マテルや信徒を喰らい始め、毒肉の天海は加速度的に広がり――やがて、ほぼ全ての〝命〟の未来が閉ざされていく。絶望の爆心地となったキョウ全土に、肉片交じりの毒血雨と白濁の種槍が降り注いでいた。
キョウの各地で任務に励んでいた末端のマテルや敬虔な信徒は、大切なエネルギー源として吸い尽くされ、ほぼ全てが毒島の中に還っていった。天輪から力を借りていた太陽志士や野盗たちは自らの欲に喰い尽くされ、〝毒人〟として世界を穢し続けた。
魔界よりも劣悪な、地獄のような光景が急速に広がり、人類史が崩壊しかけた世界で――海面からV字の水柱を連ならせ、いろはが暴風と共に疾駆する。陽光が奪われていく此の地にソウリョクの輝きを放ち、飛沫を煌めかせながら、希望の帯を紡いでいた。
「……!! やっとイサリビに着く――あっ……!?」
焦燥するいろはが見やった先――イサリビの北側に位置する〝境界線〟では、身体中から淫毒を撒き散らして異形が暴走していた。
投石や体当たりによって防壁を攻撃されながら、陣頭指揮をとっていたアマネの指示に従い、住民たちが大型の兵器や武装を駆使して毒人たちを退ける。
「怯むな! 撃てぇ!!撃てぇえええ!!」
男の大声に合わせて発射された、刃が付いた砲弾が肉欲の塊を貫き――ぐしゃり、と口と耳の穴から幾本もの勃起を生やした頭部が潰れる。吹き飛びながら倒れた毒肉はピクピクと跳ねるが、意志の力を失った時点で〝役目〟を終え――聖なる刻印から発された光が全身に及び、光液化した〝命〟がずろずろと肉空に啜られていった。
その確かな撃退は、住民たちを〝勝利〟に湧かせることはなかった。無力化した者の何百倍も健在している不埒者たちが、失うものや己の背後を気にすることなく、捨て身で襲い掛かってくる。その肉体は頭を潰して意識を奪い、信心を途切れさせないかぎり、無限に再生を繰り返すのだ。
「ど、弩砲の弾がもうねえだぁ!! 槍もってけぇ!槍ぃ!!」
「む、無茶言うなよ爺さん……! こ、こっちも武器の数が足りないんだ――うわあああっ!? か、壁を上ってきてるぞ……!?」
「アマネさん!! もう、武器庫の余剰がありませんよ……!! このままでは……!!」
「わ、わかってんだよぉ、そんなの……!! でも、それ……イサリビにあった、ありったけの鋼材で作った武器たちだから……もう、作れないんだよ……!」
イサリビを守護していた堅牢な防御体制が、じわじわと破壊されていく。先陣を切っていた機械兵器は本能を全開にした膂力に破壊され、頑丈な鉄鋼によって組まれた障壁は酸性の毒汁によって融かされ始めていた。
(北側の防壁が……!!あのままだと、もう保たない……!! 間に合えッ――!!)
