※この作品はR-18です。

無表情格闘家が海外デビューして敗北する話   作:黒糖バス

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前編

 姫路ヒサナが格闘技を始めたのは7歳の時だった。

 

 丁度ネット配信が普及し始めた頃であり、海外の規模の大きい格闘大会を視聴可能となった事で日本中でその人気が高まっていた。

 

 ヒサナの父もニワカレベルではあったが格闘技にハマっていて、パソコンで度々試合を見ていた。だから彼女も自然と格闘技に触れる事になり、近所にジムがあった事から父の勧めで習い始める事にしたのだ。

 

 最初は父に言われたからジムに通っていただけで、彼女本人に格闘技に対する熱は全くなかった。しかし、どうやらヒサナには才能があったらしく、頭の中で思い描いた通りに身体を動かす事が出来た。

 

 ジムのトレーナーに教わった動きだけでなく、ネットの動画で見た大技なんかも再現してしまい、大人たちは彼女を天才だと持て囃した。

 

 そんな訳で、習い事感覚で始めた格闘技に本気で取り組む様になり、そして気付けば15歳という若さで日本最強と呼ばれるまでになっていた。

 

 公式戦で唯の一度も黒星がなく、それどころか殆どの試合で圧勝していた事に加え、容姿もそれなり以上に整っていた為、ヒサナはメディアに度々取り上げられた。

 

 "美しすぎる格闘家"なんて紹介される事も増えており、"姫"と呼んでアイドルの様に扱うファンも珍しくない。ヒサナの活躍のお陰で、下火になり掛けていた格闘技の人気も再燃しており、彼女の齎す影響は次第に増大していった。

 

 まだ幼いと言っても良いヒサナは今後10年は活躍し続けるだろう。そんな彼女がこれから打ち立てる様々な記録を想像し、多くのファンが熱狂していた。

 

 ──そんな時だった。ヒサナに海外進出の話が持ち上がったのは。

 

 日本国内で圧倒的な力を見せ付けていた彼女が、海外の強者にどれくらい通用するのか多くの人が興味を持っていた。同時に、2年前に起きたとある出来事以来、国内の格闘関係者の間にある海外へのトラウマを彼女に払拭して欲しいという想いもあったみたいだった。

 

 これまで海外デビューした日本人の戦績は0勝6敗。国内で活躍した選手達が悉く海外の壁に阻まれていた。ヒサナが初勝利を達成する事は日本格闘技界全体にとって大きな意味を持つ事になる。

 

 国内の頂点に立ち、次の目標は世界制覇だと元々考えていた彼女はその話を承諾し、トントン拍子でヨーロッパでデビューする事が決まった。そして、なんの偶然かそのデビュー戦の相手が日本にとって因縁のある人物に決定すると、連日テレビで取り上げられるほどのニュースとなったのだった。

 

 エイヴァ・ヒューズ。

 それがヒサナの対戦相手の名前だ。欧州格闘技界の悪役。戦績は通算で29勝7敗の強者であるが、その問題行動の数々で度々出場停止にされ、特に国外の格闘技ファンからの嫌われ振りは凄まじい。

 

 試合前に相手を挑発するのは格闘技では良くある事だが、彼女の場合は試合後に倒した相手を侮辱するのは当たり前。相手が格下であれば試合中も挑発を繰り返し、嬲るように痛め付け、その屈辱的な様子を晒し者にするのだ。

 

 2年前、当時日本の女王だった槌田モモカとの試合など特に酷かった。日本中の期待を受けて海外デビューした槌田を、エイヴァは終始圧倒し、執拗に痛め付け、最後は絞め技で意識を奪った。

 

 問題はその後で、エイヴァが白目を剥く槌田の顔をカメラの前に晒し、『不細工な顔ね』と嘲笑った事だ。顔中が腫れ上がって無惨な姿となった自国のスターの慣れの果てを多くの日本国民が目にする事となった。

 

 それは格闘技界にとって痛すぎる"屈辱の試合"として大きな影響を齎した。日本のレベルが世界と比較して低いと知ってしまった人や、格闘技の残酷な面を知ってしまった人などが格闘技から離れた結果、人気は低迷。海外にトラウマを抱いた関係者はそれ以降、外国人選手との試合を避けるようになった。

 

 そんな状況が1年続いた時に現れたのが姫路ヒサナだった。

 

