今日も誰かが噂する。魔法に恵まれなかった私の事を。才能がない。精霊に祝福されてない。王族なのに魔法が使えないゴミ。そんな風に誰かが影で罵っている。
今日も誰かが笑ってる。私を指さし笑ってる。
罵って、蔑んで、哀れみて。
私は別に気にしない。私は何も思わない。
例えどれだけ言われても私は魔法で空を飛ぶ。
ひとりだけでもやってみせる。
あぁ、またここへ来たのか。暗い暗い夢の底。
私へ向ける罵詈雑言。今日も私を取り囲む。
ユフィがずっと手を引いてる。
それでも、私は抜け出せない。
抜け出す理由を探してる。
…………
「ん……」
布団が剥がれた寒さから目が覚めてしまった。隣に居るはずの柔らかな感触が無かった。シーツを撫でるとまだ暖かい。
「ユフィ……?」
起きたばかりで回らない頭と定まらない視界でユフィを探す。そしてすぐに彼女を見つけれた。
「おはようございます。アニス」
「ぁそっか……今日早い日だっけぇ……?」
まだ眠くて頭が回らない。ユフィがベッドに座って私の頭を撫でる。
「アニスはまだ眠っていていいんですよ?」
「やぁ〜……ユフィ行っちゃやぁ……」
ぎゅう、とユフィへ抱きつくようなしがみつくような。恋人との時間を一秒でも長く感じたいからしっかりユフィを捕まえる。
「アニス、そんな格好で言われると、こちらも堪えるのも限界が来ますよ」
「んぅ……それでもいいもん……ゆふぃのえっち」
「貴方が悪いんです」
頭を撫でるユフィの手が心地よくて、うっすら開いていた瞳がまた落ちてくる。それを皮切りにユフィは私をベッドへ戻した。
「はい。それでは行ってきますね。アニス」
「は〜い。いってらっしゃ〜い」
ユフィが頬にキスを落とす。その背中を見送ると私はもう一眠りと目を閉じた。
…………
「お嬢様。起きてください」
「んぅ……」
またまた目を開けると今度はイリアがそこにいた。モーニングティーを持ってきているらしい。紅茶のいい香りが鼻をくすぐる。
「んっ……ふぁぁぁ……」
体を起こしてベッドに転がっている服を羽織る。差し出された紅茶を受け取って、ゆっくり口へ運ぶ。いつも通りの安定した美味しさ。さすがイリアだね。
「うん。美味しい。いつもありがとうイリア」
「恐れ入ります。ところで、本日のご予定ですが……」
「あ〜、今日か。魔法省に行くの」
ライラナの一件以来、パレッティア王国で対魔物の対策をより一層の強める事となった。危うく私もやられかけたし、ユフィも歯が立たなかった事もあり、ライラナレベルの災害がまた起こるかもしれない。そうなってからでは遅い。だから一刻も早く対策を立てる必要があった。それにはもちろん私達だけでは出来ない。国民の力も必要となる。今日はそれの会議……というよりは私に対する愚痴を聞きに魔法省へ行く日だった。
今回の件を私の失敗にしたい人達も少なからずいる。責任を取りたくない責任者達が今日私のことを待っている。だから憂鬱なのだ……。ラングは良くしてくれるけど、私を支持しない人は少なからずまだ居る。いざこざが起きなきゃいいけど。
「よし、朝ごはん食べたら行こう」
「承知しました」
…………
「お待ちしておりました。アニスフィア王姉殿下」
「急にごめんね。ラング。私の予定が合う日が今日ぐらいしかなくて……」
「いえ、こちらこそ、殿下自ら御足労おかけしました。さぁ、こちらへ」
慣れたように会議室へ案内される。それでも、魔法省を歩く中私に向けられる言葉は囁くように届いてくる。
『異端の王女め……』
『魔法が使えぬくせに、よくもぬけぬけと……』
『また来てる……今度は何をするつもりなのかしら……』
『奇天烈王女の意見など……』
刻印を持ったせいか、ドラゴンになったせいか、私は人の『心』に少し敏感になってしまった。直接伝わるってことは無いのだけれど、向けられる視線で善意と悪意が少しだけ分かるようになってしまった。
背中からゆっくり刺さる罵詈雑言。歩くのも気が重い。でも、私はこの人達と分かり合わないといけない。その理由も探さないといけない。
【アニスフィア・ウィン・パレッティアッ……!】
「っ!?」
一際刺さる殺意と悪意。思わず振り向いてしまって、辺りを見回す。そんな分かりやすく感情を向けてる人なんていなかった気がするけど、今のは違う、完全に殺りに来てる感覚だった。貴族達が目を合わせないように明後日の方向を向いている中、その視線は私に刺さり続けた。
…………
「申し訳ございません……」
「なんでラングが謝るのさ」
会議室へついて、間もなく対面に座ったラングが頭を下げた。
「魔法省でユフィリア様を支持する派閥が出来てからというもの。その逆の派閥がより分かりやすく出てくるようになってしまって……」
「ううん。別に気にしてないよ。元々は魔法が使えない私が悪いんだから」
「何をおっしゃいますやら! 貴方は新たな時代の可能性を開いてくれた。……ですがあの者達は変化を嫌う。それによって……どんな反乱分子が出ることやら」
「反乱分子? そんな大きな話になってるの?」
「……はい。実はこちらで解決するまで話すなとユフィリア様に止められていたのですが……」
…………
「そっか……私の暗殺計画」
「はい。何処から吸血鬼の話が漏れたのかは分かりませんが、確実に耳にした事でした。ですが、それを耳したのがユフィリア様だからよかったのです。その場で輩を取り押さえ、計画を未然に阻止出来ました」
「なるほどねぇ……」
1週間前ぐらいの事だったらしい。別な会議室で行われていた密会のような計画会議。その内容は私の暗殺計画だったらしい。元々ユフィを支持していに派閥の人達だったらしく、ラングもユフィも少し目をつけていた。と、そこで遂に顕になったその人達の正体を見て、ユフィは即刻その人達を確保。今は何かほかの事を隠していないか尋問されているとのこと。その尋問には当然ユフィが関わっているわけで。毎日早出をしているのはそれのせいだと思う。朝起きても帰ってきても、ちゃんと目を合わせてくれないユフィの様子には少しおかしいって思ってたけど、まさかそういう事だったとはね。
