの一同は声をあげ、取り乱して哭き悲しんだので、芳一は自分の起こした悲痛の強烈さに内心驚かされたくらいであった。

 

 しばらくの間、むせび悲しむ声があたりに響きわたり悲哀の雰囲気が周囲に満ちた。

 やがて、おもむろに哀哭の声は消えて、またそれに続く非常な静かさの内に、芳一は老女の声を聞いた。

 

 その老女はこう云った。

 

『私共は貴方が琵琶の名人であって、また謡う方でも肩を並べるもののない事は聞き及んでいた事では御座いますが、貴方が今晩御聴かせ下さったようなあれほどのお手前をお持ちになろうとは思いも致しませんでした。殿様には大層御気に召し、貴方に十分な御礼を下さる御考えである由を御伝え申すようにとの事に御座います。が、これから後六日の間毎晩一度ずつ殿様の御前でその演奏(わざ)を披露するようにとの御意に御座います』

 

 老女の言葉が続く。

 

『明晩も同じ時刻に、ここへ御出向きなされませ。今夜、貴方を御案内いたしたあの家来が、また、御迎えに参るで御座いましょう』

 

 少し間を置いて、芳一へ釘を刺すように老女が語る。

 

『それからもう一つ貴方に御伝えするように申しつけられた事が御座います。それは殿様がこの赤間ヶ関に御滞在中、貴方がこの御殿に御上りになる事を誰れにも御話しにならぬようとの御所望に御座います。殿様には御忍びの御旅行ゆえ、かような事はいっさい口外致さぬようにとの御上意によりますので。理解なされたならば、寺に御帰りあそばせ』

 

 芳一は感謝の意を十分に述べると、女に手を取られてこの屋敷の玄関まで戻った。玄関には自分をここまで案内した侍が待っていて、往きと同じ道を通り寺の裏の縁側の処まで芳一を連れて来て、そこで侍は別れを告げるとすぐさま気配が消え失せてしまった。

 

 芳一の戻ったのは夜明け前であったが、芳一の不在には誰も気が付いていなかった。

 

 住職はかなり遅く帰って来たので、芳一は部屋で寝ているものと思ったのだ。昼になるまで芳一は少し休息を取ることができたが、その不思議な事件については住職に一言も告げなかった。

 

 翌日の夜中に侍がまた芳一を迎えに来て、かの貴人の集う屋敷に連れて行かれたが、そこで芳一はまた吟誦し、前回の演奏の時と同様に称賛を受けることとなった。しかしこの二度目の訪問の最中、芳一が寺に不在であったことが偶然露見してしまった。

 

 それで翌朝戻ってから芳一は住職の前に呼びつけられた。

 住職は言葉やわらかに叱るような調子でこう言った。

 

「芳一、私たちはお前の身の上を大変心配していたのだ。目が見えないのに、一人で、あんなに遅く出かけては大変危険だ。何故、私たちに断りを入れずに出かけたのだ。教えてくれれば下男を供に出したのに。一体どこへ行っていたのだ」

 

 芳一は言い訳をするように言葉を返した。

 

「和尚様、御免下さいまし! 少々私用が御座いまして、昼の間にその用事を片付ける事が出来ませんでしたので」

 

 住職は芳一の言葉を聞いて、心配したというよりむしろ驚いた。

 

 ひどく不自然な事であり、何かよくない事でもあるのではなかろうかと感じたのである。住職はこの盲人の少年があるいは悪魔につかれたか、あるいは騙されたのであろうと心配した。

 で、それ以上何も訊ねなかったが、ひそかに寺の下男を呼び寄せて、芳一の行動を見張って、もし暗くなってから、また寺を出て行くような事があったなら、その後をつけるようにと云いつけた。

 

 すぐその翌晩、芳一が寺を脱け出して行くのを見たので、下男たちは直ちに提灯をともし、その後をつけた。

 その夜は雨が降って非常に暗かったため、下男たちが寺の敷地の外へ出る頃には芳一の姿は消え失せてしまった。

 

