子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
「へぇ〜。辻井君とそんな約束したんだ。いいな〜、めっちゃアオハルやん!」
私は、辻井と交わした約束の事。辻井にも言えていない気持ちの事。全部、鹿狩さんに話してしまった。
恐怖はあった。鹿狩さんにはもう手を出さない方がいい、辻井が居なければとっくに転校でもしていた。学校になんて来なかった。そう考えるくらい、私の心は徹底的に彼女に抉られていた。
でも、怖いのはその行動だけで、彼女自身から悪意は感じ取れなかった。私をいじめている時点で害そうという考えで動いているのは間違いなかったけど、私の事を憎いとか、そういうのは全く感じなかった。
……だから怖いけど、話せてしまったのかもしれない。
誰にも言えなかった弱みを、誰も見ようとしなかった柳瀬川菜摘の内側を、彼女は見ようとしてくれた。見た上で私の夢を笑う事もなければ、諦めるよう気を使うこともしなかった。
「初恋の人と並び立てるような人になりたい。そんな夢を持ってる奴、笑えるわけなくない?」
鹿狩さんはそう言っていた。鹿狩さんは、羨むような目をしていた。いいなぁって。私の話を聞く時、彼女は自然と柔らかな笑顔をしたのだ。
重ねていい間柄じゃないのに、私の事を肯定してくれた時の辻井と鹿狩さんが重なって見えた。
「出来る出来ないはまああるけど、やるやらないは本人の勝手なんやし。諦めきれない物ってあるんでしょ? 私は性格悪いし、皆に散々言われてるだろうから、諦めろだなんて柳瀬川さんの為になる事は言わないよ」
「鹿狩さん……」
「やりたい事をやればいいと思う。夢を見るのが勝手なら、他人の指図なんか受けずに勝手にバリバリやりゃいい。自分自身はやりたがってるのに出来なくて悔しい、なんて人生一番ムカつくやん? 物理的にやれるんやったら、後先考えずその場だけ気持ちよくなった方が人生トータルで見て幸せくね?」
鹿狩さんはそう言うと、サッカー部の部室のドアの南京錠を石で破壊してボールを一つくすねてきて、私にボールを渡し勝手にゴールの前に立った。
「試しに打ってみてよ。柳瀬川さんの必殺シュート」
「え……?」
「足の骨ひっくり返ってからも、諦めずに練習してたんでしょ? でも笑われるのが怖くて人前でサッカー出来なかった。どうせ止められるし。でも私は止めないし、今なら報復ごっこのおかげで最終下校時間は過ぎてるし巡回が来ない限り人はほぼ無人。打ち放題だよ」
「せ、先生に見つかったら怒られるよ」
「そしたら全力で逃げればいいよ。大丈夫、私が先生の目ぇ潰してあげるから」
「……あはは、本当にやりそうだね。鹿狩さんなら」
「やるよー? 私暴力大好きだもんね〜っ。さ、来な!」
なんでそんな流れになったのか。自信満々に鹿狩さんは制服のまま手に拳を当ててバチンッ! と音を鳴らした。私はパンツを奪われてるからスカートの下に体操服のズボンを着ていて動きやすい。ハンデはコチラにある。
「言っとくけど、私のシュート力ってそこら辺の男子より強いからね。怪我しても知らないよ?」
「私だってこう見えてボクシングやってたもーん。空間把握能力バリ高だから、シュート決まるとは思わない方がいいよ〜?」
「あははっ、道理で喧嘩が強いわけだっ!」
結局その日は、私のシュートは全然決まらなくて。ほとんどいいコース行ったのに鹿狩さんの予報通り、キャッチはされなかったけど全部殴り飛ばされた。
