一体どうしたものか……。俺は頭を抱えていた。
涙と鼻水で歪んだ顔をより一層歪ませてしまった井出が俺を訪ねて来た。パンツ一丁の友人を放っておくこともできず、家に招き入れてしまったのだ。
とりあえず雨でびしょびしょになっていたので風呂に放り込んでいる。シャワーの音と混じって聞こえてくる嗚咽はできるだけ無視をした。
状況については井出が風呂から出てから聞くとして、問題はこっちの方だった。
リビングでは帰ってきた俺と琴音、待っていた彩音が揃っている。琴音は着替えもせず制服のままだ。琴音までメイド服に着替えたら言い訳のしようがないだろう。
幸いだったのが、井出が錯乱気味になっていたからか彩音と琴音にまったく気づかなかった。井出が騒いでいたおかげで、琴音はタイミングを外して家に入れたし、彩音は井出が訪れたのを気づいていたので息をひそめていたようだ。
「えっと……私達は隠れていましょうか?」
彩音の提案はもっともだ。元々他の奴に彩音と琴音をメイドにしているなんて知られるなんて予定になかったのだ。
知らない人に知られても「そんなプレイをしているのか」程度かもしれないが、学校の奴等だとそうはいかない。
井出は友人ではあるが、それに関しては完全に信用をしているわけでもない。もし井出がぽろりと口を滑らせればそれはたちまち学園中に広まってしまうだろう。
しかも学園一の美少女姉妹だ。うわさが広まれば変な行動を起こす奴が出てきてもおかしくない。どこに悪い奴がいるかわからないからな(ブーメラン)。
それだけは避けなければ。二人には一階の空き部屋になっているところで隠れてもらうことにした。そこそこ家が広くてよかったぜ。
できるだけ安全マージンを確保しておきたい。俺は携帯を引っ掴むと電話をかける。
「もしもし。堂本さんですか」
※ ※ ※
風呂から出た井出を俺の部屋に通した。何度か遊びに来たことのある井出だが、俺の部屋にしか入れたことがなかったのだ。一階にいられるよりは二階の俺の部屋にいられる方が安心だ。
「で? 一体何があったんだ?」
さすがにパンツ一丁のままにするわけにもいかないので俺の服を貸してやっている。彩音なんかは俺のワイシャツを今でも使っているんだけど、こいつが俺の服を着ているとなんだか微妙な気分になるな。
「う……ぐ……ゆ、祐二ぃ」
「泣くな気持ち悪い」
女の涙は綺麗と思えても、男の涙は情けないだけである。眼鏡越しの瞳がうるうると潤んでいて思わず殴りたくなった。
とはいえ、これでも俺にとっては数少ない友人である。井出だってそう思ったからこそ俺を頼って来たのだろう。精神を落ち着けると耳を傾ける体勢になる。
嗚咽交じりの井出はなかなか実のある言葉を発さなかった。それでも根気強く待ってやる。彩音と琴音に精力を発散させてもらってなければこのまどろっこしさにキレてしまったかもしれない。
まだかなまだかなー、とそろそろイライラしそうになったところで、ようやく井出からまともな言葉がきた。
「僕……まゆたんといっしょにいたんだ」
「真有ちゃんと何かあったってことか?」
最近は井出に真有ちゃんという彼女ができたということもあって関わりが薄くなっていた。たまにのろけを口にするだけで俺はそのほとんどをスルーしていた。
二人に何があったのか予想すら立てられない。話を聞くことしか今の俺にできそうなことは見つけられなかった。
「まゆたんの部屋で……僕達はセックスをしていたんだ」
「……」
赤裸々な告白にどうしろというのだろう。ここは沈黙が吉なり。
「まゆたんのオマンコに挿入していた時だったんだ。急にドアが開いて知らない男が入ってきたんだよ……」
「……」
井出が説明しなくていいとこまで口にするもんだから反応するのを忘れてしまった。知らない男? 井出の格好を考えるとすごく嫌な予感がする。
「そいつがいきなり僕を殴ったんだ。僕をまゆたんから引き離すと……こ、殺すって言われて……」
ずずーっと鼻水がすすられる。よくよく井出の顔を確認すると左の頬にアザがあった。青黒く変色しており痛そうだ。
「それで逃げ出してきたのか」
「……うん。パンツだけしか履く暇がなくて。しかもそいつには仲間がいたみたいでさ。途中まで追いかけられちゃって……。無我夢中になって祐二のところに来ちゃった」
来ちゃったじゃねえよ! 全然可愛くねえんだよ!
