※この作品はR-18です。

朽ちぬ木の葉は色褪せず   作:ナルキケーネ(ハーメルン支店)

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第八話 正義は揺るがず悪を断つ

 アマネ殿、ぽこべぇと共に歩む旅路にて。襲い掛かってくる野盗や黒装束の忍びを退け、人の味を覚えた化け物熊や脂がよくのった獣をなんとか討伐し……異教の都市での補充を経て、粉雪が舞い始めた山を一つ越えたところで、険しい下り坂の先に深い谷が大口を開いていました。

 

 先頭には機動力に富んだ私、二番手には投擲武器による射程距離や大槌による破壊力に長けたアマネ殿、しんがりには気配に敏感なぽこべぇ。この手堅い陣形を崩さずに幾たびの戦闘を切り抜け、私たちは素材や食料、そして信頼感をこつこつと積み上げていきました。

 

 谷を下っていく道中では、おどろおどろしい空気が立ち込めるとともに雪と風が激しくなっていきました。日が暮れ始めた頃には野営の準備をしておかないと十分に休めなくなるほどでした……谷も中腹に差し掛かった頃にはアマネ殿の体力も厳しいことになっていたため、偶然見つけた洞窟の中で、私たちは一度大休止を取ることにしました。

 

 薪を存分に用意し、たき火を囲って身体を温めながら……アマネ殿謹製の鉄鍋にきのこや肉、野生の野菜を敷き詰めて、醤油と酒、みりんで味付けをしてぐつぐつと煮込んだ鍋物で暖を取りました。

 

「っ……ぁ~……♡ あったけぇ~……っていうかうめぇ~! 野生の豚の肉、もっと入れてもよかったかもね……!」

 

「そうですか? 私はここにイサリビのお野菜が欲しいところですが……んー……じゃあ、ぽこべぇを入れたら美味しくなるかな?」

 

「なんで突然そういうアレなこと…………いや……アリ、か……?」

 

 私たちを交互に見たぽこべぇは、「がーん!」と言いたげな表情で衝撃を受けていました。それでも逃げようとせず、自分から鍋の中へ入ろうとしたところには彼の成長を感じました。

 

「いや感心してる場合じゃないだろ!? ぽこちゃん、いいから!大丈夫だから!! 半分しか本気じゃなかったから!!」

 

 涙を流しながら鍋に身を捧げようとするぽこべぇと、慌てて献身を止めようとするアマネ殿。ずいぶんと仲良くなった二人を見ながら、私は鍋の中身をじゃくじゃくと食べていきました。

 

「お野菜うめぇ……あ、白菜ときのこが無くなっちゃった……」

 

「あーっ!?いつの間に――っていうかキミもよく食うな!? 竜禪を信仰してる武士って普通、慎ましい生活に慣れてるもんじゃないのかよ!?」

 

「もぐもぐ……肉も悪くないけど、やっぱり野菜が恋しい……。いや、夜の食事は一日のご褒美なので……身体のためにもしっかり食べないとですし……」

 

「それ僕が取っておいた肉ッ……き、キミは朝も昼も何かしらモリモリと食べてるじゃんか! 山のふもとにあった異教の町でもいろいろ食べてたし!」

 

「……そういえば、そうかもしれませんね……。イサリビではそれが普通だったので……もぐもぐ……」

 

 私は、かつてウェニキスに告げられた〝はざまの地の事実〟という大きな揺さぶりから、此の地全体の閉塞感に嫌気が差して……イサリビや竜禪、そして武士が守ってきたものを見失いかけた過去を思い返し、静かに視線を落としました。

 

 あれから、イサリビの外を見てまわるようになり……彼女が本当に嘘をついていなかったこともわかりました。だからこそ、彼女の語る真実には強い影響力があったのでしょう。

 

「なるほど、そういう文化の中で育ったのか……どおりでいつも何か食ってるわけだ……。イサリビ〝には〟潤沢な食料があったみたいだね……まあ、その分勤勉な人が多いってことだけど……その理屈が、いったいどこまで浸透してるのやら……」

 

 それからアマネ殿は、食材のだしが染み込んだ汁を酒のように飲みながら、私にイサリビのことについて聞いてきました。

 

 食事のこと、文化のこと……そして、鍛冶のこと。ついには私自身のことにまで達した〝根掘り葉掘り〟な質問について答えると、「ほ~ん」だとか「ほえ~」といった感じで、興味深げに目を輝かせていました。

