俺は生まれつき髪や肌が白く、瞳の色は紅かった。そのせいか、村からは忌子と恐れられ、迫害されていた。父は俺と母を捨て、唯一俺の事を普通の子として育ててくれた母は、俺が成人になる前に他界した。病死だった。母の死を最後に、俺は山奥へと身を寄せた。所謂世捨て人だ。だが、悪くはなかった。此処には俺に関わる人間はいない。陰口を叩く者も、石を投げる者もいない。此処では誰にも迫害される事はない。そう考えると、今の生活も悪くないものだった。
「……」
木々の隙間から見える太陽は、天辺を少し過ぎた辺りにある。日照りが強い所為で、水分補給は欠かせなかった。近くの川まで水を汲みに行こうと竹筒を数本用意し、使い慣れた山道を歩いていく。昨晩は雨が降っていたせいか水嵩は増し流れも速い。特に山頂から少し降った辺りは水深も深く誤って川に落ちようものなら命はないだろう。出来るだけ水深が浅く、流れが緩やかな場所を探しながら歩いていると、川辺から何かが上がり、這いずる様に移動した痕跡があった。動物が誤って落ち、命からがら川から上がったか。狐や狸、兎の様な小動物ではない。かといって、熊や猪程の大きさもない這った後に視線を巡らせると、移動した痕跡の節々に血痕らしき後も見られた。川に落ちただろう何者かは怪我を負っている。手負いの獣であれば関わらない方が良いだろう。いつもならその場から直ぐにでも立ち去るのだが、どうしても気になった俺はその跡を追っていった。何故なのかは分からない。ただ、何となく気になったのだ。それが、俺にとっての転機となるとは、この時はまだ思いもしなかった。
「これは……!」
辿り着いた先で見たものは、息も絶え絶えに倒れ伏した少女がいた。赤い着物を羽織った少女。着物の所々は裂け、僅かに覗く肌からは切り傷が見える。その傷跡から血が滴り落ち、血痕となって道しるべとなったのだろう。慌てて近付いた俺だったが、彼女の姿を再確認して、思わず目を見開いた。髪も肌も色白……俺と同じだ。それに、僅かに覗く目、俺の場合は瞳が紅いが、この娘はその周りが紅かった。似ている。この娘は……唯一違う所と言えば、額に生えた二本のツノらしきもの。昔、噂話程度に聞いた、鬼と呼ばれる生物だろうか?
鬼、人を喰らう化物。想像していた化物像とは大きく異なる少女に面を喰らったが、その時の俺は、彼女が鬼など気にも留めず、このまま放置していたら危ないと思い、彼女に近付き、抱き上げようとした。しかし、次の瞬間。
「ま、待て……わたし……を……日光に近付けるな」
か細い声でそう言うと、弱り切っている筈の身体を動かし、日光から遠ざかろうとする。その言葉の真意は分からないが、必死になって日光を避けようとするその姿から、俺は彼女の言葉を真に受け、その場で待つ事にした。
「分かった。では、日が落ちるかまで此処で待とう。その後に俺の家に連れて行く。流石に怪我人を放っておくわけにはいかない。それでいいな?」
幸いな事に彼女は小柄で、抱き上げる事自体は苦ではない。彼女を持ち上げると、近くの木陰まで連れて行くと、日光が彼女に当たらぬよう気を付けながら腰を下ろした。
「……すまない」
弱々しい声で身体を預ける。それから暫くして、日が落ち、辺りが薄暗くなっていくのを確認した俺は、彼女を家まで運んだ。
帰宅した俺は、彼女を布団に寝かせると、囲炉裏に火をくべ、保管していた薬草と清潔な布を用意し、傷の手当てを試みる。何があったかは今はどうでもいい。成り行きとはいえ、弱り切っている彼女を助ける事が先決だ。
「すまないが、傷口を確認したい。着物を脱がせるが構わんな?」
一応確認を入れると、少女は無言で小さく頷く。彼女の了承を得た俺は、手早く帯を解き、着物を脱がせる。そして、露わになった無数の傷跡を確認し、俺は眉をひそめた。彼女の傷跡の全てが切り傷や刺し傷によるものだった。始めのうちは、額のツノは兎も角、彼女の見栄えは悪くはない。着ていた着物や上等そうな黒いフワフワの事を考えると、そこそこ良い家柄の出なのかもしれない。そんな子が一人で……もしくは従者か誰かを連れ、この山を歩いていたら野盗か何かに襲われ、川に落ちたのかと思ったが、彼女の傷口から広がる様に青黒く変色した皮膚を見て、違和感を感じた。おかしい、傷口にばい菌が入って化膿するならわかるが、傷口全てに同じ症状が出るとは考えづらい。もしや……。
