※この作品はR-18です。

澄んだ瞳のあなたへ、   作:甕下 星辰

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※別サイト(ソナーズ/pixiv)にも同作品を投稿しております。

第一話です。
まずは最愛の人との馴れ初めと本人の思考&嗜好の説明から。
なかなか難儀な性癖持ち。


続く微熱と副作用

よく効く解熱剤を常備薬として置いている。

場所を取ってしまうその瓶をいつか投げ捨てようと思いながら果たせず、ずるずるとここまで来てしまった。

───いつかきっとその副作用に殺される。

 

器具を用意する。去る時に置いて行かれたのもあるけど、殆どは後から自分で用意した物だ。自分に合う物をたくさん。これが大切だ。

その中でひとしきり重量のある品を翳しながら物思いに耽る中、ふと(彼のと同じぐらいね)という考えが浮かび、心が跳ねた。首を振る。いいえ、いいえ、心じゃない、こんな事はただ身体の反応だけであるべきだ。

 

───彼を想う心まで、こんな事に浸したくない。

 

そう願う頭とは裏腹に、身体はもう次の準備を始めていた。

 

彼と出会ったのは職場だった。

私の働く部署で進めていたプロジェクトと彼の部署でのそれが途中で合同業務となり、その試行者として彼が選ばれたのだ。

繋がりはあるとはいえ別の部署の後輩、本来ならそこまで深く関わる筈は無かった。

けれども、何故か気になったのだ。ある種の代表という華々しい舞台に立った、歳若い彼が。

彼が選ばれて数日後、声を掛けた。直接一緒に働いた事は無いけれど、自分達の部署で開発されたものを試行して貰えるのは嬉しい、頑張って、と。

本来報告し合う立場の人間は別に存在している。だからわざわざ私が声を掛ける必要なんて無かった。だけどそうせずにはいられなかった。

 

彼は礼を言い、光栄ですと答えた。明るい声は本当に嬉しそうで、表情を抑えようとしている顔は薄い赤に染まり、喜びの浮かんだ笑みを隠しきれていない。

いい笑顔だな、と思った。良い意味で心が華やぐ。職務の上でこんな気持ちになる事もさせる事も、難しいというのに。

自分の部署に戻った後、直属の部下に彼の事を尋ねた。同年代で元は同じ部署に所属していた同士だ。どんな事があったか、どう思うか、知ってみたいと思った。

 

「あの人、昔から真面目なんですよねぇ」

───特に仲が良い訳でも無かったし、よくは知らないけどと付け加えながら、部下は話してくれた。

 

「生真面目だけど堅苦しい訳じゃない。激務もにこやかにこなすし、褒められたらそれを素直に受け取って更に結果を生む。常にみんなへの感謝を忘れない様な性格というか」

「まあ、『むかつく奴』って感じですかね」

おまけに顔もいい、そう答えるその声は、けれども、別に腹立たしいと思っている訳でもない、笑いと冗談めかした嫉妬が含まれていた。

そうなの、ありがとう。あなたも真面目な態度で仕事をやりましょうねとだけ言って、お互いに業務に戻った。それで全て終わった。

 

顔もいい、顔がいい、確かにそれはそうね、と思うようになっているのに気付いたのは、彼と会話を重ねる様になってしばらくしてからだった。

あれから何かと理由を付けては彼と話している。報告役は他に居るというのに、合同プロジェクトに関係する事も、それには関係しない業務の事も。話し過ぎては漏洩になってしまうかもしれないと、適当に水を向けた他の話題───業務は大変ではないか、休日はどんな風に時間を使うかなど───ですら興味深く聞いてしまっている。

彼はというと、別に嫌な顔一つせず答えてくれた。否定的な感情を表に出すのは得策ではないなどというだけで無く、最初に声を掛けた時の嬉しそうな雰囲気そのままで話してくれるのだ。

話す度に形のいい眉と高い鼻梁を見つめていた気がする。薄く弧を描く唇から発せられる声は心地良い。

心地良い声から色々と知るのは気分が良かった。同時に、ここまで喰らい付く自分に驚いている。

何故、と、そんな疑問に重ね押し消す様に彼は言う。またお話を伺いたいです、と。

 

押し入れて中を掻き回す。

何本入れても、何回混ぜても収まらないその部分を練り続ける。

 

私達の部署は基本的に業務を共にする事は無い。けれども合同プロジェクトの話が出てからその機会が少しだけ増えてきた。一度、適度に案件が纏まった後に打ち上げとして部署の人間達で呑みに行った事がある。

さして洒落てもいない、混み合った居酒屋でのいつもの面々での会話、そこまで親しくはない彼の部署の人員へのねぎらいの言葉───これもいつも通りだ。

 

