「元気そうだな、直刃」
「な、ど、どうし、て……」
目の前に存在する信じがたい光景。どうしても飲み込むことができずに、直刃は不規則な呼吸を繰り返す。
体が震えだし、まともに立っていられなくなる。感覚が曖昧になって、そのうちカクンと膝が折れ、崩れ落ちる。
「直刃様!?」
隣にいた雷歌が文字通り光の速度で倒れる前に支えてくれる。感謝の言葉を述べようにも今はそれどころではなかった。
――少年だった。
妙に艶やかなおかっぱ頭。
直刃よりも二つ年上なのに身長は直刃よりもさらに低かった体軀。
目つきの悪さと、顔のバランスが崩壊しているような唇の大きさ。
にこやかで、なのに何処か不穏な表情。奇妙な雰囲気は昔とまるで変わらない。
全く、全く記憶の通りの姿に直刃は吐き気を催す。
「に、兄さん、どうして……」
口を手で押さえる。震える。
そんな馬鹿な。いや、あり得ない。
心は必死にその現実を否定し、脳はそんな現実を否応なく叩きつけてくる。
どうしてここに兄がいるのだろう。
「どうしてって、それは一番お前が分かってるだろう?」
黒髪の少年は、ぐぐいと口角を持ち上げてきしきしと歯を軋ませながら笑った。怒りを押し殺した、暴力的な笑みだった。
――そうだ、言われなくとも、理解している。
彼は怒っている。兄弟である直刃に。
「……い、いいよ、兄さんになら」
──仕方のないことなのかもしれない。
そう思うと気が楽になった。
──ああ、兄さんが近づいてくる。
だんだんと近づくごとに、直刃の意識が遠のいていく。
もうだめだ。このままじゃ――
――そして、視界は白くホワイトアウトしていった。
ーーーーーーー
目覚めには種類がある。
即ち、気持ちのいい目覚めか、気持ちの悪い目覚めか、だ。
ここしばらくはどちらかなんて考える暇は無かった。常に気持ちのいい目覚めだった。当然だ、直刃の周りにいた彼女達はこの家の生活は何があっても直刃優先で、朝のベッドなんて直刃のためにと大量の女体が所狭しと並んでいる。おっぱい枕に包まれているのでは気持ちの悪い目覚めなんてあるはずもなかった。
「うっ……ぐ……」
しかし、今回の目覚めは後者の方だった。
嗚咽とも呻きとも取れる声を発しながら、重い瞼を開ける。まるで発熱したような頭をフラフラと上げつつ、ベッドの上で状態を起こす。
ここは、寝室だ。いつもみんなとエッチして、クタクタになるまで射精する、あの寝室。
なのにここに至るまでの記憶が無い。
何が、何が起こった――
「うっ、おえええっ……」
胸をせり上がってくる吐き気に耐えきれず、ベッドのシーツに盛大に胃液をぶちまける。
胃の中に固形物は入っていなかったのか、口から出てきたのはどろどろとした薄黄色の餡掛けみたいなモノだった。
シーツに広がるシミ。そんなこと気にしてられない。意識が不安定だ。これはまずい。
「ぉっ、ぉぁっ、ぉぉっおぇ……」
苦しい、苦しい。涙と鼻水をこぼしながら、苦痛のあまりに死ぬのではないかとほんの少し思う。それほどの苦痛だった。
そのまま、長い間げえげえと吐き続けた。水分が全部持っていかれた。おかげでひどく喉が乾く。
この気分の悪さはなんなんだろう。なんだか怖い。怖くてたまらない。みんな、助けて――
「む、起きたか」
「……」
それからどのくらいだったのだろうか。突然、幼い声が耳に入った。
見慣れた寝室。歯を食いしばりながら体を動かして入口を見ると、そこには見たこともない白い少女が居た。
「……!!!」
ぞわりと鳥肌がたった。その衝撃は気分の悪さなど吹き飛ばして尚あまりある物だった。
美しい。その一言に集約するには、その少女はあまりにも魅力的すぎた。
身長は直刃より少し小さい程度。けれどその存在感はそんな小ささなんて感じさせないほど確かで圧倒的なものだった。
誰も触れてはならないような色使いの雪色のショートカットに、これまた穢れを知らぬ真っ白な雪の肌。