 

「まあ、イサリビや私についてはそんなところですが……何かの参考になりましたか?」

 

「うん! いやぁ、イサリビかぁ……!設備や文化も進んでいるみたいだし、ちょっと『イイかも』って思っちゃったよ! 僕は基本的に根無し草だし、特別な信仰もないし……そろそろ腰を落ち着ける場所が欲しかったんだよね」

 

「まあ、イサリビと竜禪は来る者を拒みませんし、規律を守れるのならば大丈夫だと思いますが……此の地で信仰もなしに生きてきたというと……これまでアマネ殿はどのような暮らしをしてきたのですか? どのようなことを目指していたのですか?」

 

「僕は……まあ、人に語れるほどに大したことはしてないかな。命ある者がみんな、キミや武家のように芯が通った考え方をしてるとは限らないんだよね――人生って、元々そういう曖昧なものだからさ」

 

 やや皮肉めいた微笑みを浮かべたアマネ殿。その目は私の羽織と刀を見て、わずかに細められていました。

 

「僕はね、気の向くままに鍛冶仕事をしながら各地を旅して、珍しい刀を探して……そこにある〝逸話〟を紐解くのが好きなだけだったから。いわゆる趣味を続けてるために生きてきたわけよ」

 

「……逸話、ですか……。そういえば、先日見せてくださったあの二振りの刀……奈落谷に伝わる〝戦士〟が所有者だと言っていましたよね。この不思議な谷について、他にも情報はないのですか?」

 

「それがさぁ、郷土史や古文書を漁って、宝物殿でも調べたんだけど……日輪と月輪……そして奈落谷については、『不自然なほどに情報が少なかった』んだよ。そもそも、『奈落谷に処刑場がある』って話も比較的近代から言われ始めたみたいだし」

 

「……むむ……何か、モリの国にとっては不都合なことがあったようですね。私も各地でいろいろと見聞きしてきましたが……此の地では『人の詮索を避けさせたいこと』について、『不穏や恐怖を与える噂』を流すことが多いように感じます」

 

「おっ! キミもそう思うのか……なんというか、隠蔽体質っていうか……臭いものに蓋をして、見なかったことにするのが好きなんだろうね。なんとも人間らしいじゃないか」

 

 くつくつと笑ったアマネ殿は、たき火に少し寄りながら、つづらの中から取り出した酒を呑み始めました。

 

 すると、お腹をいっぱいにしてころころと転がっていたはずのぽこべぇが、アマネ殿の懐に潜り込み……湯たんぽのように丸まりました。

 

「あはっ……! なんだよ~、僕を温めてくれるのか~? いいこだねぇ……はぁん、あったか~い……!」

 

「……ええ。こんなにも険しい所まで私に付いてきてくれるような子ですから」

 

「ふふ……まあ、この子の気持ちもわかるけどね。キミには他人の心を惹きつける不思議な力がある……魅力というか、雰囲気というか……まるで、神様の姿を此の世に示した〝偶像〟のような、言葉にできない何かがあるんだよ」

 

「や、やめてくださいよ……私、そういうの好きじゃないので……ごほん! アマネ殿、〝戦士〟についての話はないのですか!?」

 

「また露骨に話を逸らしたなぁ……まあ、実はそれについては無くもないんだよね」

 

 アマネ殿がたき火に薪をくべ、ぽこべぇの背中を撫でながら続けます。

 

「モリの国には、何十もの米俵を積み上げたような巨体を持つ、屈強な戦士が実在したそうだ。其の者の名は〝黎明〟――岩盤を砕く強靭な腕力、大風を起こす剣技、十五間先に置いた米粒の真芯を射貫く弓術……多彩かつ豪快な技を有する多面性から、〝三面六臂の神の化身〟とまで言われていたらしい」

 

「……神の化身……やっぱり、この土地に根づいていた八武様の信仰と深い関係があるのかな……?」

 

「キミが集めているという、ミヤ様の〝同胞〟か。ところで、僕の認識では……ミヤ様は〝竜禪信仰の神〟だったはずだけど……八武の神様でもあるの?」

 

「いや、それが……実は、詳しくはわからなくて……。お屋形様も話したがらないことなので……たぶん、何か理由はあると思うのですが……」

 

「……ふーむ……キミはいずれ、ミヤ様のことも知った方がいいのかもね」

 

