とても――とても長く感じた一日が終わって、空には再びお天道様が輝き始めました。
私は澄んだ風に包まれながら眩いばかりの陽光を浴び、寝不足で違和感が残る身体をぐりぐりと軋ませ、筋をぴんと伸ばしてため息を絞り出します。
お社の大きな鳥居では、最後の旅の準備を終えた私とぽこべぇのために――お屋形様、レオーニオ……とその腕に抱えられたクマルンが見送りに来てくれていました。
「風真、十分に気をつけるのだぞ。毒島の行動が読めず、戦力を大幅に欠いている今……おれがイサリビから離れるわけにはいかん。だが――」
「――事あるときにはおれを呼べ、ですよね。ふふ、これもなんだか久しぶりでござるな♪」
「……っ……むぐぐ……か、風真……!」
下唇を噛み潰したお屋形様が、突然、私の身体を包むように抱き締めました。身体の中に残っている熱と引き合うように繋がる、深くて確かな愛を感じながら、その心配性な心を抱き返します。
「……必ず、無事で戻るのだぞ……! おれは……おれは、おまえに……!!」
「んっ……わかってますって……! お屋形様は、かざまが居なくてもちゃんとお勤めしてくださいね!」
「あらあら、まあ~……♡ この二人、ずいぶんとストレートにイチャイチャするようになっ――あだだだッ!? ちょっ、レオたん!締まる!あたしの首ッ……うごごっ……!!」
「……い、いろはちゃん……留守はこっちに任せといてな。なんならさ、ちょ~っと観光してきてもいいよ? それこそ一晩ぐらいならあたしが――」
「レオーニオもありがとう! 終わったらすぐに帰ってくる――やんっ♡お屋形様、あんまりまさぐらないでぇ……!♡さらし、ずれちゃう……ひゃわっ……♡」
「…………お、おう……待ってんでぇ……!」
「げほっ――ぬ゛ぉおおおおっ!? 出る!お腹潰れて中身出るっ!わた……ワタが……お゛い……!レオ、たん……マジで……お゛ぉおおっ……!!」
不安が尽きない旅へと向かう私のために、わざと明るい態度で接してくれる二人を見て――私はお屋形様のしつこい抱擁から離れながら、〝足りないもの〟を探します。
「……あれ? ウェニキスは? いつもの調子だったら、来てくれると思ったのに……」
「……あ゛-…………っと……うちのラボで休んでるよ。最近、あんまり体調よくないみたいでさ」
「……やっぱり、そうなんだ……なんかずっと、様子がおかしかったもんね……。レオーニオ、『お大事に』って伝えておいてくれる?」
「あ、ああ…………えっと……」
その時、レオーニオが複雑な表情でぽこべぇを見下ろしました。今の私なら、その意味深な目配せの意味もわかりますが……この時点では、彼らにだけ伝わる想いがあったのだと思います。
気遣いを感じて、彼は拳を強く握り締めて……いつもより力強く、ぽん、と……胸?お腹?らへんを叩きました。そして、白い装束の背側に描かれた五芒星を見せつけて頷きます。
「……うし……そうかい……! がんばれよ、小さな武士さん……!応援してんで……!」
レオーニオはしゃがみながらクマルンを地べたに下ろし、持ち替えるようにぽこべぇを抱き上げて、その小さな額に精一杯の祝福を贈りました。
そのおかげか、やけに力んでいたぽこべぇの表情が少しだけ緩んで……守るべき存在の切なそうな笑顔に向かって、くしくしと元気に手を上げて応えます。
「……えっとォ……い、いろはさんも、頑張ってね……。今、世界中に〝自由〟という名の狂気が満ち始めている……敵はもう、ブスジマのチ×ポ野郎だけじゃないのよ……!」
「クマ――マルテーサ……うん、ありがとう。でも、貴女が思い出させてくれたように……味方も、マルテーサたちだけじゃないはずだから!」
私は屈み、クマルンと目線をできるだけ近づけて首肯します。彼女はバツが悪そうに目を逸らして、「わ、わかってんならいいんだけどサ……」と唇を尖らせていました。
私とぽこべぇは三人に手を振り、耳には聞こえなかったウェニキスの言葉を心で感じながら、七つ目となるディヴァ信仰を再興する旅に出立しました。お屋形様の話では『ナァガ信仰だけは特別な方法で再興させることになるため、これが最後の大きな旅になる』とのことでした。
