山本和馬は、戦い向きの性格ではない。
そんな和馬の渾身の一撃が、イカマンに叩きこまれた。
鈍く、重く鈍い感触が手に伝わった。
僅かな痺れの後の手に伝わる感触の、なんとおぞましいことだろう。
和馬とて、元の世界では空手初段。
人を殴ったことも、殴られた経験も多々ある。
でも、こんな風に感じたのは初めてだな……
ロングソード越しの感触だからだろうか?
自分の拳で殴れれば、もう少しマシに感じたのだろうか?
そう思った次の瞬間、イカマンの触手による攻撃が右脇腹に炸裂した。
グッと一瞬だけ息がつまる。
その痛みの中、違うんだな、和馬はそう思う。
空手で人に攻撃を当てるのは、あくまでも競技の中でのこと。
しかも和馬が習っていた空手は、寸止めが基本である。
当ててしまうと反則を取られる類いのものだ。
そんな空手しかやったことのない和馬が、明確な意思で、しかも殺すつもりで振るった凶器越しの肉を叩く感触。
その感触を反芻してると、叩かれた脇腹からの痛みじゃない痛みが、和馬を襲った。
ズキン、ズキン、と心臓の鼓動に合わせて痛みがくる。
なんなんだよ、これはっ!?
そう喚き散らしたくなる痛み。
それでも、もう一度剣を振るう。
ここで止まれば死ぬだけだ。
「ぜぇいっ!」
狂気。そういっていい和馬の2度目の剣による打撃がイカマンに叩きこまれる。
────イカーッ!
イカマンが叫ぶ。
イカマンの叫びは痛みによる叫び。
怒り狂って再び触手を伸ばす。
イカの形をした相貌が、酷く醜く歪んでの攻撃だ。
和馬への殺意と憎悪。
ピリピリと肌を焼く。
なのに和馬は笑った。
なんだ、この程度かと。
和馬は、この感覚を識っていた。
何度も言うが、山本和馬は戦いには向いてない。
それでも和馬は、小学3年生から高校2年の秋まで、その戦いに僅かながらも身を置いていた。
親に無理矢理やらされていた空手道場のことである。
その通っていた道場の師範は、子供に空手を教えるのが好きな人だった。
身長158cmの明らかに小柄な男。
それが和馬の空手の師。
昨今流行りの総合格闘術といった実戦を謳い文句の空手と違い、礼儀作法を主に置いているような人だ。
和馬は師を幼い時分に見上げて過ごし、身長を追い越した今でも見上げてしまう。
そんな彼は時代にそぐわぬやり方で、子供たちに空手を教えていた。
自由組手は中学に入るまで禁止。
自由組手に入っても、まずは防具をしっかり装備する。
尚且つ、それまで習得に励んだ寸止めで行うこと。
当然、強くなりたいと思っているような者が来る場所ではなかった。
だからだろう。入門しても、つまらないと辞めてく人が沢山いた。
和馬が入門したての頃には居たはずの同級生は、中学になった頃には一人もいなかった。
それはまあ、和馬の年代が異常なだけだが。
事実、ひとつ上と下には普通にいたのだから。
ともかく、そんな辞めていく同級生達を横目に、それでも和馬は辞めなかった。
単に親のせいで辞めるに辞めれなかったという理由だけど。
それでも本当に辞めたいと言えば、辞めさせて貰えたのだろうと今では思う。
なのにどうして辞めなかったのか?
意地……ではなかったと思う。
ただ、なんとなく。そう、なんとなく。
そんな和馬だから、週に一回ある空手の日以外に空手をやろうなんて気は一切なく。
当然、努力して強くなろうなんて考えも一切なかった。
そんな感じでなんとなく続け、中3の昇級(段)試験で準初段。
高1で遂に初段。
7年。
そう、7年かけてようやく手にした黒帯。
その黒帯に、金字で書かれた流派の名と自分の名前。
やる気のない和馬だったけど、初めて腰に黒帯を巻いた時、その金字がやたらと誇りに感じたものだ。
そして、その日……
「来い」
一言、師にそう言われた。
その時の和馬の身長は170cm前後。
師の身長は158cm。
なのに、彼の前に立つと、いつも彼を見上げている。
そんな気がする。
小さい頃から彼を見ているからなのか?
それとも別の何かなのか?