「……え……? どうして、ですか……?」

 

「キミが、ミヤ様のことをたくさん知っているようで、大事なことはあまり知らないみたいだからさ」

 

 アマネ殿はあくびをしながら、歯に衣着せぬ物言いで事実を突きつけました。

 

「それに……ミヤ様のことを知れば、キミ自身のためにもなるかもしれないよ」

 

「……何故、そう思うのですか……?」

 

「なんとなく、だよ。キミの話は、僕が旅の中で見聞きしてきた逸話や伝説のように興味深かったし……まるで……そう、まるで……『神様と会話をしているようだった』から」

 

「………………」

 

 私が押し黙ったようすを見て……アマネ殿はさらに薪をくべて、そっと目を閉じながら身体を寝かせました。

 

 私はぽこべぇの身体にソウリョクを与えて、彼の体毛がアマネ殿を寒さから守ってくれるようにしながら……いつの間にかソウリョクを自在に操れるようになっていた、自分の手を見下ろします。

 

 

 

『――ヘビ様――』

 

 

 

「……っ……私は……風真家の……イサリビの、武士…………」

 

 ぱちぱちと薪が爆ぜる、虚無よりも静かな静寂の中で――耳を塞いでいても聞こえてくる、私を〝誰か〟として崇める人の声。まっすぐに見ることも、聞くことも好ましくない……過剰とも言うべき信心が私に向けられている事実がありました。

 

 幼き日に寝床で聞かされた話。〝ミヤ様〟と呼ばれているお屋形様。習合を重ね、かたちを変えていく信仰。その全てが何かを気づかせてくれそうで……あと一歩、どうしても閃きに及びません。

 

 難しい話を考えているうちに、私も眠くなってしまい……忍び寄る睡魔に、ふっ、と意識を奪われます。沈んでいくまどろみの中で……竜禪を信仰しているはずの私に宿っていた〝二つ〟の信心が、ちらりと輝くのを感じたような気がしました。

 

 ……………………。

 

 長い時間をかけて身体を休めた効果は非常に大きく、元気いっぱいになった私たちは、奈落へと続く深い谷道を一気に駆け抜けていきました。襲い掛かってくる腐臭を放つ獣や亡者の魂をソウリョクの刃で鎮めて、珍しい植物や太古の武具に使われていた素材などを集めながら……とうとう、奈落谷の底に辿り着きました。

 

 あちこちに〝何かが滑り落ちた血肉の痕〟がこびりついたその場所には、血の生臭さを巻き込む寒風が吹き荒れており、空が限りなく狭く見えていました。崖に囲われた平地には、朽ちた木材で作られた何らかの建造物の残骸だけがあり……その中心には、薄暗い奈落よりも深い〝闇〟が、私たちを待っていたかのように、勇ましい姿で立っていました。

 

『……堕とされた者……久方ぶりに……。貴殿らも……命を賭して罪を殺さんとし……〝恩赦〟を求めるか……』

 

「……恩赦……? それって……武家の当主が、罪人に罰を与えずに免罪することだったような……? どうして……処刑場に居る貴方が、そのことを……?」

 

「………………いろはちゃん……! 僕はこの場所の空気を……はざまの地にある無法の町で感じたことがある――ここは……処刑場なんかじゃない……!」

 

 戦慄していたアマネ殿が、足元に突き刺さっていた棒状の何か――叩き折られた痕がある、錆びついた鉄槍の破片に触れながら言葉を震わせます。

 

「……〝闘技場〟だ……! 逃げ場がない戦地で訳ありの人間同士を戦わせる試合を開き……その争う様子を、所有者や観客が眺めるための娯楽施設だよ……!」

 

「…………え……? じゃあ、この方は……」

 

「なんてこった……ここは存在を葬られた闘技場……しかも、武家が運営していた〝法の暗部〟そのものだ……! 刀を携えていたはずなのに、〝戦士〟と伝わっていたのは……そういう理由だったのか……!?」

 

「っ……歴史考察は後にしてください! 来ますッ!」

 

 私はアマネ殿とぽこべぇを背に隠すように刀を構えます。すると、相手も示し合わせたかのように、丸太よりもたくましい両のかいなを軋ませ、大包丁を振りかぶりました。

 

『貴殿が〝罪〟を雪ぐか……某が〝罪〟を重ねるか……! いざ、尋常に――ぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』

 

