陸上部のメンバーが合宿で街を離れていたある日、僕は伊藤さんの買い物に付き合っていた。伊藤さんは、こないだ行った水族館でピラルクーのキーホルダーがなかったことが残念で、ないものは自分で作ればいいと思い立ったのだそうだ。そこで、ピラルクーのキーホルダーを自作するための素材を見つけに行こう、と僕が誘われたのだ。
「おはよう、あかねちゃん」
「おはようございます、鈴木先輩」
いつも通り、駅で待ち合わせ、最初に図書館に向かう。まずはピラルクーの写真が載っている本を探し、学習室でスケッチをしたいのだそうだ。本棚から3冊ほど持ってきて学習室でスケッチをし、1時間ほどでピラルクーの写真の模写的なスケッチや、キーホルダーの完成イメージ的な可愛らしいイラスト風のものまで一気に何枚かを描き上げた。
「大体イメージは掴めました。これからDIYの店に行きましょう。」
伊藤さんの言葉で、僕たちは、図書館を後にしDIY専門店へと向かった。
DIY専門店には様々な素材がある、紙、布は勿論、革、ガラス、樹脂、木材、金属、その他特殊素材もだ。これだけの素材を目の当たりにして、伊藤さんは使う素材を決めきれないようだった。そこで、素材と相談、つまり素材を目の前にイメージを固めていくために、とりあえず全売り場を順番に回ることにした。まず最初に訪れた紙と布のコーナーをスルーした伊藤さんは、革素材のコーナーで足を止めた。流石に伊藤さんも全ての素材に関する加工ができるわけではないので、イメージと素材の質感、それから自分にできること、出来ないこと、出来るようになると思えること、そんなものを天秤にかけながらずっと考えている。そんな伊藤さんは楽しそうに見えるし、僕もそういう伊藤さんを見るのは好きだ。
樹脂のコーナーで、伊藤さんが色々と考え事をしているので、僕は同じ樹脂のコーナーをウロウロして時間を潰していた。樹脂の硬化方法に関する説明が書いてある看板を読みながら感心していると、誰かと肩が触れ合う感触があった。
「あ、すみません、ぼうっとしていて」
「す、すみませんっ」
とっさのことに思わず謝ってしまう僕だったが、相手も同時に謝っていた。
「あれ? 委員長? ここで何をしてるの?」
「す、鈴木君?」「わっ、私は小物を作るための材料を探しに...鈴木君は?」
「僕は、伊藤さんの付き合いだよ。彼女も素材探しにここに来てるんだけど。」
と伊藤さんの方を指さした。
「じゃ、委員長。」
本当は、山本とどうなっているのか聞きたかったが、こういう話は山本に直接聞くべきだろと思い直し、伊藤さんの方に向けて歩き出した。
「あのっ、す、鈴木君!」
「ん?」
委員長の方を振り返ると、訴えるような目をした委員長の顔があった
「...少し相談に...話を聞いて欲しいんだけど、いいかな...」
「....今?」
一人の時であれば話を聞くくらいやぶさかではないが、今は伊藤さんとのデート中だ。偽装カップルとは言え、最近は伊藤さんと一緒にいるのが楽しいし、僕にとって伊藤さんは今一番大事にしたい人だ。
「...できれば...」
「今二人っきりというのは無理だけど、伊藤さんと一緒でもいい?」
「うーん、...それでいいよ..」
「じゃあ、ちょっと待って。」
僕は、伊藤さんのところに行き、昼食時にたまたまそこ出会った委員長が同席するけどいいかな?という感じで話をしたところ、はい、大丈夫です、という返事をもらった。
「えと、大丈夫だって。」
伊藤さんが樹脂コーナーで買い物を済ませるのを待って、僕達はレストランに行き、僕と伊藤さんが並んで、向かいに委員長が座る形でテーブルに着いた。
「あかねちゃん、えっと、改めて紹介するけど、こちらが僕のクラスの委員長で川上さん。」
「委員長、こちらが僕の彼女、伊藤さんです。」
伊藤さんと委員長もお互い挨拶を済ませ、食事の注文を済ませると、委員長が語りだした。結構長い話だったので、途中、食事しながらの語りになったのだが。
ここ一月くらいは、佐藤と一緒にいることが多かったこと、佐藤との関係は御存知の通り。最近山本が親切にしてくれて、その縁で夏休みに入ってから一緒に試験勉強をしてること。そして、委員長の心が山本に傾きかけていること。
「私...自分が思っているほど一途じゃないみたい...」
僕は、委員長の話に僕の話が一言もなかったことに一抹の寂しさを感じていたが、山本の想いが委員長に届きつつあることについては素直に嬉しかった。