幼い顔立ちはしかして不思議な事に幼くは見えない。幼女のそれでありながら醸し出す雰囲気は妙齢の女性そのもの。蠱惑的な色気とあどけない可愛さ。混在しているというよりも奥に潜む大人の顔を子供で塗り隠すような、そんな顔立ち。
そして何より白い。白すぎる。彼女を構築する全てが純白だった。
まつ毛だろうと瞳の中だろうととにかく白い。僅かに朱色の唇以外、その全てが白く染まっている。
あまりの統一感。恐怖すら感じそうなほどだが、しかし美しい。幼い幼女として見えなくもないが、全体としてみればサキュバスと言われても疑わないほどの淫猥さを秘めていた。
心臓が高鳴り、彼女をぼけっと眺めてしまう。魅力的と言うほかないが、その美しさは人外の物と見える。それほどまで美しく、可憐で、計算され尽くした奇跡のような少女だった。
「調子はどうじゃ?」
細かな金箔の意匠がそこかしこに散りばめられた白の和服。まるで持って生まれてきたような違和感のなさに、恐らくあれが似合うのは彼女だけなんだろうと確信する。
そんなところに目を奪われながら、それでもそれ以上に気になるのは瞳だった。
白よりも白銀と表す方が適切か。キラキラと輝く彼女の眼は見るもの全てを魅了する。吸い込まれそうになる。返答も忘れて、直刃は見つめ続けた。
「聞いておらんか……ま、その様子だと、大丈夫そうじゃな」
からからと鈴が転がるような声で笑う。自然とつられて笑みがこぼれる。幸せな気分になる。
彼女の方はベッドの側まで近づくと、その笑みを引きつらせた。
「うおっ……お主、思いっきりゲボチンしとるではないか。道理で酸っぱい臭いがすると思うたわ」
「げ、げぼちん……?」
「立てるか? まだ気分が悪いような寝床を変えるかの?」
少女に問われて、ハッと我にかえる。
どうだろうか。なんだかさっきよりはマシになった気もする。
少女に手を貸してもらって立ち上がると、なるほど、ちょっぴりフラつくものの日常生活ならなんとか送れそうだ。
「大丈夫そうじゃな。後二、三日すれば完全に治る。安心せい」
「えっと、ありがとう……?」
「うむ。では少し話したい事もあるのでな、体力的にはどうだ?」
「少しくらいなら……」
うむうむと満足そうに頷く美少女。つい何も考えずに従ってしまったが、今更ながらこの子は誰なんだろう。そんな疑問が直刃を襲う。
少女の方は直刃の手を引いて寝室の扉を開けて出て行く。戸惑いながらも逆らわない方が良いと第六感が告げていたので素直に従う。
扉だらけの廊下を抜け、吹き抜けの階段へ。彼女は気を使って一段一段直刃に注意しながら降りて行く。
感謝と申し訳なさを感じながら、直刃も後を追う。やがて降り切った所で――
「マスター!!」
「マスター!!!」
「直刃様!!!!!」
「むぐっ!!?」
ボインと顔面に計六つの巨乳がぶち当たってくる。まともに喰らって倒れこむ。
背後には待ってましたとメイド服の爆乳がスタンバイしていた。
「マスター、ご無事ですか……!!!」
「うう、マスター、心配したんだからっ……!!!!」
「直刃様ぁ、ごめんなさいぃ、ごめんなさいぃぃ……!!!!!」
「苦しい、苦しいから……!」
呼吸が出来ない。顔いっぱいに押し付けられる乳房に何もかも覆われて、直刃の顔が酸欠で真っ赤になる。苦しい。苦しい。
これが窒息死か。案外幸せな物だな。
また視界がホワイトアウトしていく。今度こそ本当に死ぬ。
「これこれ、お主ら自重せんか。相手は病み上がりじゃぞ」
そんなアホな幕引きを想像していると、少女の言葉と共に、視界が急に開ける。やっと息が出来ると目一杯吸い込む。
死にそうになって咳き込みながら目を開けると、開けた視界には、宙を舞う三人の美女の姿があった。
「ぐぅっ……!!」
「きゃぁぁっ!?」
「直刃様ぁぁぁぁぁぁ!!!!?」
どたどたと物音を立てて三人とも地面や壁に激突する。比喩ではなく、吹き飛んで、壁に引っ付いてしまっていた。
展開についていけない直刃は目を白黒させ、その惚けた顔で、自分を抱きしめている相手――紫羽と目を合わせる。
「えと……た、ただいま、紫羽さん……」
