恋人の不知火を他人に抱かせる話 作:阿部
海というのはどこも同じように思えるが、長く親しむとやっぱり些細な違いが目につくようになる。目の前にあるのは見慣れぬ海だった。その上を、とても見慣れた桃色の髪が駆け抜けていく。視線の先に立つ3隻の駆逐艦娘たちは、既に気圧されていた。
「いやー流石不知火。我が妹ながら大したもんだわ」
「ここと演習した後はいつも機嫌悪いですけどね。陽炎さんにめちゃめちゃやられるので」
「見た目よりはずっと接戦なんだけどね。ま、陽炎型ネームシップは伊達じゃないってことよ」
「なるほど。姉パワーですね」
「そそ。義弟くんも何かあったらお姉ちゃんに頼っていいのよ?」
「義弟て」
「不知火の恋人なら私の義弟でしょ?」
きょとんとした顔で言われると、どうにも反論できなくなってしまった。お姉ちゃんパワー極まれりである。それに、僕自身いずれ不知火とそういう関係に、という野望はある。
陽炎さんは海上に視線を戻し、声援を送った。自分の鎮守府の後輩駆逐艦たちを差し置いて不知火のことを応援している。陽炎さんを挟んで向こう側に座っている先輩が苦笑した。
「いっけー不知火!攻撃よこーげき!!」
「おい、そこはウチの連中を応援しろよ。ただでさえ不知火くんに圧倒されているのに」
「妹を応援せずして何がお姉ちゃんか。むしろ司令も不知火を応援しなさい。義妹なんだから」
「まあ、そうだな」
そう言って笑うのは、この鎮守府の提督にして僕の3期上の先輩である。年齢は5つ上で、年の離れた先輩後輩にはよくあることだが、ご飯を奢ってもらったり夜の町に連れていってもらったりと可愛がってもらっている。大柄で筋肉質なので一見近寄りづらいが、本当に気の良い人だ。陽炎さんと並ぶととても華やかで絵になる。
気付いた時、不知火は相手の3隻を大破に追い込んでいた。先輩がベンチから立ち上がり、陽炎さんに何か言い付けてから僕に帽子を振った。そのまま、埠頭から遠ざかっていく。
「演習後の反省会よ。あの場面ではああだったとか、そういう話ね」
陽炎さんに言われると、僕も思い当たる節があった。演習をするだけで強くなることなどなかった。勝利や敗北を見詰めて、その原因を究明してこその演習だ。
僕と陽炎さんも不知火の良かった部分について意見を交わして盛り上がった。意見は多義に渡り、途中から自慢合戦のようになった。僕は恋人を、陽炎さんは妹を自慢する争いである。白熱した争いは、とりあえず不知火は可愛いという見解で一致をみて無事終了した。
「義弟くんやるわね。まさか私についてこられるほど不知火についての見識を深めているとは」
「恋人ですから。それに、不知火が可愛いのは揺るぎない事実ですし」
「確かに」
陽炎さんは満足げに頷いて、それからいたずらっぽく笑った。
「そんな可愛い子を恋人にしながら、いかがわしいアイテムを手離さなかった強欲さんもいるらしいけどねー?」
流し目でそう言った陽炎さんは、半笑いを浮かべながら人差し指で僕の脇腹を突っついた。小さいベンチで端と真ん中ぐらいだったはずの距離が、いつの間にか肩が触れあいそうなほど近づいていることに僕は気付いて、思わず辺りを見回した。演習の後片付けに残っていた幾人かの艦娘も引き揚げていて、見える範囲には誰もいない。
「大丈夫だよ。司令、みんな集めて反省会するって言ってたから。秘書艦の私だけが義弟くんの案内で不参加ってことにしとくって。だから今なら、内緒話し放題って訳」
陽炎さんがさらに身を寄せてきて、二人の肩が触れ合った。僕はベンチの端から少しはみ出るぐらいまで移動して、ほんの僅かな隙間を空けた。陽炎さんは無理に詰めてこようとはせず、その代わり顔をうんと僕の方へ近付け、ひそやかな声を出した。
「ね、お義姉ちゃんになにか訊きたいことはなーい?」
