子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
――――ィイイイイイイィィィィン。
それはモスキート音にも似た音だった。
「うるさっ」
そう言いながら目を開けると、俺は信号待ちをしていた。
信号からは通りゃんせのメロディが聞こえてくる。地面に映る俺の影はよく知る影よりずっと小さくて、少し考えるうちにこれが夢なんだとすぐに理解することが出来た。
「天神ー様の細道じゃ〜、だっけか」
信号機のメロディが成り代わり、鳥の鳴く声に変わる。
ここは見慣れていた筈の高速道路下の交差点。
街へと繋がる大通りは夕方の帰宅ラッシュに伴い人でごった返しになっており、背の低くなった自分では横断歩道の向こう側を見る事すら叶わない。
人通りの多い道とは別の小道に入りアスファルトから白い道路に変わると、茜色の夕日が余計に地面を照り返して昼でもないのに目を開けづらくなる。
車両用信号と歩行者用信号が組み合わさった、東京では1度も見た事がない四角形の古めかしい信号を右折し、道路から外れたあぜ道を登っていく。
青々とした草の匂い。
高校卒業後、1度も見ることがなかった景色。
数世代前の、少し不格好な形のスマートフォン。
街の掲示板の張り出しには【納涼祭2011】という記述があり、ここが10年前の景色なんだと気付けたと同時に、これが夢なんだと理解もした。
明晰夢ってやつだろうか? こんな風に「自分は夢を見ている」のだと認識出来てしまった夢は。
今まで1度もこんなこと起きた事がないから実感が湧かない。
だが、明らかに俺が生きている筈の2021から10年遡行した土地に足をつけているのは確かで、ならこれが夢なのは確かなわけで。
前例が無いのは何が起こるか分からなくて末恐ろしいものがある。が、見てしまったものはしょうがないし、俺はこれが夢であると気付いた上で起床したりせずそのまま夢の中の世界を観察して回ることにした。
子供の頃に足繁く通った狭いあぜ道を登っていると、丘の上からパンッ! パンッ! と軽い破裂音のようなものが聞こえてきた。
丘の上には子供の頃作った秘密基地がある。そして、この音は子供の頃によく撃っていたエアガンの音にそっくりだった。
「……10年前」
まさか……?
逸る気持ちを自覚し足早にあぜ道を登る。
「あ。やっときた」
「おっせぇーよ
かがり
! もう夕方やんかぁ!」
「……ははっ」
俺の存在に気付いた2人の小学生。彼らは共に俺が小学校入る前から付き合いがあった幼馴染であり、中学卒業後、二度と会うことのなかった友達であった。
「夏休み初日から約束破るとか、お前覚悟出来てんだろーなぁ?」
俺よりも背の高い男子がそう言いながら詰め寄ってきた。
久しぶりに会う背丈の小さな幸太郎の姿に、つい。手を伸ばし、何事かと不思議そうな顔を浮かべる幸太郎の頬を手のひらで撫でてしまった。
「うわぁ!? な、なにしてん!?」
「すげえ……本物だ」
「はあ? 何言って、おい! こらっ、撫でるな! 撫でるなや!」
逃げようとする幸太郎を追いかけ回し、ヘッドロックを決め、完全拘束して感触を確かめる。
すごい、なんてリアルな夢なんだ。まるで現実世界でそうしているかのように肌の質感、骨格、生体反応や温度がダイレクトに手に伝わってくるぞ!?
