厳つい肩幅に似合わない黒スーツ姿で、彼は学校からやや離れた高級マンションの目の前に立ち尽くしている。
「……」
この高さで見上げると、最上階なんてとても見えない高度にあった。
刈り上げたツンツン頭から、大粒の汗が垂れる。残暑の抜けない九月半ば、気温の影響とも思ったが、どう考えても冷や汗だった。
体型に見合う代謝の良さを誇っている護璃男ではあるが、人によっては丁度いい部類に入る温度で、運動していないにもかかわらず汗を掻く程ではなかった。
教師になってはや二十年、数えきれぬほどの教え子達を社会へと見送って来た。そして、その際には必ずと言っていいほど教え子の両親ともコミュニケーションをとり、二人三脚で護璃男は教師人生をひた走って来た。
今時珍しいアナログ教師、今の子供達には煙たがられる存在でありながら何故か校内からの信頼はとても厚い。
そんな漢であり、家庭訪問だって言ってしまえば数百はくだらないほど訪問してきた。
慣れているつもりであった。
「……」
今日は違った。
護璃男は教師人生の中でも、一二を争う緊張感で今ここに居た。
柊直刃。彼の現状を確認するため、護璃男は彼の家に赴いたのであった。
二学期が始まって二週間近くが経った。
直刃は初日から学校を休んだ。
護璃男はその時から直感で悟っていた。
──ああ、何かあったな、と。
直刃といえば護璃男は教頭や校長から注意して見てあげてくれと言われた生徒である。
父親の失踪、母親の他界。身寄りもなく、中学生の頃から一人暮らしを続けているのが、柊直刃という男の子だと。
この手の子は、拗れやすい。流石にベテランと呼んでも良い域にあった護璃男は、それを理解していた。
護璃男が今まで面倒を見た生徒の中には、流石に両親を亡くした子はいなかった。
けれど、片親──つまりシングルマザーや、シングルファザーという家庭は少なからず存在していた。
そういう子は、拗れやすい。
もはや微かな記憶だが、護璃男が大学で学んでいた時、心理学か哲学でこう習った。
母親は愛情を満たしてくれる存在。
父親は敵として身を守る術を学ぶ存在。
教授の持論だったのか、はたまた何世紀にも渡って調べられていたものだったのかは分からない。
護璃男自身、その当時は母親の方は納得しても父親の方は納得出来なかった。
何となく、それが理解出来たのは、教師になって五年ぐらい経った頃だっただろうか。
そのくらいから、まず両親揃った家庭の子と、そうではない子の区別が、一目見た瞬間に着くようになった。
特にシングルファザーの家庭の子は、一目瞭然だった。
他者への威圧度合いが違う。
古い言い方をすれば、彼ら、もしくは彼女達は、舐められたら終わりだと、本気でそう思っている節がある。
早くから母親の愛情を受け取れなくなった子ほど、それは顕著に表れる。
愛情はバランスだ。
シングルファザーの家庭だって、特に問題なく子供が成長している家庭もある。そういう家庭の父親は、護璃男に対して多く寄りかかってくる。いや、寄りかかり方を知っているのだ。
周りに頼るべきだ。護璃男自身、高校教師になってから何度も家族に伝えた。
もっと頼ってくれと。このままではお子さんの未来が危ういと。
父親は愛情を与える存在ではない、と護璃男は考えている。勿論我が子を可愛がる事は当然だが、父親は世の厳しさを教える存在だと、そう思っている。
それは向き不向きなどと言う問題ではない、男性という存在が、遺伝子レベルでそうなっているのだ。
母親が愛情を与え、その母親からの愛情を害するのが父親。外の世界にはそういう害する存在がいっぱいいるぞと、最初に無垢な子供に教えて、身を守る術を教えてくれるのが、父親なのだ。
だから、ここで違いが生まれる。シングルマザーの家庭も勿論問題は多くある。が、母親から子への愛情という一点で言えば、充足させる事は可能なのだ。そして、それを害する存在──敵は、学校生活が始まれば自ずと自衛手段を持つものである。
その逆、愛情を与えてくれる存在がいない場合。これが問題なのである。母親の愛を父親が与えるのはあまりに難しい。
「……よし、行くか」
直刃は、その両方を無くしている。
バランスが悪いとか、良いとかではなかった。そのバランスを調べようにも、秤に乗せる愛情が両方とも無いのだ。
