子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
雪がよく降り積もった日だった。
幸太郎と、八尋と、佐藤と。四人で集まってカマクラを作った。私の家の庭で、男子連中が率先して雪を集めて、固めて、私を誘い出してくれた。
「頭ぶつけんなよ、ほら」
「うん、ありがとう佐藤君」
「くっつきすぎやろ鹿狩! 暑苦しいっての〜!」
「知らんわ〜。ほい皆、取り皿〜」
四人でくっついて、慣れないコンロの使い方に四苦八苦しながら食べた初めての鍋は、ちゃんと熱が通ってなくて少し温かったけど美味しかった。
「みゃーこ、ほら! ひもQ鼻毛!」
秋の木陰の下は涼しくて、静かで、緑の臭いが充満していて、優しい場所だ。
一人で泣いてた。神社の階段を上がってきた八尋は、泣いてる私を見つけては、トテトテと駆け寄ってきて笑かそうとしてきた。
「鹿狩君は、なんで私なんかにかまうの?」
「んー? なにが?」
「幸太郎とか、五十嵐君とか、楠ちゃんとか、他にも友達いるでしょ。私なんかより、他の子と遊んだ方が、たのしいよ」
「みゃーこ、見て! 鼻くそついたぁ!」
「うわーっ!? きたなぁい!?」
その日はひもQの先端に付いた鼻くそを私に押し付けようとしたから、引っ叩いてその後鬼ごっこした。
勝てなくて悔しくて、悔しがる私を見た八尋は髪をぐしゃぐしゃと両手で弄って茶化してきた。
ムカついたけど、なんだか楽しかった。友達って、こんな感じなんだろうなって思ったから。
「八尋、どこに行っちゃったんだろうね……」
夏休みを全部使って私や幸太郎、その他繋がりのあった人達と一緒に消えた八尋を探した。
日に日に、皆の心が離れていくのを感じた。最初は八尋が居なくなったことを重く捉えていた子達も、1ヶ月も経てばそんなのはどうでもよくなって。
でも、八尋の存在が薄れていく反面で穏やかな日常が少しづつ戻っていくのを肌で感じた。
たった一人消えた所で、その一人を取り巻く環境は変化しなかった。そんな中で幸太郎と私だけがずっと飽きもせず闇雲に八尋の事を探していた。
周りからズレてる、そう感じた。それでも良かった、まだ幸太郎が居たから。幸太郎が居るのなら、どれだけ周りとズレてても孤独ではなかったから。
「……無理して付き合わなくてもいいよ、みゃーこ」
「無理なんかしてないよ。幸太郎が頑張ってるなら、私も一緒に頑張るから!」
夕方。泣きそうな顔をした、まだ私より背の低かった幸太郎に笑いかけて、一緒にアイスを分け合った。
励ましてるつもりだった。佐藤から守ってくれるようになっても、やっぱり幸太郎は弟のように可愛い存在だった。
「八尋は、またプールでって言ってたよ。大丈夫、帰ってくるよ。そういう約束をしたら、絶対守るのがあいつでしょ?」
「……そう、だよね」
「そうだよ! だから大丈夫、絶対に私も一緒に八尋を見つけるから!」
そう言い、指切りげんまんをしたのを覚えてる。絶対見つけ出して、これからも三人でずっと一緒にいよう、そう心から誓った時から、幸太郎の心が初めて私に溶けた気がした。
……私が、佐藤に体を許すまでは。
寝具が揺れる音がする。戸を開いて、私が室内に入っても気付かないくらい二人は夢中になっていて、気付かない。
「あっ……んっ、ぅっ……っ! あ゛っ……! っく、樹利! きりぃ……っ!」
淫らな声が保健室に響き渡っていた。甲高い声は段々低くなっていって、知性が低下していくようなうわ言のような滑舌で佐藤の名前を呼び媚びる姿は、もう滑稽なくらいに引き返せない所まで堕ちた牝にしか見えなかった。