その声にはさっきまでは全くなかったはずの色めいたこそばゆさがあった。吐息まで感じる距離は僕の脳内を否応なしに麻痺させて、視界はピンクに染まってしまったように思えた。まるでこれからシてしまうような、そんな雰囲気。
「あの、不知火に
「うん。あの子、妹たちにはあんまり見せないけど結構甘えたがるのよね。そういう延長線で私に相談してきたんじゃない?」
「相談ってどういう……?」
「そりゃあ義弟くんの性癖についてよ。マゾはまあわかっただろうけど、他のはキャパ超えてたみたい」
「他の」
「寝取られとか寝取らせとかね」
今日の天気でも言うように、陽炎さんはその単語を口にした。そういう性癖を持っておいてなんだが、たぶん僕はこうまでさらっと口に出すことはできないだろう。僕にとってそれはまさに非日常なのだ。
そんな、僕にとっての非日常を何でもないことのように言える陽炎さんはつまり、
「私たちのこと、不知火から聞いた?」
「陽炎さんと先輩がその、……スワッピングってプレイをしているって」
「不知火、ちゃんと言ったんだ。偉い偉い」
つまり、そういうことである。陽炎さんにとっては決して非現実的な話ではないのだ。
なぜ、と訊いてしまいそうになり、僕は慌てて口を閉ざした。性癖に理由を求めるのも変な話だし、僕だって自覚したきっかけこそ覚えているが性癖をどうやって得てしまったのかなどわからない。
「こう言うとなんだけど、結構ベテランなのよ?不知火から話を聞いて、ま、義弟くんのお宝のタイトルを教えてもらって。でまあ不知火に色々教えながら、こういうのどうかなって」
「こういうのって」
「義弟くんももう聞いたんでしょ?私たちとスワッピングしないか、ってさ」
僕は言葉に詰まって、でも訊かなきゃいけないことだけははっきりと理解していた。それが恋人という立場による責任感からなのか、それとも歪な性癖からくる興奮によるものだったのかははっきりしない。
「それで、不知火は、なんて?」
一瞬だけ陽炎さんは口元を引き締め、僕の顔を見透かすように観察した。僕自身にすらわからない僕の本音を見透かそうとしているみたいだ。目を逸らしてもよかったのに、その一瞬の陽炎さんは不知火にどこか似ていて、僕は目を逸らすタイミングを見つけられなかった。
「いいってさ」
「え?」
「義弟くん次第ではあるけど、もしすることになったらやっていいって」
言葉の意味を脳が理解した時僕ははっきりと興奮に包まれ、そしてその興奮はきっちりと陽炎さんに見透かされた。彼女は笑みを浮かべ、
「不知火、ウチの司令とセックスしてもいいってさ♡」
そう言って、身体を寄せて密着してきた。
僕はもう距離を取ることなんて忘れて、頭の中で無限に反芻される陽炎さんの言葉に喉をひりつかせていた。
「執務室に夕飯を運んで貰うから、4人で食べましょ。食べ終わったら解散してちょっと時間を置いて、そうだな~」
陽炎さんはちょっと考え込み、
「フタフタマルマルには、来客用の寝室に居てね。あぁそれと、不知火とは食後別行動にしてもらっていい?」
「それは、なんで」
「初めての人ってとりあえず見られることを嫌がるのよね。だから部屋は別々がいいし、パートナーの部屋から直接出発するのも避けた方が無難なのよ」
そう言って教えてくれる陽炎さんは本当に手慣れて見えて、僕にとっての非日常が現実へと近付いていることを実感させてくれた。
「フタフタマルマル、ですね」
「そ。その時間になったら私が義弟くんの部屋行くから。そこからまあ、2時間くらいかな?」
そして不知火は先輩の部屋に行くのだろう。そしてそこで2時間を過ごす。
陽炎さんは喋りながらも、時折話を区切っては僕の表情を見つめてきた。たぶん、僕がやめると言い出すかもしれないのを待っているのだろう。その一言ですぐにすべて白紙にするんだろうなと思った。陽炎さんが所々で見せる気遣いが、僕にそう思わせてくれた。