そういう子がどうなるのか。護璃男はまだ、分からなかった。
長い教師生活から、ロクでも無い事になるのだけは理解していた。
柊直刃は実際のところ、入学したての頃は寧ろ普通の子供だった。
状況が一変したのは、学校が始まって少し経ってからだった。
直刃に、保護者が出来た。
そこが分岐点だった。
直刃にとって、それが幸だったのか、不幸だったのか。
「……?」
エントランスホールには、大理石で作られたようなツルツルの床と、色味を抑えた紺色の柱がそびえ立っていた。
ここだけでもかなり広く、開こうと思えばちょっとした体操教室くらい出来そうだ。
護璃男が首を傾げたのは、そこでは無い。
「お前ら、どうして……」
護璃男の目の前には、二人の生徒が居た。
明るく元気。天真爛漫を絵に描いたような少女、笹谷このみ。
お調子者でオタクを公言しているにもかかわらずクラスのムードメーカー、増田友華。
直刃の親友達である。
「流石にこんな長期間連絡取れないと心配なんだよね」
「夏休み中は社長さんの別荘に行ってたらしいけど、夏休み終わっても連絡が取れないのは妙な感じがしたんですよね……コポォ」
「おデブ、今キャラ付け意識しなくていいから」
「サーセン……」
友華が今言った通り、直刃は保護者たる空城氷室に連れられて、国外にバカンスに行っている、ということになっている。
家庭内の事までは護璃男は迂闊に口を挟むことはできない。氷室なりに、長期休みを利用して直刃との仲を進展させようと考えたのだろうと、夏休み当初の護璃男は喜んでいた。優しそうな人じゃないかと。
が、二学期が始まっても、直刃との連絡がつかない。
一気にきな臭くなった。
そもそも、目的が分からなかった。何故直刃を養子にしたのか。
金ではない。氷室の現状からしてそれはありえないし、そもそも直刃に誰かが欲するような貯蓄があるはずもなかった。
つまり、護璃男にも思いつかないような何かを求めて、氷室は彼を狙ったのだろうと結論づけた。
そして、ついに猫被りを止めたなと、護璃男はそう判断した。
直刃を一体なんだと思っているんだ。娯楽の延長で子供一人の人生を、氷室は壊そうとしているかもしれない。
何も現状を理解してはいない護璃男だが、これ以上氷室の元にあの子を置いて置くことが最悪なのは理解していた。
よって、今日ここにいる。直刃の様子によっては、出るところに出るつもりでもあった。
「直刃は、私らにとっても大事な奴なんで。先生にだけ任せておけないんですわ」
「気持ちは分かるが、笹谷、お前が押しかけても状況は良くならないと思うぞ」
「じゃあどうしろってんですか!」
今にも飛びかかってきそうに犬歯をむき出しにする少女。後ろにいる友華も同じようで、珍しく顔を真顔にさせていた。
護璃男はたじろいだ。二人の真剣そのものの雰囲気に飲まれかけた。
けれど、ここで許してはいけない。護璃男は教師なのだ。彼らもまた、守るべき存在なのだ。
「……二人共、今日は、俺に任せてくれないか。お前達が柊を心配に思う気持ちは重々理解しているつもりだ。その上で……その上で、大人に任せて欲しい」
「大人なんて、信用できません」
「……」
奥歯を噛み締めた。頭に血が上った。
その通りだと思う。彼らの大切な友人は、紛れもなく大人によって人生を狂わされかけている。直刃がこのまま学校に来なくなるかもしれないと考えると、あまりに酷い話だ。
身寄りのない子に、居場所を与えるフリをして、彼女──氷室は何か自身の欲望を満たそうとしている。
護璃男はそれを防がねばならない。この二人のためにも、何としても直刃を守らねばならない。
気がつくと、膝をついていた。
「っ……」
二人の息を飲む音が聞こえた。
護璃男は彼女達を一瞥すると、床に両手をついた。
「頼む……大人を、全ての大人を信じろなんて言わない……でも、今だけ、俺を……先生を、信じてくれ……頼む……」
護璃男は額を冷たい床に押し付けた。
頭はカッと燃え盛っていた。
二人のためにも、直刃を必ず取り戻す。両親を失い、もうこれ以上ないってくらい不幸な目にあってきた彼に、これ以上の不幸は要らない。
