「……わかんないよ、ネクロ……何が望みなの?」
思わずそう尋ねてしまう。
アリアのようなはぐれと同じで、ただ今までの死神の王が嫌で、この世のシステムとして、死神として使われるのが嫌で、世界を壊そうとしている。
そう思っていた。
けれど今の彼女を見ていると。
相棒と呼べるナナですら、ああして殺してしまう彼女を見ると。
「何を恐れているの……?」
まるで自ら逃げ道を壊して回っているような、自己破壊に似た印象を覚える。言うなれば、ヤケクソに近い。
直刃は少しだけそこにネクロという死神の人間味を垣間見た気がした。
その不可解な思考の先に、彼女が居るのでは、と。何の根拠もなく、直感なそう思った。
「──」
ネクロは一瞬表情を消したが、すぐに元の邪悪な笑みを取り戻す。惚れ惚れするような美女の笑みに、直刃は呼吸を忘れた。
「何も──恐れてないわよ。ただ、いい加減飽き飽きしてる世界を壊そうとしているだけ」
当たり前だが、彼女は心を開いてくれない。
今までもこれからも、直刃がただの死神の王である以上、彼女が打ち解けてくれることはないのだろう。
身体が氷のように冷たく、固い。
怖くて、怖くて、今すぐ何もかも捨てて逃げ出したかった。
だが、逃げた先に望むものがないと、直刃はもう知っていた。
氷室も、朱雀も。紫羽も雷歌も、そしてアリアも。
みんなが自分の手のひらからこぼれ落ちると、はっきり分かっているから。
分かっているから──諦めたりはしない。
この状況においても、はっきりその思いは直刃の胸の内にあった。
「っ……!!」
「あら、そう……一応言っとくけど、折れちゃった方が楽なのよ?」
故に、自分の出来ることをする。
彼女が何を望み、何を成そうとしているのか。その全てを、直刃は自らの目的のために暴こうとしていた。
「氷室さん、朱雀さん、紫羽さん……雷歌、アリア……! 僕頑張るからっ、みんなも頑張って!!」
愛する人達の返答もないまま、直刃は全力で駆け出した。それが王としての役目だと信じて。
死神に対して、ただの人間がどれ程の事を出来るというのか。
一切何も出来ず朽ち果てるだけかもしれない。
だが、それでも。
一分でも一秒でも長く時間を稼ぎ、自らの命を秤に乗せても尚、目的を成すために。
彼女の情報を得る。
「ま、私が殺そうと思えばそれで終わりなんだけど……ちょっとだけ坊やの情けないところが見たいから、しばらく遊んであげる」
「はぁ……はぁ……!」
「来世になったらナナに教えないと……貴方が惚れた王様は、こんなにも惨めで情けない死に方をしたのよ、って……ま、来世はないけれど」
ネクロはそう言うと、気障ったらしく指を鳴らした。
辺りにパチンと小気味の良い音が鳴り響く。
直刃に備わった人間の本能が、恐怖と危険がすぐそばまで迫っていることを知らせる。恐怖から足が萎えて転びそうだった。
『ぐ、か、かかかかかか……!!!」
『てけりりり、け、りり、りりりり……!!」
空中に漆黒の穴が広がり、その中から人外のフォルムが出現する。
五メートル近い黒衣の骸骨と、脳が剥き出しになったピンク色のカマキリのような人型。
おぞましい生物だった。
骸骨は直刃の姿を視認すると、大気を焦がす熱を発して、頭部が赤黒い炎に包まれた。
一方の関節が幾重にも増えたピンク色のカマキリは、ヴヴヴ、と背中から生やした羽で耳障りな羽音を立てると、直刃に急接近してくる。
──まさか、悪魔……?
