時間軸は秋の頃、文化祭の前です。
ほんの一月、その程度だから。学校でいつでも会えるから、と言ったその背中は少しだけ寂しそうにも見えた。
看病というよりも諸々の手続きやら卒業後の進路の話の為、千夏先輩は少しの間猪股家を離れたのだ。それは仕方がない事だし、考えてみれば当然だろう。なんと言っても、血を分けた家族が大変な時なのだから。
千夏先輩のお母さんにしても猪股家に負担をかけないよう、自分が日本にいる間は娘を側に置こうとするのは間違ってない。先輩自身も、久しぶりに肉親に甘えられるんだし。それにこういう機会に進路の相談もしたいだろう。卒業まで一年半もない、どころか年内に進路を決めないといけないはずだ。三年になってからじゃ遅すぎる、……多分。
だから、そう。今俺が感じている切なさは、それこそよくない事なんだ。
わかってはいるけど、いるけど……納得はしたくない。
主を失った部屋の床で大の字になり、俺は天井を見上げている。
勿論先輩の私物に触れたりはしない、ただ床に転がっているだけだ。
――千夏先輩に、会いたい。近くにいたい。何でもない話をして、笑いあいたい。
たかが一週間で、俺は随分と弱ってしまった。朝練で顔は合わせるけど話をするような雰囲気にはならないし、後はすれ違う程度。元々学年も部活も、委員会も何もかも違うんだ。同居がなければ、俺たちはずっと接点なんか無いままだった。
「……っ」
頭のなかで響いた声を叩き潰そうと、顔に掌底を打ち込む俺。当然痛い、顔も手も。なにやってんだ、一体。
それでもバカをやったせいか、思考が一つ纏まってくれたようだ。
「遊びに行こうかな……」
明日は日曜、私立の我が栄明中学高等学校も休日だ。土曜日は授業も部活もあるし、日曜日にしたって練習日になっていたりすることもある。でも明日に関しては、少なくとも体育館を使うとは部活は全休の予定。なんか補修工事だがなんだかがあるらしい。
別に縁を切った訳じゃない、休みに学校の先輩んちへ遊びに行ったっておかしくはない。
そうだ、そうしよう。
一応連絡しようかな、と思うけれどその手は止まってしまう。事前に言うと、やっぱりお母さんに気を遣ってやんわり断るかもしれないし。行ってダメならそれで良いけど、今の時点で拒否されたらへこむから。
俺はこういう所がダメなんだろうな、まあ怒られたらその時だ。
マンスリーマンション、というのは俺が生まれるずっと前にも流行ったらしい。母さんが俺くらいの頃かな。で、今またブームなんだとか。変わったものが流行るもんだ、うん。
とりあえず失礼にならないように、少し遅めの昼下がり。一応手土産なんか持って、俺は先輩たちがいるハズのマンスリーマンションを訪ねている。
荷物運びで一度行きはしたけど、集合住宅って慣れないから苦手だ。そう言えば先輩の元の家ってどうなったんだろう、そこに住まないってことは手放したのかな。ま、良いけど。
「はい鹿野で……、あら大喜くん」
出迎えてくれた先輩のお母さんは、意外そうな顔。そりゃそうだよな、わざわざ来るとは思わないだろう。
さて、こういう時は何て言うんだろう。ご無沙汰してます、はおかしいか。こないだ会ったばかりだし。
「こんにちわ、おば……」
とまで言いかけた所で、ペチリと額を叩かれてしまった。
「やあね、春架って呼んで。次おばさんって言ったら、ひっぱたいて由紀子に言いつけるわよ?」
顔は笑っているけど、僅かに怒気が滲んでいるおば……春架さん。先輩が怒ったときとそっくりだ、やっぱり母娘なんだな。あと母さんには言わないでください、殴られます。
とりあえず手土産を渡して御機嫌を取ろうとした俺を、春架さんは快く部屋に上げてくれた。
……が。
「ごめんなさいね、今あの子留守なのよ」
ちょっとだけ申し訳なさ無さそうな、でも俺の真意を見透かしたような顔で春架さんはそう言った。
留守。……そうか、まあそうだよな。千夏先輩には千夏先輩の人間関係があって、それで何処か行ったりはするよな。
やっぱり事前に聞くべきだったな、どうしよう。せっかく来たのに。
先輩のお母さんと二人きり、は気まずい。いや先輩と二人きりでも気まずいけどさ。
そんな様子を観察するように、春架さんは俺の顔を覗き込んでいる。……どういうわけか、隣に腰かけて。
