「センキューベリーマッチ」
目的地の途中まで車で僕を乗せてくれた老夫婦に手を振って、僕は新しい町に降り立った。
「ホルブ……ロック?」
読み方はわからないが、HOLBROOKと記されたその町は、広大な荒野が広がる田舎町だった。
ロサンゼルスを出て以降、基本的に見える景色は砂漠だった。
まるで西部劇の舞台と言えば聞こえはいいが、飲食店や宿泊施設すらままならない田舎町は、僕のようなバックパッカーには堪えた。
ただでさえ、残金は五十ドルしかない。レストラン「ルーシー」で稼いだお金も(というか半ばリズがお小遣いとしてくれたお金も)、今では底をつきかけていた。
フラッグスタッフでアマンダさんと別れて三日。何回かのヒッチハイクを乗り継いでこんな田舎町にやって来たはいいが、このままでは路銀が底をついてしまう。
夏休みの残り時間はあるが、ここはどうにかしてお金を稼がないと……。
「とは……言ってもな」
老夫婦(トンプソン夫妻という)が僕を下ろしてくれたのは、何でもない道の真ん中だった。ちょうど目的地への別れ道だから下ろしてくれたのだろうが、どうせならもっと先の中心地か、あるいは少し手前のモーテル地帯で下ろして欲しかった。こんなひと気のない荒野では蛇やサソリが怖くて野宿もままならない。というか、いい加減空腹で死にそうだ。
「……仕方ない」
僕はマーカーペンと段ボールを取り出して、再びヒッチハイクの準備を始めた。
拙い英語で書き記した言葉はCentral。変に遠い目的地を指定して忌避されても仕方がない。今はとにかく町の中心部へ行こう。
しかしながら、中々車が通る気配はなかった。アメリカに来て早十日近く。二、三時間車が止まらないのは慣れていたし、去り際に英語でからかわれることにも慣れていたが、車そのものが全然通らないというのは初めてだった。
「ホント、世界は広いよな……」
僕はただただ広大な空を見上げた。
無限にすら感じられる荒野と、成層圏にまで届きそうな真っ青な空が、僕の視界全体に広がっている。
荒野に生えるのは見たことのない灌木と、わずかばかりの草たち。あちこちに点在する看板に書かれているのは全てアルファベットで、ここが日本ではない外国であると改めて実感する。
肌に感じる空気も、鼻腔をくすぐる香りも、頭上に広がる空の色も、日本とはどこか違って感じられた。
そんな場所に五千円ちょっとの持ち金で立っていることは不安極まりないはずなのだが、僕は不思議で全てが何とかなるような気がしていた。
今は車が通らなくても、二、三十分もすればトラックの一台でもやってきて、僕を町の中心部まで乗せて行ってくれる。
ここはアメリカだ。世界第一位の国だ。
もうとっくに、西部時代ではないのだから――。
「え?」
近づいてくる足音に、僕は顔を顰めた。
僕はコンサートホールのステージではなく荒野にいるのだから、人の足音など聞こえるわけがない。
しかしそのリズミカルな足音は僕の耳朶を打つ。
何かの嘶く音に振り返ると、そこには――。
「馬……?」
巨大な馬が立っていた。
僕の身長より遥かに大きな栗毛の馬が、悠々とした態度で僕を見下ろしていた。
まさか本当に西部開拓時代にタイムスリップしてしまったのかと思ったが、誰かの一言で僕は我に返った。
“Are you a backpacker?”