 表情の変化に乏しく、口数も多くない彼女はあまりメディア向きではなく、度々関係者を困らせていたが、それが問題にならないくらい魅力的な容姿をしており、男女問わず多くの人を惹きつけていた。正に日本格闘技界のニューヒロインである。そんなヒサナがエイヴァを倒し、槌田の仇を討つというシナリオは格闘技の人気回復にはピッタリだった。

 

 試合1週間前。

 多くの記者やカメラマンに囲まれる中、ヒサナはエイヴァと初顔合わせをしていた。身長151センチと小柄なヒサナは可愛らしい顔を上に向けて対戦相手を見上げている。その顔に一切の緊張はなく、ファンが見慣れたいつも通りの澄まし顔をしていた。

 

 対するエイヴァは176センチの高さからヒサナを見下ろしている。長い手足と引き締まった筋肉は鍛え抜かれたアスリートの身体だ。身長差は25センチもあるが、体格の違いはそれ以上に大きく感じられた。階級分けのない欧州格闘技ではどうしても小柄な日本人が不利になる。それが全戦全敗の大きな要因でもあった。

 

 ヒサナの姿を初めて見た現地の関係者達はまともな試合にならないだろうと予想し、彼女に憐みの目を向ける者もいた。

 

「データでは見ていたけど実物は一層小さいわね。記念すべき30勝目の相手がこんな小娘じゃ、拍子抜けも良いところだわ」

 

 そんな微妙な空気の中、先に口を開いたのはエイヴァの方だ。ニヤニヤと笑みを浮かべ、完全にヒサナを侮った様子を見せる。パフォーマンスもあるのだろうが、その顔には万に一つも自分が目の前の相手に負けるなどと考えていない様だった。

 

「そう。……日本にも似た事を言う人がいた。私が勝ったけど」

「ふーん。一丁前に挑発するじゃないの。アンタの国のアマチュア風情と一緒にしないでくれるかしら? 雑魚の中で勝ってたからって勘違いしてるのね」

「別に挑発してない。事実を言っただけ。……それと、日本の格闘家は雑魚じゃない」

「プッ。それ2年前の試合を知ってて言ってるの? アンタの国のクイーンは私のサンドバッグにされて子供みたいに泣いてたんだけど」

 

 心底可笑しそうにエイヴァは笑う。それを聞いて日本人の関係者は不快そうに眉を顰めた。あの試合は槌田モモカだけでなく日本格闘界そのものの敗北だった。自分の事ではなくても屈辱に感じる者は多い。

 

 それはヒサナも同様で、変化の乏しい顔に僅かに怒りの感情を浮かべた。彼女はしばらくエイヴァの目を見つめた後、ゆっくりと口を開く。

 

「……そうやって過去の事をいつまでも語っていればいい」

「は?」

「今の日本の女王は私。1週間後に負けて泣くのは貴女」

「へぇ……。デビュー前の小娘がほざくじゃない」

「……そっちこそ、7回も負けてる割に強気」

「ッ……!」

 

 公式戦無敗という自信があるヒサナと、29勝の自負のあるエイヴァはお互いを格下と見做して挑発する。その様子に集まった現地の記者達は大喜びで写真を撮り始めた。彼等からすれば素行はともかくエイヴァは欧州のスター選手の1人だ。そんな彼女に対し東洋から来た可憐な少女が勝利を宣言したのだ。

 

 エイヴァが格の違いを見せ付けて勝利しても、ヒサナが強烈な白星デビューを飾っても、どちらにしろ話題になるだろう。

 

 ヒサナに興味を持った記者達はその後、いくつかの質問をし、2人の対立を煽った。そしてその内容はその日の内に記事にされ欧州・日本に広まるのだった。

 

「……私、アンタみたいな生意気な子をいたぶるの好きなのよね。1週間後が楽しみになってきたわ」

 

 最後にそう言って会場を去ったエイヴァは、その目に嗜虐的な感情を宿していた。

 

 

 ★

 

 

 試合当日。

 記事の効果もあって会場となるドール・アリーナには多くの観客が押し寄せていた。一部では熱狂的な人気を誇るエイヴァと、無名ながらもその容姿と先日の発言で話題となったヒサナの試合は、瞬く間に注目の一戦となったのだ。

 

 観客の多くはエイヴァが圧勝すると予想しているが、新たなスター選手の誕生に期待する者も多かった。

 

 ネット配信もされており、日本でも5万人以上の人が応援している。この試合の結果次第で日本の格闘技の今後が決まると言っても過言ではないだろう。正に国を背負って試合に臨むのだ。

 

コメント:姫〜頑張れ〜

コメント:日本のレベルの高さ世界に見せてやれ

コメント:TVで散々煽ってるから勘違いしてる人多いけど普通にエイヴァは格上だからな

コメント:にわか乙。姫路の蹴り見た事ねぇの? 