「そんな事聞いてないよ。ユフィから何かしらの報告はあるはずなのに……。だから最近ユフィはよそよそしかったのか〜」
「アニス様にはユフィリア様はその様にお見えになられたのですね」
「え?」
ラングは受け取った資料を置くと神妙な顔をした。
「私にはあの人が焦っているように見えるのです」
「焦ってる? ユフィが?」
「今回の吸血鬼の女王の件。それを全て貴方の責任だと擦り付けるのが彼らの目的だったそうです。アニス様がいなければ解決しなかった問題をアニス様のせいにすることで、批判を広めたかったのでしょう。ユフィリア様自身も今回の件で自身の力不足を感じているようでした」
「ユフィが……?」
「アニス様を助けられなかった。自分の力で解決出来なかった。アニス様を失いかけた。と、ずっと悔いていました」
ライラナの事は確かにそうだったかもしれない。でも私はユフィが居たからライラナの力に打ち勝てたし、彼女自身にも勝つことができた。確かにユフィは何も出来なかったかもしれない。でも、私はユフィが居ないとライラナに勝てなかったかもしれない。もう大丈夫と振り返ったユフィのあの時の顔は今でも鮮明に覚えてる。どれだけ不安だったのかよく分かる。
「だから少しでも、アニス様を不安にさせるものはこの手で無くしておきたいと、仰っていました」
「まさかっ……その人達を殺す気なの!?」
「そこまでは思っていないでしょう。あの人も理性を保っている怒りでしたから」
「そっか……ビックリした……」
マジでキレたユフィならやりかねないけど、絶対それだけはやって欲しくないな……。屍の上に立つ覚悟はあるけど、それは違う。その人達も私の守るべき国民の一人なんだから。
「ですが、彼らだけでは無いようです。反乱分子となり得るものは」
「それって、どういう……?」
「ロス・ヴェレステレス。彼らが口にしていた、もう一人の男の名前です」
「もしかして、今尋問してるのって」
「はい。ヴェレステレスの居場所を吐かせています」
…………
「ふぅ……」
資料の山が半分になった頃。一息吐いて、椅子の背もたれに背を預ける。時刻の見ればお昼に近く執務室に来てからほとんど休むこと無く仕事をしていたようですね。すると扉の向こうからノックと共にレイニの声。
『ユフィリア様、お客様がお見えです』
「あ、通してください。レイニ」
『かしこまりました』
レイニの一言共に入ってきたのは王宮の護衛の一人。
尋問の成果を報告に来たようですね。
「どうですか?」
「ダメです。ずっと黙りで。ヴェレステレス卿の名前が出てから黙っているので彼も関わっている事で間違いは無いはずですが……」
「そうですか……この国で雲隠れしてるとの事ですが……一体どこに……」
「関連した情報とはまではいきませんが、彼の身元を調べました。しっかりとパレッティア王国の国民として数えられています。ですが……」
資料を私の前に置いた護衛がもう一枚別な資料を出した。
「彼は元々、一般家庭の人間のようで。貴族を嫌う立場にあったとか」
「え?」
差し出された資料を見ると、確かに護衛の言う通りでした。
ロス・ヴェレステレス。元々は貴族ではなく一般家庭の人間で、とある貴族の使用人として雇われていた。そしてその貴婦人との間の愛人となり子を授かった。それが発覚してから、その貴族の夫として迎え入れられて、ヴェレステレスの名を名乗れるようになった。しかし、魔法の才能があまり無かったロスは夫婦の間に出来た子も魔法が使えなかった。両親共にはそれを許してはいたが、身内の貴族がそれを許さなかった。魔法が使えない異端児として、殺害されていたらしいですね。そのついでに妻も殺された……と。
「生きているのは彼だけ……なぜ彼だけが……」
深まるのは謎ばかり、一刻も早く見つけないといけませんね。アニスへ何か起きる前に。
…………
「別に見送りなんていいのに」
「御足労頂いたのです。これぐらいは……っ?」
「なに? ラング? どうしたの?」
それは、魔法省から出てすぐの道。こんな白昼堂々ど真ん中の道で私達三人の前に居る。フードの男の姿。見るからに怪しいのはともかく、向けられる視線がかなり鋭い。
「ラング」
「えぇ、恐らく」
雰囲気も殺気も尋常じゃない。恐らく彼がユフィが探してる、ロス・ヴェレステレス卿。まさか彼の方から出てくるなんてね。身構えつつ私は仕込んだマナ・ブレイドに手をかけ、イリアを下がらせて、ラングは私の前に立つ。
「そこの者。何用か。王姉殿下の御前であるぞ」
「……」
ラングの言葉を意に返さず。その人は私だけを睨みつける。
「そこの女を殺しに来た。お前に用は無いっ!」
「っぐぁ!」
「ラング!!」
ヴェレステレス卿が手をかざすとラングは後ろに吹き飛ばされた。
「イリア! ラングをお願い!」
「お嬢様ッ! 今すぐにユフィリア様をお呼びに……!」
「ユフィには知らせないで! 今来たらユフィまで巻き込むから! あの人は私が目的なんだ! 私がなんとかする!!」
スカートの中に仕込んだマナ・ブレイドを取り出して魔力の刀身を生成。鋒をヴェレステレス卿へ向ける。
「アニスフィアッ……お前がッ……!」
「っ……!」
向き合うだけで伝わってくる殺気と魔力。とりあえず今はイリアとラングが下がる時間を稼がないといけない。しかし、こんな所で放出していい魔力の量じゃない。普通の貴族がこれほどの魔力を蓄えてるなんてそうそうあることではないと考える。
なら何故? この氷の凍てつく様な殺気と電気の様に肌がピリピリする様な魔力。こんなもの常人が持ってるものじゃない。『魔物』でも取り込んでいるような。