向かい側ならまだしも、なんだこれ。気まずい気まずい。
「んー……大喜くん、顔はおとうさん似ね。中身は由紀子そっくりだけど」
う。そう見えますか。まああの人見てると確かに「俺ってこの人の子供だな」って思うけど。
「そんな、似てます? 母さんに」
「ええ。考え過ぎて纏まらなくなって、とりあえずって事で動いて失敗するタイプでしょ? 由紀子もそうだったわ、懐かしい」
うう。本当の事だけど、笑顔で言わないで欲しい。バカは考えた末最悪の選択をする、って匡にもこないだ言われたし。
――そうだ。千夏先輩は、俺の事を話したりしてるんだろうか。俺をどう思ってるとか、聞いてたりするのかな。
知りたいけど、でもそれは憚られる。
と言うか、怖い。俺はずっと、怖いんだ。先輩は俺を好きなわけじゃない、それを直視したくない。だから逃げ続けてる。
「それと、もう一つ似てるところがあるわ。……大喜くん、奥手でしょ」
「ふぇっ!? あ、いやそのっ」
突然飛んできたキラーパスは顔面直撃、あやうく湯飲みを落としそうになってしまう。
まあ、そりゃうん。でもなんで知ってるんだ、まさかそれこそ先輩がそう話したりしたのか。いやでも千夏先輩は俺の気持ちなんか知らない、――筈だ。
動揺は鎮まらないのに、春架さんは笑って話を続けてくる。
「――千夏とはまだ、セックスしてないんでしょう? せっかく同居してるのに。いっそ襲っちゃいなさいよ」
「ぇ、……!?」
二発目の痛打を食らい、意識が一瞬揺らいでしまった。この人は今、何を言った。まさか、そんな。そんな、雑談で触れて良い話じゃない筈だ。それは愛し合わなければ、お互いを尊く思い合わなければ、絶対にしてはいけない行為。
それをこんなに軽く、ぶつけてくるなんて。
この人は、なんなんだ。
「由紀子も顔の印刷は良いのに、その辺がね。私が背中押さなかったら、大喜くん産まれてないわよ?」
「えぁ、そう、ですか……っ」
親のそういう話は聞きたくない、それ以上に危険すぎる。でも話を遮れるような事は思い付かない。
でもこれは、良くない。どうにかしないといけないのに、何も出来ない俺がいる。
どうせ千夏先輩はいないんだ、適当な理由つけて帰ってしまえば良い。なのに動けないのは、心のダメージだけが原因じゃない。さっきから春架さんが、俺の太股を押さえ付けているから。
なにかが、おかしい。この状況は、何処かが狂っている。
「あ、……のっ、俺――」
強引にでも立ち上がろうとしたその瞬間、
分からない、何もかも。ただ、怖い。この人は、怖いんだ。先輩にそっくりな顔で、でも――怖い。
這ってでも逃げ出そうとしたのは、更に悪手だった。ちょっと考えれば分かるじゃないか、背中を向ける危険性なんて。
そのせいで腰を捕まれ、下を剥ぎ取られて。俺はあられもない姿で、仰向けに転されているのだから。
「若い子なんて、久しぶりだわぁ……」
舌なめずりをする春架さんに見下ろされ、まるで肉食獣に捕まった獲物のように俺は震えるしかない。
そう、俺は恐怖している。なのに、
知識はある、自分でもする。万が一先輩に気付かれたりしたら、とビクビクしながら部屋でしているから。想像してはいけないと思いながら、でもその姿を思い浮かべて。もしこれが自分の手でなく、先輩のだったら。先輩に、して貰えたら。何度も何度も、思ってしまった。射精して罪悪感に項垂れて、二度としないと誓うけど、それは数日と続かない。
それをどれほど、繰り返してたんだろう。千夏先輩が好きで、好きだからこそ胸が痛くなる。
今俺に触れようとしているのは、先輩じゃない。でも先輩にそっくりで、だからこそ重ねてしまう。妄想を叶えてくれる、そんな思いを抱いてしまう。胸の高鳴りが、腹が立つくらいに治まらない。
でも、そんな淡い思いは――すぐに消し飛んだ。
「ぅあ、ぁ……あぁっ!?」
春架さんの濡れた指が、俺の先を掻き毟るように愛撫しだしたのだ。二本の手が複雑に動き、執拗に先端だけを激しく責めてくる。
すぐ涙のように粘液が溢れだし、滑りを帯びた指先は止まらない。
圧倒的な快感の波が、絶える事無く押し寄せてくる。意識は塗り潰され、目の前は白く染まっていく。
なのに、なのに――!