「僕は、佐藤のことは正直良くわからないし、彼がどういう経緯で委員長と付き合うようになったのかを知らないから、佐藤についてのコメントは出来ないんだけど...」
そう前置きして僕は続けた
「山本はいい奴だよ。最近友達付き合いするようになったばかりだけど、不公平なことが嫌いっていうか。そうだ、例えば、委員長の仕事を手伝った後。僕達に『委員長がクラスのために色々してくれているのに俺達はそのことを知らなすぎる』『そもそもあの仕事は委員長一人に押し付けるものじゃなくて俺達も分担してやるべきだ』って言い出してね。それで、委員長と山本が一緒に勉強するようになった経緯についてはある程度知っていて。」「それはともかく、山本はそうやって筋を遠そうとするところがあるんだよ。」「それに...これを僕が言ったことは山本には内緒にして欲しいんだけど...山本は委員長のことずっと見てたし、これからもずっと委員長だけを見てくれると思うよ。」
「うん、山本君は、とてもいい人だと思う...」
「あと、これは僕の勝手な想いで、いつか言ったことかも知れないけど、僕にとって委員長は今でも大切な友達で、山本も僕の大切な友達で...そういう大切な人同士が仲良くなるのを見るのはなんか嬉しい、かな。」
「ありがとう。私にとっても、鈴木君は大切な友達、だよ。」「でも、改めてそう思うようになったのは本当に最近で、色々考えるようになってからなんだけど。」「だから、ずっとそのことを忘れててごめんなさい。」「なんか、そのことを鈴木君に伝えられてよかった。」
「僕の方こそ、あの頃は委員長やみきとさくら、いつも一緒にいるのが当たり前で、みんなのこと大切だと思ってる、って伝えられなかったことがずっと後悔としてあったんだよ。前に言ったことあったかもしれないけど。」「まぁ、だから、そこはお互い様ってことで。」
「ありがとう、鈴木君。話を聞いてくれて。おかげで少しスッキリしたよ。」「じゃあ、そろそろ行こうか。鈴木君はデートの途中だしね。」
委員長はそう言うと、席を立った。
別れ際、委員長は伊藤さんに向かって
「あと、伊藤さん... 今日は折角のデートなのにごめんね。」「鈴木君のこと、よろしくね。」
委員長は最後にそう言って歩いていった。
僕と伊藤さんもすぐに店を出て、買い物の続きをしにDIY専門店へと戻った。そして、伊藤さんはいくつかの買い物を済ませたが、流石に二人共かなり疲れていたので今度は近くの喫茶店に入った。
伊藤さんは、テーブルの上に今日の収穫物を広げ、僕にその素材の特徴とアクセサリーのアイデアについて熱く語っていたが、そのうち複雑な表情でこう言った
「...鈴木先輩にとって、私ってどうなのかな?って、」「やっぱり、偽装カップルの相手...なんでしょうか?」「さっきの川上先輩との話を聞いてて、ずっとそんなことを考えてました。」
僕は伊藤さんのこの問いに愕然とした。質問の内容にではなく、僕は彼女にこんな思いをさせていたことに、だ。結局、僕は近くにいる大切な人に、またこんな思いをさせてしまっていたのだ。
「うーん、そうか。あかねちゃんにそんな思いをさせていたなんて気づかなかったよ、ごめん。」「さっき委員長に偉そうに『後悔している』なんて言ったけど、同じ後悔をあかねちゃんにもするところだった。本当にごめん。」
「僕にとっては、あかねちゃんは、最初から大切な人、ではあったんだよ。」「でも、少しずつ意味が変わって来ていて...自分でも整理がつかないから最初から説明するね。」
「はい...」
そう答えた伊藤さんの表情は、少しだけ和らいで見えた。
「最初、と言っても偽装カップルになりたての頃だけど。この頃は、佐藤から守ることだけを考えていて、だから、あかねちゃんは『佐藤から守るべき大切な人』だったんだ。」「ところが、山本達との話を一緒にしたり、偽装カップルとしてあかねちゃんと一緒にいる時間が長くなって、少しずつだけど、佐藤とは関係なく僕にとって大切になっていったんだよ。」「そして今は...ちょっと恥ずかしいんだけど、あかねちゃんは...一番大切にしたい人...かな。」
「...はい。」
僕には伊藤さんのこの答えの意味まではわからなかったが、この時の表情は少し嬉しそうに見えた。でも、僕はこの時に、伊藤さんにとって僕はどうなの?と聞き返す勇気はまだなかった。