夜明けの光が古びた小屋の隙間から差し込んできたのを感じ取り、瑞鬼はうっすらと目を開けた。
小屋の外には朝霧が立ち込め、静寂が世界を包んでいる。
喧騒も緊張もなく、ただただ平穏な時間を瑞鬼は微睡の中で感じていた。
くるりと室内を見渡すと、昨夜の激しいやり取りの余韻が色濃く残っていた。
瑞鬼はベッド代わりの粗末な毛布の上に座り、窓から差し込む朝日を忌々しげに眺めている。
そんな瑞鬼の表情とは逆に、彼女の肌はまるで磨かれたように艶やかで、生命力が漲っているのが一目でわかる。
「昨日あれだけ貪れば、まあこんな風になるのも当たり前か……」
血液を摂取した直後の瑞鬼は、まるで磨き抜かれた刃物のように鋭く美しかった。
彼女の赤い瞳は満足げに細められ、唇の端にはかすかな笑みが浮かんでいる。
髪は光沢を帯びていて、ここ数日昼夜を問わず戦場を駆け抜けた逃亡者とは思えない美麗さだった。
「……やっぱ、思った通り相性抜群だったね。」
リンの血は格別だ。血液パックとなんて比べることすら烏滸がましい。
瑞鬼は小さく呟きながら、無意識に指先で自分の唇をなぞっていた。
そこにはまだ彼女の甘美な血の残り香が残っており、瑞鬼はその残り香だけでも背筋が震えるような甘さを感じていた.
ひとしきり1人でその感覚を堪能し、満足そうに目を閉じる。夜の出来事を反芻しているようだ。
その一方で毛布の隅にぐったりと横たわるリンの姿は、まるで嵐に飲まれた小舟のようだった。
白い髪は乱れ、普段は力強い彼女の姿は見る影もなく、弱々しい姿を晒している。
首筋には瑞鬼の牙が残した赤い痕が刻まれ、彼女の白い肌とは対照的でよく目立っている。
ぐったりと天井を見つめていたリンは、小さく身動ぎしてから、不機嫌さを隠そうともせずに瑞鬼に抗議の声をあげた。
「ん……うぅ……瑞鬼ちゃんひどいよ……」
その声は弱々しく掠れ、普段の快活さは感じられない。彼女は毛布で自身の身体を包みながら、恨めしそうに瑞鬼を一瞥する。
「ひどい?リンが『気が済むまで食べていい』って言ったのに?」
瑞鬼は楽しげに笑いながら、リンに返答する。
それから彼女はリンの隣に腰を下ろし、慈しみを込めてリンの髪を梳く。
「私のためにこんなグズグズになっちゃってさ?可愛いよね、リンは。……ほんと可愛い」
「うぅ……からかわないでよ……。ほんとに死ぬかと思ったんだから……冗談抜きで」
リンは弱々しく抗議するが身体にまだ上手く力が入らないようで、起きようとしては力尽きて毛布に沈み込むのを何回か繰り返している。
やがてリンは諦めたように、パタリと完全に寝床に身体を預けた。
「最後のアレ、反則すぎ……あんなの、耐えられるわけないじゃん……」
毛布に包まりながらモゾモゾと体制を整えつつ、リンは負け惜しみ染みた言葉を吐いた。
「反則か……でも、リンだって悦んでたよね?めっちゃイイ声で鳴いてたじゃん」
瑞鬼はニマニマと笑い、リンの首筋に残る自分の牙の痕を指でなぞる。
瑞鬼の優しい手つきにリンはピクリと小さく身体を跳ねさせ、反射的に首筋を抑えて抵抗した。
「っ!や……もう!ほんと、勘弁してよ……」
リンは必死に瑞鬼の手を振り払おうとするが、弱々しい抵抗しかできないようだった。
彼女のその姿に、瑞鬼は楽しそうに笑う。
「ほんと弱ってるね。いつもはあんなに強いのに。……ちょっと新鮮。」
「ん……誰のせいさ、誰の」
瑞鬼はリンの頬にキスを落とし、彼女の反応をじっくりと楽しんだ。
リンは恥ずかしそうに目を逸らし、毛布に顔を埋めて瑞鬼の視線から逃れた。