それでもそんな騒動になっていたらちょっとした事件になるんじゃないか? まあ時間帯は遅いし雨もけっこう降っていたから外出している人は少ないのだろう。目撃者は少ないのかもしれない。
「だからあんな格好でうちに来てたのか。で、俺にどうしろと?」
「かくまってほしいなって。後はまゆたんのことをどうすればいいのかわからなくて相談したい」
「かくまうったってずっとは無理だぞ。それに真有ちゃんのことってそれこそ俺にどうしろっていうんだよ」
「乱入してきた男の正体が知りたい」
「知りたいったって知らねえよ。あれじゃねえか? 真有ちゃんの元カレとか」
「まゆたんの初めての男は僕だよ!!」
「お、おう」
井出のあまりの迫力に後ずさってしまった。変形させられた顔面がドアップになってさらに逃げようと身体をのけ反らせる。
戸倉坂真有は淫乱ではあったけど、あの屋上でのセックスが初めてだった。あれだけ淫乱な娘なら彼氏が出来たらすぐにヤッちゃってんだろうな。井出が初めての相手である以上、その男が元カレというのはないんだろう。
「ああっ、冷静に考えたらまゆたんが危ないんじゃないのか? あの男に何かされてるかも。早くなんとかしなきゃ!」
「でも仲間がいるんだろ? 戦闘力ゼロのお前が戻ったところで返り討ちだぞ」
「うぐぐっ。ど、どうしよう」
正直俺には関係ねえな。早く帰ってほしい。だけどこの雰囲気じゃ難しそうだ。
とはいえ俺の手には余る。俺が出しゃばったところで事態が好転するとは思えない。どうにかそこんとこわかってもらえないだろうか。
つまりは三角関係ってことなのかな。傍から見る分には面白そうだ。
井出と真有ちゃんと、その謎の男。うん、がんばってくれたまえ。
こっちはこっちで三角関係を楽しみたいんだよ。藤咲姉妹を交互に味わうだけだけどな。いやあ、しがらみのない三角関係って最高だな。意味合いが全然違うけど。
さて、この状況をどうしたものかと考える。考えてる最中って周りの音が気になるよな。なんか外がブォンブォンって煩いし。バイクでも吹かしているような音だ。
イラついてカーテンを開けて外を確認する。文句を言う度胸はないのだが、犯人がいたら親指を下に向けてやろうかという気はあったのだ。もちろん見られないようにだが。
だがしかし、その気がしぼんでしまったのは仕方のないことだった。
「ん? 祐二どうかしたか」
カーテンを開けた状態で固まる俺を疑問に思ったのだろう。井出が近づいてきた。外を見ると同じく固まった。
俺と琴音が帰る頃には小雨になっていた雨が上がっている。しんと静まる暗闇の中で、人工的な光がとても目立っていた。
人数を数えるのがバカらしくなる。電灯やバイクの光で照らされる人々。それらが俺の家の門の前に密集していた。
ちらほら見える奴等は誰もが人相が悪く、頭が悪そうな格好をしていた。なんというか……特攻服? なんか暴走族のみなさんって感じなんですけど。
え、何これ? どこの集会なんだよ。あまりの光景に十数秒ほど固まってしまっていた。
「あ、あいつら……ここまで追ってきたんだ」
追ってきた? 井出の不穏な言葉に、気づけば胸ぐらを掴んでいた。
「どういうことだ!?」
「わっ、お、落ち着いてくれ……っ」
これが落ち着いていられるか! 明らかに怖い人達が家の前にいるんだぞ。背中から嫌な汗がとめどなく流れる。
井出の首が絞まっているようなので振り払うように手を離す。冷静になったわけではないが、今は話を聞かなければ始まらない。
咳き込みながら井出は答えた。それは俺にとってはとばっちりもいいところで、最悪の事態だった。
「あ、あいつらなんだ。まゆたんの家に来た奴等。僕がここに逃げ込んだことを知って集まったんだと思う」
「……」
言葉もないとはこのことか。軽く言ってるようだけど事態は全然軽くねえんだよ。
つーかお前が連れて来たのかよっ! これってやばいんじゃないの? けっこうピンチな気がするんだけど!
「!?」
怒声が響いた、気がした。それは外からだった、気がする。
恐る恐る窓を覗いてみた。井出も同じく顔を近づける。
「ヒッ!?」
引き攣った声はどちらのものだったのか。いや、同時に発していたのだろう。正直に言ってびびってしまったのだ。
だって外の不良共と目が合ってしまったのだから。いくつもの目が一斉にこちらを向いていたのだ。びびるに決まっている。
外の怒声が激しくなる。咄嗟にカーテンを閉めたのだが、嫌でも声が耳に届いてしまう。耳を塞ぎたくなる衝動にかられるが、そうしたところで状況が変わるわけもない。
「ひぃーっ、ヒィィィィ」
いつの間にか井出は布団にくるまって震えていた。俺は自分を守るものがなく立ち尽くしてしまう。いや、布団で覆ったところで何も守れやしないのだ。ただ安心感が欲しかった。
「け、警察を……」
ガクガクと手が震える。ようやっとスマホをポケットから取り出してはっとする。
もし彩音と琴音のことが世間に知れたらどうなる? 彼女達を買いましたなんて言うつもりか?
