やはり俺は孤独だった。 作:悪夢
6限目の終わりを告げるチャイム。
今日も長い1日が終わりそうだ。
6限目の日本史の教科書を片付け、担任の平塚教諭を待つ。
「ほら、席に着け。ホームルーム始めるぞ」
程なくして教室に姿を見せた平塚先生。
丈が長い白衣でも隠し切れないスタイル抜群の身体に、鼻筋の通った顔立ちに切れ長の目という、誰もが認める美人教師だ。更に言えば、面倒見が良くて、優しくて、時々可愛らしい所が有る超優良物件だというのに...ホント誰か貰ってあげて。
「今日は特に連絡事項は無いな。各自気を付けて帰宅するように。解散!」
手短に終わるホームルーム。ものぐさな彼女らしい。
しかし、わざわざ自分から殴られに行く趣味は無いのでそれは指摘しない。
俺は身支度を整えて、珍しく部活に行く際に由比ヶ浜を誘った。
「由比ヶ浜、部活行くだろ?」
「え?ええっ!?ヒッキーから誘ってきた!?」
心底驚いている様子の由比ヶ浜。...失礼な奴だ。
「...まあ、たまには...な。ほら、お前、腰を痛めてるだろ?」
「あ...あー...う、うん。そうだったね」
そうだった?...まさか...忘れていたのか?
「お前...自分の身体の事も忘れてしまうようになったのか...可哀そうに」
「忘れてないからっ!そこまで忘れん坊じゃないからっ!」
まあ、これだけ大声が出せるなら元気なのだろう。
「冗談だよ。行こうぜ」
「う、うん」
由比ヶ浜はフラフラと立ち上がり、今朝よりはしっかりとした足取りで教室を後にした。
俺も由比ヶ浜に続いて教室を出て、一緒に奉仕部の部室へと向かっている。
その時、廊下の角から亜麻色の髪の毛の女子生徒が姿を見せた。
「あ、いろはちゃんだ。やっはろー」
一色だった。....まずい。
俺と一色の間に何かあったことにすぐ気が付いてしまうだろう。
「あ、結衣先輩。やっはろーです」
同じく笑顔で返す一色。
そして...
「あれ?先輩も居たんですか?」
...何故か、いつもの調子で俺にちょっかいを掛けて来た。
「おい。ずっと隣に居ただろ。俺が見えないのか」
「すみません見えませんでした」
「俺ってそんなに存在感無いの?ひょっとして透けてる?」
「え...?透けてませんけど、大丈夫ですか?自分でも見失っちゃいました?」
「見失ってねぇよ。今朝も鏡の前で確認してきたわ」
...いつも通りの軽口だ。
由比ヶ浜もいつもの様に苦笑いしている。
「じゃあ、わたしは生徒会が有りますので、それでは」
「あ、うん。ばいばーい」
由比ヶ浜に手を振ってその場を後にしようとした一色。
しかし...軽口を交わした後から、一色とは一度も目が合わなかった。
幸い、由比ヶ浜は別に不審には思わなかったらしく、特に言及されることは無かった。
「ねえ、ヒッキー」
「ん?」
ふと、由比ヶ浜に声を掛けられた。
「...いろはちゃん、綺麗になったね」
「あいつは前から美人だろ」
以前から総武高校では指折りの美少女だ。
「そうなんだけど...艶やかというか色っぽくなったというか」
「艶やかなんて言葉よく知ってたな」
「それくらい知ってるから!...もう、分からないならいいもん」
由比ヶ浜は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
「悪かったって...でも、そんなに変わったか?」
「うん。雰囲気というか動き方というか...なんか変わった気がする」
その辺りは、男性よりも小さな変化に気づける女性...それも、とびきり鋭い由比ヶ浜なので気が付くのかもしれない。
「そんなもんか」
「ふふふっ...そうだよ」
何故か上機嫌の由比ヶ浜だった。
....................
「やっはろー、ゆきのん!」
部室に入るなり、いつもの挨拶を部室に放り込んだ。
「こんにちは、由比ヶ浜さん。それと...小町さんのお兄さん?」
「なんで小町の方が優先的に記憶されているんだよ...」
しかもなんで疑問形なんだよ。
「ふふふ...冗談よ」
柔らかく微笑んで本を閉じる雪ノ下。
「よいしょ...と」
腰を抑えながらパイプ椅子に腰かける由比ヶ浜。
その違和感に雪ノ下はすぐに気が付いた。
「由比ヶ浜さん、腰を痛めているの?」
「あ、やっぱりわかっちゃうよね...実はちょっと...ね」
転んだだけなのだが、それを伝えるのが恥ずかしいのだろうか?
