過ぎた日々は決して消えないけれど、引き摺るほどの重みは感じなくなっていた。
あんなにも泣いて苦しんで、消えてしまいたいと空を仰いで慟哭までしたのに。
日にち薬とはよく言ったものだ、傷口が盛り上がって埋もれていくように気がつけば私は立ち直っている。
愛を忘れきった訳じゃない、熱い鼓動もまだ覚えている。でもそれだけじゃ生きていけない、思い出には角砂糖一個分の栄養さえ無いのだから。
いつかもっともっと、この想いは薄れていくだろう。
陽炎のように曖昧な気配だけになり、只の過去として記憶の底へと沈んでしまえばそれで良かった。
なのにどうして、――こんな事になっているんだろう。
スポーツの世界では、先人の達成した偉業は常に破られていく。長年不動だった筈の世界記録がいつしか標準記録になり、かつての天才が人生をかけても成し遂げられなかった高難度の技も学生でさえ挑めるような技になる。そうやって過去の出来事を踏み台にして、更なる高みへと飛翔していくのが現役世代の成すべき事。
そんなのは分かりきっているけど、でも。まさかこの私が、早くも乗り越えられる側になってしまうなんて。
高一で掴んだ全国三位の座が、私の限界だとは思いたくはなかった。でもそれより上へは行けないまま、下から来る新しい天才たちに押し出されていった。気がつけば輝きは失せ、ファンクラブも自然消滅。凡人凡才として栄明を卒業する私を見送る後輩は、一人もいなかった。
まぁ、分かっていた事だ。蝶野公彦の娘で新体操の才能に恵まれた女、それが私の価値。才能を発揮できなくなれば、親の七光りで不当に偉ぶる嫌な女にしか見えないんだろうから。
とは言え、だ。高校時代は高校時代、割り切って地元を離れてしまえば人間関係はリセットされる。ビバ進学、ありがとう新しい私。
……いやまあ、そりゃね。心機一転して今までの私から脱却しようとは思ったけれど、けれどね。
なんで私は講義もロクに受けず、毎日毎日頽廃的に過ごしているんだろう。たかだか二年で、こうも変わるか。
最近は時空が歪んだのか朝起きるともう昼で、ご飯食べて身支度したら一応校舎の方へは行ってみる。まあ休講告知見に行くだけなんだけど、とりあえずそれでノルマを果たした気分になってしまうから不思議。最低限必要な単位数さえ確保しさえすれば良い、と開き直った私は現在自堕落なキャンパスライフを謳歌させていただいている。……親の金で。いやぁ名士の親がいると楽で良いねぇ、うん。
これでも最初のうちはそこそこ頑張っていた筈なのに、彼氏というものができて以来どうも変なスイッチが入ったらしい。
――大喜以外の誰かを好きになる日が来る事さえ想像出来なかった私が、よくもまあ。
「あー……、良いよ」
気だるい空気の中、寝転がったままスカートを捲り上げてお尻を晒していく。この所、部屋で下着を着ける時間は大分短くなった気がするな。勝負下着ってのも持ってはいるけど、こいつ見もしないからなぁ。そりゃ豪華なの着ければ気合いは入るけど、あっさり脱がされると費用対効果が哀しいことになるんだよね。もっと見ろよ、堪能しろよ。
彼の指がぐちゅりと私の中を掻き回し、
あの日のような、燃え上がる恋はしていない。なんとなく適当に、特に理由もなく彼氏彼女という枠組みが出来ていた。その流れでキスして抱き合って、…………初めてを捧げて。そんな歪で半端な関係、好きも嫌いも一々意識しない。曖昧でぼやけた、よくわからない状態。
もしかしたらセフレって言うものなのかもしれないな、別に良いけど。
……ん。
下半身からリズミカルに上がっていた濡れた音が不意に止むと、私の膣口が大きく拡げられるのが分かった。
全く、好きだねぇホントに。女の子の中身なんて、ジロジロ見るもんじゃないのに。男子全般がそうなのか彼だけの変態性なのかは知らないけど、使う前にこうやって観察したがるのはちょっと恥ずかしいな。
まあ、言ったって聞きゃあしないんだけどさ。ずにゅりと粘膜に熱い塊が押し当てられ、それがゴリゴリと膣壁を抉じ開けながら入ってくる。その感覚に意識を集中すると、もうどうでも良くなるし。