バカか。そんなことができるはずがない。あいつらを追い払えたとしても、俺の生活がめちゃくちゃになってしまう。
だからといって放置することも考えられない。常識のない連中ならいつ家に乗りこんでくるかわかったもんじゃない。それこそ彩音と琴音がどうなるかわかったもんじゃない。
彼女達が俺以外の男に好き勝手にされるのを想像して、とてつもない吐き気に襲われた。
黙って震えている選択肢もあり得ない。どうにか穏便に帰ってもらう。それしかない。
「井出、行くぞ」
震える膝を叱咤する。井出の方を向けば奴はいなかった。
「井出?」
「ヒィィィィィィィィ」
「……」
井出はいつの間にか俺のベッドから転げ落ちて丸くなっていた。哀れなくらい震えている。
俺だってそうしたいってのに。井出を蹴って転がす。ゴロゴロ転がりながらも悲鳴は止まなかった。
「おい! お前の問題だろうがっ! 真有ちゃんだってあいつらに捕まってんじゃねえのかっ」
「うぐ……でもあんなに……無理だって……」
「自分の女のためなら無理だってしろってんだよ!」
くそっ! 最善は井出を渡してしまうことなんだろう。だがさすがに井出がどうなるかなんてわかりきってるのに、その選択肢も取りにくい。
それに、自分で立ち上がれもできないんじゃあ足手まといだ。
「ちっ、わかった。俺が一人で出る」
「そ、そんな祐二。死んじゃうよっ」
「大丈夫だ。人はそう簡単に死なねえから」
あっさり死んだ両親がいながら何言ってんだか。
強がりにもほどがあるが、今はそれで充分。ドアに手を掛ける。その手はまだわずかに震えていた。
「井出……。本当に真有ちゃんを取り戻したいなら自分で行動しろよ」
返事はなかった。自室を出て階段を降りる。死刑台に上がる、というか地獄に落ちるみたいな表現の方がいいのか? どっちでもいいや。どっちにしても最悪しかなさそうだ。
「ご主人様」
「うおっ!?」
電気をつけない暗い階段を降りると声をかけられた。びっくりしたのは仕方ないよな。び、びびってなんかないんだからねっ。
目を凝らすと二つの人影。彩音と琴音だった。異常事態に気づいたのだろう。きっと不安げな瞳をしているに違いない。暗くて見えないけど。
「あの、大丈夫でしょうか……」
心なしか彩音の声が震えている。そりゃそうだ、外の状況を知っていれば怖くないわけがないのだ。
俺はそんな彼女達を背負ってるんだ。可愛いし、美人だし、学園中が認めるアイドル的存在。そんな姉妹を守らなくてどうしてご主人様といえるだろうか。
藤咲姉妹にエロいことができるのは俺だけなんだよ! 社会のルールを勝手に外れている奴等に渡してたまるか。……その辺は俺も人のこと言えないか。
ええい! まあいいのだ。守らなきゃいけないものを実感するように二人を抱きしめた。
「あ……」
「ふぇ……」
両耳から吐息を感じられる。やる気……出ました!
「俺がなんとかしてくるから、お前らはじっとしてるんだぞ」
俺は玄関のドアを開けて、カッコ良く家から飛び出した。
やばいな自分に酔ってしまいそうだぜ。俺かっけー。そう思ったのは刹那とも呼べる短い時間でした。
目の前に広がるのは人相の悪い人達。数えるのがバカらしいので全員を視界に入れないようにした。
何これ超怖いんだけど。自分のメイドを目にしてマヒしてきていた恐怖心が再発する。
だからなんで特攻服着ているんだよっ。そんなツッコミができないくらいには喉が引きつってしまった。俺飛び込んじゃいけないところに飛び込んじゃったんじゃないの?
だからといってもう後戻りはできない。すごすごと彩音と琴音の前には戻れない。これでも男の意地ってもんがあるからな。
玄関から出て三歩ほどしか動いていなかった足をもう一度動かす。情けなくも震えているが、ええい! 覚悟を決めろ俺!