あぁ、私ってやっぱりこの程度なんだ。そう、諦めかけた時。
「自分で自分を見限ってんじゃねーよ!!」
鹿狩さんの怒鳴る声が聞こえた。
「下向くのやめなさーい! お前の敵は俺でしょうが、地べた這いずってる虫なんか踏み潰せ〜!!」
鹿狩さんは私に向けてボールを投げる。難なく受け止め足元に置くと、プンスコ頬を膨らませて地団駄を踏みながら鹿狩さんは怒っていた。
「一度心がへし折れて、日陰者に徹しようと思ったのに、無様に誰も見てくれない場所で無意味な努力重ねた意味を忘れんなよー! 他でもない自分が、自分を認めてやりたかったんでしょーが!! 俺はチートなの! だから俺に苦戦するのは当たり前やし、アッサリ見切り付けてんじゃねえよ〜!!」
「……自分で自分の事チート呼ばわりとか、大した自信だね。鹿狩さん」
「ん〜見ての通り今の所無敗なのでね〜? サッカー未経験者が経験者のシュート何十本も防いでたら普通にチートくね?」
「確かにそうかも。……じゃあそろそろ、本来のパワーバランスってのを教えてあげないとだね!」
自分の顔にビンタを入れる。よし、締まった。
コースを決める、鹿狩さんは身長が低いからと侮ってはダメだ。
本人が言う通り空間把握能力と判断力、それに予測が上手いから、下手に上ばかり狙っても悟られて距離を詰めて頂点に達する前に止められる。
相手の意表を付かないと、簡単には入れさせてくれない。
「……ははっ。ねえ、鹿狩さん」
「ん? なにー? 生理垂れてきた?」
「キモ。いやさ、さっき自分の事『俺』って言ってたよね」
「っ。……それがなにか?」
よし、決まった。助走を付けるため距離を取り、私は口を動かしながらボールに足を打ち付ける。
「この歳で一人称『俺』って言うの、痛いから辞めたら?」
「全国の俺っ娘に謝れぇー!!!」
外からのかなり際を攻めたカーブ、ボールは動揺した鹿狩さんの指をスルリと抜けて、そのままゴールポスト角へと吸い込まれていく。
ガコンッ! と音が鳴った。弾かれると思った。けどボールはそのまま斜め下に垂直に落ちて、一瞬後にはネットに刺さっていた。
「入っ、た」
「うがああああっ!! ミスれよそこはぁ!! 空気読めぇ!!!」
「いやいや。ミスる方が空気読んでないでしょ……」
「かーっ! 今の流れで外してたら馬鹿笑ってやってたのにぃー!! もー、私が一泡吹かせられて終わりだったじゃんかふざけんなー!! うぎぃー!!」
「うぎぃーて。すごい顔。変顔やめなよ鹿狩さん、可愛いんだからさ」
「ぐやじぃ……!」
「あははっ」
「くそーっ!!! 卑怯だー! ノーカンッ! ノーカンッ! ノーカンッ!」
ドコドコと踊りながら鹿狩さんが騒ぎ始めた。うわぁ、見た目に違わず中身も子供だー……。
「はい無理ー。私の勝ちー。勝ーち、勝ーち」
「うがあああっ!!!」
鹿狩さんは怒り狂って地団駄を踏んでいた。鹿狩さんなりに全力でぶつかってきてくれていたらしい、心理戦で一枚上をあったのが納得行かなかったようだ。
……こんなに私にぶつかってきてくれた人なんて、怪我する前ですらいなかった。皆、私が女だからって舐めてたから。
出会い方が違えば、私達は友達になれたと思った。友達っていうか、妹って感じだけど。
「はぁ。でも、よかったじゃん」
ため息を吐くと、鹿狩さんは私に拳を突き出してきた。拳を合わせろ、という意味かと思って真似て突き出してみたら、軽くコツンっと尖りの少ない丸い拳が当たった。