「……瑞鬼ちゃんのバ〜カ」
その声は小さく、不貞腐れているのがありありと伝わってきたが、どこか甘えるような響きも含まれていた。
リンは瑞鬼が大好きだった。まともな人間でいう一目惚れだ。
彼女のそばにいる。ただそれだけでどんな無茶もできるし、どれだけ傷ついてもヘッチャラだった。
普段は軽い振る舞いで誤魔化しているけれど……リンにとって一番大切なのは、こうやって瑞鬼と一緒にいられることなのだ。
瑞鬼は毛布に包まるリンを見て、ふと真剣な表情になる。そして静かに口を開いた。
「……あのさ、リン」
「……なに?」
「ありがとね。」
「瑞鬼ちゃん?」
リンは毛布から顔を出し、驚いたように瑞鬼を見上げる。
「……実は昨日、ほんとに限界だったからさ。リンがこじ開けて受け止めてくれなかったら、どうなってたか自分でもわかんないんだ」
「……そっか」
リンは短くそれだけを返し、瑞鬼の視線から逃れるように再び毛布に潜り込んだ。
「じゃあ、結果オーライだね。私だっていろいろ考えてたんだよね。でも瑞鬼ちゃんに嫌われるのだけはホントに怖かったからさ……だから、泣かせちゃった時は失敗したって後悔したよ」
「その後散々に鳴かされたくせにね」
「五月蝿いよ?!」
あえて空気を読まずに横槍を入れた瑞鬼に、リンは思わず本気でツッコミを入れてしまった。
数秒見つめ合った2人は、どちらともなく声をあげて笑い始めた。それで、2人の間の空気がようやく弛緩した。
「まあともかくさ?瑞鬼ちゃんと一緒じゃなきゃ、こんな無茶な逃亡生活やってられないよ。大好きな瑞鬼ちゃんと一緒にいるから、私は走れてるんだから。」
不純だけどね。と冗談めかして笑うリンに、瑞鬼は柔らかく微笑んで、彼女の手をそっと握った。
二人は手を繋いだまま、しばらく無言で見つめ合った。
光が小屋を柔らかく照らし、まるで二人の絆を祝福するように輝いている。
瑞鬼とリンの姿は対照的だったが、その違いすら互いを想い愛う彼女達の絆の前では無意味だった。
「さて……とりあえず、動くのはリンが回復してからにしよっか。次の街までまだまだ遠いしね。」
瑞鬼は差し込む陽光を遮るように窓を布で覆ってから、寛ぐようにリンの隣で横になった。
その動きはまるで気まぐれな猫のようで、なんとも自由気ままだ。
「……良いの?私、無理すれば多少は動けるんだけど……」
リンは不満そうに呻くが、瑞鬼はそんな彼女の額をペチペチとはたいた。
「半分以上私のせいなんだから、リンは気にする必要ないっての。私で暖を取って良いからさっさと寝てな?」
瑞鬼は笑いながらリンを引き寄せ、腕の中で彼女を温めるように抱きしめた。
リンは甘い匂いと暖かさにクラクラしながらも、瑞鬼の強引さに小さく笑った。
「動けない私をこんなふうに扱うなんて、瑞鬼ちゃんも鬼畜だなぁ」
「ふふ……何それ?……ま、これでも吸血鬼だからね、鬼畜なのは仕方ないんじゃない?」
笑いあう二人の声が小屋に響き、朝の光に溶けていく。
「よーし、じゃあ復活したら私が瑞鬼ちゃんを背負って山道駆け抜けるからね〜」
「ほんとに?……あー、でも、やめとくよ。枝とか危なそうだから」
「ええ?大丈夫だと思うけどなぁ〜……ふへへ」
「……ふふ」
2人は抱き合いながら、ゆっくりと微睡の中へ落ちていく。
目覚めた二人が迎える新しい一日。
そこで二人にどんなトラブルが降りかかったとしても、彼女たちはきっとまた切り抜けて歩き続けるだろう。
信じ愛い、支え合えるパートナーがいるのだから。
これにておしまいです。
読んでいただきありがとうございました。