ぽこべぇを後ろに乗せて、天に架かる光の橋を追うように〝神馬〟を西へと駆らせます。手指のように扱えるソウリョクを駆使して、私たちは溢れる光をまとった疾風のように、ばから、ばから、と世界に蹄の音を響かせていきました。
……………………。
八武信仰再興の旅以外にも、西側への遠出は何度も繰り返してきたこともあり……これまでからは考えられない速度で、目的地の周辺まで辿り着きました。あちこちに鳥居や神殿が見える紅葉の舞い散る石道を抜けたところで、下る〝橋〟の麓が見え始めたのです。
「もぐもぐ……ごくん……。やっぱり、お屋形様の見立てどおりかぁ……どうしよっかなぁ……?」
お茶屋さんで売っていた抹茶味の甘いお団子をもちもちと食べながら、私たちは速度をゆるめた〝神馬〟で周囲を探索していきます。その場所は、以前の旅でも立ち寄った場所――天崇皇洛イワトの近辺でした。
他の信仰による影響を受けてかすれた光の道標は、明らかにイワトの中を目がけて脚を下ろしています。以前は文字どおりの門前払いを喰らってしまったので、中に入るには、信仰の痕跡を探るには、やれやれどうしようか……そんな風に考えながら、石畳で整備された街道を駆けたのですが――。
「おお。やっぱり来たんだな、いろはちゃん。相変わらず懲りない子だね」
――風に揺れる落ち葉の深紅に、純然たる白の輝きを映えさせて。大空を覆う三本の光輪を携えるように、陽光の極円に見守られた覇者が笑みをこぼしていました。
自然と同化しているのではないかと感じるほどに、通行人と同じような〝普通〟の雰囲気をまとった毒島と……太陽のような激しい威光を孕み、浅黒い肌に琥珀のような瞳を輝かせ、黄金の髪をなびかせる美女が私たちの道を阻むように立っていました。
「……毒島、三段腹……! それと……椅子になっていた豚さん……!」
「椅子になってた豚さん!? あたしどういう認識されてんの!?」
「ソル、そのモノマネはやめろと言ったはずだ――というか、事実だろう。しかしまあ、あそこまでコテンパンにヤられて辱められたというのに諦めないとはな。まだ二四時間も経っていない。よく立ち上がれたものだ」
「……生憎と、諦めの悪い性格でござる。この心身が何度折れても、命ある限り戦い続ける――そういう覚悟を決めたのです!」
手痛い敗北の記憶を奥深くまで刻まれた身体が、思わず後ずさりそうになりましたが……私はぽこべぇと共に、胸を張ってその場に立ち向かいました。
毒島と、ソルと呼ばれた椅子の豚さん――じゃなくて、女神様はこちらの表情を品定めするように見やります。
「ふうん。なるほど。やっぱりいいな。目の光に芯が通っている。恐怖を感じつつも、不安という理由では立ち止まらないのか」
「……ええ、本当に見事なものですね。人の子が持って然るべき〝迷い〟がない……私が導く必要もないだなんて。ブスジマ様のように、神域に片足を踏み入れているのでしょうね」
「ソル、お前の目は節穴なのか? この子の強さは神性に基づくものじゃない。数多の困難を泥臭く乗り越えて、化け物じみた強度になるまで鍛え上げたド根性――人間だけが持つことを許された、〝努力〟という名の執念だよ」
「……? 人間の力って、そういうものなのですか?」
「フン。信仰によって象られ、世界を司る機能として生まれた合理的概念には、この心躍る美しさがわかるまい。芸術を愉しめるのは人間の特権だな」
皆が崇める女神様を嘲笑した毒島は、「前置きはこの辺でいいか」と続けて、口を歪めながら両手を広げました。太陽と天輪から降り注ぐ無限の力を握り、ぎらぎらと暴れる光を燃やし、私たちに敵意を放ちます。
「刀を――〝譲れぬもの〟をその手に構えろ、風真いろはのオリジナル。今ここで、八武信仰などという無意味な幻想を終わらせてやろう」
「……無意味かどうかはさておき……毒島……どの……。刃を交える前に、少しよいですか?」
「女の子の頼みか。もちろんいいよ。なんだい?」
不敵な笑みを浮かべたまま目を細め、一瞬の隙も見せずに光熱を渦巻かせる毒島に――私は、精一杯の謝意を込めて頭を下げました。
「先日は、とんだ無礼をはたらいてしまって……申し訳、ございませんでした……」
「……………………はあっ?」