馬の上から女性の声がした。
よく見ると、馬の上にカウボーイハットを被った金髪の女性がいた。
三十代……半ばくらいだろうか。白人女性の実年齢についてはまだよくわからないが、MILFというスラングが思い出される、妖艶な女性だった。
綺麗なウェーブを抱いたブロンドヘアーは黄金色というより金色と栗色の中間くらいで、ひとえに金髪と言っても色々な種類があるのだと思い知らされる。
エメラルドグリーンの瞳と白人女性ならではの整った顔立ちは見るからに若々しいが、それでもロサンゼルスで出会った金髪女性や、トラック運転手であるアマンダさんに比べれば明らかに年上だ。
ベージュとブラウンのシャツからは、二つのたわわな膨らみが見てとれた。やはりこちらの女性は凄い。もちろん白人にも胸の小さな女性はいるが、大きい人は日本人では考えられないくらいの迫力を持っている。
ジーンズを穿いた脚はとても長く、臀部の膨らみもまた迫力がある。
馬といい、クールな出で立ちといい、しっかりとしたブーツといい、西部劇のカウボーイを思わせる美人だった。
いや、女性なのだからカウガールと呼ぶべきか。いずれにせよ、思わず見惚れてしまうほどの大人な女性がそこにいた。
「イ、イエス。アイムアバックパッカー」
彼女の言う通り、僕は旅人だ。金がなければ野宿もするし、食事も水だけで過ごす日もある。彼女が何故そんなことを知りたいのかはわからなかったが、嘘を言っても得はなさそうなので、僕は正直に答えた。
“Well...”
彼女は馬の上から品定めするように僕を見た。
お世辞にも、僕は褒められた容姿をしていない。日本でも全然モテなかったのだから、美女とイケメンが多い欧米において、僕の扱いなど下の下に違いない。
“Wouldn't you like to work for my home?”
「はい?」
僕は思わず日本語で聞き返してしまった。
――あなた、うちで働かない?
僕の拙い英語力が正しければ、彼女は確かにそう言った。
「ウェア?」
どこで?
単純な質問だったが、彼女はちゃんと理解したようで、
“The farm.”
農場よ――と簡潔に答えたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
“Are you Chinese?”
「ジャ、ジャパニーズ……」
アメリカに来て、よく中国人や韓国人に間違われるのには慣れていた。とくに中国人だと思われる可能性は本当に高く、あらためて世界における中国人の多さを実感する。とくに白人からして見れば東アジアの黄色人種なんてどれも一緒に見えるだろうから、僕のような黄色人種を見たらとりあえず中国人だと思うことにしているのだろう。
実際、道中でも中国人や中国系と思しき住人は何度も見かけた。僕のような日本人や韓国人もいないことはないが、やはり確率で言えば中国人である可能性が高い。そういった意味で、カウガールよろしく彼女もアジア人には慣れているのだろう。これまで受けたような差別的な扱いも、アジア人を見下すような視線も彼女にはない。
しかしながら、今、自分の置かれた状況に、僕はまったく慣れていなかった。
「た、高いですね……」
思わず日本語で感想を口にしてしまう。そう僕は今、馬上にいた。
彼女の乗って来た馬の後ろに乗せられ、砂漠の荒野を闊歩しているのである。
“What?”
当然ながら、日本語のわからない彼女は聞き返して来た。馬の操舵に集中するためか後ろに振り返ることはなく、ただただ道の先をまっすぐに見つめている。
生まれて初めて体験する乗馬は、思った以上に怖かった。
まず何より目線が高い。ハイルーフの車に乗るよりも遥かに高い景色が、僕の眼前に広がっている。
にもかかわらずシートベルトも何もないという状況が、僕はどうしようもなく怖かった。もしこの場で馬が暴れ出したら、僕はあっという間に地面へと叩きつけられてしまうだろう。もしそうなったら助かる自信はない。この巨大な馬に踏みつけられたら、いくら頑丈な僕でも助からないだろう。
“Hold on to my waist.”