 勝敗がどのようになろうとも、その戦いの末に〝罪〟を消してしまう者――故にこそ、誰が呼んだか〝罪殺し〟。腐ってもなお膂力を失わない強靭な筋肉が巨体を弾ませ、鋭い動きで宙に浮かせました。

 

 手にした大包丁が宙を蹂躙し、粉雪を巻き込みながらぎゃんぎゃんと暴風を生ませていました。その暴虐的なまでの力は、闘志を見せた私に向かって、風を蹴ったかのように急落下してきました。

 

 ――『避けるべきだ』。とても現実的な判断を下したときには、全てが遅すぎました。首を刎ねることに特化した鈍い光を放つ刃は既に眼前まで迫っており、私の命を正確に絶つまで、一刻の猶予もありませんでした。

 

 そもそも、アマネ殿たちを背で守っているのに〝避ける〟という選択はできない――私はソウリョクを耳飾りに注ぎ込み、迫り来る命の危機に立ち向かい――刹那の中で何度も刃を重ね、物打ち同士を幾重にも衝突させました。

 

 鈍い音と鋭い音が入り混じり、大柄の火花が散り咲きます。そして、襲撃者たちの機械が爆発したときのような衝撃波が……周囲を、みしり、と軋ませ……〝力〟そのものを爆ぜさせるように周囲へ撒き散らしました。

 

「うっ――わぁあああああああああっ!?」

 

「ッ……ああっ……!? なんて、力っ――ぐっ……!?」

 

 頑丈な鉄鉱石すらも斬り裂ける私の全力が、みぎゃり、と上からへし折られるのを感じました。宝刀の鍔となかごが悲鳴を上げたと同時に得物を弾かれてしまい……私の手には、さまざまなことを思い知らされた震えだけが残されていました。

 

 空気を圧縮したような〝衝撃の壁〟により、アマネ殿とぽこべぇが闘技場の入口まで吹き飛ばされていきます。

 

〝罪殺し〟は布切れのように転がったふたりに見向きもせず――いまだに戦意を喪失していない私だけを、眼球が腐り落ちた双眸で捉えていました。

 

「うぐぅ……!い、いろはちゃん……! 今すぐ、そっちに……!」

 

「いえ……!アマネ殿と、ぽこべぇは……下がっていて……! この力……人間の身体だったら、一撃ももたずにばらばらにされている……!!」

 

「ッ……! それを言うなら、キミだって……あ……」

 

 アマネ殿は、洞窟での話を思い返しているようでした。ですが、今の私には、その憂いを取り除いてあげられる余裕がありません。

 

 私は恐怖を覚えかけた手に力を込めて、しつこく残る震えを握り潰しました。そして、弾かれた宝刀を強く握り直して、私の何倍も大きな巨躯に斬り掛かります。

 

〝蛇腹舞〟で攪乱しながら一気に距離を詰め、ソウリョクを込めた刃で切り抜けます――が、鋼よりも硬く鍛えられた肌には傷一つ負わせられませんでした。それを何度繰り返しても、拙い剣技が虚しい金属音と共に黒鉄の表皮を撫でるだけでした。

 

 それどころか、飛び込んできた私の姿を見もせずに拳を振り抜き、俊敏かつ無駄のない動きで正確に顔面を破壊しようとしてきました。私は咄嗟にソウリョクを使って身体をひねり、腐腕に絡みつくように攻撃を掠めさせて……身体をこまのように回転させて刃の乱風を起こし、反撃を試みました。

 

 ……その渾身の一手ですらも、矢の雨が鉄板を叩いたような音を立てるばかりでした。肩口に切っ先を突き立てても、首を斬り抜けても……何をしても、相手に剣技が響かないのです。

 

 速さだけで言うなら、私の方が勝っていたかもしれません。ですが、歴戦の感覚と鍛え抜かれた身体には、それだけでは何も通用しなかったのです。

 

『……疾さはよい……だが、剣に重みが、粘りが足りぬ……! 若さと甘さが滲んでおるわ……!』

 

「……それなら……これで、どうだ……ッ……!」

 

 私が、巨体に取っ付いたまま頭を蹴り跳び、落下する力を味方に付けようとした時――。

 

『わからぬか……! 其れが……若いと言うのだ……!』

 

 その者はみきみきと筋肉を膨らませ、大包丁を力強く振り上げて――波紋が揺らぐ太い側面で私を叩き潰し、地面に打ち落としました。

 