「んっ……ぎぃっ!? いっ……っ……っ」
「はっ……八尋っ、八尋っ……!」
「っ、……っ!」
カーテンの隙間から少し見える。佐藤が八尋の上に覆いかぶさって、首に手をかけながら力任せに腰を振ってるように見えた。
……私にする時よりも、乱暴で、情熱的だった。
佐藤の首筋や腕など、至る所にキスマークが付いていた。八尋の首筋には、自分の所有物であることを主張するような噛み跡が付いていた。
荒い呼吸音。気道が塞がって苦しいはずなのに八尋は歯を食いしばって、それはもう気持ちよさそうに、薄目で、惚けた顔で体を震わせていた。
ほぼ全裸の八尋の横には、空いたコンドームの箱があった。そういう事を初めからするつもりで、学校に持ち込んできていたらしい。
腰を掴まれ、八尋は身をくねらせながら「グリグリ、やめてぇ」などと情けなく悶えていた。そんな抵抗も虚しく、すぐに絶頂に襲われた八尋は獣みたいな濁音混じった声でイくと連呼し、身を震わせていた。
感電でもしたかのように激しく痙攣する様に、形容しがたい気味の悪さを覚えた。
「……っ!?」
気分が悪くなり去ろうとした瞬間、佐藤と目が合う。
「はぁ、はぁ……ははっ」
私は、二人の情事を覗き見ていた。
恥ずかしながら、その行為に釘付けになっていた。
そんな私に、まるで前から気付いていたかのように、姿勢を起こして呼吸を整えていた佐藤の目線は私を挑発しているようだった。
佐藤は、まるで散々親にねだった玩具を手に入れた子供のような顔で……いや違うな。貸してくれなかった他人の玩具を強引に手に入れた子供のような顔で、私に笑いかける。
気付いていた。気付いた上で、私に情けない八尋の姿を見せつけた。
「もうおわり……?」
八尋はまるで私に気付いていなかった。佐藤の手を取って、佐藤の事を手繰り寄せるとそのまま思い切り唇を合わせ、唾液を貪っていた。
佐藤からの無理やりな性交渉では無いのだと、嫌という程理解させられた。八尋の方から佐藤を求めている。
軟体動物の交尾みたいだ。執拗いくらいに身体を絡め合わせて、互いの温度を擦りつけていた。
以前よりも育った八尋の胸を、その心臓に食いつくように、佐藤は噛んだ。八尋はされるがままに、それを愛おしそうに息を吐きながら眺め頭を撫でている。
なんで、こんな事になっているんだろう。有り得ない。普通じゃない。だって、佐藤は男で、八尋だって元男で、二人は幼馴染だった筈だ。
こんなの、有り得ない。
行為が終わった後の女にあんなに優しくしてる佐藤なんて、今まで存在しなかった。
ロクに喋れなくなるくらい必死に男を求める八尋なんて、今まで存在しなかった。
密かに付けてきて後悔した。佐藤に連れていかれる八尋の、二人は付き合ってるという発言。あれは紛うことなき真実で、まさに今こうしてその証拠を突き付けられて、足元がぐらつくような錯覚を覚えた。
「……また、取られた……」
それは、どちらに対して言った言葉か分からなかった。
一気に二人の幼馴染を目の前で失ったと思ったら、急に全身の血の気が引いていくような気がした。
また、行為が始まった。私は急いで保健室から出ると、トイレまで駆け込み、戻してしまった。
「気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い!!」
脳みそが痒い。目玉が飛び出そうなくらい痛くなる。眼球が乾いて涙が止まらない。頭の中で、大事にしていた記憶が蛆虫に集られてる様だった。
全身が総毛立った。浮遊感に思われた。八尋だけはそばに居てくれると、漠然とそう思っていた。そう信じ込んでいた!
