「うまくいきましたねっ」
カビ臭ささと生臭さが入り混じる不快な匂い。
吐き気がしそうなこんな場所で、だが香は、和馬の隣でやや息を荒くしながらも、明るい口調でそう言った。
視線の先には、どれも身体に穴が穿たれたモンスターの死骸が3体。
たった今、香が仕留めたイカマンの成れの果てである。
都合、3度目の遭遇となったこのイカマンとの戦いは、ダメージ0の完全試合で戦闘終了を迎えた。
それまでの2度の戦いにおいて、和馬は2度とも軽く死にかけ一歩手前まで追い詰められたのだから、もの凄くうまくいったと言える。
和馬も自身が仕留めた数がゼロではあったけど、どことなく嬉しそうに見えた。
その凡人然とした顔が、満面の笑みに彩られているのだから。
最初の戦い、そして2度目の戦いで、和馬は嫌となるほど思い知らされた。
それは、ステータスや技能レベルからは見えない技量の差である。
和馬と香のステータス上の攻撃力の差は4倍以上。
数字の差の多くは装備の差だったけど、和馬はそれだけではないと分かっていた。
もしも香の武器が、和馬の武器と同程度の攻撃力だとしても、やはりイカマン程度ならば一撃で倒すだろう。
技能レベルだけでない、香自身による武術の研鑽の結果。香自身が磨いた技の差である。
だからこそ、和馬は戦い方を考えなければならない。
このままでは、ずっと足手まといのままだ。
今は足でまといでも、いつまでもその地位に満足していたくはない。
だからこそ和馬は、今の自分に出来ることを考えなければならないのだ。
できるだけ怪我をせず、なおかつ楽して敵を倒す方法……
……先の決意に反するが、一番良いのは和馬よりも強く、高い防御力を誇る防具を装備した香を前面に押し出し、和馬は後方で傍観するのが一番楽で怪我もしない。
パーティ登録をしている和馬と香である。
戦闘結果による経験値の分配は常に折半。
例え誰が倒しても、一律同じ値の経験値を入手できる。
だからいずれは強くなれるのだろう。
ただ、それでは後が続かないと和馬は思った。
香の一撃必殺の攻撃力も、その防御力が鉄壁なのも今だけ。
アリスダンジョンを深く潜れば潜る程、香の一撃は必殺でなくなり、香の鉄壁な防御力を平然と上回るモンスターなど山ほど出るだろう。
だから和馬自身の戦いの経験値……Lvでも技能レベルでもない、ステータスに現れない経験と技量も積まなければならない。
それを安全かつ効率よく積めるのが、ここ試験ダンジョンの第一層。
なんせ敵となるイカマンが雑魚。
今の和馬でも、タイマン勝負なら勝てるのだ。
況や、香がいるこのPTならば、赤子の手を捻るが如く。
何より和馬が危険に陥れば、香の固有スキル【かばう】が発動。
【かばう】はPTが受ける攻撃を、肩代わりしてくれる防御系のスキルだ。
これなら間違いなく、このフロアでは和馬の安全は保障される。
それに和馬の手に負えないだけの数のイカマンに襲撃されても、香の攻撃はイカマンにとって必殺である。
和馬が気付いた時には、香が無双乱舞にイカマンを突き殺しまくるだろう。
だからこそ、今のこの安全な状況を十全に使って、和馬は自分の戦い方を構築しなければならない。
まあ、そうは言っても、しょせんは実戦なんざ全く知らない和馬である。
今の戦い方の実験は、自身の戦いの経験を積むと言うよりは、香とのコンビネーション強化であった。
ようするに、牽制役こそが、今の和馬が出来ることではないだろうか?
和馬はイカマンと遭遇すると、イカマンの攻撃範囲ギリギリの位置から大きくロングソードで横に薙ぎ、イカマンにたたらを踏ませる。
そうして出来たイカマンの隙をつき、香が槍の一撃を放つ!
とは言っても、最も前に出て戦うのは和馬の役目で、香は一段後ろにいるのだから、敵を倒す役ではなくとも危険な役目。
それを完全無傷で戦闘を終えられたのは、やはり香の技量によるモノなのだろう。
和馬の後背から、狙い違わずイカマンを刺し貫く。
……和馬は、例え香と役を代わっても、絶対に自分ではうまくいかないと思った。
この戦い方では剣の技量は上がらないだろうけど、戦いの度胸はつくだろうし、何より2人のコンビネーションも自然になっていくだろう。
ついでに現在、2人は戦闘時には常にステータスを出すようにしている。
互いに互いのステータス……HPを確認しながら戦うのは、この先の辛く厳しくなるだろうアリスダンジョンでの死闘を意識した訓練でもある。
こうやって先を見据えて、色々考え、議論しながらダンジョンを攻略していく。
それにしても、今の状況は小学生の頃よくした探検ごっこみたいで、和馬は少しだけ楽しくなってきた。
「ほんと、痛い思いしなくて良かったよ」
だから和馬は、先程の香の言葉に、笑いながら答えた。
実際、一戦目も二戦目も、もう1~2撃喰らえば死んでたし。
それが三戦目では、まったく痛い思いをしないで戦闘を終わらせられたのだ!
