使命のためにイサリビを後にした私は、街道に沿いながら、ひたすら西に向かって奔走しました。途中で見かけた集落で少しだけ休ませてもらったり、獣臭が立ち込める洞窟の中でたき火をしたり……なかなか気を休める余裕もないうえに、神馬の力をもってしてもかなりの時間がかかる、過酷で長い旅路でした。
警備が敷かれたネムフリャの街や、レオーニオに『今は避けた方がいい、嫌な予感がする』と忠告された〝龍神の湖〟という名前だったらしい無人の湖を避けるようにして、街道が途切れるほどに険しい山道を抜けていきました。
自然の息吹を感じながら道を進みゆくと、道端のお地蔵さんが見守る中で、次第に木々が温かい色味を帯び始めました。幼子の頬のように鮮やかな紅葉に、夜空の満月のように輝かしい銀杏の葉がとても眩しい景色は見応えがありました。
さらさらと、色めく木々の葉擦れと鮮やかな落ち葉吹雪を堪能しながら……イサリビで作ってもらった干し野菜をかじりつつ、紅葉の隙間から覗く空に架かる〝橋〟を追い続けました。
強靭な牙を持つ獣たちが巣食う山を越え、盗賊たちが蔓延る谷底の道を抜け……遥かな道中も折り返しに入ったかと感じたところで……しっかりと整備された、大きな街道が見え始めました。
細かく踏み均された土が続く街道は、がろがろと牛車が通り、その横を籠屋が走り抜けて優美な召し物を着た女性を運んでいきます。道のあちこちに甘味処や小さな商店が点在しており、人の暮らしの気配を感じさせます。
「……大きな国……いや、町が近いのかな……? お屋形様が『西側には竜禪の力が及ばぬところも多い』と言っていたし……武家ではないものが統治しているのかも……」
馬を降り、赤らんだ紅葉のふくよかな香りに厳かな空気が交ざり始めた周囲を見渡しながら、人の流れに合わせるように歩いていくと……堅牢な物見やぐらで守られた外壁の内側に、石畳が敷かれ、数多くの平屋が並び立つ風景が姿を現します。
やぐらの足元には関所があり、衣服に金物を張り付けたような格好の屈強な男たちが長い槍を構えて立っていました。
「……っ……! 待て、帯刀した武士よ! これより先は天崇皇洛イワトだ、武士の――異教の立ち入りは許さぬ!」
「わっ……!?」
男たちは、がしゃん、と槍を交差させ、私の行く手を阻みました。重なる柄がぎりぎりと軋んでおり、磨かれた穂先で突き刺されないだけ温情を感じるほどに……風真家の家紋が入った羽織と刀に対して、鋭い敵意が向けられていました。
「ど、どうしてそこまで竜禪や武士を毛嫌いするんですか……!? 公家と武家が争っていたのは、もう何百年も前の話でしょう……!?」
「どれだけ時が経とうとも、相容れぬことに変わりはない! イワトへ通すは純然たる天崇信仰を抱き続ける者のみ――即刻、立ち去れ! でなければ、その身体に風穴が空くと思え!」
「わ、わかりましたよぉ……! 保存食を少し買えればよかっただけなのに……」
とうとう穂先を突き付けられた私は、すごすごとその場を後にしました。少し不貞腐れる思いでぷりぷりとしながら神馬を駆らせ、北西に向かって蹄を響かせて山道を登ります。
しばらく坂道を走ると、高くて見晴らしのいい所に辿り着きました。その場で振り返り、来た方角を見下ろすと――一面の広大な平野に、とても大きな都市が築かれていました。
あちこちに赤い鳥居が建てられ、平屋には家紋が記された提灯がさげられ……舞い散る紅葉に宙を彩られたその都市は、荘厳で物静かなうえに、時の流れを鈍らせる柔らかな空気が満ちていました。
基本的に屋根の高さが低い建物ばかりで、碁盤の目のように組まれた道で区画が仕切られています。その中心部では、太陽に照らされた格式の高い建物から煌びやかな金色の光が漏れており……そのやや北側には、明らかに大きくて背が高い建物が座しており、豪奢で威厳を感じる〝神殿〟の風格を漂わせていました。