何とか逃げ出そうと必死にもがく幸太郎だったが、甘い。こちとら中身は余分に10年生きさせてもらってるんだ。その経験をもってすれば、子供がどう動こうとするかなど容易に予測できるのだ。ふはは。
ま、そもそも以前から幸太郎とよく喧嘩してたけどその度に勝利を収めていたし、俺が負ける理屈など微塵もないわけだが。懐かしサービスにつきもっと絡みついてやることにした。
「こら」
「あいてっ」
ギリギリと幸太郎を絞めていたらデコピンを食らった。顔を上げると、もう1人の幼馴染である
「遅刻してきたのにごめんも無しはちょっとどうかと思うんやけど?」
「えっ? あっ、ごめんな。みゃーこ」
「オレには!?」
「ごめんな、幸太郎」
謝ると、幸太郎も都子も不思議そうな顔した。どうやら俺がここで素直に謝るとは想像しなかったらしい。
しかし本当に懐かしい。まさか、街の景色だけでなく、登場人物まで10年前に遡っていただなんてな。
秘密基地も当時のままだ。大きくうねった木の幹に風鈴をぶら下げて、近くのごみ捨て場から引きずってきたソファやダンボールを敷いて作った床なんかもあって。
ソファの脇にはバケツがあって、その中には氷水と共にアイスが入っていた。
ダンボールの上に散らかったBB弾とエアガン。ボコボコに凹んだ空き缶やカカシ。
この空間にあるもの全てが全て、本来ならもう戻れない過去そのものだった。
「えっ、
「おいどうした!? 誰かに嫌がらせでもされたんか!?」
「うん、された……」
「誰に何されたの?」
「俺らに秘密はなしやろ! 教えろ、佐藤か!? アイツにやられたんか! 絶対そうやろ、あの野郎〜!!」
「お前らだよぉ……」
「……ん?」「……はい?」
2人はまたしても理解出来ないといった調子で小首を傾げた。
当然だ、ここは夢で、俺以外は全て過去の再生であり、俺は未来を知っていて、未来の事象に対して感情を揺さぶらされていたのだから。
中学3年の修学旅行。幸太郎と都子を乗せたバスは事故に遭い、乗り合わせた全員が死亡する。
俺は2人とは別クラスだった為事故に遭うことは無かったが、大切な幼馴染を2人同時に失った事から地元から離れた高校に通い、それでも心の傷が癒えなかった結果、意味も無く上京した。
3人で通った駄菓子屋。ゲーセン。スーパー。本屋。それどころかただ通っただけの道。
幸太郎と都子がいないこの場所は、全てが地獄にしか見えなかった。だから逃げたのだ。
「……なあ。どうしたんだよ? お前なんか様子変やぞ?」
「頭でも打ったんやろ。なんか八尋、いつもより大人しいし」
「だなぁ。熱でもあるん?」
幸太郎が俺のデコに手を当てて熱を計ってきた。平熱なので無視する。
「リビングデッドの呼び声がもし現実でも使えたら、こんな風にはならなかったんだけどなあ……」
「ん、遊戯王? デッキ持ってきてるん? 先に言えよー!」
「いや持ってきてない……」
「なんなん……?」
中学3年の修学旅行で2人は死ぬ。それはこの時点では未来の話で、そもそもこの先なんてない夢の中なんだ。これ以上こんな話をぶり返す気もなければ、それ関連で話を広める気もない。
折角懐かしき幼馴染達と夢の中であれ再会したんだ。それこそ夢らしく、なにか都合の良い物が入っていないものかとズボンのポケットを適当にまさぐってみる。
お? 何かが指に引っかかった。
俺はポケットの中にあったそれを出してみる。あったのは……消しゴム? だった。
「え!? お前それ、めちゃくちゃ強そうなやつ持ってんやん!?」
幸太郎は俺の消しゴムを指さしてそう言った。強そうな消しゴムとはなんなのだろう。
……。
あっ。そうだそうだ。そういえば小五の頃、クラスで消しピンとかいう遊びが流行っていた気がする。
消しピンとは名前のまま、机の上に消しゴムを置いて、それをデコピンして他の人の消しゴムを落とし合うっていう単純なゲームだった。
