深夜零時過ぎ。
港近くの倉庫で、異型のモノのけたたましい咆哮が響き渡った。
『くたばれェェェェェェェェェェッ!!!!』
三メートルはゆうに越える緑の巨人が、丸太のように太い腕を振るって、紅いスーツに身を包んだ女性──朱雀に殴りかかる。
巨体ゆえに発生する風圧。当たれば即座に人の身が弾けそうな威力がそこに備わっていた。
「──っ」
朱雀は眉一つ動かさず、冷静に身を反らす。
豪腕は朱雀の体にかすりもせず、地面のコンクリートに激突した。巨拳に圧され、コンクリートの破片が飛び散る。
朱雀は己に当たる破片だけを瞬間的に焼却し、巨人の隙だらけの顔面に火炎を纏った拳をめり込ませた。
『ぉがぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!?』
巨人の耳障りな絶叫。朱雀は続けて炎撃を叩き込む。魔力を使った巧みな拳法に、相手は大きな図体を情けなく後退させるしかない。
肉の焼ける音が絶え間なく響き、辺りに黒い血液が付着する。巨人はあっという間に壁際まで押し込まれた。
『ガァァァァァァァァ!!!!!』
巨人は朱雀に拳を当てる事を諦め、その場でブンブンと腕を振り回した。巨体の多大な質量のせいか、倉庫全体がグラグラと揺れる。
「ちょっと、あんまり揺らさないでよ!!! マスターに何かあったらどうすんのよ!!!!」
これ以上暴れられればどうなるかわからない。朱雀は即座に止めを刺す構えを取った。
紅蓮の髪が眩く発光し、背中には燃え盛る翼が出現する。朱雀は火翼を羽ばたかせ宙に舞い上がると、火の粉を振りまきながら巨人に急降下した。
「せいやぁー!!」
頭を蹴りぬかれ、巨人の首からドス黒い液体が噴出される。朱雀は直刃がこっそり見ていた特撮番組を思い出し、キザったらしく指を鳴らす。すると巨人の体は業火に包まれ、灰も残らず滅却された。
「ふぅ……終わりましたよー、マスター!」
月明かりが覗く倉庫の入口に手を振ると、景色が歪んだ。
じわじわと歪みは広がり、やがて中心から空間を裂くようにして直刃の体が出現する。
「かっこよかったよ、朱雀さん!」
「えへへ、それほどでも……♡」
興奮冷めやらぬといった具合で、直刃は朱雀に駆け寄った。愛する主が嬉しそうな笑顔を浮かべているので、朱雀も笑みがこぼれる。
遅れて氷室と紫羽の姿が現れた。朱雀の戦闘は氷室が特殊な氷を生み出し、光を屈折させた透明な箱で直刃共々見ていたのだ。
今夜は直刃に悪魔とはどんなものなのかを一度見せるために、こうして単体の悪魔を狙ったのである。
「いつもは裏返る前に倒しちゃいますから、こんな派手じゃないですけどね」
「裏返る?」
意味が分からなくて聞き返したが、答えをもらう前に直刃は紫羽から聞いた情報を思い出した。
悪魔は普段、なんら常人と変わりない姿で生活しているそうだ。そしてその人間形態から悪魔の姿に形を変える事を、裏返ると呼ぶそうである。
裏返った姿は千差万別。今夜のように緑色の巨人もいれば、正しく悪魔と呼ぶに相応しいような姿をした者もいるらしい。悪魔に決まった形は無いと紫羽は言っていた。
「そっちの方が楽ですからね」
「間違えちゃったりしないの?」
「普通の人間には魔力がありませんからね。マスターと死神を除けば、魔力を持った人間はまず悪魔でしょう」
「そうか。なるほどね」
直刃も数日前から、魔力が感じ取れるようにはなってきていた。日が浅いので、流石に彼女達と同レベルまではいかないが、少なくともその人物の魔力の有無は感知出来るようになってきた。
となれば、直刃ですら悪魔とただの人間の区別はつくのだ。彼女が間違えるなんてわけも無かった。
「さ、帰りましょうか、マスター♪」
「そうだね」
朱雀と直刃は手を繋ぐと、仲良く倉庫の外に出た。微笑ましいものを見るようにして、氷室と紫羽も後に続く。
良いものを見れたと機嫌よく歩く直刃。そんな彼を、三人が三人とも欲情した目で見詰めていた。
今日も今朝方までたっぷりと愛情を注がれたのだが、一日と待てる気がしない。主人を愛してやまない彼女達は、現在進行形で下着を濡らしている。あの幼い少年の激しい肉欲と、彼に備わった絶倫巨根。そして何より死神の身である彼女達を常に案じてくれるその優しさに身も心も惹かれていた。
心身共に、もはや直刃なしでは生きていけない状態だ。
歴戦の猛者も、こうなると形無しである。