「がっ……あぁあああああああッ……!?」

 

 狭い空を割るような一撃に呑み込まれ――内臓を全て潰されるほどの衝撃に襲われ、何度も天地をひっくり返されながら、私は何度も地面を跳ねて、無様に転がっていきました。

 

「いろはちゃんッ!」

 

「ぐっ……うう……! だい、じょうぶ……ぐぶ……!」

 

 駆け寄ろうとしてきたアマネ殿を制止し、私はどうにか立ち上がります。口から黒ずんだ血が大量に溢れ、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げていましたが……まだ、『戦えない』というほどではありませんでした。

 

 しかし……鋭い痛みを訴える身体には、無視できないほどの疲労感と、まったく歯が立たないことへの絶望が広がっていきました。

 

(力量に大きな差があるうえに、此処に来るまでの道中で……ソウリョクを使いすぎている……! 迷っていられるほど、長くはもたない……!)

 

「ッ――いやぁあああああああああああああッ!!」

 

 私は気合を入れ直して刀を構え、〝蛇腹舞〟を使わずに正面から斬り掛かりました。

 

 ――『怖い』。『勝てない』。『殺される』。『痛いのは嫌』。身体を支配しようとする弱音を引き締めた歯で噛み潰し、渾身の力とソウリョクを込めて、私に応える大包丁と刃を重ねました。対峙する者の腕と得物の動きから次の一手を予測し、破壊的な攻撃を次々にしのぎます。

 

 負けている力で押し合わずに、衝撃を殺しながら払い、切り流す。お屋形様から教わった剣技の基本に忠実に、足腰を据えて、自分の身の丈ほどもある巨大な得物と渡り合っていきました。

 

 耳を劈く鋼の轟雷。薄闇に燃え走る火種の大華。刃を合わせるごとに刀が漏らす命の喘鳴。後先のことを考えずに挑む、儚いばかりの〝全力〟がそこにありました。

 

「す、すごい……いろはちゃん、すごいよ……! この勇ましさ……宝刀の輝きに負けない力強さ……これが、本物の〝武士〟なんだ……!」

 

『……く、ククっ……! 強い信念……貴殿には、まだ在るのか……譲れぬものが……信じたい想いが……まだ……!』

 

「…………ッ……!?」

 

『……決して、揺らがすでないぞ……信心は直線……正義は一つなり……! 疑えば……呪われる……某と同じ道から……逃れる術を失くすであろう……!』

 

 刃を交えた重たい震えから感情が響き、散る火花の中には、重ねてきた罪業が見えました。そして、その朽ちた心身に宿り続け、明けぬ夜への妄執を縛っている――〝信心〟が象られていきました。

 

 ――『罪を許さぬ』ことが〝使命〟。些細な罪も見逃さず、分け隔てなく厳罰を処し、罪と命を切り分ける法の体現。例えその罪人が、両親であっても、妻と娘であっても、守るべき秩序の犠牲にしなければいけなかった律神への〝忠義〟。

 

 竜禅においても、殺人はひとえに重罪です。もし罪として認められなかったとしても、気軽に命を奪うことは憚られるでしょう。

 

 それでも、人の欲を野放しにし、道徳に反する行為を見逃すような社会では、人々は安心して暮らせません。安寧を守るために規律を尊び、罰への恐れを抑止力として治安を維持すること――そうして築き上げてきたものが、此の地に根付く〝国〟という概念でした。そして、罪人の命を奪うことは、現世で罰を与えて罪を雪ぎ、来世に新たなる清廉な命を繋ぐことになるのです。

 

 ――〝輪廻転生〟。そう呼ばれる概念は、お屋形様から教わったことです。かつて竜禪に習合した教えのうちの一つ――此の世に産まれた命は、生まれ、死に、そして再び生まれ変わる……そうした循環の中で〝生きる〟のだと。

 

 命の循環という大義の下に、葛藤を抱えながらも悪を断ち――六道において〝命〟を巡らせ続ける正義の戦士。その者こそが、この闘技場にて〝罪〟を削ぎ落とし続けるお方――黎明様だったのです。

 

 人の一生を越えて続く激情が嵐のように吹き荒れ、私の内面にある常夜の庭園まで響きました。生涯で背負い続け、死後も許されなかった苦悶と自問が、私の中で渦巻いていきます。

 

