滞留して淀んでいたソウリョクを浄化し、龍穴を閉ざすことでじゃりゅう様を鎮めた私たち。雲間から差した陽光によって黄金色に輝く聖域――その神々しい風景を見ながら、足元の悪い山道をゆっくりと下っていきます。
龍穴を閉じたことによる悪影響を危惧していましたが……山道に沿うように流れる小川は絶えることなく、やわらかなせせらぎを奏でて川下へと水の恵みを届けていきます。山麓の生活に恩恵を与えていたのは、じゃりゅう様やソウリョクといった不可思議な力だけでなく……山や自然が本来持つ機能だったようです。
……人々は、神が与えた祝福のような奇跡――偶然と自然に感謝をするために、信仰というものを抱くようになったのかもしれない。私の胸によぎったその想いは、自分たちを取り巻いている濁った激動に、一滴の清涼を落としたようでした。
憑き物が落ちたようにふわりと軽くなった風の中を、じゃりゅう様と対峙した私と、イズルグモの大山を駆けずり回って封印を施してくれた余さん……そして、私の窮地に星の力で駆けつけてくれたぽこべぇが歩いていきます。
泥だらけでぼろぼろだった私たちはお互いに体力も使いきり、ソウリョクも枯渇しかけていました。邪気が祓われた大山の中はひたすらに穏やかで、野生動物の一匹すらも襲い掛かってこなかったのは幸いでした。
「君が、ござるさんの言ってたおとものたぬきちゃんかぁ。ふむふむ……なんかねぇ、かわいいだけじゃなくて、ちょっとカッコいい感じもあるねぇ! 毛は愛玩動物みたいにもっふもふしてるけど!」
少し見ないあいだに凛々しくなった――ような気がするぽこべぇは、武士らしい装束や軽装の鎧を身に着けていました……が、元の体躯が小さいために、疲れていた余さんの腕にひょいと持ち上げられてしまいました。
しかし、ぽこべぇはそのことを屈辱とは思っていないらしく……ぽりぽりと恥ずかしそうに頭を掻いて、にへぇ、といつもの笑顔を見せています。
私がそんな風に小動物扱いしたら怒ったりムッとしたりするくせに、他の女の人には甘いんですよね……昔からずっと変わらない性分なので、ぜんぜんイイんですけど……私、たぶん……ぽこべぇには女として見られていないんだろうなぁ……。
……ちょっとだけもやもやとしながら、ですが。ぽこべぇを抱いてもちもちとほっぺたを弄ぶ余さんと一緒に、川や人工的な支流の様子を見て、危険を報せる立札をこさえながら帰路に就きました。余さんと遊んでいるのかと思いきや、ぽこべぇは周囲に気を張って索敵をし続けてくれていたので、そればかりは素直にありがたかったです。
「ござるさん。この子、人語を理解する不思議な生き物だけど……普段はイサリビに居て、みんなに受け入れられてるんだよね?」
「んー、居たり居なかったり……みたいな……? 最近は、ウェニキス――あの白髪の宣教師の護衛をしていたはずなので、ずっと居たと思いますが……受け入れられているのは間違いないですよ」
「ふうん、そっかぁ……じゃあ、余もイサリビにしばらく滞在してみようかな? だめ?」
「えっ……? それは、とてもありがたくて心強い話ですが……バゴの山はいいのですか……?」
「いいんよ。あそこはべつに〝余だけの場所〟ってわけでもないし……今、鬼には厳しい世の中だからな。人間様と交流するなら、目標もなくさまようより、理解してもらえそうな場所に居付く方が早いと思わないか?」
「……それは、そうですね……! 行きたい場所が他に無いなら、ぜひ、イサリビにいらしてください……! お屋形様ともども、歓迎しますよ!」
思わぬ戦力の合流に、私は満面の笑みをこぼします。余さんもぽこべぇと遊びながら、「いさりび!楽しみだな~!」と心の底から明るい笑顔を見せてくれていました。
そんなこんなもありつつ、黄葉の神都に辿り着くと……大きな破損や氾濫の跡は見られない都市には明るい陽光が満ちており、神による祝福を告げるかのような、大きな虹が架かっていました。
「すごーい……おっきな虹だぞ……! きれいだなぁ……ござるさん、たぬきさん……!!」
「……ええ……。かざまたち……ちゃんと、守れたんですね……」
私は、何もかもを失ってしまった故郷の殺風景とこの神々しい光景を見比べて――少しだけ、嬉しくて泣きそうな思いをしていました。
ちょうどそのとき、都の入口で空を仰ぎ、虹に見惚れていた男性――初めて都に着いたときに話をしてくれた、信仰学者の殿方がこちらに駆け寄ってきました。
