これはなんでもない日に起きた、なんでもない出来事の話。
「おはようございます。アニスフィア様」
「ふぁ…おはようイリア…ねむむ…」
「昨夜は別々にお眠りになられたのですか?」
「ん…。今はお互い忙しいからね。時間合わなかったんだ」
今日の私の仕事は主であるアニスフィア様を起こしてから始まる。モーニングティーを用意してお渡しし、本日の予定を確認する。それがこの方の一日の始まり方。
「本日のご予定は、午前中に王宮での執務の残りの処理を終えた後───」
ユフィリア様同様に、この方も今は多忙を極めている。まだまだ魔道具を受け入れてくれる人々が少ない限りこの方に休まる機会などない。多少の無理難題は押し付けられはするものの今はそれが最善だと言えるでしょう。他国との繋がりを深め、魔道具を浸透させるとなるとそうそう簡単なことではありません。お二人の期待に添えるようなるべく尽力しないといけませんね。
「あぁ、そうだ。ユフィから聞いてたよね?週末の予定の事」
「はい。南西にあるセレズニア国がこの国へご訪問なされる予定ですよね?」
「うん。悪いんだけどそれ無理言って明日に変更してもらったから。よろしく」
…………明日?
全く、この方はこういう所の予定の決め方があまりにも突発的過ぎる。明日となるとそれなりに準備も掛かるし、集めるものも必要となる。幸い今日は午前の執務以外に何も無いからいいにせよ。もう少し早めに連絡を入れて欲しいですね。人使いが荒い。
しかし、パレッティア国の一メイドとしてその国の名に恥じぬもてなしを構成しなくてはいけません。今日は王宮のシェフとメイド全体に明日の予定を組み直してもらわねばなりませんね。
「かしこまりました。では私は明日の準備に取り掛かります。報告はアフタヌーンティーの時に。ご朝食は如何なされますか?」
「ふぁぁ…わたしも今日の仕事はパッパと片したいから後で執務室に持ってこさせて。そこで食べる」
「かしこまりました。では後ほど」
アニスフィア様の着替えを終わらせて、執務室に向かうアニスフィア様の背中を見送る。
さて、ここから私の仕事ですね。まずはご朝食の準備をしましょう。執務室で片手間に食べられる軽食を作ってそのついでに王宮の方々へ明日の予定変更の連絡と段取りを構成してもらいそれから───
「イリア様」
「プリシラ。どうかしましたか?」
「明日訪問にいらっしゃる方々の名簿が取れました。確認をお願いします」
「ありがとうございます。貴方は仕事が早くて助か───」
と言って、手渡されは資料には『ユフィリア様観察ノート❤❤❤❤』の文字。
空気に亀裂が入る音が聞こえた。なるほど、これは確かにアニスフィア様もユフィリア様もこの人を警戒するわけですね。というかなんですかこれ。なんでこんなものを持ち歩いているのですか?
「プリシラ?」
「申し訳ございません。それは違います。本当はこちらです」
このバ…元い、今この王宮にいる侍女の一人、プリシラ。この人もどうしてこう出来る部分があるのに全く持って要らない部分を綺麗につけ加えられて生まれてきたのでしょうか。神は二物を与える。と言いますが、この二物は混ぜるな危険の二物だと思います。というか、あんなストーカーじみた初期を会議中の議事録と一緒に作らないで欲しいですね。その脳の分割の仕方には敬意を表します。表したくないですが。
「ありがとうございますプリシラ。あと、その粗末な鼻血は早くとめてください」
「申し訳ございませんイリア様。あの方は今日も大変美しゅうございました」
「感想を聞きたいんじゃないんです。持ち場に戻ってください」
「はい。失礼します」
プリシラは綺麗な会釈をして仕事場へ戻っていく。さて、今度こそ私も厨房に行きましょう。時間が押しています。
『ひゃぁぁぁぁぁ〜〜〜!!!!』
「!?」
と、やってきた厨房の目の前で悲鳴と共に『爆発』が起きていた。どうして厨房でそんなことが起こるのか理解できない。しかし、その前に聞こえたのは悲鳴。厨房に誰か居る…!?
「何事ですか!?」
「イリア様〜〜!」
「シャルネ!一体何が?」
「じ…実は…生卵をオーブンで最大出力で加熱したら直ぐにゆで卵が出来るんじゃないかと思ってやってみたら、爆発しました〜〜〜!!!」
このバ…っバカ!!
シャルネには何度も口を酸っぱくして言っているはずの『料理をする時はオリチャーを展開せずにレシピに従ってください』という言葉。どうしてこう彼女はすぐに料理に自我を出すのでしょう。確かに料理に時間効率は必要になる時はあるかもしれませんが貴方が今やってるレシピにそんなにタイムアタックは必要ありません!