「お前、もしや毒を盛られているのか?」
その問いかけに、少女は答えなかった。だが、その沈黙こそが肯定を意味している事は明白だった。
「誰の仕業だ? 野盗がこんな回りくどい事をする筈が無い。奪うか殺すかだ」
「……」
やはり、答えるつもりはないらしい。容姿も含めて訳ありなのは理解できる。見ず知らずの男に、何があったか語るにしても、信頼がない事も理解している。ならば仕方がない。理由はどうあれ、助けると決めたのだ。
「言いたくなければ言わずとも良い。だが、今からする事は治療する上で必要な事だ。許せ」
そう言って、刃物を取り出すと、刃先を火で炙り、傷跡に刃先を当て、血抜きをしようと試みた。だが、刃物は彼女の皮膚を傷付ける事すら出来ない。見た目はやわな肌なのに……改めて彼女が人ではないのだなと実感しつつ、そんな彼女を傷付けた人物は誰なのかと疑問に思った。
患部を切り裂き、血抜きをする事は叶わない。ならばと、綺麗な水の入った瓶を近くに置き、傷口に唇を重ねてからの毒抜きに切り替えた。
「んっ……んぅ……」
口の中に広がる鉄の香り。それに紛れて、不思議な香りが鼻孔をくすぐる。恐らくこれが毒の元だろう。飲み込まない様にある程度吸ってそれを吐き出す。繰り返す度に彼女は苦悶の表情を浮かべるが、抵抗する事はなかった。
「……よし、今日は此処までだ。まだ苦しいだろうが我慢してくれ」
水で口を漱ぎ終えた後、母が着ていた着物に着替えなおさせると、布団を被せる。着ていた着物は洗って、破れた箇所は手直ししよう。そう思いながら、まだ苦し気に荒い呼吸を繰り返す彼女の傍で横になり眠りにつくのであった。
―翌朝―
朝、目を覚ました後、彼女の容態を確認する。息はまだ荒い。汗も掻いている。水と手拭いを用意し、身体を拭いてやる。変色した肌は全日と比べると薄くなってはいるが、傷口の箇所が多く、まだ余談を許さない状況だ。
「……ん……」
ある程度身体を拭き終えると、眠っていた彼女が目を覚ます。
「目が覚めたか?」
声をかけると、彼女は辺りを確認した後、此方へと視線を向け、静かに口を開いた。
「あぁ……そうか。世話になったな。礼を言う」
「気にする事はない。何があったかも聞かない。訳ありなんだろう? それより、何か食べられそうか? 用意できる物は限られるが、そこは我慢してくれ」
その言葉に、彼女は此方をじっと見つめ、喉を鳴らす。だが、首を振って俺の提案を拒否した。
「すまないが、今は食欲が……」
言いかけ、彼女のお腹がきゅるると鳴く。カァッと顔を赤らめる。その後、意を決したように口を開いた。
「信じるか否かはお主に任せるが……私は人の食べ物を口にする事が出来ぬ。この額のツノを見ろ。私は鬼だ。鬼は人間しか喰べられぬ。だから、お主に私の食事を用意する事は出来ない」
言われてみればその通りか。彼女は鬼だ。見た目でそう判断できるくらいには鬼の容姿をしていると言える。鬼は人の肉しか喰べない。だから俺にはそれを用意する事は出来ない。
「助けてくれた事は礼を言う。この傷も、もう少し我慢すれば少しは癒えるだろう。その間だけ此処に匿ってくれるだけでいい。そうすれば、私はお前を喰べない。鬼とはいえ、それくらいの恩義は感じるからな」
そう言うと、少女は倒れる様に布団に背中を預けた。確かに、彼女の言う通り、人の肉を用意する事は出来ないだろう。だが、食事を取らねば身体は弱る一方だ。鬼の身であれば人と比べて体力や肉体の回復力が強いのだろうが、それも何処まで続くか分からない。ならば……。
「そうか、すまないな。確かに俺では人の肉を用意する事は出来ない。出来ないが、代わりのものなら用意できるぞ」
「何を言っている? お前は人間だろう。そもそも、鬼の私を匿う事自体、本来あり得ぬ事なのだ。あまつさえ寝床を与え、傷の手当まで……これだけで十分だ。それに、数日食事を取らぬとも平気なのだ。だから……っ」