護璃男は、目から涙を流しながら、二人の少年少女に誓った。
「先生が……必ず直刃を連れ帰ってくるから……!」
ーーーーーーー
護璃男はエレベーターから降りて、直刃の住む部屋の目の前に立った。
ここから先はどうなるか、分からない。そもそも保護者の元に教師が押しかけるという選択肢自体、間違っているのかもしれない。
けれど、護璃男はこの現状を見逃せるような器用な男では無かった。最悪、教員免許を剥奪されようとも、己の思いに従うつもりである。
「……」
生唾を飲み込み、インターホンに手をかけようとする。
「ようこそ」
見計らったように、ドアが開いた。
虚を突かれたように硬直した護璃男の目の前に、女神が仁王立ちしていた。
黒色と白色の絢爛な着物を着た、妙齢の女性。背丈の方は女性としては極めて一般的な方だ。
雰囲気から感じるのは妖艶。何十、何百と年を重ねた落ち着き。けれど彼女の顔はまるで十代のような若さをし、また顔立ちも若々しい美貌である。
わずかに朱が入った艶やかな唇が裂け、耳に入るだけで籠絡されるような甘い声音が響く。
「待っておりましたぞ、先生」
護璃男は頭が真っ白になっていた。
目の前の、白髪の彼女は誰だ。
空城氷室は、どこに行った。
「……お、お邪魔します」
辛うじて絞り出した言葉に、美女はクスリと笑みを浮かべた。
見るもの全てを虜にするような、甘い、甘い笑みを。
「さ、中へ……」
誘われるがまま、リビングへと入る。
中にはテレビで見慣れたスーツ姿の氷室と、元気そうな直刃の姿があった。
ひとまず、直刃が無事でホッとした護璃男であったが、そうなると隣に居る彼女は誰なのかと疑問に思ってしまう。
「先生」
「お、おう……」
直刃の言葉で、拘束が解かれたようにソファに向かう護璃男。対面に立つ直刃が腰掛け、その隣に名前の知らぬ美女が座った。
氷のような美女の氷室は、召使いのように直刃の側に立って控えていた。
「……は?」
何故氷室ではなく、あなたが直刃の横に?
状況の飲み込めぬ護璃男に、美女が目を細めた。銀色に輝く瞳は、光線でも放ちそうな輝きを宿している。
不思議な女性だ。顔立ちは日本人でありながら、その容姿は日本人離れしていた。妖精と言った方が的確かもしれない。
怪しい、人を惑わす、妖精だ。
「座ってください」
氷室に言われるがままソファに腰を落とす。すると何処から現れたのかメイド姿のこれまた美女が、音も立てずにテーブルにティーカップを置いた。
突如湧いたメイドにこれまた驚きを隠せない護璃男。
まるで異世界に飛ばされたような浮遊感を感じながら、護璃男は本題を切り出せずにいた。
「先生、本日はどういった要件なのじゃ?」
「……ひ、柊くんについてですが」
声が裏返った。護璃男はどんな女性相手でも物怖じしないと思っていたが、女神と形容してもおかしくない三人に見つめられては気がおかしくなりそうだった。
護璃男は歯を食いしばった。
違う。こんなんじゃダメだ。下で待ってる二人になんて言うつもりだ。
「その前に、あなたは……?」
「ああ、申し遅れたの……わしはこの坊主の遠い親戚での。
「遠い……親戚ですか……?」
護璃男の脳内センサーが警笛を上げた。直刃の母親が死んでもうだいぶ経つ。このタイミングで親戚が接触してきた意味はなんだ。
そもそも、本当に親戚なのかも怪しいところだ。
「失礼ですが、一体なぜここに?」
危険だ。この女性は危険だ。
直感で護璃男はそう判断した。
「直刃とはつい一週間ほど前から仲良くさせてもらっていてな……わしが引き取る事にしたんじゃ」
「引き取る……ですか?」
「そうじゃ……要するに保護者って奴かの。氷室が母親になるより、血の繋がりがあるわしの方が自然じゃろ?」
「ふざけるなっ!」
護璃男が勢いよく立ち上がった。なんだこの茶番は。
そんな事がある訳がない。そんな今さっき作ったような設定がまかり通る訳がないだろう。
あまりの現実味のない説明に、護璃男は噴火寸前だった。
銀と名乗った女性は、冷めた目で護璃男を見つめていた。
彼女は、「ま、こうなるかの」と懐からキセルを取り出し、それを吸い込んだ。
今にも殴りかかりそうな護璃男に、銀は桃色の煙をふぅーっと吐きかけた。
「……!」
ガクンと膝から力が抜けた。
