「ねえ、お兄ちゃん、聞いてる?」
止まった箸のまま顔を上げて凛を見る
「なんか難しい顔してたよ。学校でまた何かあったの?」
「いや、そんなことはないよ。ちょっと考え事を、そうだな、今日は学校の帰りに友達とゲームをしたんだけど、その友達が少しの間にすごくうまくなっていてね。僕も頑張らないとって思っていたんだよ。」と、嘘にならない程度にごまかした。
「それにしても、凛の麻婆豆腐はいつも美味しいよ。」
「あ、おだててごまかしてもダメだよ。やっぱり何か隠してない?」
「いや、おだててるわけじゃなくて、本当に美味しいと思ってるよ」
「そういえば、今日は佐藤さんがみきちゃんじゃない別の女の子と歩いているのを見かけたよ。佐藤さんはみきちゃんと付き合ってるんじゃないの?」
僕はハッとして凛を見た。佐藤の周囲で起こることに慣れすぎて感覚が麻痺していた自分に気づいたからだ。
「そうか...見ちゃったんだ。」「うん、凛にこういう話をするのはどうかと思っていたけど、実際に見たなら説明しといたほうがいいね。」「実は、佐藤君は、何人もの女の子と同時に付き合っているんだよ。ほら、彼はイケメンでモテるから。」
「えっ? それって本当は良くないことなんじゃない?」「それに、それじゃあみきちゃんはどうなるの? みきちゃんが可哀想。」
「そうだね。でも、みきは佐藤君が他の女の子と付き合っているのを知っているけど、怒ってないし悲しんでもいない。それどころか佐藤君と付き合っている他の女の子とも仲良くしているんだよ。」「だから、凛は心配しなくても大丈夫。」
「でも...私はそういうのは嫌だな。」
「僕もそういうのは好きじゃないよ。でもこれはみきの問題だから。」
凛は、それでも納得できないという顔をしながら麻婆豆腐を食べていたが、「ああ、そうだったのか」とつぶやくと顔を上げて僕の顔を見た。「ふーん」と勝手に何かに納得した表情で、再び麻婆豆腐を食べ始めた。とりあえず、あれから佐藤からのアプローチはなさそうだが、もしあったとしても自分の判断で断ってくれるようになって欲しい。
川縁で山本と石井と話した日はいつもこうだ。あれから石井の言葉を頭の中で繰り返しながら、ずっとその事を考えていた。石井は、佐藤の元から順を引き離したい、と言った。僕はどうだろうか? もう同じ目には会いたくない、だから凛だけは佐藤の手から守りたい。そこまではいい。その先はどうか? みきやさくらや委員長に対して、佐藤から自分のところに、そこまではいかなくとも佐藤から離れさせたいと思っているかどうか? あれほど大切に思えた彼女達、だが石井が順を救い出す、と決心したのと同じくらいの強い気持ちで今後も彼女たちに関わっていこうと思えるのか、僕は正直自信がなかった。
ただ、自分の中にある、石井を応援したい、という気持ちは本当だと思う。
あれから二週間くらいして、石井から作戦会議の招集がかかった、と山本が伝えてきた。川縁で話し合いのことを僕らは「作戦会議」と呼ぶようになっていた。石井が新しい情報をつかんだか、あるいは順奪還作戦を思いついたか。今日は陸上部の活動があるので、放課後の待ち合わせまで、僕は図書館で時間をつぶすことにした。
図書室に入ると、こないだ本を紹介してくれた伊藤さんが受付にいた。なんの気なしに「こんにちは、こないだはどうも」と挨拶すると微笑んで会釈してくれた。
今回も窓際の席に座り、彼女が進めてくれたジョークの本の続きを読んでいると、受付の方から聞き覚えのある声がした。忘れもしない、佐藤の声だ。
「受付の仕事がありますので...」と困った声の主は伊藤さんのようだが、どうも佐藤から何か業務外のことを話しかけられているようだ。
佐藤が動いている、もうそれだけでいても立ってもいられなくなった僕は、佐藤に見つからないよう受付近くの本棚に移動し、本を探すふりをしながら会話を聞くことにした。
「...それでね、一年生部員の田中さんと渡辺さんから伊藤さん興味を持ってくれそうという話を聞いてね。どうかな? 手芸部に入ってはくれないかな?」
伊藤さんは一年生だったのか、彼女の落ち着いた話し方からてっきり二年生あるいは三年生の先輩かもしれないと思っていたので少々意外だった。
「いえ、手を動かすのは好きですが、図書委員も忙しいですし...」