「なんだオマエ?」
門の前で陣取っていた先頭の大柄な男が睨みを効かせてくる。ギラリとした眼光に意識を刈り取られそうになった。
ぐっと足先に力を入れる。大地を踏みしめて耐え抜く。
「ここの家主なんだけど」
「そうか」
いやそうかじゃねえよ! 何普通に頷いていらっしゃるんですかっ。
まるで野獣みたいな男だ。見た目もそうだけど、雰囲気というか、とにかく野性的な感じ。鋭い目とか逆立った髪とか。下手なことしたら食べられちゃうかもしんない。
「なあ、ここに井出って奴がいんだろ。出せ」
やっぱり目的は井出か。引き渡して早々に帰ってもらいたいもんだけど、そうしたら明日の朝には男子高校生の死体が出たってニュースが放送されかねない。だってこの人含めて後ろの方々も殺気だってらっしゃるんだもの。
「いません……と、言ったら?」
「オマエをぶん殴って家の中を捜させてもらう。ここに来たってのだけはわかってんだ」
やっぱり井出を差し出そうかなぁ……。俺には荷が重すぎるだろ。とにかく下手に出てチャンスをうかがうしかない。
「あの……お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
あ、質問に答える気はあるのか。問答無用で殴られたらどうしようかと思ったぞ。脅かしやがって。
「なぜ井出を追いかけてるんですか?」
ドンッ! とした振動に心臓が跳ねた。目の前の男が憎々しげな表情で門を殴っていた。
おいおい人ん家のもんを、と口が出そうになったが留まることができた。硬いはずの門にヒビが入ったからである。いやいやいやあり得ねえだろ! どんな怪力キャラ? 一発でも殴られたら死んじゃうんじゃないの?
俺がガクブルしている間に、彼は深く息を吐きながら理由を語る。
「あの井出って野郎は俺の妹をそそのかしやがったんだよ」
「妹?」
井出がそそのかした? そう言われて一瞬でピンときた。
「あの、もしかしてあなたは戸倉坂真有さんのお兄さんでしょうか?」
「ほう……テメーも共犯者か」
「いえいえいえいえ違います! 俺は井出と真有ちゃ……妹さんがお付き合いをしているのを知っているだけで、そそのかしたとか、どんなお付き合い方をしているかとかそんなの一切まったく全然知らないんですよ!」
俺の必死さを理解してくれたのか、怒りを向けるのを押さえてくれた。マジでこの人の殺気は睨まれただけで寿命が縮みそうだ。つーか縮んだ。だってちょっとだけちびっちゃったし……。
てかあれか……。このこわーいお兄さん、見たまんまの不良だが、つまりはシスコンというやつなのだ。しかも重度の。じゃなきゃこんな連中つれて人の家の前に詰めかけたりしないし。
そうなると、真有ちゃんってかなりの地雷だったか。小柄だけど可愛い彼女に彼氏がいたことないなんてよく考えればおかしい。もしかしたら他の男子は怖いお兄さんがいると知っていたのかもしれないな。
とはいえ時間稼ぎにも限界がある。まあ時間を稼いだところでどうにかしてくれるとは限らないんだけども。
さて、目的を達成するまでこいつらは帰ってくれないだろうな。そろそろ自分と友達、どっちを優先するか考えなければならないだろうか。
心の中で天秤が傾いた瞬間、可愛らしい声が辺りに響いた。
「お兄ちゃんっ!」
人相悪い男共の中から声が響いた。実は女の子が混じっていたのか? レディースってやつか。特攻服の男は勘弁だがそれが女となると話が変わる。さらし巻いた女っていいよね。そそるもんがあるよ。
だがなぜだろう? 特攻服の男達がどよめいている。そしてモーゼの如く道ができた。そこを歩いているのは、この場には似つかわしくない小柄で可愛らしい女の子だった。
「真有……」
戸倉坂兄が呟いた。その呟きの通り、彼の妹がすたすたとこっちに歩いて来ていた。
「みんなを連れてなんてことをしてるの! やめてよ!」
ぶっちゃけ俺と彼女との関係はないも同然ではあるのだが、こんな本気で怒った顔は初めて見た。可愛い見た目なんだから怒ったってそんなに怖くないだろって思うだろ? めっちゃ怖いからね。目の前の女の子が本当に真有ちゃんなのか疑いたくなるほどの表情。殺気を込めた目が兄妹そっくりだった。こんなギャップは嫌だ。
とにかく真有ちゃんは怒っていた。その相手は自分の兄のようだ。
これはもしや起死回生か? 真有ちゃんがこいつら全員帰らせてくれるんじゃないの? 期待感を含んだ瞳で頭二つ分は小さい女子を見る。彼女の兄と比べると頭何個分かわからなくなるほどの差である。
「ひゃっ!?」
と思いきや、真有ちゃんの身体が軽々と浮いていた。戸倉坂兄に首根っこを掴まれたからだった。
「テメーは黙ってろ」
え、そんな対応なの? 兄妹いたことないからわからないけどさ、兄は妹を大事にするもんじゃないの? だって貴重な妹属性ですよ。ほら、藤咲姉妹を見てても妹って大事にされてるじゃんか。
