――〝罪殺し〟。そう称された、黒い影のような巨体の者が立ち去った後――モリの国には、おぞましいほどに不気味な静寂が漂っていました。
血肉が地面に染み込んでいく生臭い感覚は、大変に居たたまれないものではありましたが……そこでは、〝争い〟や〝悪行〟が確かになくなっていました。
それはまるで……あの残酷な殺人と、先ほどまで私が感じていた〝治安の良さ〟を裏づけるかのようでした。
しかし、そんな不穏な空気も、時の流れと吹き抜ける風が運んでいってしまいます。町並みが日常を取り戻そうとするなかで、立派な袴を土で汚した武士たちが、「何故俺たちがこんなことを」、「罪人の尻拭いをする意味がわからぬ」と身勝手な愚痴をこぼしながら殺人現場を片づけ始めました。
私はその腑に落ちない武士たちの態度を見つつ、再び武家の門をくぐりました。そして、再会した当主と共に、武士からの報告を聞きました。
なんでも、あの賊たちは店から盗みをはたらこうとしたらしく……武士に追われていたところ、突然降ってきたあの大柄な男によって首を刎ねられたというのです。
「……こたびは、流浪の賊による窃盗ですか……〝罪殺し〟には『罪の大小は関係ない』と聞きますが、こうも一方的に断罪するとは……。武家が敷いた〝法〟を犯した者を、漏れなく極刑に処する怪物とはいえ……これでは……」
当主は、今の時代には珍しいちょんまげ頭を悩ましげにかき、苦しそうに呻きを漏らしました。
「え……? じゃあ……〝盗み〟という罪を犯したから、あの賊たちは首を刎ねられたということですか……?」
「おそらく、そうでしょうね……。『罪が生まれしとき、〝罪殺し〟が悪を雪ぐ』……わたくしが当主を襲名する以前……いえ……遥か昔から続く、モリの国の〝摂理〟ですから」
「そんな……それが罪悪に対する刑罰にせよ、厳しすぎますよ……! そんなにも命を容易く奪っては……治安も悪くなってしまいます……!」
「……いえ……厳格だからこそ、〝罪殺し〟は、犯罪の抑止力にもなっていたのです。国という社会を守るために、『これぐらいの違反なら大丈夫だろう』という微小な慢心すらも許さない……彼の者は、そういう存在なのだと」
「っ……し、しかし……! 罪を裁き、罰を与えて、命を生かすこと……それが、武家の――武士の役目ではありませんか! 他者にそれを許すなど――」
「――わかっております。〝罪殺し〟の極端な裁きを受け入れ続け、罪人に過剰な罰を与えることを良しとする……紛れもなく、武家の怠慢そのものだと言えましょう。彼の者がもたらす安寧に甘え、国を守るという〝意志〟を忘れた武士の……正すべき汚点です」
モリの国の当主は立ち上がり……私に、深々と頭を下げました。握った拳には強い力が込められており……ぎしり、と鈍い音を立てていました。
「……イサリビの敬虔なる武士……風真殿と言いましたな。先の無礼は詫びます……どうか……わたくし共への助力を願えませんか……?」
「っ……!? 何故、突然……そのような……? 多くの武士は、今の暮らしを望んでいるのでしょう……?」
「貴殿も見たでしょう……武士たちの不埒で素行の悪い、曲がった背中を。永らく続いた緩い慣習が武士の怠惰を許し、外部からの流入者が罪を運ぶまでに至っている……このままでは……いつか、武士すらも〝罪殺し〟の正義に見初められてしまいます」
「そんな……いくらたるんでいようとも、武士が……そのようなことをするとは思えません……。さすがに、考えすぎでは……?」
「……これは、民には伏せておりますが……実は……はざまの売春宿で、武士と宣教師の間で行われた〝取引〟が、〝罪殺し〟に裁かれたばかりなのです」
「……なんですって……!?」