……ちょっとばかし、情けない戦い方ではあったけど。
「まあ、それはともかくさ、後ろから見てどうだった?」
「腰が引けてました。今の相手では問題ないですけど、この先はキチンとしないと危険だと思いますよ?」
「う~ん……それはおいおい、かな? かっこ悪いけどさ、今の時点ではこれが精一杯だよ。慣れてからじゃないと怖いから無理」
「そうですね。無理をしないで、少しづつ、一緒に強くなりましょうね和馬さんっ!」
「いっしょ? 俺なんかより、香ちゃんの方がガンガン強くなりそうな予感が……こう、ダンジョンの岩肌を拳で破壊したりとか?」
身ぶりで壁を壊す表現をしながら、おどけた口調でそう言う和馬。
香は、ぷ~って頬を膨らませると、
「そんなことありませんっ。和馬さんのバカぁーっ!」
怒った口調でそう言いながら、ポコポコ叩いてきた。
なにこの可愛い生き物?
胸がきゅんきゅんするんですけど!?
しかもぽこぽこぱんちする香を見下ろせば、すらり細い首筋と、幼い少女だがどこか艶めかしく感じる鎖骨に淫心までも感じ始める。
いかんいかん。
和馬は心の中で自分の顔面をぶん殴り、スケベ心を決して顔に出さないように気をつけながら、あははは、と笑って誤魔化すと、倒したイカマンが落としたお金を拾い始めた。
死骸を中心に円を描いて落ちている1G硬貨が全部で34枚。
これまでに入手したのを合わせると、121Gを稼いだことになる。
ついでに言えば、最初と、次の戦闘で使った世色癌が2つ。
それを補充するのに必要な金額が10G。
今日、これからかかるだろう宿代がおおよそ5G×2人分=10G
食事代に一回5Gかかるとして、今日の夕食、そして明日の朝食、昼食で、5G×夕・朝・昼食×2人分=30G。
総計、50G。
今日、明日分の生活費その他は稼いだ……って一瞬思うが、和馬はすぐに間違いに気づく。
121Gは3分割。
香の分、和馬の分、それにパーティの分。
生活費や薬等の経費はパーティのお金から出すから……10G足りない。
ってことは30G稼がなくてはならない訳で……
っと思った瞬間、また一つ思い出す。
財布がない。
和馬には、この世界で一般的な冒険者が使っている財布を、当然だけども持ってはいない。
ここに来る前のダンジョン探索に必要な道具を買い揃える際に買えば良かったのだが、そこまで意識が回らなかった。
香は和馬が財布を持っているものだと思っていたし、事実、財布自体は持っていた。
この世界の冒険者が主に使う財布は、道具袋や武器・防具袋と同じで、4次元ポケットモドキである。
だが、和馬の財布はそんなトンデモ機能はついてない。
でも、それを入手しないと、この先の冒険や生活に不具合が生じてしまう。
たった今拾った硬貨を見たら分かるだろう。
普通の財布じゃあ、モンスター倒して手に入る硬貨を持ちきれん。
道具袋に突っ込めば……とも思ったが、道具袋に入るのは、同一アイテムだと9個まで。
だとすれば、1G硬貨だと9Gまでしか持って帰れんのだ。
そんな訳にはいかない。
必ず財布は買わないとならない。
そして財布を入手する数は、出来れば3つ。
和馬の分、PTの分、そして、その日の冒険で入手した金銭を入れる分。
財布は道具袋のように、1つが1000Gもする高額な商品ではないものの、それでも50G~200Gはするらしかった。
……だめだ無理ぽ。
和馬は素直にそう認め、とりあえず自分の分だけでも買えればいいか。
そう思いながら集めた硬貨を香に手渡した。
ちょっとだけ頬を膨らませたまま、香は和馬から硬貨を受け取り財布に入れると、くい、くい、と和馬の袖を引っ張った。
また、ぽこぽこぱんちがくるのかっ!?
と軽く身構える和馬だったが、香の指先がステータスの経験値を指していた。
経験値(117/100)
レベルを上げれる……っ!