音速を超えた勢いで、水平に〝跳んで〟いたいろはが〝神鳥の羽〟を広げて軌道を変える。メリメリと空気を軋ませながら光を迸らせ、異形が差し迫る最前線に光の矢として着弾し――鋼鉄の壁にへばりついていた異形たちの脇を通り過ぎ、無数の残像に沿って細切れにする。
「うひゃぁああああっ!! すごい風っ……えっ……!?」
角切りの肉片を吹き飛ばした鉄砲風はソウリョクの優しい色合いに輝いており、欲に殺されて〝命〟の在り方を失った屍人たちを救済する。
いろはの輝く太刀筋によって切り裂いた肉欲は浄化され、光の粒子と化して〝輪廻転生〟の道へと還っていった。
「ご無事ですか、アマネ殿!! 遅れてすまぬでござる!」
城塞型の大やぐらの上で涙目になっていたアマネの目の前に、〝希望の偶像〟とも飛べる存在がぼんやりと輝きながら舞い降りる。その神々しさと頼もしさが、折れかけていた住民たちの心を強く鼓舞した。
「い、い…………いろは、ちゃあん……!! なんか、世界がメチャクチャになってて、空も暗くて……も、もう……ダメかと思ったよぉ……!!」
「ダメになんかさせません……! かざまが、この手で……必ず守りますからッ!!」
いろははやぐらから飛び降り、再び防壁に張り付こうとしていた異形を大風の刃で吹き飛ばす。己の心から湧き出る力を信念と共に握り締め、剣圧とソウリョクで光の花嵐を巻き起こして、毒肉の化身たちを一掃した。
「す、すげーっ!!かっけぇえええっ!! いろはちゃん、前より何千倍も強くなってんじゃん……!!」
破竹の勢いで戦場を駆け抜け、欲望と契約に縛られてしまった〝命〟たちを解放する。〝風〟としか思えぬよどみない動きは、出会ってからずっと熱心なファンであり続けた鍛冶少女の心を熱く燃えさせた。
異形の軍勢を一人残らず無力化し、一仕事を終えたいろはが軽やかにやぐらの上へと帰投する。汗一つかかずに一騎当千の偉業を果たした少女は、歓声を上げた住民たちをねぎらっていた。
「いろはちゃん!! マジで助かったよ……ありがとう……!!」
「アマネ殿……! こちらこそ、イサリビのために力を貸してくれてありがとうございます! 準備の段階から、ずっと大変なことが続いているのに……」
「へへっ……♪ ここは住みやすいし、あったかいし……それに、キミが居る。だからもう、ボクの故郷みたいなモンだよ! 仲間や家族のことは全力で守るさ!」
「……っ……アマネ殿ぉっ……!! かざま……すごく、うれしいよ……!!」
いろはがアマネの小柄な身体に抱きつくと――大人びている少女が抱き返し、その希望の大きさにそぐわない等身大の肩を優しく叩いた。
お互いの温もりを分かち合い、周囲がじんわりと心を温めているなかで、ふたりが抱擁をといて目を合わせる。
「……よし……!ここはもう大丈夫だよ! ボクもこれから工房に戻って、武器と弾をこしらえてみるから!」
「え……? でも、そんな資材は…………あ……!」
いろはが辺りを見回すと、漁師などの体力に自信がある男たちが、台風一過の戦場で武器や弾丸を回収し始めていた。
LEONから借りていた武装車両に金属屑を積み込み、運転席に座ったコロタがイサリビへと搬送する。
「ヘビっ子おーい!! ありがとよおー!! 気いつけてなあー!!」
「あ、はーい――あれぇっ!? コロ爺、くるまの運転できるの!? っていうか、みんなも資材搔き集めて……疲れてるはずなのに……!」
「あはは!あんなにカッコいいところ見せられて、ジッとしてられるわけないじゃんか! いろはちゃんが頼りなのは間違いない……でも、いろはちゃんだけに全部は押し付けない。みんな、同じ気持ちだよ!」
アマネやイサリビの男たちの力強い表情に、希望の光が灯される。
――武を解する者たちの心から信愛と感謝が湧き上がり、想いの全てを託される。いろはが回収してきた宝刀と、アマネが鍛造した勾玉の種類の数だけ、新たな力が心と胎内に宿った。