「宣教師は逃げおおせたようですが……丸腰だった武士は、宿場の一部屋に血肉の残滓だけを残して消えました。武士たちの、〝モリの国での暮らし〟を守ってやるためにも……今一度、武士の本懐を取り戻さねばならぬのです……!」
「……当主殿……貴方は、いったい……?」
「……わたくしは、国の現状を憂いておりました……ですが……あの処刑者を打倒する武力も、人望もありませぬ……。故にこそ、貴殿の助力が……この退廃し、閉鎖した世に吹く新風が必要なのです……!」
鍛錬の痕は確かに見えるものの、肉付きの悪さが武力に繋がっていない細腕が震え……強い無念を示していました。
正しい理念はあれど、信念を失った武士を統率して新しい道に導けるほどの武力を持たず、何もすることができなかった当主――その苦悩を見捨てることは、私にはできませんでした。
私は当主からの依頼を受けて、目的地が重なっているであろう、信仰の再臨と〝罪殺し〟の討伐を同時に果たす旅に出ることにしました。〝罪殺し〟が巣食うのは、モリの国の門前町からさらに北へ向かった場所――雪が降りしきる、深い、深い奈落谷――その底にある、処刑場の跡地だといいます。
当主から受け取った大量の軍資金で入念に準備を整え、門前町を後にしたとき――「おーい、いろはちゃーん!」と、背後からアマネ殿に声をかけられました。
「はぁ……はぁ……! いやぁ、足が速いね……! 追いつけてよかったよ……!」
「アマネ殿……? 今までどこに……?」
「僕のことはいいんだよ! っていうかさ、これから、あの〝罪殺し〟が居る処刑場に向かうんだって?」
「え、ええ……そのつもりですが……どこでそれを……?」
「あー……当主の話を聞いた武士たちが……その……『とても嫌な言い方』で、キミの噂を流していたからね。今度門前町に入るときは、その浅葱色の羽織は脱いだ方がいいよ……たぶん、すぐに〝罪殺し〟が来ることになるから……」
「…………まあ、そうなりますよね。彼らにとって……私の行いは、暮らしの根幹を脅かす悪行にしかなりませんし……」
……今も、昔も……きっと、たとえ世界が違っても……こういうところは、絶対に変わらないと思います。悪意をもって噂を流布すれば……筋の通った真実があろうとも、すぐに埋められてしまうものですから。
……ごめん、愚痴っぽくなっちゃったね。今、こうして……弁明にもなっていない長話に付き合ってくれている皆殿に言うべき言葉じゃないのにね……。
「あのさ……もしよかったら、僕もぽこべぇみたいに連れていってくれないかな? ちょっと、処刑場に用事があるんだよ」
「いや、そんな『近所まで買い物へ行こう』みたいな流れで言われましても……かなりの危険が伴うと思いますよ……? アマネ殿は、例の〝罪殺し〟のことも知っているんですよね……?」
「まあね。それは百も承知で、どうしても行きたい――いや、行かなくちゃいけないんだ」
アマネ殿は、背負っていた大きなつづらに手を突っ込み、「これでもない……こっちでもない……」と迷いながら、二本の刀を取り出しました。
陽光を思わせる燃えるような赤色。そして、月夜を香らせるくすんだ白色。対称的な二色の鞘が抜かれ……ぎゅらり、と妖しい光を孕んだ刀身が、力強い覇気を放って空間を歪ませました。
「こ、これは……?」
「モリの国の宝物殿で眠っていて、僕が鍛え直した二振りの刀だよ――その名も〝日輪〟と〝月輪〟。大昔に作られたこの子たちは、奈落谷に伝わる〝戦士〟が持っていたと聞く……ぜひ、『持ち主の元に返してあげたい』と思っていたんだよ」
「持ち主に返すって……その刀たちは、大昔の物なんですよね?」
「そうだよ。そして、『大昔から奈落谷に関わっていそうな人』が居るじゃない。あの、曰くつきの大包丁を持っている……ね?」