 芳一が信じられないくらい早足で歩いたということになる。

 

 芳一が盲目である事を考え合わせてみると、これはちょっと考えられないくらい不思議なことだ。何故かと云うと道は雨でぬかるんで非常に悪かったのである。下男たちは急いで芳一の後を追って町へ行き、芳一がいつも通っていた家を訪ね、訊いてみたが、誰れも芳一の事を知っているものはなかった。下男たちは芳一を探すのを諦めて、浜辺の方の道から寺へ帰ろうと阿彌陀寺の墓地の側を通りかかると、墓地の中から盛んに琵琶の弾じられている音が聞えてくるので、一同は吃驚した。

 

 暗い晩には二つ三つ程度の鬼火がちらつくようにこの辺りを飛んでいるものだったが、今日は真っ暗で闇に閉ざされていた。普段と違う様子に下男たちは慌てて墓地の中へ駆けこんで行くと、提灯の明かりの先に果たして一同は芳一を見つけた。

 

 雨の中に、安徳天皇の石碑の前に独り座って、琵琶を掻き鳴らし、壇ノ浦の合戦の曲を高く誦して。その背後(うしろ)と周囲(まわり)と、それから到るところの墓の上に死者の人魂が蝋燭のように燃えていた。いまだかつて人の目がこれほどの数の鬼火を見た事はあっただろうか。

 

「芳一さん! 芳一さん!」

 

 下男たちは声をかけた。

 

「貴方は何かに魅入(ばか)されているのだ! 芳一さん!」

 

 しかし盲人には聞こえていないらしい。

 力を籠めて芳一は琵琶を錚錚(そうそう)と鳴らして、ますます烈しく壇ノ浦の合戦の曲を誦している。

 

 男達は芳一をつかまえ、耳に口をつけて叫んだ。

 

「芳一さん! 芳一さん! 今すぐ私たちと一緒に寺に帰りましょう!」

 

 芳一は下男たちを叱りつけた。

 

『この高貴な方々の前で、こんな風に私の邪魔をするとは赦さんぞ!』

 

 この怪異の中であっても、これには下男たちも笑わずにはいられなかった。

 芳一が何かに魅入(ばか)されているのは確かなので、下男たちは芳一を捕まえ、その身体を持ち上げて起たせ、力づくで寺へ連れ帰った。

 

 寺に戻った芳一は住職の命令で、濡れた著物を脱ぎ、新しい著物を著せられ、食べものや、飲みものを与えられた。その上で住職は芳一のこの驚くべき行為について説明する様に迫った。

 

 芳一は長い間説明するのを躊躇していたが、遂に自分の行為が親切な住職を脅かし且つ怒らせた事を知って、自分の緘黙(かんもく)を破ろうと決心し、事の最初から、侍の来た時からの一切合切を物語った。

 

 それを聞いて住職は云った。

 

「可哀そうな男だ、芳一。お前の身は今大変に危ういぞ! もっと前にお前がこの事を私に話さなかったのは不幸な事であった! お前の音楽の妙技がまったく不思議な難儀にお前を引き込んだのだ。お前は決してお屋敷を訪れているのではなくて、墓地の中の平家の墓の間で、夜を過していたのだという事に、今はもう気付かなくてはいけない。今夜、下男たちがお前が雨の中で座っているのを見たが、それは安徳天皇の石碑の前であったのだ。お前が想像(み)ていた事はみな幻影(まぼろし)だ。亡者がお前の元を訪れて来ていたのだ。だが、亡者に魅入られてしまった以上、お前の身は亡者の手の内にある。もし再び亡者どもの云う事を聞いたなら、お前はその人たちに八つ裂きにされるかもしれない。いやいずれにしても早晩、お前は殺されてしまうだろう」

 

 住職は魅入られてしまった芳一の身を深く嘆いた。

 