 

 配信のコメント欄は期待に比例するようにヒートアップしていた。期待9割、不安1割といったところだろう。視聴者の多くがヒサナの華々しい勝利を楽しみにしていた。

 

 激しい音楽と共にまず登場したのはエイヴァ・ヒューズだ。最新の欧州ランキング6位のベテランは観客に不適な笑みを見せながら堂々と歩いている。歓声とブーイングを向けられながらリングに上がった彼女は、観客に向けてポーズを取った。

 

 無駄のない鍛え抜かれた肉体と、モデル経験もある美しい顔にブーイングを上げていた観客もつい見惚れてしまう。彼女を一言で表すなら"魅力的な悪役(ヒール)"といったところだろう。試合が始まれば後味の悪いパフォーマンスをするのだが、初見の観客を虜にするカリスマ性のようなものを持っているのだ。

 

 続いて有名な日本のバンド曲で入場したのは姫路ヒサナだ。今日がデビュー戦となる彼女だが、こちらも一切気負った様子はなくジッとエイヴァの方に視線を向けながら通路を歩いていく。

 

 観客はまずヒサナのその小ささに驚きの声を漏らす。彼女の151センチの身長は現役の選手の中では圧倒的に小柄だ。平均身長の高い欧州では中学生の大会ですらこれほど小さな選手は珍しい。手足も折れてしまいそうな程細く、露出している腹部にも筋肉が殆ど見当たらなかった。

 

 エイヴァとの差に一瞬心配し掛けた観客達だが、ヒサナの顔を見た瞬間それが不要だと理解する。人形のような可愛らしい顔には歴戦のスター選手と遜色ない覇気があり、小さな身体が発する圧は見た目に似つかない強者のソレである。観客は彼女が日本のクイーンであるという情報を思い出し、納得の表情を浮かべた。

 

「良かったわ。アンタがビビって逃げるんじゃないかって、ずっと心配だったのよ」

 

 リングに上がったヒサナに、エイヴァはさっそく挑発する様に声をかけた。

 

「そう。私は貴女の事さっきまで忘れてた」

「ふん。今の内に存分に生意気な事を言っておきなさい。試合が終わった頃には口も開けなくなってるから」

「? それは困る。たぶん勝利者インタビューがある」

「ッ……安心しなさい。その心配はないから」

 

 2人の会話はマイクで拾われ会場内が歓声に包まれた。格闘技は興行である為、パフォーマンスとしての煽り合いは珍しくないのだが、悪名高いエイヴァを相手にここまで言ってのけた新人はヒサナが初めてだった。

 

 人形の様な容姿に反したその強気な発言は集まったファン達を瞬く間に湧かせる。その様子に日本の視聴者も楽しげにコメントしていた。

 

コメント:出た! ヒサナの天然煽りww

コメント:煽りも最強だと話題なんだよ、その子

コメント:とりあえず全然緊張してないようで安心したわ

コメント:お客さんも大喜びだな

 

 

 2人は歓声が落ち着くのを待ってからリングの中央に移動すると、そこで向かい合って構える。そして3カウントの後、大きなゴングの音で試合が開始した。

 

 ところで、格闘技には大会ごとにルールが存在する。禁止技だったり、時間制限だったり、欧州内でも様々だ。今回ヒサナがデビューした団体はその中でも最も制限が緩く、時間は無制限。そして、喉や眼球、小関節への攻撃以外のほとんどを認めていた。

 

「ッ──!」

 

 試合開始直後、エイヴァは目の前にいたヒサナを一瞬で見失う。慌てて顔を下に向けるがその直後に膝の裏に衝撃を喰らい、体勢を崩してしまった。そこでようやくヒサナが屈んで背後に回り込み、蹴りを入れたのだと理解する。

 