「……それじゃあ、ここはお願いします……! 守りきってくれれば……後は、かざまが必ず……!」
「おうとも! 信じてるよ、いろはちゃん!!」
いろははアマネと力強い握手をがっしりと交わし……神性を貫通する握力のせいでかなり痛かった右手をぷらぷらと振りながら、その場を後にしたのだった。
……………………。
浅葱色の羽織を翻し、淡い黄葉色の髪をなびかせて、薄気味悪い空気が広がる〝境界線〟の上を走り抜ける。ぱらぱらと遭遇する孤独な毒人を片手間で浄化しながら南下し、当初の目的地であったイサリビの西側に位置する防衛線に辿り着いた。
すると、そこには力の〝籠〟が張り巡らされており、無数の毒人の身体が山となっていた。数少ない生き残りだった毒人が、ぶるぶると肉を揺らしながら突進する。
「寄らないでよ、気持ちわるい」
――凛と鳴る鈴音と可憐な声が透き通る。宵闇に紫電を走らせる妖刀〝羅刹〟と、常夜に赫焔を滾らせる鬼神刀〝阿修羅〟が――ひゅひゅん、と刹那に閃いた。
「……また、きちゃないものを斬ってしまった……あとで、刀のお手入れしないとだな……」
瞬く間もなく、異形が八つの肉塊となって地べたに転がる。断面を魔性の焔で焼かれた肉片は再生することもできず、ビクビクと白濁肉汁を吐きながら跳ねるばかりだった。
「あの人……あ、人でいいんだよな……? 余さん、ずっと戦いっぱなしなのに……まだ余裕そうだな……」
「っていうか、余さんに『まだ先が長そうだから、今は休憩してていいよ!』って言われてからの方が、明らかに強いだろ……俺たち、足手まといだったんじゃねえか……?」
鬼神の少女が出張って感覚を研ぎ澄ませ、警戒している後方で休憩していた男たちが感嘆する。異教の影響が色濃い西側からの刺客は群を抜いて数が多く、用意していた物資の消耗も早かったため、指揮をとっていた鬼神は〝最善策〟を選んでいた。
(生臭い雨が降り始めて、急に変形した人たち……あれ、けっこう強くて魔力の刃も通りづらいんだよな……。どこまで全力でやれるかわからんけど……みんなには、〝もしものとき〟のために力を温存してもらわないと……)
士気を維持するために、強気の顔と姿勢を崩さず……毒島に一生モノの傷をつけられた角の付け根から脂汗を垂らしながら、鬼神が二刀を構える。
少女の体内で燻る魔力に気圧され、逃走本能が疼いてしまった小心者たちは、肉欲よりも強い恐れを抱きながら特攻の機会を図っているようだった。
一向に動かない敵対者たちを一瞥し、鼻を笑わせた鬼神は――限界まで広げていた気の網に、強い力の干渉を受けた揺らぎを感じ取る。
「……ん……なんか、入ってきた……? でも、この気配って……」
「――余さん! 大丈夫ですか!?」
鬼神の少女が察するよりも早く、風に乗った浅葱色の少女が地面を滑りながら着地する。
白髪を風にさらわれながら唇をツンと尖らせた少女は、突然の再会を認識してすぐに緊張を解いた。
「おおっ!ござるさんじゃない! 調子はどう?元気だったか?お腹減ってない?」
「え、ええ……!調子はそこそこバッチリで……! それより、戦況は……!?」
「あー、んー、見てのとおりかな! ちょっと楽勝すぎてさ、歯ごたえが足りないぐらいなんよ!あはは!」
「…………そうですか! それはよかったでござる!」
軽快に笑ってみせた鬼神の作り笑顔と力の消耗具合を感じたいろはが、周囲に不安を広げないように会話を合わせる。
しかし――その気配りを無惨に踏み潰すように、ドドドドド!と地面を轟かせるような無数の足音が空気を震わせ始めた。
「な、なんだ、この音……!? それに、探知にもめっちゃ引っ掛かってて……ござるさん、まさか……余の持ち場に来たのって……!?」