「……あれが噂に聞く、天崇の遺志が残るイワト……そして、天崇の中枢である〝天守〟なのかな……。武家と争い合って、とうの昔に滅びてしまったはずの信仰が人の心から消えず……広がりもせず、狭まりもしていない……。この都の中だけ、時間が止まっているのかな……?」
かつての天崇はとても強大な力を有しており、分断された各地でも共通した教義を守られていたようで……健全で、親しまれ、愛されていた信仰だったと聞いています。独善的かつ排他的で、『〝天子〟が授かった神託のみが善』だとされており……〝天人〟と呼ばれる上流階級の優位と下々からの搾取があったものの、その分、民を良い方向に導くことで安寧を約束していたようでした。
……良い意味でも、悪い意味でも、此の地らしい信仰だと思います。イサリビや国の暮らしもそうですが……此の地に暮らす人々は、痛みを伴う進歩よりもゆるやかな衰退を好む人が多い……だからこそ、何も考えずに『この人の言うことを聞いていればいい』という存在を欲しがってしまうのです。天崇とイワトは、その典型例だったと聞いています。
そんな風に、お屋形様やハマのおばちゃんから聞いていた話を思い返しながらイワトを眺めていると……ざり……といくつかの足音が私を取り囲みました。
ソウリョクを用いて感覚と研ぎ澄ましたのですが……木々が発する妖気に阻害されて、上手く状況を把握できませんでした。
「なんやあ。こんなトコにごっつマブい姉ちゃんがおるでえ」
「へっへっへ。そないなきわどいカッコでぶっとい脚見せとったら、〝鬼〟に喰われちまうぜえ?」
木々の合間からぬるりと這い出た男たちが、断崖に立つ私に近づいて……手にしていた、こぶが浮いた太い棍棒を構えました。
「お嬢ちゃん、この辺の出やなさそうやな……ほんじゃ、『バゴの山には鬼が出て人を喰う』って聞いたこともねえんかな……ククク……」
「……ここは、バゴの山というのですね……それにしても……鬼……? 其方たちのことではないのですか……?」
私は思わず、男たちの醜悪に歪んだ顔に魔の気配を感じてしまいました。ウェニキスの祝福を得てから、なんとなく、人の心の〝流れ〟が感じられるようになっていたのです。
……それはつまり……『五感で捉えられないものを感じられる』という強みでもありながら、『見たくもないものすらも見えてしまう』という弱みでもありました。
強大な力ではありますが、自分にも相応の〝強さ〟が求められる……どこか、ウェニキスの皮肉めいた想いと、隠しきれない優しさを感じてしまいます。
「お!話が早うて助かるわ! 俺たちな、むっちゃええ鬼やねん……! んで、お嬢ちゃんは俺たちをイジメにきた悪ゥい人間なんやなあ」
「……は……? いや、あの……何を言っているのか、意味がよく……」
「ええて、ええて! そういうナマいことは言わんでええんや……いつもの肉便器よろしくな、このぶっとい棒で〝お仕置き〟されて、おんおんと豚みたいに鳴いときゃええねん」
男が構えた小児の脚ほどに太い棍棒には不気味な黒い染みがついており、饐えたニオイがぷんと漂っていました。このような言いがかりで、あの棒によって辱められた女性が何人もいる……そういうことなのでしょう。
「山を越えて、風土が変わっても……根底から湧く、人の欲望は変わらぬようでござるな……」
私はすらりと刀を抜いて、ソウリョクを刃にまとわせます。この、欲にまみれた悪しき穢れを祓い、危害に怯える人たちを守ること……それも、正しい武士の在り方――いえ、私が決めた〝自分らしい生き方〟なのですから。
「なんや、このガキ……刀がブレとる……けったいなモン見せよってからに……!」
「むかつく顔と口やな……黙ってフクロにされとけやッ!」
「…………ッ……!!」
棍棒を振りかぶって襲い掛かる男たちに応戦しながら、私は一歩も退かぬように気をつけていました。足を踏み外せば、そのまま木々が鬱蒼と生い茂る絶壁の下に落ちてしまいます……〝神鳥の羽〟を使うには木の枝が邪魔になってしまうため、落下してしまえば大怪我は免れなかったのです。
