地方と比べ、浅草の街並みは賑わいで満ち溢れていた。夜だというのに街は明るく、通りを行き交う人々の数も多い。そんな浅草の街を歩く零余子は、目立たぬよう気配を消して歩いている。浅草の街並みは、零余子にとっては未知の世界だ。人の多さに辟易しながらも、キョロキョロと辺りを見渡しながら人気のない裏通りへと足を運ぶ。そして、無事に人通りを抜けてホッと胸をなで下ろした。
人が多いと聞いてはいたがこれ程までとは。人が多ければ多いほど、鬼である自分達にとって食料に困る事はない。その上、人の身形に近しい鬼ほど、身を隠すにはもってこいの場所だろう。そんな鬼達が人の多い場所に潜伏するのは当然だが、何分慣れていない零余子にとっては気が休まる暇がなかった。
兎に角、人の声で溢れている。それだけ活気があり、人々が豊かに生活しているのは、それだけ文明が発達し、発展している証だ。それが良い事なのか、悪い事なのかは人それぞれだろうが、少なくとも零余子は喧騒な街並みに辟易していた。偶々、浅草周辺を根城にしていた鬼が鬼殺隊に討たれた事もあり、そこで騒ぎを起こせば鬼殺隊をおびき寄せる事が出来ると安易な思考で訪れた零余子は、数刻前の自身の未熟な発想に後悔した。
溜息を漏らしつつ、人気のない道を、気ままに歩き続ける。手頃な所で人を襲い、鬼殺隊をおびき寄せてから移動しよう。そう思いながら歩いていると、ふと、気配を感じた。鬼の気配だ。この周辺を根城にしていた鬼が討たれた事で空白となったこの地を新たな縄張りとするため、鬼が流れ着いたといった所か。
これはいけない。他の鬼が此処を根城とするなら、下手に騒ぎを起こして鬼殺隊を呼び込む必要はないし、新たに此処を根城にしようとしている鬼にも迷惑がかかるだろう。
(迷惑…か。まさか私が、他の鬼に気を遣う事になるとはな)
内心、苦笑を浮かべつつ、浅草に来た事が徒労に終わったと思う反面、人の多いこの地を離れる理由になった事に感謝しつつ、件の鬼に気付かれる前にこの場から立ち去ろうと踵を返した零余子だったが、再び感じた違和感に、思わず目を見開いた。
(鬼の気配が消えた? どういう事だ)
鬼の気配が突然消えた。それも、まるで最初から居なかったかの様に。もしや、鬼殺隊に追われていたのかもしれない。鬼殺隊に追われ、そして浅草まで逃げ込んだが討たれた。だが、気配の消え方が鬼殺隊に討たれて死んだものとは異なるものだ。そう思った零余子は、鬼を捜す為に神経を集中させる。近くに居る筈だ。だが、この付近に鬼の気配は感じない。一体どういう事だ?
(もしや…血鬼術の類か?)
血鬼術。それも、気配の消え方からして本人のものではなく別の鬼の血鬼術の可能性がある。仮に、自身が気配を消す血鬼術を持っていたならば、中途半端な形で気配を残したりしない。この浅草を根城にしていたなら猶更だ。此処を根城にしていた鬼が討たれてからそう日が経っていない。偶々討たれて間もないタイミングで別の鬼が此処を根城にしたにしても、隠れ家を目前に血鬼術を発動させるなど、判断が甘いにも程がある。
(鬼殺隊の中には気配に敏感な者もいるやもしれぬのに、全く不用心な)
このまま件の鬼を放置しても良かったのだが、鬼殺隊に討たれる可能性がある以上、零余子はそれを見逃す事が出来なかった。
(全く、私も甘くなったものだな。これも○○と出会った事がきっかけなのかもしれないな)
本来であれば相容れぬ関係でありながら、鬼である自分を助けた○○。彼に触発された自身の甘さにふぅっと息を漏らし、一度はその場から離れようと思った足を、鬼の気配がしていた場所へと向けて歩き出す。その位置をしっかりと特定出来た訳ではないが、何かしらの目印くらいは残っているだろう。周囲に視線を彷徨わせながら移動する事数分、零余子は何もない空間で足を止めた。
(先の鬼の気配が此処で途絶えている。此処には何もないが、間違いない。血鬼術の類で不可視化しているといった所か?)
そう確信できた理由は、その場所に残された痕跡が、あまりにも明白だったからだ。地面に残る足跡が突然途絶えている。それも、何もない空間で。人の目では地面の足跡までは判断できなかったかもしれないが、夜に活動する鬼故に、夜目が効き、残された足跡まで把握する事が出来るのだ。
(さて、どうしたものか。気配の消し方が雑な鬼だ。簡単に見つける事は出来たが、問題は話が通じるか否か…)
下手に刺激して、襲われる可能性を視野に入れつつ、零余子は何もない空間にそっと手を差し伸べる。ゆっくり、ゆっくりと、指し伸ばした指先が足跡の途絶えた箇所まで伸び、そして、指先がスッと消えるのを確認した零余子は、そのまま歩を進め、血鬼術によって不可視化した領域へと足を踏み入れた。