 ――『この悪鬼の如き所業に、果たして正義は在るのか』。永久に続いた宿命の中で、貫き続けた信仰を疑い、失くしてしまった瞬間の虚無が滲み出る――色褪せた顔から溢れた、その切なる問いが私の頬を濡らしたとき――私の腹に、途切れてしまっていた信仰が再燃し、律神・アスラ様への〝信心〟が宿りました。

 

『……この型……覚えがある…………ああ、〝イロハの剣技〟か……!』

 

「……えっ……!? なにを――あっ!?」

 

 その一瞬の空白――虚を衝かれた刹那に、私の構えが崩れて、大きな隙を見せてしまいました。歴戦の勇士がその好機を見逃すはずもなく――。

 

「あっ……!? ぽこちゃん、何をッ……ダメだよ――ぽこべぇーッ!!」

 

 ――丸太のような筋肉が軋むほどに振りかぶられた大包丁。その切っ先が私に迫り、頭をかち割ろうとした瞬間……アマネ殿の悲鳴を背に――涙の尾を引かせたぽこべぇが飛び込んできました。

 

 小刀を背に携えた彼は、私の言葉を守るように、武士らしく勇気を振り絞って恐れに立ち向かい――その小さな両手で私を突き飛ばし、身代わりになろうとしていたようでした。

 

 おともがこんなにも身を挺しているのに、武士である私が、簡単に諦めることはできません。それに……先ほどのように『打つ手がない』状態ではなくなっていたのです。

 

 

 

「……ぽこべぇ。そんなこと、しなくていい。貴方の気持ちを『信じる』から――私と一緒に、戦ってッ!!」

 

 

 

 音を置き去りにした私の合掌が――胸から大量のソウリョクを湧き出させて、ぽこべぇの身体に活力を与えました。そして、彼を中心とした煌めきの渦が生まれ――この闘技場全体に宿っていた、アスラ信仰の力の残滓を集約させていきます。

 

 イサリビから私に注がれるソウリョクは此処まで届かず、残量には限りもありました。けれど、私から発するソウリョクは――夢に描いたような〝希望〟と〝信頼〟ならば、彼に託すことができるのです。

 

 ソウリョクで伸縮自在になる不思議な身体は、私の祈りを介して〝アスラ様への信心〟を再現し――〝憤怒を表す赤き面〟と〝悟りを示す白き面〟を左右に被った、筋骨隆々なる無貌の戦士――二面四臂の神人を降臨させました。

 

 ぽこべぇという依代を得た〝アスラ信仰〟の化身は、実体を持つ四本の腕を荒網のように組ませ――その腕を覆う腕甲で太い刃を受け止め、鈍い音を響かせるように弾き返しました。そして、頭の左右を守る二つの面がぎらりと輝き、何かを探す上双のかいなに向けて風が吹き込みます。

 

「わっ……!? なんだ!?つづらが……勝手に……うわああっ!?」

 

 アマネ殿のつづらから二振りの刀が飛び出し、天に掲げられていた戦士の二つの上腕にそれぞれが収まります。交差する下腕が赤と白の鞘を抜き、すらり、と覇気に溢れて大星のように輝く二刃を空に浮かばせました。

 

 儚き落月を見送り、同時に、輝かしき日の出を迎える二面の剣客――其の名を〝暁〟。黎明様の信心から想像を汲み上げ、〝私に足りなかったもの〟を与えてくれる、大切な仲間でした。

 

 宙を浮かび、足元から東雲色の鬼火をごうごうと湧かせるその者は、厳かな和装と煌びやかな鎧に身を包んでおり……私を守るように、背後で二振りの大太刀を構えました。私もそれに合わせて、刃に陽光を煌めかせます――三面六臂の律神を、此処に再臨させるように。

 

『……後光が見える……この神々しき眩さは……否……そのようなはずが……ッ!』

 

 黎明様はその心の乱れを表したように、大包丁を振り回して圧撃を散らします。私が再び足腰に力を込めて刃の衝撃をいなしていると、その隙間を縫って黒光りする残像が襲いかかります――が、暁の強靭な双腕が斬撃を叩き潰し、私の脇の甘さを補助してくれました。どうやら、私の意思で制御できるだけでなく、ぽこべぇの意思が私の後隙を埋めて連撃を続けてくれるようでした。

 

『三位一体の剣技……! だが……我が神は……ぬぁあああああああッ!!』

 