消しピンの強さは消しゴムの個体差で決まる、というのがクラスメートの中では常識で。めちゃくちゃでかい消しゴムを持ってきたりカバーに画鋲を刺したり色々と画策していた気がするな。
なるほど。そこで俺の持っていた消しゴムはサイズが大きくコの字の形をしていた。小学生的な理論で、でかい=防御力特化型、尚且つコの部分でほかの消しゴムを掴めるという利点もある、等と理論立てて強そうとか言ったのだろう。
うーん。この歳になって考えてみると。中々どうして馬鹿みてぇ。たかが消しゴムで殴り合いとかしてたもんなぁ……当時。
「よし。じゃあ今日遅刻してきた詫びにこの消しゴムお前にやるよ」
「え、いいん!?」
「私は? 私への詫びは? 幸太郎だけはずるい!!」
「私の詫びはて。みゃーこはそうだな、あげれるものないから肩でも揉んでやるよ」
「びみょ〜……」
「だがな幸太郎、条件がある! この消しゴムを欲しくば」
俺は投球フォームを取ると、消しゴムを思い切りソファに向けて放った。
「俺より先にあれをゲットすることだなっ!」
「なんやそれ!? って、うおお負けるかぁ!!」
俺が駆け出したら合わせて駆け出した。やっぱり単純だなあ幸太郎は。
幸太郎が真っ直ぐ消しゴムを拾いに行く中、俺は脇道に逸れ、ソファの横に置いてあるバケツにアイスと共に入っていた水鉄砲を取り出す。
「よっしゃ! 俺の勝ちぃ!」
「そりゃよかったな!」
「ぶひゃあ!?」
喜ぶ幸太郎の顔面に水を勢いよく噴射する。それがあまりにも突然だったからか幸太郎は後ずさり、ソファに倒れかかった。
「な、なにすんだ!?」
「おりゃおりゃ。夏休みは始まったばかりだぜー」
「やめろ! おいやめろ!!」
ソファに倒れ込んだ幸太郎に二丁拳銃スタイルで水を噴射しながら歩み寄る。
映画なんかである様な、銃身を横に傾けた撃ち方をするせいで気分はハリウッド俳優である。
トドメ! と言わんばかりに思い切り水風船を持つ手を高らかに掲げる。
「とりゃー」
「ぶあぁあっふぁ!?」
振り下ろす前に背後から、最早バケツごと振り回されて頭から大量の水を被ってしまった。
「みゃあこ〜〜〜!!!」
「あははっ、遅刻罪で銃殺刑だ! 2対1だ、やるよ幸太郎!!」
「でかしたぞみゃーこ!! ナイスパスッ、おりゃああー!!」
俺を挟むように立つ幸太郎と都子が互いに水鉄砲を撃ってくる。こちらも二丁拳銃だ、それぞれに懸命に応戦し、いつしか2人の共同戦線も解かれ、3人で秩序のない撃ち合い濡らし合いが始まった。
「次は1週間後、市民プールやからな! また遅刻したら今度こそ許さんよ鹿狩!!」
「しねぇーよ」
「みゃーこの可愛い水着を見るためにも早く来いよな! お前を待ってて遊べんかったとか死んでも嫌やぞ!」
「な、なに言ってんのバカ。てか、今日帰ったらさっさとお風呂入んなよ。そのまま寝たら風邪引くからね」
「お前もな。次遊ぶ時、今日の倍以上水かけてやっから。まじバケツの件、忘れないかんな?」
「んーなんの事だかわかんな〜い」
「てめー……!」
「まあまあ、今日はこれくらいにしようや。遅いしさ」
「それもそうだね。じゃあ2人とも、またプールで!」
「あいよー、おやすみー」
「おやすー」
水かけ合戦を終え、帰路につき3人で別れる道で少し談笑した後にそれぞれがそれぞれの家路に入っていった。
オレンジ色の街灯が並んだこの緑道も懐かしい道だ。住宅街独特のどこかの家庭の晩飯の匂いを嗅ぎながら、もうしばらく帰っていない実家へと歩いて向かう。
てか、この夢はいつ頃覚めるのだろう?
てっきり遊んでる最中にでも目を覚まして、水にまつわる夢を見てるからおねしょでもしているという終わってるオチを想像していたのだが、結局2人と別れるまで目は冷めず終いだった。
ベッドについて眠れば、この世界から脱出して現実世界で目覚める事が出来る的な事だろうか?
