※この作品はR-18です。

朽ちぬ木の葉は色褪せず   作:ナルキケーネ(ハーメルン支店)

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第六一話 仇花が結んだ小さな実

 ――どこからか、風が吹いた。ひと縒りの紐のように連なり、光を結んだように澄んでいたそれは――自分が知らない世界――決して交わらない場所と、見えないもので繋がっているかのような気にさせた。

 

 ……目を閉じる。知らないどこかに想いを馳せるように。この風が吹く先に、胸中の霧が晴れる未来があると期待する。

 

 握った柄に想いを込めて、木製の打ち込み台の姿を感覚で捉え――心を表すように剣閃を刻む――ぱ、ぱん!と、酷く乾いた、空虚な音を響かせた。

 

 秋夕に色めく葉擦れの音に、剣を以て、ひゅうんと風を吹かせる。それをひたすらに繰り返し――宙に浮いているような己の足跡を、意味もなくこの世に刻み続けた。

 

 しばらく続いた鍛錬を終え、木刀を腰に差して礼をする。ふう、とついた一息の熱だけが、自分の命の温度を示しているようだった。

 

 何かに追われることもなく。何かを追う必要もなく。ただ、続いていく毎日を繰り返す。それを一言で表すならば、きっと〝安寧〟――誰もが欲しがり、神に祈るものなのだろう。

 

 ただ、どうしてか……いつまでも、何をしても、心のどこかが満たされない。そのどこかすらもよくわからないのに、確かに虚無が存在している。空いた穴に風が通り続けているように、すうすうと、己の人生に空虚な影を差していた。

 

 弓道場の裏手に作り、先生たちに見逃してもらっている剣の修練場。自分だけの居場所となっているこの場所で、片づけを済ませてから、切株に座ってスマホを弄っていた友人に声をかけた。

 

「俺は『先に帰ってくれ』と言ったはずだけどな……何も、ずっと待っていなくてもよかっただろうに」

 

「つれないことを言うなよ、相棒。どうせ施設に帰っても、ネットか職員さんの手伝いをするだけだ。居場所もない。それなら、友達と過ごす時間を大事にしたいじゃないか」

 

「…………すまない、待たせたな。寒くはなかったか?」

 

「いいんだよ。脂肪のおかげで寒くもない。君は本当に律儀だな」

 

「くくっ。お前だけには言われたくないよ」

 

 スマホを眺めながら、すいすいと器用に操作する友人の手元を見やる。その画面には、母方の実家に置いてあった旧時代のゲームのような情景が映っていた。

 

「……随分と古いゲームのようだな。お前、そういうものもやるのか」

 

「レトロゲームのアプリ版が配信されていてね。これがなかなかに骨太で、想像力を掻き立てられて面白い。ちょうどラスボスと戦おうというところだよ」

 

「ふうん。それで熱中していたわけか……なんというか、お前らしいな」

 

「ハッハッハ。そういう君は、本当に二次元への興味がないな。君のような人間には、この中が〝うすっぺらい世界〟のように映るのかもな」

 

「映るも何も、ゲームの中を〝世界〟なんて…………いや……そんなことはないよ。興味だって……まあ……その、なんだ……ゼロではないし……俺は、自分の現実で手一杯なだけだよ」

 

「ふん。それなら、今すぐにゲームの一つでもインストールしてみるといい。やり方なら僕が教える。君に『少しでも興味があれば』だけどね」

 

「…………むぐ……少しぐらいなら、あるつもりだけどな……」

 

 図星を突かれ、口を閉ざす。どうにかごまかしたつもりだったが、周囲の心情に敏感なこの男にはバレていたかもしれない。

 

 ポケットから、入学したときに『連絡用』として両親から渡された携帯端末を取り出す。四角い機械に、複雑な機能がいろいろと入っているらしいが、その一割も使ったことがない。連絡先も、両親と友人一人しか登録していない有様だ。

 