 人間の視界は下方に70°と言われている。その為、背の高い人ほど懐に死角が生まれやすい。身長175センチ以上の人間は足元に5歳児程度の子供がいても気付けないのである。体格の大きい格闘家が相手であればそんな事気にする必要もないのだが、小学生程度の身長しかないヒサナは容易くその死角に潜り込む事が出来た。

 

 床に片膝を付いたエイヴァは膝へのダメージで一瞬硬直する。その隙をヒサナは見逃さず、全体重を乗せた上段廻し蹴りをエイヴァの顔面に打ち込んだ。

 

 試合開始僅か5秒。

 そのあまりの早業に観客は声を出すのも忘れて魅入ってしまった。低い身長を活かして相手の体勢を崩し、顔に蹴りが届く高さになった所で全力の一撃を入れる。体格差などお構いなしのその完璧な攻撃は、数秒の沈黙の後、爆発的な歓声を生み出した。

 

 しかし、当のヒサナは険しい表情で対戦相手を睨み付けていた。

 

「…………」

 

 床に倒れ込んだエイヴァはすぐに腕のバネだけで飛び起きると、ヒサナから距離を取り、首の感触を確かめる。その姿から大してダメージを受けてない事が窺えた。ヒサナにとってこれ以上ないくらいの蹴りを容易く受け切ってしまう耐久力は、これまで闘ってきた日本の格闘家達とは比べ物にならないだろう。

 

「終わらせるつもりだったのに……固い」

「アンタの蹴りが軽いだけよ。でもちょっと油断しちゃったわね。あの程度でダウンさせられるなんて、屈辱よ」

 

 強がりではなく本気で大した事ないように話すエイヴァ。その顔にはいまだに余裕があった。あそこまで手応えがあって沈まない相手はヒサナにとって初めてだ。エイヴァの試合映像は何度も見たが、こういった打たれ強さは実際に立ち会ってみないと分からない部分だろう。

 

 ヒサナは僅かにあった侮りの感情を消し、エイヴァを過去最高の強敵だと認めるのだった。

 

 

 

「──!!」

 

 再びヒサナが動く。合気道の歩法を応用した飛び込みで一気に距離を詰めると、エイヴァの左側面に下段、中段、上段の三段蹴りを放つ。

 

 一撃一撃は軽く、スピードを重視した攻撃はエイヴァのガードに跳ね返されるが、彼女の意識をそちらに向けさせた所で身体を旋回させ、後ろ廻し蹴りを顔面右側に打ち込んだ。

 

 しかし──

 

「そんな見え見えの蹴り喰らうかっての」

「……ざん、ねんッ」

 

 ──顎への攻撃はエイヴァの右手に防がれる。

 

 あの一瞬でガード出来てしまう動体視力もだが、蹴りの威力を手のひらで受け止める頑丈さは目を疑うレベルだ。

 

 エイヴァはここを好機と見たのかそのまま距離を詰め、パンチを繰り出してくる。彼女の長い腕はステップインせずとも間合いの外からヒサナの顔まで届いてしまう。それを何とか受け流し後退するのだが、あっという間にリングの端へと追い込まれてしまった。

 

 絶対絶命の状況にヒサナを応援していた観客から悲鳴が上がる。

 

「ふふっ。もう逃げ場はないわよ。見せ場は十分作ってあげたんだから、大人しくサンドバッグになりなさいな」

 

 エイヴァは自分にとっての中距離を維持したままヒサナの身体に連撃を打ち込んだ。

 

 リーチの差で一方的に攻撃を受けるヒサナは、急所を守りながら隙を窺う。そして、連撃が一瞬途切れた瞬間を見計らってエイヴァの股下から背後へと逃れる事に成功した。

 

 置き土産にとがら空きの脇腹に蹴りを入れたヒサナは、距離を取って一息吐く。ピンチを脱した彼女に会場からは拍手が送られた。

 

 だが、ここまでの試合を見て、観客はこの勝負がどういう展開になるのかおおよそ察してしまっていた。

 

 スピードとフットワークはヒサナが優(まさ)っている。"低さ"という武器も活用する彼女は、トリッキーな動きでチャンスを作り出すだろう。しかし、エイヴァを倒すには圧倒的に重さが足りていなかった。

 

 これまで170センチを超える相手と闘い、ヒサナと比べ物にならない重い一撃を受けてきたエイヴァから見れば、ヒサナはジャブしか打てない未熟な選手のようなものだ。

 

 どれだけ速くても決定打に欠ける以上脅威ではないし、逆にエイヴァの攻撃がしっかりと入れば一発でヒサナは崩れ落ちるだろう。

 

 大柄と言われる選手でも170センチを超えない日本でならヒサナの攻撃は通じたのだが、人種の壁は彼女の想像していた以上に高かった。

 

 その空気を日本の視聴者も感じているのか、ネガティブな書き込みも増えていた。

 

コメント:エイヴァ改めて見ると男と遜色ない体格なんだよな

コメント:リーチの差も何気に厳しい

コメント:え? めっちゃ押せ押せなのに皆何心配してんの? 

