娘の交換留学相手(11)がぐうシコ過ぎる件 作:かしわもち@ハーメルン
「言っておくけど、私たちの留守中にジゼちゃんに変なことしたら、絶対許さないからね」
「な、何もあるわけないだろ」
出かけ際、実の娘に自分がいまいち信用されていないと実感する言葉をかけられる。
娘の凛花はいまだ俺がジゼルちゃんに手を出すのではないかと疑っており、ことあるたびに牽制の言葉を向けてくるのである。
「ジゼも何かあったら、すぐ大声で叫ぶんだからね」
「ワ、ワカッタ……」
凛花の過保護ぶりに、実は当のジゼルちゃん本人も多少困惑しているというのが事実だ。
俺は今、ジゼルちゃんに絶大とは言わないまでも、かなりの信頼を置かれている。
そんな俺が自分に何か危害を加えるとはとても思えないのだろう。
大の大人と、小学五年生の女の子。
そんな組み合わせがたとえ二人きりになったとしても、普通は何も起きないものだ。
「ほら凛花、早く行くわよ。レッスンの時間に遅れちゃう」
花憐に急かされて、渋々車の助手席に乗り込む我が娘。
凛花が向かうのは週一で通っているエレクトーンのレッスンだ。三歳の頃から音楽教室に通っている凛花は、現在の一軒家に引っ越した今も、当時と同じ教室に通っている。
距離としては車で片道一時間半。我が家では毎回花憐が車で送迎することが通例になっている。
音楽教室なんてどこの街にもある。
にもかかわらず凛花が遠く離れた教室に通うのは、気心の知れた仲間がいるからだ。
三歳から同じ教室に通っているので、当然ながら学校のクラスメイトよりも付き合いが長い。言ってしまえば幼馴染みなのだ。
凛花はただでさえ学校に友達が少ない。気心の知れた仲間が学外にしかいないのであれば、当然その居場所を大切にする。
それに子供同士が幼馴染みということは、母親同士も必然的に気心の知れたママ友になる。だからこそ凛花の送り迎えは俺ではなく、母親である花憐が担当しているのだ。
今日は、週に一度の音楽教室の日。
ジゼルちゃんも一緒に連れて行く、というプランも凛花にはあったのだろうが、実際問題幼馴染みの輪の中に部外者であるジゼルちゃんを連れて行くのは気が引けるというのも本音なのだろう。
凛花には凛花の人付き合いがあるし、ジゼルちゃんだって本国に帰ればそうだろう。ただでさえ教室に参加するわけでもないジゼルちゃんを連れて行って、余計な疎外感を与えてしまうことに抵抗があるのも頷ける。
そうなると俺が凛花の送り迎えを担当すればいいのだが、他でもない花憐本人がママ友との井戸端会議を毎週楽しみにしているので、無碍に花憐を突っぱねるわけにもいかないのが現実だ。
そんなわけで、凛花は断腸の思いで俺とジゼルちゃんの留守番を受け入れた。
その程度のことで断腸されてしまうのも虚しいものだが、凛花からの信頼がわずかばかりでも残っているとも言えるだろう。
何より凛花が週一の留守番を許可したのは、他でもないジゼルちゃん本人が俺との留守番を難なく受け入れたことの影響が大きい。
普通、異性のホストファミリーと二人きりというのは本人の方も躊躇うものだが、ジゼルちゃんの返事は“No sweat.(何も問題ないわ)”だったので、凛花も受け入れるしかなかったというのが本音だろう。
これに関しては、ちゃんと凛花のレッスンまでにジゼルちゃんとの人間関係を築いておいてよかったと心から思う。他でもないジゼルちゃん自身が、俺と二人で過ごす時間を何でもないと思ってくれているのだ。ホストファミリーの父親として、こんなに嬉しいことがあろうか。
“Dad, please teach me about japanese culture!”