「ッァァァァァ!!」
「ぐっ……!?」
雷鳴のような咆哮。巻き起こる暴風。走る雷光。荒風を纏うその姿はまるで“フェンリル”そのものだった。
「まさか……ヴェレステレス卿! 貴方は“フェンリルの刻印”を……!?」
「───!!!!!!」
「うぉぁっ!?」
明らかに人の声では無い咆哮。ヴェレステレス卿が大きく腕を振るうと私を壁ごと吹き飛ばす暴風を発生させる。紙切れのように吹き飛ばされた私は体勢を立て直し地面になんとか着地する。硝子の破片で切ったのか頬に切り傷が出来ていた。
「やってくれるね……」
血を拭い、立ち上がる。ゆらゆらと歩きながら私の眼前に立つヴェレステレス卿は既に戦闘態勢だ。右手に雷、左手に氷、それぞれ魔力を帯びている。明らかに人では無い何かになりかけているがそれはヴェレステレス卿の刻印を止めないとどうにもならない。
「ヴェレステレス卿! やめてください! 貴方は刻印に飲まれてる!」
「がぁぁァァッッ!!」
ヴェレステレス卿が両腕を広げると雷撃が空を割く。
「っ……!」
私も刻印の力を使い身体強化。雷撃を避け、マナ・ブレイドで弾く。雷撃の速度になんとか着いていけてるが、決定打を打つにはこの弾幕をかいくぐらないといけない。
【魔法が使えないんですって……】
「なっ……!」
体勢を立て直しながら咄嗟に頭を抑える。雷撃を弾いた時に脳裏に浮かぶ何か。まるで記憶が流れ込んできたかのような。
【なんであの子が殺されなきゃいけないんだ……】
まただ。
【頼む! この子だけは……!!】
「ぐっ……!」
【何故あの子は殺されたのに、魔法が使えないお前が生きているッ……!】
「っ!?」
流れ込んでくる記憶はまるで昔の自分に言われていた事のように感じた。王族なのに精霊に愛されず、魔法が使えない異端児として、そして、奇天烈な王女として、周りから迫害されて気味悪がられた。
今も私を縛り付ける。魔法に恵まれなかった私の事を。才能がない。精霊に祝福されてない。王族なのに魔法が使えないゴミ。そんな風に誰かが影で罵っている。
今も誰かが笑ってる。私を指さし笑ってる。
罵って、蔑んで、哀れみて。
私は別に気にしない。私は何も思わない。
例えどれだけ言われても私は魔法で空を飛ぶ。
ひとりだけでもやってみせる。
あぁ、またここへ来たのか。暗い暗い夢の底。
私へ向ける罵詈雑言。今も私を取り囲む。
「死ね! アニスフィア!!」
「ぐぁっ!」
思うように体が動かない。心の動揺、体の焦り。そして流れ込んでくる記憶のような何か。いつまでも逃れられない過去。未だに埋まらない貴族との溝。未だに認めて貰えない私の事。違う、私は誰かの為に……魔法を……。
【アイツは異端児だ】
やめて。
【魔法も使えないって】
やめて。
【役に立たないのに】
やめて。
【また独りだぜ、アイツ】
やめて。
【お前は生きてちゃいけないんだ】
「ッ!?」
ぐるり。見開いた瞳と自分の見える世界が反転したかのような感覚に陥った。
「っアァアア!!」
雷撃と共にヴェレステレス卿を弾き飛ばす。
「っはぁ……はぁ……!」
声の響く頭を抑えて、疼く背中に耐えながら、私は前を見据える。
「うる……さいッ……!」
ゆっくり捻り出した言葉。振り払えない怨嗟の声。刻印のせいか、それとも本心なのか。私は目の前の存在が憎くて憎くてしょうがない。目の前の敵を殺したくてしょうがない。恨み辛みがのしかかる。
なんで私だけこうならなきゃいけないんだ。
なんで私だけこれを受けなきゃいけないんだ。
なんで私だけ『魔法が使えないんだ』。
その理由は誰も教えてくれないくせに、誰も知らないくせに。私を皆哀れみ、蔑み、否定するくせに、誰も私を認めてくれない。
私を認めない、貴族がそんななら────。
「死ね!!!!」
セレスティアルの魔力の刀身が赤黒く染まる。マナ・ブレイドと二刀流にしてヴェレステレス卿へ飛びかかるように斬り掛かる。ヴェレステレス卿はセレスティアルの一撃を雷撃を腕に纏い防ぐ。
「正体を現したな、アニスフィア! 貴様も所詮は一人の人間! 自分の為にしか生きれない無能だ!」
弾かれた私は吹き飛ばされるが体勢を立て直して着地。蛇のようにうねり迫ってくる雷撃を避けつつ、その場に発生する鎌鼬をセレスティアルとマナ・ブレイドで弾く。
「死ねッ!」
憎い! 憎い!! 憎い!!!
全てが憎い! 私は好きでこうなったんじゃない! 私は皆が魔法を使えるようにしたいんだ! お前達みたいに魔法を独占するような奴らじゃない!
私は誰かの笑顔の為に……!
【精霊に愛されなかった子】
死ね。
【魔法が使えない子】
死ね。
【生きる価値のない子】
死ね。
「死ねッ!!!」
突き立てた鋒は彼の方を向いていて。怒りでモノクロの視界がまだ見えない。体は熱くて痛くて。心は足りなくて騒がしい。まるで何かにとりつかれたように、私は私を無くしてしまった。でももうそんな事は関係ない。
彼を殺せば私は自由になれる。
彼を殺せば私はこんな声を聞かなくてすむ。
一心不乱に刃を振るい、彼の命を奪おうとする。それはきっと間違ってるのはわかってる。それならなんで、私はこんなに苦しんでいる? 今の私は何が間違ってる? もう何も分からない。何も。
(死ね……)
嗚呼、堕ちていく。ただひたすらに堕ちていく。瞳は紅く、体は焼けるよう。でももう少し。もう少しで刃が届いて私は───
「やめなさい! アニスフィア!!」
「っ?!」
鋒は彼には届かず、鋒は誰かの攻撃によって阻まれた。私の目の前にある私の剣とは違う色の刀身。私はこの色を知っている。でも、目の前にいるヴェレステレス卿を守っている人はワカラナイ。
「ユフィリア王女殿下……?」
「お願いアニス! もうやめてください!」
目の前の子はダレ?