「綴さんって、おでんなんか食べるんですね。意外だなあ」

 

何の流れでそんな事を言われたのか、もうはっきりとは覚えてはいない。

雑多な会話が充ちた部屋の中で、その笑い声だけはっきりと聞き取れたのは何故だったのか。

食べるわよこれぐらい、と返した声に微笑む顔は穏やかで、声と同じく明瞭だった。

 

職場からの帰り道はいつも退屈で、楽しい事など何も無かった。疲れる事が多い勤めで、何も考えずに済むのはむしろ幸せなのかもしれなかった。それでもその様子を見かねたのだろう、ある日の終業後、同じく帰ろうとした彼にこう言われた。

 

「よければ駅まで一緒に帰りませんか」と。

 

仕事が終わってまで付き合う事無かったのに、と私が言うと、いいんです、俺がゆっくりお話ししたかっただけですから、と微笑んだ。穏やかなその顔は、私に納得させてくれた。いいわ、じゃあ行きましょう。

帰り道での話題は業務の合間に話すのと同じ、他愛ない事ばかりだった。特に何と言う事も無い。楽しく話してそのまま駅に着き、解散する。それだけで終わった。

その日から、時間さえ合えば彼と一緒に帰るようになった。一種の日課と言ってもいい。何も問題が無いから、当たり障りが無いから、続けられる習慣。それはきっと彼も同じで。だから極々自然に誘ったのだと、そう思う。

 

夕食を一緒に食べて帰りましょうよ、と誘う彼の顔はとても無邪気だった。別に他意は無いのだろう。そうでなければ、居酒屋なんかに誘わない。こんな単純に明るく笑いかけは、しない。

逞しい身体に対比する甘く幼い顔立ちと澄んだ瞳の周りを囲む長い睫毛は、目の前に居る相手が自分より十歳ほど若いのだと思い知らしめる。私と向かい合う彼も、それは分かっているだろう。だから、変に緊張させてはいけない、変に断ってはいけない。

だって、これは只の帰り道での食事───デートなどでは無いのだから。

 

お酒は頼まなくていいのと聞いた私に、それはまた別の機会にしましょうよ、と彼は笑って答えた。忘年会でも、懇親会でも、機会は沢山ありますよ。今日はお腹を膨らませて楽しい気分で帰りましょう、下手に呑んで羽目を外しすぎないように。

勿論忘年会やらでも呑み過ぎて羽目を外しちゃいけませんけどね、と付け加えられたその言葉を、真面目だと思った。この甘い顔立ちの青年は時折妙に真面目に、堅苦しいとも冗談とも判断出来ない事を言い出すのだ。

そこが良いと、そう思った。

やって来た物を食べながら会話をした。業務の事、ほんの少しだけ休日の事、まあ特に注目する物でも無い、いつもの通りの他愛ない話。お互いににこやかに笑い合う、ただそれだけの時間。

───そしてこれも、習慣になった。

居酒屋、定食屋、ファストフード店。全く気取る余地の無い適当な所でお互いのお腹を満たし、帰路に着く。

簡単な夕食を摂りながら彼の業務上の話を聞きアドバイスをしたり、逆に業務で上手くいかない時の心境を彼に漏らしてしまい、思わぬ言葉を貰った事もある。

話す内に、心が温かく充ちるのを感じた。彼はどうなのだろうか。私の口出しが足を引っ張らずに安心してくれていたらいいけれども。

暖かい心持ちのまま食事を終え、外に出る。何故だか踏み込む一歩一歩を、弾む様に感じた。

 

食事を終え帰る時には外は大概真っ暗になっている。元々早くに帰れる事が少ない業務だから、まあ当然と言えば当然だった。

陽が完全に沈んで宵に染まった街の中、二人歩きながら他愛ない会話を続ける。見上げて顔を見つめる度に、彼の瞳の中で光がきらめいた。あんまりにも澄んだ瞳だから、街の灯をそのまま映してしまっているのだ。運良く日が昇る内に帰れた時は、街の光に加えて、迫る夜の闇や夕焼けの赤さえも映してしまう。彼の瞳に映る夜景、何の変哲も無い平凡な街の筈なのに、それは凄く美しい特別な物の様にも思えてきた。綺麗な瞳、私はそれを何度も見た。

とても澄んだ瞳、彼の柔らかい笑顔。弾む会話に、弾む足取り。

私は楽しんでいる。その自覚は、もう既にあった。

いつもそうやって話している内にもう駅に着いてしまって。楽しかったです、ではまた明日、と声を掛けられる。こっちもよ、じゃあまた明日、と返し、見送られながら人の流れに足を向ける。