これはひとえにも、毎朝の日本講座によるところが大きいと思っている。
あの日、俺がジゼルちゃんに江戸時代の混浴文化について講義したのと同じように、日本文化・歴史講座は毎朝の習慣となっていた。
朝の弱い凛花が居間に降りてくるまで、花憐が朝の日課である洗濯をしている間、俺はジゼルちゃんに日本文化のあれこれを教授しまくっていた。
ジゼルちゃんが興味津々なのは、とくに日本の伝統文化や歴史についてであり、それらについてタブレットで画像資料なんかも交えながら英語でレクチャーしてあげると、ジゼルちゃんは毎回スカイブルーの瞳を輝かせた。
凛花も花憐もジゼルちゃんには色々教えてくれているが、どちらかと言うと現代日本関連のものが多いのと、英語自体もかなりのカタコトなので、あまり前のめりになれないというのが本音なのだろう。
ビジネス英会話教室で血の滲むような努力をした俺の英語力は家族の比ではないし、何よりプレゼン能力に関しては日々の仕事で鍛えている。
ジゼルちゃんが求める知識の特性や傾向、プレゼンの仕方。そういったものを全て研究し尽くして行われる日本文化講座に、凛花や花憐が敵うはずがない。
まあ、その事前準備のおかげで最近は寝不足なのだが、他でもない“娘”のためだ。父親として体を張るのは当然のことだろう。
『そうだな……今日は何を学ぼうか』
考える振りをしながら、まだパジャマ姿のジゼルちゃんの胸元を確認する。
この柔らかそうな揺れ方を見るに、おそらくジゼルちゃんはブラをしていない。
この日本文化講座のもう一つの目的。
それは純粋極まりないジゼル・アップルヤードという少女に、やや偏った日本の伝統文化を教えることにある。
日本人は混浴の文化があるので、異性の裸を見ることに抵抗がない。
裸を見せ合うことは心を見せ合うことであり、日本においては良いこととされている。
まあ広義の意味では嘘ではない。かなり極端で偏ってはいるが、こういう思想があるのもまた事実である。
そんな日本文化について教えた翌日から、ジゼルちゃんは居間にブラを着けて来ることがなくなった。
もちろんわざわざ外しているのではなく、元々寝る前に脱いでいたブラジャーを、わざわざ居間に降りて来るためだけに着け直すことをしなくなっただけだ。
でもそれに気付いた瞬間、俺はジゼルちゃんがなんて純粋で、日本文化の体得に真っ向から向き合っている少女なのだろうと感動した。
現状だけ見れば、ただ服の中の布切れが一枚取り払われただけ。パジャマの中のブラを取ったからといって、べつに中が透けてみえるわけじゃない。
それでもこの白人少女は、裸の付き合いという日本文化を一部を見事に体現してみせたのだ。
布を少なくするということは、それだけ俺に対する心の壁を取り払ったということ。
ブラ一枚が消えたということは、布一枚分、ジゼルちゃんが俺に心を許したということなのだ。
それが結果として、今回の留守番に繋がった。
いや今回だけでなく、凛花のレッスンは毎週必ずあるので、俺は凛花たちが帰宅するまでの数時間、ジゼルちゃんと必ず二人きりで過ごせる時間を手にしたことになる。
この数時間は、本当に大きい。
普段は四六時中凛花というボディガードが付いているので、朝の講義時間以外はロクにジゼルちゃんと会話できる時間も持てないのだ。
そもそも俺は普段働いているわけで、帰宅してもせいぜい一緒に晩御飯を食べて、二言三言会話すれば終わりである。帰宅した時点で既に二人の入浴は終わっていて、食事が終われば娘たちは自分たちの部屋に行ってしまう。
そんなすれ違い(まあホストファミリーの父親なんてどこもそうだろうけど)の中で、束の間に訪れたジゼルちゃんとの時間。
この貴重な瞬間を、俺は一秒たりとも無駄にするわけにはいかないのだ。
『せっかくだから、今日は実地訓練に行ってみようか。これまでの講義で学んだことを、実際に体現できる場所に行ってみる。座学だけであれこれ学んでも、実際に体験してみなければわからないことも多いからね』
何を学ぶにもフィールドワークは重要だ。ジゼルちゃんは三ヶ月後にはアメリカに帰ってしまうのだから、それまでの間にできるだけ多くの日本伝統文化に触れる必要がある。
『実地訓練?』
小首を傾げつつも、ジゼルちゃんが大いに期待していることがわかる。くせっ毛気味の艶やかなブロンドヘアーも、透き通るようなスカイブルーの瞳も、今日は一段と輝いて見える。
『そうだな。せっかくだから初日に学んだことにしよう。最初の講義で僕が教えたこと、ジゼルは覚えているかな?』
『最初に?』
ルンルン気分で思案を巡らせる金髪白人少女。しかしその答えにたどり着いたとき、一瞬だけ表情を硬直させる少女がいた。
朝の日本伝統文化講座で、俺が初日に教えたこと。それは――
“Mixed......bathing?”