そう思った瞬間、さっきから頬は緩みっぱなしではあるけれど、その緩みが広がった。
見れば、香も『本当』に嬉しそうである。
声に出さずとも互いに感じる歓喜の渦。
なんだろう? すごく、すごく嬉しいっ!
さっそく和馬はレベル神を呼ぼうとし……
「ちょっと待ってくださいっ、和馬さんっ!」
「……なんで?」
大好きなお菓子を目の前に置かれ、それを食べるのを禁じられた子供のような声の和馬。
だけど香はゆっくりと頭をふった。
「せめてもう少しキレイな場所で呼びませんか?」
香としても、レベルアップが楽しみではあったが、この場所。
イカマンの死骸が床に3体。
生臭い臭気で胸が悪くなりそう。
香も、そして和馬もだが、この臭いで実際に吐いたりはしない。
耐えがたい臭気に慣れるのも、この先のダンジョン探索には必要なスキルであろうから。
とは言っても、呼び出す相手が神様だ。
この先、ダンジョン探索を続けて行くなら、こんな場所だろうが何だろうが呼び出すだろうことに疑いないが、最初の一回くらいはもっとキレイな場所で……そう香は思ったのだ。
まだまだ余裕もあるし、無理してレベルを上げる必要性もない。
だから和馬は、
「んじゃ、そうしようか」
そう言って頷き返すと、イカマンの死骸が散乱するこの場所からの移動を開始した。
どうせだったら、少しでも広い場所を見つけ、そこで呼び出した方がいいかな?
そう思いながら足を進めると、T字路の形で進行方向が分かれている。
「どっちに行く? いや、それより先に、モンスターが待ち伏せてる可能性を考えないと……」
和馬の呟きに、香は槍の穂先を、右の曲がり角目掛けてブゥンっと振りおろす。
すると驚いたのか?
逆の左の曲がり角の物陰から、イカマンが一体飛び出して来る。
和馬は一瞬、ビクッと硬直しかけるも、心構えがある程度出来ていたせいだろう。
すぐにロングソード片手に香の前へと出ると、イカマンの攻撃を剣で払った。
ビシュッと好い音を出した剣の一撃は、イカマンの触手だか腕だか良く分からない部分を斬り落とす。
クリティカルヒット!!
なんて言葉が、和馬の脳裏に過る。
和馬的にはそれ程に凄まじい手応えを感じた一撃だった。
その手応えに感動していると、和馬の背後から香の一撃が放たれ、あっさりとイカマンは黄泉路へと旅立つ。
1G硬貨が地面に散らばる音が薄暗い洞穴に響き渡るも、香も和馬もまだ緊張を解かない。
慎重に足を進め、T字路の行き止まりに近づくなり、互いに顔を見合わせコクリと頷き合う。
香が和馬の前に出る。
防御力的に、香はイカマンの攻撃を殆ど通しはしない。
この先、本当に強い敵が出てくるようになる頃には、和馬が前に出るべきだろうが、この時点では香が出た方が被害がなくていいのだ。
流石に情けないと思わないでもないけれど、和馬はそんな風に思うことこそ情けない。そう思い始めている。
それはともかくとして、香は勢いよく前に飛び出し身体を反転させ、岩肌を背にして和馬と向き合うと、左右を素早く確認する。
最後に、ふうっと大きく息を吐いて、
「大丈夫です」
そういって緊張を解いた。
和馬は急いで落ちている硬貨を拾い集める。
その間、香は左右と今来た道からモンスターが襲来しないか警戒する。
和馬は1G硬貨10枚と、一際大きい硬貨を1枚素早く拾い集め、香の傍へと駆けより彼女の財布を道具袋から取り出し、さっさと中へと入れていく。
すると、香が何か気付いたのか、
「あれ? その大きいの……」
と和馬を止めた。
一際大きい硬貨。
和馬は碌に確かめずにいたが、良く見てみると貨幣ではなかった。
この世界のお金は5種類ある。
1G硬貨、10G硬貨、100G硬貨、1000G硬貨。そして1万G金板である。
どうも死んだゴールデンハニーから出来ているらしく、須らく金で出来ていた。
和馬が見知っているのは、1~1000までの硬貨だけだが、そのどの硬貨にもこの大きな硬貨は当て嵌まらない。
もちろん、金板と言うぐらいだ。1万G金板でもないだろう。
「何これ? ネコの、絵……?」
和馬の言うとおり、硬貨の表面には猫の絵姿。
しかも愛らしい猫の絵柄の下に、確かに【NEKO】と、ローマ字で書かれている。
ローマ字……!?