「出、な……!?」
恐ろしいほど感じているのに、射精感が全く来てくれない。ただ気持ちいいだけで、頂点から降りられない。
射精したい、それなのに出来ない。快感で蹂躙されていく頭、それでもどうにかその理由を俺は見つけ出した。
春架さんの手は常に先端だけを弄り続けて、一切幹には触れてくれない。だから、辿り着けない。
自分で触れようにも、伸ばした手は春架さんの手によってはね除けられてしまう。
「だーめ。我慢できないと、千夏に嫌われるわよ?」
楽しそうに微笑む春架さん、その手が近くにあった布を掴んで、そのまま――
「あ、ぁあーーぁー!! だ、やめ、し……!!」
指がはい回るだけで壊れそうだった、それなのに。想像も出来ない程の凄まじい刺激が、意識を揺るがして尚。あまりに気持ちよすぎて、気絶さえ出来ない。射精出来ないまま、身体の中に快感が注ぎ込まれ逃げ場を失っていく。
出口のない、地獄のような快楽。
恐怖も罪悪感も、頭からすっかりと消えて無くなっている。残っているのは、この地獄から抜け出したいという思いだけ。
涙で歪む切れ切れの視界、動かない口。それでも死力を振り絞り、俺が春架さんに懇願しようとしたその時。
「あら、……。ちょーっと良い子で待ってなさいね」
春架さんの手が俺から離れ、スマホを取るのが僅かに見えた。とは言え解放はしてくれない、片手でスマホを弄りつつもう片手で俺の先端を弄びだしたから。それでも責めが緩んだこの瞬間が好機だ、と身体に鞭打とうとした俺は、でも。春架さんの一言で、固まってしまう。
「あ、千夏? どうかしたの?」
ドクン、と心臓が大きく脈打つのが分かった。春架さんは今、千夏先輩と話している。それを認識した瞬間、俺は全力で口をつぐんだ。もし、声を出してしまったら。あんな声を、聞かれてしまったら。
心の中に忘れたはずの恐怖が燃え上がり、身体を内側から焼いていくのが分かる。
ああ、それなのに。
俺は、この状況に――興奮している。
「え? あぁ、今ね。大喜くん、来てるわよ?」
チロリと舌を見せ、悪戯っぽい笑顔でそう言う春架さん。その仕草は艶っぽくて恐ろしくて、でも目が離せない。
聞かれる。気付かれる。その瞬間が近づいているのに、逃げられない。
ほら大喜くん、とスマホを俺の顔に向けながら。春架さんは、俺を責める手を加速させていく。
『あー大喜くん、ごめんねー来てくれたのに。渚たちがあんまり誘うもんだからさー』
鈴の音みたいなその声と、下半身の快感が頭の奥で混ざり合う。千夏先輩に責められているような、そんな罰当たりな快感が止まらない。
『今日ちょっと遅くなりそうなんだよね、ほんとゴメン。明日は学校で逢うしさ、なんか用事あったんならその時お願いね』
「は、……いぃ!?」
返事をするその刹那、手の動きが大きく変わり、俺は思わず声を漏らしてしまう。春架さんは今まで決して触れてくれなかった幹を鷲掴みにし、激しくしごき始めたのだ。
『え、大喜くんどうかした? えー……大丈夫? だよね?』
心配げな声にどうにか小さく返すも、身体はそんな余裕がない。もう数分、下手をすればもっと早く。先輩に聞かれながら、射精してしまう。
散々お預けを食ったせいか、既に我慢する力は持っていない。
春架さんがスマホを自分に引き寄せ、千夏先輩に何か話している、その最中に俺は――。
「……! ……っ、……ぁ……」
声を殺し、射精していた。
尿道を駆け抜けていく精液が、止めどなく吹き上がる。
腰から下が全て溶け落ちたように、感覚が失せていく。
ガクガクと震える俺を、春架さんは楽しそうに抱き締めてそして。
「じゃ、千夏。また後でね」
俺の目の前で、通話を終えた。
捕食者の笑みを浮かべて尚、春架さんはあまりにも千夏先輩に似すぎている。
逃げ出せない、
隠すものを失った下半身同士が近づいていく事に、俺は期待している。