ぼひゅん、と。とても情けない音とともに、毒島の手で燦然と輝いていた光が霧消していきました。ぽこべぇは愕然として私を見ていましたし、女神様はにんまりとした神々しい表情で毒島の横顔を眺めていたようですし……混沌とした場に、ひゅう、と木の葉を舞わせた赤い風は……まるで私の〝意味不明〟を呆れているようでした。
「…………もしかして、あれか。僕はイサリビに着いた瞬間から、あの奇妙な幻を見せられていたのか?」
「いや、そんなことはない……と思います。私、貴方に酷いことをされましたし……」
「だったら何故、そうして頭を下げる? 意味がまったくわからないが」
「……その……貴方は、イサリビを攻撃するために来たわけではなかった……と聞きましたので……。話も聞かず、先に攻撃をしてしまって……すみません……」
「…………それで……それだけで、こうして僕に謝っているのか? 君や友達を嬉々として辱めた僕に謝罪するのか? もしかして、そういう趣味なのか?凌辱を望んでいたのなら――」
「――望んでいたわけあるかぁッ!! 私たちに望まぬ恥辱を与えたことは、言い訳のさせようもないほどの悪行として捉えています……怨恨と憤りは抱えたままですし、赦す気は、ありません……!」
「……それなら、どうして……今……僕に謝ったのだ?」
「……それはそれ、これはこれ……だからです。先走った攻撃について、何か不当なところがあったなら……その非礼は詫びるべきだと……そう思いまして……」
最後の旅に出てから、お屋形様に忠告された言葉がずっと胸に刺さっていました。ここで謝ったところで、その棘のような不安が消えたわけではなかったのですが……『あれはたしかに悪いことだった』と、怨嗟だけが煮えくり返ろうとする自分の中で、ようやく整理がついたのです。
いいこと、わるいこと。世の中にも、人の心の中にも――それらはたくさん、星の数ほどあります。そして、それらが一つひとつの別個で存在しているわけではなくて、いろいろなものが複雑に重なる部分もある……だから、少しずつ〝ずれ〟が生じて、混同してしまって、誰かを悩ませる〝種〟が生まれるのでしょう。
私は、マルテーサに思い出させてもらいました。人々に教えてもらいました。面倒くさがらず、一つひとつの〝こと〟に向き合わないと――見えないものも、感じられないものもあるのだと。そして、『自分がたくさんの人から〝偶像〟として崇められること』と、『〝誰か〟が私を崇めてくれること』を一緒くたにしないように意識することから、〝風真いろは〟という神性が人々の意識に根づき始めるのだと。
「……人が誰かに〝悪いこと〟をしたら、謝意を示したり、報いを受けたりする……それが人らしい営みで、武士の守ってきた〝法〟の一部です。それを、自分の都合にいいように見逃しては、私が握る〝正しさ〟を揺らがしかねない――だから、〝人〟である貴方に謝意を示しました。それだけですよ」
だからこそ、私はこのとき――イサリビの人たちと同じように、〝毒島三段腹〟という個人と向き合いました。かつて茶室で膝を突き合わせたときのように、相手をまっすぐに見て、意思疎通を試みたのです。
「……………………やりづらくて困るな、これは。まさか、僕を人間扱いする女の子が本当に実在するとは……そうかぁ……」
すると――ふんふんと興奮するように鼻を鳴らした毒島は、とても人間臭い動きで腕を組み、眉根を寄せて考え込みました。
「しかしなぁ……キョウを〝正しい未来〟へ発展させるためには、停滞を善とする竜禪を絶対に潰さなければならない……その最終兵器であるらしい八武信仰は再興させたくない……。そのためにも、やはり主柱に据えられた風真いろはを今すぐに無力化すべきで……だが、こんなにも美しく磨かれた宝石を、物言わぬオナホにするのは人類史上でも類を見ない損失だ……」
「いや、あれだ」とうんうん唸り、「でも、これだ」とぶつぶつ呟き……いつまでも答えを出せそうにない毒島の腕を、女神様のいたずらな指がつつきます。
「ブスジマ様、ブスジマ様? こちらの人の子――いろはちゃんと、お友達になったらどうですか?」
「うるさいな、それどころじゃ――んん?お前は何を言っている? つい先日、命のやり取りをしたばかりの敵対者だぞ?友達?無理に決まっているだろう!」