戸惑いながらも、答えを口にするジゼルちゃん。その表情には驚きと躊躇いが大いに滲んでいる。
『そう、混浴だ。今日はパパと二人で、実際に混浴ができる温泉に行ってみよう』
もちろん俺は爽やかな笑みで、下心など一ミリも見せるつもりはなかった。
だってこれは、ジゼル・アップルヤードが日本文化を学ぶための、必要なフィールドワークなのだから。
『パパ、混浴の温泉はどこにあるの?』
目的地はどこであれ、車に乗り込むと子供はわくわくするもの。それはアメリカ人の女の子でも同じようで、最初は混浴の二文字に戸惑っていたジゼルちゃんも、車で二十分走った頃にはすっかりピクニック気分になっていた。結局彼女にとっては混浴もまた尊重すべき日本の文化なのだろう。
ちなみに望月家には車が二台あり、花憐は小回りの効く軽自動車、俺は三列シートのミニバンと使用者が分かれている。ミドルサイズミニバンの広い車内に、俺とジゼルちゃんは二人きりだった。
助手席に座る、白人の美少女。
艶やかなくせっ毛のブロンドセミロング。横顔でも正面でも整いすぎた目鼻立ち。人種の違いを強く思わせるスカイブルーの瞳。娘とは明らかに格差のある、胸元の膨らみ。
まさか人生において、小学五年生の白人少女を助手席に乗せて移動することになるとは思わなかった。
しかも車内で二人きり。果たしてこんな状況があっていいのか。少し深呼吸をするだけで、女の子特有のいい匂いが鼻腔の奥をくすぐる。
喩えるなら、凛花のクラスメイトを車で家に送るシチュエーションか。
でもその際は間違いなくクラスの女の子は二列目以降に座るし、当然ながら車内に凛花も同席している。しかもジゼルちゃんは、そんな日本人の小学生と一線を画す身体つきをしている。これでよからぬことを想像するなとい方が無理な話だ。
とはいえこんなところで狼になったらこれまで積み上げて来たものが全てご破産になるので、必死に理性を保つ必要がある。まさか狭い車内空間に二人きりになるだけで、こんなにも本能を呼び起こされることになるとは思わなかった。
『あと三十分くらい走った先だよ。眠かったら寝ててもいいからね』
『せっかくパパとお出かけなのに、眠るなんてもったいないわ』
その天使のような屈託な笑みに、心の臓を貫かれる。いったいどんな風にして育てればこんな小学五年生が育つのか。アップルヤード夫妻に是非ともご教示賜りたいものだ。
『じゃあ、今日の講義は車の中でしようか』
凛花と二人きりのときよりも、遥かに会話の弾む車内。俺が日本人でジゼルちゃんが白人である点を除けば、俺らは仲の良い父娘にしか見えないだろう。
かつては凛花とも会話が弾んでいたが、いつからあんな風に冷たくなったのか、今では助手席に座ってくれることもなくなった。もしジゼルちゃんと談笑する姿を見られても、凛花はヤキモチすら妬いてくれないだろう。
『ここだ』
楽しい時間は早く過ぎるもので、俺らはあっという間に目的地たどり着いた。
郊外にある、やや寂れたスーパー銭湯と言えばいいだろうか。
僻地にあるせいか休日だというのに駐車場に車はまばらで、うちの車を入れても数台しかない。この辺りは電車などのアクセスも悪いので、本当にこの数台分しかお客がいないのだろう。
『日本の銭湯のシステムは知ってるね』
実はジゼルちゃんが来日してそう経たないうちに、近所のスーパー銭湯には行っている。
もちろん男一女三なので俺は疎外感丸出しだったが、その際に日本の大衆浴場のルールをジゼルちゃんも理解しているはずだ。
『銭湯には水着では入らない。湯船に入る前に必ず身体を洗う。浴槽内にタオルは絶対に入れない』
自信満々で既に体得した日本文化を披露するジゼルちゃん。一度覚えたことは忘れない。基本的には利口な少女なのだ。
『浴場に入った一番奥に、混浴露天風呂の入り口がある。洗い場で体を洗ったら内風呂には入らずに、そのまま混浴風呂に直行だ。わかるね?』
『うん……心して掛かるわ』
緊張した面持ちで返事をするジゼルちゃん。利口ではあるが、日本の伝統文化に対してはあまりにも無防備だ。まあそれを利用している自分に言えた義理はないが、それだけ純粋で真っ直ぐな少女であることは、彼女のホストファミリーである俺が保証しよう。