「あ...ひょっとして...?」
「...うん」
言葉少なく通じ合っている2人。...由比ヶ浜が転んだ事を事前に知っていたのだろうか?
「...ほどほどにね?」
「えへへ...うん」
...分からない。まあ、女子2人の会話にずけずけと土足で踏み込むのも野暮というモノだろう。
「よっ...と」
本でも読むか。
俺もパイプ椅子に腰かけ、再び官能小説を開いた。
...別に続きが気になったわけではない。他に読む本が無かったので仕方なく、だ。
―――――――――――――――――――
穏やかに流れる放課後の時間。特に依頼の類が無いので暇と言えば暇だ。
...おかげさまで官能小説『3年目の違和感』をかなり読み進めることが出来た。今は、妻が不倫相手の子供を妊娠していることを夫に電話で報告しながらセックスをしている場面だった。
「...時間ね」
雪ノ下が小さく呟いた。
「比企谷くん、戸締りお願いできるかしら?」
「ああ。帰るのか?」
今日も雪ノ下が一番早く帰宅するみたいだ。...別に珍しくは無いのだが、最近は同じ時間に帰宅することが多い。
「ええ。じゃあ...2人とも、また明日」
「うん!ばいばーい」
笑顔で雪ノ下を見送る由比ヶ浜。
雪ノ下も穏やかに微笑んで手を振り返した。
「...っ...!」
しかし、俺はその笑顔に見惚れてしまっていた。元々、とびきりの美人である雪ノ下だが、先ほどの優しい笑顔は...今まで見たことが無いほど魅力的だった。
...ああ...やっぱり、俺は雪ノ下が好きなのかもしれない。
一色や由比ヶ浜も魅力的な女性だが、やはり雪ノ下が一番綺麗だ。
「...」
「...ヒッキー?」
そう思い、雪ノ下が出て行った扉を見つめていたら、由比ヶ浜に声を掛けられていた。
「...あ...ど、どうした?」
「えっと...さっきからずっとドアを見てたから...誰か待ってるの?」
特にその予定は無い。
しかし、ずっと扉を見つめるという不審な所作から、由比ヶ浜はその答えに辿り着いたのだろう。
「いや...別に何でもない」
しかし、上手い言い訳は浮かんでこなかった。
「ふーん...?」
由比ヶ浜は特に深く言及するでもなく、不思議そうに小首をかしげているだけだった。
「コーヒー買ってくるけど、お前も何か飲むか?」
「あ、ううん、大丈夫」
「了解。じゃあ、ちょっと行ってくる。先に帰るなら帰っても大丈夫だぞ?」
「ううん、まだ大丈夫」
「そうか」
短く返事をして、俺も部室を後にした。
....................
部活動の掛け声という、俺とは縁遠い世界のBGMを耳にしながら自販機まで歩く。
さて、今日は何にしようか。...まあ、いつも通りマッ缶の予定だけどな。
「ん?」
丁度、校門が見える渡り廊下に差し掛かった頃、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「雪ノ下...」
絹糸のようなサラサラとした濡れ羽色のロングヘア。細い肩に華奢な体躯。手足は長く、その相貌は目が覚めるような美しさだ。
見間違え様の無いその後ろ姿に見惚れていると、彼女の進路に一台の黒塗りの大型サルーンが停車した。
「あれは...」
雪ノ下の実家の車だろうか?
まさか...また母親や姉が雪ノ下の自由を奪おうと動いているのだろうか?
しかし...よく見ると、その車は国産の高級車ではなく、ドイツのメーカーの車種だった。車にはあまり詳しくないのだが、雪ノ下家の車は全て国産の高級車だった気がする。
雪ノ下もその車に気が付いたらしく、気持ち早足になってその車に近づいて行った。
「やっぱり迎えの車だったのか...」
という事は...一時的な代車か?
それとも、ハイヤーを呼んだのだろうか?
「...え?」
しかし、雪ノ下は後部座席ではなく、自分でドアを開けながら助手席に乗り込んだ。
知り合い...なのだろうか?
運転席は良く見えなかったのだが、あの雪ノ下雪乃が知り合い以外の車にホイホイ乗り込むとは思えない。
「...」
もやもやする気持ちが込み上げてきたが、それを確かめる術は無かった。...恋人同士でもないのに、わざわざ電話で尋ねるというのもおかしな話だ。
「まあ...良いか」
甘いモノでも飲んで気持ちを切り替えよう。...昨日の一件で過敏になり過ぎているだけだ。
俺は自販機でマッ缶を購入して部室へと踵を返した。
....................