これは罪悪感に駆られながら、何度も頭の奥に思い浮かべた事だと。千夏先輩に翻弄され、組み敷かれ、そして――食われる。奪われる。それを、求めてしまっているんだ。
クチュリと音を立て、春架さんの「入り口」が俺の先端に触れた。さっき擦り付けられた布とは比べ物にならない、熱く濡れた肉が。
「千夏には悪いけど、……いただいちゃうわね……!」
両手で握り締められるような圧力が、どんどんと降りてくる。先から幹へ、そして根本までもが押し潰されていく。いや潰すだけじゃない、うねって絡み付き、あらゆる角度から責め込んでくるのがハッキリと分かった。
今まで味わったどんな快感とも、それこそさっき受けた地獄のような快感とも違う、熱く蕩ける凄まじい快感。
女の人の中にいる、というのがこんなにも圧倒的だなんて。こんなのは、知らない。理解さえ、出来ない。
ただ一つ分かるのは、これが気持ちいいという事だけだ。
「う"ぁー……あぁ…………っ」
その快感に流されたまま、身体が決壊していく。壊れた蛇口のように精液がただ溢れていく、止まらない。
「ん、出てる出てる……。良い子で気持ちよくなれたね、偉い偉い」
子供をあやすような声が、遠くなっていく。このまま気を失いそうだ、でも離れたくない。
なのに残った精液を搾り取るように肉が蠢き、意識毎吸い上げていってしまう。
「千夏先輩……千夏、先輩ぃ……」
視界に写るその姿、大好きな人の名を呼びながら。俺は――。
気が付くと、俺はソファに横たわっていた。何が起きてどうなったのか、何も分からないまま。
「あ、起きた。大喜くん、大丈夫?」
その声に一瞬ビクンと身体を硬直させ、恐る恐る振り向いたその先には。
「千夏、先輩……」
春架さんではなく、千夏先輩の顔があった。
まずい、と咄嗟に身体を手で隠そうとして俺は気付く。いつのまにか、服が着直されている事に。春架さんがちゃんと後始末してくれたのか、汗の痕跡すら感じない。
「もう帰ったかと思ってたんだけど、まさかここで寝てるなんて思わなかったよ。お母さんも言ってよ、そしたら大喜くんの分も食材買ってきたのに」
エプロン姿で包丁片手に笑うその仕草は、とても可愛らしくて。まるでさっきの光景が、良くない夢だったかのように思えてしまう。
そうだと思いたい、そうであってほしい。
春架さんはあれから何を言うでもなく、先輩も何を聞くでなく。俺は家に一応電話してから、夕飯をご馳走になった。母さんにはボヤかれたけど、春架さんが説明してくれて一安心だ。……ただ「大喜くん、私をおばさんって言ったのよー」と、思いっきりバラされたけど。
そして。
「じゃ、送ってくよ。なんか心配だしさ」
そう言ってくれた千夏先輩と二人、夜道を歩くことになった。
あの光景が目の前をチラつき、心臓に悪いけど。でもこうやって二人になれて、喜んでいる俺がいる。
そう言えばあの日もこうだったな、こうやって一緒に夜道を歩くの。近付くのはよくないことだから、と線を引かれたあの時から、俺は相変わらずだ。
街灯も無い暗い道は、確かに一人で歩くのは心配かもしれない。でも先輩、ここをまた帰るんだよな。……良いのかなぁ。
「ね、大喜くんさ」
ふと立ち止まった千夏先輩に、何か変な予感がした。あの日もこうだった、そんな気がする。
胸騒ぎを必死で隠しながら隣に立った俺を見据えて、千夏先輩はこう言った。
「お母さんと、何してたの?」
短くそして、強い言葉。俺を揺さぶって、余り有る。
言葉に詰まる俺に、千夏先輩が更に続けてくる。
「人の家であんなに深く寝ちゃうって、よっぽど疲れてたんだね。部活は今一段落した筈なのに、さ。お母さんと、
心臓は早鐘を打ち、口が渇いていく。
何を言えば良いか分からない、どうすれば良いか分からない。
黙ったまま、それが事態を悪化させると分かっていてもどうにも出来ない。