ぶんぶんと荒々しく空を切る攻撃を見切り……土埃を舞わせて足を振り抜き、ぶよぶよとしたお腹を蹴っ飛ばしながら祓斬で欲を落とさせます。さらに身を翻して攻撃をかわし、体勢を崩させた相手の心臓をソウリョクの切っ先で突き刺しました。
「ぐへえ! お、おお……ムラムラが、治まっていきやがる……うっ……ぁ……!」
「チッ……! ほんなら、こいつでッ……!」
「なにを――っ……!?」
男が私に向かって何かを投げ付け、わざと刀で斬らせました――その瞬間、私の視界を真っ白な煙が覆い、目と鼻を刺激臭が焼き焦がします。
「っ……あっ……!? げほ、ごほっ……く、そっ……前が、見え――!!」
「――貰ったァ!」
五感の多くを奪われ、混乱した私の下腹部を強い衝撃が襲いました。
「がっ――ぶ、っ……!!」
失禁しかけるほどの圧迫感が内臓に悲鳴を上げさせ……じんじんと、銅鑼を叩いたような鈍痛が全身に広がっていきます。
「特製の催涙玉や。熊でも悶え苦しむ代物よ!」
「う、ぐ……おぉお……!! まだ……こんな――きゃあっ!?」
膝をつきかけた私の脚が、太い腕によって掴まれて……私はさかさまに吊るされてしまいました。衣服がめくれて肌着と尻が丸出しにされ、すうすうと秋風が股下を通る感覚に肝を冷やされます。
「げほっ……はな、せ……!! このっ……!!」
「おっと? そない暴れてええんか?ほんまに放ってもええんか?」
「当たりま……え…………だ………………ひっ……!?」
男が逆さ吊りにした私を上下に揺さぶり、少し手を緩めて脅してきたところで……視界をようやく取り戻した私は、自分が置かれた状況をようやく理解しました。
天地が逆になった世界で、私の頭上にあったのは――断崖絶壁の奈落だったのです。崖の縁に立った男によって、私は……頭から崖下に落とされかけていました。
「もっかい聞くで? ほんまに、放ってもええんやな?」
「あ……い、や……待って……! 待って、くださ――」
「――遅いわ。んじゃ、放るわ」
懇願する私の言葉など聞かずに――男が、私の脚から手を離しました。その瞬間に襲ってきた、ふわり、と臓物が体内で浮かんで、心臓が急速に凍って――私の硬直した全身が、無抵抗なままに落下を始めます。
「あ――――ぁああああああああああああああああああああああああッ!!??」
「おっと、手が滑ったわ!ははは!」
男の手がすぐに私の脚を追い、再び掴んでくれました……自分を縛る重たさが脚に全てかかり、強く痛んだのですが……感覚が麻痺した私には、その痛みと、喪失感に似た安堵しか感じられませんでした。
「……はっ……はっ…………あ…………あ…………」
「あん……!? こいつ、あんだけイキッとったクセに……こんなんでションベン漏らしとるわ! ギャハハハ!」
ゆるんでしまった秘部から、しょろしょろと漏れた恥水が溢れ出ていたらしく……肌着や衣服に染み込んだ尿が冷たさに変わったとき、私は自分の粗相と周囲の嘲笑をようやく理解できました。
羞恥と血が上ったせいで赤くなった顔で悔しさを噛み締めると……男は、吊るした私の顔を自分の股間に押し付けて、ぶよぶよとした肉を肌に擦り付けてきました。
「おら、命が惜しいんなら魔羅でも舐めろや。ここしばらく洗うてへんからな、丹念に、うまそうに舐めえ」
「うっ……!! うぶっ……く、さい……やめて……!!」
「ああん? テメエの立場わかっとんのか? このまま落とされて死にたいんか?んん?」
「いやっ……いやぁあああっ……!! 助けて……誰か……助けて……!!」
四肢の自由を奪われ、ぽこべぇと離反した私を助けてくれるものは……此処には、何もありませんでした。
(く、そ……かざまは、馬鹿だ……! 国も少ない……仲間もいない……今までと、何もかもが違ったのに……! もっと……警戒すべきだったのに……!)