「はい、ご無事でなによりです、主。それにしても、遅いおかえりでした」
今度は紫羽にむぎゅうと抱きしめられる。心地よい圧迫感を感じながら、「ごめんね」と小さく謝る。震える彼女の手を、優しく撫でる。
「えー、こほんこほん。わしの事忘れとる?」
「あ、ごめん。すっかり……」
「傷つくぞ……」
しょんぼりした少女。だがそれも一瞬のこと、再び駆け寄ってくる三人の死神、氷室、朱雀、雷歌に気がつくと目の色が変わった。
「ええい邪魔じゃ、これからこやつと話があると言うであろうが!!」
少女が腕を振ると三人とも突風に吹かれるように後ろに吹っ飛び、壁に穴が開くまでめり込む。それでも足掻き続ける三人の頰に少女が近づいてぺちぺちとビンタをかましていくと面白いように全員沈黙した。
人外である死神達がいとも簡単に無力化されてしまった。
直刃は場違いのような感覚に襲われる。
「……あれ、気絶しちゃったの?」
「はい、恐らく。主、ひと言申し上げておきますと、あのお方は癇癪持ちです──お気をつけて」
ツッコミどころがありすぎるし、そういう問題ではないだろう。
そう思ったが、考える間も無く少女はこちらを見ると、リビングの中央にあるソファへと目を向けた。座れという事だろう。
仕方なく頷くと、紫羽に支えられながらソファにたどり着く。少女と向かい合わせで座ると、ふぅと互いに息を吐いた。
「みな、優秀な死神と思っておったがのぅ……」
「あはは……やっぱり、君も死神なの?」
先ほど三人を浮かせた能力といい、やはり死神なんだろう。見た所、直刃より年下だ。まだ死神になりたてなのだろうか。
疑問は浮かんだが、すぐにそれは消え去った。
「うむ。死神……いや違うな。幼女目ロリババア科のじゃロリ属といったところかの」
「ろ、ろり、ばばあ……?」
直刃に伝わらなかった所を見て「何でもない」と首を振ると、こほんと咳払い。
「自己紹介、せんとな。えー、こほん――改めて、わしは死神統括を神より任されている、停止の神だ。紫羽より聞いていたが、柊直刃よ、会うのは初めてじゃな」
「初めまして……え? 停止の、神……?」
「初代死神、といった方が伝わりやすいかの? 要は最初に生まれた死神じゃ」
「初代死神……!!?」
目の前にいる少女が、愛する眷属達が話していた初代死神だというのか。これが彼女達の長だというのか。
直刃は驚きのあまり仰け反った。
いやあまりに幼すぎる。自分の死神達はどれもいろんな意味でビッグな人が多いからか違和感しかない。
「ほ、ほんとに初代死神なの……ですか?」
「そう畏まらんでも良い。それと、停止の神を名乗る以上、嘘などつかんよ」
全然意味がわからないのに、恐ろしく説得力のある言葉だった。直刃は緊張でまた吐きそうになった。
初代死神はふんと鼻を鳴らすと、紫羽を睨んだ。
「紫羽、しばらく二人で話がしたい。席を外してくれんかの」
これくらい察しろという目だった。しかし紫羽は一歩も動かない。
「ですが……」
食い下がる紫羽を見て首をかしげる初代死神。その様子は彼女が従わないとは思っていなかったようだった。
気まずい空気が流れる。
その内、紫羽の視線がじっと直刃に注がれていて、ようやく合点が行ったらしく、初代死神はからからと笑い声をあげた。
「調子が悪そうであればすぐに呼ぶ。それより寝室の掃除をしに行け」
「寝室……?」
紫羽はハッと気がついた表情で直刃の顔を見る。口の周りについた吐瀉物を見て「失礼します」と自分の袖で拭うと慌てて階段を上がって行った。
申し訳なく思ったが、そんな事より相対している相手が相手である。直刃はすぐに紫羽の事など頭から吹き飛んだ。
「ふむ、あの紫羽ですら冷静でないとはな。よほど参っていると見た」
「どういう意味です……?」
「気にするな。それより言葉遣いは戻せ、子供扱いされるなら得した気分じゃ」
子供扱いしたっけ。いやでも子供を相手にしている気分であることは確かだった。
直刃は複雑な顔で頷くと、それでと続きを促した。
