荷物を揺らし、すっかり日も暮れた夜道を駆け抜け――星々が煌めく夜空に見守られながら、私はお社へと戻りました。
ウェニキスの予測どおりなら、襲撃が終わってからかなり時間が経っているはずでしたが、お屋形様はまだお戻りになっておりませんでした。
私は燭台と行燈に明かりを灯してから、炊事場で米を炊きつつ、頂いた野菜たちで簡単な料理をいくつも作っていきます。ここに来たばかりの頃よりも家事の手際が良くなったこともそうですが……この日は一切の邪念がなかったため、全てが順調に終わりました。
ふっくらと粒が立ったご飯をおひつに入れてお膳を用意し、お風呂を沸かそうとしたとき――屋形をばりばりと震わせる突風が舞い降りました。
それは、今までに何度も聞いていた〝日常〟が帰ってきた音――外の暗闇を切り開くように訪れて、私に道を示してくれる〝光〟の気配でした。
私は大急ぎで玄関に向かい、この屋形の主を出迎えます。
「――おかえりなさい。今日もお疲れ様でした、お屋形様!」
「……!」
自分の手で戸を開こうとしていたお屋形様は、突然開かれた戸と、その向こうに居た私を見て目を見開いておりました。
「……え? あの、どうしたんですか? そんなに驚いて……もしや、私が怒っていないことが珍しいとか……?」
「いや、な……おまえが此処に残っていたとは思わなんだ。民に何もしてやれぬ竜禪に――おれに愛想を尽かしたとばかり思っていたものでな」
「そんなことは…………いえ、無いとは言いきれないかもですが……いろいろとあったのですよ」
「……いろいろ、か。積もる話もあるだろうが、まずはおまえが作ってくれた飯で腹を満たすとするか……なあ、風真よ」
「……はい!」
鼻をひくつかせて空腹を押さえたお屋形様は、川の水では落とせなかったらしい〝戦いの痕〟だらけの手を私の頭に置き、疲れを滲ませた動きで撫でてくれました。
それから、お屋形様と向かい合って食事をしていたのですが……ご飯が少ない私のお茶碗に違和感を覚えたお屋形様が、その理由を問うてきました。
……私は、正直に全てを話しました。イサリビで学んだこと。ウェニキスに食べさせ……いえ、見せてもらったもの。そして、此処に帰ってきた理由も。
私がこれまでの無知を反省し、頭を下げて謝ると……お屋形様は静かに私の顔を上げさせました。
「それで、おまえが巫僧と作ったお守りというのは?」
「あ……えと、こちらです。一応、『お屋形様が今日も無事に帰ってこられるように』と願ったつもりですが……」
私から緑色の包みを受け取ったお屋形様は、興味深げにそれを眺めました。
そのお守り袋には、私の自戒や反省……そして、竜禪信仰や人生への〝迷い〟までもがつぶさに注がれておりましたが……それに負けない量の〝竜禪やお屋形様への言葉にできない想い〟を込めていたつもりでした。
……私も、ハマのおばちゃんやイサリビの人たちと同じように……ちゃんと、心の底から、お屋形様のことを信じたかったのです。
「ふむ……ほう、ほう。良いではないか。おれが作った護符に近しい、強い可能性を感じるぞ」
「そうですかねぇ……お屋形様の護符ほどのありがたみは無いと思いますが……。教わりながら作ったので、ちょっと不格好ですし……」
「ありがたみなど、信心からいくらでも生まれるものだ。今のおれが得ている信仰より、おまえの気持ちの方が余程重たい力もあろう……うむ、ありがたく頂くとしよう」
そう言いながらお守りを懐にしまったお屋形様は、軽々しく自嘲していましたが……私にはそれが『冗談では済まされない』と思えました。
私がこのお屋敷に来てから幾年の時が経ち――浮世の雰囲気は明らかに変わっておりました。いくつもの国が滅びたという噂があちこちに流され、はざまの民は増える一方です。
イサリビから程近い場所にも異教の集会所が建てられており、各国に据えられたミヤ様の祭壇が取り壊された場所もあると聞きます。武家への忠義どころか〝柱〟への信仰も薄れていき、海岸には密漁者が現れ始めているという話もあるのです。
私は、その思想が広まる理由や、彼女たちが信じる〝正しさ〟をウルヴの生活から知ってしまいました。イサリビの人たちのように、純粋で盲目的に『けしからん』と断ずることはできないのです。