「……そういうことでござる……! 余さん、来るよ!!まだ戦える!?」
「ははっ……余にそういうこと聞いちゃうのか? ま、いっちょう暴れてやろうかなッ!!」
虚空から信念の二刀を創ったいろはと、魔力の焔をまとわせた二刀を構える鬼神が肩を並べて前を見据える。その先から、どす黒い欲望に支配された暴虐の肉波が押し寄せていたが――ふたりの剣客は、迷いのない動きで波濤に突進した。
鬼神が巨大化した刃で大振りに薙ぎ払い、幾重にも連なった肉塊の壁を切り崩す。その斬撃の余韻が宙を燃やすなかで、いろはが肉塊を蹴って縦横無尽に跳ねまわり、空間を刻む剣閃を結んで毒人たちを浄化し続ける。
「な、何が起こってんだ……!? なんも見えねえぞ……!?」
「とにかく……あの気色悪ィ逸物人間たちがどんどん消えていくのだけはわかるぞ……!! とんでもねえや、あの人たち……!」
おおよそ、一般人には視認できない速度と力で大戦場を支配し、一人でも町を破壊し尽くせるような怪物の軍勢を圧倒する。
神性を帯びた二代目竜皇の片割れである少女と、魔界の一部を統治する鬼神一家の跡取り娘は、その〝名〟の威信を懸けて無尽蔵の肉欲を叩き潰していく。
「余さん! かざまに合わせられますか!?」
「おうよー! いつでも行けるよ!ござるさんッ!!」
ソウリョクを解放したいろはが身体を回転させ、豪風を巻き込む光の大渦が立ち昇らせる。
鬼神はそれに合わせて、竜巻の目で二刀を地面に突き刺し、魔界の業火を呼び寄せて風のうねりに合体させた。
「唸れ、滾れ、龍の風ッ!!」――「ちょっと熱いかもしれんけどねっ!!」
刃と化した風が吹き荒れ、花びらの如き炎が舞い踊る。無数の斬撃を孕む獄熱の花吹雪は、光炎の嵐となって周囲に破滅をもたらし、欲に溺れた命たちを世界の理へと戻していった。
合体奥義〝白火繚爛〟の後も、刀を携えた者たちは襲い掛かる肉欲の波を斬り拓き続けた。一般人には無数にも感じていた軍勢にも限りが見え始め――とうとう、最後の一人の頭が〝羅刹〟の一撃で潰され、チャキ丸の刃によって束縛から放たれる。
「はぁ、ふぅ……よっしゃ、こんなモンかな……! ござるさん、強くなったねぇ……!」
「よ、余さんも……ホントは、こんなに強かったんですね……はは……すごいや……!」
微笑みを交わした鬼神と武士は、その手に握っていた意思を讃え合うように――きいん、と刃同士を弾いて、繋がりの音を鋭く響かせた。
周囲からは毒人の気配も消え去っており、その軽快な〝勝利〟の音を皮切りに、ふたりの活躍に顎を外していた男たちが歓声を湧き起こす。
「ござるさん、心配かけさせちゃってごめんね……でも、冗談抜きで助かったぞ!ありがとうな!」
「ええ……こちらこそ……! これでしばらくは大丈夫だと思いますが……あともう少し、耐えられるだけの準備をお願いします……!」
「……もう少し、か……。あのサイテー男に……勝算、あるのか……?」
一般人たちの目もあるため気丈に振る舞いつつも、視線に翳りを生じさせた鬼神が、無意識に角の傷まで指を運ぼうとしていた。
「……大丈夫でござるよ! だって、かざまは……絶対に『負けられない』から!」
いろははその不安を払拭するように、少女が味わった屈辱の痕跡をすりすりと指で揉む。すると、華やかで瑞々しい肉体がびくん!と跳ねて、周囲に甘くて濃厚な雌の香りを漂わせた。
「あはぁんっ!!♡ はひっ……はふぅ……♡ はっ……あ、ちょっ……ござるさぁん……!! 急に、そんな……みんな、見てるのに……恥ずかしいよう……!♡」
「ご、ごめんなさぁいっ!? つ、つい触ってしまって……あは……そ、そんな感じになっちゃうんだ……! び、びっくりしたなぁ……!」
「……知ってたくせに……♡ あのイケない夜……角に口づけして……余の〝はじめて〟、奪っていったくせに……えへへ……♡ ござるさん、すけべなんだからぁ……♡」