説明が終わっても何も言わない僕を見て、陽炎さんが小さく息を吐いた。
了承したことになったのだと、それでわかった。そして実際に、僕はもうこの流れを止めるつもりがなかった。
陽炎さんは顔をあげて微笑した。
「さて、こうなったらもう目一杯楽しんじゃおうか。そっちの性癖についてはある程度把握してるから、義弟くんは楽しみにしててくれていいわよ」
「僕の性癖、ですか」
「ふふっ。いーっぱい、虐めてあげるから♡覚悟しててね?」
どうなるかと思った夕食は、存外賑やかだった。僕と不知火が深刻にならないよう陽炎さんと先輩が気を利かせてくれて、ほんのちょっとアルコールの入った状態で聞く先輩と陽炎さんのコミカルな失敗談(これはもちろんスワッピング中の失敗談だ)は思わず吹き出してしまうようなものばかりだった。
「向こうが初めてですごいテンパっててな。まあ身一つで行った俺たちも悪かったんだが、直前になってゴムがないって言い出して。それじゃまた今度と言おうとしたら、いえ是非に、是非にって迫ってくるんだもんなぁ」
「相手の旦那さんがね。奥さんもそれに釣られたのか『私でよければ!』とか言って下着だけ脱いでさ。ベッドでスカートたくしあげて『どうぞー!!』って。流石に笑っちゃったわ」
「んふっ、ま、まさかそんなことにはならないでしょう、ふふっ」
「いやいやほんとテンパっちゃうんだって。びっくりよびっくり」
「まあ、それは一番酷かった例だよ」
先輩だけであれば不知火はもっと固かっただろうが、姉の存在のお陰かずいぶんとリラックスしているようだった。かくいう僕もそうで、食事が進んでいくうちにこの後のことはすっかり抜け落ちていた。
でも当然、先輩たちはこの後のことを考えていて、テーブルの上が空いてあとは飲み物だけとなった時に
「じゃ、ちょっと席変えようか」
と陽炎さんが立ち上がった。先輩はその行動になにも言わない。僕が思わず不知火を見ると、彼女もこちらを見ていて、僕たちは束の間見つめあった。僕がなにも言えずにいると不知火は黙ったまま立ち上がり、先ほどまで陽炎さんが座っていた椅子へ腰を降ろした。僕の隣には陽炎さんがやってくる。
それからまた会話が始まった。話題は相変わらず面白かったけど、僕も不知火も先ほどのようには笑えず、先輩たちも無理に盛り上げようとはしなかった。
10分ほどでアルコールも片付き、一旦解散しようかという時不意に「んっ」と甲高い声が漏れた。
「……提督」
「ちょっと司令~。ここでは無しって言ったでしょ」
「すまん。普段の癖でな。悪かった」
「悪いと思うなら手ぇどけなさい」
「いやぁしかしいい手触りだぞ。これは陽炎型で共通なのかい?」
「い、いえ」
「それじゃあ私物なのか。なんだか陽炎のと同じような感触だけどな」
机に遮られてはっきりとは見えなかったが、会話を聞いていれば不知火がスパッツを撫でられているだろうことは想像できた。僕の恋人である不知火が、スパッツとはいえ下着を他の男に触られている。そしてそれを誰も止めることがない。夏も過ぎて涼やかな夜執務室が、奇妙なほど蒸しているように思える。異常な状態は僕の体感温度を2度以上あげていた。
不知火が僕を見ている。僕は止めなかった。
「なあ不知火くん。これは共通じゃないのかい?」
「んっ……こ、れは、私物、です。でも、っや、……陽炎と一緒に買いに行ったもの、ですから」
「そうなのか」
「あっ、提督、ちょっと……」
不知火が先輩を呼ぶ。陽炎型にとっては司令というのが自分の指揮官のことで、それ以外は同じ階級でも提督と呼んでいた。
「やっ、ん……」
「陽炎のは、どんなタグだったかな?」
「どんなって、ふつーよふつー」
