久しぶりにこのシリーズを書いてみました。
甘さよりも切なさやら形にならない(出来なかった)心理メイン。
『あいまいなもの』って何かいいですよね。
───ちづるちゃん。ねえ、ちづるちゃん。
そんな甘い声が顔をくすぐり、わたしは目を覚ます。
ソファに横になったわたしの顔を、遥ちゃんが屈んでのぞき込んでいる。
すぐ側のにこにこと楽しそうな顔を見ながらぼんやりと考えた。
───ああ、多分わたし、まだ目が覚めてないんだ。
完全に目が覚めると遥ちゃんはもうどこにも居ない。
時計を見るともうすぐ時間だ。遅刻しちゃうと身支度を整え大学へ。
二つ結びをしながら横目で見た鏡の中の顔は、寝不足の色なんかみじんもない。『ちゃんとぐっすり眠れた』ものね、当たり前。
別に遅刻はしなかった。一限目にはまだ余裕があるけれども、教室にはもうみんな来ていた。がやがやとした話し声に気を取られることも無く、机につっぷしているのはあの子だ。ちょっと時間は経ったけれども、やっぱり辛いのだろう。
大丈夫?と声を掛けるとなんとかね、と返ってくる。前ほどしおれては無いけれども、それでも全然『大丈夫』ではない声。
「こんな風にしてても何も変わらないんだけどね」
それでも辛いんでしょう、辛い気持ちは隠さない、溜めない方がいいよ、なんて、白々しい言葉しか出てこない。
「ありがとう、やっぱちづるは優しいね」
白々しいことしか言えていないから。だから、心を痛めてくたくたになってる友達の言うことに、何かいい言葉を返せもしない。
それは、あの子も大変だよね、と言い合う他の友達に対してもそうだった。
純粋に心配してくれているのもあるし、事情は分かるけど重たくないかとさり気なくこっちに探りを入れてくるような声もあった。
そのどれもにあいまいにしか答えられない。
辛いのは、居なくなって悲しむ資格があるのはあの子だから。
───だから、わたしが悩むのは、わたしが遥ちゃんの夢を見るなんていうのは、おかしいのだ。
遥ちゃんはあの子の友達で、わたしとはこの大学で、あの子とは中学校時代からの付き合いだった。
あの子が「あたしの親友で~」と紹介してくれる前から、わたしはずっと遥ちゃんのことを知っていた。
それはずっと前、入学式の時から───わたしは遥ちゃんから目を離せなくなっていた。
別に特別な何かがあった訳でもない。入学式後の講堂で、新入生だったわたしは遥ちゃんとすれ違った。ただ、それだけだった。
一目見ただけで視線がそちらに向かった。
すらりと高い背に長い手足、切れ長で格好いい目。全部格好よく決まっているけれども怖いわけじゃなくて。隣に居る友達と───あの子を含む高校やら中学からの友達ね───何かをおしゃべりしながら笑う顔はとても明るくかわいくて。
あの笑顔は今も目に焼き付いている。
あの笑顔を、わたしは忘れない。
だって、あの笑顔をこっちに向けてくれる前に───ちょっとでも仲良くなるその前に、遥ちゃんは死んじゃったんだから。
交通事故だった。
一か月前、わたしが聞いたのはちょっとした知らせ。その詳細のない、現実味すらないちょっとした知らせの後で遥ちゃんは居なくなってしまった。ご家族の中でどんな話し合いをしたのか、お葬式の様子がどんなだったとかも、わたしは知らない。
だってわたしは、遥ちゃんの知り合いでしかないから。
長い付き合いのある、親友だったあの子はお葬式にも出向いた。ご家族とも話をして、遥ちゃんがどんな子だったかなんて話をしたり、急な死をお互いに悼んだりもしたんだろう。あの子がわたしに話してくれた部分だけじゃなくて、色々なことを話し合って思い出して、今、自分達が大好きな人が居なくなった悲しみの真っただ中にいるのを思い知り、打ちのめされたりもした。
でも、わたしは。わたしは『友達の友達』でしかない。
遥ちゃんがわたしのことを知らないというだけじゃなくて、わたし自身も遥ちゃんのことをあまり知らない。
もちろん(そこまでたくさんじゃないけれども)お話しはした。あの子づたいで聞いた最近の話や中学時代の思い出も聞いてはいたけれども、それが遥ちゃんの全部じゃない。