「手芸部は基本的に毎日活動していますが、基本的には自由参加なので、時間のあるときに部室に来て活動していただければいいですよ。」
「...そうですか...、とにかく今は図書委員の仕事がありますので、返事はその、後でということにしていただけませんか?」
「そうですね、わざわざ図書室まで押しかけてすみません。少し考えておいてください。」「それでは、また手芸部で。」
佐藤はそう言って図書室を去った。
手芸部は佐藤の加入から、一月経たない内に部員3人全員が佐藤のハーレム入りしてしまっていた。佐藤が直々に勧誘しているということは、事実上ハーレムの新メンバーの勧誘ということだ、と僕は直感した。佐藤のターゲットは、心の中に想い人がいる女子って話じゃなかったか? 話が違うじゃないか、と心のなかで石井に文句を言いつつ、この展開はまずいと感じた。
佐藤が去った後の図書室受付付近は、複数の図書委員女子で盛り上がっていた。イケメンの佐藤が伊藤さんに話しかけたことに、他の図書委員が色々と質問攻めにしているようだった。
「佐藤先輩とはどこで知り合ったの?」
「いえ、今まで話に聞いていたくらいで実際にあったのはさっきが初めてです。」
「さっきはなにかのお誘い?」
「手芸部に誘われたんだけど...」
「あら、いいじゃない、入っちゃいなさいよ。毎日佐藤先輩に会えるわよ。」
「そういうのはあまり興味なくて。。。」
「私も手芸部に入ろうかな? そうすれば佐藤先輩に会えるんでしょ?」
「あの、ちょっと返却図書を棚に戻しに行ってきます。受付はお願いします。」
「あらら、照れちゃって...」
「でも、いきなり佐藤先輩みたいなイケメンに話しかけられたら緊張しちゃうよね、わかるわー」
受付の女子たちから離れてカートを押しながらこちらに近づいてくる伊藤さんといいタイミングで鉢合わせるよう棚の間を移動して、さも偶然を装って伊藤さんに話しかけた。
「お疲れ様です。お仕事大変ですね」
「いえ、そうでもないです。」
「受付での会話、聞こえてきました。僕と同学年か先輩だと思っていたんですが、一年生だったんですね」
「はい、ということは先輩?」
「そういえば自己紹介してませんでしたね、2年の鈴木です。」
「1年の伊藤です。で、先輩、その、敬語はやめていただけますか?」
「うん、わかりま...いや、わかった。」「ところで...、その、佐藤から話しかけられていたみたいだったけどどんな用件だったの?」
「うん、その、佐藤先輩が所属する部活動への勧誘だったんですが...」
「何か困っているような雰囲気に見えたけど、問題でも?」
「その、なんというか。私の友達が、その、手芸部員なんですけど、その、佐藤先輩と、あの...なんかそんな噂を聞いたことがあって...」「それに、理由はよくわからないのですが佐藤先輩ってなんとなく苦手っていうか...」
佐藤の噂はこういう形でも広まっているのか、とすればこのまま伊藤さんを放っておいたらまた後悔することになる、そう直感した僕は思い切って誘ってみることにした
「あの、伊藤さん?」
「はい?」
「もしよかったら、図書委員が終わった後少し話ができないかな?」「手芸部に関して、一応知っておいて欲しいことがあるんだ。」
いつもなら女子に話しかけるのに緊張することはないのだが、今回はかなり話をするのに勇気を振り絞った気がする。突飛もない申し出で、拒否される可能性があったからかもしれない。
「.....」
伊藤さんは答えない。僕は今までに経験したことのない感情を押し殺しながら伊藤さんからの答えを待った。
「はい、是非話を聞かせてください。」
「図書委員の仕事が終わるのは何時?」「終わったら一年生の昇降口で待ってるよ。」
「分かりました。」
山本と石井には、待ち合わせに少し遅れるかもしれないと連絡を入れておいた。
図書室には閉館ギリギリまで粘ったが、一年生の昇降口に伊藤さんが現れたのは僕が到着して10分くらい経ってからだ。閉館後の仕事があったのだろう。
「お待たせしました。」
「うん、じゃ歩きながら簡単に説明しようか。」
「はい。」
二人は学校を背に歩き出した。
「まず最初に断っておくと、表現については気をつけるつもりだけど聞くのが辛くなってきたら教えて。」「あと、これから話す内容はあまり他の人には言わないで。人伝いに佐藤の耳に入ると都合が悪いので。」