雑踏の中に紛れる内に、自分の顔から笑顔が消えるのが分かる。視界に映る物すべてが灰色に見える。人の中、景色という物はこんなに色褪せて味気無い物だったかしら。

 

だって彼と見る夜景は、あんなにも色鮮やかに輝いていたじゃないの。

 

足取りが重い。帰りたくなど無い。家に着いたら自分自身を見せつけられてしまうから。

お腹を膨らませて楽しい気分で帰りましょう、と笑う彼のにこやかな顔が頭に浮かんだ。脳裡に浮かんだ無邪気で何も疑いを持たぬ顔に笑い返すように表情を取り繕った。繕えている気はまるでしなかった。

───楽しい気分で帰るなんて、とても出来ないわ。

きっと今の自分はきっと酷い顔をしているのだろう。それでも気を奮い立たせる様に顔を上げ、前を進む事にした。

 

それからもう二年程になる。

この二年間で彼に対しての呼び方も随分変化した。最初は名字と役職名、次に名字にくんを付けて呼び、そして、名前にくんを付けて呼ぶようになった。

堅苦しい呼び方は無しにしましょうよ、と言い始めたのは私の方からだった。そして彼もそれを汲んでくれて、名字と役職名から「綴さん」、今では「ナツメさん」と呼んでくれるようになった。

彼にそう呼ばれるのはとても気持ちが良かった。職場で話し、一緒に帰る、それだけの仲。ずっとこのままで居ればいいんじゃないかと、そう思う程だった。

そんな希望は、他ならぬ彼の手で打ち崩されてしまったのだけれど。

 

「オレと付き合って下さい」

 

真っ直ぐな眼だった。澄み切った眼が、私を捉えている。

 

「ナツメさんも、オレを想っていてくれているとそう考えています」

───この二年間、お互いに楽しかったでしょう。

 

だからオレだけの勘違いじゃない筈です、と言い切るその姿はあまりに自信に溢れていて。下手をするとこちらを飲み込む勢いだった。

こんな年上の女に、本気なの、と返したかったけれど、出来なかった。

身体が動かない。言葉が出てこない。

 

「はっきりとした返事を下さい。何時までも待ちます」

 

一瞬眼を伏せて、そしてこう続けた。

 

「もしお断りの返事を貰ったら、その時はすっぱり諦めますから」

 

澄んだ瞳を嵌め込んでいる目尻が赤い。興奮し、緊張している証拠だ。

絶対に受け入れられるという、そんな無根拠な傲慢では無く。自分の全力を、やるべき事、心が動く方を胸を張って進みやり尽くしたという堅実さ。

目の前のそれに、圧倒される気分だった。

今すぐに答えは出せないわ、と打ちのめされた身体から辛うじて声を出し、その場を離れた。ふらつく脚で歩を進め、やがて走った。

 

───本当はすぐにでも承諾したかった。

今すぐにでも私もよ、と答え、彼の胸に飛び込みたかった。

彼に赤く染まった頬を晒し、彼の腕と嬉しさの中に包まれたかった。

同じ想いでいてくれたなんて、本当に嬉しかったのに。

 

それでも、それは出来ない。

出来ない、訳があるのだ。

 

何本も突っ込み練り上げて、もうすっかり準備は出来た。

下準備でさえも、ここまでしないと治まらないと、自分が一番知っている。

 

あの男と繋がりを持ったのは三年程前になる。さほど羽目を外した覚えは無かった。ただ職務への心労や形を持たない悩み、そういった物を打ち消そうと杯を重ねたのは覚えている。

ひっそりと街に佇む酒場には、時折どういった経歴なのかよく分からない人物がふらりと立ち寄る。誰もそれの人となりなんか気にしない。私もそうだった。隣の席に座ったその人を見ながら杯を重ね、適当に口から出る誉め言葉なんかを、これまた適当にあしらって───

気が付くと、その男と自宅のベッドで裸で眠っていた。

どうして、などと思う間も無く、そこから、男は至極当然だと言わんばかりの素振りで私の家に居付いてしまった。経歴は一切分からない。結構な年上だと聞き、名前も教えてもらったが、これも本当かどうかは怪しい所だ。

家に住み着き家具や私の金を当然のような顔で使う。私が仕事に行っている間は何をしているのか分からない。私が仕事を終え家に戻ると、あの男の『仕事』は始まる。

あの男は根っからの遊び人だ。女から金を貰い、時にくすね奪う様にして生活している。だからどんな女が自分に引っ掛かるか、そういう女に何を言い、何をすれば金を吐き出せるか、熟知している。

 

私はどうやら見事にその毒牙に掛けられてしまったようだ。

 