全く…何をやっているのですかこの子は。厨房のオーブンは綺麗に使い物にならなくなって出来ることが限られている。幸い、フライパン等の火を使うものは大丈夫そうですね。
「はぁ…あとは私がやります。貴方は下がっていなさい」
「ふぁぃ……」
・・・・・・*
「ふぅ…」
あれから、厨房の掃除、シャルネの引き継ぎ、アニス様への朝食、明日の予定の確認を王宮職員の各員への通達。午前の部は一通り行いましたね。鏡に映る自分を見ると少しやつれているように見えます。ですがこれで大体の仕事は片付きましたね。
嗚呼、『あの子』に会いたい。きっと今も待っていてくれている。しなやかな黒、丸くつぶらな瞳、守りたくなるような尊さ。早く…早く『あの子』に会いたい。日々の仕事の疲れを癒してくれるあの子に。
早く会いたい。小さくて、ふにふにで、柔らかな『あの子』に…!
廊下を歩く足音が少しずつ大きくなっているのがわかる。こんなにも早る気持ちを抑えているのに抑えきれない。それほど『あの子』に会えるのが待ち遠しい。
・・・・・・*
「あ、レイニ〜。イリア見なかった?ちょっと用事あってさ」
「アニス様。イリア様なら裏庭の方へ向かいましたよ。まだ今日の水やりをしていなかったかと」
「そっか、ありがとうレイニ。行こうユフィ」
「はい」
・・・・・・*
「っ!」
勢いよく扉を開けて、辺りを見渡す。
そして、『あの子』はしっかりとそこに居た。
「にゃ?」
つぶらな瞳にふわふわな綿毛の様な体毛、短いながらも愛らしい脚、表情豊かな尻尾の動き。そうこの子猫だ。
「嗚呼、待たせてしまいましたね。さぁ、たんとお食べください」
「にゃぁ〜」
小さな器へ持ってきた餌を入れ渡す。はぐはぐと懸命に食べるその姿を見るだけで私の心は癒される。
最近この離宮の裏庭へ迷い込んだ子猫。見る限り生後間もない訳では無いがまだ子猫と呼ぶにふさわしい幼さで素直に甘えてくる。なんという尊い生き物。レイニもそうですが、何故こんなにも自分よりも小さい生き物は可愛く見えるのでしょう。アニスフィア様も昔は───
『みてイリア!くろとかげのまるやき!』
それは頂けません。首を横に振って余計な思い出を振り払う。遠い記憶の幼い日のあの方の奇行がまだ拭えない。もはや少しトラウマレベルな気がして来ましたね。
「にゃ」
「おや、もう食べてしまったのですね。おかわりですよ」
「にゃ〜」
「こらこら、そんなに慌てて食べなくてもご飯は逃げませんよ」
「にゃにゃ〜」
「ふふっ、美味しいですかにゃ〜?」
「にゃ〜!」
「ふふふっ、それはよかったにゃ〜」
・・・・・・*
『あ、いたいた。お〜………………い?』
『どうかしましたか?アニス』
『…………え、あれイリア?』
『え?』
『ちょちょちょ、隠れて隠れてっ!』
『なんですかアニスっ、わっ、押さないでください』
『いいから見てよあれ!アレホントにイリア!?』
・・・・・・*
「にゃ〜〜」
嗚呼、なんて柔らかい肉球。丸々とした体も愛おしい。
この時間が仕事中の至福のひととき。レイニに構ってしまうと怒られてしまいますからね。
・・・・・・*
『アニス様。ティルティ様がいらっしゃいましたよ。あれ?イリア様ここに居ませんでしたか?』
『何やってるのよあなた達こんな所で固まって。おしくらまんじゅう?』
『ねーねーねー!ティルティ!レイニ!あれ見てあれ!』
『はぁ?なによ、イリアじゃない。座ってるだけでしょ?』
・・・・・・*
「にゃ〜〜っ」
「ふふふふふ、こんなにふわふわでなんと尊いのか。もうずっと離したくないにゃ〜」
・・・・・・*
『……は?』
『……え?』
『あれ、誰?』
『でしょでしょ!?アレ誰!?』
『あぁ、イリア様。最近裏庭へ行く事が多いと思ったらそういう…』
『意外でした。イリアもあんな風にふにゃふにゃになるんですね』
『ああ〜!カメラがあればな〜!』
『なによそれ…』
・・・・・・*
「にゃ〜にゃにゃ〜」
「ん〜?どうかしたのかにゃ〜?」
すると、子猫がやたらと私の背後を気にしている。何かいるのでしょうか?まさか、もう一匹お仲間さんを呼んで───
「「「あ」」」
「え」
その日、一同は初めてイリアの悲鳴を聞いたと言う。
ちゃんちゃん。
『ほんとに綺麗な子猫ですね。可愛い』
『あの…レイニ…ほんとに忘れてくださいさっきのことは…』
『イヤです❤。それよりこの子に名前をつけてあげませんか?ん〜。そうですね。真っ白な子猫ですから……プリズム、とかどうでしょう?』
『レイニ(デカい声)』