慌てて口を手で塞ぐが、その間にも煙は肺の中に侵入してくる。
一瞬で、頭にモヤが掛かったように何も考えられなくなった。睡魔が襲ってきて、しかし不思議と寝ようと思って目をつむっても寝れない。
深くソファに座り込んだ護璃男の瞳は、シャッターが閉じたように生命の輝きを無くしていた。
「先生、心配せんでも直刃は学校に通わせる。今回は色狂いのバカ共が盛り過ぎただけでの、ついうっかり忘れてしまっていたようじゃ」
銀はギラリと氷室を睨む。
今にも胸元のスーツがはち切れそうな氷室は、それを受けて萎縮したように縮こまった。
「……」
護璃男は何も言わなかった。
自分の意識を確実に持っていながら、思考力とも呼べるものが何処かに飛んでいってしまっていた。
「うーむ、これだと後々面倒になりそうじゃな……そうさの、直刃はわしの子になった。ここ数日はその手続きで学校に行けなかったと……こんなもんかの」
「……」
目の前の女性は、何か話していた。
不思議な感覚だった。声が聞こえる、相手が喋っているのが見える。それが日本語だという事も理解出来ているのにもかかわらず、意味だけが理解出来なかった。
機械で再翻訳されたような奇怪な文章に変換されて、脳内に詰め込まれていく。
「何も問題はない。そうじゃな?」
「……何も、問題はない」
気がつくと、護璃男はそう思っていた。
直刃の家庭には、何の問題もない。
直刃の家庭には、何の問題もない。
直刃は今、幸せだ。
「よし、ではお帰り願おう」
「……はい、お邪魔致しました」
護璃男は千鳥足で部屋から出た。
逆らう気など到底起きなかった。
そもそも何に逆らうというのだろう。護璃男は自身が自分の意思で動いていると尚も思っていた。
エレベーターに乗り込み、長い時間をかけて一階に降りる。
チンと鳴ってエントランスに降りると、二人の生徒が駆け寄ってきた。
心配そうな彼女達に護璃男は笑顔でこう答えた。
「直刃は元気そうだったぞ、来週にでも学校に来るそうだ!」
絶滅危惧種の熱血教師ですら、死神の隠蔽能力には手も足も出なかったと。そういう結果になった。
ーーーーーーー
「全く……このような雑事にわしを呼びつけるとは……」
「あはは、ごめんね……」
直刃は鼻の頭を掻きながら謝罪した。今回の件に関しては、夏休みが明けた事にも気がつかずにセックス三昧だった自分達の落ち度である。
彼女はそれの尻拭いをさせられたのだ、怒るのも無理はない。
「氷室達には後で灸を据えるとしてだ……直刃、お主もわしの事を舐めすぎじゃぞ?」
「うん、反省してま──」
言葉の途中で顎を持ち上げられる。白魚のような指が、クイと直刃の顔の向きを変えた。
銀が飛び散ったような絢爛な装飾の和服。直刃はその和服の胸元に吸い込まれるように目線を送っていた訳だが、強制的に目を細めた美貌と対面する形になった。
「何処を、見ていた?♡」
「うっ……」
彼女は和服に収まりきらない乳房を惜しげもなく晒していた。上乳が帯に締め付けられるように飛び出ていて、直刃はすっかり魅力されていた。
「だ、だって、シロのおっぱい、すごくて……」
しどろもどろになったのは、眼前に迫る美姫の人外なる美々しさ故だった。
彼女は仕返しとばかりに、艶やかな唇から舌を覗かせると、直刃の頬をひと舐めした。
ふっと、良い匂いのする鼻息が顔にかかる。
「乳だけかの? わしのこの姿を見て、他に言うことはないのかのう?♡」
「うぅ、や、やめてよシロ……」
接近してくる彼女に及び腰で下がり続ける直刃。押せ押せで身体を押し付けてくる美女に対抗できず、ソファに押し倒されてしまう。
着物越しに、たっぷりと実った乳肉が押し付けられた。
「くく、幼女形態よりも反応が愛いらしいのう……どうじゃ、このまま……♡」
「おいこらババア」
突然、ぶん、とバットでも振り抜いたような風鳴りの音が耳元に届いた。
目の前でしっかりとその蹴りを受け止めた彼女は、勢いのまま天井に跳ね上がると、白い光に包まれて──
「なんじゃ、空気の読めん死神じゃのう」
幾分か姿形が小さくなってリビングの入り口に着地した。
「にゃーお」
肩に黒猫を乗せた彼女は間違いなく初代死神。つまりシロだった。