「おお、よくご無事で……! 貴女たちが入山してから〝龍の気〟が突然強まり、なかなか戻って来られなかったので……その身に何かあったのかと……!」
「……ご心配をおかけしました。まあ、その……いろいろとありまして……」
「ふむ……? それで、探し物……たしか……がるだ様、でしたか? 何か、手がかりは見つけられましたか?」
「そのことなんですが――」
ぽこべぇと一緒にお茶屋さんへと直行した余さんの背中を見送りながら、私は学者さんに手短な報告を行いました。
ガルダ信仰の再興やじゃりゅう様の正体、龍穴の封印など……この都に住む者には伝えておいた方がいいことを、全て、包み隠さずに報せたのです。
「……なるほど……。かつて入山した〝龍喰らい〟の男による治水が、今日までの神都を守ってくれていたわけですか……」
「……なかなか、信じられない話かもしれませんが……」
「いえ……旅人による作り話にしては、ここいらの古い事情と合致しすぎていますから、信じざるを得ませんでしょう。それに、あの人工的な岩の並び……どおりで……」
「水計様による治水の工事……作られた水の逃げ道を見たことがあるんですか?」
「ええ、まあ……これでも信仰学者の端くれですから。やはり、神話の舞台となった場所はこの目で見ておきたいですし……都の住人も『恩恵を頂戴する』と言って山菜採りをしていますから、多少のおイタは許されるでしょうからね」
「あんまり言いふらさないでもらえると助かりますが」と漏らした男性は、かりこりと頭を掻きながら気恥ずかしそうに続けます。
「それにしても、イズルグモの大山に数多の龍穴があったとは……。そして、龍や蛇に向けられた負の感情が各地から流れ、大山全体に吹き溜まっていたのですよね?」
「……はい。そこには、各地で、その……嫌われている竜禪への不満とか……事実に基づく僻みとか……そういうものが、昨今で多量に流れ込むようになったらしく……」
「なるほど……龍の気が過去に類を見ないほどに激しかったのは、そのせいだった……と。此の地を蝕む異教は、教王の演説が伝播して大多数の者に浸透しましたからね……。あの白き聖女の処刑を皮切りに、根絶を煽られた弱小信仰として……此の地で広く知られている竜禪が槍玉にあがるのは必然かもしれませんね……」
「……すみません……こちらの都合で、この都市を巻き込むようなかたちになってしまって……」
「ふふ、何を仰りますか! たしかに、竜禪がまったくの無関係だとは言えません……ですが、貴女が使命を果たしてくださらなければ、この都市は既に壊滅し、多くの犠牲者が出ていたことでしょう! その悲劇を避けた尽力を否定するほど、我らは無教養ではありませんよ!」
屈託のない笑みを見せた学者さんに……竜禪の代表者でもある私は、拭いきれない気まずさを覚えました。
そのことを察したのか、殿方は、こほんと咳払いをして、逆に申し訳なさそうに言葉を紡ぎます。
「その……恥ずかしながら、最初は『聖域によそ者が入ったせいで天罰が下った』と言って回るご老人とかも居たのですよ。でも、どれだけ祈りを捧げても無慈悲に強まり続けた雨脚や……あの〝解き放たれた光景〟を見て、すぐに不敬の口をつぐんでしまいましたよ」
その人は大山を指差して――今も温かな光芒によって照らされ、宝石で出来た山のような黄金色の輝きを放っている光景を示しました。
「恵みたる川の水は穏やかなものとなって今も続き、山景は斯様に麗しいものとなった。郷土を知り、神話を耳にしてきた者であれば、旧名の〝黄金の葉を望みし神祀りの都〟として『本来の姿を取り戻した』と考えるのが自然なのです――勇猛で善良な竜禪の武士と、優しき鬼神様の手によって、ね」
「……そうですか……それなら、よかったです……。急いでいたこともあって、貴方たちの意見を聞けず……善意の押し付けになっていないか……余計なことをしていないかと、心配だったので……」
「……それは、重たい責任や過去の負い目を感じる言葉ですが……その焦りも、我らの命や暮らしを案じてのことでしょう。川の水位が限界まで差し迫り、氾濫と崩壊の危機を〝我が事〟と感じた民たちには〝良い刺激〟となったと思いますよ」
「ほら、あそこに」と示された場所――都市の中心に架かる橋の上では、老若男女を問わない人たちが集い、大山に向かって静かに祈りを捧げていました。