何を言っているのかワカラナイ。
私は私のすべき事をしているハズダ。
「何シテルの、退いてよ……」
「いいえ、退きませんっ……これは
「っ───!!」
「きゃぁっ!」
目の前の誰かを振り払い、私はヴェレステレス卿の首を絞め殺すように掴む。
「死ね……」
「がっ……! っぁ……ぐっ……!」
流れ込んでくる誰かの記憶。
呟くような怨念が、私の体をずっと巡る。
私の体にこうしろと、誰かが囁いてくる。
「死ね……」
痛くて痛くて堪らない。言葉じゃなくて心に刺さる。軋んで弾けて砕けて散って。自分が誰なのかも分からない。今何をしてるのかもワカラナイ。私は誰で一体何でどんなものなのかもワカラナイ。
「死ね……っ」
「ぐっ……かっ……は……」
焦る心が収まらなくて、この人を殺せば全部終わると思って。まだ中途半端で何も変わってなくて……。
「アニス!!!!」
「っ!?」
また、私を呼ぶ誰か。私の抑えるように抱き締めてくる。
「お願い! やめてアニス! 貴方がそんな事をしてしまったら……、私はもう何も分からなくなります! アニス……! 戻って、私の知ってる貴方に戻って!!!」
「っ!?!?」
声が届いた。誰かの声じゃない。
これはユフィの声だ。
「っはぁ……はぁ……はぁ…………」
こんな風に止められたのはいつぶりだろう。また我を忘れてドラゴンの刻印に飲まれかけた。憎悪には憎悪。この刻印は負の感情に敏感だ。周りが負の感情をもっとこの刻印は途端に元気になる。背中が熱くなって、心が何かに染め上げられて、制御が効かなくなる時がある。いつかの日もそうだった。あの時もユフィが居なかったら私は間違ってただろう。誰かを殺して、もう戻れない所までたどり着いていたかもしれない。
「ユ、フィ……?」
「アニス……」
ユフィの顔が蒼白になっている。今は背中が熱くない。心も落ち着いて、自分がしていた惨劇がよく分かる。よかった。まだ誰も殺してないみたいだ。ロスの首を絞めていた手を離して、数歩ロスと間合いを開ける。
「ッ……げほっ! がはっ! ……ックソ! なぜお前は……なぜッッ……!」
「……ヴェレステルス卿」
ロス・ヴェレステルス。この人も魔法に呪われて、縛られて、囚われて来たんだ。ある種の生き地獄を生きていたんだ。魔法が使えるこの人とちがって、私は魔法を使えない。そんなものが魔法が全てのこの国で人の上に立つ。そんな事がおかしいのは百も承知だ。いつかは反乱だって起こるとは想定していた。でも違う、この人は個人的な感情。魔法が使えるが故に、魔法に呪われた。
それなら、私が出来るこの人への償いは───
「ッ……アニス!?」
私の出来ること。そう考えて魔力の刀身を消して、セレスティアルをその人の前に置く。
「貴方の苦しみは、私が思っている以上に大きい。出来るのなら、私は皆に魔学を与えたい。でも、無闇矢鱈に魔学を与えれば世界の均衡が崩れてしまう。だから、私はこうして、確かめなくてはいけません。魔学を間違った方法で使わないよう、使わせないよう、一から全部。確かめなくてはいけません。それでも、貴方のその心が満足しないのなら、この剣で私を刺してください」
「な、に……?」
「バ、バカな事を言わないでッアニスフィア! 貴方は自分が何を言っているのか───」
「ユフィ」
そんな私を止めようと肩を掴んだユフィの方を向く。
「黙って見てて」
「っ───」
ユフィは私の一言で留まってくれる。優しいねユフィ。私の目を見てちゃんと止まってくれる。ちょっと睨みつけるような顔をした私も悪いと思うけど、しょうがない。これは、この人と私の問題。
「そうか……ならっ……望み、通り……に……!」
ロスはセレスティアルを握り魔力の刀身を展開。でも、この人も魔法ばかりで刃物を持った事がないんだろう。人をまともに殺したこともないのだろう。セレスティアルを握る手が震えて、腰も引けている。初めて殺人を犯す人は大体こんな感じだろう。
「お前……みたいなやつが……! 魔法が使えないやつが……! 何故王族として……! あの子は……魔法が使えなかったから……一族の恥として、殺されたのに……! お前は何故……のうのうと生きていられるッッ!!」
不老不死が故に動く死体と同じような私に刃物を突き立て、ロスは私へゆっくりと歩み寄る。怒りも悲しみも憎しみもこの人は全部背負って生きてきた。
「あの子は……! あの子だけはッッ……!」
セレスティアルに雷と風が纏う。私はそれでも動かない。この人のしたいようにさせるだけ。刺したければさせばいい。殺したければ殺せばいい。民は一人も見捨てない。
「お前……がっ……!」
(お父様! 私ね───)
「っ!? ───な……に……!」
セレスティアの魔力消費は膨大だ。並大抵の魔力持ちじゃ直ぐに魔力切れを起こして気絶する。フェンリル程度の刻印でもセレスティアルは扱えない。
ヴェレステレス卿が気絶したのを見届けると。痛む腕を抑えながら、私も膝から崩れ落ちる。
「ッアニス!」
「っ……はぁ……はぁ……! 彼を拘束して、これで……この件は解決だね……」
こうして、ヴェレステレス卿による、『たった数時間の反逆』が幕を閉じた。
…………
こうして、ロス・ヴェレステレス卿の事件は終わり、彼の処分が決定しました。刻印の所持、王女への反逆、暗殺計画実行、その罪は決して許されるものではありません。それでも、今回の件を追放処分程度に済ませたのはアニス本人でした。救えなかったと、何もしてあげられなかったと後悔して、アニスは彼をもっと違う場所へ追放する事に決めました。
そして今日は、その追放の日───。
「出立なされるのですね」
「っ……! ユフィリア様っ!」
ヴェレステレス卿は私を見るなり膝まづきました。
「楽にしてください。ヴェレステレス卿。貴方のお見送りにきました」
「まさか、ユフィリア様直々においでになられるとは思いませんでした。アニス様は……?」
「随分と無理をしていたようなので、部屋に置いてきました。貴方との戦いが響いているようでしたので」
「っ……申し訳ございません。私のせいで」
「いいえ、アニスが望んだことです。そしてそれに私が気づけなかった。それだけの事ですから」
ヴェレステレス卿は俯きながら口を開く。