まさか妹に手を出す兄がいるとは思わなかったので固まってしまう。そんな俺に戸倉坂兄は首を傾けて俺を睨んだ。
「コイツに手を出したんだ。井出って野郎はただじゃおかねぇ」
人を殺しそうな目だった。というか本当に殺したことがありそうな目だった。
絶体絶命のピンチ! 生き残る方法は井出を差し出すことだけだ。なのに。
「だ、だから……井出はここに来てませんってばっ」
「……そうか」
戸倉坂兄は真有ちゃんを地に下ろした。ようやく納得してくれたのかと安堵した時である。俺は夜空を見上げていた。
「……?」
しばし呆然としていると顔面に激痛が走った。痛みから頭が覚醒し、現在自分が仰向けに倒れているのを自覚する。
なんで? 疑問符が飛び交う頭であるがとりあえず立ち上がろうと試みる。けれど身体が上手く動かせない。手足が言うことを聞かずにぶるぶると震えて力が入らない。
「会田先輩っ!」
悲痛な叫びだった。理解するのに数秒を要してしまったが、声の主は真有ちゃんのようだった。
フラフラ、フラフラ。頭を振っていると頼りない脳みそがそれなりに稼働してくれる。かなり遅れたが自分が殴られたのだと認識した。
一応門で境界線を作ってあったのだが関係なかった。まあ俺の胸辺りまでしか守られてなかったし、手が届く位置にいた俺のミスだろう。
舌で口内を確認する。血の味がするけれど歯は折れていないようだった。
なんの抵抗もなく殴られたのが返ってよかったのだろう。下手に踏ん張っていたらそれこそ歯の何本かは持って行かれていたかもしれない。
戸倉坂兄の振り抜かれた右腕を見るに打ち下ろしの右(チョッピングライト)をもらったのだろう。おいおいいきなりフィニッシュブローですか。危うく立ち上がれなくなるところじゃねえかよ。
俺は血の混じった唾をぺっと吐き出す。頭が冷静になったおかげか筋肉に脳からの命令がしっかり送られているらしい。よっこらせと立ち上がる。
集団の中から野太い「おおっ」という歓声が上がる。まさか一発K.Oだと思ってたんじゃないだろうな? 運動が得意とは言わないがそこまで貧弱とも思ってないんだよ。
「ほう……俺の拳を受けて立ち上がるとはな。やるじゃねえか」
戸倉坂兄も感心したように目を細める。鋭い目がより一層鋭くなって恐怖心が煽られる。ただ立っただけなのになんでそんなこと言われてんだ? 感心されるほどでもないと思うのだが。むしろ一発で沈んでしまう方がダメ過ぎてないわーってレベル。
手を出したわりに敷地内に入ってこようとはしない。なぜだろうと首をかしげるが、俺にとってはありがたいので指摘したりはしない。藪蛇になったら事だしな。
だけどまずいな。気絶はしなかったものの、けっこうなダメージをもらってしまった。正直立ってるのがつらいレベル。体力ゲージは赤色だっての。
「もうやめてお兄ちゃんっ!」
真有ちゃんが何か喚いている。なんか言葉のニュアンスが「あたしのために争わないでっ」みたいに聞こえてしまう。末期だな。
俺にとっては真有ちゃんとかどうでもいいし。ただまあ、井出の彼女ではあるからな。無碍にしようという気はないんだがちょっと黙っててほしい。頭に響くんだよ。
「……ここに井出なんて奴はいねえよ。悪いけど帰ってくれ」
痛みで意識がもうろうとしているからか言葉が雑になってしまった。些末なことだろ? 見逃してくれぃ。
「ほう……」
だからその感心したみたいな雰囲気やめて。俺もいっぱいいっぱいなんだよ。変に期待を膨らまさないでくれ。
唐突に戸倉坂兄はボキボキと拳を鳴らす。これから喧嘩でもおっぱじめようって雰囲気だ。相手は? え、俺? あははー、嘘でしょそうでしょ。お兄さんったら冗談上手いんだからー。だから門に手をかけるのはやめてくださいお願いします!
そんな願いもむなしく、キィと音を立てて門が開かれた。ついに攻め込まれてしまうのか。そう覚悟した瞬間、隣を何かが横切った。
え? と呆けたのは俺だけではなかったようだ。戸倉坂兄を含めて怖いお兄さん達も口を半開きにしている。何々どした?
いや、わかっている。視界に映る光景が信じられなくて頭が真っ白になりそうになる。
横切ったのは人だ。詳しく言えば藤咲彩音(メイド服着用中)であった。彼女は真っすぐ門の前にいる戸倉坂兄の前まで行くと、なんとノーモーションから平手を戸倉坂兄に喰らわせたのである。
パチンッと渇いた音が静寂となった場に響いた。誰しもが時を忘れたかのように呆ける。素直に平手を喰らった戸倉坂兄も同様である。
「人の家の前で迷惑をかけるだけじゃ飽き足らず、暴力なんて最低。これ以上勝手をするなら、消えてくれないかしら」
凍えてしまいそうなほどの冷たい声だった。誰しもが固まっている。
って固まってる場合じゃないっ! これかなりピンチなんじゃないか!? 彩音を隠すつもりだったのに自分から出てきちゃあダメだろ!!
