非R18作品です。
前回とは趣を変えて。こういうやりとりのが好きかもしれない。
ほら、あたし頭がくるくるだから―――そう彼女はいつも笑う。
さすがに生まれた時からじゃなかっただろうけどさ、『くるみ』っていいネーミングよねえ、と。
こんな時の彼女の巻き毛は綺麗に弧を描いて、いつも以上に鮮やかな赤に染まって見える。
綺麗な色ね。
この綺麗な色をもう見たくないなんて、一体どんな人達なのだろう。
これもいつも。いつも、そう思うの。
くるみは、大学の同期だった。
特に気が合うという訳じゃなかったのだろうけど、いつも一人で行動している様な私を気に掛けてくれたのか、何かと傍に居てくれる事が多く、気が付けばいつも一緒に居るようになった。
いつも表情の硬い私と、いつもゆるい表情を浮かべているくるみ。
「志乃ちゃんはさあ、いっつもきりっとして格好いいよね」
「あたし表情筋ゆるんでるのかなあ、いっつもにへらーっとした顔にしかならないんだよねえ」
愛想が無いよりも柔らかい顔の方がいいじゃないの、と返した私に、くるみはその『にへらーっ』とかいう表情を見せて答えた。
「だってあたし、格好いい志乃ちゃん好きだもん」と。
本当に、口が上手いんだから。
初めての就職が決まってからもう何年経ったのだろう。時間はそれほど過ぎてはいない筈だけど、ずっと昔の事の様に思える。ルームシェアをするにしても、もっと適任が居たのではないかという疑問はあの頃から口に出せてはいない。話を持ち掛けてきたくるみにも、そして、その話を引き受けてしまった自分自身にも。
何でルームシェアなんかしようと思ったの。
―――そっちとしても色々と都合が悪いでしょうに。
くるみは恋多き子だった。大学時代から薄々知ってはいたけれども、一緒に暮らすようになってからそれをはっきり実感するようになった。
家の中に居る時、電話やメッセージが頻繁に入ってくる。立ち入った事だから内容をしっかり聞いたわけじゃないけれども。そういうのは声や返信を打つ表情で分かるものだ。休みの前日、場合によっては前日と休みの丸々一昼夜泊りがけで家を空け、朝帰りをする事もあった。
眠気を帯びた疲れた顔に不似合いな、頬に挿す紅。数刻前までの『何か』が抜けきっていない様な、上気の痕が残る艶やかな顔。
―――髪の赤が肌に映りこんだ様な、そんな色。
部屋にその『誰か達』を連れてくる事は無い。少なくとも、私の知る限りでは。相手に甘え切っている時に私と鉢合わせでもしたら、お互いに気まずくなるとでも思っているのかもしれない。けれどもそこまで気を使ってくれるくらいなら別々に暮らしてもいいんじゃないかとすら思う。学生時代から日の浅いあの時とは違って、もう十分に知識も資金もある。『誰か達』とはほぼ期間の切れ目無く付き合っていて、私と話す時間なんかよりもずっと長くいるのだから。そっちの方が思う存分に羽を伸ばせるんじゃないかしら。
そう、例えどんな人を部屋に呼んだとしても、私の気にする所では無くなるんだから。
くるみの傍に居るのが男の人だけではないと知ったのは、いつからだろうか。いつからか薄々察していたような気がする。少なくともあの現場を見るより前には。
あの現場、そう、あの時。
私は見てしまったのだ。
マンションの前、開くエントランスの扉。その影に隠れる様にしてくるみとその子はキスをしていた。初めてでも、向こうからいきなり、という訳でもない。だってそれなら、あんなに手首を絡ませ合ったりはしないでしょう?
おやすみ、くるみさんという別れの声と立ち去る足音を、何処か遠く離れた所で聞いている様な感覚がした。
知らない子だった。少なくとも大学で一緒だった子ではない。渦を巻いたくるみの髪とは対照的な、しなやかで艶のある、栗色のストレートロングヘアーが、白いワンピースによく似合っていた。
「みて、たの」
その声に視線を向けると、くるみがこちらを見ていた。何か声を掛けようとする間もなく、足早にこちらに近付きながらやかましく言葉を発する。
「ね、ね、あの子可愛いでしょ」
「あたし、格好いい人も好きだけど、可愛い女の子も好きなんだよねえ」
「守備範囲が広いって言えばいいのかな?いいなって思ったらすぐアタックしちゃうの。とにかくそういう感じ」
うるさい。そう矢継ぎ早に話されたら何も答えられないじゃないの。大体、何を考えて、どういう答えを期待してそんな事まで話しているの。
なおも続く言葉を遮り、そうだったの、私は気にしてないからと言い切り、そのまま家に戻った。後は自分の部屋に戻るまで、お互いに無言だった。
あの時の空気感も気まずさもどういう気持ちから来たのか、やっぱりよく分かっていない。だって、私にはまるで関係の無い事なのに。くるみが誰とどうしようと、どうなろうと。
恋多き女とは、言い換えると破局を多く迎えている女である。それはその通りで、くるみもまた多くの恋の終わりを味わっていた様だった。
恋敗れた直後のくるみはいつも以上にうるさくなる。お酒にはそれなりに強い方なのに、一目見て分かる程に泥酔しきって帰ってくるのだ。そして家でもまた呑む。呑んでうるさくこちらに絡んでくる。
「ついていけないって、なによぁそれはぁ」
「頭がくるくるなのは付き合う前も今もおんなじでしょうがぁ」
「あたしはぁ、ずうっとこうなのよぉ。くるくる頭のくるみちゃんよぉ」