「私は、娘を蔑ろにした貴族が嫌いでした。魔法が使えなくても、人の為に役に立つ事が沢山ある。そう信じて娘を育てていました。そして、アニス様はその可能性を広げてくれた。それなのに、私は娘を殺された怒りをあの方へ向けてしまった。これは、悔やんでも悔やみきれません」
こんなに話が入ってこないのは初めてでした。アニスを殺しかけておいて何を言っているのか私には分かりません。静かに煮える怒りを持って、表に出さず、表情を作る。それは私の得意な事。
「アニスもきっと、最初はそうだったのでしょう。でも、今は違います」
「今は……?」
「えぇ、今は『私』が居ます。アニスの夢を共に追いかけ、共に背負い、共に叶える。私も魔法が使えない人々へ、正しい魔学の知識を与えたい。そう思っています」
これ以上無駄な話をしないで欲しいですね。作り笑顔を崩さずに、薄い言葉を彼に吐き、今すぐにでも動き出しそうな体を抑えながら、その時を待つ。
「私は、その未来を見届ける事が出来るでしょうか」
「もちろん。きっと出来ます。その時は必ず……」
私が適当に頷くと、ヴェレステレス卿は笑っていました。
「ありがとうございます。それではその時まで、しばしの別れですね」
「はい。その時まで。
彼に向ける最期の言葉を吐いて。
私は、アルカンシェルを握った。
…………
「ッ───」
私が目の当たりにした光景はとてもユフィリア様がやるような事には思えなかった。でも、その時のユフィリア様は何よりも真っ直ぐで真剣な目をしていた。
剣に纏った血を払い、小さく息を吐いて収める。数秒ほどそれを見つめたまま、動かない。
「レイニ」
「は、はい……」
ユフィリア様は返り血の付いたマントを脱ぎ、目の前の死体へ被せると、そのまま炎を灯して焼き始めた。
「今見た事は忘れてください。申し訳ないのですが、これが私の答えなんです」
困ったような笑顔とは裏腹に頬に残る血液と目の前の光景のせいで今のユフィリア様は心を何処かに置いてきてしまった人のように見えた。
「……かしこまりました」
この時の私は、ただただユフィリア様が怖くて、冷静を装って頭を下げるしかなかった。
…………
「はぁぁ……」
ロス・ヴェレステルスを追放してから。同じ様な人達がまだ何処かに残って居ないか、王宮、魔法省共に徹底的に調べ上げた。だが、父上や母上に聞いてもロスの様な出生の人々は居らず、ユフィを支持してくれる派閥が今後も目を光らせるという意見で幕を閉じた。
その報告書を一応作成していて、内容を書けば書くほど、ため息が出る。私が救えなかった国民が一人増えてしまった。魔法が使えない貴族が居た。私の知らない事実があった。それだけで私の夢の実現には少しづつ遠のいてしまう。魔学都市を作るにはそういう人を探し出して迎え入れないといけない。今回の事件のように終わってしまった者は振り返られない。
「……」
誰にでも与えられる魔法を作りたかったのに、今回の件で少し自信を無くしてしまった。私は本当に自分の夢を実現出来るのだろうか。もしまた、同じような事が起きたらと考えると、体に寒気が走る。
刻印も暴走しかけた。ユフィが止めてくれたから良かったけど、また同じ事が起きたら今度はユフィまで巻き込んでしまいそうで怖い。
「私は───」
『アニス、居ますか?』
「ッ!」
ノックと共にユフィの声がやって来た。時計を見ればもうユフィが部屋に帰ってくる時間だった。
「うん。入ってきていいよ」
扉が開くと少し心配そうなユフィがやってきた。
「まだ作業をしていたのですか?」
「うん。もう少しでコレまとめ終わるから、やっつけちゃおうって」
ユフィが隣に来て資料を見る。
「これならもう終わっているも同然です。今日はもう休みましょう。ヴェレステレス卿の事を思い詰める必要はありません」
ユフィは私の資料を取り上げると心配そうな顔は変わらない。また、ユフィに迷惑かけちゃったからなぁ……。また一方的に私が悪いのは分かってる。でもだからこそ、ユフィには直ぐに頼ったりはしない。この手の問題は『私』が解決しなくちゃいけないんだから。
「でも、ユフィ……」
「……」
あぁ、この顔。私が何を言っても揺るがないって顔だ。鬼の恋人ほど怖いものはない。これ以上ゴネても怒られるだけだし、素直に従うが吉だね。
「は〜い。わかったよ」
「もぅ……」
ユフィが可愛らしく不機嫌に頬を膨らませるのを見て、私は大人しくベッドに座る事にした。
…………
珍しく駄々をこねずにアニスは私の言うことを聞いた。普段もこれぐらいしおらしいのなら良いのですが。そんな心と裏腹にアニスの顔は沈んでいました。思い詰める必要は無いと言いましたが、彼もまたこの王国の国民の一人。アニスにとってはそういう訳にもいかないのでしょう。私と違って、アニスは───。
「あの人の子供は魔法が使えなかったんだって」
「えぇ、知っています」
「そして、それがバレて身内に殺されたって……」
「えぇ、それも知っています」
「私は、父上と母上にずっと守られてきたんだ。って、今更思い知ったよ……」
「……」
返事を返さない私を見ずにアニスは続ける。
「もし、私が最初から、前世の記憶も持ったまま魔法を使えたら。こんな事にはならなかったのかな……」
「それは……」
返す言葉がなかった。もしそれが本当に起きたとしても、ヴェレステレス卿の子供が魔法を使えないままだったら結局は同じ結果だ。アニスが魔法を使えた時でもその運命は変えられない。変わる理由にすらならない。個人と個人とでは別な話だから。
「私だって……最初から魔法を使える人になりたかった……。皆魔法が使えるこの世界で、『なんで私だけ』って……ずっと思ってた……!」
声が震え始めた。俯くアニスの膝にはポタポタと水滴が落ちて見える。
「私だって……好きでこうなったんじゃないよ……私が元から魔法が使えてればこんなことにはっ……それなのに……そのはずなのにっ……っ」
「……」
そうしてまた、貴方は自分を汚して泣く。
何も悪くは無いというのに。
貴方は自分を愛さない。
貴方は自分を高めない。
魔法が全てのこの世界で、魔法に愛されなかった貴方は、この『魔法』という言葉には特に敏感で脆くなる。自分が使えないものだからこそ、自分が辿り着けなかったものだからこそ、誰よりも魔法を大切にする。