『──なぁ朱雀。少し弱くなったんじゃねぇか?』
そんな油断し切っていた全員の耳元で、美しいアルトボイスが鳴った。直刃は身を竦め、氷室達は瞬時に周囲を警戒する。
「うるさいわね! あんまり早く倒しちゃうとマスターに楽しんで貰えないでしょ!!」
『ははっ、そーかい。なにやら今回はやけにご執心じゃないか?』
「余計なお世話よ!!」
朱雀が姿の見えぬ相手と会話をする。会話の内容からして会話相手とはどうやらこれが初めてではないようだ。
直刃は顔をしかめた。声量は確実に耳元で喋りかけられている感覚だ。けれど声の主の姿は何処にもない。実に不可思議だ。これも魔力の力なのだろうか。
「出てくるならさっさと出て来なさい。氷漬けにしてあげるわ」
『馬鹿言え。お前ら二人ならともかく、紫羽も居るんじゃ無理だ。今日は挨拶に来ただけだよ』
「なんですって?」
『――スグハ、とか言ったか? アタシを忘れるなよ。そのうち魔力を取りに行くからな』
最後の一言は、直刃にしか聞こえていなかったのだろう。三人は誰も反応しなかった。
それから五分ほどその場で身構えていたが、目立ったアクションは無い。言葉の通り、挨拶だけだったようだ。
「今のは……?」
「主、お気になさらないでください」
「味方なの? 死神なんでしょ?」
「いえ、彼女ははぐれです」
きっぱりと紫羽は言い切った。はぐれについては聞いていなかったが、その場で聞ける雰囲気でもなかった。
モヤモヤした気分のまま、直刃は家に帰った。
ーーーーーーー
「で?」
翌日、帰り支度をしていると、後ろから野太い声が聞こえた。振り向くと大柄な男子が、分厚いメガネ越しに直刃を睨みつけていた。
「社長さんとはどうなったんだお? 一緒に住んでるんだよな?」
制服のワイシャツが今にもはちきれそうな彼の名は、
話し方ももう少しまともだったのだが、今では見る影もない。これで教室ではそれなりに人気者なのだから、人は見かけによらないものだ。
「うん、一緒に住んでるよ。けど仕事が忙しいみたいで、あんまり話せてないんだ」
「そうなん? じゃあムフフなエロゲ展開は無かったん?」
「え、えーと……無いよ?」
直刃は嘘をついた。なんだかめんどくさくなる気がしたからだ。
しかし、友華はこうして冗談めかしているが、実のところ彼が直刃の事を心配してくれているのは分かっていた。直刃の家庭事情もある程度把握している友華にしてみれば、直刃の生活にゆとりが出来たという嬉しさの反面、見ず知らずの人間と同居するのは少し腑に落ちなかった筈だ。
そんな友華に対して、嘘をつくのはほんの少し申し訳なかった。
「そっかー……放置プレイって奴?」
「違うから。一応代わりにメイドさんが居るよ」
「り、リアルメイドだとぉぉぉっ!!?」と叫ぶ友華を尻目に、直刃は軽いカバンを手に持つ。帰りのホームルームは終わったので、後は帰るのみだ。
報告のつもりで、直刃を友華に今の生活を話した。友華はいちいちリアクションがオーバーなので、直刃としても話し甲斐があった。
「そうそう、友華が前に欲しがってたパソコンもあるよ」
「え、マジ? SCPCあるん? ガチで?」
「うん。僕の部屋にあるよ。使い方は全然分かんないんだけどね」
「おうふ、宝の持ち腐れ……」
その通りだったので、直刃は何も言い返さなかった。
直刃の
「こらー、また直刃いじめてるでしょー」
友華と仲良く会話していると、三人目の声が聞こえた。
「い、いじめてなんか……つーか、なんでここにいるし」
「あれ、このみ部活は?」
「今日は顧問が出張してるからありませーん」
茶髪を揺らしてニカッと笑う快活そうな少女の名前は、
「んで、なんの話だったの?」
「直刃が夜な夜なセクスィーな社長さんとにゃんにゃんしてるのかどうか聞いてたんだお」
「え、嘘でしょ? もうチェリーボーイじゃないの?」
「やめて、このみ。そんな言葉大声で言わないで、恥ずかしいから」
教室に残っていたクラスメイトの視線が集中して、直刃は逃げるように教室を飛び出した。やれやれとこのみは肩をすくめると、友華と共に後を追う。
「でもそうよねー、テレビで見たことあるけど、空城さんだっけ? おっぱい大きかったもんねー」
「うむうむ。あれは至高の一品でしたな」
「やっぱ直刃も抗えない感じだったの? むしろ喜んで童貞を」
「このみ、ファンクラブの人が泣くよ」
「……いや、あれ非公式だからね? 認めてないよ、このみちゃんは」