彼女は白い和装をはためかせると、リビングにいる全員に目を向けた。
氷室、朱雀、紫羽、雷歌、アリア。五人が幼女に白い目を向けていた。
責めるような視線に耐えきれなかった死神が吠えた。
「な、なんじゃお主ら! ちぃとばかしいちゃいちゃさせんか!! わしだって直刃とは一週間ぶりなんだぞ!! ずるいずるい、わしも小僧とえっちしたいぞ!!!!」
「キャラ崩壊が凄まじいですわ、初代死神……」
額を抑える氷室に、隣に立つ朱雀がうんうんと同意した。
「わざわざ変化してまで学校の先生とやらと話したのに褒美もなしか!! ええい、タダ働きは御免じゃ! ちんぽ寄越せ!!!」
シロは泣きそうになりながら、ソファに寝転ぶ直刃に飛びかかった。
当然のようにアリアがそれを迎撃する。
「ぐほぉっ……!」
「元はと言えば、ババアが直刃にちょっかい出したのが元凶だ、これくらいつべこべ言わずにやれ」
アリアもまたうんざりした様子だった。ちょっぴり抱いてあげたいなと思っていた直刃は、それで少し悲しくなった。シロと交わりたかったのは、直刃もであった。
逆さまに頭から床の上に着陸したシロは、ブツブツと文句を呟きながら立ち上がった。
「……まぁよい。わしからも直刃にはちと用向きがあっての」
「用……?」
チリリと首の後ろの辺りが総毛立った。空気が冷たくなったようだった。
彼女の雰囲気がつい何秒か前までと別物になったのは明白である。それが直刃には危険信号として伝わった。
直刃がソファに座りなおすと、シロも対面へと腰掛けた。空気を読んだアリアは、直刃の背後へと位置を変え、ガラスに背を預けた。
「さて、何処から話すとするかの」
シロは人を食ったような笑みで、直刃を正視した。おちゃらけた雰囲気にもかかわらず、何処か圧迫感を感じる笑みを。
ぐんと胃の真ん中辺りが重くなった。呼吸がとても難しい事のように感じて、思わず顔を顰める。
「初代様、あまり直刃様に意地悪しないでくださいね」
その時、ぱちぱちとリビングの上から空気が弾ける音がした。
見れば雷歌は寝室に繋がる階段の上から、髪を発光させて初代死神を睨みつけていた。
「その様子ならば、死神としての機能を十全に果たせるか。よかろう、お前を殺すのはやめてやろう」
初代死神らしい物言いでシロは頷いた。
「コイツ……」
「そ、それで、用事って……?」
雷歌の表情が殺意でえらいことになっていたので、慌てて口を開く。
まさか今のが彼女の言う用事ではない事は直刃にも分かっていた。
シロはもう一度頷くと、「悪魔について何処まで知っている?」と問うてきた。
改めて聞かれると自身の知識の中には、配下達が日々戦っている敵の情報がまるで無い。
「人間を、食べる……?」
辛うじて返した返答は、けれど自分自身でもシロの質問の真意には届いていないと理解していた。
自信なさげな直刃の表情に、死神の長たるシロは硬い顔で口を開いた。
「間違いではないが、少し不正確じゃ。より正確に言うならば、人の魂を喰らう人ならざるモノである」
「魂を喰らう……」
「奴らは魂を喰らう事で、再び人間に戻ろうとしているのだ」
「ふーん……?」
直刃にはその言葉はよく分からなかった。人間に戻るとは一体どんな意味があるのか。悪魔について謎はむしろ深まった。
「本題はここからじゃ。その悪魔共は半世紀に一度の頻度で、大転移を行う」
「それがどうしたの?」
「つまりは、狭間の世界──リンボが破裂する事を意味している」
「……?」
ポンポンと専門用語を出されても直刃には難しい話だった。
後で紫羽にでも尋ねてみようと考えながら、一先ず話の続きを促す。
「今、その前兆として悪魔達の強さは日毎に増しておる。リンボ内の共喰らいでは効率が悪い事に気がついたのじゃ……或いは、自分が最低限のレベルに到達したと気がついたか」
「……うん、そうなんだ」
もはや適当に相槌を打っているだけの直刃だが、次の瞬間身を凍らせる事となる。
「直刃、そう遠くない内に悪魔が大量発生する。恐らくお主にも戦ってもらう必要があるかもしれん」
「ふーん、そうなん……え、僕が?」
「そうじゃ、お前にも前線に出てもらう」
正気かと我が耳を疑い、口をあんぐりと開く。
目の前の幼女もまた、甚だ不本意だと表情に浮かべていた。