「アニスは悪くありません。前にも言ったでしょう? 貴方は世界に祝福されている、と。だから貴女は充分にこの国の王としての資格を持っています」
「でもっ……でも、私は……っ……あの人を救えなかった……!」
抱き寄せて慰めているはずなのに、アニスの涙は止まらない。アニスは他人のために涙を流せる優しい人。私と違って貴方は本当に優しい人。その涙も全部他人のため。だから、私の役割は貴方の涙を受け止める事。私は貴方のように優しくない。貴方を苦しめるものがあるのから全て排除したい。消してあげたい。無くしてあげたい。例えこの身が血で汚れても、貴方の笑顔だけはどんな手を使ってでも守りたい。
「ふふっ……」
「なんだよぉ……!」
「いえ、泣いているアニスも綺麗だと思ってしまいまして」
「慰めにもなってないよ……っ……ユフィ……」
慰めてるのに不謹慎な考えなのは分かっています。でも、私はそれぐらいアニスを愛している。慕っている。好いている。その涙の一粒でさえも愛している。
「えぇ、そうですね」
それでも、私は忘れさせたい。
貴方が泣くのは『私ノ為ダケデ良イ』。
「アニス」
「何さ……ユフィ───んっ!」
だから、その涙を忘れさせる為に貴方の唇を塞いでゆっくりベッドへ倒していく。
「っちょ、っと、やだ、ユフィ……! 今日はしないからっ……そういう雰囲気じゃなかったでしょっ……や……んっ……ちょ……聞いてってばぁ……!」
もがけば軋むベッドの音。ゆっくり解ける擦れる音。
ほんとに嫌なら私を押し退ければいい。そうしないのも、貴方の優しさ。
「……忘れてしまえばいいじゃないですか」
「んっ……なんでさっ……」
「いつまでも引きずるものではありませんよ。あんな事は」
「あっ……で、も……それはっ……ンッ……違う……っ……!」
何が違うのか。意地でもそれは曲げようとしない貴方はこういう時には私を頼らない。全部一人で抱えて、全部一人で解決しようとする。それも貴方の悪い癖ですよ。私がどれだけ貴女を心配したか分からないくせに。それも構わず貴方は突き進む。
「そうやって一人で抱え込むのは構いません。そうやって一人で悩めばいいのですから。ですが、それのせいで私も今回は対応が遅れました」
「なんの……話……っ……あっ……ふ……んんっ……」
その痛みも、悲しみも、辛い事も、一時だけそれらを忘れさせたいと思う私は間違っていますか? アニス。
「ちょっ……と……! 何怒ってるの? ごめんってば……! 誰にも話したくなかったの! 私は否定されて当然だと思ってからっ……! いつまでも終わらないものだと思ってたのっ……!」
えぇそうでしょう。
ずっと一人で受けてきた。
ずっと独りで強いてきた。
ずっとひとりで泣いてきた。
『貴方ハ本当ニ優シイ
だからこそ───
「可哀想に」
「っ……!?」
他人のために傷つく貴方はとても可哀想。体は嫌と拒んでも、言葉でダメと否定しても、この上では貴方はすぐに蕩けてしまう。それはきっと奥底の心が分かっているから。欲しているから。忘れられない快楽を。貴方に刻んだ私の魔力。
アニス、分かってますか?
貴方は今私に魔力を与えてるんですよ?
そんなに鋭い目付きでも、どれだけ体を強ばらせても、魔力を渡す気がないと私には魔力を与えられない。だから、きっと分かってる。
「不器用ですよ。本当に。何もかも」
「んッ……! 何……がッ……!」
あぁ、そうですか……これが憤り、ですか。まだこんな感情が私にも残っていたのですね。そんな嫌そうな顔をしていても絡んだ指は離さない。むしろ握っているのはアニスの方。胸をまさぐる私の手。それを止めないアニスの手。
「ッ……あぁっ……!?」
何故そんなに自分を否定するのですか?
何故そんなに他人を頼るのが下手なのですか?
貴方だって忘れたいと思ってる。こんな事は嫌だと言っていた。逃れらない過去の事。囁かれてきた陰口を。
「ふっ……っい……やっ……だ……っ!」
貴方を否定してきた貴族共。
貴方を汚した貴族共。
私はそれを許さない。
貴方を否定する全てを無くしたい。
何故嫌がるのですかアニス。これではまるで私が甘言で獲物を惑わし陥れる悪魔のようではありませんか。
「やっ……あぁっ……んぃっ……ひぁっ……!?」
それでも私は貴方を犯す。
醜行だろうとなんだろうと構いません。
優しさは酷い。
優しさは脆い。
受けたものは幸せで、与えたものは不幸せ。自分の身を削って他人のために尽くすのは貴方のするべき事じゃない。
「ごめんっ……ってば……怒んないでぇ……ユフィ……」
えぇ、そうです。私は怒っているのですよ。アニス。勝手に一人で突っ走って、勝手に殺されかけて、勝手に泣いて、また振り回されました。私から離れないでと言っているのに、それを聞かない貴方に怒っているのです。それを私へ伝えない貴方へ怒っているのです。
「ふぁっ……!? 、ちょ……や、だっ……! そんな所にっ、手入れない……でぇ……!」
だから、私は貴方を汚す。犯す。醜く貪る。そうでもしないと貴方はそれを忘れない。
ずっと考え、ずっと想い、引きずっていく。
優しいが故に。それが貴方の優しさだから。
「ッ───」
だから私は舌を打つ。
意地っ張りで自分を曲げない貴方に。
それをまだ頑なに受け入れようとしない所がある私に。いつまでも子供な自分に。
「やっ……ゆふぃっ……んぅ……今日は、ほんとにっ……『しない』からぁっ……!」
あぁそうですか。まだ嫌ですか。せっかく私が忘れさせてあげようとしてるのにまだ嫌がりますか。私を受け入れるのが嫌ですか。アニス。
「……っ!!」
「あぅっ!」
焦れったいのが嫌になった私はうつ伏せに組み伏せていたアニスを仰向けにしてほんの少し強引に下着を脱がせるために足を開かせる。
「──見ないでッ!」
大きな声とともに一瞬の静寂がやって来る。
開かされても抵抗せず、言葉だけで止めようとする。見ないでと言われたその場所は太ももにまとわりつくほど濡れていた。布にできた染みなんてものじゃなく、下着がダメになる程に。
自分ではしたないと思うのかアニスは顔を隠してる。時々漏れる嗚咽の声。自分卑下する心の声。時々混ざる羞恥の心。
「ちがうのっ……わたしっ……こんな……こんなに、すぐに、濡……れるって思わなくてっ……」
「ッ───」
