夏休みが終わり、期末試験最後の日の放課後。僕はいつもの通り図書室に行き、本を読みながら伊藤さんの仕事上がりを待っていた。
今年の夏休みは、色々な事があった。石井と順に引き続き、山本と委員長が付き合い始めた。それから、最近、前田がさくらといい感じになっている。
佐藤のハーレムは、みきの情報によると、佐藤の前の学校の女子との間で一応成立しているらしい。一方で、みきは佐藤から離れたようだ。
佐藤とハーレムに関する噂は、一部を除いて霧散していた。委員長が山本と付き合い出したことで、手芸部に関する噂が立ち消えになり、みきに関する噂は、みきが噂を認めつつ佐藤から離れたことが広まることで噂としての効力がなくなった。残ったのは、佐藤やりチン説と複数女子と付き合っているという噂のみだ。
それから、順の話によると、順の高校でもウチの高校での噂が広まっているらしい。かつてのハーレム仲間(?)から相談を受けることもあると言っていた。
ゲーム仲間は、順に陸上部のメンツ、伊藤さんに加え、夏休みの後半あたりから、さくらが加わった。手練れプレイヤーの参戦に、陸上部メンバーも盛り上がっている。
クラスでの佐藤の様子は相変わらずだ、休み時間になると、噂好きの男子と噂好きの女子が佐藤と楽しそうに話をしている。ただ、女子の方は情報を持っているようで、聞こえてくる会話から、佐藤とは絶妙な距離感を維持しているようだ。その辺り、女子はしたたかだ。
僕の周辺も少し変化があった。山本と委員長が付き合い始めたこともあって、以前と全く同じというわけではないが、委員長とは普通に話をするようになった。ゲーセンではさくらとも普通に話をするが、クラスでは、普通のクラスメートとして以上に話をすることはない。みきも、普通のクラスメートとして程度だが、話をするようになった。
伊藤さんの仕事が終わる時刻になり、1年生の昇降口に移動する。
「鈴木先輩!」
「やあ、あかねちゃん。」
いつもの挨拶を済ませると、駅に向かって歩き出した。
「あかねちゃん...ちょっと、話したいことがあるから。その、少し寄り道していいかな?」
「はい、いいですけど、どんな話なんですか?」
「えと、それは...着いてから話すよ。」
「他の人に聞かれたくない話なんですね、わかりました。」
僕たちは、例の川縁に来て、二人並んで座った。人に聞かれたくない話はいつもここに来る。
「あかねちゃん、一つ提案があるんだが...」
「はい...」
「僕達の偽装カップル...そろそろ解消しないかな?って思うんだけど、どうかな?」
「えっ? 何か私....」
「えと、こないだあかねちゃんが僕に聞いたよね、僕にとってあかねちゃんってどどうなのかな?って。」
「はい..」
「僕にとってさ、あかねちゃんって、一番大切にしたい人になっちゃったんだよ。」「だから...『偽装』じゃなくて、普通のカップルにならないか?、っていうか、付き合って欲しいんだ。どうかな?」
「えっ?」
時々伊藤さんはこの「えっ?」みたいな、どちらとも取れる反応をする。これはどっちだろうか? 僕は心配になり、言葉を続けた。
「あかねちゃんは、僕のことどう思ってるの?」「今まで怖くて聞けなかったんだけど。」
「えと、そうですね。鈴木先輩は、私のために色々してくれました。佐藤先輩から守ってくれたり、一緒に色々と考えたり、遊びに行ったり。鈴木先輩といるのは、いつも楽しかったです。」「それに、先輩は後輩である私の話も、いつもちゃんと聞いてくれました。後輩のくせに、とかそういうことを言われても仕方ない発言もあったと思いますが、いつもちゃんと聞いてくれました。それが、とても嬉しかったんです。」「それで...いつの間にか、鈴木先輩は、私にとっても、一番大切な人、になってました。」「鈴木先輩は、誰にでも優しくて、そして時間を使って実際に人のために動いて、私もそうですし、川上先輩や、山本先輩や、そういうのをたくさん見てきて、今、私はどうなんだろう?鈴木先輩にとってどうなんだろう?って。少し寂しい感じがしました。」「以前、私は、誰にでも優しいことはいいこと、自分にとっては、優しさの絶対量が大事、って言いました。でも、少し違ったんです、やっぱり私、鈴木先輩には私のことを、特別に思って欲しいです。ですので、私、鈴木先輩の気持ちを聞けて嬉しかったです...」
ここで、伊藤さんは少しの間沈黙し、息をスッと吸ってからこう言った。
「ですから、先輩からの提案、お受けしたいと思います。よろしくお願いします。」
「ほっ、ああ、良かった。あかねちゃん、ありがとう。」
僕は思わず伊藤さんの両肩を手で掴んでいた。そして、一瞬戸惑った表情の伊藤さんの顔を見て、そのまま両肩を抱き寄せた。
「好きだよ、あかねちゃん。」
耳元でそう囁くと
「私も好きです...鈴木先輩...」
伊藤さんもそう返してくれた。
次の土曜日、僕は伊藤さんを家に呼ぶ約束をした。凛に会わせようと思ったからだ。
当日、僕は駅まで迎えに行った伊藤さんを連れて帰宅した。
「ただいまー。」
「おかえり、お兄ちゃん。」「そちらの方がお兄ちゃんの言ってた彼女さん?」
「そう、こちらは伊藤さん、伊藤あかねさん。」「で、あかねちゃん、彼女が僕の妹、凛だよ。」
「凛さん、伊藤あかねです、よろしくおねがいします。」