「ぎゃっ……ぁぁぁっ……!!」
恐怖している暇もなく、走る背中におぞましい鎌が食い込む。焼けるような熱さに悶絶しながら、それでもなんとか距離を取ろうと走り続ける。
胴体を真っ二つにされなくて良かった。
『ぐ、かかかかかかかかっ……!!』
ほっとする暇もなく、目の前に炎を纏った骸骨が降ってくる。
凄まじい巨体の質量に、世界が振動した。軽い直刃の身体が浮き上がる。
『すぅ──ぼぁぁぁぁぁぁぁっ……!!』
骸骨は吸い込むような動作をすると、アスファルトも余裕で溶かすような温度の火の海を吐き出してくる。
「うわぁぁぁぁぁっ!!?」
右手の指先を炙られながら、なんとかコンテナの後ろに逃げる直刃。しかしすぐにこのコンテナも溶け出すのは容易に想像がついた。
だから、走り続ける。
『て、けりり、りりりっ……』
『ぐ、かぁぁぁぁぁっ……!』
巨人達の手を、鎌を、炎を、小さな体躯を活かしてなんとか逃げ続ける。
幾つかは実際に当たり、小さな傷を積み重ねていく。
小回りを効かせ、何度も角を曲がりながら、ひたすら突き進む。
『ぐがぁぁぁぁぁっ……!!』
耳元で風がぶおんと唸る。
何が、どんな死が迫っていたのかなど知りたくもない。
避けれた、或いは避けれているだろうと根拠もない自信を持ち、ただ疾走する。
喉をカラカラにしながら、直刃は逃げ続けた。
「はぁっ、はぁっ……!」
ドラマの舞台のようなコンテナ群の中を疾走する。二つの人外は図体がデカく、小柄な直刃が逃げ切るには入り組んで狭い逃走経路このコンテナ群が最適──だった。
『てけりっ、リリッ……!!』
「えっ……」
轟音。
嵐のような風圧。
思わず自分の目を疑う。
「そんな……!」
しびれを切らした奴らが、五メートル近い巨体に備わった長大な腕を振るう。
それだけで、直刃の命綱とも言えるコンテナ群は一瞬で吹き飛んだ。映画のようにごろごろと転がっては壁に激突し、ひしゃげる。
直刃は、身を隠す場所を失った。
しかしショックを受けている場合ではなかった。
『ぐ、か、か、か、か……ぁ……!!』
空気の焦げる匂いがした。
「ぐっ……!!」
背後に燃える気配を察した直刃は、脇目も振らず全力で駆け出す。
『ぼぁぁぁぁっ……!!!』
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ……!!!」
恐怖と興奮と、怒りと悲しみと。
およそ胸の内にある全ての感情をないまぜにした叫びをぶちまけながら、迫り来る炎の壁から逃げる。
「……ぁ……ぁぁぁっ……ぁぁぁぁぁっ……!!」
ちりりと後ろ髪が焦げる。
それが、自分でも驚くほどゆっくりと感じ取れた。
肉の焼けるような感覚が、背面に広がる。
「──あ」
次の瞬間、視界が真っ赤に染まった。
煉獄の炎が、全てを覆い尽くした。
ーーーーーーー
母が生き返ることはないと、シロに断言された。
秘密裏に逢瀬を重ねていたナナからも言われたし、何より直刃自身がそんな奇跡は都合が良すぎると理解していた。
それでも、目の前で抜け殻のように立っている母の姿を見ただけで。
もしかしたら、生き返るのではないか。
尋常ならざる力を持っている死神達なら或いは、本当に生き返らせる事が出来るのではないか。
そう思わずにはいられなかった。
そんな直刃を見て、ネクロは笑いながら博美の身体を殺した。
元々死んでいるし、あの身体がなんなのかはまるでわからない。
それでも、母の死が冒涜されたのは理解できた。
ネクロは、一体何がしたいんだろう。
直刃はずっとそれを考えていた。
直刃を始末するタイミングなんて幾らでもあった。
それをしないと言うことは、何かしらの狙いがあるはず。
だが、結局、こうして悪魔に殺されるなら。
ネクロがやりたかった事ってなんなんだろう。
直刃は抜け落ちた意識の中で、そんなことを思った。
ーーーーーーー
「……くんっ!」
「──」
「──直刃くんっ!」
ぐわんぐわん揺れる脳が少しずつ落ち着きを取り戻す。
同時に自分の名を呼ばれていると気が付き、鈍い動きでそばに居る誰かを見上げる。
優しく輝く、温かい光が身体を包み込む。
森林の静けさに包まれるような、力強く、形容し難いオーラ。それが体中に優しく触れた。
剥き出しの心を抱きしめられるような安堵感。
直刃は知らずと涙を溢す。
「ごめんね、遅くなって。もう大丈夫だから」
「ナナ、さん……」
直刃を庇うようにして立っていたのは、長い髪を緑翠に発光させたナナだった。
先ほど消し飛んだ彼女の頭部は冗談みたいにすっかり元通りになっている。
まるで、あんな死なんてなかったみたいに。現実が呆れ返るほど、事象が反転しきっていた。
これが、死神。
常識の埒外に存在する、人外の者達。
──どうやら、今回は上手くいったようだった。
『ぐか、がががが……かか……』
『て、け、り、りりり……』