言い切る前に、俺は彼女を抱き起す。
「血だ。食事と言っても人肉や臓腑ばかり喰うのではないのだろう? 少量でよければだが、俺の血を飲むと良い。それで体力が戻るのであればそれでいいからな」
「な、なにを言っておる。お主は阿呆か。私に此処までする理由はないだろう」
「ない。確かにないが。これも何かの縁だ。気にする事はない」
「縁とかそういう問題ではない。私は人を喰う鬼なのだぞ。気が変わってお主を喰らうかもしれぬのだぞ」
「その時はその時だ。それに、俺は独り身だ。この家も、集落から離れている。何かあったとしても誰も心配せぬし、気付く事もないだろう」
俺の口から紡がれる内容は、彼女にとっては都合の良い情報だったのだろう。再び喉をごくりとならし、此方をじっと見つめている。だが、寸での所でぐっと堪え、睨み付けてきた。
「阿呆。私は言っただろう。鬼とはいえ、恩義は感じると。あまり魅力的な発言はしないでくれ」
「それはすまなかった。配慮が足りなかった。それで、どうする?」
「……肉は喰わぬ。だが、先程の提案は魅力的だ。感謝する」
長考の後、男の提案を受け入れる。抱き起された格好から男の首に手を回し、抱擁する形で男の首筋に顔を近づける。
「……零余子だ」
「零余子?」
「私の名だ。見ず知らずの鬼に此処まで尽くしてくれたのだ。名くらい名乗っておこうと思ってな」
「零余子か、悪くない名だな」
「お主の名は?」
「俺は○○だ」
「○○か。お主も良い名だな。では、いただきます」
そう言うと、零余子は出来るだけ傷付けまいといった様子で首筋に牙を突き立てた。チクリとした痛みの後、微かに溢れる血液を吸われる感覚に襲われるが、不思議と嫌ではなかった。寧ろ心地が良い。まるで小動物がじゃれついているような気分になる。
「……っ、これは……○○、お主、稀血か」
「稀血?」
「いや……何でもない」
聞き覚えの無い単語を残し、暫く血を飲んで満足したのか、零余子は口を放すと、傷口から垂れた血を丁寧に舐め取った。
「美味かった。感謝する。こんな風に、施しを受けたのは初めてだ」
「気にするな。それよりも腹は満たされたか?」
「あぁ、そうだな……お陰で満たされた。ありがとう」
「それなら良かった。また必要な時は言ってくれ。その時はまた血を分け与えよう」
「あまり無理をするな。少量とはいえ、血を取られすぎるとお主の身体が持たぬぞ」
「では、無理のない程度であれば問題ないな。そこは零余子を信用しよう」
「……そうか、お主はそれでいいのか」
鬼を相手に、そんなことを言ってのける○○に零余子はフッと笑みを浮かべた。
「うむ。では、腹も多少は膨れただろう。次は手当ての続きだな」
「あぁ、頼む」
そうして、今度は昨晩の手当の続きを行う。毒による肌の変色は薄まってはいるが、改めて見てみると、傷口が完全に塞がっているわけではないらしい。前回の様に刃先が通らず、傷口が塞がっていたら毒抜きは困難だったが、これならば処置の使用がある。毒抜きを繰り返し、口を水で濯いだ後、傷口を清潔な布で覆う。
「今日は此処までだ。無理せず休むと良い」
「分かった。ありがとう」
礼を言って目を閉じる零余子。○○も部屋の戸を閉めると、居間に横になって眠りについた。
―翌朝―
翌朝、零余子の傷を確認すると、傷口の変色がかなり薄くなっていた。だが、その変わり、傷口が完全に塞がれてしまい、以前の様に血抜きをする事が出来なくなっていた。
「凄いな、傷口が塞がっている」
「○○から頂いた血の影響だろうな。思いの外、身体が回復したらしい」
「だが、この状態では毒抜きが出来んな」
「毒に関しても問題ないだろう。毒抜きをしてもらったおかげか、私の身体を犯している毒の力も大分弱まっている。後は自分の力で解毒する事も出来よう。お主には感謝している」
「礼には及ばん。俺が好きでやっている事だ」
「……なぁ、お主はどうしてそこまで親身になってくれる? 私は人を喰らう鬼なのだぞ。お主からすれば害獣と変わらぬ。いや、知能を持っている分そこいらの害獣よりも質が悪い。私がこうして傷を癒し、野に放たれても見ろ。お主と同じ人間が被害にあうのだぞ」