オナニーを覚えたのは小学生の時で、それ以来気持ちよくなると言えば擦り上げる事。中を弄くる快感を知ったのは、彼とのセックスを重ねてから。最初はただ異物の存在が気になるだけで、コンドーム越しの射精感にも戸惑うばかりだったな。
でも挿入されながらあちこち弄られるうちにセックスが好きになり、膣内をほじくられる快感も理解するようになって。今ではもう、危ない時以外はコンドームを使わない方が好きなくらい。
粘膜同士が癒着し、それが動きにあわせて無理矢理剥がされてはまた癒着し体温を交換しあう。細胞レベルの凹凸が私の膣内を徹底的に鑢がけ、一秒毎に感覚神経を作り替えてしまう。全身でセックス専用の肉穴に生まれ変わっていく、そんな背徳的な快楽を彼は私に与えてくれている。そしてそのトドメとして来るのは、全身を貫く稲妻じみた衝撃だ。
「う"、……あぁ……っ」
ドクンと胎内が弾け飛び、奥の奥目掛けて熱い奔流が叩き込まれている。溢れんばかりの精液が子宮口まで押し寄せ、熱波が生殖器官全てを焼き付くしていくのが堪らない。
きっと私は、良くない方向へと突き進んでいるんだろう。妊娠する可能性はゼロではないのにこうして膣内射精を許し、その相手からはオナホールみたいに扱われている。自分の将来とか人生とか、そういうのをすっかり投げ棄てている。
でもなあ、真面目に考えるの疲れるんだよなぁ。たかだか三年とか四年とか前は、グラム単位で身体を搾るくらいストイックだったのに。
まあ咎められるような事じゃない、オトナ同士なんだから。
「へーぇ、菖蒲結婚したんだ」
「そうそう、しかも匡くんとだよ」
あの顔会わせればケンカになってた二人がそんな事になっていたとは知らなかった、たまにはこうして旧友と語らうのも良いものだな。
なんの因果か偶然か、休日にブラブラしていてバッタリ会ったのは高校時代の親友にいなちゃん。旧姓は島崎、今は後藤だったかな。もう栄明卒業からかなり過ぎてしまって、こうして会うのは久方ぶり。
でもこうやって話していると、まるであの頃に戻ったみたいだ。お互いの立場は大分変わったけど、ね。
にいなちゃんは短大を出た後就職して職場結婚、現在二児の母。かつては栄明のスターオブスターズオブスターズと謳われたこの私は、特に何にもなれないままフラフラ非正規労働しつつ社会を漂うばかりの自由人。良い歳してモラトリアム絶賛延長中、というか一生全力モラトリアムかも。まあ生活費は自力で稼げてるし、取り立てて不満はないけど。
10年も経てば少しはオトナになってても良いんだけど、私は今日も私のまま。
「結婚かぁ、私も一回くらいしたいなー」
まあ相手がいないんだけど、とセルフツッコミしつつコーヒーを一啜り。ここ暫くは彼氏も切らしてるけど、焦る気も起きやしない。もうなんていうか、そういう相手への必要性を感じなくなりつつある。そりゃセックスは人並みに好きだけど、もう朝から晩まで依存する程の体力は無い。時々マッチングで相手を探したりはするけど、一晩限りの関係しかしていない。すっかりものぐさになって、恋をしなくなってしまったんだな私は。
そろそろ親からパセリを摘みに行かされる御年頃なのに、子供っぽさが抜けやしない。困ったもんだ、うん。
――と。私はふと、小さな事が気にかかった。もう何年も忘れていた、いや忘れようとしていた名前が思考の深淵から浮かび上がる。
「そういや、さ。大喜って今どうしてんのかな」
口にした瞬間、しまったと後悔が込み上げた。にいなちゃんは知っているんだ、私があの時大喜にフラれた事を。格好悪いな、これじゃまだ未練があるみたいじゃないか。
にいなちゃんもそれを感じたんだろう、ティースプーン片手に一瞬だが顔を強張らせた。
だけど、でも。それは本当に、刹那の時間だけ。
「あー……猪股なら変わってないわよ。相変わらずの万年新婚夫婦、あれで子供いないとか正直信じられないわねー」
笑って言うにいなちゃん、その声に動揺はすっかり見えない。
そうか、変わらないのか。それはまあ、良いことだ。
二人が付き合いだしたのは、私がフラれた三ヶ月後。二年生になる少し前だったか。そこから結婚へと持っていったのが、もう何年前になるのだろうか。友人として披露宴でのスピーチもしたし、なんなら余興で元新体操部の柔軟ぶりも魅せてやったっけ。