「今日、証明出来たじゃん。柳瀬川さんは全然まだ輝ける、キラキラ出来る。未来も全然ぶっ壊れてない。今まで誰も戦ってくれないから気付けなかっただけで、柳瀬川さんは十分戦える」
「……無理だよ。シュートが打てても、コートを走り回ったりはできない。私の歩き方、少し変でしょ? ヒョコッ、ヒョコッて」
「ならランニングの練習だ。付き合うよ?」
「嫌だよ。絶対に笑われる。私、走り方変になるんだもん」
と、そこまで言うと。鹿狩さんは私の額にデコピンしてきた。全然痛くなかったが驚く。
「笑わないよ。って、言っても信じないだろうけど。じゃ、夜にランニングしよーよ」
「夜に……?」
「ん。私夜は慣れてないし夜目は利かないから、あんまり見えないし気にする必要も無いでしょ?」
「……そこまでしてもらう義理はないよ」
「義理が無けりゃ、他人の為に時間使っちゃダメなん?」
「え?」
鹿狩さんを見る。本当に不思議そうな目を、いつも通りの眠たそうなポーっとした表情でしていた。
「他人の為に動くのに、義理や理由が絶対必要なんて決まりは存在しなくない?」
「どういう事? じゃあなんで、私のためにそこまでするのよ」
「別にぃー? 暇だから?」
「暇だから……?」
「ん。やる事ないから付き合うよって程度の軽い感じだよ。遊ぶ予定があったり、気が乗らなかったら行かない。でもそうじゃないなら付き合う。人情とかでもなく、単なる気まぐれだよ」
「……ふふっ。なんか、変わってるよね。鹿狩さんって」
「うん何となくバカにされてるニュアンスは伝わってきてるのよ」
そう言って怒った顔をする鹿狩さんがなんか可愛くて、つい鼻を摘んでしまった。
「ぬがっ!? いたたっ、離せ! 何するいきなり!!?」
「なんか、本当にクソガキって感じだよね。鹿狩さんって」
「クソガキ呼ばわり!? 同い歳じゃ〜!!」
「あははっ、それ本当なの? なんか怪しいな〜、実は素性隠して本当は小学生とか」「こらー!!! お前らそこで何してる!!」
そこで、巡回を担当していた先生が懐中電灯をこちらに向けて小走りでやってきた。
「やばい、見つかった!」
「あら。じゃあ今日はここまでか。じゃーね、柳瀬川さん」
「えっ?」
「先行っててー、この距離ならまだ顔割れてないよ」
「え!? 鹿狩さんは!?」
「いいからいいから。今なら一人だったで誤魔化せる。自主練してました〜みたいな感じで上手くやるかr」「だめっ!!」
私は鹿狩さんの腕を掴んで走った。
鹿狩さんは困惑していた。私の顔をよく分からないものを見るような顔で見上げながら「なんでぇ……? 捕まる確率上がるやん、マゾォ?」と聞いてきた。この子、馬鹿なんだ。普通に。
「二手に分かれてもどっちかは捕まるし! その場合鹿狩さん裏門から抜ける事になるでしょ、どうやって先生の向こう側に行く気だったん!?」
「いや。別に二手にとかじゃなく、時間かけようと」
「やっぱりそうなんだ、自分だけ囮になる気だったんだね! バーカバーカ!!!」
「えぇ……? 精神年齢めっちゃ下がったやん。アポトキシン4869飲んだ???」
「体は縮んでないわ! 黙って走って、舌噛むよ!!」
「……ぷっ。ふふっ。柳瀬川さんも大概変な人だね」
「なんで!?」
「いやぁ〜。頭ぐちゃぐちゃなるんやろな〜って。明日とか」
「意味分かんないから黙ってて!!」
鹿狩さんに叫び、とにかく走った。その日は捕まらずに済み、二人で大通りまで走った後、歩道にある石椅子に腰を下ろして二人で笑いあった。