もしかしたら、傷が完全に癒えたら義理も何もかも捨てて○○に襲い掛かるかもしれない。そう暗に告げる零余子に、○○は暫し考える素振りを見せた後、口を開いた。
「零余子の言っている事は正しいのだろうな。人を喰らう手負いの鬼を傷が癒えるまで匿うなど、有り得ない事なのだろうな。だが、俺からすれば人も鬼もそう変わらない。それに……」
それに、と言葉を途切り、紅い瞳で零余子を正面から見つめながら自身の身の内を打ち明けた。
「俺もまた、人から迫害された身でな。そのせいか、俺を含めて人がどうなろうと関係ないのかもしれないな」
「迫害を受けただと?」
「そうだ。この白い髪と肌、紅い瞳は、他人からすれば異端に思えたのだろう。父は俺と母を見捨て、母は最期まで俺を育ててくれたが、無理がたたって亡くなった。それからは人と距離を取る様にこの山奥で生活するようになった」
「……お主は人が嫌いなのか? 自分達を迫害したから、他人がどうなろうと関係ないと」
「どうなのだろう。物心ついた時から忌み嫌われていたせいか、そこまで深くは考えた事が無かったな、だから、お前が人喰いの鬼と知って、その意趣返しとして匿っているわけではない」
「だったら何故?」
「何故……か。そうだな、強いて言うなら、俺と同じ見た目をしていたからなのかもしれないな」
「見た目だと?」
「そうだ。俺と同じ白い髪と肌。目の色は……多少異なるし、俺にツノは生えていない。だが、人とは異なる俺と似た風貌のお前を見たからこそ、手を貸したのかもしれないな。だからお前がこの件に関して気にする事は何もない」
「そうか……そうだったのか」
「くだらない理由と思ったか?」
「いや、そんな事はない。だが、まぁ……そうだな。私は運が良かったと。そう思わせて貰おう。だが、感謝しているのは本当だぞ。だから……ありがとう」
零余子にとって、鬼となったその日から孤独であった。人間は食料であり、そして敵でもあった。自身と同じ鬼ですら、心を許す事が出来ない。そんな状況で、ただ見た目が少し似ていたからという理由で手を差し伸べた○○は、彼女にとっては異端であり、同時に不思議な気持ちにさせる存在だった。
「お主は面白い奴だな。鬼である私にそこまで優しく出来る人間が居るなんて思いもしなかった。今まで私はずっと孤独だった。だから、お前のその気持ちが嬉しく思う」
自然と視界がぼやけてくる。頬をつたうこれは何だろう。○○を見れば、先程と打って変わり、驚いた表情を浮かべて此方に近付いてくるではないか。
「お、おい……どうした? 何故泣いている。俺の物言いが悪かったか。だとしたらすまない。配慮が足りなかった」
「泣いている? あぁ、そうか。私は泣いているのか。ははは、○○は気にする必要はない。これはきっと、嬉し涙だ。安心してくれ」
「そ、そうか……」
「あぁ、そうだ。そうだとも」
そう言って笑う零余子。初めて見る彼女の笑顔はとても美しく見えた。思わず見惚れてしまう程に。
「……どうした? 私の顔に何かついているのか?」
「い、いや……何でもない。それより、傷の具合が良くなったとはいえ、まだ完全に回復したわけではない。しばらくは安静にしていろ」
「あぁ、そうさせてもらうよ。今の傷の治り具合ならば数日あれば完治する」
「そうか……ならば、それまでは此処で養生すると良い」
「世話になる。だが、いつまでも此処にいるわけにもいかないだろう。私を襲った者達が、此処に来ないとも限らぬからな」
「そういえば、お前を襲ったのは一体何者だ? それに、あの刀傷と傷口の毒もそうだが…」
「鬼殺隊だ」
「鬼殺隊?」
「文字通り、鬼を殺す者達だ。その者達の大半が鬼に家族や大事な者を殺された者達で構成されている。奴等からすれば、人を喰らう私は憎き仇なのだ」
「なるほど……しかし、それはお主が悪い訳ではないのではないか?」
人しか喰べられぬから人を喰らう。人もまた同様に生きる為に生物を食らう。それが動物であろうと植物であろうと関係ない。寧ろ、喰べるものが一つに限られている事から考えれば、人よりも鬼の方がましなのかもしれない。鬼にとっての唯一の不幸は、自身が喰らう人が知恵を持っていて、零余子の言う様に家族や知人を喰い殺された者達が復讐の為に襲ってくる事なのだろう。