 巨体が再び跳ね上がり、私に根深い恐怖を与えた急転直下の一撃を繰り出しました。

 

 先ほどよりも激しい圧壊波が大風を巻き込み、私に迫ります――が、その両足による衝撃を暁の下腕が受け止め、伝説として語り継がれる膂力によって防ぎました。そして、上腕の二振りで切っ先を交差させ、大包丁を真正面から弾き返し――私と暁は、間髪をいれずに空いた距離を詰め――六本の腕を広げて、合わせて三振りの刀を構えました。

 

『おお……我が神よ……!某が疑った……正義よ……! 人斬りの〝悪〟は……神への不義は……今もなお此処に在りまする……!』

 

「……――『三武・連星』」

 

 決意を胸に――私が斬り拓いた光刃の一筋に、暁の重ねる二閃が連なりました。三本の軌跡が一点に重なり――一つの音の中で影を結びます。

 

 鋭い刃が生んだ力は、夜空を駆ける彗星の如き光と成り――屈強な鋼を通り抜けた内側から無数の軌跡が拡散し、それを結んだ光炎が爆ぜ――がぎん、と鈍い音を立てて大包丁を二分しました。そして、爆発するように広がった幾千もの閃光が周囲を切り裂き、清々しい風を吹かせていました。

 

『……見紛うことなき、神の妙技なり! さあ!さあ!いざッ!厳粛なる正義を――最後の〝悪〟への裁きをぉおおおおッ!!!!』

 

 戦う力を失いながら、私の後ろに〝何か〟を見ていた黎明様は……救われたような顔で諸手を広げて、全ての運命を受け入れようとしていました。

 

 その身体は既に朽ちており、頭も、心の臓も働きを止めていました。間違いなく、竜禪では屍人として扱う相手でしたが……おそらく……ウェニキスたちの異教では、〝命〟として扱うだろう、強く、活力に満ちた意志を感じました。

 

 しかし……この永劫に生き続けるだろう〝命〟は、誰かの手によって潰えぬ限り、〝望まぬ罪〟を重ね続ける苦しみを味わわなければなりません。この終わらぬ苦悶を前にして、『生きていればいい』だなんて……口が裂けても言えるはずがありませんでした。

 

 ……そんな悲しい苦痛は……ここで、終わらせてあげるべきだと思いました。軽微な罪には相応の罰を与え、やり直しの機会を与えることも――そして、許されぬ大罪には責任を持って裁くことも――武士の立派な使命でしたから。

 

「……どうか、安らかに……。長い間……お疲れ様でした……!」

 

〝憑き物落とし〟の力を持つ風真家の宝刀で胸を刺し貫き――祈りを捧げながら、腹を割るように引き破りました。噴き出た腐血が空を穢し……崩れ落ちた〝罪殺し〟の身体から、赦された輝かしき魂が抜けていくのを見届けました。

 

 私は刀に付いた血を払い、黙祷を捧げながら鞘に納めます。戦闘を終えてもなお手に残る、血肉を引き裂いた感触を……忘れず、背負っていくことを決意して、ようやくひと息をつきました。

 

 全身から力が抜け、私は、その場にへたり込んでしまいました。背後を守ってくれていた暁の姿も朧に消え……見慣れた姿に戻ったぽこべぇが、泣きじゃくりながら私の懐に収まりました。

 

「ぽこべぇ……ありがとう……。あなたのおかげで……一つの宿命を、終わらせてあげられたよ……」

 

「いろはちゃん……!! なんて無茶をするんだよ……!?」

 

「ああ、アマネ殿……怪我は、ないでござるか……?」

 

「う、うん、おかげさまで……! いや……僕より、キミ自身のことを心配しようよ!?」

 

「あは……は……さすがに、ちょっと……疲れました…………ご飯、食べたい……」

 

「は、ははははっ……! 一仕事終えて出る言葉がそれか……キミ、ホントに面白いなぁ……!」

 

 私の中に在るものは、きっと、黎明様が呪われるほどに狂信していたようなもの――〝正義〟と呼べるほどに力強くも、誇れるものでもないでしょう。

 

 そうわかっていても、胸に抱え続けること――それこそが〝信心〟の起源なのだと思える経験でした。

 

 犯罪の抑止力を失ったこれからのモリの国に必要なこととして、武士を導いていかなければならない当主殿に伝えていかなければ。

 

 そう思いながら――私は、気を失うように眠ってしまったのでした。

 

 

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