「はい、それで、渡辺さ、いえ友達の噂は本当なんでしょうか?」
「まずそこからだね。結論から言うと、佐藤は田中さん、渡辺さんと付き合っている。つまり、体の関係を持っている。」
「っ....」
「ごめん、いきなりきつい内容だったね。でも、僕が君に話をしたのは、これから言う内容を知っておいて欲しいからなんだ。」
「...はい」
「結論を先にいうと、佐藤に気をつけて。それから、手芸部には入らないで、君は狙われている。」「手芸部の元々の部員は女子3人だけど、この3人は全て佐藤と、その...付き合ってる。」
「...その、鈴木先輩は、何故そのことを知っているんですか?」
「佐藤に聞いたから、だよ。それに、ある程度裏も取ってる。佐藤は嘘を言ってはいない。」「手芸部の部長、3人の女子部員の2年生ね、は僕の友人だったけど、佐藤と付き合うことになった。他に僕には2人の女友達がいたけど、その2人も佐藤と関係を持っている。僕は、そうなる前に何もできなかった...」
「証拠...は、あるんですか?」「その、先輩の被害妄想的なものじゃないんでしょうか?」「すみません、変なこと聞いてしまって。」
「物的証拠を見せることはできないけど、体育倉庫で佐藤と手芸部の部長と2人の女友達が行為に及んでいるのと目撃したんだ、妄想なんかじゃないよ。」
「そんな...」
「とにかく、手芸部には入部しないで。佐藤の誘いは断ること。」「あと、これは保証できないけど、佐藤は多分暴力的な手段には出てこないから、その点は安心して。」
「はい...」
「おっと、そろそろ駅が近づいてきた。」「僕は、これから友人たちと、今話した案件について話し合いに行く予定なんだ。もしよければ君にも話を聞いて欲しいけど、無理にとは言わない。」「ただ、ここまでで最低限伝えたい内容については話したから、僕としては一安心だ。」「どうする?」
「.....」
僕は、この間が怖い。
「分かりました、是非お話を聞かせていただければと思います。」
「うん、ちょっと内容的に重いかもしれないけど是非聞いて欲しい。」
「はい。」
約束の時刻に少し遅れたが、伊藤さんを連れて例の川縁に向かった。
「お待たせ、遅れてすまん。ちょっと緊急事案は入ってしまって。」
「おまっ.....」山本のリアクションは予想通りだ。石井は呆れている。
「お前なぁ。」
「まあ僕の話を聞いてくれ。本当に緊急事案なんだ。」「その前に、こちらは伊藤さん、一年生で図書委員。で、今日佐藤から手芸部への勧誘があった、これで分かるよな。」
「伊藤です、一年で図書委員をやっています。」
「伊藤さん、こちらがクラスメートの山本で、こっちが石井。二人とも陸上部ね。」
「伊藤さん? 山本です、よろしく。」
「石井です、よろしく。」
「伊藤さんにはさっき少し話をしたけど、全体像については説明をしていなかったね。」「佐藤が転校してきたのは今年度に入ってからで、それから一月くらいの間に僕の周りにいた女子5人が佐藤のハーレム...僕たちはそう呼んでる、佐藤自身もハーレムって言ってるからこの言い方でいいと思う、分かっているだけで5人が佐藤のハーレムに入ってしまった。この中には伊藤さんの友達も入ってる。噂話レベルでは、もっと多くの女子が佐藤のハーレムに参加してると思う。」
「で、佐藤は手芸部に入部して、しばらくして元々の女子部員3名は全員佐藤のハーレムに入ってしまっていて、手芸部自体が佐藤のハーレムの窓口になっている可能性が高いんだ。だから、今手芸部に入るのは危険だと僕は考えている。ここまではいいかな?」
「...はい」
「僕は、僕の女友達3人を佐藤のために失うことになったんだけど、佐藤の手際が良すぎて僕には何があったかまるで分からなかったし、何もできなかったんだ。それで落ち込んでいるところを、ここにいる山本と石井が話を聞いてくれて、今は大体どんな事が起きたのかある程度納得できるようになった。とそんなところかな。」「で、今度は目の前で君が手芸部の勧誘を受けているのを見てしまったので、これは早く手を打たなければと思って、こうして話を聞いてもらったということなんだけれども...」