「藤、咲……?」
あれ? 戸倉坂兄の反応がおかしい。というかこれまた知り合いか?
確かによく考えれば真有ちゃんのお兄さんなのだ。彩音と知り合いだったとしてもおかしくないのか。なんかやばさが増量された感じ。やばいよやばいよ。
俺の家でメイド服姿の藤咲彩音が出てきたらどういうことなのか気になるに決まってる。そして秘密がばれて……うわあああっ! ど、どうしよう!
「な、なんで……」
ん? 戸倉坂兄の様子がおかしいぞ。顔を赤くしちゃって俯いてしまった。乙女か。
そんな反応をされたら同じ男として嫌でも理解してしまうではないか。詳しい事情は知らんが、彼は彩音が好きなのだ。断言できてしまうほどわかりやすいなぁ。
「なんで彩音先輩が……メイド服?」
正気に戻った真有ちゃんがぽつりと呟いた。その言葉をきっかけに波のように男共の集団に「メイドだ」「メイドさんだ」「美少女メイドだ」「メイドさん萌え~」という言葉が広がっていく。
頼むから静粛にしてください! そう叫びたいがこれ以上騒ぎを大きくしたくなかった。本当にどうしよう。
「うわわわっ」
波紋が広がる場で間の抜けた声がした。声の主は俺の背後からで、誰かはわかってしまったが一応振り向いてぎょっとした。
やはり声の主は井出だった。地面に倒れているのを見るに転んで声が出ちゃったらしい。
真有ちゃんが来たことで勇気を出して外に出たのだろうか。そう思ったのだがどうやら違うらしい。
「ほら、ちゃっちゃと歩いてくださいよ。井出先輩♪」
倒れた井出のケツを蹴る琴音の姿がそこにあった。俺がぎょっとした原因である。もちろん彼女もメイド服姿である。なんでわざわざ着替えちゃってんのかな。メイド服に着替えると戦闘力が上がるのかな。アホか。
どうやら琴音が井出を連れて来たらしい。どうでもいいけどなんでS対応? いつもMっぽいから反動が出てるのかな。
つーかこの感じなら彩音もグルか。なんで姉妹揃って俺の意にそわないことしてくれてんだよ。
井出が顔を上げる。彼ははっとしたように立ちあがった。何かのスイッチが入ったみたいに駆け出す。どうしたどうした?
「まゆたん!」
真有ちゃんを目にして興奮してしまったのか。興奮しすぎでお兄さんが目に入っていないようです。
「テメーだな俺の妹に手をだしたクソ野郎は! ぶっ殺す!!」
さっきまで大人しく恥ずかしがっていたのに戸倉坂兄は一気に怒りメーターを最大まで引き上げる。走ってくる井出にカウンターパンチをぶつけた。
「い、井出ぇっ!」
宙を舞う友の名を叫ぶ。頭から大地に落ちるとピクリとも動かなくなった。
「い、井出せんぱぁぁぁぁぁい!!」
真有ちゃんが絶叫した。空気を裂きそうなほどの叫びだったのに井出は応えられない。完全に意識を失っている。
血の気が引いていく。メイドを従えている秘密がばれってしまっただけじゃなくて、井出が殴られてしまった。しかも戸倉坂兄の様子を見るにこれだけで許してもらえるなんてことはなさそうだ。
こんなことになるなら最初から警察に助けを求めるべきだった。後悔が心中を支配する。
「家の中に避難しましょう」
俺が打ちのめされていると、柔らかく手を包まれた。目の前には彩音がいた。
「なんで……なんで勝手なことをしたんだよっ」
「ご主人様が殴られて、平然としてられるメイドはいないでしょ」
文句をぶちまけようとして、被せられる言葉に口をつぐんでしまう。彩音の表情は真剣そのものだったから、責められるはずがなかった。
「あたし達はご主人様第一ですから。そのために勝手なことをしてしまいました。ごめんなさい」
琴音がぺこりと頭を下げる。「でも」と続きを口にする。
「後悔はしてませんので、お仕置するのはご主人様の自由ですよ♪」
「こ、コラ、琴音余計なこと言わないの」
「えー? お姉ちゃんへのお仕置きってどんなことされるのかなー? あたしは優しいのを希望しますね」
「わ、わかってないのよね……。そうよ、琴音は知らないんだから。でもご主人様は私にどんなお仕置きをするつもりなのかしら……」
「お姉ちゃんぼそぼそ何言ってるの? 祐二様のことチラチラ見てるし」
「何も言ってないし見てないわよっ」
いつの間にか姉妹でじゃれ合っていた。周りは修羅場だというのにこの姉妹はけっこう大物だ。
しかし状況は動いているのだ。庭で倒れている井出に追撃をかけようと戸倉坂兄が門を通過する。それに続いて固まっていた集団がなだれ込んでくる。不法侵入である。
