ソシアス家は、このコスタリカでは代々続く麻薬カルテルである。
メキシコやエルサルバドルの巨大なカルテルに比べると規模は劣るが、それなりに歴史があり、コスタリカ国内に至ってはそれなりの勢力を持っていた。
持っていた。
そう、過去形だ。
ソシアスファミリーが権勢を誇ったのはかれこれ三十年近く前の話であり、それ以降は凋落の一途を辿っていた。
かつては千人近くの構成員がいたカルテルもここ数年では二桁に落ち着き、小さな町のしがないマフィアの規模に収まっている。
そんなソシアスファミリーの一人娘として、私は生まれた。
私の父は国内では恐れられたカルテルの首領で、三十年前にファミリーが最盛期を迎えたのはこの父による功績が大きい。
汚いことはたくさんやったと思う。
殺し、盗み、地元政治家への贈賄。
本業の麻薬取引きだけではなく、あらゆる悪事に手を染めた。
そうでなければ生き残れない世界だ。
父はあらゆる悪事に手を染めて裏社会でのし上がり、このサンホセでは名前を知らぬ者はいないほど恐れられ、
――私が五歳の頃、目の前で暗殺された。
家族団欒の場で後ろから頭を撃ち抜かれ、即死だった。
無論、名のあるカルテルのボスがそう無防備に殺されることなどない。
屋敷は常に厳重に警備されているし、賄賂を渡した警察からも守られている。
犯人は身内だった。
父の腹心であっと男がクーデターを企て、父を暗殺した。
後に聞かされた話に寄ると、新興勢力である海外のカルテルの裏取りをし、ソシアスファミリーの乗っ取りを図ったらしい。
だがクーデターは失敗に終わった。
歴史あるソシアス家。ボスが殺されたからといって安易によそに身を売る人間はほとんどおらず、クーデターの首謀者はファミリーの人間に吊るし上げられ、殺された。
しかし屋台骨である父を失ったことで、カルテルは徐々に衰退していった。
拡大する海外カルテルにテリトリーを奪われ、構成員は徐々に減っていった。
ライバルカルテルとの抗争で死んだ者もいたが、ソシアス縮小の主な原因は引き抜きだった。
クーデターの首謀者と裏取りした海外カルテルは、最初からそれが狙いだったのだろう。
ソシアスを乗っ取ろうと首謀者の男を唆し、父を殺させ、カルテルの長期的な弱体化を図った。
求心力を失ったカルテルは部下たちの忠誠心を失い、やがて金と薬で構成員を引き抜かれる。
構成員を失った組織が舞台から退場するのは子供にもわかることで、私が十五歳の誕生日を迎えたその日に、ソシアスファミリーは海外カルテルに買収された。
取引の内容は、こうだった。
カルテルの支配下に入れば、構成員および私たち家族の安全は保証する。
構成員は新たな組織の構成員として働き、私と母は新しいボスの屋敷に客人として迎え入れられる。
まあ、テイのいい人質である。
私と母は昔からの“信仰深い”構成員からの支持を得ていたし、私たち母娘が屋敷に幽閉されているとなれば、安易な反乱も起きないと考えたのだろう。
いわゆる仁義やプライドを重んじれば、まず飲めない条件だ。
歴史あるソシアスがどこの馬の骨かもわからない海外カルテルの傘下に下ることになるし、父の暗殺を企てたのは他でもない新組織のボスなのだ。
しかし暫定的な実権を得ていた母は、その条件を飲んだ。
昔から優しい母だった。
美しく、若く、スタイルも良くて、誰もが羨望の眼差しを送る自慢の母だ。
おそらく、昔から馴染み深い構成員たち、もっと言えば一人娘である私の身を案じてのことだろう。
歴史あるカルテルとしてライバル組織に身売りすることの屈辱は理解していても、それでも全員が皆殺しに遭うよりはいいと、母は考えたのだ。
もっと言えば、身売りの原因は私にあった。
当時十五歳の私は、調印の場に同席していた。
当然ながら、周りには私たちの組織の人間も、向こうの組織の人間たちも同席していた。
名目上は対等な立場だが、人数にしろ、武器にしろ、向こうが圧倒的に優勢なのは目に見えていた。
そしてわざわざ、未成年である私を同席させた理由――。
多分、調印しなければその場で私を殺すと脅されていたのだろう。
最後まで意固地になって調印を反対する私をよそに、母は代々続くソシアスを売り渡した。