 彼と同じく、この端末でゲームをしたり、動画を見たりできると聞く……が、そういうものは生きていくうえで必要ないだろう。少なくとも、衣食住が満ち足りた俺は欲していない。親からも、先生からもそんなことを望まれた記憶がない。

 

 親に言われたとおりに勉強をして、先生に言われたとおりに〝いい子〟で居る。それと、自分にできることをやって、ひたすら剣を打ち込む。俺の人生は〝それだけ〟で満足だ――それ以外に望むことなど、思いつきもしなかった。

 

 学年トップをキープすれば親は喜ぶ。雑用を引き受ければ先生も喜ぶ。周囲の人たちも『完璧超人』などと好きなように言って、他薦で生徒会長などという大役まで任せて、勝手に期待してくれる。これが幸せなのかは、正直に言ってわからない。

 

 ただ……インターネット等で繋がった、小さく見える世界と〝比較〟はできる。友人曰く「理想的な家庭」である我が家よりも裕福な家もあれば、その日飲む水に困る人たちも数えきれないほどに居る。人に羨まれるだけの現状を守ろうとするだけで、着る物にも、食う物にも困らない。逆に、〝これ以上〟は何を望めと言うのだろうか。

 

 ……ゲームをする? 動画を見る? 他人と何かを共有する? それがいったい、何になる。俺には、周囲が当たり前に時間を費やしていることの意義が全くわからなかった。

 

「ふふふ。爺むさい男だな、君は。『縁側でお茶をすすりながら食べる芋ようかん』。君にとっての〝それ〟が、僕にとってのゲームや動画……いわゆる二次元エンタメなんだよ」

 

「ふうむ。それほどまでに、心が安らぐものなのか。茶と芋ようかんとは、お前……只事ではないぞ」

 

「……まあ、うん、そうなんだよ。まさか、想いの全てを伝えることがこんなにも難しいとは。技術がどれだけ進んでも、こういうところは永遠に非合理なままなんだろうな」

 

「……そんなの、当たり前だろう? 道具がどんなに便利なものでも、使っているのは俺たち人間だ。包丁だって、料理にも殺人にも使えるよ」

 

「ふふ。まあ、そうなんだろうな。小手先の技術に頼らずとも明らかな強者であろう君がそう言うと、強く実感するよ」

 

「……俺は強くなんかないよ。みんなのように、娯楽に使おうとする時間がなかっただけだ」

 

 友人の言葉に背中が痒くなり、俺は話をはぐらかそうとする――が、彼は追い打ちをかけるように続けた。

 

「ククッ……!一年次から生徒会長として働き、貴重な空き時間で鍛錬に勤しんでいる男がよく言うよ。生きづらそうで仕方ない。君はやっぱり、『強くてニューゲーム』のような異世界転生をしてきた主人公なんじゃないか?」

 

「……異世界転生? そういうのはアニメの世界の話だろうに。宗教用語の〝輪廻転生〟なら知っているが……」

 

「相棒、これは〝もののたとえ〟だよ。定期考査は常に学年トップ。強豪剣道場では異例の学生師範代。休み時間は女子に言い寄られ、男子からの人望もあつい。絵に描いたような〝完璧〟だ。『神に愛された』としか思えないよ」

 

「……三つは、まあ褒められているとわかるのだが……女子に言い寄られるのは、良いことなのか……?」

 

「ハハハ、それは生物として当たり前だろう! 君ほどモテなくていいが、僕だって、彼女の一人ぐらい作ってみたいものだ」

 

「……なるほど、そういう視点か……まあ、アレだ。世界のどこかには、お前のことを無条件で愛してくれる人だっているだろうさ」

 

「……そういうものかな。もし、そうだったなら……ふふ……僕も、この人生に満足できるのかもしれないなぁ」

 