「ご主人様早く!」
彩音に手を引かれる。井出を放っていいのか。葛藤で足が止まってしまう。彩音の力が強くなる。背中を琴音に押された。
色々と決断を迫られて、どうにもならなくなったところで、ついに待ち人が来た。
「これはまた、大事(おおごと)になってますねぇ」
どこにでもいそうだけども、なぜか特徴を感じさせる声色だった。
声の通りがよかったのだろう。井出に襲いかかろうとしていた集団が時を止められたかのように停止する。俺達も声の方に振り向いた。
中年太りしたおっさん。夜間だというのに汗でその顔はてかっていた。そう、堂本である。
「会田様。電話された人数よりも多くありませんかー?」
「す、すまん。できれば事態を収めてほしいんだが……無理ですよね」
「それ相応の対価をいただけるのならできなくもないですが。いかがです?」
「対価でもなんでも払うから頼む!」
「承りました」
堂本の言葉が終わったと同時だった。彼の背後から黒服のいかつい集団がわんさか出てきた。何? 特殊召喚でもしたの? こんなに人がいる気配まったくしてなかったはずなのに。
いかつい黒服の男が迫ってきたからか特攻服隊はパニックでも起こしたかのように殴りかかった。
だが見た目通りのプロフェッショナルなのだろう。なんなく不良共の攻撃をかわすと次々と無力化していく。しかもそいつらをこれまたどこから現れたのか黒塗りのリムジンに次々と乗せていった。
「クソッ、なんだテメーらは!」
あの大柄な戸倉坂兄でさえ簡単に無力化されてしまう。彼だけは手こずると思っただけにびっくりだ。
「きゃあああああああっ。まゆに触らないでぇぇぇっ」
ついでとばかりに真有ちゃんもリムジンに放り込まれる。
「……」
あと気絶した井出も。彼を最後に何台かあったリムジンが次々と発進していった。ブロロロローと排気ガスを垂れ流してどこかへと行ってしまう。
こうして俺達は久々の静寂を取り戻したのであった。
「いやあ、お電話いただいた時は一人秘密の保持のためになんとかしたいというお話でしたので到着して驚かされましたよー」
「……さっきの光景の方がよっぽど驚かされたよ」
隠ぺい工作を期待して連絡はしたのだが、こんなにおっかない集団を連れてくるとは思わなかった。あれってどこに連れて行かれたんだろう。聞きたいような、聞いたらいけないような。そんな俺の心が読めたのか堂本がにんまりと笑った。
「ご安心を。手荒なことは致しません。ただ、少しばかり記憶をいじらせてもらうだけですよ」
「その方法は聞かないことにする」
「賢明ですな」
はっはっはっと笑って背を向ける堂本。ふと何かに気づいたように顔だけで振り向いた。
「ああそれと。別途料金が発生致しますので、後日明細を送らせてもらいますよ」
「あ、はい」
まあこれだけのことをしておいてタダというわけにはいかないだろう。覚悟して頷いた。
今度こそ堂本は去っていった。思った以上に便利キャラだったな。ここまでできるんだったらまた何かしら頼むことがあるかもしれない。
「じゃあ家に戻ろうか」
「はい」
振り向いて俺の可愛い二人のメイドを見る。一騒動が終わって彼女達は安堵の表情を浮かべていた。
※ ※ ※
「うわっ、腫れてきたよ」
長かった一日の仕上げに風呂に入っている。自分の顔を鏡で確認するとちょっと引くくらい腫れてきていた。
顔の左半分がおかしく変形している。視界が塞がれるというほどでもないが、見た目がかなり悪い上に触るとすごく痛い。
戸倉坂兄に殴られたところである。こりゃあ風呂に入らない方がよかったかな。あっためたら余計に腫れそうだ。あー、井出のこと笑えねー。
首から下の汚れだけ落としてさっさと出て冷やした方がいいな。そう決めた時、ガチャリとドアが開かれた。
「ご主人様、お背中流しに来ましたー」
「わっ!?」
びっくりはしたが、こんなところに乱入してくるのは琴音だろう。振り向くとやはり琴音だった。しかし。
「なんでスクール水着?」
琴音はツインテールをそのままに、学校指定のスクール水着を着用していた。紺色のあれな。マニア心をくすぐるぜ。
どうでもいいが俺は彩音のような巨乳よりも琴音のようなスレンダーな体型の方がスク水が似合うと思っている。まあただの好みの問題ですが。実際井出はスク水に巨乳派だったしな。真有ちゃん貧乳だけども。