帰ってきたら、まずドアを閉めたそのすぐ後から既に行為は始まっている。扉に背中を押し付けられる事もあるし、後ろ手になる様にと命令される事もある。

それが無くとも入浴中に浴室に押し入られて、脚を広げさせられた。

いつも強引だった。そして人の話などを聞こうともしない。

金銭やこれからについての真面目な話をしようとしてもすぐに押し倒され、一晩中激しく責め立てられた挙句、結局話をうやむやにされてしまった事もあった。

 

そして、強引なのは、そういった誤魔化しの手法だけではなく。

 

女の身体に対しても、それは同じだった。

最初こそそれなりに優しいとすら勘違いするほどに丁寧に扱ってくれたが、次第にそれは私の身体に関しての『改造』や『調教』へと変わっていった。抵抗すればするほどあいつは満足気に、腕を揮って責め苛んだ。

今では私の身体はどの部分も、男に奉仕する為の部位になってしまっている。

排泄の為の孔ですら、男を受け入れる器官へと造り替えられた。

 

───ろくでなし、あなたはろくでなしよ。

後ろから突かれながらそう吐いた事もある。何言ってんだ、と男は鼻で笑い、更に奥深くに突き立て身体を動かした。

 

「俺がろくでなしならお前は淫乱だよ」

 

そう言いながら男は左手に持った性具を一気に私の肛門に突き立てた。

窄まりの襞に沿わせたそれを奥へ奥へと捩じり込みながら、更に笑う。

 

「淫乱からの需要があるから俺が居る。需要を満たしているから金を貰う」

 

”Win-Win”って奴だな、と笑い続けながら、あの男は後ろに入れた両方の責めをさらに激しくした。激しく揺さぶられる刺激の中、白く蒸発する意識の中でそうかもしれない、という諦観だけが、ただ、形を残し存在していた。

只々、惨めだった。

 

あの男に愛されているなどと思った事は無かった。最初の一、二週間はまだ誤解が無くも無かったけれども、今はもうそんな物は消えている。

あれは常備薬だ。

身体や心に熱が溜まった時にしかたなく使う常備薬。常用は身体に毒だとは知ってはいるし、場所を取るその瓶を未だに捨てきれないでいる。

調子の良い時にだけナツメ、ナツメと優しく聞こえるような音を発するのも、こちらを篭絡するのに手を抜いていないだけだと、知っているのに。

 

だから私は、なるべく家に帰る時間を遅らせるようにしていた。惨めな自分を見ないように、これからの未来など思い浮かべぬように。

 

───曇った意識の中で、ぼんやりと『彼』の顔が浮かんだ。

 

もし彼があの男の目の前で、私を散々に犯してくれたなら、あの男はこの関係を諦めてくれるだろうか。

頼み込むか、それとなく身体で示すか───彼も男だもの、男を悦ばせる事に特化したこの身体で働きかけ続けたなら、きっとその気になってくれるだろう。

与える物はもう何も無いと示すのには、それが一番手っ取り早い気がした。

 

───どうしてこんな事を思いついたの。

 

頭を振ってその考えを振り落とす。案ともいえない妄想だ、あまりに酷過ぎる。

何故そんな酷い事が頭に浮かんでしまったのか。

もしそんな事をやってしまったなら。

嫌われ軽蔑されるだけならまだいい。自分の目的の為だけに付け入り、優しさを利用したのだから当たり前だ。

そんな事よりも考えるべきは彼の心理がどう動くかだ。

彼は優しい人だ。そして自分を律する心もある。それは、この二年間で十分に知っている。

そんな彼が汚い事をさせられたなら、どうなるか。

彼はどんな要因があろうとも女に手酷い事をした自分を、きっと許せないだろう。

そんな事をしてしまった自分を嫌悪し続けるかもしれない。次に巡り合えた出会いを恐れ避けるかもしれない。

丁度、今の私が逃げ続けているのと同じように。

 

私は彼に酷い目に遭わせたい、遭って欲しいと思っているのか。

今までだけで形の無い物をどれだけ与えてくれたか分からない、あんなにも純粋で、澄んだ瞳で私を見つめる彼を。

 

そんな訳は無いでしょう。

私は、彼に幸せになって欲しいのだ。一緒に居て彼の幸せな顔を見たいと、そう思っている。

───もう一度、彼の顔が脳裡に浮かんだ。今度は明瞭にはっきりとした像を持っていた。

彼のお陰で私はどれだけ助けられたか分からない。あの男に甘えねだる事を強要された時も、甘い言葉を掛けられ抱きしめられた時も、一時的にでも跳ね除けられたのは彼の存在が故だ。