「そうかもしれないが、それでも私は鬼なのだ。獣とて、人に害をなせば駆除される、奴らにとって鬼もまた駆除すべき害獣なのだろう。それと、私を襲ってきたのは恐らく柱と呼ばれる最高位の剣士だ。あれだけの手練れは見た事がない」
「柱?」
「ああ。数は不明だが、その内の一人だろう。刀自体はよくて刺し傷や切り傷をつけるくらいが精々のものだったが、切られた瞬間、身体の自由が効かなくなった。あの女は毒を使って鬼を殺す鬼殺隊なのだろう」
「毒を使えるのか?」
「そうだ。それもかなり強力な毒をな。鬼すらも殺す毒を生成するなど、私達の事を相当恨んでいなければ作る事すら出来ぬだろうよ」
鬼に有効な毒は存在する。それこそ、藤の花がそれにあたる。零余子を襲った鬼殺隊の隊士はその花から抽出される成分を用いた毒を様々な形で生成し、それを刃に付加する事で斬撃と刺突のみで鬼を殺す事を可能にしたのだろう。
「そうなのか……逃げられるのか?」
「分からない。だが、今の状態では到底敵わない事は確かだ。万全の状態でも逃げるのが精一杯だったからな」
「なら、暫くは大人しくしておいた方が良いな」
「すまないな、お主には迷惑をかけ続けてばかりだ」
「気にする事はない。それよりも傷を癒すことだけを考えろ」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
「何かあったらすぐに呼んでくれ」
「分かった。ありがとう。お休み」
退出する○○を見送った零余子は、薄暗い部屋の中で天井に目をやる。傷が癒えた所で、鬼殺隊から逃げられるとも限らない。最悪、戦わねばならぬ相手から逃げ続けた事があの御方に気付かれ、処分されるかもしれない。どっちに転んでも、自分に待っている末路は変わらぬだろう。もしも、あの御方を前にしたら、今みたいに冷静ではいられないだろう。言い訳に言い訳を重ね、処分されるのかもしれない。鬼殺隊と対峙しても同じだろう。近年、鬼殺隊の柱を除く隊士は問題なく対応できる。だが、柱は別格だ。少なくとも、下弦の鬼では対処出来ない。いずれまた、柱と対峙すれば確実に討ち取られる。
……あぁ、なんだ。
私はもう、詰んでいるじゃないか。
「そうか……そうなのだな……」
鬼殺隊と対峙しても、逃げてあの御方の逆鱗に触れても、結末は変わらない。
自分に待っているのは『死』……それ以外に無いとは、なんとも……なんとも……。
「あぁ……そうか……死にたくないな」
―数日後―
それから数日が経った。あれから少量ではあるが血を与え、それを飲むたびに傷が癒えていった。毒による痣も徐々に薄まり、本来の肌と変わらぬ色合いにまで戻っている。このまま順調に回復していけば、零余子は此処を離れるだろう。今までまともに人との関りを断ってきたせいか、不思議と寂しさがある。だが、此処にいては何時鬼殺隊とやらに襲われても不思議ではない。他人がどうなろうと知った事ではなかったが、彼女が鬼殺隊とやらに討たれるのは……嫌だな。
そんな事を思いながら、今日もまた彼女に血を分け与えている。大分慣れてきたとはいえ……いや、彼女と関りが長くなるにつれ、この行為に対し、何処かもどかしく感じてくる。首筋に舌を這わせ、濡れた皮膚に牙を突き立てる。少量であるにも関わらず、喉を鳴らして飲み干す。
「あぁ、美味しいな。お主の血は」
「そうなのか? 俺には分からぬが零余子がそういうのならそうなのだろう」
「あぁ、美味しいさ。お主は、そうだな。この際だから言っておこう。お主は『稀血』の持ち主なのだろう」
「稀血?」
「あぁ、私達鬼からすれば希少な血の持ち主。稀血の持ち主を喰らえば、数十人から数百人分の力を得られると言われる貴重な者だ。それ故に、鬼にとっては喉から手が出る程に欲しい存在。忘れるでないぞ」
「……そうだったのか」
「傷の治りが早いのもお主の稀血のお陰だろう。弱り切った私からすれば貴重な栄養源を得たのだからな」