あんなにも好きだったし好感は変わらず残っていたけれど、心から祝福してあげられたのは覚えている。
「そっか、まだ子供いないのか。あーあ、いつか大喜の子供に「私がホントのママだよ」って言ってやりたいのに。このままじゃババァになっちゃうよ」
「……いやそれ実行したら絶対千夏さんに殴られるからね、青田刈りするくらいにしときなさいよ」
それもそれで殴られると思うけどね、さすがに元後輩が自分の子供にコナかけてきたら。て言うかこれから産まれるとしても、手を付けられる年頃までなんか待てないな。それこそおねショタどころかババショタだ。
それにしたって、私以外のみんなは真っ当に生きてるんだな。羨ましいよ、本当に。
同窓会なんて柄じゃない、と毎回スルーしてきた。それなのになんとなく「出席」に丸を付けて返信したのは、寂しさの性だろうか。
遠い記憶になった高校生活を思い返しながら挨拶を交わしあう、誰が誰だかはよくわからないけど。さすがに卒業から20年近く経って、殆どの元クラスメイトとは縁が切れて久しい。
ハッキリと個体認識出来たのは、僅かに数名程度。匡くんと菖蒲、あとにいなちゃん。それと――それと。
「……久しぶり、大喜」
あの頃誰よりも好きだった人、そして私の想いを受け止めてくれなかった人。猪股大喜、その人くらいだ。
どれくらいぶりか忘れたけれど、大喜は当時と変わらなく見える。やっぱりジャガイモみたいなヤツだし、何処か垢抜けない。多少皺が寄っているけれど、それはまあ御互い様だ。
そして左手の薬指にある銀の輪も、最後に見たときと同じように輝いていた。
「おう、雛。何年ぶりだろうな、お前全然こういうの来ないんだもん。伊藤が寂しがってたぞ」
屈託の無い笑顔もまた、変わってない。コイツはきっと、死ぬまでこうなんだろう。まったくもって、本当に――どうしたものか。
ビール片手に思うのは、今もなお胸につっかえ続けるこの気持ち。
もしあの日、泣いて逃げ出さなかったら。大喜の想いを踏みにじる覚悟で、挑み続けていたら。
心の底で澱んでいた何かが噴き出し、四肢を覆っていく。これには覚えがある、もう長いこと味わっていなかった感覚。血が凍り付いていくような、真剣勝負に臨む時のベストコンディション。
もしかしたら、失った時間を取り戻せるかもしれない。いやそこまでは行けなくても良い、ただこの燻り続ける感情を終わらせることができれば良い。
今日は千載一遇の好機だ、動くなら今しかないだろう。なにしろこの場に千夏先輩が現れる事は絶対にない、あの人は一個上なんだから。
適当な理由を付けて連れ出せば、どうとでもなる。
「あの、さ。……これ終わったら、飲み直しにいこうよ。久しぶりだし、二人でさ」
高校時代に放課後誘った時は、こんなに胸が高鳴っただろうか。……なったのだろう、多分。もう思い出せないけど、恋をしていたんだからドキドキしていたはず。
大喜は笑って了承し、交わされるのは昔のようなバカ話。でもあの頃とは違い、話題に集中することもなく私は
――お前の出番だ、It's show time.
大喜が隙だらけで迂闊なのは昔からだ、あの秋合宿の時だって菖蒲のホラ話に乗ってホイホイ着いてきたわけだし。もし当時の私が純情じゃ無かったら、あのまま押し倒して既成事実拵えてたぞ。
飲みすぎて調子が悪いフリをして狭い路地へと引きずり込み、そのままホテルへと連行されてようやく大喜は気が付いたようだ。私が何をしようとしてるのか、そしてそれを防ぐ手立てがもう無いということに。
「……同窓会で再会して、とか定番でしょ。アンタだってさ、分かってたんじゃないの?」
全く私と来たら、最低だな。この後に及んで責任逃れか、拒まなかった方にも責任はあると。
大喜は何も言わない、ただ呆然としている。別に構わないけどね、私はただ欲しくて欲しくて堪らないだけ、あの日できなかったことをしたいだけ。
シャワーも浴びないまま大喜をベッドに組み倒し、強姦するように服を剥ぎ取りにかかる。さすがに破いてしまうと不味いから、あまり手荒には出来ないけど。
そのまま下半身をさらけ出させ、溢れる雄の匂いを味わいながら私は舌を這わせていく。もう何度こうやって口で奉仕したことやら、何本加えこんだかなんて覚えていない。それでも大喜にするのは初めてだ、まあそりゃそうか。私たちの関係は、友達から先へは進めなかったのだから。