「……なるほど。それでアマネ殿は持ち主かもしれない相手……〝罪殺し〟と接触しようとして、いつの間にか居なくなっていた、と……」
あまりの無鉄砲ぶりに困惑しながらも、私は彼女が強い思い入れを抱いているだろう刀を見やりました。
「しかし、見事な太刀ですね……。まるでお屋形様の刀みたいに……ソウリョクの気配を感じる……」
「ソウリョクっていうものは、ちょっとわからないけど……〝妖刀〟とか〝宝刀〟って呼ばれるものは、不思議な力を持ちやすい傾向にあるみたいだよ。ちょうど、キミが背負っているその子みたいにね」
「……わかるんですか?」
「なんとなく、だけどね。これでも旅の途中でいろいろと触ったり、鍛え直したりしてきた身だからさ。経験と感覚には自信があるんだよ!」
ふんす、と鼻を鳴らしたアマネ殿が『いったい何歳なのか』は激しく気になったところですが……女性に年齢を尋ねるのも良くないと思ったので、私は咳払いをして話題を変えました。
「ところで……この刀、どうやって手に入れたんです? 宝物殿ってたしか……武家が管理していて……一般人は立ち入り禁止では……?」
「それはほら、アレだよ。どうせ武家の人たちも『何が収められているか』なんて把握していなかったし、寂しそうにしていたこの子たちが僕を呼んでいたから……ね?」
「いや『ね?』じゃねえが……〝罪殺し〟、呼ばずとも来るのでは……?」
「アハハ!冗談に決まってるじゃんか! モリの国の武家屋敷で、武具全般を鍛える〝ご奉仕〟の褒賞として授かったんだよ――寂しそうにしていたのは、ホントのことだけどね」
「……そうですか。では……まあ……ちゃんと、持ち主の元に返してあげないとかわいそうですね」
「……いろはちゃん……もしかして……!?」
「お力になれるかはわかりませんが……一緒に参りましょう、アマネ殿。武士として……助太刀いたす、でござる!」
「わぁ……ありがとう! おっしゃあ!僕の傑作たちが唸りを上げるぜぇ!」
アマネ殿は「それじゃあお近づきの印として!」と、何種類かの武具を授けてくれました。
私はそこで、まっすぐに飛ぶ〝クナイ〟や、敵対者に向かって飛んでいく不思議な〝手裏剣〟など……とても品質が良い投擲道具と、その扱い方を会得しました。
「手持ちが無くなっちゃったら、いつでも僕に言ってね。鉄鋼系の材料と交換してあげるよ!」
「あ、そこはタダじゃないんですね……なぁんだ……」
「当たり前だろ!? 商売人がそれをやったらおしまいなんだよ!!」
「じょ、冗談でござるよ……半分ぐらい……」
「やっぱり本気も交ざってたのかよ……まったく……。それじゃあ、おまけしてあげるよ……キミに、これをあげるね」
私に微妙な不信感を覚えたらしい彼女は、何故かぽこべぇに小刀を手渡しました。
ぽこべぇが両手で構えてちょうどいいぐらいに小さくとも、すらり、と美しい光を乗せている刃には強い存在感がありました。それもあってか、ぽこべぇの手がわたわたと迷い、大きく震えていました。
「ん~、あんまり気が強そうなたぬきさんじゃないし、ちょっと荷が重そうかな~……? まあ、お守りみたいな感じで持っておきなよ!」
「はは……ぽこべぇ。かたちだけにせよ、刀を持つということは――――ッ……!? アマネ殿!左に跳んでッ!!」
「えっ――わぁあああああッ!?」
しゅるしゅると耳に響いた、風を切る鉄と羽の音――私は耳飾りにソウリョクを集中させて、アマネ殿を突き飛ばしながら、飛来した矢雨を五太刀で叩き落としました。
すぐに臨戦態勢を整えて上空に跳び上がり――〝神鳥の羽〟で滑空しながら、矢が飛んできた方向を見定め――一気に落下し、くすんだ葉色の樹上に潜んでいた賊を祓斬で無力化します。