お屋形様は、私の複雑な表情から気まずさを感じ取ったのか……憂いを帯びた顔に、灯りが生む影を差させながら語り始めました。
「おまえが触れてきたように、彼の宣教師共が説いている教えは〝個々の命〟に感謝し、欲望を満たそうとすることを是としながら、過程で『人らしい急速な発展を促す』ものだ。人が進化する道程として、または大多数の人の考え方として、それが『正道である』ということは確かであろう。その自然な『命と感情の赴く流れ』を〝信仰〟と紐付けているからこそ、多くの人間が信心を抱くのだ」
「……はい。その一方で、人の命や私財、尊厳すらも侵害されることもあり……いわゆる、食い物に〝する側〟と〝される側〟が常に存在するのですよね?」
「うむ。『だからこそ』だとも言えるやもしれぬが、命懸けの競争や譲れぬ拮抗が人を追い込み、その限界を超越させるために日夜進化を続けるのだろうな」
「……対する竜禪は、〝社会の安寧〟を尊び、人らしい欲望を嫌う少数派によって存続する、閉鎖的で持続的な生き方を望む者の信仰……『国やイサリビの在り方』そのものですね?」
「相違ない。〝天子〟と〝天人たち〟の統制によって、此の地で社会性の維持と進化を両立していた天崇……あれが竜禪を打ち倒していれば、此の地は、外国の知識や技術を得て大きく発展していたであろうな」
「天崇……というと、かつて竜禪と争っていた信仰ですよね? それが消えたのは、竜禪としては都合の悪いことだったのですか? 戦なんて、ない方が絶対に良いと思いますが……」
「おれもそうだと思いたかったが……天崇が滅び、竜禪だけが残された此の世からは、確かに大きな争いが消えた。その一方で、安寧と同じ大きさの〝怠惰〟が蔓延るようになったのだ」
「怠惰、ですか……?」
「人の子なら、おまえも一度は考えたことがあろう? 『自分は何のために産まれたのか』、『何のために生きていくのか』を」
「……それは、まあ……でも、私には『両親が望んだように竜禪の〝柱〟に成る』という目標があって、お屋形様のお使いを頑張ってきましたし…………あっ……」
「そういうことだ。停滞を望む地には安寧こそあれど、新しい刺激も人らしい欲もない……新たな目標が生まれることはなく、ただ『我慢をしながら生きるだけ』なのだ」
お屋形様の言葉が、ずっと焦燥感を抱えながら生きてきた私の胸に、ぐさりと突き刺さりました。イサリビでの『薄味が延々と続くような暮らし』に、どこか浮いた気持ちというか、『自分の居場所はここではない』と感じたような――微妙な疎外感を覚えていたのは、きっとそのためだったのです。
……今にして思えば……私をなかなか柱に据えようとせず、納得できる説明すらもしなかったのは、お屋形様の親心だったのでしょう。
臆病なのに行動力だけはある私が、早々に柱に成っていたら……おそらく、あの変わりない毎日の堪えがたい退屈に喘いでいたはずでしたから。
「人の世が一つの思想だけで染まると、敵なき世界で命を張り合う機会を失い、進化を拒んだ此の地では生きる意味も探しづらくなった。人はその虚無を避けるために、見合いを習慣付けて〝家庭を守る〟という生きがいを男女に持たせたり、飽くなき欲望を〝悪しきもの〟だと罰したりしたものだが……やがて、その惰性で繋ぐ人生に飽きる者たちが現れ始め――」
「――はざまの地の規模が大きくなり、宣教師たちが広める刺激的な生き方に染まっていき……今、『人は生きることの楽しさを学び始めた』。そういうことですね?」
「……そこまでわかっておるなら、おれがウェニキスたちの言う〝片側から見た事実〟を否定しなかった理由もわかっておろう?」
「……なんとなく、ではありますが……まあ……」
気まずくなった私がお茶碗の中身を掻き込むと、お屋形様はくつくつと笑って、静かに目を閉じました。
「ウェニキスの話では……全てが発展した未来でも社会性を築けるうえに、医学が進歩して、自堕落に生きてもなお寿命が伸びていくようだ。そうなると、いよいよ竜禪が悪として裁かれる日も近いやもしれんな」
「そ、そんなの……あの……で、でまかせかもしれないですよ!? 未来のことなんてわかるはずがないじゃないですか!」