そんな僕の恐怖を察してくれたのか、彼女が自分の腰に掴まるように言う。
たしかに馬上で掴まれるのは手綱か前の人の腰くらいしかないのだから仕方ないが、これだけ綺麗な白人女性の腰に掴まるというのは、生来童貞気質の僕にとっては大きな抵抗があった。
「エ、エクスキューズミー」
とはいえ、背に腹はかえられない。こんな異国の地で落馬して死ぬのはごめんだ。僕はおそるおそる女性の腰に手を伸ばし、後ろから軽く抱きしめるような形で掴まった。
改めて思うが、こちらの女性は身体つきがしっかりしていると思った。
背が高いのはもちろんのこと、あらゆる部分のサイズが日本人の女の子より一回り大きい。
彼女は身長は僕より高そうだが、座高が低いため馬の上に座ると同じか少し僕より小さいくらいだった。それだけ彼女の脚が長いのだ。腰の位置が高い。あのアマンダさんを後ろから犯したときもそうだったが、こちらの女性は本当にスタイルが良い人ばかりだ。
(まずいな……)
白人の優秀を実感するたび、アマンダさんとのセックスを思い出してしまう。身体を密着させたわけではないが、後ろから彼女の腰を掴むという行為は、それだけで立ちバックや後背位での性行為を連想する。
しかも僕が掴まった腰の上部には、たわわなあれが実っているのだ。
ロサンゼルスでセックスした女性も、アマンダさんも、本当に爆乳と呼ぶべき大きさだった。おそらく、こちらでも平均より上のサイズだろう。日本では余裕で巨乳と呼べるリズのサイズが普通くらいなのだから、やはり白人女性は巨乳が多いのだ。
もし少しでも手の位置を上にずらせば、アマンダさんと同等か、それ以上の膨らみを触ることができるだろう。しかしそんなことをすれば、すぐさま手痛い仕打ちを受けることは目に見えていた。
こちらの女性は、クールで泰然としている人が多い。自分の身は自分で守るし、あるいはアマンダさんのように護身用の銃を手にしているかもしれない。そうなれば僕のような丸腰のアジア人は、あっという間にお縄か、そこらの牛の餌にされてしまうだろう。
もしこの人を犯せたら、多分最高の気分になれるだろう。
しかしそれも土台無理な話だ。これまでは運良く職業娼婦の女性(今思えばお金を渡してない気がする)や、美人局の少女、人材不足に悩むティーンエイジャー店主、フリーセックスの気性があるトラック運転手と、あまりに幸運な出会いが続いていた。
僕のような冴えない日本人が、アメリカの美女とセックスする機会など、普通は人生で一度もありはしないのに、僕は思いがけない幸運でそれを三度も経験した。
しかしそんな上手い話が、そう何度もあるはずがない。
もしそんなことが起こるとしたら、僕はアメリカ人女性への理解を改める必要があるだろう。
彼女たちは僕が思うよりフリーセックスの文化を重んじていて、白人だろうとアジア人だろうと、気まぐれに身体を許してくれる。
それこそ挨拶代わりにセックスをするような人たちで、見ず知らずの男のペニスを受け入れることなど、どうとも思っていないことになる。
しかしそんな上手い話があるだろうか。
もし本当にそうなら、僕のようなモテない日本人は、みんなまとめてアメリカに移住すべきだ。だって日本人では芸能人かアダルトビデオ女優レベル――あるいはそれを遥かに上回るレベルの女性たちと、場合によってはタダでセックスし放題なのだから。
“We're here.”
そんなあられもないことを妄想しているうちに、僕らを乗せた馬は目的の場所へと到着していた。
広大な荒野に、ぽつんと佇む一軒家と、複数の家畜小屋。木製の柵に囲われ、辺り一面に牧草地が広がっている。
そう。ここは絵に描いたような農場だった。彼女は僕をここで働かせるつもりなのだ。
“I'm Alicia. What's your name?”
彼女は馬を降りて、馬上の僕に手を伸ばした。アリシアと名乗った彼女のシャツからたわわな谷間が見て取れた。
僕は胸元から目を逸らしつつ、そっと彼女の手を取った。
「ダ、ダイスケ……」
馬から降りるのは予想以上に勇気が必要だった。この高さだと降りるというより、もはや飛ぶに近い。乗馬初心者の僕にアリシアさんが手を差し伸べてくれたのは、ほとんど当然の行為に近かった。
しかし介助してくれたアリシアさんの手を見て、僕はとあることに気が付いた。
左手の薬指に光る指輪の存在だ。
“Hey mom, did you find a new person?”