「話したい事、があるんですよね……?」
「じゃから言葉遣い……まぁ良いわ。そうじゃお主に言わねばならぬ事がある」
「何ですか?」
「それは後じゃ。それよりも先に、そもそも何故こんな状況に陥ったのか説明する必要があるのぅ」
そういえばどうして自分はベッドで寝ていたんだろう。どうしてあんなに気分が悪かったんだろう。記憶はひどくあやふやで何もかも不明瞭だ。
纏まらない思考で前を向く。そこには頼ってくれて嬉しいとばかりのにこやかな顔の初代死神が、長々と今回の事件について語った。
初代死神の説明は長く、分かりづらく、直刃の理解力では一度で把握する事は難しかった。もっと簡単に言えないのかと尋ねると、今度は凄く端的に説明された。
「死にかけたんじゃ。お主は」
「ざっくりすぎて分かりません。もっと丁寧にお願いします」
「むぅ、文句の多いやつだ。よし良いか――お前は、悪魔に襲われ、そして殺されかけた」
「……」
事の顛末はつまりこうだった。直刃が見たのは所謂、不定の悪魔と呼ばれる存在で、そいつらは自身を見た人間にとって本当に恐ろしい姿、或いは理想の姿へと形を変えるらしい。その能力で脅すか、誘惑をして人間を食べる。
直刃はそれに出会ってしまったのだ。
ただ人に化けるだけの悪魔とは違う特殊な能力。直刃に恐怖を与えるために、あの悪魔は死んだ兄に化けたのだろう。それがあの兄の正体だったのだ。
悪魔の形は千差万別。そんな事をしなくても恐ろしい形のものもいれば、そうして人々を脅かす悪魔もいると知った。
「……」
自分の身に何が起こったのかは理解できた。加えて気を失った後、この初代死神の助けを借りて無事この家にたどり着くことが出来たのだと理解した。
直刃は何も言えなかった。兄を見た衝撃は記憶があやふやになった今でも忘れる事は不可能だった。
「何に見えたのかとは聞かぬ。聞くだけ野暮であろう」
「……うん、ありがとう」
初代死神は微笑んだ。
直刃にはその気遣いが嬉しかった。しかし同時に疑問も抱いていた。
確か、悪魔達は死神とのタイマン戦は逃げるはずなのだ。力では叶わない事は悪魔どもにとって周知の事実で、だからこそ悪魔は群れて密かに人間を食べ、死神はそんな群れを狩る。
あの時は、雷歌を連れていたし、悪魔に勝ち目はなかったはずだ。なのにどうして。
初代死神は首を振った。
「不定のモノどもは、今まで狩っていた奴らよりも一つ上の存在だ。当然知能も高い」
「みんなより、強いんですか……?」
「いや、そうでもない。そうでもないのじゃが、恐らく主人をやれば雷歌が簡単に崩れると見抜かれたのだろう」
「崩れる……?」
「ああ、わしが駆けつけた時には雷歌も手酷くやられてあったよ。お前を突かれて劣勢になったのだろう、魔術以外興味のカケラも注がない彼奴にしては珍しい……ま、数も多かったがな」
「――でも、どうして」
「観察されていたのだろう。そしてお前という核を見事見抜かれたのじゃ」
「つまり、僕のせいでって事ですよね……」
「否、基本的に戦闘面において王は無力。未熟な死神こそ死すべきだ」
「し、死すべきって」
それは酷すぎるだろう。雷歌は僕を懸命に守ろうとしてくれたに違いない。そんな彼女に対してあまりに無情過ぎる。
「あの、さすがにそれは……」
目で言葉を止められる。まだあるらしい。
「お主の言いたい事はわかる。わしもそれで終わるならば、文句はない。一人戦力にならん死神がおったところで、お主には後ろにまだ四人も控えておる……ここは褒めるべきじゃろうな。ここまで揃えた王は未だ初代様を除いておらぬからな」
そして、一泊開けて口を開く彼女は苦々しげなものだった。
「じゃが、その四人も使えなくなるとなると話が違う。はっきり言ってしまうとじゃ、お主達は……」
「依存しすぎておる」と、ばっさり一言。反論など出来るわけもなく、項垂れるしかない。その通りだと思った。