「いや。他の者ならともかく、『未来のことを識る』ウェニキスの言葉には信憑性もあろう」
「……っ……どうして、そこまで彼女を……あの嘘つきな女狐の言葉を信じるのですか……?」
視線を逸らした私の、善悪の境界線が揺れている気持ちを汲んだのでしょうか。お屋形様は穏やかな顔つきのまま、キュウリの塩もみを食べながら続けます。
「まだ宣教師共が活動を始める前に、わざわざおれに謁見し……『輸送船で大量の食物を持ち込み、竜禪が見捨ててきた〝はざまの地に住む命〟を救うこと』の許可を得て、新たな〝進化のかたち〟を作ろうとする者が……まったく意味のない嘘をつくとは思わぬよ」
「……………………じゃあなんですか!? お屋形様は、ウェニキスのお尻のシワの数をホントに知っているんですか!?」
「これ!食事中に下品なことを言うでない! へらへらしておるときは嘘をついていると言ったであろうに……あやつとは教義について散々語り合ったが、さすがにそこまでは知らぬ」
「あ、そっかぁ…………『そこまでは』ってなに!? ある程度なら知ってるってこと!? なんか知り合いみたいな意味深っぽい雰囲気を出していたのはそういうことですか!?」
「………………飯が冷めるな。早々に食いきらねば」
「ねえお屋形様ぁ~!女性関係のことでごまかすの下手すぎるよ! せめてもうちょっとわかりづらくできませんか!?」
「……ふう。おれは彼奴に、異教の理念と教義の子細を尋ねたまでだ……」
「また思わせぶりなことを言う~! いったい何をどう教えられたというのですか、このスケコマシ~っ……!」
押しかけ女房のような私がぎゃあぎゃあと喚くなかで、お屋形様は平然と夕餉を平らげました。そそくさとお膳を片づけて、山から引いている湧き水の流しで食器を洗い始めます。
頭が熱くなっていた私は、お屋形様に食事の後片付けを任せてお風呂を沸かせました。こんこんと湯気が立ち始めたのを確認してから、程なくして脱衣所に入ってきたお屋形様の着物を預かり、いつものように背中をお流ししました。
……え? 『ケンカしてたんじゃなかったの?』って……いや、食事中のあんな言い合いなんて、かざまたちには文字どおりの茶飯事だから。家庭の事情なんていろんな説があると思うけど、まあ、そういうことだから。
えーっと……そう、お風呂です。お屋形様の身体に刻まれる生傷は増えていく一方で、その日は特に酷かったことをよく覚えています。
私がお屋形様の身体を洗っている最中にも、小さな傷は少しずつ塞がっていくのですが……胸板や腕には、触るのを憚られるような痛々しい色の肉がまだ覗いていました。
「……湯煙が傷に沁みませんか……?」
「触らなければ問題ない……つっ……」
「やっぱり痛いんじゃないですか……。お屋形様……早く、良くなってくださいね……」
私は湯をかけた布で、お屋形様の身体を穢す黒い油汚れを拭いながら、深い想いで祈りを捧げました。
此の地に生きる人たちのために――重たい信心に応えるために背負った苦労を洗い流すように、私の剥き身の全身を密着させて、ごしごしと。
すると、さらけ出している胸からじんわりと溢れた光が流れて、お屋形様の身体に入り込みました。傷が癒えていく速度が明らかに上がり、抉られたような深い裂傷を光が覆うと……傷が、私の目の前で塞がったのです。
「……そうか……戦いの最中に感じた、深みのあるソウリョクは……やはり、おまえの……」
「……ソウリョクというのは、『誰のものか』がわかるのですか?」
「いや、神とて万能ではない。ソウリョクだけでは『どういったものか』までだ。個々の心は無二であり、抱く信仰が同じでも十人十色の差異がある――故に、神仏に祈りを捧げるときには必ず己の名を告げるものだ」
「そ、そうでしたか……! すみません、まだ作法がなっておらず……! 遅ればせながら……その……風真いろは、です。お屋形様の下でお世話になっています……」
「フッ……はははははっ! 言わずとも、知っておるとも……とてもよく、な」
お屋形様は傷が塞がった身体を軋ませ、ぐいっと伸ばしてから立ち上がり、私を椅子に座らせました。