口が歪むのを止められない。三日月のように歪んでしまう。心の奥底の邪な、虐めたがるその心。結局貴方は求めてる。私の慰めを求めてる。私はそれが嬉しくて堪らない。それなら直ぐに私を貴方のナカへ入れて……。
「ごめんっ……ユフィッ……」
「……っ!?」
それなのにアニスは私を拒絶すること無く、私へ謝罪した。
「こんなこと……っ……されてるのにっ……ユフィならっ、良いって思ってるの……」
「アニ……ス」
「最低だって……分かってるっ……! こんな風にユフィに頼るのは……っ……最低だって、分かってるの……!」
そんな事は無いはずなのに。貴方はそれでいいはずなのに。貴方は私を頼らない。溺れることをまだ拒む。ここまで体がシタがっているのに、貴方はまだ無駄な意地を張る。ここまでされて、よく我慢してますね。貴方も私も。でも、私はようやく聞けました。アニスが私を求めてる事を。私がしてあげてい事がアニスのされたい事なのだと。
「最低だなんて思いませんよ」
「え……?」
歪んだ口を元に戻して、アニスを少し抱き寄せる。
「だから言っているでしょう? 私はアニスにそんな重荷を背負って欲しくないだけです。そんな一々心を向けてしまっては貴方の心が持ちません。だから、一時だけでいいから私はそれを忘れさせたいのです。アニス」
「ぁ……っ……」
まだ納得いかないですか。何か言いたげに口を動かして俯いて、私の胸に顔を埋める。
「そんなの……いいのかな……」
「何がダメなんですか?」
「私が原因のはずなのに、私がずっと向き合っていかなきゃいけないのに、こうしてユフィと一緒の時間を過ごせる事に幸せを……感じたら……っ……ダメなのかもって、思って……」
嗚呼、やはり貴方は幸せを怖がる。なんて不器用な人。
不幸せが当たり前だと勝手に信じ込んでいる。それならそれで構わない。私がそれを忘れさせる。その場凌ぎの感情でも貴方に暗闇は似合わない。もうこれ以上堪えて欲しくない。傷を負って欲しくない。
どれだけ蔑まれてきたことか。
どれだけ罵られてきたことか。
どれだけ否定されてきたことか。
それでも幸せが怖いのいうのなら私を傍に置いてください。私が傍に居て貴方の幸せの理由になりたい。
「理由が、欲しいですか?」
「え……?」
涙を流す貴方の顔。乱れた髪も美しく。
私はそれに昂って。貴方の頬に指が這う。
「理由が欲しいのなら、私がアニスを犯す。というのはどうでしょうか?」
「それ……って?」
まだこう言う言葉に耐性がない彼女は聞いた瞬間、顔を赤くした。少し揶揄う様に微笑んで、アニスへ顔を擦り寄せる。
「その幸せに理由が欲しいのなら、私がその理由になりましょう。私の『食事』という理由を。それなら納得してくれますよね?」
「いい……の、かな?」
「えぇ。もちろん」
互いの息が掛かる距離。
見つめる貴方の
もう私を拒む色じゃない。
私が「アニス」と名を呼べば。
貴方はそっと目を閉じた。
塞いだ唇は何度目か。
その度に私は貴方を感じ取る。
その度に貴方は私を受け入れる。
…………
「ん……んふ……っは……んッ……」
名前を呼ばれて受け入れて、やってきたのはさっきの様な軽いキスじゃない。私を食べようとするユフィのキス。啄むなんて可愛いものじゃなくて、恥ずかしくなるような音が鳴る深いキス。舌を入れられ舐られる。溶かされるような甘い味。
「ぁ……」
隔てる一枚の布がもどかしくて、ユフィにゆっくり解かれるリボンを感じると体が一気に熱くなる。いつもは臍とか弄られるけど、今は違う。ユフィが理由をくれる。忘れていい理由を。だからそれに甘えてしまおう。顕になった私の胸から伝わる温度もユフィの体から伝わる温度も今は全部本物。
「ユフィ……して……、全部めちゃくちゃにして、忘れさせてよっ……!」
懇願する様に、甘える様に、我ながら上手に言えたと思う。でも、これは本心。ユフィに汚されたい。犯されたい。全部触られてもいいから、ナカまで入られてもいいから、全部忘れたい。私の本心。
自分を捧げて手に入れる。私がユフィを求める理由を。
「あっ! ……っ……ん……ふ……」
忘れちゃいけないことだって分かってる。一時は忘れられてもいつかまた思い出して後悔するのも分かってる。解決出来なかった問題も、埋められなかった貴族との溝も、ヴェレステレス卿のような人が居てくれたらきっともっと簡単に話が進んでいたんだろうなって思ってる。
「っ……あっ……んっ……っっ……!」
後悔したくないとか、叶えられないかもしれないとかそういうんじゃなくて、ただずっと、そうなればいいなって思ってた。皆が魔学を扱えて、私がそれを手伝って、皆で良い国を作れたらって思ってた。でも、そんなことは上手くいかなくて、それ以前の問題もあって、それを解決するためには私じゃ全然ダメダメで。一人で解決出来なくて。それがずっと悔しくて。
「ユ、フィッ……! それ……待っ……っんぅ!」
いつか誰かに私の夢を汚されて、諦めるしかない時が来てもきっと私は自分の夢を忘れられずに引きずっていた。そこに出来た、『ユフィ』という理由。
私を想ってくれる。
私を助けてくれる。
私を守ってくれる。
私を安心させてくれる君って言う理由が出来たから、私は今まで頑張れた。でもそれは同時に君を利用してるのかもしれない、とも考えてた。
「ひぁっ……!? ちょ、ゆび……いれる、の……っ……やぁぁぁ……!」
なんでもない時に君に触れて。
安心したい時に君に縋って。
泣きたい時は君に抱き着いて。
私は君を都合がいいように利用しているのかもしれない。そんな気は無くともそんなふうに考えてしまう。でも、君はそれでもいいと言った。私はそれじゃダメだって思った。君が私に触って、私は君を疑って、衝動的にずっと確かめ合って、それなのに何も違わなくて。それだけが心地よくて。
「っあ!? ……まっ、ナカっ……それゆび……強っ……いっ!」
ユフィが私の中に触れる度に、もっと触ってと思ってしまう。ずっと触れたままで掻き回されて、抉られて、弄られて、それすらも心地よくて。何も分からなくなる感覚が好きで、目の前に居る君が見えてるだけで幸せで、何も不安な事なんか無くて。君がくれた理由だけが、今の時間を、今のこの上にいる情けない私を作っている。
「あっ、あぁっ、! 、ユフィっ、それダメ、ダメダメ、イッ、くっ……っ〜〜〜〜っっ〜!!!」