「貴方にとって、〝命〟を張るのはいつものことじゃないですか? 彼女も同じぐらい狂っているみたいですし……それに、『お互いに認め合える存在』こそが〝友達〟だと以前に言っていましたよね?」
「それはそうだな。だが、さすがに脈絡がなさすぎるだろう。僕はね、一刻も早くキョウの統一を進めなければいけない。ソルドナーレの自然瓦解に間に合わなくなる。今すぐに風真いろはを犯して、イサリビを壊滅させなければ――」
「――ああ、イサリビといえば。貴方がお探しのもの、まだ見つかっていないのでしょう? 自分の命より大事なもので、私の力でも叶えられない〝願い〟があるのですよね?」
「………………まあ、それは……そうなのだが……」
「今朝も〝でんわ〟というもので、『キカイが故障したから、イサリビ内の調査だけでもあと一ヶ月は欲しい』と彼女から連絡がありませんでしたか?」
「……ッ……そうだ、忘れていた……! 〝種〟の捜索が終わっていないのに、イサリビを潰すのは最悪手だな……そうなると、いろはちゃんを急いで衆愚の面前で犯す意味もない……のか……?」
毒島は重たそうに閉じていた目をカッ!と割り開いて、私を貫くように見つめました。その強い圧に負けないように、私は全身に力をこめて――それでも、敵意を持たずに対峙します。
「…………僕は、自分の犯した〝悪事〟について謝らない。そう決めたから此処で今も生きている。それはいいかな?」
「え、ええ……。べつに、貴方に謝ってほしかったわけでもないですし……むしろ、〝悪いこと〟と認識していたとは思わなかったぐらいですよ……」
「凌辱なんて〝悪いこと〟に決まっているだろう。だからこそ、絶大な快楽という〝良いこと〟を与えて善悪の帳尻を合わせているのだ」
「う、う~~~ん……要らない配慮っ……!! それ……明らかに余計なお世話でござる……! まず女の子を傷つけないでよ……!!」
「そうか。べつに君の理解は求めていないからそれでいい。これが僕の貫く理念――曲がらぬ美学というやつだ」
くつくつと少しだけ楽しそうに笑った毒島は、私とぽこべぇを交互に見てから、天を仰ぐように見上げました。
「悪事の謝罪――その代わりでもないのだが。探し物の捜索の結果を待つ一ヶ月だけ、君を泳がせてやろう。その隙に、八武信仰でもなんでもいい、完璧な準備を整えるといいさ」
「…………え……? なんで……そんなことを……? 貴方に、何の得もないのに……?」
「君は私的な感情を律し、許せぬ僕をも対等な〝人〟として扱った。ならば僕も対等に、その誠意と礼儀に対し、美学を以て応じようと思っただけだ――これでも、遥か昔にちょっとだけ武道をかじっていた身だ。それぐらいは弁えているよ」
「…………竜禪を潰したい……のでは、ないのですか……? ここで私を潰した方が、合理的だと思いますが……」
「安心してくれ。それはちゃんと潰すから。万全の君を全裸で地べたに這いずらせ、僕の肛門を舐めさせながら失禁させて、完全に堕落させてみせるさ」
呆気に取られた私たちをよそに、自分の中で話の全てを完結させてしまった毒島が指を鳴らし――女神様の力を使って、その場から〝転移〟してしまいました。
それを追うように、太陽を強く煌めかせた女神様の存在感が希薄になっていきます――が、私はそれを呼び止めました。
「あ、あの……! どうして、毒島殿を誘導して……私たちを見逃させたのですか……!? なにか、企んでいるとか……!?」
「策謀などありませんよ? 私は万能の神――人を愛し、希望に導く世界の〝指針〟。あの子竜と同じように、神性を帯びただけの人である貴女も例に漏れませんから」
「子竜って……もしかしなくても、お屋形様のこと……?」
「それは知りません。ただ怠惰に生きるだけの大多数とは異なり、ぬるい停滞に妥協せずに苦難の先へと進もうとする……そんな強い意思を持つ貴女には、ふさわしい〝恵み〟を与えるべきなのです」
信仰を束ねる女神様は、悪びれる様子も、慈愛を誇る様子もなく――ただ淡々とした口調で、朗らかに笑いながら続けます。
「そして私は、人の立場にこだわるブスジマ様のために、貴女の言葉にならっただけでもあります――『人が誰かに〝悪いこと〟をしたら、謝意を示したり、報いを受けたりする』のですよね?」
「……え……?」