真っ赤に染まった頬に手を当てて、くねくねと悩ましげに身を捩る鬼神。その〝お花のにおい〟にあてられたのか、周囲に居た男たちにどよめきが広がっていた。
「い、いやー……? ちょっと、何言ってるかわからないっていうか……ごめんなさい、っていうか……ほんと、ちょっと、寂しかっただけでして……? え、ええっとぉ……違うなぁ……?」
ぷひぷひと口笛にならない空気を漏らし、冷や汗でびちゃびちゃになったいろはがそっぽを向いた。それを見て、小悪魔のように目を細めて薄く笑った鬼神は、わざとらしくはにかんで頬を掻いた。
「……あー、ごほんっ……! なんか、ぐだぐだになっちゃったけど……ござるさんは、自分のやるべきことをやってきなよ! ここは、余たちが守っとくからさ!」
「……あ、えっと……はい……! よろしくお願いしますね、余さん……! 頼りにしていますよ……!」
いろはが周囲を見渡すと、鬼神が率いる戦士たちの凛々しい顔が目に入った。そこには底なしの希望が輝いており、空に広がる不安に負けない強さを孕んでいた。
――いろはの〝強さ〟を信じる想いが、自らの心の力に呼応する。これまでに振るってきた剣技の数だけ、新たな力が心と胎内に宿った。
信仰の対象となった少女がお辞儀をして、民たちの安全を願う〝祝福〟を送ってからその場を後にする。
吹いた風の後には尾を引く光が残り、それがやがて目に見えなくなっても、触れ合った人々の胸には確かなものが残されていた。
……………………。
各所の窮地を退けたいろはは、一人で戦い続ける暁のことを気にかけながら、急いでイサリビ中心の上空に跳び――ばさり、と〝神鳥の羽〟を広げて滞空する。
毒色の暗がりが拡がっていく周囲を見渡し、波紋のように感覚を広げて〝網〟を構築する。現状で、近地には襲来する敵意がないことを入念に確認してから、魔の手を迫らせる肉勃起の先端へ向かおうとした。
「ヘビさ――いんや、ミヤ様あー! 大丈夫けえー!?」
「んっ……ハマコ殿……!」
いろはは不自然な静寂が満ちている地表に降り、手を振っていた女性の眼前で足裏を地に着けた。
そこはイサリビにて祈りを捧げる集会所で、いろはにとっても馴染みのある場所だった――今は持病を抱えた年寄りや子供が避難しており、いろはの気配を感じた住民たちが外に出て少女を取り囲む。
「皆殿も……! ご無事のようで何よりです!」
「こっちは大丈夫だよお。ミヤ様のお友達がなあ、うぅんと力になってくれてたしなあ……こうして、ミヤ様も助けにきてくださったからねえ。これ以上のことは望めんよお」
「ありがたや、ありがたや」と手を擦り合わせて拝むハマコに合わせて、竜禪の信徒たちがいろはに深い感謝を捧げ始めた。
「ミヤ様……ミヤ様……! 身勝手だとわかってはいるんだけどもな……先代様が守ってくれた〝今日〟を、どうか頼むよお……! あんたなら、必ずやってくれるって……こんなに酷い世の中でも、あんただけは信じられるって……思っとるからなあ……!!」
いろはのことを深く知り、万能ではないことを察していながら、なおも『きっとどうにかしてくれる』と心の底から信じている。
敬虔な人々の心から特に強い輝きが発し、自分の名前と明確な祈りを込めた力が、指向性を得て体外へ溢れ――いろはの身体を中心に、渦巻くように光が収束していく。
――守護されてきた者たちの心が、家族同然の存在に抱いた愛情と、大いなる存在への信仰を織り交ぜる。強化してきたイサリビの施設の分だけ、いろはの心と胎内に温かな力が宿っていった。
「……皆殿の気持ち、たしかに受け取ったでござるよ! もうちょっとだけ待っててね……!必ず、皆殿の想いに応えてみせるから……!!」
「ミヤ様……ううん、ヘビちゃん……信じとうよ……! だからよお……ちゃんと、帰ってくるんだよお……! ずっと、お団子作って待ってっからさあ……!」