『じゃあパパ、また後でね』
真剣な面差しで、女湯の暖簾の奥へと消えて行くジゼルちゃん。
ちなみにこのスーパー銭湯、混浴の露天風呂があるのは本当だ。噂では夜は男女の出会いの場として需要があるとのことだが、昼間は閑古鳥が鳴いているとのこと。
まあ今日日混浴など流行るはずがなく、それを言わば目玉にしているこの施設がほとんど潰れかけているのは仕方のないことだ。
しかもスーパー銭湯とは名ばかりで、マッサージサービスやレストランがあるわけでもない。要するに無駄に広いだけの“銭湯”で、そんな場所にわざわざ交通の弁の悪さに目を瞑ってまで訪れる若者はそうそういない。
実際男湯の脱衣所に入ってみても、老人の客が二、三人いる程度だ。本当に普通の銭湯感覚で使っているのだろう。
中に入ると、それなりに広い浴場が広がっているが、やはり閑古鳥が鳴いている。そこそこ広い内湯と、同程度の広さの露天風呂。海が見えることである程度の価値は付与されるが、さらに奥まった場所にある、景色も悪いとされる混浴露天風呂に、わざわざ足を踏み入れる人間は一人もいない。
このご時世、若い女の子は混浴になど入らない。それは男側も理解していて、誰もいないとわかっていてわざわざ景色の悪い混浴風呂には入らない。
それでも下心のある人間はいると思われるかもしれないが、そういう輩はこぞって夜に集まるので、昼間の混浴風呂はいよいよ開店休業状態なのである。
だからこそ、ここを選んだ。
俺は洗い場でさっさと体を清め、内湯や露天風呂には浸からずに、そそくさと混浴露天風呂の入り口をくぐった。
事前の調べでもわかっていたが、入り口には混浴利用での注意書きがいくつか記されており、その中には十八歳未満利用禁止の文字もある。
申し訳ないが、ここはあえてルールを破らせてもらう。ジゼルちゃんがまだ漢字が読めないことは把握済みだ。仮に女湯側で同じ看板に出会したとしても、今時英訳すら記されていないルールにジゼルちゃんが気付くわけがない。
大人の俺が一人で混浴に入ることは何ら不自然ではないし、方やジゼルちゃんが混浴風呂に入ろうとしたところを他の利用客に呼び止められても、外国人なので看板が読めなかったで事が済む。
ある意味で、完全犯罪。
まあそもそもこんな閑古鳥が鳴く郊外のスーパー銭湯で万全を期す必要はないのだが、念には念を入れてだ。
「まだ、誰もいないな……」
ネットでの評判通り、混浴風呂は外の景色もロクに見えない、こじんまりとした露天風呂だった。こじんまりと言っても普通の銭湯の湯船くらいあるが、景色の良いもう一つの露天風呂を捨てて、わざわざ混浴側を利用する必要はどこにもない。左右の入り口双方に「この先男湯(女湯)」と大きく書かれているのは、間違って異性湯に入る事故を防ぐためだろう。それだけこの混浴という場所が危うい空間であることを示している。
「……よし」
俺はタオルを肩に掛け、のぼせないように腰だけ湯船に浸かってジゼルちゃんを待つことにした。
早めに来たのは、人の気配を漂わせることで、男湯と女湯双方から人の入りを抑制するためだ。
興味本位で混浴風呂を訪れる客がいるとしても、中に人の気配があればたまらず尻込みするものだ。邪な気持ちで混浴を利用したと思われたら……そんな心理が邪魔をして、日本人は身を引く生き物なのである。
でもジゼルちゃんに関しては事前に中に俺がいることを伝えてあるので、尻込みして女湯の中に戻ることはない。いや、やっぱり裸を見られることを許容できず、中に逃げ帰る可能性はあるけれど、俺は彼女の中にある、日本の文化をとことん探究したいという心を信じることにした。
“Daddy...?”
女湯の奥から聞こえる、聞き慣れたネイティブ英語。その言葉と同時に、俺の心臓が爆跳ねしたのは言うまでもないだろう。
緊張を押し殺して“Giselle.”と声を掛けると、ぺちぺちと石畳を歩く裸足の足音が聞こえた。そして入り口の陰から、鮮やかなブロンドヘアと顔だけが覗き込んできた。
“Are you alone...?”