そして今こうやって、明確にあの男から離れようと決意出来たのも、彼のお陰だ。

正々堂々と自分の力で戦おう。逃げずに、ちゃんと自分の口から別れを告げるのだ。ごねられたり何か脅しをかけられたりしたなら、正規の手段を取り専門家の力を借りてでも応戦すればいい。お金も時間も掛かるかもしれないけれど、それでもいい。

どんなに時間が掛かっても、全て自分の力で片付けて、彼に承諾の返事をしよう。

もし彼の気が変わってしまって、付き合う事は出来ないと言われても構わない。彼が私に勇気をくれた事は変わらない。それで十分よ。

まずは行動あるのみだ。

 

これ以上、卑怯な真似はしたくないわ。

 

さてそれからどうなったか。

結論から言ってしまうと、私が怖がっていた様な事は何も起こらなかった。

いつまでここに居る気なの、と切り出した時、あの男はさして驚いた顔もしなかった。こちらに向き直った顔に好きな人が出来たから、と伝えると、知っていたさ、と返すかの様に笑った。そして少ない荷物をまとめて、その日の内に出て行ってしまった。

私が長い間悩んできた問題は、拍子抜けするぐらい簡単に片付いてしまった。

 

それから私は彼にお付き合いしたいと伝え、私達は正式な恋人同士となった。

 

彼とのお付き合いは順調そのものだった。不要な駆け引きも妙に性急な所も無く、全ては穏やかに進んでいった。彼はあまり女慣れしていないようで、その試行錯誤の具合と素朴な優しさに心が洗われる様だった。

不要な下心も陥れる企みも持たない、彼は真の意味で純粋な人なのだろう。付き合いを深める内に、その思いが強くなった。同時にそれを、愛おしく思った。

彼の名を口にする度に、言葉を交わす度に、まるで初めてお付き合いする様な心持ちになれた。正式な答えを返した時の、「ナツメさん」と口にしただけで嬉しさで顔が赤くなった姿を見た時も、三度目のデートの時、こういう所にご一緒したかったんです、と洒落たレストランに連れて行ってくれた時も、そして、初めての夜も。

 

『女慣れしていない』というのは交際経験が少ないというだけでは無かったようで。甘い顔立ちや優れた体格の持ち主という、女が離さないであろう存在にも関わらず、彼は女に触れるのはほぼ初めてといった状態だった。

あら意外───そんな眼を向けたのが分かったのか、あんまりいじめないで下さいよ、と顔を赤くした姿が可愛くて、思わず笑みが零れた。

緊張しないで、好きにしていいのよ、という声を合図に、私達は吸い付き、一つになった。

肌に触れるぎこちない指も、導いた通りになぞる不器用さも、全てが愛おしかった。『優秀な若手』という勤め先の立場だけでは決して見る事の出来ない、全ての肩書など関係無い、心の、本能を支える芯の部分。

乱暴に動く性急で無骨な所作も心地良く、嘘偽りの無い悦びの声を上げていた。

その声に反応してもっと激しくなる動きに、また昇りつめ、昂る。

絶頂を迎え終わった時には、二人抱き合っていた。お互いに声を掛け合い笑い合う。優しくかすれた声を聞き、唇を重ねる。これ以上なく新鮮で、満ち足りた気分だった。

 

本当に幸せだった。

何も問題無く全て順調だった───この時は。

 

何かがおかしいと気付いてしまったのは、交際を始めて数か月経ってからだった。

彼との───『いーくん』とのお付き合いはやはりのどやかで、初々しい流れのままだった。彼を愛称で呼びたくなったのも、この初々しい流れに長く触れ、感化されたからなのだろう。いーくんなどという、まるで学生の様な愛称で呼びたいという思いも、彼の前ではすんなりと口に出す事が出来た。彼が快く受け入れてくれると、何処かで分かっているからなのかもしれない。

そんなのどやかな中、二人で外に出かけたある夜、彼が私の手に指を絡めてきた。

それ自体は何の他意も無い。何の気も無い、只こっちに行きましょう、もう少し歩きましょうという、単なる恋人同士のごく自然な行いだ。だから何の前触れも、無かった。

───下腹部から、熱い物が滴った。

え、と思う間もなくそれはどんどん広がり、ついには下着を濡らしてしまった。濡れた薄い生地の一部が貼り付いてくる。敏感な部分に、熱を持ち突起する、その部分に。

手が汗ばむ。その汗ばんだ手の平と指先に、彼の指を感じた。

腰が、太腿が、熱を持ち重たくなった。それは乳房も同様で、痛いまでに重く張り詰めていた。先端はやはり敏感に膨らみ、布地にこすれる度に反応してしまっている。

街の雑踏に埋もれて、何にも仕掛けられる事も無く、私の身体は悦びを覚えていた。

彼は知らなかった。ただ無邪気に手を繋ぎ共に歩く事を楽しんでいる。ここ学生の頃から気になってたんですよねとか何とか、街並みを見て笑っていた。誘う様な意図も、催させる様な声色でも無く、ただただ、明るいその声が耳に入る度に繋いだ指先が肌に触れられる度に、感覚はくすぐられ、身体は重くだるく、敏感な部分達は熱く固く、滴り始めていた。