そんな中身の無い事を言い続けて、しまいには私に腕を絡めて来る。
「ねえ志乃ちゃん、あたしをなぐさめて」
やたら体温の高くなったその手を振り解き、ほどほどにしなさいと言いながら酒を取り上げ、代わりに水の入ったコップを渡す。つきあいきれないと思った時は無言で振り払い、部屋に逃げる。それの繰り返しだった。
「ねぇえ、かまってよぉ」
そして、今回も。
今回は余程手酷くフラれたのか、いつにも増して深酔いしている。酔ってない時も友達に甘える様に絡む事の多い子だけれども、酒のせいで大袈裟になった絡みがますます酷くなっているみたいだった。
ああ、はいはい、と適当に絡む手を弾く。不満そうだ。そんな顔しても無駄よ。ここまで一通り愚痴を聞いてやったんだから、もうそろそろ勘弁してよ。
ねえ、と思いの外強い力で肩を掴まれ、向き直らされた。痛いじゃないの、と言葉にしようとした唇が、止まる。
くるみがじっと、こちらを見つめていた。
先程までの騒がしさはどこへやら、妙に静かな面持ちで、変にしなを作った姿勢で。まるで見定めるような目付きで、私を見ていた。
緩い弧を描く髪の色が、顔に浮かぶ酔いに滲む。
「志乃ちゃんはやさしいから」
「だからいっつもこうやってなぐさめてくれるのよねえ」
静かに言葉を紡ぐ、くるみの唇の端が微かに吊り上がる。緩い笑い、けれどもいつもとは違う。先程までの子供の様な顔とは違う、妙な艶やかさを持つその表情は、柔らかい部分を形無く突き刺す様でもあった。
赤い髪が私を嘲笑う様に、揺れた。
―――いい加減にして。
取り澄ました様なその両肩を掴む。一瞬眼を丸くした顔を気にせず、一気に押し倒す。
くるみは私を見つめたままだ。
丸く見開いているのにしっかりと定まらず、何処かを揺蕩っている様な瞳。
「うるさいのよ。いつもいつもこうやって管を巻いて絡んで」
「あなたの言う『慰める』って、こういう事でしょう?」
くるみをこんな風に気にし始めたのは何時からだろうか。大学で一緒に居る様になってからだろうか、ルームシェアに応じた時からだろうか、それとも、初めて会った時から。
軽い子。何時だっていい加減な態度しか取らない。それは誰に対してもそうで。だからこそこの想いに目を向けたくは無かった。
女同士だからと悩むよりも、可能性を少しでも考えるよりも、何も心の中に無い振りをして傍に居る事を選んだ。
言葉に出したら壊れてしまうと、選ばれるならもっと華やかな子だと、知っているから。
―――あなたは、しらなかったでしょう?
だから、あんな絡み方が出来たのだろう。
しのちゃん、とくるみが呟いた。揺蕩っていた瞳は定まり、意思を持ってこちらを見つめている。それでも熱を帯びたまま、酔いは醒まさぬままで。
床に広がる幾重にも折り連なる赤い髪が、酔いの中で赤々と燃えている。燃える髪は頬を染めて、そして染まる頬は。
しのちゃん、と再度くるみが口にした。私の首に両腕を回し、ゆっくりと顔を寄せる。
「志乃ちゃん、あたし、嬉しい」
赤い唇が、私の口に触れる前に、そう囁いた。
あたしずっと志乃ちゃんが好きだったよ。
大学で同じ講義になる前から、入学してちょっとしてから、図書館で見かけるようになった時からずっとね。
でも、好きだって言えなくて、言えないままずっとここまできたの。
ごめんね、ごめんねと言い続けるくるみの声を、私は何処か遠くで聞き続けていた。そういう事だったの、と口にした直後に、頭の中で何かが組み上がった気がした。―――何故くるみが色々な人と付き合って、そして長続きをせずに別れを告げられ続けたのか。
心の中に別の誰かを思い続ける相手を見るのは、辛いに決まっている。
どんなに鈍感でも、一瞬の遊びを求めるにしても。全く見つめられていないと分かってしまうのはきっと、耐えられない。
謝るのは私に対してじゃないんじゃないかしら―――そう返そうとした私の唇は、何度目かの口付けで塞がれた。
目が覚めるとベッドの上で朝を迎えていた。
何時頃どうやってベッドに入ったのかすら覚えていない。私自身は一滴も呑んではいなかったのに、くるみの酔いがこちらに伝わり回り切ってしまった様だ。そのくるみは私の横で、私と同じで丁度目覚めたばかりの様だ。右手には私の左手があった。手を繋いだまま、眠ってしまった様だ。
これから私達はどう過ごせばいいのだろう。
もしかしたら、昨晩の事を無かった様にして過ごしてゆくかもしれない。
もしかしたら、一夜の過ちだから忘れて欲しいと言われるかもしれない。そうしたら私はそれを受け入れるだろうか、「忘れるなんて出来ない」と詰め寄るだろうか。
また、もしかしたら―――
何だっていい、何もまだ始まっていないじゃないの。
どうあっても私は真剣に動くし、考える。きっと今までと同じ様に。
それでも今は、この幸せな朝を大切にしたい。
くるみが半身を起こし、こちらを見つめる。
眠気の抜けない眼と頬には昨晩の紅潮が残っていた。巻き毛はゆらめき、頬の赤に沿うように鮮やかに艶めいて見えた。
ああ、やっぱり綺麗ね。
声を合わせるようにおはようと言った。お互いに示し合わせた様に、同時だった。
赤に染まる頬が幸せ色に輝いている。くるみも、きっと私も。
これからどうなるかなんて分からないけれども。
とりあえず今は、おはようと。幸せ色に染まった顔で。