遅れて、どちゃっと肉が潰れる音がして、団子のようにまんまるに『整形』された二体の悪魔が空から降ってきた。骨格も何もかも無視して、ただ力技で丸く形を整えたような、不思議な状態。
その姿に、もはや先程のような恐怖は感じない。
ふわりと浮かんで飛んできたネクロが、目を細める。
「まだレイズ出来るほど魔力が残っていたとは思えないわね……どういうカラクリ?」
「さぁーて、なんででしょう?」
挑発的なナナの態度。
ネクロはそれ見て暫く顎に手を当てて考えた素振りを見せた後、盛大に顔を顰めた。
「……ああ、クソ。坊やの魂の記憶を覗く時ね? なるほど、これに備えていたの」
「ま、その後にも何発か貰ってるけどね♡」
「全く……久しく腹芸なんてしてないのに、どうして第一世代ってのは揃いも揃って性格が悪いのかしらね」
「貴方がその分ピュアに作られてるでしょ?」
「言ってなさいよ。すぐに潰す」
側から聞いているだけでは、それは軽口の応酬。
しかし、直刃の目には、紛れもなくこれから始まる戦闘の予兆だった。
お互いの美しい髪が、淡く、或いはドロリと、光を帯びる。
瞬間、両者の間で大きな衝突音がなった。
「死ね」
「お断り……!」
淡い緑の混ざった閃光と、粘度の高い紫色の光線が、激しくぶつかり合い、大気を細切れに切り刻んでいく。
それはまるで綱引きにも似た、それとは正反対の押し合い。どちらかが堪えきれなくなってすり潰されるまで続く、死神達の力比べ。生じる風圧は決して自然の現象ではあり得ないほど力強く、直刃は吹き飛ばされないように必死だった。
「──死沼」
「──っ、飛ぶよ、直刃くんっ!」
「へ……うわっ!?」
埒が開かないとネクロが指先を下に向けた。ぞわりとした気配が足元に広がった。
直刃は腕を引っ張られたと思った瞬間、景色がビュンと飛び去る。
内臓がひっくり返るような加速度を受けながら、足場のないはるか上空に放り出された。
「──!」
天地がひっくり返った中、先ほどまで立っていた場所には漆黒のマグマが出現していた。
何もかも溶かし尽くすような得体の知れない泥が、付近に散らばるコンテナ群と悪魔達をドロドロに溶かして、グロテスクに呑み込んでいく。何かが蒸発するような音がして、焼け焦げるような煙がそこかしこから立ち上る。
アレは、ダメだ。
アレに触ったら、間違いなく死に絶える。
素人にも分かる危険度だった。
一体何メートルあるのだろうか。どこまでも続き、港全体を飲み込むような、真っ黒な殺人沼。
ひゅっ、と喉から空気が漏れる。あそこに居たら、今頃自分もあのコンテナ達のようにドロドロに解けていたのだろうか。
「直刃くん、ちょっとごめんね!」
ナナはそう言うと、髪を光らせた。ばちばちと、魔術をかけられているような感覚が全身を襲う。
瞬く間に、直刃の身体が淡く光出した。
不思議な感覚だ。空中に足場があるかのように、体勢が安定する。
「なにこ──」
尋ねている暇はなかった。
「ぐっ、かぁ……!!?」
「はいはい。それじゃあ何回レイズ出来るか見てあげるわ。さっさと死になさい」
いつの間にか、地上からざっと十メートル以上はあるこの距離を詰めてきたネクロが、拳を振り抜いていた。
とても人の身体とは思えないほどあっさりと、その拳はナナの鳩尾を貫通し、背中に突き出る。
ネクロのその手の中には、人外の握力で引きちぎったであろう脊髄があった。
「ぐ、ぼぉぇ……このっ……!」
ナナの右手が一層激しく翡翠色に輝くと、拳大の球体が出現した。魔力が共振する不思議な震動音を撒き散らして、その拳をネクロに殴りつける。
「だーめ♡」
「ば、ぁ、がっ──!!!!?」
拳が触れるまさにその瞬間、ナナの上半身が、墨汁のような液体へと変化して弾けた。
「なな……さん……?」
比喩ではなく、埒外な法則を用いてナナの身体が半分なくなっていた。直前までその空間にあったシルエットが、今はあっさり消え去る。
残ったのはナナの下半身だけ。それも断面から血と黒い何かの液体を垂れ流しながら力なく地面へと落下していく。
「じゃあ、死んでね」
「いっ……た……ぁ……??」
彼女の死を驚く暇もなく、気がつくと直刃の脇腹に彼女の手刀がめり込んでいた。
体内に感じる、どうしようもない異物感。吐き気と脂汗が止まらなくなる。
暑くて寒くて、痛くて苦しい。
痛い痛い痛い痛い苦しい苦しい痛い痛い痛い。
猛烈な痛みに顔を歪めながら、ネクロの顔を見上げる。それが今の直刃に出来る最後の抵抗だった。
そして直刃は、目を見開いた。
「な……んで……?」
彼女は泣いていた。
直刃は困惑した。
喜びも、怒りも、彼女からは何も感じない。
彼女はただ、静かに泣いていた。何もかも終わったような表情で、直刃を見つめていた。
否、直刃を通して、何かを見ていた。
「──ようやく……ようやく会えます、初代様」
そうか、ネクロ、君は──
薄れゆく意識の中、直刃はぼんやりとネクロの願いを悟った。