あの様子じゃ、きっと佐藤に身も心も犯されて、虜になってるに違いなかった。
嘘つき。変態。裏切り者。淫乱。キチガイ。ビッチ。クソビッチ。イカレ尻軽女。罵倒する言葉が汚れた口から絶え間なく漏れ続けた。
その日、私は誰にも何も伝えず家に帰った。このまま学校にいて、もし二人とそのままバッタリ再会でもしようものなら、どうなるか分からなかったから。
景色が巡る。
頭の中で冬から春まで季節が巡って、最後にはあの地獄が現れる。その度に私はトイレに駆け込み、胃の内容物を吐き散らした。
『きっと八尋に嫌われた』
なんでそんなこと、まるでまだ八尋の事を気にかけてるような事を考えてしまうのか。
私が! 八尋を嫌いなんだ。私が嫌う側だ。
……でも、いつも決まって最後にそばに居てくれたのは八尋で、不安定な私を支えてくれたのも1番大きいのは八尋の存在だと思う。
そんな八尋に、きっと嫌われてしまった。だから佐藤なんかとくっついた。
全部間違えた。関わり方を間違えた。再会した時、冷たくしなければよかった。すぐに受け入れるべきだった。
またいつものように縋りたいという思いと、心底気持ち悪いという感情がぶつかり合って頭がおかしくなる。
「たすけて……」
誰に向かって呟いたんだろう。
誰も私を助けてくれない。いつもその呟きをぶつける相手は八尋だった。アイツは、アイツも、敵だ。
スマホに来る連絡に、ただ機械的に返信する。『大丈夫』、『なんでもない』、『風邪が長引いてる』。全部嘘だ。本当の事なんて言えない、なんて言えばいいのかも分からないし。
「たすけて、誰か。たすけて、たすけてよぉ……」
震える手でスマホに手を伸ばす。
ピンポーン。
その時、家のチャイムが鳴った。
「……」
ピンポーン。また鳴った。何回もシカトをしてもチャイムは鳴り響くことはなく、それ所か下から"私"を呼ぶ声が聞こえてきた。
「みーやーこー? いるよね〜? おーい!」
女の声だ。
カーテンをそっと開けて声の主を見る。そいつは、淫乱イカレ女に堕ちた八尋だった。
「あ! いたー! おーい!」
何の用なのか分からない。知ったことではない。そう思い無視を決め込む。
「授業の板書の写しと、あと宿題持ってきたー! 受け取ってよー!」
「……」
「おーい、シカト悲しいですー! 泣いちゃいますよー!」
「……知らない。勝手にすれば」
「えー? なんか言ってるー? 口パク読み取れないよー私ー!」
「……」
いや帰れよ。しつこいよ。避けられてる事分かるだろ、分かれよ。
仕方ない。全然アイツの顔なんて見たくないけど、学校のプリントを届けてくれたのならそれを受け取るぐらいの義理は果たそう。渋々、下まで降りてドアを開ける事にした。
***
「おー! 都子の部屋久しぶりだな〜」
久しぶりに都子の部屋に入った。下でプリント渡して帰るでも良かったんだが、特に帰れとか言われなかったので大手を振って踏破してやったぜ。
「勝手に部屋の物に触らないで。鹿狩くん」
「うわっ、先手取られた。卒アル見ようと思ったのにー!」
ちぇっ、俺が不在の卒業アルバムを見て胸を痛めようと思ってたのに釘を刺されるとは。
仕方がない、天蓋付きのメルヘンな都子のベッドにドタドタと走って背面跳びで飛び込んだ。
「わー! 都子の匂いするー! あまーい!」
「……キモイんだけど」
「女になったら絶対やろうと思ってたリスト1つ、女のベッドに勝手に飛び込む、クリアです!」
「うるさい、鬱陶しい、キモイ、死ね」
「死ねはライン超えでーす!」
悪口を圧縮弾丸にして放ってきた都子に手で作ったバッテンを差し向ける。
顔面に枕を叩き込まれた。枕投げかな? やんちゃだなあ。
「しっかし、どしたん? 風邪を引くなんて珍しい。無遅刻無欠席だったんやろ? 都子」
「……」
反応は無し、か。今日も今日とてツンドラ気候みてぇな態度ですな。涙腺強くてよかった~。
ただ会話も無しに帰るのはちょっと気が引けるし、ここは一つ、気になっていた話題を出してみようか。
「てかさ、疑問に思ってたんだけど、モデル業やってんのに無遅刻無欠席ってどうなってんの? 学生とモデル、どっちも満遍なく両立させるとか凄すぎない?」
「……モデルやってる事学校に行ったら、申請を出したら休んでも出席扱いになるって事になってんの。考えりゃ分かるでしょ」
「分からんよー。私芸能人じゃないし〜」
おっ、会話に応じてくれたぞ。よし、このまま会話を続ける雰囲気にシフトしていこう。顔面にぶん投げられた枕を抱き、女子がトークに移行する時の女の子座り待機ポーズを取っーー
バチンッ!! と音がして、頬を思い切りぶっ叩かれた。
「ぶわっ!? えぇ~!?」
痛い痛い、痛いよぉ!? なんでいきなり叩かれんの!? 髪の毛ふん掴まれて大振りビンタされたよ!? 流石に涙零れてくるよ!?
えっ、都子の目が怖いよぉ……? めっちゃ人殺しそうな目で睨んでくるんすけど、なに? 俺なんかやったっけなぁ!?