こうして果てた私を見下ろすユフィは私の事を見てくれる。まるで壊れ物を壊した人みたいな顔をして、私だけを見てくれる。でも……何故だろうか……その瞳の色は私がライラナと戦って、ドラゴンに成ってからより一層濃くなってしまった気がする。
…………
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「っ……はぁ……んっ……ふっ……っ……」
余韻で体を弾ませるアニスの首筋はとても美味しそうで、堪え性の無い私にとっては噛みつきたくなる衝動に駆られしまう。絶頂の快感で惚けているアニスをよそに私の目は首筋にだけ集中してしまいました。
「ッ───」
衝動のままに、口を開けてアニスの首筋へ近づいていく。愛する人へ刻むもの。私のモノだと思い知らせるために。もう二度とあんな思いはしなくない。目の前で失いかけたアニスへ刻む私の痕。
目の前にある体に刻む。
噛みつける私の痕。
今の自分はまるで。
ラ───
「っ!?」
思い出してしまったことを後悔するように、私は自分の顔を背けました。口を抑えて、乱れた息を整えて、自分が何をしようとしたのかを反芻して。
「ごめんなさい……アニス」
なんの謝罪なのでしょうか。それさえ分からないまま。私はアニスの視界から逃れようとする。
「まだ……気にしてる?」
「そういうわけでは……ないのですが……」
「……いいよ。ユフィ」
「え……」
それでもアニスは目線を合わせてくれる。私の頬に手を添えて視線を戻す。目線を戻した彼女はまた何かに蕩けている瞳で。
「噛んでいいよユフィ。痛くして、忘れさせて。私ユフィになら何されてもいいからっ……」
「ッ───」
また貴方はそうやって。私を惑わせるのですか。
私に噛まれる事に興奮してるのか。そんな顔を蕩けさせて何を期待してるのか。つられて私の瞳も垂れてくる。それでもアニスは良いと言った。首筋に顔を近づけるほど息が荒くなる。するりするりと指が絡んで、アニスは私を迎え入れる。こんな自分を嫌悪して、私はアニスの首筋に噛み付いた。
「ぃ゙───!」
痛くしていいと言われたから、思い切り噛み付くとこにしました。噛みちぎらんとばかりに強くアニスに歯を立てる。その痛がる声も、流れる血も、私にとって大切なもの。
「あ゙ぁっ……っ……はっ……んんっ……!」
貴方に縋って堕ちていく。不安な理由はそのままで。
快楽で少し火照る貴方の体がたまらなく綺麗で、私の中の心が衝動に駆られてしまう。シテもシテも足りなくて、いつまでも欲しいままで。だから、本当は私の事だけを考えて欲しいなんて言えなくて。だってそうでしょう? 失う度に傷ついていたら、心が足りなくなってしまいます。でも、私ならいつまでも傍に居る。居なくなったりしないし、貴方を悲しませたりしない。それでも貴方はひたむきに光へ進んでいく。
「痛゙っっ……くっ……っ〜〜〜!」
私は貴方が愛しくて、愛しくて、他には何も無くなってしまって、こんな事をしていないと安心出来ないのですよ。焦っているのではないと言いたいですが、きっと私は焦っているのでしょう。あの時は何も出来なかった。何もしてあげられなかった。だから、これからを変えようと思ったんです。これからを変えれば、貴方は私の方を向いてくれると思ったんです。だから、アニス。
私の為に痛がって下さい。
私の為に泣いてください。
私の為に生きてください。
それが消えない痕を貴方へ刻む理由なのです。
アニス。
「───ッ」
「あ……」
口を離すと、それはそれは痛々しく出来た噛み跡が目の前にありました。そこでようやく帰ってきた私の理性。さっきまで衝動に身を任せていたままで、何も考えていなかった私に、目の前の傷跡は誰が刻んで誰が残したのか頭の中に帰ってきました。
私が刻んだ、アニスへの傷。人を殺して、愛する人を傷付けて一体何をしているのでしょうね。私は。頭が混乱してきて、自分が何なのか分からなくなって、情けなく泣いている私を貴方はそれでも、と包んでくれる。
「大丈夫だよ。ありがとう、ユフィ」
貴方の肌の温もりと貴方の滲んだ血の匂い。
その時に覚えていたのはただそれだけでした。
…………
「これはまた……随分と強く噛まれましたね……」
朝の着付けの時間。当然ユフィの噛み跡はイリアに見つかってしまった。歯型が出来るぐらいならイリアもため息程度で済むんだけど、今は違う。少し内出血で青くなってて、見るからに痛々しい傷のようになってしまっていた。
「え……と……その」
「おおかた、お嬢様がユフィリア様に良いと言ったのでしょう?」
「あ……はは……はい……そうなんです……」
さすがイリア、話が早い。そういうとこは助かるよ。
「ですが、とても隠せるような跡ではないですね」
「んぇ? でも今日は出かけるような予定無かったよね?」
「なら、王宮の中の人達に見られても良いと?」
「う……」
確かにそれはそう。でも、最近のユフィはこういう跡を付けることに躊躇いがない。本当にずっとマーキングされてるみたいで、ちょっとアレだなとは思う。
「あ、ユフィ」
「アニス……」
着替えを終えて廊下に出るとユフィが待っていてくれた。まだ心配そうな顔をしている。いや多分それよりも、なにかに怯えているような顔。ものを取られることを怖がっている子供のような。見たくないものを見てしまった人のような。そんな顔。
「昨日はごめんなさい……コレ……大丈夫ですか?」
「あ、うん。なんともないよ。ちょっとイリアに怒られたけどね」
私が冗談を交えても君は笑わない。私を見下ろす君の顔は未だにずっと曇ったままで。
「ユフィ───」
何も言わずに彼女は私を抱きしめる。ちょっと苦しいぐらいに、でも、縋り付くように。
顔は見せてくれない。だから背中と頭を撫でて安心させる。
「大丈夫なら良かったです。では行ってきます」
「行ってらっしゃい。ユフィ」
離れたユフィの顔は穏やかな笑顔だった。私もそれにつられて笑顔に変わってしまう。私の理由になってくれるユフィは今日も私の為に歩みゆく。その背中を見つめて、今日も私は君の為に生きる。ヴェレステレス卿が戻ってくる頃には王国もきっと変わってる。
見上げた空は今日も晴れ。手を伸ばせば、眩しい光が私を照らす。
私の目指す夢の為、今日も新たな一日が始まる。