「……うん!!」
――『どんな結果になろうとも、信じたことを後悔しない』。共にした時間で大きく育まれた愛情が、便利な偶像に願いを言い放つだけではない〝本物の信仰〟がより強固なものとなるように支えていた。
数えきれないほどの信愛を受け取りながら、その一つひとつに向き合った少女が、大きな力を得て空を見上げる。全身に力を込めて、爆ぜるように跳躍し――無尽の煌めきを発する彗星のように光をまといながら、鎖された天へと力強く昇っていった。
――――――
「ご当主! 遥か南方の空に、光の〝龍〟が昇っています……まさか、あの温かな光は……!」
「おお……! あれこそは、モリの国の在り方を示し、未来を守った竜禪の奇跡そのもの……! わたくし共は貴殿の勝利を心より信じておりますよ……風真殿……!!」
「あ、ありゃあ……〝ながきもの〟だ……!! あんな暗雲に、禍々しい不吉な兆しまで合わさろうっちゅうんか……世界はもう、終わるんだあ……!!」
「畜生め……!あのわけわかんねえ武士が、余計なことをすっから……こんなことになっちまったんだ……! 恨むぞ、竜禪……!!呪いの蛇女め……!!」
「……あの龍……いえ、蛇かしら……? あれが……ミヤ様が、最後の儀式の際に『力を貸してやってくれ』と言っていた後継者……〝二代目〟様の力なのよね……?」
「ええ、ええ。きっとそうでしょうねえ、お柱様。我が国の民の想いも、しかとまとめて祈らねばなりませんねえ」
「あの、蛇のような光……〝じゃりゅう様〟のものではないか……!? 何故、斯様なまでの遠空に……怒りは、あの武士によって鎮められたのではなかったのか……!?」
「ふふ。そうとも、そうでないとも言えますね……この都市を救った優しき竜禪の武士が、こたびは散り散りの世界を一つに束ねようと煌めいている……この偉業は、信仰学者として語り継いでゆかねばなりませんね……!」
「おい、あれ見ぃやぁ!! お空で毒を焼き払っとる天子様の陽炎に、光の龍が向こうとるぞ!!」
「わかる……見んでも、わかるよ……!! あの二つの光は……このイワトを救ってくれた、あの竜禪のおふたりやわ……!!」
「……頑張れ……頑張れーッ!! こんな酷いことしやがる、世界全部の敵なんか……ぶっ潰しちまえーっ!!武士様ーッ!!」
風真いろはの活躍を介してキョウ全土に広まった、かたちなき〝力〟への想いが〝龍脈〟を通って巡り、各地の〝龍穴〟から噴火するように湧き出した。
信仰を持たぬ者でも視認できるほどに激しい、幾本もの光の奔流は――天龍のようにも、大蛇のようにも見えるうねりを描きながら空へと昇り――〝主柱〟となる少女の影と一つに合わさる。
――力の象徴である〝龍〟への畏敬と、魔の象徴である〝蛇〟への畏怖が一つに縒られ、曖昧な信仰の対象である〝ミヤ〟へと収束する。いろはが叶えてきた人の望みの数だけ、少女の心身全体に大きな力を宿らせていった。
――――――
――託された、無尽にも感じるほどのソウリョクを放出しながら、私は天へと続く道を滑り昇っていました。普通であれば身体を引き裂くような大風に煽られながらも、私はその風すらも自らの力として巻き込んで、イサリビを目指さんとする毒肉の大槍の切っ先へと向かいました。
その視線の先には、猛毒の血霧に穢されながらも輝きを損なわず、腰を据えた一閃を重ねて増殖する毒肉を斬り落とし、脂混じりの血飛沫を煌々と焼き続ける明神の姿が見えていました。
生物の域を優に越えた暁でも、〝汚染〟そのものと化した毒島と女神様に対抗することは難しかったようでした。その神々しい光を放つ肉体には赤紫色の汚泥が染み付き、呪われたように、内側から力を削がれているようでした。