私の過信を嘲笑うように、男たちは尿まみれの股布から透けた秘部や腹部を複数の棒で小突いて辱めます。私を捕えていた漢も、こちらの顔を臭みの強い陰毛に押し付けてきました。
饐えたニオイを放ち、徐々に熱を帯びていく男根を鼻に押し付けられ、唇をめくらされ……私は必死に抵抗しましたが……脚を掴む力が再びゆるんだときに、覚悟を決めざるを得ませんでした。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!! ぁ……え……うええっ……!!」
舌を出して陰茎に顔を寄せ、鼻で息を吸ったところで……あまりの屈辱に、私は意識を飛ばしかけてしまいました。
すると、そのとき――しゃらり、と天国のように清廉な鈴の音が鳴って……私の宙吊りの身体が、背中から、ふわりと浮き上がります。なにか……柔らかなものに、震える身体を抱き留められたように思えました。
「……っ………………え……?」
「なんだおま――痛ェっ!!」
〝それ〟は強い力で拘束を剥がしながら、私を地面がある場所に運んでいき、逆転していた天地を正してくれました。
地面に戻れた私を背に守ってくれたのは……淡い色合いの白髪に赤い色合いの装束を映えさせる、鈴の髪飾りを付けた女の子でした。けれど、ただの少女ではなく……背後に妖艶な色味の炎をまとわせ、たいそう立派な大太刀と太刀を携えていました。
「人間様の悲鳴で駆けつけてみれば……また、くだらないことばっかりやっとるよなぁ。鬼の伝承がある場所でこういうことされるの、余もさすがに困っちゃうんだけど……」
――「大丈夫か?人間様」。心配そうにこちらを振り返ってくれた顔は、野に咲く花のように可憐な魅力を放っており――その額上には、上位の魔性を感じさせる立派な角が生えていました。
「なんや、このチンチクリンはぁ……! デコに変なん付けて、お遊戯会のつもりかいな!」
「でも、よく見っとあの子もなかなかエエ身体しとりますがな……! 二匹とも〝お仕置き〟したったるわ!」
男たちが棍棒を振りかぶって、ばたばたと足音を鳴らして近寄りました。隙だらけのように見えて、思っていた以上に動きに無駄がなく……『女性を襲い慣れている』体捌きでした。
「……羅刹。めんどいこと、全部燃やしちゃってね」
私を庇うように立っていたその人は、小さなため息をつきながら大太刀を抜刀し――その吐息を霞色に燃やしながら刃に乗せて振り抜き、妖火の暴風で不埒者を吹き飛ばしました。
細い腕から発されたとは思えない、音を呑み込むように力強い一閃が風を圧縮して――虚空に〝焔の壁〟を作り、外敵の接近を拒んだかのようでした。
「ぐぎゃっ!! な、んや……うわっ!あぢぢぢっ……!!」
「……け、けったいな妖術を使いおって……! お前……あやかしの類か……!!」
「いやぁ、余はあやかしって言うんかな~……? まあ、ちょっとわかんないですけどねぇ……その気になれば、人間様も食べれなくはないよ?」
その女性が両手に刀を構えたとき――その大きくはない身体から、とてつもない覇気が溢れ出しました。ソウリョクの扱いに慣れている私の心臓すらも、ぎゅっと押し殺そうとする神威が球形に広がり――物に干渉するほどの圧力が地面をみしみしと軋ませて、木々を畏れにざわめかせます。
「え……えっ……!? あ、いや……まさか……こいつ、本物の……鬼ィ……!?」
「えっ!?鬼に偽物なんているんですかっ!? んー、それは困ったなぁ……正真正銘の鬼としてぇ……余、偽物を潰さないといけないぞ~?」
女性は髪を揺らめかせ、柄を握る手に力を込めました。ばきん、ばきん、と空を割るような、おぞましくて鈍い音が鳴り響き……少女の周囲に漂う嵐のような魔焔が舞い上がり、空を薄いあやめ色に穢してます。
「……んで……偽物の鬼って、何処に居るんかなぁ? 人間様たち……教えてくれる?」
「ひっ……ひえええええっ!? た、助けてくれぇっ……!!」
「も、もう二度とせんから……! 命だけは……命だけっ――ぎゃああああああっ!!」
その人は、背中を向けて逃げ惑う男たちに向かって軽く刀を振り下ろし――飛ばした火球で男たちの身体を次々に撃ち抜き、心に宿っていた欲望を焼き焦がしました。
身体にはほとんど傷を負わせず、服だけを焼き散らして全裸にひん剥き、無様に両手を上げて逃走する男たちの背を見送ります。
「これで一生分ぐらいは禁欲させられるかな。いろいろなヒトがいるけど、ああいう手合いはなかなか減らなくて困っちゃうよね……人間様もそう思うよな?」
女性は、腰を抜かしていた私に手を差し伸べてくれました。そのとき、ようやく私は……自分の身の安全が確保されたことを実感できたのです。
私は深呼吸を繰り返しながら、彼女の助力を受けて立ち上がります。濡れた肌着の感触に気味の悪さを覚えながら……命の恩人に頭を下げました。
「あ、ありがとうございました……本当に、一時はどうなることかと……」
「それはいいけど、女の子ひとりでこんなところをうろつくのは感心しないぞ。余が居なかったら大変なことになってたし……何をしに来たのっ?貴女はどこの誰さんなのかしらっ?」