 友人の真剣かつ期待を滲ませる顔を見て、なんとなく悟った。きっと、自分は他人と共有できない感覚を持ち続けて、友人にも理解されない生き方で命を全うして――このまま何もせず、何も得られずに、ゆるやかに朽ちていくのだろうな、と。

 

 そんなことを考えていると――友人が突然、スマホの画面を見てピタリと硬直する。

 

「……出た、名言だ。『世界の半分をお前にやろう』。なあ、異世界住民のような友よ。君はこんなことを言われたら、平和を脅かす〝人類の敵〟の味方になろうと思えるか?」

 

「はあ? それもゲームの話だろ。そんな真剣に考える必要なんて――ああ、いや……えっと、そうだなぁ……」

 

 自分には理解できなくとも、友人が大切にしている事柄を軽んじることは、できるだけ避けるべきだ。

 

 父に教わった処世術を守り、興味はまるっきりないながらも、頭を使って答える。

 

「……うーん……すまない……。ちょっと、想像ができないな。〝世界〟なんて、貰って嬉しいものなのか?」

 

「おお、奇遇だな。僕も似たようなことを考えた。貰って嬉しいものというのは、なんというか、〝良い物〟であるべきだよな」

 

「……? どういうことだ……?」

 

「こんなにも歪みきって、腐りきって、美しさの欠片もない世界……貰って嬉しいはずがない。そういうことだ」

 

 友人は難しい顔でスマホをしまってから、恰幅の良い身体を縮こまらせ、脇に手を差すように腕を組む。

 

 彼の表情から察するに――自分が感じた『〝スケールの大きさ〟に由来する困惑』とは違うところに同調されたような気がした。

 

「僕の推測だが……きっと、画面の向こうの世界は〝良い物〟なんだ。毒沼みたいに汚いところもあるけれど、基本的には美しくて、裕福で、真心が溢れている。だからこそ、人類の敵を前にして、主人公は迷った。『はい・いいえ』の選択肢を思いついたんだ」

 

「……お前の言うことはよくわからないが……『迷う』ということは、その質問に多少なりとも魅力を感じたのかもしれないな」

 

「うん。僕もそう思う。そして、邪悪な者は提案を断られて、勇気ある者に打ち倒されるんだ」

 

「……ゲームだと断ってしまうのか。まあ、勧善懲悪のお話だもんな。そこで頷いたら、大変なことになりそうだ」

 

「いや……断られたのはきっと、〝半分〟なんてケチを見せたからだと思うんだよ。なら、画面の向こうにある美しい世界の〝全部〟だったら? どうなっていたんだろうな?」

 

 友人は、澄んだ瞳に光を浮かべながら空を見やる。夕焼けが滲む秋の色風に、無限の夢を見ているようで――そんな彼に、俺は何と言えばいいのかわからなかった。

 

「……さあなぁ。俺にはゲームのことなんかわからんよ」

 

「まあ、君はそう言うだろうなぁ」

 

 くつくつと笑った友人の手元で、スマホがブルブルと震える。たしかあれは、何かしらの着信があった際の通知……だったはずだ。画面に、『おーい!無視すんなー!』という文言がシュポンと表示される。

 

「DM……あ、ゲームのアプリ落ちた。スペック低すぎなんだよ、施設の中古スマホ。っていうか、またあの不審者からだし……」

 

「不審者……ああ、そういえば以前から『知らない人間がSNSで声をかけてくる』と言っていたな」

 

「そう、それだ。投稿もフォロー数もゼロで明らかに捨てアカ。闇バイトの勧誘とかでもなく、ただこうやって声をかけてくるばかりでさ。顔も声も聞こえないやつから。とにかく不気味でしかないよな」

 

「不気味というか、意味と意図がわからんな……ああ、もうこんな時間か」

 

 友人のスマホに映った時計の数字を見て、俺は身支度を整える。今日の鍛錬は、先生のメンツを保つために必要だった隙間時間でしかなかったのだ。

 

「すまない、そろそろ職員室に行く時間だから俺は失礼するぞ」

 