「『望まぬ恥辱を与えられたことは、れっきとした悪行』ならば、私も彼に〝悪事〟を――〝望まぬ食事〟をさせられたことがありますので、その報いを受けてもらったのですよ」
「は、はぁ……そうなのですか……? でも、なんでそんな、思いついたように私の言葉を……?」
「ふふ……♪ 〝メス豚プレイ〟という甘美な刺激や、〝じゃんくふーど〟という不健康の極みもそうですが……悠久の存在にとって、人の真似事をしている時間は、とても充実しているものなのです♪」
人智を超越した存在が、遊びを覚えたばかりの子供のように無邪気に笑いながら――その艶めかしい肢体を、光の粒子に変えて消えていきました。
私とぽこべぇはしばらく戸惑っていましたが……毒島や女神様が戻ってこない、ひたすらに虚無な時間を終えて、旅路を再開することにしたのでした。
……………………。
イワトに辿り着いた私たちは、都市近くの宿屋で仮眠を取りながら夜を待ちました。延々と伸びる石道を遮る正門から入らず、高い壁と物見やぐらに囲われている外壁から侵入することにしたのです。
高く昇った美しい満月に見守られるなかで、マルテーサから受け継いだ銃を構えて、鋼鉄の紐が付いた弾丸を射出し――それを鉤縄のように駆使して段階的に壁を越え、人々の頭上と月影の合間を駆け抜けて、警備の隙間を縫うように進んでいきました。
建物の影に融け込み、レオーニオの耳飾りにソウリョクを込めて周囲を察知しながら、慎重に歩を進めます。足音を殺し、時たまにわざと音を立てて剥がした警備を潜り抜け――ウェニキスの祝福で作った氷の床を踏んで、静かに高みを目指します。忍者のように瓦屋根を駆け抜けて、監視の厳しい都市内を通過しました。
イワトの中で最も高い建物の屋根に辿り着き、周囲をぐるりと見回すと――わずかな光で夜空に煌めいた〝橋〟が、都市の中で特に警備が厳重だった〝天崇〟の宮殿を一瞬だけ示しました。私たちは覚悟を決めて、上位階級の人間たちが暮らす豪華な見た目の区画を抜けて、厳かな雰囲気の大きな城の内部に入り込みます。
煌びやかな内装に、高級感が漂う調度品。夜だというのに、月光で煌めく宝石のおかげでほんのりと明るい不思議な空間。まろやかな鈴の音がわずかに鳴る、〝潤い〟を感じさせる様式に圧倒されながらも、私たちはディヴァ信仰に繋がりそうな場所を探しました。
重なる監視の目を盗み、背後から忍び寄って〝祓斬〟で天使の下僕たちの意識を奪いながら、先へ、先へと進んでいくと――黄金色に輝き、朱色の飾りを施された豪奢な襖が現れました。
見るだけで、心臓を手で掴まれるように気圧されます。そこは、上位階級の人々の中でも選ばれた者たちが集う〝天宮〟のさらに最高位――天崇の首長がおわす場所なのだとすぐにわかりました。
「……きれいな、ふすま……。まるで、太陽みたいだね……ぽこべぇ……」
あんぐりと口を開けて、あまりにも威厳がある襖を見上げていたぽこべぇと静かに頷き合って――私は、内側の世界を守り続けていた戸を開きます。外界を遮っていた扉はしばらく使われていなかったようで――経年劣化で傷んでいたのか、軋みながら左右に分かれていきました。
開いた襖の先には――富や力を誇示していたかのような外面からは想像できないほどに、優しい香りが満ちていました。部屋を構成する素材は上質であるものの、非常に簡素な造りの茶室が広がっていたのです。
侵入に時間がかかったせいで、東の空を望む障子には、白み始めた暁の気配を漂わせ始めていました――その来光の兆しに応じたのか、ひゅるり、と何者かの意思が風を呼びました。
私たちが履物を脱いで上がった室内に、空を流れる光の水が渦を巻き始めて――まるで、私の内に広がる〝庭〟で起こっていた事象のように、人のかたちに連なっていきます。
そして――。
『懐かしいにおいがする。また、〝竜〟が来てくれたのかな?』
――私は、生涯忘れられないだろう、奇跡としか言いようがない出会いを果たしたのです。
思い出の糸が風に縒られ、織られるように形作られていったのは……麗しい桜色の着物に身を包んだ、清楚で可愛らしい雰囲気の女性でした。
栗色に艶めく長髪に、風に踊る羽と煌めく星を思わせる髪飾り。閉じていたまぶたが開かれると――そこには――無限に広がり、永遠に深まるような空色の瞳が輝いていました。