「都子……?」
「話しかけないでくれる。ビッチ」
「まーたビッチ呼ばわり!? なんで私そんなポジション確立してんの!?」
本気で意味が分からない。そう考えていたら、表情から思考を読み取ったのか都子は呆れと見下しの感情を表情に込めてため息を吐いていた。
「み、都子? あの……」
「なに。私の事、嫌いになるならなれば。いきなり手を出してくるガサツな女、嫌いでしょ」
「うんどちらかと言うとちゃんと嫌いだなそれは」
むしろ好きな奴いるか? 風を切る音すら聞こえてくる威力のビンタを丸腰無抵抗で食らって笑顔を保てるか? おらんよそんなやつ。
「……っ、おっけー。ほら、エンガチョしよーよ。嫌いな相手に付き合いことも無いよ、さっさと」「でも都子の事は、どんな風になっても嫌いにならんけんどに~」
ま、言うて女の力だし別にそこまでムカつきはしなかったが。驚きが勝って引っ込んじまったよ、怒り。頭の中混乱だらけですよ。
「……は?」
お? なんか不満げな顔だ。幼馴染らしくエモエモのデレセリフを出してやったというのに何が不満か。もう一撃ビンタ食らう羽目にならなくてよかった。
「都子の事大好きだもん。勿論友達としてだけど。だから嫌いにならないよ」
「……笑わせないで。今更友達とか」
「今更ぁ? なぁ、都子。マジでどうしたんだよ? なんか最近のお前、怖いんだけど」
それまで逸らしていた目で都子が睨んでくる。いや~、本当に俺に不機嫌そうな顔しか見せなくなったな。カルシウム不足なのかな。
「もし、自分が信頼している相手。拠り所にしていた相手が、自分に酷い事をしてきた奴と仲良くやってたら。 あんたはどう思う」
「おー。まさかの思考実験。なにそれ?」
「いいから応えろ」
ふむ。自分に酷いことしてた奴と、心配してる奴が仲良くやってたら? ふむふむふーむ。
「どんな答え方が理想?」
「なんでもいいから早く答えろ」
「へいへい。えー……まあ、複雑な気分にはなるよね。酷い事、の部分の度合いにもよるけどさ」
「思いつく限り1番最低な事を思い浮かべて。なんでもいいから。それを踏まえた上でもう一度考えてみて。本当に複雑な気分になるだけで済むのか」
遠回しに俺の答えが気に食わないって言われ思考し直しを要求された。嫌な事と言っても、具体的な例が浮かばないから想像するのが難しいなあ。
まず、考えうる限りの1番最低な事をされる想定をしなければならないわけだが。
「んー……でも、最低最悪な事をしてきた奴本人ではないんやろ? やったら別にどうも思わないよ、私は」
「……はぁ? なにそれ。そんな綺麗事聞きたいわけじゃないんだけど、本心で答えろよ」
「綺麗事じゃねぇよ~。じゃあ何、そのムカつく奴諸共ムカついとくべきだったん? 犯罪者の家族も犯罪者理論やんそれ~」
「はぁ!? 何の話に絡めてるわけ、関係ない話しないでよ」
「私的には悪い奴の交友関係とかどうでもいいんだよな~」
「ふざけんなっ!!」
都子が思い切り地団駄を踏んだ。足の裏痛そう~。
「私に酷い事するような奴と仲良くするとか、裏切りじゃんそんなのっ! 今まで積み重ねてきた時間とか、そういうのが丸々無駄になってんじゃん! 私からそういうの全部奪って行ってんじゃん!!」
「ん? そういう話? なになに、彼氏寝取られた?」
突拍子もなく意味の分からない思考実験をしてくるわけが無いもんな。相手は都子なんだし、そういうジャンルの気さくさは持ち合わせていないだろうし。
彼氏が寝取られて病んで引きこもってる、みたいな話なら一連の流れの辻褄が合う。間違いない、答えはこれだ!
「は? 何の話してんのあんた。そんな話してないでしょ」
うん全然違ったみたい。
誰だろうね、得意げに「都子、寝取られたんやプププー!」なんて考えてたやつ。大きく予想を外してるやん、しっかりしてくれ。
「じゃあ、一体どんな意図があってそんな話をしてきたん?」
「知らない。あんたに話すことなんかない」
「なんで突然不貞腐れる……」
取り付く島はあれど船着き場がボロボロすぎる。
中学生編入ってから、なんか会話難易度が異様に高いんだよ都子……。
俺の事嫌ってるのかと思えばそうでも無い、かと思えば今は親の仇みたいな目で見てくるし。カウンセラーとスリーマンセルで会話するべきなんじゃないかとすら思えるわ。
「はぁ……。話す事ないならもう帰るよ。邪魔して悪かったね、お大事に~」
なんか、もうテンション鬼下がりだったので帰る事にした。ベッド横に落ちてるカバンを拾い上げ、シーツのシワを伸ばして去り際の合図を送ろうと都子の方を向く。
「鹿狩くん、座って」
「え?」
都子はゆらりと俺の前に立ちはだかった。扉までの動線を塞ぐように。何事?