足を折って以来、初めて誰かと心から笑い合った。
*
「ドラマトゥルギーでございますよ〜」
次の日、鹿狩さんはいつも通り私の背中にシャーペンを押し付け、耳元で「着いてこい」と言ってきた。
防音用に壁中にダンボールを貼って加工した資材室までついていくと、そこには後ろ手に輪ゴムで縛られ、両足もガムテープを巻かれ拘束された鷲見さんと堀口さんが居た。
「何のつもりだよっ!? おいっ、鹿狩ぃ!!」
「うぅっ、なにこれぇ……」
鷲見さんは、うちのクラスの二軍カーストのリーダー格の人だ。菊池さん程では無いけど気が強くて、最近のいじめにも参加している。
堀口さんは鷲見さんの友達の一人だ。この子はいじめや嫌がらせにはあんまり加担しないけど、間接的な物には参加するし離れた位置からよく笑い煽ったり囃したりする。
どちらも確かに鹿狩さんに手を出してはいるが、わざわざ狙いを定める程頻繁に手を出してる訳では無い。いじめに参加してる数人の内の二人程度で、主犯格では全然無い。
「鹿狩さん、これって」
「見ての通り。次のターゲッツ」
「ハッ、そういうこと」
鷲見さんが鹿狩さんを睨みながら、挑発するような声音で言う。
「普段私らにいじめられてるから、身動きを取れないようにして復讐しようって魂胆なんだ! 不意打ちでここまで連れてきて、縛るなんて卑怯な事しないと何にもできないんだね! ダッサ!」
「ん〜。んふふっ。うんうん!」
鷲見さんと堀口さんは二人とも身動きが取れない。
鹿狩さんは鼻でふんふんと笑いながら、堀口さんの前に出た。
「堀口さん。鷲見さんが私に生意気言ったから、あなたにその罰を与えるね?」
「えっ……? え、え、えっ、えっ!!!? やだやだっ、やめてよ鹿狩さんお願いやめてっ!!!!」
鹿狩さんは、堀口さんの髪を引っ張り上を向かせるとその口に強引にペットボトルを詰め込み、中に入っている液体を飲ませていく。
……それは、鹿狩さんが鷲見さんに飲まされた物と同じだった。砂利とか、雑草とか、そういうのが入ったペットボトル。それを再現されたものを、妖怪ウォッチの歌を口ずさみながら飲ませていく。
「ミミズとかは入ってないよ。ちゃんと確認してるからそこは安心してね」
「ぶっ、んんんぅぅうんんっ!!? ぶはっ!? はぁっ、おえぇげえぇえっ!!」
堀口さんはその場で嘔吐した。今飲まされた汚水を吐き出す為に、目を強く食い縛らせて。
「ねえ。ねえねえ、堀口さん?」
「うえぇっ。えっ、ぇっ! うえぇっ、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい!!」
「ゲロ。ちょっとかかったんですけど」
そう言うと、鹿狩さんは上靴の先に僅かに付着した吐瀉物を拭き取るように堀口さんの頭にぐりぐりと上靴を押し付け、すぐに鷲見さんの方へと歩いていった。
「堀口さんに嫌な事をされたから、その報復は鷲見さんに受けてもらうね」
そう言うと、鹿狩さんは筆箱からハサミを取り出し、鷲見さんの髪を掴み刃を添えた。
「何、してるの」
「今日堀口さんに髪を切られたんだ。いじめ発覚を恐れたのか少しだけだけどね〜」
「違う、あんたの話なんかどうでもいい! 今何をしようとしてるのって聞いてんの!」
「ん? 髪を切ろうとしてるよ。見りゃ分かるでしょ」
鹿狩さんがそう言うと、鷲見さんの顔が急激に青ざめて行くのが見えた。
「鹿狩っ、私、髪は」
「女なら髪は皆大事だよね〜。わかるわかる」