知らない声に振り返ると、そこに金髪の少女が立っていた。
アリシアさんをmomと呼んだからには、彼女の娘なのだろう。
ツナギの下に長靴、真っ白なノースリーブという、まさに農場娘といった出で立ち。
高校生くらいだろうか。セミロングの髪をポニーテールのように束ね、真っ白なうなじと首すじが露わになっている。
まだ幼さを残す端正な顔立ちに、透き通るようなライトブルーの瞳。可愛らしい女子高生といった感じだが、アリシアさんの娘らしくバストの成長具合は米国だった。
“Hi, Carol. He's Daisuke.”
“Nice to meet you, Daisuke.”
バケツを持ったまま駆け寄って来た少女・キャロルは、とても人懐こい感じがした。広大な土地と広大な文化の中で育った、清冽な少女である。
「ナ、ナイストゥーミートゥー、トゥー」
明らかに年下の少女にも関わらず、僕はドギマギしながら差し出された手を取った。
日本ではこんな美少女と握手する機会なんてなかったし、話しても何かと警戒心を向けられたものだ。
しかし目の前のキャロルは露ほども警戒心を持たず、逆に向日葵のような笑みを向けてくる。
“She's Carol. My daughter.”
キャロルの存在と左手の指輪が示すように、残念ながらアリシアさんは人妻だったようだ。人様の女性に興奮してしまったことを心の中で懺悔しつつ、僕はもう一人の人物を探していた。
キャロルの父親。つまりアリシアさんの夫が見当たらない。
“We're all alone.”
その仕草を察したのか、アリシアさんはとくに寂しげもなくそう言った。
「二人だけ……?」
聞くところによると、このスタンレー農場は、アリシアの夫であるエドガーさんが自分の父親から受け継いだものだったが、その大黒柱であるエドガーさんが、五年前に病気で亡くなってしまったらしい。
娘のキャロルと二人きりで残されたアリシアさんは、一時は農場を畳むことも考えた。しかし亡き夫の農場への想いと、キャロルの馬や牛への愛情を知っていたため、女手一つで農場を存続することを決めたという。
最近ではキャロルも積極的に仕事を手伝ってくれるため、だいぶ楽にはなったというが、それでも繁忙期には人が足りず、こうして街で短期のアルバイトを雇っているのだという。
先程もアリシアさんはセントラルに人手を探しに行く途中だったが、折しも文無しのバックパッカーである僕を見つけたというわけだ。
ちなみにこの説明はすべて英語で行われた。聞き取れなかった部分は僕の想像による補完も多いが、それでも大きくは間違っていないだろう。
アリシアさんがわかりやすく身振り手振りを加えてくれたおかげもあるが、アメリカに来て僕の英語力もそれなりに上がったらしい。主にリスニングの分野ではあるけれど。
「バット、ヒュージファーム」
しかし見たところかなり広い農場だ。馬小屋や牛小屋の規模を考えると、かなりの数の家畜がいるだろう。それをたった二人で切り盛りするなど、側から見れば無謀である。
“Just as you said.”
案の定、労働者への負担は大きいようで、雇っても続かないのが現実だという。馬や牛が好き、というならまた別かもしれないが、朝も早く、家畜の臭いもする農場の仕事はなり手が少ないのが現状だ。おそらく、日本でも言えることだろうけど。
“Please work here for ten days, Daisuke.”
十日間か……。正直夏休みの残り時間を考えると、十日も一箇所に留まるのは痛いところだ。もちろん無一文で世界一周などできるわけもないから、どこかで働くことは必要だが、当初の目的が世界一周である以上、スケジュールを曲げるのも難しいところだ。
“Please Daisuke....”
キャロルの無垢な瞳が僕を見つめてくる。こんな美人二人に懇願されて、果たして心が動かない男がいるだろうか。
「イ、イエス。アイルワーク」
““Thank you very much!””
その瞬間、キャロルとアリシアさんの二人が僕の胸に抱き付いてきた。こちらの人は感情表現が大きいが、二人の膨らみを押し付けられて、果たして十日間も理性が保つがどうか、僕は大いに不安になったのだった。