 

───気付かれちゃいけない、こんな状態、知られたくない。

 

平静を保ちながら歩を進める。ずっと気になっていたんなら今日来られてよかったじゃないの、と笑みを作って見せる。

まさかナツメさんと一緒に行くとは思ってなかったですけどね、と笑いかける顔にまた、身体が内から震えた。震えを抑えながら平然と、一緒にお出掛け出来て嬉しいわと返す。

そうだ、いーくんと出掛ける事が何より楽しいんだから、別の事に反応している暇は無い筈だ。こんな、理不尽な揺さぶりになど、左右されていい筈が無い。

───だから早く治まって。

そんな願いは空しくこの理不尽な揺さぶりは、私が家に帰るまでずっと、続いていた。

 

その時を境に、私の身体は彼と逢う度に反応するようになった。

街中でも、家の中でも、何処でも、決して淫らな事をしていなくとも、彼の姿が眼に入り、声を聞き、身体が触れ合う度に、私の身体は大袈裟なほど反応し、彼を欲する。

一度彼が背後に立ち、私の手の甲に被せる様に手を重ねてきた事がある。

手の甲に感じる彼の手の平と指の間、指の腹に押し入ってくる彼の指に、悲鳴を上げそうになった。身体がびくりと跳ね上がり、全身が熱を持ち、先端からじくじくと犯す感触に意識がぼやけそうになった。

 

───抱いて。

 

そう声が出る前に何とか押し留め、やめてと声を出し手を引っ込めた。私の手を包む彼の手、彼の指を指の間から抜き取る時の、肉が持ち上がり柔らかな表面を撫でる感触にまた、声が出そうになった。

すみません、びっくりさせちゃいましたね、と謝る声を、うだりそうになった意識で聞いていた。若干の気恥ずかしさから来る照れと申し訳ないという気持ちの混じった表情が眼に入り、胸が痛くなった。あなたは何も悪くないのに。

 

これは強引さがあるからこうなってしまうのも分かる。けれども最初の時みたいにごく普通に手を繋ごうとした時にも反応してしまうのが嫌だった。

 

私は彼と一緒に綺麗な物を見たいの。

共に綺麗な景色を見つめ、楽しい所に行き、美味しい物を食べ、楽しさを分かち合う、そういうきれいなやりとりがしたいのに。

けれど、これではまるで。

 

こんな感じだから、ベッドの上でも一苦労だった。

何をやられても気持ち良く感じてしまう。声を出さぬよう、意識を飛ばさぬように堪えるのも大変だった。若さに任せて激しくする彼を、本心を隠しながらたしなめる。

 

「ごめんなさい、それは痛いの」

───だからもっと強くして、気持ち良いの。

 

「あんまり激しくしないで」

───もっと乱暴に激しく、滅茶苦茶に突いて。

 

別に彼が何か特殊という訳じゃない。

ぎこちなかった動作は、逢瀬を重ねる毎に洗練されていった。元から物覚えの良い人だもの、経験を積んで技術が、というのもあるだろう。長きを接するようになってお互いの心情的にほぐされて、というのもある。

 

「ナツメさん、気持ちいいですか」

「……ええ、とっても」

 

彼の一声一声に、昂揚する。

交際を始めたばかりの頃は、付き合えたという事実に、両思いだったという現実に、そして嫌な事から解放されたという状況によって、気分が昂揚していた。それは初めて身体を交えた時も変わらず、付き合えて嬉しい、楽しいという感情で満ち溢れ、それによって阻害されていたから妙な快感も覚えようが無かったのだろう。

けれども、今は違う。

初々しい昂揚がすっかり落ち着いてしまった今、元からあった感覚が容赦無く襲い掛かって来る。

 

かつてあの男と別れようとした時に、あの男の目の前で、彼が私を滅茶苦茶に犯してくれたなら、と思った事がある。

私はそれを自分のだらしなさがそう思わせたのだと解釈した。全てを投げ出したい、自分は何もせずに、他の頼れる誰かに全て任せてしまいたい、大きな仕事を片付けさせて寄りかかりたい、そんな卑怯で狡い心の表れだと。