頼もしくも苦しげに抗い続ける彼の下に、一刻も早く向かおうとしたとき――私の背中を押すように、私の全てに絡みつくように合流した光の波に呑まれ――私の意識は、内なる世界に引きずり込まれました。
……いつものような、眠りに近い感覚には囚われませんでしたが……内面に広がる常夜の庭は、いつもよりぼんやりとした光景になっていました。物事の輪郭が曖昧にぼやけ、それが夢なのか、現実なのかを上手く認識できません。
そんな〝境界〟に在る暗い世界の中で――私の眼前に、いくつもの青白い炎が燃えました。お腹と胸を熱くする意志に呼応して〝八武の紋〟が光を放ち、その人魂は力強く輝きながら、私が決して忘れ得ない姿かたちに変わっていきます。
……蛇念様。弓文様。黎明様。名を失ったガンダルヴァ信仰の信徒様と、その祖先である刃桜様。私のババ上――いえ、おばあ様。水計様。最後の天子様。そして――。
『……とうとうここまで辿り着いたな、風真』
――〝彩刃〟様。刻まれた名が擦り切れるほどの長い年月を生き、此の地を守護する〝刃〟として働き続けた……私がお慕いする、唯一無二の御方です。
『〝八武信仰〟自体には、そこまで大きな力はない。だが……再興のために、おまえが歩んできた〝道〟には大きな意味があった』
私の長き旅路に関わってくれた方々が、穏やかな顔で見守るなかで――彩刃様が仰々しく手を広げました。すると、キョウ全土を示す地図が表され、一本の浅葱色の軌跡がじぐざぐと伸ばされていきます。
『おまえは多くの心を助け、同時に、多くの心に恨まれてきた。その喜びも、悲しみも……味わった全てが、お前の〝名〟の糧となる――無駄なことなど、一つもなかったな』
イサリビから始まり、道に迷いながらも各地を巡るなかで、たびたびイサリビに戻って。旅立つ先のどこかでつまづいて、ぐるぐると悩んで、また道に迷って……それでも、歩き続けることしかできなくて。
とっても見覚えのある、世間知らずで、諦めの悪い〝誰かさん〟の足跡が、そこに示されていました。
『ただ〝やる〟だけでは〝行い〟にすぎぬ。そこに起こった悲喜交交の事象を見つめて、認めて、受け入れることでようやく〝経験〟と成る……今のおまえが、誰よりもわかっていることだろうがな』
その軌跡はイサリビから力強く発されて、今もなお伸び続けています。その先に大きな壁があることを理解しながらも、前へ――〝今日〟から続く明日へと向かっていました。
『さあ、風真――夜明けの時だ。多くの経験を積み、〝己〟を育てたおまえの心なら、外の世界で味わう痛みにも耐えられよう。内なる昏き世界に、遥かなる来光を昇らせるのだ』
幼き私の心が生んだ原風景――自分から見た〝世界〟――その中に満ちている闇を認め、握り締めた〝信念〟を自らに向けました。そして、未知の体験に早鐘を打ち、幻痛を走らせる心を――ずぶり、と刺し貫きます。
自らの心身を傷つける行為――それは、竜禪における〝業〟に他なりません。それでも、数多くの異なる教義に触れてきた私には、それも己の〝在り方〟の一つだと思えました。
胸元に鋭い痛みが走り、内側の深いところにまで、ずきずきと浸透していきます。それと同時に、ぼやけた夜空に、外の世界へと通じる〝風穴〟が開き――鎖された常夜が、『外になら必ず在る』と信じられる希望の光で塗り潰されていきました。
……昔の私だったら、怖くて、信じられなくて、夢見ることすらできなかったこと。それが、他者との関わりによって信じられるようになっていたのです。
――「ありがとう」。誰に向けたものだったのかはわかりませんが、自然と、その言葉が涙と共に溢れました。
世界の境界線が薄れて、崩れて、内側と外側が一つになっていきます。私たちの〝命〟が大いなる光に呑まれていくなかで――最後に、声が聞こえました。
『世界を巡りし、その風の色は――〝蒼緑〟だ』
――――――