と少し驚愕した和馬ではあったが、深く考えても答えは出ないと、あっさり思考を放棄して、香の声に耳を傾ける。
「ねこる金貨ですね、これ」
ドロップアイテムなんかあるんだ。
それに、ねこる金貨……聞き覚えがある。
効果は覚えてないけど、確か装備品だったよなコレ?
和馬の記憶には、ランスシリーズだったか何だったかに出てきた装備品であった。
何気に香が装備している装飾品、【青いの印籠(被ダメージ30%減少)】を羨ましく思っていた和馬だ。
一応言っておくと、別に青いの印籠が欲しかった訳ではなく、装備欄に隙間があるのが嫌なだけのゲーマー的な考えである。
これで自分も装備欄が全部埋まるぜ!
思わずガッツポーズをしかけた和馬であったが、
「このねこる金貨は黄色ですから、たぶんですけど攻撃力をあげれる付与アイテムだと思います」
香のこの言葉に、
「えっ?」
と思わず呆けたような顔で聞き返してしまった。
香はそんな和馬の様子を訝しく思ったものの、
「たぶん、ですよ?」
ともう一度念を押すよう言った。
上がりかけたテンションが、再び最低値まで下がりかけた和馬。
だけど、すぐにあることに気付く。
付与アイテム。この言葉だ。
もしかして、アレのことか?
闘神都市Ⅲのメインヒロインが使ってた、アレ……
もしもそうなら……
下がったテンションが、再び上昇し始める。
和馬はそれを必死に押さえながら、
「あのさ、付与アイテムって、なに?」
そう聞いてみた。
「特定の武器には、付与スペースと呼ばれる領域があるそうです。付与アイテムは、その付与スペースに付与することで、その武器を強化出来るアイテムのことですよ」
「そそそ、それって、このロングソードにも出来るのかな……?」
「さあ? 付与スペースがあるかどうかは、付与魔法の使える方じゃないと分からないと聞いた覚えが……それに、付与魔法の成功率はとても低く、7割の確率で武器が壊れてしまうと聞いたことがあります」
「……そっか」
少し残念そうにうつむきかける和馬であったが、すぐに顔をまっすぐ香に向けると、
「それでも、強化できる可能性はある、ってことだよね?」
香の肩に手を置き、力強い口調で香に問いかけた。
(なんでこんなに……)
そう思った香だけど、これまたすぐに、
「あっ!」
と小さな声を上げる。
そう言えば、ロングソードと棍棒しか装備出来ないって嘆いてたっけ。
確かにこれから先の探索を思えば、少しでも強い武器が欲しいのは当たり前でした。
香は和馬の才能限界Lv∞の方にばかり目が行ってしまい、和馬がコンプレックスを持ってしまったことに気づいてはいなかったのだ。
香の認識としては、才能限界Lvが∞なんて本当に凄い! だったんだけど……
なんか凄い勢いで聞いてくる和馬に、香はなんだか申し訳ない気持ちになるのと、凄く嬉しそうな様子に、年上なのに子供みたい、と微笑ましく思った。
「かも、しれませんけど、私は詳しくは知りませんので、明日にでも付与師を捜してみましょうね」
香の提案に、何度も何度もコクコク頷き、大切そうにねこる金貨を香の道具袋にしまう和馬。
(自分の道具袋に入れたらいいのに)
そう思うものの、和馬は本当に自分を信頼してくれているのだ。
そう思うと、香は自然と頬が緩んだ。
このシャングリラに着いてから、ひとりぼっちになってしまった。
兄も、義姉も、大切な織田家のみんなも、誰もいないこのシャングリラで……
覚悟してはいたけれど、やっぱりこうして誰かと一緒にいると、とても安心できる。
和馬は、香に依存している。
突然、異世界に飛ばされてしまった彼だ。
それは仕方のないことなのかもしれない。
香は、そんな和馬に気づいていた。
でも香もまた、こうして依存されることに、安堵していた。
戦乱の直中にある一国の姫君である香は、尋常な精神力の持ち主ではない。
だけども、やはり13歳の少女でもある。
そんな香が、ひとりぽっちになってスグに必要とされた。されてしまった。
この人を守らなければならないのだと思うことで、不安が昇華されていく。
香もまた、和馬とは違った意味で、和馬に依存しているのだ。
少し歪な関係ではあるのだろう。
香はそう思う。
思うと同時に、支え合うに相応しい関係を、少しづつ……
「んじゃ、どっちに行く?」
「そうですね……右から行きましょうっ」
2人で創っていこう。
香は、心からそう思った。