「お前の身を守るために共に居たいところだが、今夜私はお前と一緒にいるわけにいかぬ。私は今夜また一つ法事をするように呼ばれているのだ。が、行く前にお前の身体を護るために、その身体に経文を書いて行かなければなるまい」

 

 日没前に住職と弟子の僧とで芳一を裸にし、筆をもって二人掛かりで芳一の、胸、背、頭、顔、頸、手足――身体中どこと云わず、足の裏にさえも――般若心経というお経の文句を書きつけた。

 紅顔の美少年たる芳一の艶やかな皮膚の上に筆を走らせる住職と弟子の僧の息に熱いものが少しずつ籠っていく。

 

『和尚様。耳に! 耳にお経を書き忘れておられます』

 

「むっ? 本当だ。これはいかんな」

 

 住職は筆を取りなおすと、芳一の両耳に丁寧にお経を書き加えた。それが済むと、住職は芳一にこう言いつけた。

 

「今夜、私が出て行ったらすぐに、お前は縁側に座って、待っていなさい。すると迎えが来る。が、どんな事があっても、返事をしたり、動いてはならぬ。口を利かず静かに座っていなさい。座禅をするようにして。もし動いたり、少しでも声を立てたりすると、お前は切りさいなまれてしまう。恐がらず、助けを呼んだりしようと思ってはならぬ。助けを呼んだところで助かるわけのものではないから。私が云う通りに間違いなくしておれば、危険は通り過ぎて、もう恐わい事はなくなる」

 

 

 日が暮れてから、住職と弟子の僧は法事に出かけて行ってしまった。芳一は言いつけられた通り縁側に座を占めた。自分の傍の板張りの上に琵琶を置き、入禅の姿勢をとり、じっと静かにしていた。注意して咳もせず、息の音も聞こえないように。幾時間もこうして待っていた。

 すると表の道の方から足音のやって来るのが聞えた。足音は寺の門を通り過ぎ、庭を横断り、縁側に近寄って止った――すぐ芳一の正面に。

 

『芳一!』

 

 と底力のある声が呼んだ。

 が盲人は息を凝らして、動かずに座っていた。

 

『芳一!』

 

 と再び恐ろしい声が呼ばわった。

 繰り返すこと三度、兇猛な声で。

 

『芳一』

 

 芳一は石のように静かにしていた。

 すると困ったような声で。

 

『返事がない! これはいかん! ……奴、どこに居るのか見てやらなけれやア』

 

『……』

 

 縁側に上る重もくるしい足音がした。足はしずしずと近寄って、芳一の傍に止った。それからしばらくの間――その間、芳一は全身が胸の鼓動するにつれて震えるのを感じた――まったく森閑としてしまった。

 

 遂に自分のすぐ傍で荒々しい声がこう云い出した。

 

『ここに琵琶がある、だが、琵琶師の姿が……』

 

 芳一の傍で侍の気配が動き、大きく足を踏み鳴らした。

 そのあまりの勢いに芳一は座禅を崩し横に倒れるようにへたり込んでしまった。

 

 幸い音を立てずに済んだが、四つん這いの姿勢のまま身動きができない。

 

『むう……これは』

 

 侍の気配が芳一の背後で荒々しく揺れている。

 

『これは……芳一の菊座か。……道理で返事をしないはずだ。返事をする口が無いのだ。この菊座の外、琵琶師の身体は何も残っていない……よし殿様へこの菊座を持って行こう――出来る限り殿様の仰せられた通りにした証拠に……』

 

 その時、芳一は鉄のような指が菊座に捻じ込まれるのを感じた! 