学者さんの話では、最近はこの都市で最も有名な〝御国様〟への信心すらも薄れていたとのことでしたが……危機が迫ったことで、形骸化していた神頼みに、きちんと身が入るようになったのでしょう。その祈りを過信せず、私欲に歪めなければ、ソウリョクはきっと応えてくれる――この都市はもっと豊かに発展していけることでしょう。
その方に深く感謝され、自分の行いにようやく達成感を得られた私は……一つだけ、大きく安堵を漏らして、この長い旅路に終わりを告げようとしました。
……しかし、そうは問屋が卸しませんでした。ようやく安寧を取り戻したその場所に――薄汚れた着物に、丸印の中にばってんが刻まれた紋を付けている、帯刀した男性集団が現れたのです。
「っ……貴様らは、太陽志士か……!?」
「な、なんですって……!? 太陽志士……武士を騙る、ならず者集団……!まさか、こんなにも辺鄙な土地にも異教の魔の手が……!?」
私は学者さんを背に守るように刀を抜き、枯渇しかけていたソウリョクを刃に灯します。ウェニキスが公開処刑をされてから、太陽志士は天の輪から力を得ていたせいで非常に手強い敵対者だったので……どこまで戦えるか、少し不安を覚えていました。
私は慎重に立ち回り、隙を見せずに反撃を主体にして戦おうとしました……が、どれだけ待っても、彼らが襲い掛かってくることはありません。そして、その迷いが満ちていた手がやっと動いたかと思えば……腰に差していた刀を――武士の力と覚悟の結晶でもあるそれを、いとも簡単に放り棄てたのです。
「なっ……!?」
「……あんた、竜禪の武士やな……? 俺たちを、味方にしちゃあくれねえか……?」
「……っ……何が狙いでござるか……?」
あまりにも怪しすぎる殊勝な態度を前にして、私は警戒を解かずに草履で地面をにじります。
私の敵対心を恐れながらも……太陽志士たちは、脂汗で濡れた額を拭いながら、一歩、また一歩と……すがるように、他のものから逃げるように、こちらへ近づいてくるのです。
「そんな警戒すんなよ……なあ、頼むって……なぁ……!! 俺たち、ちゃんと武士に戻っからよぉ……! つーか、ずっと武士だったよなぁ……!?」
「そ、そうや……!今度はさ、逃げずに、頑張るわ……! 少しぐらいなら、苦しくて、つまんなくても……まあ、耐えられると思うしさ……!」
「りゅ、竜禪なら……守ってくれるよな……? あの、赤髪の宣教師みたいになりたくねえ……〝裏切者〟の報いなんか、受けたくねえよ……!」
「こ、心、入れ替えて……頑張る……頑張ります、から……! 頼む、助けて……竜禪……武士……助け――――――ぁ――――――――」
「赤髪の、宣教師って……………………え……?」
顔を恐怖に歪めた男たちは、泣きながらこちらに駆け寄ろうとしたのですが――突然、左胸辺りに傷痕のような〝影〟が浮かび、全身の輪郭がぶるりとぼやけて……どろり、と全身が液体に変化してしまいました。
支えを失った衣服が落ち、地面に垂れた液体が儚く輝きながら広がって……他のひとと、ぐちゃぐちゃに、元に戻れないかたちに混ざり合ってしまったのです。
「……え…………い、今の、な、なんですか……!? た、太陽志士の身体が、光る液体に……!? 武士さん、貴女……いったい何をしたんですか……!?」
「か、かざまじゃありません……!! でも、この光液は……異教が導いた後の〝命〟であったはずで…………あ、あっ……!?」
戸惑う私を無視するかのように、太陽志士たちだったもの――今は一つの液体になってしまった〝力の塊〟は、ずぞぞ、と天に啜られるように昇って逝きました。そして……大空に広がっている三本の輪っかに融け込み、その存在を、この世から失くしてしまいました。
あまりにも突然すぎて、呆然とすることしかできない私たちは……その場に残されていた、着物と刀――命の残骸を見て、心臓が掴まれたようなつらい思いに支配されていました。
「ぶ、武士さん……。さっきの、光が昇っていく光景……あの、白い聖女の処刑と似ていませんか……!?」
「処刑……赤髪の宣教師…………ッ……!! すみません、後のことはお願いします……!! 何かあったときには、また駆けつけますから……!」
――〝裏切者〟の報い。赤髪の宣教師。ウェニキスの処刑。そして、急変した太陽志士のようす。ここで見聞きしたもの全てが、私の心に大きな波を立てました。
この都市でできることを終えていた私は、大慌てで余さんとぽこべぇに合流します。そして、食事の途中だったふたりを連れて、都から少し離れた場所で眠っていた竜禪の祠を起動させ――久しぶりに、イサリビへと帰投したのでした。