とにかく、その日の師は、いつも以上に大きく感じた。
無言で四股立ちする師に、背筋がゾワリと波打った。
それに中てられてなのか、自然と和馬は拳を強く握りしめ、構える。
瞬間! 鼻先数ミリの場所に、師の拳が現れた。
突き出された訳ではなかった。
余波を感じなかったのだ。
風も、空気も乱れずに、攻撃を繰り出すなんて不可能だから。
だから文字通り出現した。
その事実に、ヒュッと息を呑んだ。
「今のは我が流派の奥義。まあ、お前にコレをやれとは言わん。で、これからやるのが、ウチの道場の昇段の儀だ」
そう師が言うと同時、先程から感じてる恐怖が増幅した。
師の姿が、更に大きく、大きくなっていく気さえする。
なんなんだ、いったいっ!?
身体が硬直する。
息が上手く吸えない。
早くここから逃げ出したい。
格好悪くてもいい。
早く! 早く!!
喚き散らしながら、母に、父に、助けを乞うて泣き叫びたい!!
額から流れ落ちる汗が目に入る。
染みるが、拭いたくても手が動かない。
ジリジリと精神(こころ)を焼き尽くされ、はぁっ、はぁっ、という自分の呼吸しか聞こえない。
もう、ダメだ。
そう思った瞬間、ズワッ!! と師の身体がぶれ、衝撃を受けたと思うと同時に意識を失った。
和馬が息を呑んだのは、師の発する気迫。
もしくは、それに近い何か……
とにかく、目の前のイカの化け物に感じるモノが、それに近く、でも圧倒的に弱いものに和馬は思ったのだ。
だから笑った。
まだ大丈夫。
これなら俺でも何とかなる。
そう笑った。
2度目のイカマンの攻撃を、今度は左脇腹に受けるも、そのまま和馬は3度目の攻撃をイカマンに直撃させる。
ゴリッと手に伝わる【何か】を破壊した感触を最後に、イカマンの命は終わった。
何かはきっと命。
和馬はこの瞬間、初めて明確な意思を持って殺しをしてしまったのだ。
チャリーン、チャリーン、とコインがイカマンの身体から飛び出てくるのを茫然と見る。
その不思議な光景よりも、安堵感で茫然として。
死に瀕して現れた狂気が止む。
すると身体がガタガタと震えた。
息が、苦しい。
一撃目を喰らわせた時に感じた、ズキン、ズキン、とする心臓の鼓動に合わせた痛みがぶり返した。
……何だよこれ?
アーマーの上から心臓の辺りを押さえた。
伝わる筈のない激しい鼓動を感じる。
和馬が直接目を向けてみると、胸に当てた手が、プルプル震えてた。
……そうか、罪悪感か、この痛みは。
和馬は痛みの訳を理解すると、数回ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
戦いの前にした、自分を落ち着かせる儀式。
でも、今回はさっきと違った。
イカマンの屍体から香ってくる臭いで吐き気が込み上げた。
思わず手で口を押さえようとした瞬間、
────イカーッ!
イカマンの絶叫が後ろから聞こえた。
香ちゃんっ!?
そう、和馬はすっかり彼女のことを忘れていた。
ここまでの戦いで、彼女が何もしてない訳がないのに。
なのに、なんで!?
と考えるまでも無い。
香が和馬の手助けをしない。いいや、出来ないということは、彼女もまた闘っている証拠なのだ。
和馬は吐き気も罪悪感も、何もかもが吹き飛び、ロングソードを握る手に再び力がこもる。
そうして急ぎイカマンの絶叫が聞こえた方へと振り返ると、和馬は再び呆然とした。
胸の中央部に穴が開いたイカマンの屍体が2体。
他に生きているのが3体。
だけども、
「えいっ!」
香の気合いの込められた槍の一撃が、イカマンを2体纏めて貫いた。
これで残り1体。
その1体が香に攻撃するが……
ぺちん
和馬はイカマンの攻撃を受けて痛む場所をさすりながら、
ぺちんだってよ、ぺちん。むっちゃ笑える。
あはは、と乾いた笑いをする。
そんな和馬を置いといて、香の反撃がイカマンを貫き、
────イカーッ!
断末魔の叫びをイカマンは上げた。
……和馬は、ちょっとナルっぽく酔ってた自分に冷めた。
あれだよね、あれ。
師の気迫がどうとか笑っちゃうよね?