「……さっき起きた時の大喜くんさ、お母さんの匂いがしたよ。まるで、くっついてたみたいに。おかしいよね、何でだろうねえ……」
視線はまるで刃物のように、俺を解体していく。
そして全てが、見透かされていく。
「ふー……ん。そっか、そういう事なのか。ちょっと、――
読み取られている。表情から、沈黙から、全てを読み取られている。
俺の心の奥底まで、見透かして。千夏先輩は、冷たく笑っているのだ。
どうするべきか、どう言うべきか。頭は全く回らないまま、暗がりの中で沈黙だけが続いていく。
そして気まずい沈黙は、それを上回る悪意的な言葉に切り破られてしまう。
「ま、良いんだけどね。
宜しくやっててくれれば良いよ、と笑って歩き出そうとする千夏先輩。その背中に、俺は。
「違い、ます……。あれは、あれは……!」
俺の意思じゃない、と言いたい。でも、言えない。俺は、あの状況を楽しんでいたから。逃げ出そうともしなかったから。夢が叶った、とさえ思っていたかもしれない。
でも、でも。でも――。
「俺が好きなのは、千夏先輩です……! だから、俺は……!」
「ふーん、そう。じゃあ、私が好きなのにお母さんとセックスしたんだ。大喜くんって、スゴい浮気者なんだねぇ……?」
ゾワリと背筋が粟立ち、一瞬の間に後悔が襲ってくる。しまった、それは最悪の悪手じゃないか。
本当に千夏先輩が好きなら、拒めた筈だ。でも俺は春架さんに千夏先輩を重ねて、思ってしまった。「千夏先輩に犯されている」と。そうなってしまうことを、どこかで悦んではいなかったか。
気付かない内に歯の音が合わなくなり、膝が震えだしている。怖い、怖い、怖い――!
恐怖に支配されていく心は、でも。その元凶が放った一言に、解放される。
「大丈夫だよ、大喜くん。私は怒ってないからね」
震える俺を抱き締め、頭を撫でて。ちょっと言い方が悪かったね、と微笑んだ先輩。
「大喜くんは、私に嘘なんか吐かないもんね。どうせお母さんが余計なことしたんでしょ、あの人いっつもああだからさ」
……いっつも、ってしょっちゅう男連れ込んでるのか。先輩はそれを知っているから、怒らないのか。
でもそれは、それは。……あまりにも、歪過ぎる。そしてそれは、小さな影を連れてきてしまう事だ。あの人の娘、千夏先輩もつまり……。
考えてはいけない事ばかりが頭の中を巡っていく、そしてそれを察したかのように千夏先輩が小さく呟く。
「私が好きって言ったよね。じゃあさ、今ここで私と、……出来るかな?」
路地裏の暗がりで、先輩の前で。俺は下半身を露出している。誰か通りかかれば警察沙汰だし、そうでなくても酷い事だ。一番汚い場所を、一番大好きな人に突き付けているんだから。
そしてその目の前、闇の中にも浮かび上がるのは白く滑らかなお尻。壁に手をついて俺を待つ、先輩のお尻。
「んー、ソロ以外で使ったこと無いからなぁ……。お母さんみたいには行かないよ、多分ね」
自分のその、オンナノコを指先で弄りながら言うその顔は、暗くて見えないけれど。声は上ずっていて。
……ここから先は、俺の意思ですること。春架さんの前に転がってたのとは違う、全て
でもここで引いたら、先輩を今度こそ怒らせる。俺が、終わってしまう。
「お邪魔しま、す……」
春架さんのは薄く口を開けていたようだったし、そもそも上から覆い被さって来た。自分から腰を動かして閉じられた肉の間に埋まっていく感覚は、さっきとは大きく違う。違うけど、背筋のざわめきが治まらない。千夏先輩の内側へと入っていく、その異常さに興奮が込み上げてくる。
何もかも、異常だ。あの部屋へ入った瞬間から、全てがおかしい。
おかしいけど、でも。もう、良いや。
「ふ……ぅぁ……っ、ちょっと苦しいか、な……?」
ゆっくりゆっくり、おっかなびっくり先へと進めていく。