少なくともちゃんと友達になっていたら、わたしが感じられただろうもののすべてを、今のやり取りだけで完全に受け止められたわけじゃないと思う。
もしかしたら、よくよく話したらわたしが勝手な印象で憧れていただけで、本当は全然違うタイプの子だったのかもしれない。
何も起こらなかったとして、入学式の日に見たような、あんな柔らかい笑顔を向けられるような『友達』にはならなかったかもしれない。
何も起こらず友達のままでいたとして、「憧れているの」なんて本人に言えたか分からない。
友達以上の『なにか』になりたかったのか、それすらも分からない。
だから、わたしが何か悩むというのは『おかどちがい』ってやつなのだ。
六限目が終わり、みんなにじゃあねと言ってマンションに帰る。今日はバイトもないから晩ご飯を作って課題をして、あとはお風呂に入って。それぐらいだ。
煮たてたスープ鍋の中を何となく見ていた。ゆっくりとスープをかき回すお玉の動きに、今朝がたの遥ちゃんの声や指の動きを思い出して、気持ちが曇ってゆくのを感じた。
遥ちゃんが頬を撫でてくれるなんて、そんなことある訳ないのに。
そう、ありえないのだ。
わたしが『友達の友達』というだけだからじゃない。物理的にあり得ない。
───そんなあり得ないものを、わたしは毎晩見続けている。
ちょうど一か月前じゃないとは思う。一体いつからだったのか、妙に記憶がふわふわとして思い出せない。とにかく、それは始まった。始まってずっとそのままになっている。
誰にも言えない。だってわたしはただの『友達の友達』だったから。こんなおかしいものを見るほど悩むなんて、そんなつながりはないから。
───あの子がこうして悩むんなら、まだ分かるんだけど。
遥ちゃんが『現れる』のは、眠りに入るほんの少しの間か、もしくは目が覚めきる前の頭がぼんやりしている時。わたしが一人の時だけで、友達とかよその家に泊まりに行った時には出てこない。
そして、今夜も。
ちづるちゃん、ちづるちゃん、と声がする。
閉じた瞼の裏で、優しく笑う声と頭を撫でる手の感触を滲むように伝わってくる。
───ねえ、遥ちゃん。わたしじゃなくてお母さんとかあの子のところに行ってあげればいいのに。
───遥ちゃんが居なくなって悲しんでいる人は、また会いたいって思ってる人はたくさん居るよ。
どうして、わたしのところなの。
それこそまさに都合のいい妄想で、こうやって寝ぼけた頭で感じる夢みたいなものなんだろう。
ベッドの横に立っているだろう『遥ちゃん』は答えない。答えずにくすくす笑ったまま、頬を、頭を撫で続ける。
答えられないのだろう。思いつかない、だってわたしは答えを知らないから。
遥ちゃんならどう答えるだろう、なんて、想像も出来ないから。
だからきっと、この夢は終わらない。
くすくすと笑う声も撫でる手も、本当に優しい。あんまりにも優しいから、いつもこのまますとんと眠っちゃうんだ。
寝ないでおこう、目をちゃんと開いて遥ちゃんを見たいと、思っているのに、いつも。
果たして眠りに落ちなくなる時なんて来てくれるのだろうか。
そしてもしその時が来たら───『遥ちゃんが来ている』という夢をおかしいと思わなくなったら、もしくは、夢に慣れて来て、撫でられても心地よくも悲しくもならなくなったら───わたしはどうなっちゃうのか。
それを考えると、頭の中が柔らかい綿でいっぱいになったように感じた。つかめないし、握り固めてしっかりした形にも出来ない。
───ちづるちゃん。私は、あなたともっと仲良くなりたかったよ。
だから『遥ちゃん』の話が嘘か本当かも、分からない。
何も分からない。ただ気持ちよくて、意識が下に落ちてゆくのを感じる。
心地の良い声を聴きながら、わたしの意識は下へ下へ、本格的な眠りに落ちてゆく。
落ちる意識の中では。くすくすと笑い、心地よい声を掛けてくれる『遥ちゃん』が本物かどうかなんて、もうどうでもよくなっていた。