「ああ、僕も一緒に行くよ。どうせロクでもないことなんだろう?」

 

「大事な用事だよ。実習棟にある空き教室の片付けと、先生が生徒会に提出し忘れていたクラスアンケートの再集計だ」

 

「ほら、相変わらずロクでもないことだった。手伝うよ、相棒。いつもどおりにさ」

 

「……物好きなやつだな、本当に……。礼なんて、今日も茶ぐらいしか出せないぞ?」

 

「構わないよ。君の力になれるなら、なんだっていい。友達ってのは、そういうものらしい」

 

「……『らしい』って……本当に、そういうものなのか?」

 

「ハハハ! きっと、だがね。ぶっちゃけわからん。僕も漫画でしか読んだことがないからさ!」

 

 楽しげな口調でそう言った友人は、物憂げな表情で少しだけ目を伏せていた。

 

 両親が蒸発し、預けられた貧乏な施設でも居場所がない。校則でアルバイトが禁止されているため、彼曰く『この三年間は、とにかく〝詰んでいる〟』らしい。

 

 そんな男の身の上を知っていると、自分の置かれた状況がどれだけ恵まれているかを否が応でも自覚する。そして、それでもなお、俺のことを手伝おうとしてくれる優しさに――少しでも、報いてやりたいと思っていた。

 

 ――――――

 

 俺たちは、丘上にあった弓道場と平地の校舎群を繋ぐ階段を下りて、職員室がある教室棟へと向かっていた。すると、その廊下の道中で、友人が肉厚な顎を指で揉んで疑問符を浮かべる。

 

「ふうむ……しかし、貰って嬉しいほどに魅力的な〝世界〟か……。なあ、相棒。カタチにするなら、どんなものだと思う?」

 

「ええ……? そうだなぁ……すまん、規模が余りにも大きすぎてわからない。テレビや新聞で見ると、身近なことのように感じるんだが……全体となると、ちょっとな」

 

「だよなぁ。僕も同意見だ。こんな世の中を見ていて、いったいどんな夢を――っと……君に客人のようだな、相棒」

 

「……客人?」

 

 友人は足を止め、気まずそうに距離を取って、曲がり角の奥に姿を消した。本当に、周囲のことに機敏な感性を持っている――いや、持たざるを得なかったのかもしれない。

 

 俺が一人になったことを確認したのか、二人の女子生徒がきゃいきゃいと笑いながら声をかけてきた。完全下校時間は近いはずだが、何かあったのだろうか。

 

「会長さぁん、やっと会えたぁ……! 休み時間はずっと女の子に囲まれてるし、放課後なら空いてると思ってぇ、探してたんですよぉ?」

 

「ん、ああ、すまない。俺から彼女たちに用事はないし、そこまで暇でもないんだが……何故だか、続けざまに声をかけられるんだ……」

 

「あはは~!会長、モテますもんねぇ。前世からそういう、女の子に好かれる……ゴウ?とかを背負ってんじゃないですかぁ?」

 

「ご、業を……!? いったいどんな悪事を働いたら、そんなことになるんだ……?」

 

「いやいや会長さん、それだとモテモテなことが悪い風に聞こえますから。女の子たちもそうですけど、周囲で血の涙を流して羨んでいる男たちも泣いちゃいますよ?」

 

「ううむ、そんなこと言われてもなぁ……」

 

 明るく接してくれるクラスメイトたちの『羨ましい』やら『俺も彼女が欲しいからモテパワーを分けてくれ』といった言葉を思い返す。

 

 ……好きでもない女子の大群に言い寄られても、実際には困るだけだ。逆に、男子の友達とそんな風に雑談をしているときには、女子が近寄って来ないことが救いとなっている面すらある。

 

「……まあいいや。それで、君たちはいったい、俺にどんな用事があるんだ? また何か雑用か?」

 