「あ、や、やめて」
「やめな〜い」「ダメッ!!」
止めようと思った。けど、鹿狩さんは私が声を出したのを聞きこっちを見た上で、少しも躊躇すること無くバツンッ、と鷲見さんの結われた綺麗な髪を切断してしまった。
鷲見さんの悲鳴が上がる。まるで侍が切り落とした敵の首を掲げるかのように、鹿狩さんは切り取った髪束を鷲見さんの目の前に垂らし見せびらかした。更に大きな、絶望に塗れた悲鳴が上がった。
「か、鹿狩さん」
「なに?」
「鷲見さん、は、その、美容師を目指してて……」
「だから?」
鹿狩さんの丸い目が私を射抜く。圧をかけることも無く、ただ僅かに笑いを混ぜて本当に「それがどうしたの?」と尋ねるような目を私に向けてきていた。
「自分を練習台にしてるって……だから、髪の手入れも怠らずに、毎日ちゃんと」
「知ってるよ?」
「えっ」
「毎日朝と夜、髪にダメージが行かないようオイルやトリートメントには気を使ってるしドライヤーだって時間と髪の具合見て熱を調整してるもんね? 寝る時はドアノブみてぇな変な帽子被って摩擦を減らしてるし、枕も低反発でツルツルのやつしか使わない。陽射しが強い日は日傘や被り物をして直射を避けるしシャンプーの種類もめっちゃ多いしね」
「なんでっ、そこまで」
「だって私、鷲見さんと同じ小学校だもん。ね? 鷲見さん」
鹿狩さんは押し殺すように泣いている鷲見さんに同意を促す。
鷲見さんは鹿狩さんを睨む。でも、少し考える素振りを見せた後、鹿狩さんに訝しむような目を向けた。
「確かに同小だけど、あんたとクラスが被ったのなんて小一以来。ロクに話した事なんか無かったし、女だったなんて、知らなかった」
「はぁ? 小5小6の頃同じクラスやったやろ。何言って……」
そこまで言うと、鹿狩から表情が消えた。小さく何かを言っていた気がするけどよく聞こえなかった。
「ま、どうでもいいか。もう一房行くよ〜」
「やっ、やだやめて鹿狩やめてぇ!!」
鹿狩さんは頭を振って逃げようとする鷲見さんの顔を一度殴り付け、それでもなお抵抗する鷲見さんを再び殴り付ける。二回殴られた鷲見さんは、三度目の殴り姿勢を取る鹿狩さんを見ると怯えた顔で「ごめんなさい」と謝り項垂れた。
鹿狩さんがハサミで鷲見さんの髪を挟む。鷲見さんの目には諦めの色が浮かんでいた。
……なんで、そんなことを。鹿狩さん、昨日私に諦めるなって、言ってたのに。
「やめて。鹿狩さん」
「んー?」
私の呼び掛けに、鹿狩さんは手を止めてくれた。
「もうこんな事、やめようよ」
「ん? なんで? 虫が良すぎるってツッコミ私にされたい感じ?」
「……明日、私が菊池さんと蝶田さんにいじめをやめるように言うよ。だから、もうこんなのやめて」
「ぷっ!! あっははははっ!! やめときな〜、いじめの標的が私から柳瀬川さんに移るよ? それは流石に後味が悪いよ」
そんな事を言いながら、鹿狩さんは私の方を一瞥すらせず鼻歌交じりにバツンッ! と鷲見さんの髪を切り落とした。
「うああああぁっ、私の髪がっ、なんでごんなっ、酷い、ひどいぃ……!」
「ひどいぃ〜て。オーバーやろ、丸坊主にされたくらいの熱量やん」
そう茶化しながら、鹿狩さんは切り落とした髪を二束をクルクルと回しながら堀口さんの元まで行き、手の中でコンパクトにクシャッと折りたたむと堀口さんの頬を掴んで口に捻じるように押し入れる。
「もがぁっ!! あぅううぁぁっ!!? ごっ、ぉえんなさい! ぉめんなさいぃ!!!」