「あ、えっと……話すと、長くなるのですが……」
猫のような口をして多大な興味を向けてくる女性に、私は事情をかいつまんで話し……このバゴの山を越えた先にある場所に向かっていることを伝えました。
「……そういった目的で旅をしている身でござる……。先ほどは、その……不覚をとってしまいましたが……これでも一応、武士でして……」
「ほえ~、竜禪の使命でこんなところまで……それは大変でしたねぇ、えっと、〝ござるさん〟?」
「ご、ござるさん……!? それだと……貴女のことも、〝余さん〟と呼ぶことになりますが……!?」
「余さん!あははは!いいねそれ! じゃあ、これからその感じで呼び合おうよ! 今はね、余も世を忍ぶ存在なので……〝よ〟だけに!あはは!」
「え、ええ~……? まあ、そういう理由でしたら別に構わないですけど……」
「よしよし! じゃあ、まずはござるさんのおもらしをどうにかしないとだな! 余の寝泊りしてる庵まで行くぞぉ!」
「あ、あんまり大きな声で言わないでください……恥ずかしいですから……!」
……そんなこんなで、私は〝ただならぬ鬼〟である余さんと知り合いになり……自分のしてしまった粗相の後片付けをするために、彼女に連れられてバゴの山の奥地へと向かったのでした。
……………………。
その後、余さんがバゴの山の中に構えていた小屋で身体を清めて、洗濯した装束を干してから、囲炉裏を囲んでさまざまなことを話し合いました。
余さんは昔から、人間が暮らす世界にたびたび遊びに来ていた鬼神様ということでした。かつての私なら信じられなかったかもしれませんが、黎明様の存在や霊魂の類の敵などに触れてきた今では、わりとすんなり受け入れられました。
久しぶりに人間界に来訪したところ、天崇やイワトを含めたさまざまな状況が変貌しており、鬼を騙って悪事をはたらく人間も現れだしたことから――バゴの山を拠点にして、人間と鬼の友好関係を保とうとしていたようです。
「ふんふんふん。この前見えた悪夢に対抗する意味でも、八武信仰を再興させようとしているわけですか……なるほどね……?」
余さんは囲炉裏をぽつぽつとつつきながら、鉄桶に入れていた溶岩を加えようとしました。私は必死にそれを止めて、無理矢理に会話を繋ぎます。
「よ、余さんにも、あの忌まわしい光景が見えたのですね……!?」
「うん……あれは、あまりにも、その……可哀想だったな……。なんというか、他人とは思えなかったし……場所さえ分かれば、あの堕天使の子も助けに行きたいけど……」
「あ……ウェニキス――あの子は、こちらで助けましたのでご安心ください。今は療養中ですが、少しずつ快方に向かっていますので……」
「おっ……おお!そうなのか! それはよかった……そして、ござるさんは思った以上に良い人間様なんだな! 余、なんか嬉しいよ!これまた余だけに!あははは!」
からからと鈴の音のように笑った余さんは、心の底から安心したようでした。
しかし、異教の侵略具合や此の地が置かれている状況……そして、毒島の野望について伝えると、余さんは悪夢の演説や光の輪について、いろいろと納得したようでした。
余さんはちょっとぽやっとしているように見えてもかなり聡明で、思考に洗練された鋭さがあるように感じました。それはただの推察能力だけでなく、戦いにおいても力を発揮していたようです。
「……よし! それなら、余はござるさんに協力しましょうかね! それなりに土地勘もあるし、一緒に此の地の西側を冒険するぞ!」
「えっ……!? い、いいんですか……? 余さん、ここでやることがあるのでは……?」
「此の地全体、そして異教の友たちが危機に置かれているのに、友好もへったくれもないでしょ! まずは、みんなの〝今日〟を守って……その先で、また仲良くなればいい!そうじゃないか!?」
身を乗り出して、目をきらきらと輝かせてくれていた余さんの視線には、強い期待と希望が込められていました。
その純真な想いは、暗雲が立ち込める先行きに不安を感じていた私の心に深く突き刺さり……じわじわと、光の温もりを思い出させてくれました。
……私には、人よりも大きな力とそれ相応の責務がありました。それでも、一人で何でもできるほどに強くはなく……甘い部分や弱い部分はたくさんあるのです。
ぽこべぇと道を違えてしまい、『自分一人でも』と意気込んでいた私はそのことを痛感し……余さんに、甘えるように頷きました。
「では……余さん、一緒に来ていただけますか……?」
「もちろんだぞ、ござるさん! 戦闘からお料理、おしめの交換までなんでも言ってね!」
「そ、それは、もういいですから……! この人……いや、この鬼さん意外としつこい……!」
思いがけないところでウェニキスに同情を覚えた私は、その後も余さんと他愛ない会話をしているうちに眠くなり……久しぶりに警戒をといた状態でぐっすりと眠れました。
翌日、恥辱の痕跡を洗い流し、ようやく乾いた装束に袖を通した私は――ぱんぱん!と頬を叩いて気合いを入れ直します。それから余さんと一緒に準備を整えてから、さらに西へと向かって出立したのでした。