「そうか……ならば良かった。俺の血で傷の治りが早くなるのなら遠慮なく言ってくれ。いくらでも分けてやる」
「……ははは、お主は本当に変わっている。普通ならばもっと警戒しなければならないのだぞ」
「零余子が俺に危害を加えるつもりがない事は分かっている」
「だが、私は鬼だ。いつ気が変わってお主を喰らわんとしたら如何する?」
「その時はその時だ。特に気にする事はない」
「お主と言う奴は…全く、変わった男だ」
そう言いながら、呆れたように笑みを浮かべる彼女を見て、俺も思わず頬が緩んでしまった。
「……そうだ、なぁ、○○よ。今晩、少し付き合ってほしいのだが。良いか?」
「あぁ、問題ないが。どうしたのだ?」
「身体の方も大分回復したのだ。今晩、少し家の周囲を見て回りたい。そうだな、人目につかずに山の麓に降りる事が出来る所はあるか?」
「それなら、此処から少し歩いた所に滝がある。その裏手が洞窟になっていて人目を避けて麓まで降りる事が出来るぞ」
「ならばそこだ。私をそこに案内しておくれ」
「あぁ、分かった」
「ふふふ、楽しみにしているぞ」
―夜―
夜、月明かりの下、久方ぶりに外に出た零余子は、俺に連れられ、森の中を歩いていた。
「身体の方は大丈夫か?」
「それを確かめている。そうだな……普通に動く分には問題なさそうだ」
「そうか……だが、無理はするな」
「分かっているさ。あぁ……分かっているとも」
本来なら、傷口が完治してから動いた方がよかったのだろう。もしも此処で、鬼殺隊と遭遇しようものなら零余子の身が危ない。その時は自分が間に割って入り、逃げる時間くらいは稼げるだろうか。
そんな事を考えながら、俺と零余子は目的地に到着した。森の奥にある滝の裏、この森の事を熟知している者でも此処に洞窟がある事は知らないだろう。洞窟の中に入ると、人が二人か三人くらいが並んで通れる空間があった。
「此処だ。此処からなら誰にも気付かれずに麓まで降りる事が出来るだろう」
「そうか、此処ならば身を隠す事も出来るな」
休憩がてら、近くの岩に腰かけるその隣に零余子が座る。僅かに覗く月明かりでありながら、その月光を浴びて視界に映る彼女の姿は、この世の者とは思えない美しさがあった。思わず、我を忘れて見惚れてしまう程に。だが、そんな視線に気付いた零余子は、俺の腕を掴むと、ぐっと自身の元へと引き寄せ、首元へと顔を近付けた。そしてそのまま、首筋に牙を突き立てる。突然の事に驚きながらも何故か身体が動かない。やがて牙を突き立てられた所から血が流れ出す。その血を零余子は一滴残らず飲み干していった。暫くして、ようやく解放された頃には身体の力が抜けていて、その場に倒れ込んでしまった。
身体を起こし、こちらを見つめてくる零余子に視線を向けると、彼女は妖艶な笑みを浮かべながら口元を拭っていた。
「やはり、お主の血は美味いな」
「急にどうしたのだ?」
「見ての通り、鬼が人の血を飲んだだけだ。それだけの事だ」
そう言って、倒れた俺に覆い重なる様に馬乗りになると、再び首筋に噛み付いてきた。先程と同じ様に血を吸われる感覚。だが、今度のそれは、何処か心地良いものだった。流れ出る血を丹念に舐め取り、息を荒げる。その姿は何処か官能的で、背徳的な魅力を醸し出している。
「お主の血は……何度飲んでも飽きる事がないな」
そう言って、今度は指を噛んで溢れ出た血を丁寧に舌で掬っていく。その度に、彼女は小さく声を上げる。その光景に、何故か胸の内がざわついてしまう。
「んっ……お主の血は……美味いな。いや、きっと血だけではないな。お主の肉もそれ以外も、きっと甘美な味がするのだろう」
「……」
「お主は阿呆じゃ。鬼は人を喰らう。口約束を間に受け、傷が癒えるまで看病してくれた。傷が癒えた今、私がお主を喰らわぬ道理はないだろう」
「……そうか」
「ああ、そうだとも。だが、お主に感謝しているのもまた事実なのだ。だからこそ、こうして喰らうのだよ」
「……そうか」
「そうだ。だから……」
そう言うと、零余子はゆっくりと俺に顔を寄せて来た。
「喰われておくれ」
「あぁ……分かった。良いぞ、零余子。俺を喰って……」