「死神と王の結びつきは深ければ深いほど良い。そのぶん魔力充填の効率も上がる。愛し愛される事はわしも推奨したくはある……が、狩りに影響が出るレベルだとそうも言っていられないのじゃ」
「そんな……みんな僕が寝てる最中とかに頑張って……」
「いや、もはや目的と手段が完全に入れ替わっておる。本来悪魔を狩るべくして生まれ、そのために必要な魔力を王から貰い受けるための作業がまぐわいじゃ」
確信めいた言動に、声を大にして言い返したかった。みんなは凄く強くて、真面目な人達だと。
「じゃが、今やあの冷徹な紫羽ですら、お主優先の過保護メイドと化しておる。お主の眷属は全員、悪魔を殺すためにまぐわうのではなく、まぐわうために悪魔を殺すという、死神としては全く逆の目的のために悪魔を殺している。愛する主と早く交わりたいがためにな」
それではいけないのだと、初代死神は直刃を見つめた。
直刃は言い返せない。
「実際、今死神の前にお主の体と悪魔を並べてみよ。奴らは人参をぶら下げた駄馬のように王の体にしゃぶりつくであろう?」
「そんな事は……そんな事は、ない……はず……です」
「ん? ではお前の眷属はお前を投げ捨ててでも悪魔を討ち果たしに行くと? それが容易に想像できると申すか?」
「それは……」
微塵も想像出来なかった。脳内では五人が五人とも、直刃目掛けて一目散に駆けつけていた。悪魔を倒すのはその後になるだろう。
「断言しよう。このままではいずれ未曾有の危機に発展する。この脆さではひいては人類の危機に直結する問題じゃ」
ゴクリと息を飲む。目眩がしてきた。今まで馬鹿みたいに暮らしてきたツキが回ってきたのかもしれない。
「故に、本題に入るとする――今代の金の王よ。お主には試験を受けてもらう。結果如何によっては、王の証を剥奪する事となる」
「……え?」
「分かりづらかったかの? では、包み隠さず言おう。つまりは死んでもらう。これ以上の王としての振る舞いは死神達に悪影響を及ぼすだろう。従う気がないのならその共依存を断ち切るか、或いは――」
――自身の有用性がその悪影響を遥かに凌ぐということを証明してみせい。
そう言って初代死神は、ペロリと自分の唇を舐めた。
さながら獲物を見つけた肉食獣の如く。
ーーーーーーー
一段落つくと、初代死神はまたなと言い残して颯爽と去っていった。
そして襲いかかる過保護死神軍団。特に雷歌の号泣は見ているだけで心苦しく感じた。
しかし直刃には気になることがあった。彼女達をひとまず落ち着かせると、屋上へと向かった。
「久しぶりに来たかな……?」
大きなガラス張りの天井。夜の曇り空の下、百人はゆうに入れそうな大型のプールサイドを歩く。思い返してみると夏になったにもかかわらずまだ皆とは入っていない事実に直刃は苦笑した。気がつけば夏休みも中盤、昼夜を問わずセックスに盛りすぎだ。
これが落ち着いたら全員で入ろうと愛する死神達の水着姿を思い浮かべて、一人でニヤつく。
「……いや、でもすぐ脱いじゃうだろうな」
続けて苦笑。そのままプール通り過ぎて、直刃はペントハウスの外に出た。
まだ数えるほどしか来たことのない自宅の屋上。この建物の屋根にあたる部分は正方形の四分の三がペントハウスに占拠されているため、屋上と呼べる部分にはあまり広さはない。でかいベランダと見た方がまだしっくりくるだろう。
とはいえ、それすらも体育館みたいな広さのベランダではある。以前の自分からすれば羨ましい限りだ。
「前の家よりここだけで既に大きいかな……」
この家に維持費がどれくらいかかっているかなんて想像するだけでも恐ろしい。直刃はふるふると頭を振り、余計なことは考えないようにしようと心に決める。共に暮らし始めて半年、セレブの生活に庶民が驚く種はまだたくさんあった。
「……うわ」
天井と同じくガラス張りの扉を開けると、夜の風が体を包む。まだ夏真っ盛りのためか外気は生温い。
温度差に辟易しながらも直刃の顔は笑顔に変わった。目的の人物を見つけたのだ。
早足で転落防止の柵まで近づくと、夜景をぼけっと見下ろす褐色の女性――アリアの隣に立った。