ジゼルちゃんがしきりに警戒しているのは、俺以外に男性客がいないかということだった。混浴という文化に身を投じるとしても、見ず知らずの男に裸を見られることには抵抗があるのだろう。
お風呂用に髪を上で束ねた姿が新鮮だ。不安そうな面持ちのジゼルちゃんは、しかしこの場に俺しかいないことがわかると、途端に安堵して湯船の方に歩いてくる。
(マジかよ……)
心臓が飛び跳ねるとか、もはやそんな次元じゃない。
正直、心臓が喉から飛び出すと思った。あのジゼルちゃんの肢体が、タオル一枚で目の前で露わになったのだ。
眩いばかりの、真っ白な肌。
しかもタオルと言っても浴場にバスタオルを持ち込むはずはなく、身体を洗う用の小さなハンドタオルが一枚だ。それを腕で挟んで下に垂らす形で身体を隠しているジゼルちゃんだが、形の良いお椀型の横乳や谷間が見事に見えてしまっている。下だって大事な部分こそ隠れているが、流麗な脚線美が腰骨まで含めて丸見えだ。
半裸、いや全裸に申し訳程度のタオルが被われているだけ。あのジゼルちゃんが、ほとんど全裸を晒した形で俺の前に立っているのだ。
夢でも、見ているのだろうか。
ジゼルちゃんの交換留学が決まった後でさえ、そんなシチュエーションが起きるのは夢物語だと思っていた。
しかし今、現実としてジゼルちゃんはタオル一枚のまま俺の前に立っている。
小学五年生とは思えない豊満なボディを晒して。身を守るにはあまりにも頼りない、薄っぺらなハンドタオル一枚で身を隠して。
果たしてこれが凛花と同い年の女の子なのかと、本気で思う。
身長はあくまで145センチ程度。背の低さも顔立ちのあどけなさも紛うことなき小学生なのに、くびれや特定部位の膨らみが小学生のそれを遥かに凌駕している。おっぱいはどう見てもおっぱいだし、おしりの丸みも腰のくびれも、ご賞味あれと言わんばかりの煽情性を放っている。
その全てを、あと一手順で拝める。
途方もない事実に怯えて逃げ出しそうになるが、今日は逃げないともう決めた。
今日の目的は、江戸時代から続く日本の混浴文化を、娘であるジゼルちゃんと共に体感すること。
そう自分自身に言い聞かせて、俺は恐る恐る湯船から立ち上がった。
“Da, Dad...!?”
ジゼルちゃんが目を丸くして硬直する。タオルは肩のまま立ち上がったのだから、当然ながら股間にぶら下がるモノは全て丸見えになっている。
自分としては、そこそこ立派なモノだと思っている。
平常時でもちゃんと剥けているし、太さも長さも、銭湯やサウナで自信を持って晒せるサイズであると自負している。
もちろん、巨根の多いアメリカ人に勝てるなどとは思ってない。しかしそもそも、父親とすら一緒にお風呂に入らない欧米圏の少女が、リアルな男性のペニスを見たことがあるとは思えない。
案の定ジゼルちゃんは、生まれて初めて見るような目で俺の股間のモノを凝視している。
男の人の股間って、あんなものがついてるの?
大人と子供で、あんなにも形が違うものなの?