「はい、佐藤さんのハーレム?...に関する話は大体わかったと思います。」「私はとりあえず、佐藤さんの誘いを断って、手芸部に入らなければいいんですよね。」
「そう、まずはそうして欲しい。」
「ところで、私の方から聞いても良いでしょうか? 先輩方は、ここでどんなことを話し合っているのでしょうか?」
「それはね...」と、僕が話をしようと口を開いたタイミングで山本が説明を始めた
「最初は、鈴木の話を聞いて事実確認をするってのが目的だったんだけど、石井が加わって、実際にどんな事が起こっているのかについて考察するのが割と最近かな。」「今は、ある程度事態が見えてきたので、次の目的に向かって動き出しているところ、かな。」
「次の目的、ですか?」
「そう、例えば僕の場合は、これ以上自分の周りで同じことが起きないようにすることが目的なんだ。」「今まで話しをしてなかったけど、佐藤は一度僕の妹を誘っているんだよ。それで、妹だけはなんとか守りたいって思っていたんだけど、最近はもう少し守りたい範囲が広がったっていうか。」「それで、今回伊藤さんに話を聞いてもらいたいって思ったんだよ。」「って、伊藤さん、時間大丈夫? まずいようなら駅まで送るけど」
「ええ、まだ大丈夫です。それよりも、もう少しお話を聞いてみたくなりました。」
「ああ、良かった。普通には考えにくい話なのでドン引きしてるかもと思ってヒヤヒヤしてたんだ。」と石井がようやく話に加わってきた。
「俺の報告の前にだが、伊藤さん、いくつか質問していい? 答えたくない時は答えなくていいけど、割と大事なことなので。」と前置きして。「伊藤さんは、好きな男子、あるいは片想いしてる男子とかいるの?」
「ストレートすぎだろ、もう少し気を使えって。」と山本が突っ込む。「伊藤さん? ダイジョブ?」
「はい、そういうのは今のところないですね。」
「あ、僕からもいい? 田中さんと渡辺さんは友達だよね。二人に関して、片想いだったり好きな人がいるとかそういう話を聞いたことある?」
「そうですねぇ、そういうのは聞いたことありません。ただ、田中さんとはそこまで親しくないのでもしかしたらそういうのがあるかも知れません。」
「なるほど~。いや、鈴木も同じことを考えて伊藤さんに質問したんだと思うんだけど、最近俺が立てた仮説を検証したかったんだよね。佐藤が誘う女子は、片想いとか割と心が揺れている子なんじゃないかって思っていたんだけど、今の伊藤さんの答えだとそれには当てはまらない、伊藤さんの友達もそうだね、ってことで仮説の練り直しが必要になった、というわけなんだ。」
「そうだったんですね。仮説の裏付けになれずすみません。」
「いやいや、仮説を否定する事例も重要だよ、ありがとう。」
「で、ここからが本題なんだが」と、石井が本題宣言した。
「ここ最近、クラスと陸上部内で軽く調査をしていたんだが、少しわかったことがあるんだ。」「今度は彼女持ちの男子に話を聞いてみたんだが、公認というか付き合っていることが周囲に知られているカップルの男子からは、彼女に佐藤が近づいたという話は皆無だったんだが。一方で、関係を隠しているカップルの男子の何人かからは、彼女に佐藤が近づいている、あるいは彼女の様子が最近おかしいといった話が出ていてな。まだサンプルが少ないから断定はできないんだが、もしかすると佐藤は彼氏持ちの女子には近づかないんじゃないか、って仮説を考えてみたんだ。」「考えてみると、これって理にかなっていると思うんだよな。だって、彼氏持ちの女子に手を出したら彼氏に恨まれるだろ?」
「じゃあ僕の場合は?」と僕は口を挟んだ。「彼氏彼女の関係ではなかったけど佐藤を恨んだよ。」
「そこは俺も考えないではないが...そこは佐藤が何を避けているかって話だな。例えば暴力沙汰とか、男子の集団を敵に回す可能性とか。」「鈴木にはどちらもないだろ?」
「そうだな、でも今は山本と石井がいる...かな?」
「お、そこはもっと頼りにしてくれよ。」と山本。
「今、話をしてふと思いついたアイデアがあるんだが。」と石井は僕と伊藤さんの顔を覗き込むようにして話を切り出した。
「お前ら付き合っちゃえよ。」
「えっ?」
「はぁ?」
改定
凛のセリフ、佐藤の呼び方 旧「佐藤君」 新「佐藤さん」
手芸部の後輩の名前 旧「松本」 新「渡辺」 原作のチェックミスが原因でした