「どうしたの? 座って」
「あのー……私と話したくないんじゃ?」
「そんな事言ってないし」
「世界五分前仮説? ついさっきあなたに、話すことは無いって言われたばかりなのですが???」
「いいから座れ」
「はい」
有無を言わさず座らされた。床に正座。お説教食らってる時みたいだね。都子は座らず、俺の前まで来るとしゃがんだ。
「佐藤と別れろ」
「またその話ぃ……? だから別れねぇって」
「あっそ」
「都子? いだっ、いだだだだっ!?」
都子は立ち姿勢に戻ると、そのまま俺の横を通り過ぎるような所作で髪を掴んできた。後ろ向きに髪を引っ張られ、ベッドの上に投げられる。
「ちょっ!? なに!? なんのバイオレンスこれ!?」
ジタバタ暴れてみるが意味は無い。頭頂部の髪を持ってかれた上、仰向けに倒れてて押さえられてるせいで全然体を起こせない。
「だーっ! 離せーっ!」
「じゃあ佐藤と別れるって言って?」
「言うかあ!! 暴力には屈しないぞーいだだでで抜ける抜ける抜けるっ!!」
髪を掴む手の力が増す。腰を浮かして足をバタバタと暴れさせる。
死んだカエルがガルバーニ電気でビックンビックンする動きを模したつもりだ。キモがって力を抜いてくれるかと思ったが、そんなこと無かった。
「どうしても佐藤と別れないの?」
「ずっとそう言っておろうが!」
「分かった。じゃあこうしよう?」
都子は俺の髪をふん掴まえたまま、腹の上に跨ってきた。
「どういう状況なのこれ!?」
何が起こってるんだ? 幼馴染の家にプリントを届けに来たと思ったら、枕投げられて、ビンタされて、髪引っ張られて、擬似騎乗位!? 俺もしかしてこのまま都子に殺されたりしない?
「じゃあやっぱり、私と付き合おうよ」
「はぁ!? なんでそんな話ぃぎぎっ……!?」
断りを入れようとしたら空いた方の手で首を掴まれた。
都子は手の力を強めていき、呼吸するのが困難になる。
最初はじゃれてるのかと思って受動的になっていたが、本気で息が出来ないから流石に抵抗する。首を掴む方の腕を両腕で掴み、身を捻りもがき、都子を引き剥がそうとする。
……力、強い。ダメだコレ、本当に殺される。
脇腹に膝蹴りを入れる……のは、都子には出来ない。都子は、ダメだ。
「ねえ、これが好きなんでしょ!? 私にも出来る! 私にも出来るから私と付き合って! 私だけを見てよ八尋っ!!」
「……ぁに、言って……」
顔面が物理的に熱くなっていく。視界が白む、都子が何言ってるのかろくすっぽ理解出来ない。待て、この描写は良くないぞ、死ぬ直前みたいじゃないか。
相手は所詮女だろ、絶対抜け出せないなんてことは無い。なにか手段が、方法があるはずっ。
……っ?
ポタリ、と液体が顔に落ちた。
「みや、こ……ないて……」
「佐藤にも誰にもやらない、八尋は私のもの、私の、私のだもんっ!」
「ぇ……え?」
言ってる事とやってる事が真逆すぎませんか。私のもの言うてる相手に絶賛殺人未遂中ですけど。などとツッコむ隙すら無い。
俺は都子の腕を掴んで抵抗するのを辞めて、懸命な思いで都子の頭に手を伸ばす。
髪に触れる。いっつも都子が泣き喚いてる時にするように髪を指で撫でる。
「ょく、わ、かんぁいけど……な、ぐな、みや、こ」
そこまで言って、それまで感じていた熱が急激に冷めたと思えば同時に白かった視界も証明を落としたように暗くなった。
ああ、意識が落ちた事はわかる。意味分からん。どうか、これでおっ死んでないことを祈るばかりだ。