麻薬カルテルのボスの娘に生まれた私が、遠く離れた東洋の国で、二児の母親になる。
そんなこと、多分私は人生で一度も思わなかったと思う。
誰かと結婚する可能性は少なからずあると思っていたけど、それはだいたいどこかの組織の人間との政略結婚だと思っていたし、カタギの人間相手だとも、ましてや外国の男相手だとも、思わなかった。
没落カルテルのボス。
そんな肩書きを持った私が、資金繰りに困った果てに誘拐した日本人(ハポネセス)の旅行者。
まさかその男を夫に迎える日が来るなんて、私は露ほども思わなかったのだ。
最初は本当にただ、身代金目当てに冴えない旅行者を誘拐しただけ。
ただの一般人だと安心して、ロープの縛りが少し甘かったばっかりに、私は一般人である日本人にレイプされることになった。
レイプ。
あれをレイプと呼ぶのが正しいのはわからない。
男と女という性差はあれど、体格は私の方が大きかったし、何より私にはショットガンという武器があった。
これまでにいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた私からしてみれば、そんな不意打ちは造作もないことだった。返り討ちなどいくらでもできたのだ。
それでも私が抵抗できずに中出しまで許したのは、単純にこの男のセックスに、私が抗う意味はないと感じたからだ。
ただの一般人。
しかもハポネセス。
そんな男にペネを突きつけられ、私が感じたのは、この男になら好きに犯されても構わないという感情だった。
他人が聞いても意味がわからないと思う。
でも私は直前に男の精液を浴びせられて、これが全身でなく子宮に向けてだったらどうなるのだろうという、女としてよくわからない好奇心を植え付けられていた。
そして実際に、避妊具も着けない立派すぎるペネを突きつけられて、不覚にも高揚してしまっていた秘部で、日本人の逞しい竿を受け入れた。
その結果が、ある意味で予想通り。人生で最高のセックスだった。
あれをセックスと呼んでいいのかも定かでない。
普通、セックスは男と女のせめぎ合い。
どちらにも限界があるし、主導権の握り合いというものがある。
でもこの男とのセックスにはそれがなかった。
ただひたすら、私は腰を振られるだけ。
ケツを叩かれ、乳を鷲掴みにされ、生のペネで奥の奥を掻き回されるだけ。
そんな屈辱的な光景なのに、私は心の底から、女に生まれてよかったと思った。この男を拉致してよかったと思った。ロープの結びを雑にしてよかったと思った。この男を興奮させられる身体に生まれてきてよかったと思った。この男とセックスできて、本当に良かったと思った。
『あんたなんてペネしてるの? そんなとこ何度も突かれたら、いくら私だって――ああっ!!』
口では抵抗しつつも、私は身体では一切抵抗しなかった。
おまんこの中は好きに掻き回させたし、バストも乳首ごと好きに触らせた。ケツだってスパンキングさせ放題だったし、何なら男の要望に答えて手コキも玉揉みだってした。
要するに、無抵抗でセックスさせていたのだ。
抵抗する意味はないと思った。抵抗することもできないと思った。
だってこの男のペネの前に、私たち女は無力だから。
私自身、このセックスが一生続いてもいいというくらい、ハマっていたから。
この男の挿入を拒否する選択肢なんて、あるはずがなかったのだ。
『ああっ! 絶対殺してやるっ! このままあと十回以上中出しさせて、金玉の中を空っぽにしてから殺してやるっ!!』
殺してやるという単語も、完全に強がりだった。
そうではないと私は自分を保てなかった。身体は完全にこいつのペットでいいと思ってしまっているのに、私にだってメンツはある。好きだけ中出しさせてやるけどその代わり殺してやるとでも言わないと、自分自身のプライドを保てなかったのだ。
『もういいっ! もういいからっ! このままあんたのまんこ奴隷でいさせてっ! このまま死ぬまでずっと、私のまんこ使い続けてっ!!!』
だから最終的に、そういう言葉を口走っていた。
口走るしかなかったのだ。この男のセックスの前では、どんな女だって勝てない。
こいつのモノに一回でも貫かれたら、世界中のどんな女ださえ、こうなる。
自らおまんこを捧げて、あなたの奴隷にしてと、アクメ顔晒しながらお願いするしかないのだ。
『あああ凄いっ!!! このまま子宮に中出ししてぇぇっ!!』
出されたら絶対妊娠するとわかっていても、女はそう言わざるを得ない。
だって、妊娠させて欲しいから。