千夏先輩の甘い吐息と、肉が擦れる音。そして伝わってくる快感が、頭を塗り潰す。おかしいなら、それで良い。俺もおかしくなってしまえば良い。
とすんと何かに突き当たったその時、千夏先輩の身体が大きく揺れた。……ここが、行き止まり。先輩の、一番奥。でも許されるなら、もっと奥へと進みたい。子宮の中まで、この人を知りたい。
春架さんには感じなかった思いが俺の芯を貫いて、ようやく分かった。やっぱり俺が好きなのは、この人だ。どんなに似ていても、春架さんじゃないんだ。
「千夏、先輩……!」
僅かに腰を引いては叩き付け、ぱちゅんぱちゅんと卑猥な音を立てながら。まるで恋人同士のように、貪り続ける。
暗闇の中では、何も見えはしない。それでも繋がっているこの人を、愛している。
「ね、え……。お母さんと、どう、違う、かな……?」
切れ切れの声に答えようとするけれど、思考は纏まらない。絡み付く感じはあまりしないけど、圧力と熱は更に強い。千切れそうな程に締め上げてくる灼けた肉の暴力が、語彙まで奪ってしまう。
それでも、それでも。
「千夏先、輩が、気持ちい……い、ですっ!!」
細かい返事なんか出来ない程に脳が沸騰して、自分の一言に目の前が真っ赤に染まる。
それ以外の全てが、遠く消え失せて。
ガクガクと腰を揺らしながら、射精が始まった。
記憶も人格も、流れ出ていくような。人生の全てを捧げているような。次元の違う、濁流にも似た射精感。
春架さんに搾り取られて残り少ない筈なのに、精液が止まらない。このまま死んだとしても本望だ、そう思えるくらいに。
暗い路地裏で、先輩に倒れ掛かりながら。俺は生命の限り、射精を続けていた。
この世の事とは思えない、あの時間から数週間。千夏先輩のおじいさんは無事に手術を終えて、春架さんは再び日本を立った。そしてもちろん千夏先輩は、猪股家へと戻ってきてくれたのだ。
俺たちの間柄は、大して変わらなかった。あの日の事はどちらも口にしない、気まずすぎるから。まあいつぞやのようなわだかまりも残らず、お互い仲良くなりつつあるけど。
変わったのは、むしろ雛との関係か。あの後俺は、ちゃんと返事をしたのだ。千夏先輩が好きなのはずっと言っていたけど、結局返事してなかったし。
……傷付けたくはなかったけど、それでもこのまま曖昧にはしておけない。お互いのために、良くないから。雛は少しだけ泣いて、俺をぶん殴って。それから「いつか後悔させてあげるから、待ってなさい」と笑ってくれた。
俺たちは友達に戻って、そして月日は流れて。先輩のウインターカップも終わり、年が明けた頃。
先輩に呼ばれ、俺はそっちの部屋へと久しぶりに入ることとなった。……うんまあ、前勝手に入ったことはちゃんと謝った。それ以来入ってないけど、なんだか空気が違う気がする。
「さっきお母さんから連絡あって、さ」
その言葉に、僅かだけれど身体が強張ってしまう。意識しない、と決めたのに。
「えーと、ね。……私、六月の末辺りにお姉ちゃんになるみたい」
お姉ちゃんに。なる。それは、つまり――?
「おめでとう、ございます……?」
先輩に弟か妹が出来た、という事か。まあ、無くはない話だろう。うちだって無いとは伊江ない、いやあんまり有って欲しくないけど。生々しくてキツイ。
しかし、だ。何故鹿野家のプライベートな話を、わざわざ呼びつけてまで。
そこまで考えて、ようやく俺は一つの
「でね、私も言っておいたよ。お母さん、それと同じ時期にお祖母ちゃんになるよ、って」
大問題に行き当たった俺の頭を、別角度から飛んできた大問題がぶっ叩く。
千夏先輩は一人っ子、春架さんに孫が出来るとしたら先輩が産むケースしかない。同じ日に起きた、あの事で
「で、大喜くん。――どうするのかな?」
ニヤニヤと邪悪に笑う、大好きな人を前にして。
俺は頭を抱えることも出来ないまま、立ち尽くしていた。
歪な夢は、終わらない。