ちなみに彩音が一番似合うのはやっぱりメイド服だ。黒髪ロングに巨乳。それが俺のメイドなんて理想的すぎるぜ。
「もうすぐプール開きですからサービスですよ」
俺が頭の中で脱線している間に琴音は俺の身体にお湯をかけるとボディソープで洗ってくれる。
「わっ!? 祐二様のお顔が大変なことになってますっ」
後ろから鏡に映った俺を目にしたのだろう。手を止めて俺の顔に琴音の顔が接近する。どうやら鏡越しにまじまじと観察しているようだ。
「……今日は、大変でしたね」
近い距離で俺に向かって言った。なんとなしに頷く。
じーっと見ていたかと思えばいきなり抱きつかれてしまった。
「ちょっ、どうしたよ?」
「祐二様はご主人様なのに。あたし達のために身体を張って守ってくれて……胸がキュンとしました」
「お、おう」
微妙に反応に困る発言である。なんとなく抱き返してみると彼女の震えが伝わってきた。
「え、もしかして泣いてる?」
「……泣いてません」
めっちゃ声が震えてるんだけど。あれ、泣くタイミングがわかんなかったぞ。どこにそんな要素があったのか。
泣いた女の子相手にどうすればいいのかわからずにいると、急に前から力がかかり後ろに倒されてしまった。マットを敷いているので痛くはない。
「あれ? なんで俺天井を向いてるんだ」
すぐに影がかかる。ツインテールが垂れてきて俺の顔をくすぐる。
「あんな怖そうな人達に向かっていく祐二様カッコ良かったです。本当に……本当にあたし祐二様が好きになっちゃいました……」
琴音の瞳が光って揺れている。息が荒く、明らかに発情していた。
「俺が追い払ったわけじゃねえよ。つーか殴られただけだしな。まあ元々顔が悪いからどうってことないけど」
「そんなことないですよ。危ないのがわかっててできることじゃありません。ご主人様は立派です」
「それに」と彼女は続けて、俺の頬に振れた。
「あたしは祐二様の顔、とっても好きですよ」
その言葉がきっかけだった。琴音の身体がゆっくりと落ちてくる。密着するとスクール水着の感触が肌に直接広がった。
「本当に祐二様がご主人様で良かった……」
耳元で吐息をかけるように言葉を染み込ませてくる。身体が擦られて脳と肌がとろけそうになった。
「大きくなってきましたね」
彼女の吐息が熱い。俺も熱がこもってきて大きくなる。こ、これは生理現象といいますか……いやこれ琴音が全面的に悪いからね。
「琴音っ」
腫れた頬の痛みを忘れて琴音と上下を入れ替えた。スク水をずらしてマンコを露にする。すでにアソコは濡れて光っていた。
可愛い女の子に好きと言われて身体を求められて、これで我慢できる男はいないだろ。俺はチンポを握って位置を調節する。
少々早いがスク水エッチだぜ。そう意気込んだ瞬間であった。
「ご、ご主人様っ。お背中流しにきましたっ」
上ずった声とともにバタンとドアが開かれた。俺は硬直し、琴音もまたビクリと震えた。
恐る恐るドアの方を向く。そこには髪をアップにまとめバスタオルを身体に巻いた彩音が立っていた。
彩音の赤くなっている顔が、俺達のあられもない恰好を目にして驚愕とともに青くなっていく。俺も自分の失態にチンポが萎えていった。
「な……んで、琴音……?」
「お、お姉ちゃん……これは、あの……」
どちらもそこからの言葉を持っていなかった。黙りこんでしまうが、そのせいで嫌でも事情をわからせてしまう。
「…………だ」
「え?」
彩音の目がキッと吊り上がった。今までに見たことがないほどの怒り顔だった。
「二人して、私を騙してたんだ!!」
怒号。きっと学校でもここまでの大声を出したことはないだろう。風呂場で反響して耳を打ちまくる。
それから彩音はその大きな目からボロボロと大粒の涙を零していた。眉を吊り上げているのに、ただ怒っているというより泣いている顔に見えた。実際泣いているけどさ。
「あっ、待て」
踵を返すと彩音はバスタオル一枚で駆け出した。俺と琴音はあまりの事態に反応すらできなかった。
「……」
無言になってしまう俺達。もちろんこのまま行為を続行という雰囲気ではなくなっていた。
遠くでバタン! とひと際大きな音が耳に届く。おそらく彩音は自分の部屋に行ってしまったのだろう。
「ごめんなさい……」
ぽつりと言った琴音の謝罪が、事の重大さを物語るように、浴室に小さく響いた。