この少女、流石に氷室達には及ばないものの、それでも勝るとも劣らない美形である。高校一年生にしてはスタイルもよく、まだ夏休みにも入っていないのにこの高校にはファンクラブが設立されていたぐらいだ。
本人としては嬉しくないらしい。無駄にアイドル的扱われるため、軽々しく下ネタも使えず窮屈なんだとか。いや、女子としてそれはどうなんだと直刃は思っているが、長年こんな感じの幼なじみに今更何を言っても手遅れだと諦めていた。
「ま、今んとこ問題ないんでしょ?」
「うん、氷室さん達には良くしてもらってるよ」
「なら良かった。ギクシャクしてんのかなーとか不安だったんだけ……ん? ちょい待ち。氷室さん、達? なぜに複数形? 影分身?」
「違うお。メイドさんが居るとか居ないとか言ってたお」
「なん……だと……?」
このみは口をあんぐりと開けたまま硬直した。友華が「ウホッ、これはいいネタ画像」とか言いながら、このみの顔面をパシャパシャとスマートフォンで撮影している。
「り、リアルメイド、だと!?」
「その下りはさっきやったからいいんだお」
「ありゃりゃ、そいつは失敬」
学校が終わって間もないのに、二人はやけに元気だ。こういう日は決まって何か悪巧みをしているのである。
「元気だね、二人とも」
釘を刺すつもりだったが、二人は分かってると頷くだけだ。不安で仕方ない直刃だった。
校門までたどり着くと、直刃は彼らに別れを告げて右手に曲がる。引っ越す前までは三人で同じ帰宅路を通っていたのだが、今では家が別方向になってしまったために早々に別れてしまうのだ。
これまで一緒に帰っていたから、直刃は二人にちょっぴり罪悪感を覚えていた。
「ん、何?」
「いや、別に」
「気にしないで、あはは」
左右を見ると、直刃を挟むように彼らは追随していた。まるで逃げないように、距離を詰めているみたいだ。
「えっと……何でついてくる訳?」
「いや、直刃の家に……」
「そうそう、どんなとこに住んでるかだけでも確認しないとねー」
直刃は苦笑した。ついて来るのはそんな理由からだったのかと、呆れ返っていた。
「ダメだよ。氷室さんに許可もとってないし」
「別に中まで入ろうなんて思わないわよ。ちょっち外観だけでも見てみたいかなーとね」
そう言われると何も言い返せないので、直刃は黙った。このニヤケ面、どう言いくるめても無駄だろう。学校終わりのテンションの直刃には、この迷惑コンビをどうこうしようと思わなかった。
「ま、みんなも知ってるだろうし、近いから良いけどね」
「知ってるって? あいどんとのーなんだが?」
友華の言葉を放置して直刃は立ち止まり、顔を隣のビルに向けた。
「ここだよ」
「え?」
「は?」
友華とこのみは意味が理解出来なかったのか、妙な表情で固まった。現実を見ろと二人を睨みつけると、ぎこちなくビルを見上げる。
億ション。そう呼ぶほかないほど、完璧な高層ビルだった。一面ガラス張りの巨壁が、地上から約五十階まで続いている。
直刃は住んでいるのは、このビルの最上階だ。正確にはその下の階層と屋上のペントハウスも居住スペースであるらしいが、直刃はそれより氷室達との情事に励みすぎていて見に行く暇もなかった。
直刃達が通っている高校からもバッチリ見えるほど巨大な建造物であり、二人が驚くのも無理はない。
「どうする? 入ってみる? 一応氷室さんに聞いてみよっか?」
「い、いや、今日はちょっと心の準備が出来てないでござる!」
「そ、そうね、今日のところは勘弁しといてあげるわ! こんなとこ入ったら緊張でどうにかなったりならなかったりしそう!!」
友華は脂肪を揺らしてブンブンと首を振り、このみに至っては支離滅裂な言語であたふたしていた。
二人はそのまま謎の言葉を発しながら、逃げ帰っていった。ビルから溢れるセレブ感に、気圧されたのだろう。
直刃にも気持ちは凄くわかった。
大方こうなるだろうと思っていた直刃は、あまりに予想通りすぎて笑ってしまった。
「まぁ、それでも入りたいって言われたら困るんだけどね……」
今朝確認したが、今日は氷室も朱雀も仕事がないらしい。「マスターのお帰りを心待ちにしております♡」なんて、氷室は直刃に登校前に伝えていた。
「全裸待機とかしてたらどうしよう……」
つぶやきながら、直刃はビルに入った。心なしか嬉しそうな彼は、やはり手遅れなのかもしれない。