「あかねさん、私が妹の凛です。よろしくね。」「それにしても、いつの間に彼女作ったの? もう、一時期は元気なくて心配だったんだから。」
「あの時はごめん。でも今は元気になったから...ありがとな。」
「うん、で、しばらくしたら私、出かけると思うから。」
「あ、うん、わかったよ。」
そんなやり取りの後、伊藤さんを部屋に招いた。
「あかねちゃん、ごめんね。」「本当は妹も交えて色々話をしたかったんだけど、凛のやつ、何か今日用事があったみたいで...」
「あ、いいんです、ご挨拶はできましたし。それに...」
そのとき、スマホが振動した。
「あかねちゃん、ちょっとごめん。」
そう言ってメッセージを見ると、凛からだった。
「おにいちゃん、あかねさんいい人そうだね。私は友達と買い物行って夕方まで帰らないのでごゆっくり。」「それから、冷蔵庫にスイカあるから二人で食べてね。」
「凛のやつ...」
思わず呟いてしまった僕に、伊藤さんが心配そうに声をかける。
「どうかしましたか?」
「いや、凛がちょっと友達と出かけるって。それから少し遅くなるけど、心配するなって。」
「凛さんって、お兄さん思いで可愛いですよね。」
「可愛いかはともかく、妙に優しいところがあるんだよな。僕もそれで助けられたことがあったよ。」
伊藤さんとはいろいろな話をした。図書館で最初に出会った時の思い出話から、山本や石井と川縁で話をしたときのこと。石井の話が面白くて、図書館で数学の本を物色したときのこと...
そんな中で、僕はふと思い出したことがあり、伊藤さんに聞いてみた。
「そういえば、最初に会った時にジョークの本を勧めてくれたけど、あの本は読んだことあるの?」
「はい。全部通して読んだのは一度ですが、時々クスッとしたい時に時々開きますね。 図書委員になったばかりの時に、委員の先輩に貸出記録の説明を受けた時にたまたま開いたページに出ていて、一人の人が何度も借りてるのが引っかかっていて...それで読んでみたら面白かったんです。もしかすると、何度も借りた人というのが先輩のお友達なのかも知れませんね。」
「そうかもね、図書室で借りて気に入ったから自分で買ったのかも...」
「そういえば、石井先輩の計算の話に戻りますが、最近知ったフェルミ推定っていうのに少し似てると思いまして。」
「フェルミ推定?」
「目の前の問題に対して、今分かってるデータを論理的に組み合わせて大まかな計算をする、みたいなことのようなのです。元々は、原爆実験に立ち会った物理学者が、爆発の時にティッシュを落としてそこから爆発のエネルギーを計算したって逸話から来ているそうです。」
「なるほどね~、確かにそんな感じだったね、あれ。」
「そう思いました。」
「石井はそれを独自に考えた計算したのかな? だとするとあいつはとんでもないやつなのかもしれない。」
「はい、私もこの話を知った時に石井先輩凄いって思いました。」
伊藤さんとの話題は、次々に話題を変え、そのうち好きな本や好きな映画の話になり、さらに「旅の商人達」という映画の話題に移った。その映画は、異世界を旅する商隊が、途中現れたモンスターに蹴散らされ、商隊が崩壊する中でそれぞれのメンバーが助け合いながら目的地に向かう、といった内容のもので、世間的には活劇ラブストーリー的な評価をされている作品だ。一方で、独特な世界観の描写が優れており、異世界旅情物という評価もあるし、パニック物という一面もある。ただ、やはり一般的には、商隊の長の娘と途中から加わる護衛の兵士とのラブストーリーという扱いを受けることが多い。
僕は、この映画の独特な異世界観がよく描かれていて、本当に旅をしているかのような部分が好きなんだが、伊藤さんはモンスターの襲撃後に各登場人物同士のやり取りや、そこで生まれる絆、そういった人間模様が好きなようだ。
「あ、その映画ならウチにあるよ。」「居間は誰も居ないので一緒に見ない?」
「そうですね、私も最近見てなかったので、鈴木先輩と一緒に見たいです。」
「じゃあ、下に行こうか...」
僕たちは、僕の部屋を出て居間に移動した。映画を見る間、座ったまま飲むための飲み物と、軽くつまむお菓子をテーブルに置いて、二人並んでソファに腰掛けて映画を再生した。
「こういうの、楽しみだね。」
「はい、私も楽しみです。」
映画が始まると、横にいる伊藤さんが気になって仕方がない、体勢を変えようと手を動かしたら伊藤さんの手に触れてしまい、慌てて手を引っ込める。伊藤さんも、全身をビクッと振るわせているのが視界の端に感じられたので、伊藤さんの方を見ると、僕の方をみてニッコリしていた。
「手を、手をつなぎながら見ましょう。」
「う、うん。」
僕は、伊藤さんに先手を取られてしまった。僕が伊藤さんのことが気になっていたのと同じく、伊藤さんも僕のことが気になっていたのだろう。映画が進むに連れて、僕たちの距離が近づく。お互いの鼓動が感じられる距離まで近づくと、伊藤さんは僕の方にもたれかかった。僕も、伊藤さんの肩に手を回す。
映画のセリフよりも、伊藤さんの鼓動が気になる。お気に入りのシーンなのに、景色やセリフが入ってこない。
そして、僕は思い出した。ストーリーが進むと、主人公である護衛の兵士と、ヒロインである商隊の長の娘との間にラブシーンがある。今までどうということもなく見ていたシーンだが、伊藤さんとこんな状態で見るのは気まずい。どうしたものか...