少女の混乱はもっともだ。小学五年生にして、リアルな大人の男性器を見る機会なんて普通ない。
ましてやシャイで大和撫子のジゼルちゃん。大人のペニスなんて、画像やイラストですら見たことがないだろう。
かく言う俺も、露天風呂の風が丸出しになった股間に当たって落ち着かない。
普段の生活では絶対に見せることのない部位を、俺は娘と同い年の少女に見せつけているのだ。
温泉で裸になるのは何らおかしなことではない。
でも目の前に小学五年生の女の子がいるというのはあまりにもイレギュラーだ。
こんなにもグロテスクで剥き出しのものを、あのジゼルちゃんに凝視されるなんて。
しかしいつまでもこうしてはいられない。
ジゼルちゃんにチンポを見られることの背徳感はあるが、今回の目的はあくまでも混浴だ。
混浴のためには、まず互いが裸になること。
ジゼルちゃんが纏う無粋なタオルを、自らの意志で地面に落としてもらう必要がある。
『ジゼル、これが混浴だよ』
その場で硬直したままの白人少女に、日本固有の文化を解く。
浴槽にタオルは入れない。お互いに裸を見せ合って打ち解け合う。
ここは日本だ。アメリカじゃない。
君が学びたい日本文化はここにある。
改めて言うまでもなく、ジゼル・アップルヤードは純粋な女の子であり、日本文化に対して真面目な女の子だ。
ホストファミリーとはいえ異性の前で裸になることに抵抗がないわけがない。むしろ顔から火が出るくらい恥ずかしいだろうが、日本の文化を尊重したい。混浴の文化を体感することで、より日本人の心に近づきたい。ジゼルちゃんがそんな風に思っていることは、今まさに覚悟を決めようとしている少女の表情を見ればわかった。
だから、こうなることはわかっていた。
意を決した彼女が、腹を括った彼女が、自分の身を護っていた最後の一枚を石畳みの上にパサリと落とし、俺の前で全てを曝け出すことは。
(ありえない――)
ジゼル・アップルヤードちゃんが曝け出した、眩いばかりの肢体。
そのお椀型の綺麗なおっぱいを、薄桃色の乳輪と乳頭を、俺は未来永劫忘れることはないだろう。
タオルを落とした弾みでかすかに揺れる、ジゼルちゃんのバスト。
俺の想像を体現した見事なお椀型で、大きさも小学生としてはベストだ。
あの日タンクトップ越しに見た通り、見事な薄桃色の乳輪と乳頭。あまりにも色素が薄すぎて肌の色とほとんど区別がつかない。
それでも色、形、大きさ全てにおいて理想を体現した乳首であることはわかり、瑞々しさを象徴する艶すらも見てとれた。
大人の手のひらサイズの見事なおっぱい。
それが薄桃色の乳輪と乳頭も含めて、余すところなく晒されている。
ここまで見事なロリおっぱいは、ディープウェブやダークウェブの児童ポルノサイトでも見たことがない。小学生らしからぬくびれとこのおっぱいだけを切り取れば、これが十一歳の子供のものだとは誰も思わないかもしれない。
いや、それでもよく見れば、ジゼルちゃんのそれが膨らみかけ特有の張りや形をしていることはすぐわかる。俺のようなプロのロリコンが見れば、これが小学生のおっぱいであることは明らかだろう。
ただ大きいだけじゃない。ちゃんと膨らみかけであることが如実に感じ取れる。まさに小学生として、理想的なロリ巨乳なのだ。
そして余すところなく晒された、少女の下腹部。大人っぽい脚線美と腰に、日常生活では絶対に見られない、綺麗なピンク色のスジとつるぺたの丘陵。
おまんこ、pussy。
そんな単語だけではとても表現し切れない。女の子の秘密の聖域が、大人の男の前だというのに布切れひとつなく晒されている。
なんて綺麗なおまんこだろう。形が良いのは言わずもがな。張りがあるし、大人が持つグロテスクさは微塵もない。まさに小学生のそれと言っていい、完璧な見た目の割れ目だった。
予想通り、おしりの肉付きも素晴らしい。
本当に理想的な身体つきをした、奇跡の小学五年生だ。
正直、勃っていないことが不思議だった。
例のタンクトップ事件のときがそうであるように、ジゼルちゃんの身体があまりにも美しすぎて、小学生の身体として完璧すぎて、性欲すら湧いてこないのかもしれない。
“Daddy...I'm nude.”
わざわざ言われなくとも、ジゼルちゃんがおっぱいとおまんこ丸出しのフルヌードであることはよくわかる。
しかし彼女が言って欲しいのは、娘として聞きたいのは、きっとそういうことではないはずだ。
“Good job, Giselle. This is japanese mutual understanding.”
まあなんて適当なことを言うんでしょうと、自分でも思う。しかしそんな俺のサムアップに、ブロンドヘアの少女は恥ずかしそうにしながらも、ホストファミリーの父親に全てを曝け出しながらはにかんだ。
つるつるのおまんこも、Cカップぐらいのおっぱいも全部丸出しのまま、俺との間の微笑ましい雰囲気を受け入れている。
アメリカ産の大和撫子、ジゼル・アップルヤードちゃんは、日本文化の為なら文字通りひと肌脱げる思い切りの良さを兼ね備えているようである。
お互いの裸を見せ合うことは、お互いの心を見せ合うこと。
かなり誇張して言った表現だったが、あながち間違いではないかもしれないと、娘と同い年の少女と裸の付き合いをしながら思う。
まあこんなところを凛花に見られたら、間違いなく一家離散なんだけどね。