慣れていないことに戸惑いながら、思わず胸と股を隠して……何かを確かめるように背中を洗ってくれるお屋形様に身を委ねます。私が何も言わないのをいいことに、首から腋や胸の下、開いた股の間から足の指先……隅々まで、綺麗さっぱりと洗われてしまいました。
あんなにも恥ずかしいことを好き勝手にされていたのに、私はどこか清々しいような、大きくて穏やかな川に流されるような感覚に包まれており……なんとなく、〝最後だからこその特別な出来事〟を予感していたような気がします。
「……大きくなったな、風真」
「い、今さらなんですか……? ついこの間も似たような話をしたではありませんか」
「ばかもの、身体だけの話をしているのではない……親が子の成長を実感する瞬間というものの本質を、ようやく思い知れたよ」
後ろを見ることはできませんでしたが……お屋形様の声は、とても朗らかに弾んでいました。まるで、此の地を守るために戦い続ける神様であることを、一瞬だけ忘れたかのように。
「……んー……そういうものですか……。私にはよくわかりませんが……」
「いずれわかるとも。今の心持ちさえ忘れなければ、おまえは何処にでも行けるし、何にでもなれるであろうよ――故に、おれは……おまえに、もっと…………」
「…………じゃあ……竜禪の〝柱〟にも成れますよね……?」
「…………………………ああ、そうだな。おまえなら、そう来るだろうと思ったぞ」
お屋形様は重苦しいため息をついてから、桶で掬った湯を私の頭から被せました。
それから、私たちは一緒に湯船に浸かりました。いつものように、同じ星空を見上げるのではなく……お互いに向き合って、汗が伝う顔を見つめ合うように。
「熱くはないか?」
「……はい……いや、でも……ちょっと……気分が複雑です……」
「……それは、おれにはどうしてやることもできんな……」
裸でお互いに背を抱いている人は、家族同然の存在――血が繋がっていないだけで、父としての役割を果たしてくれていた人でした。
過去の出来事が刻んだ殿方への根深い恐怖は、今もなお抜けきっていないのに……あの人の懐だけは、安心して包まれることができていたのです。
そんな人と、上気した顔で向き合い、汗が垂れるような熱い温もりに触れ合っていると……『いけないことをしている』という感覚が全身を固く縛り付けました。
「……無理はするな。おまえの両親も、祖母も……己が心を壊してまで柱に成ることなど、決して強いなかっただろう」
「…………でも……」
「おまえの祖母からも聞いておろう。柱に据えられた者は、人の理から外れ……二度と此の道を外れることもかなわぬ。おまえの〝他の未来〟を全て失くすのだ――このまま、〝人〟として生きようとは思わぬか」
お屋形様の強い、諭すような〝親〟の言葉に……私は首を横に振りました。
お屋形様に抱いていた安心感は、私の信頼の表れでした。でも、それはやっぱり――竜禪信仰の神としてではなく、〝人の子の親〟に対する愛情だったことは間違いありません。
私が永久の不変を願えば、神はその意に応え、その温もりを死ぬまで感じていられることでしょう。何も変わらず、何も失わず……イサリビの暮らしと同じような、心の安寧が続くのです。
故郷と家族を失い、心に大きなかさぶたが出来てしまった私には、恋愛感情の有無も、〝家族への愛〟と〝異性への愛〟の差もわかりません。だから、ここで急ぐように選択をする必要はありませんでした。
――それでも、この一線を踏み越えた先に、私の望む〝正しさ〟が続いていくのなら。答えはきっと、この先も変わらないことでしょう。
『ヘビちゃん。迷っているときこそ、手だけは動かし続けるもんさね。何も知らないってんなら、今からいくらでも知ればええ!』
何も知らずに暮らしていたら、たしかに気楽に過ごせます。けれど、私はもう知ってしまいました。海上の争いや異教の爆発的な普及のことも、私たちを置いて発展していく世界のことも、水平線に陽が傾いていく竜禪の結末も。
ちっぽけなただの人間である私にできることは、ほとんどないのかもしれません。でも、まだ私は――自分にできることを、全部終わらせたわけではありませんでした。
「私は……ウェニキスが見せた〝正しさ〟の良さを理解できても、羨ましく思ったり……竜禪を――イサリビやお屋形様のことを『捨てたい』と思ったりすることはありません」