この男に種付けされるのが女として至上の幸せだって、本能に教え込まれるから。
だから私は生まれてはじめて心の底からメスとしての自分を剥き出しにして、男の種付け中出しをせがんだのだ。
『ここでお別れよ。もしガキが出来てたら、違った未来も来るかもしれないけど』
翌朝、私は男に奪い取った現金を返して、拉致したときと何ら変わらぬ状態で解放していた。
でもこの時点で、私は自分自身妊娠したことを確信していた。
こんな生殖能力の突出した男が、あれだけ中出しして女を妊娠させられないわけがない。
だから私は心の中で、この男と再会することになると理解していた。
その結果が、日本での嫁入り。
そのときの第一子を出産し、さらにもう一人を身ごもるという事態になったのだ。
昔のカルテル仲間が聞いたら、耳を疑う未来。
ライバルカルテルの幹部が聞いたら絶対に信じない展開。
でも実際、私は日本で妻となり、母となった。
そしてそんな生活も、案外まんざらでないと感じている。
仮に、こいつの凄すぎるセックスを差し引いても、私は幸せなんじゃないかと思うことがある。
あのとき私が拉致したのが本当になんでもない日本人で、性的にも普通だったとしても、どうせ殺されるという捨て鉢で私に覆いかぶさってきて、死ぬ前に一度でいいからあなたとセックスさせて下さいと懇願されたら、私は案外ほだされてそいつとセックスしてしまっていたかもしれない。
そしてそれが、極々平々凡々なセックスだったとしても、そんな平々凡々な人生も悪くないと、その男との生活に身を委ねていたかもしれない。
まあ、無意味な仮定だけど、私は今それだけまんざらじゃないってこと。
道で財布を落としても翌日には戻ってくるような狂気の国で生活しても、案外日常はすんなり自分を受け入れてくれるものだと、この歳になって感嘆しているくらいだった。
多少の日本語も覚え、近所の人間から「メキシコから来たディアナ」と認識され、ミゲルとガブリエラという兄妹の母親として認識されもらってもなお、時折ではあるけど、この人たちに私が世界的な麻薬カルテルのボスだったと話してもきっと信じてもらないだろうなと思うことはある。
そういう、感覚のずれ。
自分はあるまで異物であるという意識。
それは多分、自分があの街に戻りたいと思っているからじゃない。
血と硝煙に塗れた街。そんな場所に生きていた自分がこんな温かな場所で生きていていんだろうかという、不安と、罪と、後悔。
そういう後ろ暗い記憶――時折まだ夢に見る父親が頭を撃ち抜かれる景色と、母親が自ら頭を撃ち抜く光景を背負ってもなお、私がここに居続けられるのは、過去と今のギャップに発狂せずにいられるのは、私が絶対にありえないと思っていた世界を、少なくともミゲルとガブリエラにだけは見続けて欲しいという、母親として願いがあるんだと思う。
そんな話を、一度だけダイスケに話したことがある。
特殊な身の上がゆえになかなか帰っては来ないけど、それでも週に一日は一家団欒の時間を作ってくれる夫に、万が一昔のカルテル仲間が日本にまで追ってきたときは、自分が刺し違えてでも子供たちを守るという話をしたときだった。
「なんか、映画の世界みたいだね」
多分、ダイスケに一切の他意はなかったんだと思う。
私にとって日常だった話を聞いて、ダイスケは映画の世界だと思った。それだけ日本では考えられないような世界に私はいたのだと、私は改めて実感した。
そして私が常に抱いていたものが、本当にただの杞憂であると気付かされた。
ここに麻薬カルテルなどないと。
そもそも私のいたカルテルはとっくに解散し、誰も没落した私のことなど気にしていないと。
私の見てきた悪夢は、一本の映画のようなものだったのだと。
映画を見終わって映画館の外に出れば、そこは日本という平和に満ちた国だったのだと。
父の死も母の死も、決して映画の中の出来事じゃない。
現実として彼らは私の目の前で死んだし、その死に方も凄惨だった。
決して全てを嘘にはできないけれど、一本の映画が終わったのだと考えれば、それなりに腑に落ちるのかもしれないと、私は思った。
まあそんなの誤魔化しだし、お為ごかしだけど、そういう考え方もあるのかもしれないぐらいには、私は思えた。
父の死も、母の死も、紛れもない現実だけど、ミゲルがいて、ガブリエラがいて、ダイスケの妻として、日本で生きる時間もまた、私にとっては紛れもない現実だからだ。
凄惨なギャング映画の後に、愚にもつかないファミリー映画を観たって、きっと罰は当たらないだろう。
この世界はきっと、そういうものなんだろうから。