「会長さぁん、これから私たちとデートしてくれませんかぁ? 私ぃ、会長ともっと仲良くなりたいなぁ、って!」

 

「その、私もこの子と同じ気持ちで……。一緒にお出かけして、遊んで……同じ時を過ごしたいな、と……!」

 

 それぞれ雰囲気が異なる、容姿の整った女子生徒二人に見上げられ……熱っぽい視線を注がれる。テレビで見るような芸能人にも負けないほどに美麗な顔だと思う。

 

 ただ、正直に言って――『またか』と思った。こういう手合いは多いし、どれだけ断っても食い下がってくるから厄介だ。それが一人だけなら丁寧に応対しようとも思えるのだが……何十人にも及ぶとなると、公平な態度を取るために、対応に困ってしまうのだ。

 

「ああ……せっかくのお誘いはありがたいんだが……すまない、今日も仕事で忙しくてな。今も、先生の都合に合わせて完全下校時間まで待っていたところなんだ」

 

「ええー!?せっかく待ってあげたのにぃ! そんなのどうでもいいからぁ、遊びに行きましょうよぉ!」

 

「こらこら……でも、会長さんって本当に真面目ですよね。たまには、その……息抜きをしてもよいのでは? 一日くらい遊んでも、バチは当たらないかと思いますけど」

 

「は……? 何を言って……いや、そうはいかないだろう……? 君たち生徒が他薦して、満票で就くことになった会長職だ……責務をおざなりにするわけにはいかないよ」

 

「……そりゃあ、私も投票したけどぉ……だって、そんなに忙しくなるなんて思ってなかったしぃ……」

 

「……えっと……じゃあ、お仕事が終わるまで待ってますよ! その後なら――」

 

「――夜遅くなるから無理だよ、君たちが補導されてしまう。明日も学校があるから、今日は帰った方がいいよ」

 

 少し酷だとは思ったが、彼女たちを特別扱いするわけにはいかないし、内申点のためにも与えられた職務を放棄するわけにはいかない。

 

 俺が事実を言ってのけると、やや派手めな女子が、つやつやでぷるぷるなピンク色の唇を尖らせた。

 

「…………とか言ってさぁ、あのブタとはさっきまで一緒に遊んでたっぽいクセに……なんで偉そうなワケ……?」

 

「しーッ……! あの豚男、会長さんの弱みを握ってるって噂があるんだから……あんまり滅多なことは言わない方がいいよ……! どこで聞き耳立ててるかわからないし……私たちも狙われるかも……!」

 

「……ハァ。そんな事実はないよ。むしろ、誰もやりたがらない俺の手伝いをしてくれている……あ、そうだ! 君たちも一緒に、空き教室の片付けとアンケートの再集計を手伝ってくれるか? それなら、一緒に居る時間を作れるけど」

 

「は? いや、なにそれ……? デートの代わりに仕事しろってコト……? 普通に無理なんだけど……ありえないわぁ……」

 

「私も、それはちょっと無理……っていうかあの豚男、臭いし近づきたくないし……。下着ドロ事件の被害者みたいに目をつけられたくないし……なんで退学になんないんだろ……?」

 

 彼女たちは、その他大勢と一様の文言で、こちらからの誘いを迷うことなく断った。

 

 手伝いを求めても断られるのは、『放課後には遊びたいから』という学生らしい理由だけでない。休み時間などでも、女子生徒は俺の隣にいることで悪目立ちをして周囲から疎外され、男子生徒は女子から疎まれて居場所がなくなるらしい。

 

 苦労している俺に声をかけてくる者はいても、仕事を手伝ってくれるような人はいなかった。みんな、口ではどう言っても自分が一番可愛いのだろう。

 

 ……べつに、そんな日常茶飯事はどうでもよかった。知的な気配を漂わせているが、明らかに不真面目そうな少女の言うことが聞き捨てならなかった。

 