「風真、そう急くでない。おまえたち人間が停滞を脱し、進んでいけば、いつか……あの荒んだ世界も好転していくのだ。今より美味い飯を食えるだろう。今より楽しく暮らせることだろう。今より安全に――」
「――――っ……」
私は、お屋形様の溢れる気遣いを、自分の唇で塞ぎました。
顔の付け根に手を添え、唇をついばみ……自分の中にある〝一人の親〟の像を壊し、〝一柱の男神〟の心に触れるために、意識の手を伸ばしました。
(…………さようなら……もう一人の、大切な――父上――――)
それはお別れというよりも〝線引き〟に近い、自分に言い聞かせるような言葉でした。一度も口にしたことのなかった〝育ての親〟への感謝を唇だけで伝えて、余計な言葉は、私の胸の中にしまいこみました。
何十秒……何分間、そうしていたかはわかりません。呼吸が苦しくなって、吸い合っていた唇を離すと……つう、と架かった銀色の橋が、私とお屋形様を一つに繋げていました。
「お屋形様……私は、貴方様を――いえ、貴方様と竜禪を『信じます』。ミヤ様が守る此の地で、私たちは安寧と節度を保ちながらゆっくりと発展し……異国に負けない〝私たちの幸せ〟を追求していける……と」
――そのとき――何も意識せず、自然と紡がれた心からの言葉が――胸の中で渦巻いていた強い感情と結ばれ合ったような気がしました。
複雑に絡んでいたいくつもの気持ちが一本の想いとなり――私の全身から光が溢れて、水面をざわざわと波立たせた風が逆巻き、吹き上がります。
それは幼少期――浮浪者に襲われ、泣きべそをかいていた私が生んだときに見た、あの輝きの旋風そのものでした。
「これ、は……?」
「……此れぞ、人の『想ひて創る力』――即ち〝ソウリョク〟――竜禪の本懐なり。人が強く望むことで力を生み、神が応えて奇跡を起こす〝想い〟の巡り――此の地〝キョウ〟に流れし信仰の力よ」
「……ソウリョク……こんなにも、力強いものだなんて……」
「それだけ、おまえの決意が強く、固いものだったということだ。相反する〝正しさ〟を知ってなお折れず、己の想いを信じたおまえは……もう、立派な武士になってしまったな」
お屋形様は観念したように、私の額に自分の額を擦り合わせて、唇を舐めるように接吻を重ねました。その仕草は、今までのような慈愛に満ちた触れ合いと同じ温もりを有していたのに……〝何か〟が決定的に違うような気がしました。
唇同士の愛撫を終え、息を整えたお屋形様がひと息をつきました。そして、湯気を巻き込んで立ち込める輝きを自分の中に取り込み、その存在感をより一層強めました。
「……おまえの願いは、確かに受け取ったぞ……風真」
――竜禪の神様は、私の我儘な望みにも応えてくれました。
それはきっと、何も特別なことはなく――ただ『神様の在り方』をなぞらえていたのだと思います。
『その〝信心〟こそが竜禪の――武家の本質であると覚えておくがよい』
『これだけは知り、常々考えておけ。我らが進む〝武の道〟は正しくないのやもしれぬが――武士は〝信念〟を貫いている、と』
触れ合う肌の面積を少しずつ増やし、なかなか冷めないお湯をちゃぷりと波立たせながら……私はお屋形様が語ってくれたことを思い返していました。
それからしばらくのあいだ、お屋形様は私の身体に触れていたのですが……途中でその手を止めてしまいました。
「……お屋形様……?」
「……風真。少しだけ――ほんの少しだけでいい。決して逃げはせぬと誓う……だから、待ってはくれぬか」
「…………はい」
神様となったお屋形様も、昔は人の子として生きていた御方です。きっと、娘のように思っていた相手を抱くためには、心の準備が必要だったのでしょう。
私たちは言葉少なに風呂から上がり、薄手の寝間着に袖を通しました。私はひとりで縁側に座り、蛙の鳴き声や夜風が生む夏の遠鳴りを聞きながら、透き通るような月を見上げて……ぽろり、と一粒の涙を流しました。
その涙にはたくさんの想いが詰まっており、流れ出た確かな理由を語ることはできませんが……あの時に見ていた月と星々の光がとても美しく、心の中に沁み渡っていたことだけは、間違いのないことでした。