 

 準備もしていない菊座の痛みは相当なものであったが、それでも声はあげなかった。

 突き入れられた鉄のような指が直腸の中で蠢き、侍はなんとか摘まもうとするも粘膜は掴めない。

 

『むう。指では無理か。こうなれば……』

 

 ガチャガチャと鎧袴を脱ぐ音が響き、ゴトリという音と共に縁側の板張りの上に重いものが置かれる音が芳一の耳に入って来た。

 だが逃げようにも逃げられぬ。

 

 菊座にはお経が書かれていないため、侍からは見られてしまっているのだ。

 

『指では届かぬが、拙者のこの逸物であれば……ぬんっ!』

 

 芳一は内心で絶叫を上げた。

 声を上げてはならぬと和尚様は仰ったからだ。

 

 だが、それがどれほど難しいことか。

 

 直腸を抉る侍の堅くて太い逸物は和尚様のものに全くひけを取らない大業物(おおわざもの)であったのだ。

 

 侍の腰が更に前に突き入れられて、芳一は自分の腰がロックオン(固定)されてしまっているのを思い知らされてしまう。

 

『暴れてもムダ……ワタシサムライ……強いね……このままS字結腸まで突き入れて引っかければ……』

 

 芳一は声にならない無言の叫びを上げた。

 

『や……、やめろおぉぉ!!』

 

 直腸の中で侍のモノが更に堅く膨れ上がる。

 

『ぐ……、がっ』

 

 条件反射でいつものように直腸液が溢れて、侍の男根を甘く包み込んでしまう。

 

『Oh──グッドアナル かなり良いよホウイチ……ホワット!?』

 

 鍛え抜かれた菊座が侍の男根をきつく搾り上げ始めた。

 類稀な弾奏の技量と吟誦だけで住職の寵愛を受けられる訳がないのだ。

 

 芳一は菊座の技も天下に二人といないほどの腕前であったのだ。

 

『ぐ、ぐかかっ!? こ、こんな!!』

 

 締め付け、擦り上げ、搾り上げる御業で侍の、平家の亡者の無念が削ぎ落とされていく。

 これが真の琵琶法師の技であったのだ。

 

 やがて、鈍い音が縁側の板張りの上で響き侍は極楽浄土へ旅立って行った。

 

 

 

 日の出前に住職は帰って来た。急いですぐに裏の縁側の処へ行くと、何んだかねばねばしたものを踏みつけて滑り、そして慄然(ぞ)っとして声をあげた。

 それは提灯の光りで、そのねばねばしたものが精液と腸液の入り混じった見慣れたものであった事に気付いたからある。

 

 しかして、芳一は四つん這いの姿勢でそこに横たわっているのを住職は見た。菊座からはなお精液をだらだら流して。

 

「可哀そうに芳一!」

 

 と驚いた住職は声を立てた。

 

「これはどうした事か……お前、怪我をしたのか」

 

「……」

 

 住職の声を聞いて盲人は安心した。芳一は急に泣き出した。そして、涙ながらにその夜の事件を物語った。

 

「可哀そうに、可哀そうに芳一!」

 

 と住職は叫んだ。

 

「みな私の手落ちだ! 酷い私の手落ちだ! ……お前の身体中くまなく経文を書いたに菊座だけが残っていた! そこへ経文を書く事は弟子の僧に任したのだ。法事の前に見てしまってはムラムラするがゆえに! 弟子の僧が相違なくそれを書いたか、それを確かめておかなかったのは、じゅうじゅう私が悪かった! ……いや、どうもそれはもう致し方のない事だ。出来るだけ早く、その菊座を……私のモノで上書きするほか仕方がない……芳一、まア喜べ! 危険は去った。もう二度とあんな来客に煩わされる事はない」

 

 その夜、いつになく情熱的な住職との睦みあいで芳一の心の怪我はほどなく治った。この不思議な事件の話は諸方に広がり、たちまち芳一は有名になった。貴い人々が大勢赤間ヶ関に行って、芳一の吟誦を聞いた。そして芳一は多額の金員を贈り物に貰った。

 

 

 それで芳一は金持ちになった……しかしこの事件の後、この男はグッドアナル芳一という呼び名ばかりで知られることとなった。

 

 




出典 青空文庫 耳無芳一の話
作者 小泉八雲 Lafcadio Hearn

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