言い終える前に、彼女の唇が言葉を塞いだ。最初は触れるだけの優しい接吻だった。それが次第に深くなっていく。貪り合う様に、呼吸すら忘れて夢中に求め合い、やがてどちらからともなくゆっくりと離れた。
「ふふっ……本当にお主は変わってるよ」
「そうか?」
「あぁ、そうだとも。普通、鬼に喰われようとなれば、恐怖で顔を引きつらせ、命乞いをするものだぞ。俺を喰えとは、全く、お主というやつは」
「その……なんだ……俺は間違っていたのか?」
「あぁ、そうだとも。鬼など信用するな。私の様にお主を誑かす者も多いのだ。鬼とは害獣の様なものだ。知恵を持った害獣だ。決してお主らとは相容れぬのだ。その事を理解するのだぞ。だから……」
「……」
「だから、これからの行為も口から出る言葉も、全て噓偽りだ。決して信じるでないぞ」
「……分かった」
「……私は、私を助けてくれたお主に感謝している。好いていると言っても良いだろう。お主を愛おしいと感じている。お主と離れたくないとも思っている。だが、それは出来ぬ。私がお主の傍に居れば、お主も危険に晒される。それだけは嫌だ。絶対に……絶対にだ」
「……」
「だから私は、此処から去る。此処から去れば、私はそう遠くない未来、鬼殺隊に討たれるか、もしくは……つまりだ、私の未来は明るいものではない。それは辛い。あぁ、とても辛いのだ。だからせめて、せめてお主との繋がりだけは残したい。だから……だから……」
零余子の瞳から涙が零れ落ちる。声も身体も震えている。それでも彼女は偽り続ける。
「だから……喰わせてもらうぞ。お主を喰ってお主との繋がりを残させておくれ」
「……あぁ、分かった」
そう答えると、零余子は涙を拭い、満足気な笑みを浮かべた。
「では……遠慮なく頂くとするぞ」
そう言いながら、彼女は着物を脱ぎ捨てた。薄暗い洞窟でありながら、彼女の身体は美しく、そして扇情的であった。零余子は俺の服に手をかけると、器用に脱がせていった。露になった上半身を見て、彼女は目を細めた。それから、私の身体に舌を這わせた。首筋から鎖骨にかけて、そして胸板へ。やがて腹筋をなぞる様に下腹部へと下りていく。やがて、その手が股間に触れた時、彼女は嬉しそうな表情を見せた。
「はは、嬉しいな。私で反応してくれるのか」
零余子の手は更に下に伸びていき、そしてズボンの中に入り込んだ。
「此処を触っただけで分かるぞ。お主の魔羅は熱くて硬くて大きい」
「そういうことは言わないでくれ」
「お主は恥ずかしがり屋だな」
そう言いながら、彼女は下着越しに摩ってきた。その刺激に思わず声が出そうになるが、それを堪える。そんな俺を面白がるように、彼女は手を動かしてくる。やがて、俺の性器は完全に勃起してしまった。
「お主のここは正直者だな。とても大きくなっている」
「それは……」
「嬉しいのだろう? 私の身体を見て、私の手に触れられ、興奮してくれているのだろう?」
「……」
何も答えない俺に構う事なく、彼女は俺のモノを取り出すと、そのまま口に含んできた。温かく湿った感触に包まれ、思わず声が漏れる。彼女はそのまま口淫を続けた。音を立て、舌を絡め、吸い上げてくる。その度に快感が押し寄せてきて、思わず腰が引けてしまう。しかし、それを許さないとばかりに彼女は身体を抑え付け、強く吸ってくる。やがて限界が近づいてきた。その瞬間、彼女は口を離すと、今度は手で扱いてきた。
「どうした? そろそろ出てしまいそうだな」
彼女の言葉通り、俺は絶頂寸前にまで追い込まれていた。だが、彼女は手を止めた。
「まだ駄目だ」
そう言って、今度は自分の着物をたくし上げ、濡れぼそった秘所を外気に晒した。
「ほら、よく見てみろ。これが女の陰部だ」
そう言って、俺のモノの先端と自身の秘所へと押し当てると、息を荒げながら「ふふっ」と笑みを浮かべた。
「……零余子」
「言ったであろう。お主を喰らうと」
彼女はそう言って、ゆっくりと腰を落としていく。徐々に彼女の中に自分のモノが沈みこんでいき、中ごろまで飲み込まれた時に先端が何かに触れた。その瞬間、零余子の顔がカァっと赤くなるのを感じた。
「零余子、お前……」
もしや初めてなのでは?