相変わらず革ジャンに白ホットパンツという出で立ちで、むっちりと艶のある太ももが惜しげもなく晒されている。
「探したよ、アリア」
彼女は無表情で頷くと、直刃の襟首を掴んで自分の手元に引き寄せた。
特に抵抗せずされるがままにしていると、やがて背後から抱きしめられる形になった。身長差があるからか、後頭部にはぽよんぽよんと柔らかな膨らみが当たっていた。
「……呼んでくれればすぐお前のところに行ったぜ?」
「呼んでって、ここ屋上じゃん。流石に下からじゃ聞こえないでしょ」
「お前の声は記憶してる。よっぽど特殊な真空空間にでもいない限り、いつでも駆けつけられるさ」
「ふーん……で、今日の事、気にしてるの?」
「……」
遠慮なく本題にはいると、図星を突かれたらしくアリアは口を噤んだ。
声の調子から落ち込んでいるのはすぐに分かった。特にアリアは直刃に対して防御が甘く、声のトーンに機嫌がつぶさに現れる。
実際、直刃は今日あわや死にかけたらしいが、本人からしてみると起きたら終わっていたという事もあって大して大事ではなかった。先ほど初代死神との話が終わった後も雷歌をなだめる際に苦労したが、皆気にしすぎだ。
それに百歩譲って護衛役の雷歌が落ち込むには理解出来る事件ではあったが、近くにいなかったアリアでは直刃を守るなど土台無理な話だろう。責任感が強すぎるというべきか、ともかくこんなに全員から謝られるとむしろ気が滅入ってしまう。
「ありがとう。ごめんね、心配かけちゃって」
両肩に置かれたアリアの手をぽんぼんと軽く叩く。暗に気にしないでよと云ったつもりだったが、顔色を伺うとそれほど好転していない。辛そうですらあった。
「いや、本当ならアタシはお前を守れたんだ。なのにアタシはお前のためだと言い訳に言い訳を重ねて……」
首をひねって後ろを見るが、項垂れるアリアは頑なに直刃と目を合わせようとしない。
「どういう事?」と尋ねると、彼女はぽつぽつと理由を語り始めた。
「……アタシも護衛だったんだ。スグハ、お前を遠目から見て、いざとなれば守りに入るのがアタシの役目だった」
「そうなの? 知らなかったよ」
「ああ、もちろんお前には告げて無かったし、最近は特に悪魔達の動きが大人しかった事もあって油断してた」
震える声。緊張しているようにもとれるし、大きな後悔を隠そうとしているようにも取れた。前者も含まれているだろうが、この場合主な理由は考えるまでもなく後者なのであろう。
だが、果たしてあのアリアが気を抜いていたという理由であの悪魔を探知できなかったのだろうか。初対面の印象からしてもこの一匹狼の死神は警戒心の塊だった。気を抜いていたなどとはとても想像出来ない。
「……それだけじゃないんでしょ? 大丈夫、嫌いになったりしないよ」
今は捨てられた子犬のようにしぼんでいる。もっと強い女性だと思っていた。いや、思い込んでいた。でも思い返してみれば初体験の時だってそうだ。彼女は恐怖に震えて、それでも強がり続けていた。
今は何に震えているんだろう。直刃は自分がもしその恐怖を和らげることが出来るならばと、彼女の顔を見て微笑んだ。
アリアは傷ついた表情で顔を逸らした。
「……不安なんだ。お前に捨てられるんじゃないかって」
「捨てないよ。捨てる訳ないじゃん……って言っても信じられない?」
力無い笑い声が、頭の上から降りそそいだ。直刃は顔を歪ませた。信じていない笑いだった。
「お前は非常に日本人的と言えばいいのか、合理的過ぎるきらいがあるからな。いつも嫌われたんじゃないかとヒヤヒヤしてる」
思い当たる節はないが、まぁでもつい最近までぎりぎりの節約生活を送っていた身だ。彼女達から見れば直刃の行動を見てそう思う事も多々あったのだろう。直刃は反論せず、小さくごめんと謝った。
ガシガシと頭を掻き毟る音がした。
「すまん。今のなし。やっぱ違えわ。違うんだよ、スグハ。そうじゃない。やっぱり根底にあるのは自分への劣等感ってか、無能すぎるっていうか……」