夥しい力を孕んだ蒼緑の彗星が加速を続け、ぞぶん!と腐肉の天海に突入する。決死に見えた一撃も、人一つ分の小さな穴を開けるにとどまり、奇跡など何も起こらない――その自爆特攻を嘲笑うかのように、腐肉の海が鳴動した。
しかし、すぐ傍で〝勇み火〟と呼ぶべき猛進を見ていた明神も、各地で竜禪信仰を抱く信徒たちも、胸に灯した希望を揺らがせることはなかった。それどころか、〝ミヤ〟の勝利を信じる想いが多大なソウリョクを生み、声援を送るように、無数の星を空へと打ち上げていく。
毒肉の闇に煌めく、手が届きそうなほどに近い星空が、閉じずに残っている風穴に集約していく――最後の一粒が吸い込まれたとき――ひゅう、と世界中にそよ風の音色が響き渡る。
各地に残されていた、少女の等身大の足跡が連なり、軌跡となってキョウ全土にソウリョクの光を灯していく。小さくも大きな世界を巡り吹いた〝風〟が輝きながら舞い上がり、神域の光渦を形成して、螺旋の先端で大肉塊の穴を抉った。
肉海の内部で逆巻く輝きの奔流は、世界の境目をひび割らせながら時間すらも軋ませ――龍の咆哮のような、大蛇が這いずる音のような轟音を唸らせて力を増していく。守護者の〝命〟を託されていた明神の身体が呼応するように光を放ち始め……その身が、風穴の中に潜り込む。
その刹那――収束していく光の流れは一際強い光を放ち、数瞬の間、時を止めて――かきり、と全人類の耳に刻まれた時針の音に合わせて、超新星の如き大爆発を巻き起こした。
きいん、と糸が張り詰めたような音の後に、爆音と蒼緑の光風が炸裂する。白い光の爆発と浅葱色の風が波動となって広がる〝力〟と衝撃は、大いなる威風を世界中に届け――増殖し続ける腐肉を押し潰しながら、空を鎖す肉の天蓋をこじ開けるように斬り拓く。
尊大な輝きは、闇が広がっていく地に温かな恵みの陽光を差し込ませ、信仰を持たない人々の心にまで希望を届けた。
『――皆殿。事あるときには〝私〟を呼んでください。信じる想いは、絶対に裏切りませんから』
爆心地となった光渦の中心には、蒼緑の光刃を翼に見立てて宙に浮く少女の姿が在った。翼の付け根に当たる部分には、一〇本の鉤を伸ばして天花を模す輪形の結晶が輝いており、ぽこべぇの意思を宿していた。
身にまとっていた風真家の羽織は、人々の希望を彩る清廉な純白が色濃く織り込まれつつも、武士の誇りを示す浅葱色を残している。解けて広がった黄金色の髪にも同じ蒼緑が色づき、周囲にまとう大風にも陽光色の雷がバチバチと走っていた。
その頭上には開口した龍咢の如き光輪を輝かせ、臀部からは蒼緑に揺らめく長い蛇尾が猛々しく伸びる。双眸には恒星のような希望が鋭く宿っており、凛々しい表情からも神の威光を示していた。
人型の神と化した少女の背後に煌めく大翼が羽ばたき、手に握った〝十束剣〟を振り抜いて世界規模の剣風を吹かせる――白き光を孕む神風を巻き起こして、世界に蔓延していた淫毒の血霧を祓い清めた。
世界を汚染していた毒は消え去り、幸せを伝える虹の大橋が架かる。それでも、竜神は警戒を緩めていなかった。
『……やっぱり、この程度では滅びませんよね……貴方という人の想いは……』
大いなる信愛を受け、神域に達した少女が虚空を見つめる。そこには、消し飛ばしたはずの毒肉が再び〝芽吹いて〟おり、燦燦と降り注ぐ陽光を受けて再び増殖を始めようとしていた。
竜神が両手を広げると、宙に無数の刀が創造されて実体を持つ剣として現れる。そして、爆発するように毒肉を空に這わせて、硬質化した無数の肉触手を伸ばした不滅の〝祝福〟と対峙し――雲を斬る一閃の突進で、真っ向から衝突した。
――『鎖された神域に魔が迫りし時 民の安寧を守らんとする 大いなる〝科戸の風〟が吹く』。
しじまを破る神々しい鐘音が鳴り響き、世界に絶望と希望の光が入り交じる――遥か後世にまで語り継がれるであろう、神話上の戦いが幕を開けた。