千夏先輩は、こういうことしてくれるんだろうか。初カレ初カノ同士で結婚した二人だ、仲は良いけど意外とマジメだったりしてね。
少なくとも経験数なら、先輩より私の方がずっと上のはず。頭を激しく揺すり喉の奥まで大喜を味わいつつ、そんな歪な優越感を胸に抱き出したその時。
「ぅ……あっ」
大喜の小さな呻き、そしてそれを合図として口内に熱い粘液が溢れ出す。
その勢いは凄まじく、飲み干そうにも間に合わない。たちまち私の口は精液でいっぱいになり、高まる圧力から逃れるようにブシュブシュと隙間や鼻へと逆流しては顔を汚してベッドに落ちていった。
ガクガクと腰を痙攣させる大喜は、虚な目のまま抵抗しようともしない。快感に堕ちてしまったのか、それとも呆れ果てて声もでないのか。
どっちでも構わない、私はただ大喜をモノにしたいだけ。形だけで良い、多くは望まないし望めない。
ただそれだけを胸に私はそのまま大喜に跨がり、――一気に腰を降り下ろすのだ。
偽者の浮遊感はほんの一瞬、私の身体は僅かな摩擦感を経て大喜の上に着陸を果たす。思ったよりも滑らかに入ったのは、どっちのせいだろう。私が緩いのか大喜が頼りないのか。それもまた、どうでも良いけど。
お腹の奥に感じる張り積めた熱塊をこね潰すように動き出すと、やっぱりご無沙汰だからかあちこちが軋んでパキポキ言う。なんてムードのない身体だろうか、すっかり衰えてしまったな。もっと若いうちに、もう少し美しいうちにこうしたかった。一番綺麗だった私を、知ってほしかった。
無意味な感傷はでも、こんこんと沸き上がる快楽に塗り潰され消えてしまう。
気が付けば私は目の前さえ見えなくなり、何年かぶりのセックスに溺れていく。なんだ、そうか。私はただの欲求不満で、誰でもよかったんだ。そうでなければこんな風に、大喜の心を蔑ろにして一人で楽しんだりするものか。それに大喜を愛していたから忘れられなかったんじゃない、手に入らなかったから記憶にこびりついているだけ。
嘘ばかりだな、私の人生は。
ああ、でもそれさえどうでも良い。今こうして腰を振っているのが気持ちいい、それでもう構わない。
どうせ一夜限りのこと、思いきり狂ってしまえ。
獣の喘ぎを垂れ流しながらも止まらない、止まれない。
いつ果てるともなく、ただ貪るだけの夜はそうして過ぎていった。
一体どれほどの時間をあそこで過ごしたのか、フラフラになりながら這い出した外の空はもう朝焼けに染まっている。その茜射す光の中で一人、私は思い描いていた。遥か遠い追憶の底に沈めていた、あの夏の日を。
昼下がりの陽光が眩しい公園で、ただただ蛮勇を振りかざし溢れる想いを剥き出しにして。若さと勢いだけを武器に、私は愛を叩きつけた。その記憶に任せて、あの時の行動をなぞる私。
でも今は、何もかもが正反対だ。
私はもう若くない、純粋でもない。そもそも大喜への気持ちだって、とうに変わり果てていた。前も上も見られなくなり、うつむくだけの私には過去しか無い。あの自信に満ち輝いていた栄光の私は、何処にもいなくなった。
大喜だって、昔のままじゃない。きっと私が知らない、知ることもない変化を遂げている。
それでも変わらないのはきっと、ひとつだろう。
若き日の私にとっても大年増に成り果てた私にとっても、致命傷にしかなり得ない部分だけ。
それこそが――大喜の口にした答えだった。
結婚してもう何年になるんだろう、世の中では倦怠期通り越して嫌悪期に入っていて当然。でもこの男は、片想いしてた時と全く同じ熱量で愛を語れる。歪むこともブレることも無い、真っ直ぐな恋をし続けている。
馬鹿も極めれば、こうなるんだな。
早朝の街に取り残された私は、涙の一滴も溢すこと無く呆けたまま立ち尽くして――今さらながら込み上げてきた後悔を噛み潰す。
欲しかったのは、大喜の身体じゃない。言葉よりも甘いキスを、見つめて呼び会えるような小さな喜びを、ただ感じたかったのに。誰でも良いから、愛してほしかったのに。
ああ、私はどうしてこうなんだろう。
もしもやり直せたら。
もしもあの日に戻れたら。
もう何もかも、終わってしまっているのだけれど。