「……あいつは下着泥棒なんかじゃないよ。犯人は男子水泳部の部長だったし、その犯行を裏付ける証拠も全部出てきた。生徒会から、そう発信したはずだけどな」

 

「で、でも……あんなにかっこよくて優しい先輩がそんなことするハズないじゃん! みんな、あのブタがヤッたって言ってんだよ……!?」

 

「そうですよ……! 先輩だって『無実だから信じてくれ』って真剣に言ってたし……たしかに、イケメンなのに下着ドロなんてことする意味ないし。全部、あの豚男の陰謀ですよ……! 先生が何も言わないのがその理由……みんな、そう言ってます……!」

 

「じゃあ、君たちが言う『みんな』を全員俺の前に連れてきてくれ。そのイケメン部長が、ちょっと詰められただけで無様に泣き喚いて土下座しながら自供したこと……そして、濡れ衣を着せられたあいつと、『部長のやったことなら』と被害者の温情で目をつぶってもらった事実を包み隠さずに伝えてあげるよ」

 

 俺の友人が犯人だとして告発された際には怒り狂っていたはずの、女子更衣室から下着を盗まれた被害者たち。そんな彼女らが『好きな人がちょっと悪戯をしただけだから』と厳罰を望まなかった。冤罪を被っていた友人も『被害者の気持ちを優先してほしい』と言っていたために、今の落としどころを見つけたが……こうなってみると、これで本当によかったのか、と疑いたくなってしまった。

 

「………………うわ……趣味悪ッ……! 会長、サイコじゃん……!」

 

「……ホントに、ひどい……会長がそんな人だとは思いませんでした……。ね、もう、行こ……? 先輩のバイト先、まだやってるだろうし……こんなダサ男、もうどうでもよくない?」

 

 女子生徒たちは好き勝手に言葉を吐き捨てて、足早にどこかへ駆けていった。

 

 とても不愉快な気分にされた心を落ち着けるために、一回だけ大きな深呼吸をして……友人が去って行った先へ向かう。すると、曲がり角のすぐ先で――階段に腰掛けてイヤホンを付け、スマホの画面をぼんやりと眺めていた友人の姿を見つけた。

 

「…………何度もすまない。待たせたな」

 

「……ん、ああ、終わったか。気にしないでくれ。僕が好きでやっていることだからさ」

 

 彼はイヤホンを外さずに応答する――きっと、安物のイヤホンなのだろう。それを耳に付けたままでも、周囲の声は聞こえていたようだった。

 

 なんとも言えない表情で彼が見ていたその画面の中では……白い髪をしている、きつね耳を生やした少女がこちらの世界を見つめていた。

 

「……いつも、同じ動画を見ているな。そんなにそれが好きなのか?」

 

「うん。僕の人生なんかより、ずっと大切なものだよ。とっても可愛いだろう?」

 

「……ああ。俺の心にある『可愛い』が、お前と同じ感覚ではないかもしれないけどさ」

 

「ハッハッハ……そりゃあそうだよ。ついさっきも、同じようなことを話したばかりだな」

 

 そう言った友人は、少しだけ寂しそうにしながらも、心から救われているような――とても穏やかな顔をしていた。

 

 この白い少女が、彼の心に温かな光を差し続けていることだけは間違いないらしい。

 

「この子は、僕のことを『好き』と言ってくれて……キスまでしてくれたんだ。これはその時の思い出だ。好きにならないわけがないよ」

 

「……ん、んん……? その、なんだ……たぶん、その言葉の対象って……お前だけでは……」

 

「わかっているとも。でも、この子は、僕を『みんな』に入れてくれて、等しく愛してくれている。そのことが嬉しいんだ。僕も〝命〟を実感できるから……」

 

「…………そうか……。お前にとっての、心の拠り所、というヤツなんだな」

 

「そうだな……それと、〝願い〟そのものでもある。彼女はずっと、みんなのために、陰で努力をし続けているから……ちゃんと、幸せになってほしいんだ」

 