けれど、どうもそれだけでは無かったようだ。

 

よく効く解熱剤を常備薬として置いていた。

私はその瓶を投げ捨てた。副作用に殺される前に投げ捨てた。

けれどもまた、別の厄介事が浮かんできたみたいだ。

 

私は彼に触れられるのを極力避けるようになった。

手を繋がれては早々に指を離し、肩を抱かれたら動けないから、と逃れる。気取られぬように、と気を付けていたつもりだけど、やはりそう上手くはいかないもので。彼によく尋ねられるようになった。

 

「何か、あったんですか」

「もしかして何か、怖がらせるような事をしてしまいましたか」

 

本当に不安げなその顔に、そうじゃないのと返すのが辛かった。純粋な瞳はまっすぐに影を持ちながらも澄み切った色で私を見つめる。その率直で純粋な心に、汚い色を混ぜる訳には、いかなかった。

その率直さに応えたい、けれども、素直に言える訳が無い。

だからどうにか誤魔化して、その場を納得してもらうしか、思いつかなかった。

 

彼を不安になどさせたくない。

だからこうやって『準備』が必要なのだ。

冷静に彼と会うには、おかしな事を口にしない為には、こうするしか無かった。

 

『器具』は、色々用意した。

あの男が置いて行った物も、その後自分で調べ買い足した物も。散々に嬲られた代物だ、汚らわしいと、捨てようと手を付けもしなかったのがこうして役に立つなんて、何とも皮肉な話だ。それだけ切り捨てられない物になってしまったという事なのだろう。

 

この、身体の疼き。

通常の真っ当なやり取りでは満たせぬ、後ろ暗い願望。

 

今私は、リビングで裸になっている。

大きく脚を広げ、性具を身体に突き刺している。秘裂も後ろの孔も、何度も何本も出し入れしたせいか泡立った潤滑材を吐き出し、ひくついている。───最も、潤滑剤など無くとも、出入りが容易なぐらい溢れ出る物があるのは、自分自身が分かっている。こういう事が好きなのだ、私は。

右手でバイブレーターを奥まで出し入れし、左手の指で秘裂の先端を押し潰し、しごき上げる。粘液に阻まれくぐもった駆動音が、耳と身体の奥で響く。感覚を走る衝撃に身体が痙攣し、一瞬後孔が窄まった。ひぁという微かな悲鳴が、粘液が更に奥から吐き出され、押し潰していた肉芽が一層大きくなった。痙攣した脚が大きく開かれる。誰かに、見せつける様に。

───まだだ、まだ、足りてない。

立ち上がり少しだけ位置を変えた。そこには張型が用意してあった。逞しく大きな物を二本、床に固定し直立させてある。綺麗とも思えない、まさに卑猥なだけの物だったが、それは用途を考えるとしょうがないという物だった。

彼のその部分は、綺麗だと思ってしまうのに。

あの男のも、あの男以前に通常に交際していた人達のも、そんな部分に興味は無かった。あの男に関しては快楽を押し付け惨めな自分を思い知らせてくるので、むしろ見せつけられて辟易としていた。けれども、彼の、いーくんのその部分は、どんな姿であろうと綺麗だと思った。柔和な姿でも、荒々しい形でも。荒々しい硬度を有する時でも粗雑な痛みは持たず、刺激と熱と共に身体に収まってくれた───

思わず目の前のそれと彼を結び付けてしまい、慌ててそんな考えを打ち消した。彼と器具を一緒にするなんて、何とはしたない事を考えつくのだ、私は。

今はただ、この行為に集中しなくてはいけない。しなければ、何処にも行けなくなってしまう。

潤滑剤を垂らし、二本の張型の先端から根本まで覆い尽くした。そしてその上を跨ぎ、ゆっくりと腰を下ろした。

ほぼ同時に、張型は両孔に侵入した。準備によって散々にほぐされた両の孔は異物を易々と侵入させ、深奥まで導こうとしていた。両方の、膣内部の襞と直腸の襞、そしてその二つを隔てる肉の壁に振動が伝わる。異物を奥へ押しやらんとする粘液のうねりを感じた。跨ったまま一気に腰を下ろした。膣の、腸の肉壁が一気に貫かれ抉られる。ゆっくりと引き抜くような姿勢を取り、また沈む。また沈む。剥き出しの乳房をぶるぶると放り投げ、快楽で痺れ重だるい太腿は徐々に姿勢を保てずひしゃげ、腹這いになった蛙の様な不格好な姿勢になりながら、私は張型を打ち付ける為に馬乗りになり腰を振り続けた。

 