そうだとしたら、どっちが夢でどっちが現実か分からないな。夢日記を付けるとそこらへんの境界が曖昧になって危険と言うが、流石にそんな精神病者みたいな事態には陥りたくないぞ。
出来るだけ就寝以外の手段で目を覚ます方法を模索するか。等と考えていたら、いつの間にか俺の足は懐かしき実家の前で止まっていた。身体は覚えてるものだな、と感心した。
「ただいまー」
玄関横の植木鉢の裏に置いてあった鍵で扉を解錠し実家を開けると、これまた懐かしい我が家の匂いに鼻腔を襲われる。
「家に帰って起床オチ、でもないのか」
靴を脱ぎ、濡れそぼった靴下も脱ぎ、裸足でぺたぺたと木の床を歩く。とりあえず服だけ着替えようと自室に一直線に向かう途中、リビングから大人の男が現れた。
そいつは父親であった。
俺の父親は俺が小学校低学年の頃に離婚している。理由は知らない。つまり、時系列的な話をすれば今この家に父親がいるのはおかしな事で、逆にそれが「ああ、やっぱりこれは夢だ」と俺を安堵させる材料にもなった。
「どこ行っとったん。八尋」
「え? えー、友達と遊んでた」
記憶も残らないほどに過去の人間であった父親と久しぶりに交わした会話の、最初の一言は本当に他愛がなかった。
というか、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。まだ母ちゃんの彼氏の方が会話しやすい。俺には父親の人となりがまるで分からなかった。
「何故だ」
「ん?」
「何故、何も言わんで外出た。約束と違うやろ」
夏休みじゃねえの? 今。てか、うちには遊びに行く前に誰かに行き先を伝えなきゃいけないなんて縛りはなかった筈だが。父親は厳格な性格をしているらしい。
まあ、家の中だというのに背広をキッチリ着てるからイメージは容易いが。苦手だ、こういう大人の人。
「別にいいだろ、すぐ帰ってきたわけだし。じゃ、俺風呂入るから」
「はあ……こんなに濡れて。手術に障ったらどうするつもりなんや」
「は? 手術? 何の話だよ」
「とぼけるな、話はもう終わっとるやろ。早よ準備しろ、もう出るぞ」
「あ? ……あっ、ちょっおい待っ!」
父親は俺とはそれから会話もせず家を出た。
おいおい、手術ってなんの話だ? どういうイベントだ? こんなの記憶にないぞ。どうなってる。
と少し考えてみたが、ここは夢なんだから必ずしも過去あった事実をなぞってるわけでもないのは当たり前か。
なんの手術をするのか。なんで父親がここにいて、逆に母親はここにいないのか。
分からない事尽くしだったが、外でエンジンをかける音を聞いたら「やばい、行かねえと」という気になったので、俺は急いで服だけ着替え、軽装のまま家を出た。
「早かったやん。もう愚図らんくてええのか?」
「誰が愚図るか。つかあんた、煙草吸うんだな」
「? そりゃあ」
父親はエンジンをかけた車に軽く肘を当て煙草を吸っていた。相当出てくるのに時間をかけると想定したのだろう。
「いいよ、吸ってな。先に座っとく」
「……? 悪いな」
タバコを消そうとした父親に構わずそのまま吸うよう言うと、彼は妙な物を見るかのような目線で俺を見た。
夢から覚めれば俺も喫煙者だからな。喫煙中の相手を急かしはしない。
「待たせたな」
「全然。美味かった?」
「あ、あぁ。まあ……」
タバコを吸い終え、運転席に戻ってきた父親に軽くトークを交わそうとしたら微妙な反応をされた。後部座席に座っているから相手の顔は見えないが、なんかこちらの反応に対し逐一釈然としない態度を取ってないか?
俺自身は父親をあまり知らないが、この夢の世界のショタ俺は父親とあまり会話しないタイプだったのだろうか?
珍しいな、まだ小学生なのに親と心が疎遠になってるだなんて。
10年前の夜の街は、現代と比較してさほど景観に大きな変化はなかった。だから車外なら見える光景より、俺はこの車の独特の匂いに1種のノスタルジーを感じていた。
うろ覚えだが、最後に父親と話したのは7歳頃で、確か父親と二人でドラえもんの映画を見に行った気がする。
映画の内容がどうこうより、普段家に居ない父親と話がしたくて。でも上手く話しかけられなくて。だから、行きも帰りもこの車の助手席で何も言わず、鼻腔をくすぐる芳香剤とタバコの匂いに意識を傾けていた。
あの時と同じ匂いだった。不思議だ、これではまるで夢を見てるのではなく、過去にタイムスリップしているかのように錯覚する。
「……なあ、八尋」
「あん? なに」
「……友達と、ちゃんと別れは済んだのか」
「は?」
友達と、別れ?