「今日は鷲見さんにされた事を堀口さんに、堀口さんにされた事を鷲見さんに返すってルールだからね〜。恨むなら鷲見さんを恨んでね」
「鹿狩さんっ!!!」
鷲見さんは俯いて目から活力が失せ、力のない瞳からただ涙を流していた。堀口さんは自分がさせられていることの不条理さに嘆き、鹿狩さんに脅えながら必死に金切り声を上げていた。
私は、一応精神的に縋る支柱があったから耐えられた。二人はどうか分からない、でも様子を見るにそんなものは無いように思えた。
鹿狩さんからしたら、この二人にも報復する資格はあるのかもしれない。でも、私を久しぶりに笑わせてくれた鹿狩さんに、私に本気でぶつかってくれた鹿狩さんに、これ以上酷い事はしてほしくない。
「鹿狩さんをいじめるのは、菊池さん達が皆に焚き付けるからだよ……! 菊池さんが圧をかけてっ、蝶田が皆をたぶかすの! 利用されてるの逆らえないのっ!! 鹿狩さんなら分かってるんでしょ!?」
「はぁ〜? どこもそういうもんでしょ、いじめなんて」
「誰もあの人達に逆らえないんだよ……お願い、鹿狩さん。報復する相手を狭めて、八つ当たりなんてしないでよ……」
自分の言いたいことが言えてるか分からない。ただ、逆らえなくて従ってる人に復讐しても、それって板挟みにして追い詰めるだけだから。そんなの、突き詰めて言えば蝶田達がやっている事と同じだ。
鹿狩さんにも少しだけ理解を示してくれればと思った。鹿狩さんには、蝶田と同類になって欲しくない。
「おっけー。別に最初から憎んじゃいないけど、許しを言葉にして欲しいってんなら、三人の事は許したって事で」
「えっ……? うお゛ぇっ!?」
そう言って、鹿狩さんは堀口さんの髪を掴んで持ち上げ棚板に座らせると、その無防備な腹に膝蹴りをした。
堀口さんの体が折れ、嘔吐くが鹿狩さんは口を掴んで空かなくして嘔吐出来ない様にした。そのまま三発も拳を叩き込まれ、堀口さんは呻き声を出しながら前傾姿勢になる。
「鹿狩さんっ! なんで」
「なんでって?」
「許したんでしょ!? もうそんな事やめてよ!」
「ふむ〜」
下からしゃくり上げるようなアッパーを堀口さんに食らわせ、彼女が大きくのけぞり白目を向かせた所で鹿狩さんは手を離した。
堀口さんは勢いよく背中から倒れ、地上に上げ出されたカブトムシの幼虫みたいにズルズルと体をゆっくり曲げた。
小刻みに震える堀口さんの横臀に腰を下ろし、頬杖をついて鹿狩さんは私を見上げた。
「許してるよ。許してるけど、それがなんで仕返しを止めることに繋がるん?」
「手を出すのをやめないなら、それは許してるとは言わないでしょ!?」
「じゃあ許さな〜い。だからぁ、もっと手を上げるけど。いいよね?」
「か、鹿狩さん……」
「んー?」
首をこてんと傾けて、丸い目で不思議そうに見上げられる。そんな顔、絶対にこの場面で向けられるわけが無いのに。道案内を求める小さい子のような目で、鹿狩さんは私の言葉を待った。
「堀口さんは、気弱で自信が無いの。そんな風にしたら、壊れちゃう……!」
「マジ? それは良くないね」
「そう、でしょ。分かるでしょっ、もうずっと堀口さんは鹿狩さんに謝ってる!! 助けてほしいんだよ!」
「じゃあ友達なるー? 堀口さん」
鹿狩さんは堀口さんの上に座ったまま、頬に指をズムズムと押し付ける。その行動を受けただけで堀口さんは体を激しくビクつかせ、力なく泣き声を上げる。心の芯まで恐怖一色に満たされているようだった。