コメント:背後から脇腹蹴ってビクともしない相手にどう勝てって言うんだよ

 

 外野がそう感じるのだから、当人は一層それを自覚している。ヒサナは半端な技は通用しないと判断し、蹴りを主体とした大技を使っていく事に決めた。

 

 

 試合開始から3分。

 リングの上では観客の予想通りの展開が繰り広げられている。攻撃を躱しながら体重を乗せた技を時々繰り出すヒサナだが、それを受けたエイヴァにダメージらしいダメージはない。

 

 一方でエイヴァのジャブ程度の攻撃すらまともに喰らわないように回避するヒサナの疲労は蓄積され続け、次第に息も上がり始めていた。

 

 双方の表情も対照的で、険しい表情をするヒサナに対し、エイヴァの方は楽しそうに笑みすら浮かべている。ベテランとルーキーの姿だとするとおかしくないのだが、ヒサナの方が有効打を多く決めている為、"攻めている方が追い込まれている"という不思議な状況にも見えた。

 

 それでも3分間ほぼ一方的に攻め続けるヒサナの格闘センスは欧州でも最上位に位置するだろう。体重があと5キロあれば彼女の勝利で試合が終わっていてもおかしくない展開だった。その為今後の成長次第では大きく化けるだろうと期待するファンもいた。

 

「……筋肉オバケ」

 

 ヒサナは初めて経験する苦しい試合に、ついそんな言葉を漏らしてしまう。挑発でも軽口でもなく恨み言のようなセリフが出た事で、エイヴァはヒサナが精神的に追い込まれている事を察し、愉しそうに目を細めた。

 

「最初の威勢はどうしたの? 日本のクイーンさん。泣きそうな顔してるじゃない」

「……適当言うな。泣くのは貴女だと言った筈」

「ふふ。あんな大口叩いておいて蓋を開けてみたらコレだものね。負けた後の事とか考えちゃうわよね?」

「……意味不明」

「"日本の女王、欧州の洗礼を受ける"とか記事に書かれるのかしら。まるで道化よね」

 

 エイヴァは言葉による攻撃でヒサナの心を乱す。余裕のないヒサナの表情がより硬くなり、瞳が不安気に揺れる。流石は百戦錬磨の悪役。この辺りの精神攻撃はお手のものである。

 

 15歳と精神的にも幼いヒサナにはその攻撃は見事にハマっていた。"敗北"を意識させられた彼女は、自分が圧倒的に不利な状況なのだと思わされ、思考を誘導される。ヒット&アウェイを繰り返し、少しずつダメージを与える戦法から一か八か、僅かな勝機のある戦法へと切り替える事にする。

 

 この辺りの焦りはヒサナの経験の少なさに由来する弱点でもあった。

 

「────!!」

 

 彼女は維持していた間合いを一瞬で縮め、エイヴァの懐に飛び込む。正面からの攻撃に、エイヴァの方も余裕を持って待ち構え、リーチの届く所に入った瞬間、蹴りを放った。

 

 回避不可の蹴りは正確にヒサナの頭部を狙っていた。今更減速する事は出来ず、腕でガードしてもそれ諸共弾き飛ばす威力を持っている。勝負を焦ったヒサナが自滅したのかと誰もが思った。

 

 しかし、そんな予想を嘲笑うようにヒサナは空中で身体を捻ると、迫るエイヴァの脚を高跳びのバーのように華麗に躱してみせた。そうして見事に懐に入り込んだ彼女は、まず腹部に膝蹴りを喰らわし、エイヴァの身体をくの字に折り曲げさせる。

 

「あグッ……」

 

 予想外の一撃にエイヴァは腹に力を入れる間もなく、無防備な状態で受けてしまう。口からは呻き声が漏れ、顔は一瞬で歪められる。試合開始直後の上段蹴り以来となる完璧な有効打だ。