済んでないが。1週間後にプールで遊ぶって約束したばっかだけども。
しかしそれはさっき俺らで取ってつけた話で、父親の様子を鑑みるに何か、友達と別れを告げなくちゃならない予定は以前からあったというのは感じ取れた。
手術、というやつだろうか?
どうせ夢の中だ。現実になにか影響があるわけでもなし、俺は漫画を読むように次の展開に期待しつつ、父親が話を続けるのを促す。
「済んでない。てか、何の話。分かんないから分かるように教えてや」
「お前……」
「いいから話してくれよ。記憶喪失なんだこちとら」
「はぁ……」
駅近くのドン・キホーテ横で信号待ちに捕まると、父親はミラー越しに俺を見た。ピースしてやる。
「どうした。なんか変やぞお前」
「どこら辺が?」
「その態度や。訛りも消えとるし。1日見らんかっただけでそうはならんやろ。まるで別人みたいやん」
「あー……ええと、あれや。ここだけの話、俺は別世界から来た俺だから今の状況理解出来てない的な? あんま何されるかわかってない現状やから、1から説明ヨロシク〜的な」
「アホか」
「冗談通じねぇ〜」
冗談じゃねえけど。しかしまあ、こんな話が通じそうなタイプには見えないし残当か。
それからは父親の方から話しかけられることも無くなり、俺から話したいこともある訳ではなく。無言で彼の運転する車からの景色を楽しんだ。
……そしていつからだろう。車の揺れとネオンの光の相乗効果で微睡みに誘われた俺はいつの間にか眠ってしまったようで、肩を叩かれる感覚に煩わしさを感じながら目を開けると父親の顔がまだそこにあった。
夢の中で眠っても、夢は覚めなかった。
覚めるどころか、完全に俺が知らない場所に俺は来ていた。ここら辺でようやく、嫌な汗が背中に流れ始める。
(あれ……? これ、もしかして夢じゃないのか?)
頭の中でそう呟く。
何がなんだか分からないままに父親の後を着いて歩く。
その場所は簡単な説明をするならかなり大きな病院だった。○○大学病院と書かれている、そんなの俺の住んでる県内では聞いた事ないし、ここはもしかしたら県外なのかもしれない。
「やあ、初めまして。鹿狩八尋くん」
「え、ども」
病院に入ると、スーツ姿の50代後半位の男に声を掛けられた。
誰だろう、本当に知らない人だ。テレビで見たことのある有名人? その程度には認識はないと、夢の中でこんな出会い方はしない筈だよな……。
「こんな時間にすみません、先生」
「いえいえ、八尋くんの気持ちは分かりますとも。仕方ないでしょう」
「しかし……。ほら、八尋も謝れ」
「えっ、なにが、うぉいっ!?」
ロクな説明もされないまま父親に頭を捕まれ強引に頭を下げさせられる。一体なんだと言うのだ、説明をしろ説明を。帰宅してから何一つとして理解出来ないぞ。不条理だぞ。
「辞めましょう鹿狩さん。連絡を聞いた時は心配しましたが、今の様子を見るに八尋くんも覚悟を決めたようですし」
(覚悟……?)