部室の目の前までやって来たその時、中から話し声が聞こえてくることに気が付いた。
「まさか依頼が来たのか...?」
それだと由比ヶ浜一人ではあまりにも不安だ。
しかし、よく聞いてみると、話し声は1種類の声しか聞こえてこない。
由比ヶ浜の可愛らしい声だけだ。
『...うん...えへへ...うん...もう、またそんなこと言って...もう大丈夫だから...うん...えへへ、ありがとう...♡』
普段から柔らかい声色で、優しい口調の由比ヶ浜だが、電話の相手には特に甘ったるい声になっている気がする。
...まあ、俺が戻って来ることは分かっているだろうから、別に入っても問題ないだろう。
「...」
カラカラと引き戸を引いて部室に入ると、勢いよくこちらに振り返った由比ヶ浜と目が合った。
「あ、ご、ごめんね...うん、また電話する...うん、また後でね」
そう言い残して電話を切る由比ヶ浜。
また後で、ということは...恐らく親御さんだろう。
「別に俺に気を使わなくても良かったんだぞ?」
「あ...ううん、そういうわけじゃなくて...とにかく大丈夫だから」
しどろもどろになっている由比ヶ浜。
....何も、そこまで慌てることも無いだろうに。
「そういえば、俺が居ない間に依頼は来たか?」
「ううん。だーれも来なかったよ。...ふふふっ、みんな平和で助けが要らないってことかな」
もしくは...助けを求めたくても声が出せない、か。
「...そうだな」
まあ、別にわざわざ酷い言い換え方をすることも無いだろう。
そして、俺の第二の血液を接種しようとプルタブに指をかけたその時...
「ね、ねえ...ヒッキー、そろそろ私も帰るね」
「ん...そうか。じゃあ俺も帰ろうかな」
プルタブから指を離し、マッ缶をカバンの中に放り込んだ。
「べ、別に合わせなくても良いのに...」
「気にすんな。俺もそろそろ帰ろうと思ってたところだったからな」
また由比ヶ浜に気を遣わせている気がする。...コイツの美点でもあり、注意すべき点でもあるな。
2人で部室の戸締りを一通り確認し、照明を落とす。
「じゃあ、俺は鍵を返してくるから」
引き戸を施錠しながら由比ヶ浜に声をかけた。
「う、うん。ばいばい、ヒッキー」
「おう」
小さく手を振る由比ヶ浜に背を向けて、職員室へと向かった。
....................
職員室に部室の鍵を返した...のだが、珍しいことに平塚先生が居なかった。
普段であれば残業しているはずなのだが...何か用事でもあったのだろう。
そして、中途半端な時間故に登校口は誰も居なかった。
外履きに履き替えて、先ほど雪ノ下が通った道のりを俺も歩む。
「ん?」
校門に人影が見えた。
...これまた見間違えにくい容姿の女子生徒だ。
明るい髪色に抜群のスタイルの彼女は...由比ヶ浜だった。
「由比ヶ浜」
「え?ひ、ヒッキー!?」
何故かびっくりしている様子の由比ヶ浜。
同じタイミングで部室を出たので不思議では無いはずだが...
「こんなところで何してるんだ?」
コイツのマンションは徒歩5分という距離の...下手すれば学校から見える距離にあるというのに。
「あ...その...これは...」
何故か言葉に詰まっている由比ヶ浜。
何か言いにくい事情でもあるのだろうか?
その旨を質問しようとしたその時、腹の底に響くような太い排気音が近づいて来た。
「あ...」
由比ヶ浜が短く声を上げた。
俺も音の方へ視線を向けると、大きなリアウイングと攻撃的なフロントマスクが特徴的なシルバーの国産スポーツセダンがハザードランプを点灯させて停車したところだった。
この車...前にも見たな。
そして、運転席から姿を見せた人物は...
「結衣、お待たせ...って、君は...比企谷くん、だったかな?」
先日、ショッピングセンターで由比ヶ浜と一緒だった千崎さんだった。
「あ、は、はい」
呆気に取られてしまっていた。
「う、うん。部室を一緒に出たから...」
「ああ、同じ部活だったね」
「う、うん...だから...」
「大丈夫、わかってるから」
よしよし、と由比ヶ浜の頭を撫でる千崎さん。
「...うん...♡」
一体何のことだ...?
「じゃあ、俺たちはこれで。これから結衣たちと食事に行く予定なんだ」
「う、うん。じゃあ...また明日。ばいばい、ヒッキー」
「お、おう」
そう言い残して、由比ヶ浜は千崎さんの車の助手席に乗り込んだ。
「お疲れ、また今度ね」
「は、はい」
軽く微笑んで千崎さんも運転席に乗り込んだ。
そして、シルバーのセダンはゆっくりと発進し、そのまま走り去ったのだった。
...........由比ヶ浜の家とは反対方向に。