そう言いかけた俺の言葉を遮る様に、零余子は顔を赤らめながらも。気丈に笑みを浮かべ一気に腰を落とした。
「……何も聞くな。心配するな。よいな?」
震える声でそういう零余子に、俺は頷いた。股をつたう純潔の証。無論、俺自身もこの手の行為は初めてだったが、彼女もまたそうなのだろう。暫く動きを止めていた彼女だが、意を決したようにゆっくりと動き出した。動きはぎこちないものだったが、彼女の中は程よくモノを締め付けてくる。それがなんとも心地よく、動きが徐々に早くなるにつれ、慣れてきたのか、甘い声を漏らしながら上下運動を繰り返すようになっていた。その姿はとても官能的で、同時にどこか悲しげでもあった。時折、切なげな表情でこちらを見つめ、何かを呟いているようだった。だが、きっとその言葉を聞いてはいけないのだろう。必死になって声を押し殺し、それでも堪える事が出来ず、漏れ出るその言葉を、気丈に振る舞う彼女の言葉を聞くまいと、だが……その声は、その言葉は聞き漏らす事が出来なかったのだ。
やがて、限界が来たのだろう。零余子の身体が激しく痙攣すると、それと同時に締め付けが強くなり、俺も同時に果ててしまった。ドクンドクンと脈打ちながら、彼女の中に何かが吐き出されていくのを感じる。
「んっ……」
彼女は小さく声を上げると、俺の上でグッタリと倒れ込んできた。彼女の身体を抱き締めると、俺達は暫くの間、静かに抱き合っていた。
「お主の血は本当に美味いな」
「そうか」
「ああ、そうだとも」
そう言うと、零余子は血の付いた首筋をペロリと舐め上げた。その仕草が何とも艶かしく見えた。
「お主の肉もきっと美味いのだろうな」
「そうか」
「ああ、そうだとも」
「……零余子」
「……なんだ?」
「俺も……俺も、お前との繋がりを残したい。どんな形でもいい。だから、その……なんだ。試してみないか?」
「……お主は……お主というやつは……全く、全く以って、阿呆だな」
「あぁ、そうだ、俺は阿呆なのだ。だからこそ、阿呆だからこそお前に会う事が出来たのだ」
もう会う事が出来ないのだろう。きっと、彼女と別れれば、俺は今後、誰とも関わらずに生きていくのだろう。ならば、ならばこそ、最後に零余子との思い出を残したいと。どんな形であろうと残したいと、そう思ったのだ。
「仕方がないな。ならば試すぞ」
「あぁ」
そう答えると同時に、彼女は噛み付いてきた。痛みはない。だが、代わりに鋭い牙が突き刺さる感触があった。そのまま少しずつ齧られていく。不思議と恐怖は無かった。
「……やはり、お主の肉は美味いな」
「そうか」
「ああ、そうだとも」
彼女は嬉しそうに笑うと、今度は首筋に噛みついてきた。血を吸われながら、俺は彼女の頭を撫でた。
「お主は優しいな」
「そうだろうか?」
「ああ、そうだとも」
そう言いながら、彼女は何度も俺に歯を突き立てた。その度に、私の身体は震えていた。やがて、満足したのか、彼女は俺の身体から離れた。
「ご馳走様。とても良い食事であったよ」
「それは良かった」
俺がそう答えると、彼女は少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐにいつものような笑みを浮かべた。
「では……そろそろ行くとするか」
「行くのか?」
「ああ、そうだとも」
そう言いながら、彼女は立ち上がり、着物を羽織った。
「なぁ、○○。もしも、もしもの話だぞ。もしも、私がまた此処を訪れるような事があれば、その時はお主を頼っても良いのか?」
「勿論だ。何時でも来てくれ。歓迎するよ」
「そうか、あぁ、それは嬉しいな」
そう言いながら、彼女は俺の方へ近づいてくると、優しく口付けをしてきた。そして、耳元で囁いた。
「愛しているぞ」
「……」
何も答えない俺を気にすることなく、彼女は俺の目の前から姿を消した。一人残された俺は、洞窟を出た後、ただ黙って空を眺めていた。月明かりに照らされたその景色は美しくもあり、そして物悲しいものだった。
―???―
零余子と出会ってから数年の月日が流れた。俺は未だに人の世を避ける様に森の中で生活している。食料も狩りや果実などで補っており、特に不自由は無い。時々、山菜やキノコなども採ってくるのだが、それが食べられるものなのか判断できないため、結局捨てることになる。だが、それでも十分すぎるほどの量がある為、生活していく分には困らない。
この森の中での生活に不満は一切無い。だが、一つだけ心残りなことがあるとすれば、それは彼女の存在だ。あれ以来、彼女とは一度も会っていない。恐らくもう二度と会うことも無いだろう。だが、彼女との思い出だけはこの身体に残されている。。俺は彼女と出会い、彼女と共に過ごした日々のことを一生忘れないだろう。それだけで十分なはずだ。そう自分に言い聞かせるようにしながら、今日もまた森の中で生き続ける。
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