「はい。……じゃあ、俺はこれで行くからな。元気にやれよ、八尋」
「え、お、おーう。そちらもお元気にーぃ……?」
よく分からないまま俺をここに連れてきた父親が自然とフェードアウトしていって、俺の周囲には俺の知らない50代のおじいさんと妙齢の看護師さんしか居なくなった。
要領を得ないままに話がトントン拍子に進んでいる。もうこのまま流れに逆らわず従っていた方が、夢を見る側としては正しいのかもしれない。
俺がなにかアクションを起こした所で、波風1つ立つようにも思えないしな。
「それでは、着いてきてくれ。八尋くん」
「はあ。その前に、おじいさんの名前伺ってもいいですか?」
俺がそう聞くと、男は「ああそうだったね」と名乗り忘れていたことに気付いた様子で少し笑った。
「僕は
「松前さんですか。よろしくです」
歩きながら自己紹介した彼の名前は、本当に俺の知らない名前だった。
現実世界で会ったことは絶対に一度もない。テレビなんかに出てる有名人だったとしても"松前浩二"なんてイマイチピンと来ないし、じゃあもう知り合いではないと結論付けるのが早かった。
不思議なものだ。自分の知らない人間も夢の中でなら出会えるのか。んなわけあるか。
薄々感じてきている1つの気味の悪い推測を無視するために、俺はここでの現状とこれからを整理するために改めて、父親が答えなかったことを松前さんに尋ねることにした。
「ええと。すいません松前さん、今更こんな事を聞くのもあれなんですけど。俺、これから何されるんですか?」
「えっ? ……ええと」
「あー……その、一応覚悟してはいるんですけど、あと一押し欲しいので。あえて松前さんの口から言ってもらって、覚悟を固めるというか……」
父親の下りで一蹴されながら思いついたなんとか説明まで持っていけそうな言い分を口に出すと、松前さんは「なるほどね」と神妙な面持ちで頷いた。
「そういう事なら。お父さんから聞かされていない部分もあるだろうし、僕からで良ければ話すよ」
「はい、是非とも」
お父さんから聞かされていない部分というか、"手術"という単語以外なんにも聞かされていないわけだが。
「実はこの話は、君のお母さんの遺言から来ていてね」
「えっ。遺言?」
待ってくれ、死んでるのか? 母ちゃん。
おい、おいおい。なんだろうな、実家を出て数年して、気付いたら母親が死んでいた。それを人伝に聞いたかのような衝撃に襲われてしまったんだが?
きっと今の俺は顔面蒼白になっているはずだ。だが消灯している病院の廊下を懐中電灯の灯りを頼りに歩いているせいでそれを松前さんが知る事はなく、故に彼は話すのを中断しなかった。
「お母さんは君に。八尋くんに亡くなった双子の姉の代わりをして欲しかったんだろうね」
「はい?」
知らん知らん。なんだその謎設定、初めて聞いたぞ。居ねぇだろ、俺に死んだ双子の姉なんて。
「彼女は生まれるはずだった双子の姉の
しお
さんが生きて生まれて来れなかった時、それは深く悲しんでいた。そして、無事に生まれた君が全身の細胞に異常があり20歳まで生きられるか分からないと知った時の彼女の絶望は……計り知れないよ」
「はい???」
全身の細胞に、異常があり……。
20歳まで、生きられない!?!?!?
!?!?!?!?!?
知らない知らない、知らないねえそれ! ガチの話!? 俺先天的な何かを抱えてる症候群ベイビィだったんか!?!?
えっ、えっ!? じゃあなに、新説浮かび上がったけど! これ、夢じゃなくてその病気で死んだ俺が過去に転生したとかそんなノリじゃねえの!?
そんな事あるのかよって思うけど、もう夢じゃそろそろ説明できないくらいこの世界に滞在してるもんね俺! まだそっちの方がワンチャンツーチャン有り得るよねぇ!?
「君の病気の改善策は現状の医学では解明も治療も不可能だ。だから当初は、君には何も伝えず、幸せなまま生きていてほしいとご両親から願われたよ」
「はいー???」
なーるほどなるほど。つまり、幸せなまま症候群を隠蔽されて育ち、人知れず死亡したのが今このショタ八尋の中に入っている俺という存在なのかな? そんなご無体な話あってたまるか!
「しかし、お母さんが亡くなる前に、君の肉体に急に発作が現れるようになった。解明も治療も出来ない、だけどお母さんは君だけには死んでほしくなかったんだ」
「はあ」
「様々なドナーの方から提供された体組織や君のお姉さんの細胞だったもの、それらをお父さんの協力を得て集め、多大なお金を掛けることで君の身体を丸ごと作り替えようという話になったんだ」
「……」
「こんな話を君はよく受け入れたとお父さんは褒めていたけど。その顔は苦々しかった」
「……」
「断ってほしかったのだろうね。最初の嫌がっていた頃のまま、反抗してほしかった。でも、君は」
「……」
歩く。
今聞いた話の、多分八割くらいは意味分からなかった。
だから、一つ一つ。今聞いた話の中で何とか音として記憶に残った響きを改めて脳内で再生し、文を紡ぐ。
「はあああぁぁぁぁぁあああああ!?!?」
深夜の病院だと言うのに、俺の口からは自然に叫び声が出た。人って、自分が受け止められない程の疑問に直面した時にギャグ漫画のような雄叫びをあげるものなんだなあと、そう思った。