「やめて鹿狩さんっ! これ以上堀口さんを追い詰めないでっ!!!」
「そんな事言われても。鷲見さんにされた事は堀口さんにやり返すってルールなんやもん。だから今日は鷲見さんにはこれ以上何もしないけど、まだまだ堀口さんには痛い目を見てもらわないといけないね」
「こ、これ以上は本当に良くないよ!! 心に、消えない傷を負わせる事になる!!」
「はあ。別にいんじゃない? 傷なんてそのうち治るっしょ、キズパワーパッド付けてあげますよ〜」
「ふざけないでよっ!!!!」
思い切り声を張り上げて机を叩くと、鹿狩さんは驚いたように体をビクッとさせて私の方を見た。……少し、反応が遅く見えたのは気の所為かな。
「心についた傷は、そんな簡単には治らないよ……!」
「そ、そうなんだ」
「そうだよ! てかおかしいよ、鹿狩さんっ!! 菊池さんや、小鞠ちゃんや、蝶田に何も言わないのはなんで!? 鹿狩さんは口がよく回るし、あの子達と対等に意見を言い合えるでしょ!? いじめが始まった時だって、大人しくなんかせず前みたいに正面切ってもっと言い返せば良かったんだ!! そうすれば鷲見さんもっ、堀口さんもっ、こんな事にはならなかった!! 何もせずに影でコソコソと弱い立場の人を連れ込んで、憂さ晴らししてっ!! クラスの人に序列をつけて、差別するのはやめてよっ!! 人によって態度を変えて、貶めて遊ばないでよっ!!!」
「ペラるね〜。なんかいい事あったん?」
ヘラヘラと笑いながら鹿狩さんは立ち上がり、私に近付いてきて、そのまま止まらずに私の胸に顔を押し付けてきた。
子供に見える小さな女の子のつむじが見えた。肩を掴むとサラサラの黒髪が手を撫でてきて、突き放そうとすると鹿狩さんは私の顔を真下から覗き見てきた。
愛くるしい、そんな表現が似合う貌だった。
無垢な、子供。鹿狩さんは何も知らない子供にしか見えなくて。
こんな小さな子を相手に、集団で嫌がらせをしておいて、やり返す相手を考えてとか、自分の事を棚に上げてこんな事しないでとか。
よく言えたな、なんて自責の念が湧いてくる。
クリンとした丸い目で、雪のような白い肌で、上目で私を凝視した後、鹿狩さんは愉しそうに目を歪めてみせた。
「んふふっ、あはは。 おい、なんで目ェ逸らすんだよ。罪悪感抱いたか? 自分がピリついてぶつけた言葉を思い出して気ぃ悪くなったか? あはははっ、そうだよなぁ。無責任で、虫の良すぎる話だよなぁ」
鹿狩さんに両頬を掴まれる。無理やり彼女の、屈託のない笑顔を見せつけさせられる。目が離せない、視界の全てが鹿狩さんの顔に支配される。
「後ろめたいねぇ。私が間違ってて、鷲見さんと堀口さんが可哀想だから声を上げたのに、その行動が本当に正しいのか揺らいじゃったんだ。自分の中で何が正義かとか、酷いと酷くないの境界線とか、自分の立ち位置とか。頭の中グチャグチャするね? 今の柳瀬川さん、何を考えてるのか全く分かんないよ〜」
「あ、ぁ、鹿狩さ、私……」
「あっははは! 目ェ開けたまんま涙流してる! 乱舞のメロディじゃん!! エモ〜」
鹿狩さんの笑顔にじんわりと快楽が染み出していく。きゃははははっ! と愉しそうな甲高い笑い声が耳を刺す。
混雑する頭の中に、一つだけ気付いたことが浮かび上がった。鹿狩さん、私が罪悪感を抱いたり、迷ったり、悩んだり、後ろめたさとかそういう人が目を背けたい事を抱かせて、愉しんでいるんだ。