中には母のことを売女とそしる者もいたが、ほとんどの人間が自分たちのことを想ってのことだとわかっていた。
形式的には、ライバルファミリアに吸収されたソシアス家。
抜けた構成員もいれば、残る構成員もいた。
しかし客人という名目で屋敷に幽閉された私にとって、外の世界の出来事は、ほとんど無関係に等しかった。
「おいディアナ。お前も段々と女らしく育ってきたな」
新しい組織のボスは、ディランという男だった。
五十半ばだった父より二十歳近く若く、服装も見た目も今時の若者という感じだった。
歴史あるカルテルのボスではなく、まさに新興マフィアの若頭という感じで、麻薬と暴力で金さえ稼げればいいという下衆男だった。
もちろん、麻薬カルテルが社会の悪だということを私も理解している。
でも父は、それでも品位やプライドというものを持っていた。
決して社会的弱者からお金を巻き上げようとはしなかったし、暴力を扱うのも同業者に限定していた。
しかしディランは違った。
子供相手にも麻薬を捌き、邪魔な者は一般人であろうと酷い殺し方をした。
下衆の中の下衆。
私の中ではそういう認識だった。
「あっ! ディランっ――もう許してっ……」
そんな男に毎晩母が抱かれるのは、私にとっては地獄以外の何物でもなかった。
客人という言葉とは裏腹に、実質的な愛人を強いられていた母は、毎晩のようにあの男の寝室に呼び出されていた。
その頃、私もその行為が何なのか、理解できる歳だった。
裸で後ろから組み敷かれ、あの男の剛直を打ち付けられる母は、いつもの優しく美しい母とは違い、どこか女の面を晒していて、それが心底嫌だった。
「じじいとのセックスより全然いいだろ? お前はこうして俺に抱かれる運命にあったんだ」
「旦那のことはっ――言わないでっ――」
最初は私を守るため、義務であの男に抱かれていた母も、次第に女らしい一面を見せるようになった。
前は殺意を持ってディランを見つめていた瞳が、まるで新しい主人を見るような瞳に変わっていた。
それが体を重ねた男女間の微妙な機微だと知るには、私はあまりに幼すぎた。
「だんだん素直になってきたじゃないか。ほら、俺様のペネはどうだ?」
「ああっ! 奥突かないでっ――でないと私っ――」
ディラン相手に痴態を晒す母に、私は殺意すら覚えた。
でもそれ以上に、あの優しかった母を女にしてしまったディランという男を、百度殺したいと思うようになった。
しかもあの男は、私に対してもいやらしい目を向けるようになってきた。
十五、十六と歳を重ね、美しい母の遺伝子を色濃く受け継ぐ私は、同じ年頃の女よりも遥かに色っぽく、有り体に言えば男好きする身体に育っていた。
このままだと、私もあの男の愛人にされてしまう。
そんなとき、転機が訪れた。
「ディアナ様。ソシアスを復活させましょう」
折しも十七歳の誕生日、父の腹心の一人だったイグレシアスという男が、私にそう囁いてきた。
イグレシアスは父が最も信頼を置いていた腹心の一人で、父よりも歳上の男だった。
彼は元ソシアスの中でも一番の出世頭で、新組織のナンバーツーとは言わずとも、それなりの地位に上り詰めていた。
「復活って……どうやってそんなことをするの?」
常日頃から、それは考えていたことだった。
もはや完全にディランの愛人の一人となってしまった母は、ソシアス再興など考えもしないだろう。
だとしたら亡き父の跡を継ぐのは娘である私しかいないと、心のうちに秘めていた。
「組織に吸収された人間の中に、考えを一にする者が大勢います。もしディアナ様が旗印となれば、彼らは命を賭してクーデターを起こすでしょう」
白髪混じりの男が真剣な表情で告げる。おそらく、相当の時間をかけて準備をしてきたのだろう。
多勢に無勢とはいえ、やり方次第では、ソシアスの復活は充分にある。
「それで、私は何をすればいいの?」
一も二もなく、私はイグレシアスに聞いていた。父のソシアスを再興できるのなら、私は何だってするつもりだった。
「ディランを――暗殺して欲しいのです」
イグレシアスの言葉に、私は石のように固まっていた。