 しんみりと、涙ぐんで語る友人が見つめるところは……俺からは、どう見ても、〝スマホの画面〟でしかない。

 

 申し訳ないが、そこに〝女の子〟が居るとは思えない――だから俺には、友人の気持ちがわからない。その苦痛の全てを知って、取り除いてやることができそうになかった。

 

「なあ。さっき、お前が言っていた『魅力的な〝世界〟』だけどさ……なんとなく、思いついたよ」

 

「……ほう……? 君は、どういう世界を魅力的だと思うんだ?」

 

 友人は目元を拭って、何よりも大切にしているものだけを見ずに、こちらにも視線を向けてくれた。その想いに応えるためにも、心から、嘘偽りのない答えを発する。

 

「『努力が正しく報われる世界』だよ。きっと、そんな世界なら……今よりずっと、何もかもが美しく見えるだろうさ」

 

 俺は、目の前に居る人間を見つめて、迷いなく言い切った。すると、彼はあろうことか俺の方を見やりながら、「それは、僕も同感だな」と笑いながら頷いた。

 

 ……まったく、いつもこうなのだ。入学したばかりの頃、職員室から大量の教育資材を運ぶように言われ、苦戦していたところを助けてもらったときから……俺たちは何も変わっていない。

 

 俺が言ったことは、こいつに上手く伝わっていない。けれども、どうしてか、彼の中では〝同感〟として受け止められる……自分で言うのもなんだが、不思議な友人関係だと思うし、お互いに退屈しない相手だと理解していた。

 

 いろいろと勘違いをされやすい男だが……俺にはこいつが、真面目で、友達想いの優しいやつで、大切な友人だとわかっていた。

 

 いつもいつも、自分の時間を惜しまずに、俺の助力に費やしてくれる。だからこそ……少しでも、その嬉しくて温かい気持ちを分かち合いたいと思った。

 

「……なあ。なんだっけ、さっき言っていたアイドル……かざま、なんちゃら……って。それが、その子なのか?」

 

「いや、違うよ。この子は俺の推しだ……僕がさっき言ったのは、こっちの子だよ。和風を好む君に、なんとなく、合いそうだと思ってね」

 

 人という人に疎まれる友人――得島星助。彼はスマホからイヤホンを引き抜いて画面を操作し、何らかの動画を再生し――俺に、その光景を見せてくれた。

 

 

 

『こんばんは~! holoXの用心棒、侍の風真いろはでござるぅ!』

 

 

 

 ――その顔を見て、その声を聞いて――うすっぺらいようにしか見えなかった画面の奥から、光の風が溢れたような気がした。

 

 眩くて、爽やかで――同時に、温かい。大切な何かを全身に思い出させるような、情報の暴風が叩きつけられた。

 

 ついさっきまで、ただの平面だった場所が世界を隔てる〝窓〟となり、刺激の波が押し寄せる。色褪せていた世界が大いなる光の波に呑まれていき、本来の鮮やかさを取り戻したようだった。

 

「……………………かざ、ま……?」

 

 ――どくん、と。

 

 初めて聞いたはずの名前を口にした瞬間……心臓が、痛むほどに力強く脈打った。

 

 心に空いていた穴が、身悶えしたくなるほどに疼きだす。居ても立ってもいられないもどかしさが、全身を駆け巡る。

 

 求めていたもののカタチが分かり、初めて自分の〝心〟の全容を掴めた。錆びついていた想いの扉がこじ開けられ、行き場を探していた感情が、どっと溢れ出す――。

 

「……え……? お、おいおい……見せたのは僕だし、たしかにこの子は可愛いと思うけど……そんなに泣くほど、一気にハマったのか……!?」

 

 ――この気持ちが、何なのかはわからなかった。けれども、自分の未熟な心では抑えられない衝動を孕んでいる――そして――友人の言っていたことが、初めて、少しだけ、ほんの少しだけ……わかったような気がしたのだった。

 

 

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