「ひとつだけとか、輪っかがひとつと紙がひとつとかあるだろ」
陽炎さんがちらっとこちらを見た。僕は正直、陽炎さんたちの会話は半分聞いているという感じで、時折身を捩る不知火に目を奪われていた。陽炎さんはひとつ息を吐いて「……輪っかがひとつよ」と言った。
「なるほど、輪っかがひとつね」
「いやっ、ん……提督、そこはダメでっ、提督!」
「確かにタグはひとつだな」
不知火が今日一番の大きな声を出した。僕はなにがなんだかわからなかったが、
「ダメですと言って……あぁもう、提督」
「何がダメなんだ?」
「なにって」
「言って貰わないとわからないな」
「……手が、入っています」
「ん?」
「…………下着の中、手、入って、あぁ……っく、やぁ……」
「不知火くん、身体暖かいね」
その会話ですべて把握した僕の股間は、どうしようもなくいきり立った。何気ない日常の、晩御飯の後の談笑の席で、不知火はその臀部をなぶられていた。
机に遮られて見えないはずの光景が僕の脳裏に浮かんだ。先輩の節くれだった僕より一回り大きな手がスパッツの締め付けそのままに不知火の絹のような肌に沈み込み、僕ではない男の手形をそこに刻んでいるのか。人に晒すことのないお尻の形を、今この瞬間布ひとつ通さずに先輩に知られてしまっているのか。
そんな僕の興奮が表情に滲み出していたのか、先輩は僕の顔をちらりと伺い「陽炎のスパッツは前の紐どうなってたっけ?」と言い出した。陽炎さんが苦笑して
「はいはい。とりあえずこの場はお開き。司令もいい加減不知火のお尻離しなさい」
そう言われた先輩は特に未練がましい様子も見せずに不知火から距離を取った。不知火は少し息を乱して、顔を俯けている。陽炎さんが立ち上がり、
「2人とももうしばらくここに居ていいわよ。30分後には担当の子が片付けにくるから、それまでね」
そう言って先輩の頭にチョップをひとつ落とし、先輩の耳を引っ張りながら「義弟くんはまた後でね~♡」と部屋を出ていった。
取り残された僕たちはお互いにどう言葉をかけていいかわからず、でもここで何も言わずに別れることはすごく怖いことな気がして。
そうやって悩んでるうちになにをとち狂ったのか僕は「可愛かったよ」と言っていた。
バっと勢いよく顔をあげた不知火は嬉しいような、でもそれを表現するのも憚られるような、そんな微妙な顔をして「馬鹿」とだけ言い、僕の隣の椅子へと戻ってきた。
「……興奮、しましたか?」
「正直、すごくキた。ちょっと椅子から立ち上がれないかも」
「それならまあ、良かったです」
「先輩の手、気持ち良かった?」
「本当に馬鹿ですね……」
不知火の頬は染まっていた。なんなら耳まで真っ赤で、そしてスパッツのお尻の辺りをしきりに気にしていた。
「司令」
「うん」
「不知火のこと、好きでいてくださいますか?」
「愛してるよ」
おべっかを使った訳ではなかった。僕は何時いかなるときでも、不知火を愛している自信があった。
「不知火もそうです。司令のこと、お慕いしています」
不知火は発情していた。それが誰によるものなのか、僕も不知火もよくわかっていた。
不知火が、ぎゅっと僕に抱きついた。
「提督の手、すごいゾクゾクして――――濡れて、しまいました♡」
不知火はそのまま、歯がぶつかってしまうような、付き合いたてのカップルがやらかすようなキスをして、小走りに部屋を出ていってしまった。
「2時間ですからね、司令。陽炎に夢中になってはいけませんよ?」
一度出ていった扉から顔を覗かせて、彼女はそう釘を刺してから走り去った。
僕はなんとなく、残っていた皿を重ねたりしていた。頭の中では先輩の行いや、それによって漏らされた不知火の声や、虐めてあげると言った陽炎さんの台詞がリフレインしてやまなかった。ゆっくりゆっくり、僕は勃起が治まるのを待って部屋を出た。