 

「もう一発」

 

 しかしヒサナはそれで満足せず、エイヴァの頭を両手で掴むと顔面に膝蹴りをお見舞いした。起死回生の攻撃。蹴りの軽さを補う全身のエネルギーを使った一撃は、エイヴァの鼻を潰し小さくないダメージを与える。

 

 小柄な選手が大柄な相手の顔面に蹴りを入れる姿は観客を熱狂させる。追い詰められた小動物の逆襲の如き一撃は1年を通してもそう見れないくらいの魅技だった。諦めかけていたヒサナのファンは試合の流れが変わる事を確信し、声を張り上げた。

 

 ヒサナ自身はこれがまたとないチャンスだと理解していた。

 

 リーチの差は絶対であり、近付くだけでも一か八かだ。ここで距離を取ったら次に間合いに入るのにまた賭けをする必要がある。その為、可能ならここで決めてしまいたいという欲が出てしまった。

 

 エイヴァがまだ体勢を立て直せていない事を確認したヒサナは、逃げようとするエイヴァの頭をロックし、右脚にタメを作る。そして2度目の膝蹴りを繰り出した。

 

「──!?」

 

 決まっていれば勝負は着いていたかもしれない。

 

 しかし、その一撃は空振りに終わる。大技を連続で許すほどエイヴァは甘くはなかった。彼女は力づくでヒサナの手から逃れると、身体を上に反らして膝を躱したのだ。身長差のお陰で少し顔を上げるだけでヒサナの攻撃は届かなくなる。

 

 膝蹴りが空ぶったヒサナはその場でバランスを崩しかける。それはこの瞬間では致命的な隙となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばぁか。いつまで私の間合いにいるつもり?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一閃。

 

 ヒサナは自分の下半身が吹き飛んだように感じた。気付けば身体は90°以上傾いており、床が目の前に迫っている。そのまま受け身も取れずに顔から落ちた彼女は、尚も状況を理解出来ず混乱に陥っていた。

 

「────?! あ、ああぁぁッ!!」

 

 その直後、左脚に信じられないほどの激痛が走り、凄惨な悲鳴を漏らしてしまう。彼女の人生の中で間違いなく最大の痛み。そのあまりの激しさに、試合中だということも頭から抜け、床で悶えてしまう。

 

コメント:あ、終わった

コメント:胸糞展開を見たくない奴は今の内に視聴やめとけ

コメント:足折れたかと思った。大丈夫か? 

コメント:エイヴァはギリギリ壊さない事に定評あるから

コメント:嬲り殺しタイム開始

 

 配信を見ていたファンは決着が着いた事を悟り、続々と視聴をやめていった。

 

 エイヴァはヒサナを静かに見下ろす。鼻からは血が流れていたが継戦に問題はないだろう。顔には嗜虐的な笑みを浮かべており、倒れるヒサナに追撃を仕掛けないのは慈悲からではないのだと誰もが理解していた。

 

 左大腿部を打ち抜いたエイヴァの蹴りは、体重の軽いヒサナの下半身を持っていった。それが威力を多少受け流す結果となり、骨への影響はそれほどなかった。咄嗟に膝ではなく筋肉の多い太腿に狙いを変えたエイヴァもまた流石と言える。そうでなければヒサナの選手生命はここで終わっていてもおかしくなかった。

 

「……ッ、……」

 

 ヒサナは震える脚で立ち上がる。左大腿部はこの短時間で赤く腫れ上がり、痛々しい姿を観客に晒していた。額には汗を掻き、瞳は心細そうに揺れている。場内からはヒサナに対して拍手が送られるが、同情的な感情が大いに含まれていた。

 

 ヒサナはまだかろうじて闘う事が出来る。だが、それを幸運と呼んでいいのかは微妙だ。レフェリーがストップを掛けないギリギリのダメージに抑えられ、試合続行出来てしまうこの状況は、悪役と名高いエイヴァが意図的に作り出したモノなのだから。

 

「鼻を潰されたお礼はしっかりとしないとね」

「……ッ」

 

 ご馳走様を前にした肉食動物のように舌舐めずりしたエイヴァは、そう言って微笑む。立つのがやっとのヒサナにはもう逃れる術はない。

 

 日本人にとって屈辱の試合がまた始まろうとしていた。

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