両の孔は抉られる度に潤滑液を吐き出し痙攣している。中は依然打ち付ける動作によって抉られ続けており、同時にそれは両孔が性交可能な状態になっている、もしくは待ちかねている状態になっている事を意味していた。

 

「まえもぉ、おしりもぉ、きもちいいのぉ……」

「ね、ね、もっとしてぇ」

 

白む脳裡、点滅する意識の中で吐き出される言葉はあまりにだらしなく、下賤な媚びだけを感じさせた。腹這いになった蛙の様な上半身はもう何の動きもしておらず何にも触れていないにも関わらず、今までで最高潮と呼んでもよいぐらい、大きな肉の球の先端にあるそれは固く屹立し、刺激を浴びて悦んでいた。

対照的に下半身は、張型を組み敷く尻肉は暴力的と言ってもいいまでに跳ね動き回り、自らを鎮める方法を探していた。───自らを超える更なる暴力で抑え込まれ、犯し貫かれる事を望んでいた。

 

「すきよ、いーくん、すき、すきぃ……」

 

あの力強い体格で床に組み伏して乱暴にして欲しい。白く長い指、力強さと繊細さを併せ持った指先で敏感な部分をいじって欲しい。あの澄んだ瞳で恥ずかしい部分がどうなってしまっているか、隅々まで余す所無く見つめて欲しい。なじってもらいたい。あの、しなやかで逞しい筋肉の付いた腕を手足に巻き付けて身動き取れ無くしてもらいたい。拘束されたい。

 

恍惚までの焦燥の中、出会いから今までの美しい思い出が頭の中で廻る。その中で沁み出した妄想に意識を奪われた。

 

ああ、そんな仕打ちを受けたらどんなにいいだろう。

あの桜色の唇で冷笑され、小さな炎の様な舌で侮蔑の言葉を吐き掛けられる。

高い鼻梁の鼻は皺を寄せ軽蔑の意を表し、生真面目に切られた黒い短髪は規律はどうしたのだ、となじる。

そして黒髪に翳を落とされた、あの澄んだ瞳は───

 

(ナツメさん)

 

想像の中の彼が、明るく笑った。

嬉しいという感情と照れの感情が混じった、新鮮な表情。初めて話した時の、そして、いつもの彼だ。

白んだ脳裡が、一気に白の中に埋まる。

 

きれいよ、いーくん。

 

全身を電流が駆け抜けた様な感覚と共に、ああ、とも、があとも付かない、獣が吠える様な声を立てて床に倒れ込んだ。太腿と尻肉は痙攣し、膣と肛門も張型を埋めたまま周辺の肉をひくつかせ、潤滑液と体液とが混ざった粘性の汁を噴き出している。

あああ、と声を上げる。だらしなく開いた口から涎はとめどなく溢れるのに、涙は眼の内に引っ込み、出せなかった。

惨めだった、この上無く、無様だった。

 

暫く床に顔を埋めたままでいた後、ゆっくりと手を局部に差し入れ、使った物を引き抜いた。脚の間から今までやった行為の混合液が零れる感覚がして顔を顰めた。身体の中に埋めたまま風呂場に行った方がよかったのだろうが、あのままの姿では居たくなかったのだ。

周囲を簡易的に片づけ、使った物を一まとめにして手に持つ。

リビングを出ようと歩くとまた脚の間から液が滴って来た。ティッシュでそれを拭い、足を進めた。

 

私はいやらしい女だ。

いかがわしい妄想をするだけでは無く、あんな行為をしないと自らを鎮める事も出来ずに、挙句秘裂や後孔から愛液や潤滑剤を溢れ吹き零し、後始末をしようと動く度に脚の曲線を伝い滴らている。

 

───こんな情けない姿、絶対に見せたくはない。

 

会う前に二時間、会った後に二時間。逢引きの前後はあんな行為に時間を費やさないと、彼にまともに接する事も出来ないなんて、そんな異常な女と知られたくは無い。

彼の前では、彼の中では、せめて真っ当で美しい存在で在りたい。そんな出過ぎた事を望んでしまう。美しい感情だけを纏ったままで、逢いたい。

 

 

───さあ、お湯が沸いたようだからお風呂に入ろう。身体を綺麗にして『器具』や部屋も何もかも綺麗にして、何事も無かったかの様にして彼に会いに行こう。今日は約束していた日だから、遅れないようにしなきゃね。

『準備』のお陰で彼に触れられても強い刺激を感じる事は無いだろう。

だから、私の所作で彼を不安にさせたりなんてしない。

だって私は、彼を、彼その人を愛しているのだから。

 

彼の瞳を思い出し、シャワーの一滴を打ち付けられた身体が震えた。

その震えの意味を深く考える事は、しなかった。

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