やっぱあれかい?
イカマン如きに同じようなモノを感じている時点で俺ってやっぱ才能ないっていうか……
きっと今なら、ランス6の最序盤に出てきた奴隷達の気持ちが解るに違いないと和馬は思った。
そう、イカマンをあっさり倒したランスにスゲーと言った彼らを。
情けない自分に涙をだぁっと流しながら、和馬は自分のステータスを開いてみた。
山本和馬 18才
クラス 学生
Lv1(才能限界Lv∞)
経験値(63/100)
HP 11/25
MP 0/ 0
力 9
守備 5
魔法力 0
魔抵力 8
回避 5
速度 5
武器:ロングソード(攻+10)
防具:アーマー(防+8)
アクセサリー:なし
GOLD:0
攻撃力 19
守備力 13
魔法攻撃力 0
魔法防御力 8
技能レベル
異世界人 Lv3
冒険者 Lv1
固有スキル
攻撃
戦術的撤退
祝福 弾数 3/3
……HPが半分切ってた。
2回でこれなら、4回イカマンの攻撃を喰らえば死ぬわけか。
ってかもう2回喰らってたら死んでたとか。
あはは、ともう一度乾いた笑いをする和馬。
続いて香のステータスを開いてみた。
パーティ登録をしている仲間とは、戦闘で入手した経験値の折半の他に、ステータスをいつでも自在に開けるのだ。
織田香 13才
クラス 姫
Lv1(才能限界Lv40)
経験値(63/100)
HP 16/18
MP 0/ 0
力 3
守備 8
魔法力 0
魔抵力 6
回避 2
速度 1
武器:家宝の朱槍(攻+75)
防具:織田家伝来姫鎧(防+45 魔防+20)
アクセサリー:青いの印籠(被ダメージ30%減少)
GOLD:1720
攻撃力 78
防御力 53
魔法攻撃力 0
魔法防御力 26
技能レベル
槍戦闘 Lv1
護身術 Lv2
国政 Lv1
毒料理 Lv1
姫Lv1
固有スキル
攻撃
かばう
叱咤激励
戦術的撤退
あはは、5匹相手にダメージ2だってさ。
香ちゃんすげー。
いや、むしろ香ちゃん相手にダメージ2も与えたイカマンを褒め称えた方が良いレベルか?
などと和馬が考えていると、これまた初めての戦闘で高揚したのか、ハイテンションな香がぴょんぴょん跳ねてた。
髪型も相まって、妙に愛らしく微笑ましい。心がとても和む。でも、和馬は気づいた。気づいてしまった。
「お疲れ様でした、和馬さん。初めての実戦はどうでしたか?」
戦いの勝利に喜びをみせ、初めての戦いに挑んだ自分を気遣ってくれる彼女の槍持つ手が、ふるふると震えている様を。
自虐的な思考も、僅かながらに顔を出しかけていた嫉妬心もスゥッと引っ込み、和馬は自分が年上で、しかも男なんだからと気を引き締める。
自らよりも、情けない自分を気遣ってばかりの彼女の心の負担を少しでも減らさなければならない。そう思って。
「怖かったし、すんげー痛かったよ」
無理に恐怖心を隠しても、聡い彼女のことだ。
すぐに気づかれてしまうだろう。
なら、最初から心の内を明かしてしまえ。
「それに生き物を殺すって怖いね。罪悪感で胸がズキズキ痛い気がする」
「そう……ですね。私も怖かったです。それに……」
和馬は香と話しながら、心がどんどんと軽くなっていくのが分かる。
ただ、それは香も同じであった。
戦いの恐怖。魔物とは言え、生きているものを殺した罪悪感。
湧き上がる泉の如くなそれらが、確かに少しづつ軽くなる。
きっと、これがパーティを組むっていうこと。
助け合い、支え合う。
今は助けられて支えられるばかりだけどな。
でも、きっと、必ず……
「……って和馬さん! HPが黄色くなってますよ!? こ、このままじゃ死んじゃいます! 世色癌! 早く世色癌を使ってくださいっ! はやくっ!!」
慌てて自分の道具袋から世色癌を出す香に言わず、己の心に誓う。
目の前の少女を助け、支えられる存在になってみせると、そう、誓ったのだ。