「そんなこと考えてたの……?」
「悔しいけどな。これが紫羽達だったら上手くやったんだろうってな。せっかくちゃんとした死神になれたのによ、お前の事を考えてたつもりがお前の今を考えてなかった」
ちゃんとした死神という言葉が妙に頭に残った。どういう意味だろうと数秒悩むが、すぐに答えに行き当たる。
そう、彼女は直刃が王になるまで一人として王に仕えた事はないと言っていた。はぐれとして、孤独に狩りを続けていたのだ。
それは死神としては普通ではないのだ。アリアの口から「ちゃんとした」という言葉が出た時点で、自分でも理解していたのだろう。違う、これじゃないと。
でもそれだけじゃわからない。彼女が何を考えているのかわからない。彼女が今抱え込んで、苦しんでいる物がわからない。もっと言葉にして欲しい。それがたとえ直刃が受け止めきれない物だったとしても、頼って欲しかった。
王として、愛する人として、頼って欲しかった。
「アリア、ちゃんと話して。僕はアリアの事、嫌いにならないよ」
「……分かった」
体を離し、お互いに向き合うと、アリアは泣きそうな顔で笑っていた。
ズキンと直刃の胸が痛んだ。こんな顔にさせたくなかった。彼女は普段はクールを気取っているが、情事の後のほぐれた笑顔がとても素敵なのだ。こんな顔のままにさせられない。
直刃は怒りを覚えた。どこにも行き場のない怒りを。
「……アタシはある死神を追ってたんだ。痕跡を辿り、奴が今何をしてるのかを突き止めるつもりだった」
「今更だけど、死神って、結構いっぱいいるんだね?」
「そうだ。そしてその中には紫羽や氷室みたいに従順な奴や、アタシみたいに王に対して恨みや怒りを持つ奴らもいる」
口振りからして、まだ何人かはぐれがいるのだと推測できた。そしてその多くが、直刃にとって危険な人物だろうと。
「大抵の奴はもうくたばってるかもしれねえ。時期が時期だ、それもあり得る。でもな、王殺しと名高いあの死神だけは今も生きてる」
「王殺し……物騒な名前だね……」
「全くだ。そんでアタシは、後々お前の障害になるだろうと踏んで、独断でお前の護衛を離れた。いつか危険になるだろうというあやふやな予測だけで、今のお前を危険に晒した。本当に、どう謝っても――」
謝罪の言葉を口にしそうだったので、慌てて彼女の口を塞いだ。もちろん唇で――と言いたいところだが、彼女の方が身長が高い。背伸びをすれば届きそうではあるが、今になってまだ嘔吐してからあまり時間が経ってないことに気がつく。
こんなゲロ臭い口でキスされたくないだろう。泣く泣く直刃は両手で彼女の口を押さえた。
「ふぁにふんあよ……?」
「えっと……謝らなくていいよ。アリアはアリアで、僕のためを思って動いてくれてたって事でしょ? じゃあそんなに深刻に取る事なんてないよ──それに、初代死神が言ってたことも、あながち全部真実ってわけじゃないって分かっただけでも、僕は嬉しい」
直刃はその手を彼女の腰に持っていくと、そのくびれに添えるようにして抱きしめた。
「そもそも、僕自身今回何が起こったのかよく分かってないんだよね。だから皆血相変えて謝ってくるけどなんのこっちゃって感じ。むしろそんな風に深刻そうな顔される方がストレスだよ」
「いや、結構深刻な話なんだが……」
「僕達には似合わないよ。こうしてた方が僕達らしいでしょ?」
直刃はそういうと、いつの間にやら両手をアリアのホットパンツに移動させていて、がっしりと桃尻を揉んでいた。
「あんっ……♡」
甘い声を上げ、しまったとばかりに口を抑えるアリア。直刃は止まらず目の前のおっぱいに顔を埋めた。
「一人で抱え込まないで、皆で考えていこうよ」
「……そう、だな」
アリアは神妙な面持ちで頷いた。
それから直刃に顔を寄せる。
「スグハ、キスしても……」
「あ、それは駄目。今ちょっと口の中が引くぐらい汚いから」
「アタシがそんなの気にすると思ってんのか?」
「あっ、ちょっ、だ、だめだってんむぅ……!!!!」