モンスターが現れ、商隊がバラバラになったあたりで、隣りにいる伊藤さんがハッとしたような仕草をした。もしかすると僕と同じことに気づいたのかもしれない。心なしか伊藤さんの鼓動が速くなっているような気もする。この辺は伊藤さんの好きな部分のはずだが、そう思って伊藤さんに小声で声をかける。
「この辺はあかねちゃんの好きな部分だよね...」
「は、はい...」
いつもの伊藤さんであれば、ここのシーンの面白さについて語りたいオーラ全開になるのだが、今は一言返事をしたきり沈黙を守っている。
散り散りになったグループが再合流を果たし、主人公とヒロインの働きで壊滅を免れた最後のグループが合流地点に向かう前夜、湖の近くの場面。いよいよ例のラブシーンだ。もう、隣の伊藤さんの様子が気になってしょうがない、けど今伊藤さんを正視できない、そんなジレンマを抱えつつやっとの思いで伊藤さんの方に目を向けると、訴えるような目で僕を見つめる伊藤さんの顔。僕は、自分の衝動を抑えきれず、伊藤さんの頭の上に置いた手を自分の方に寄せ、伊藤さんも僕の気持ちに応えるかのようにそっと目を閉じた。僕たちは、この場の気まずさをごまかすかのように口づけをし、ラブシーンに流れる音楽をバックに僕達自身の感情を盛り上がらせていった。
そしてラストシーン。主人公とヒロインが僅かな商材を担いで商隊を離れる、新しい世界に向けて旅立つために...広がる草原、その向こうに見える山々、主人公とヒロインの後ろ姿が地平線に消えてゆく、映画はそんなシーンで幕を閉じた。
僕と伊藤さんは映画の余韻に浸りつつ、お互いを見つめ、再び軽くキスをした。
「今まで何度も見た映画だったけど、あかねちゃんと一緒に見られて良かった。なんか、とても新鮮だったよ。」
「私もです、鈴木先輩と一緒に見られて楽しかったし...新鮮でした。」
「あはは、おんなじ感想だね。」
「はい、おんなじです。」
「ところで、冷蔵庫にスイカがあるみたいなんだけど、食べる?」
「はい、せっかくですのでいただきます。」
「ここででもいいけど、僕の部屋で食べようか...」
「はい...」
タッタッタッ
僕と伊藤さんはスイカが乗った皿を持って僕の部屋に移動した。
「あかねちゃんは、今年スイカは初めて?」
「はい、家ではあまりスイカを買わないので、これが初スイカです。」
「そうか、実は僕もこれが初めてなんだ。」「折角だし、一緒に食べよう、初スイカ。」
そして、僕は、伊藤さんと初スイカをいただきました...
これで鈴木君の物語は終わりです。ラストまでお付き合いいただきありがとうございます。
元々はこういうラストの予定ではなく、もっと普通の高校生活というか、モテ体質の鈴木君だけど、非モテ男子として、だけどそれでも楽しいよな、って話にするつもりで書き始めたのですが、伊藤さんを登場させたあたりからちょっと様子が変わってしまいました。
佐藤のハーレムについては、順だけを救い出して残りの3人(5人?)はそのまま放置エンディングのつもりでしたが、途中から、かわいいみきちゃんを佐藤とくっつけたくなり、適当な理由をつけて他の女子には佐藤の元から退場していただくことにしました。ところが、全員退場させて、いよいよみきちゃんと佐藤をくっつけるという段になって、やっぱり佐藤は佐藤らしくあって欲しい、と思い直し、結局最後の最後でみきちゃんの期待を裏切る形にしました。みきちゃんごめんなさい。
まだ、描いてみたい部分はあるのですが、それは別の機会に。(書くとは言ってない)。