「かっ――!? お、おぉ……い、まの……なん……ぁ……?」
「もう三人居る……そっちと……そこかッ!」
太い枝を掴んでぐるりと回り、違う樹に飛び移りながら、懐から取り出したクナイにソウリョクを込めて投げ、男を無力化しました。さらに、林の中に隠れようとした男に手裏剣を投げて打倒し、最後の一人の背中を蹴り飛ばして……剣先のみに集中させたソウリョクで左胸に溜まっていた欲望を砕きます。長旅の中で培ったソウリョクの節約術は、こうした戦闘でさらに磨かれているようでした。
「う、ああ……! 人間の、動きじゃねえ……!」
「バケモンだ……蛇……蛇の、バケモンだぁ……!」
「がっ……ああああっ……! なんだよ、こいつ……聞いてた動きと、違ぇ……! あの女ァ……うそ、を……おふっ…………」
「……〝あの女〟……?」
私が不気味な感覚を払拭するように刀を収めようとしたところで――ふと、嫌な予感を覚えました。
襲撃した矢の数と、この付近に居た野盗の数が合わない――そのことに気づいたとき、女性の甲高い悲鳴が聞こえました。
「ッ――アマネ殿っ!?」
焦燥に駆られた私は、ソウリョクを過剰に使って木の側面を蹴り、空を飛翔して元の位置へと戻りました。
見下ろしたそこには――刀を構えた禿頭の男と、つづらや武具を払い落とされて尻もちをついたアマネ殿……そして、女性の陰に隠れているぽこべぇの姿がありました。
「くそぉっ……! おまえ、卑怯だぞ!女の子を後ろから襲うなんて……!」
「へっへっへ!そんなにバカデカい荷物背負ってるのが悪ィんだろ! 正面同士でアホみてぇに打ち合うカス共の〝試合〟とは違ってなァ、戦いってのは、要は勝ちゃいい――」
「――そうですか。では、そのように」
「はっ――あごぉんっ!?」
粗末な刀を振り上げていた男の膝裏を前に蹴り折って、感情が高ぶって肥大してしまったソウリョクの刃で、罪人の首を斬り通します。穢れた罪と欲望を浄化し……びくん、と腰を跳ねさせ、栗の花のニオイを香らせた男を地面に転がしました。
「うっ……この臭い…………まったく、下品な……! 下半身でしか物事を考えられないのか……?」
股座に汚いしみを広げていく男の身体をうつ伏せにさせてから、私は今度こそ納刀し……衣服を土で汚してしまったアマネ殿を起こします。
「申し訳ない、アマネ殿……私が居ながら、こんなことに……」
「う、ううん、ぜんぜん! 助けてくれてありがとう……足引っ張っちゃって、ごめんね……」
「いえ、そんなことは…………それより……」
私は、びくん、と身体を跳ねさせたぽこべぇに……旅のおともに、強い視線を向けました。
「……ぽこべぇ。せっかく立派な刀を貰ったのに……戦おうとはしなかったの?」
ぽこべぇは、真剣な私の問いに視線を泳がせ……しゅん、と肩を落としてしまいました。
その力弱い姿に、昔の自分を重ねた私は……お屋形様のように、甘やかすことなく、彼と向き合いました。
「……最初は、私も同じだった……〝刀を持つこと〟の意味すら、わからなかったし……怖い気持ちが溢れちゃうのもわかるよ。でも……守ろうとしなければ、何も守れないの。私も未熟だから、全部は救えない……だから……同じ武士として……〝私のおとも〟として、力を貸してくれる?」
しゃがんで視線を合わせた私に向かって、ぽこべぇは目を潤ませながら……ぽん、と胸だかお腹だかわからないところを叩いて鳴らしました。そして、小刀を力強く握って、揺れ動く目に力を込めて……強い意志を見せてくれました。
その凛々しい顔――というにはちょっと丸すぎる頭を撫でて、私は立ち上がります。そして、仲間たちと共に……これまで以上の苦難が待ち受ける、雪が降る奈落谷へと向かいました。