目を逸らしたくなるくらい追い詰めて、壊れる前に掬い上げて、また追い詰めて。てっきり私は精神的に寄り掛かる対象があるから耐えれてると思ってた。でもそうじゃなくて、鹿狩さんは私が壊れる前に手を止めて、ギリギリの所から人間をやれる所まで引き上げていただけなんだ。
逸楽に目を蕩かせた鹿狩さんの笑顔は、普段見せていた物より酷く歪なのに、そのどれよりも自然な物に見えた。
力が抜けて、床に膝を着く。鹿狩さんよりも視線の位置が低くなると、彼女はやはり私の顔を掴んで、視点を固定して目と目を合わせたまま口を開いた。
「立場や、身分や、過去や、偏見や、状況や、好き嫌いや、フィーリングや。色んなものを加味して人は本能的に他人を"区別"する生き物なんだよ。『人によって態度を変える奴が嫌い』、なんて、言ってる本人だって仲良い人と嫌いな人って形で区別してるでしょ? それと同じ。ならさ」
「はな、して」
「私が紗理奈や小鞠には何もしないのに君達に酷い事をするのは当たり前の事なんだよ。逆もまた然り。私はあの子達とその他で明確に線引きしてるから、あの子達にはまだ何にもしない。それじゃ意味が無い。だから今は何もしないんだよ」
私を覗き込む鹿狩さんの目が、穴のように見えた。底のない穴。それをずっと見つめていたら落ちてしまいそうな脱力感に襲われるのに、目を逸らす事は適わない。
「うああぁぁ死ねええぇぇぇええっ!!」
殺意を孕んだ叫びが聞こえた直後に、鹿狩さんの頭が大きく揺れた。どういうわけか手足の拘束を解いていた鷲見さんが、鹿狩さんの頭に椅子を振り下ろしたのだ。
頭を庇いながら倒れる鹿狩さん。そこに追い打ちをかけようとする鷲見さんだったが、大きく振りかぶった彼女の振り下ろした椅子よりも早く、跳ね起きをして姿勢を直した鹿狩さんに肩から体当たりを食らい壁の方に弾き飛ばされていた。
「きゃはははっ!!! なんでハサミでぶっ刺さなかった? なんで椅子の足で頭蓋骨破りに来なかった。てか叫ぶなや。やる気あんの? なぁ、勇気を出したんならもっとちゃんとやらんと」
ケタケタと笑いながら、鹿狩さんが揺れながら鷲見さんに近付いていく。頭皮を切ったのか頭からは血が流れていて、それでもアドレナリンでハイになっているのか酷く愉しそうに笑っていた。
「ち、近づくな!! 堀口起きろ、私の後ろに来いっ!!」
鷲見さんはハサミを拾ってその刃を鹿狩さんの方に向けながら、うわ言のように床に向かって謝るのを繰り返している堀口さんを足で蹴る。反応は無い。その間にもどんどん鹿狩さんは接近し、焦った鷲見さんがハサミを持った手を叫びながら思いきり振りかぶる。
「あ……ぁ、あ」
「あははっ。掴めて草。正直死んだわこれって思った〜」
ハサミは、鹿狩さんの左手のひらに刺さり、貫通していた。ハサミの刃をわざと貫通させる事で鷲見さんの腕を掴まえた、そんな風にも見えたけど。
もしそうなら、頭がおかしい所の話じゃない。痛覚とか、そもそも恐怖とか感じるのかという話になってくる。
「やっ、柳瀬川さん!! 何ボーッと突っ立ってんのよ何とかしてよ!!」
「え、わ、私」
「邪魔したら刺す」
たった一言。鹿狩さんが片手間に私に脅しを掛けただけで、腰が抜けて動けなくなる。
鹿狩さんはどう考えても逆らっちゃいけない、ていうか関わっちゃいけないタイプの人種なんだと改めて気付かされた。それも今までとは違って、確証を得るに至る程、私の鹿狩さんへの恐怖心は本能にすら刻み込まれていた。
鹿狩さんの思考パターンや理論法則は分からない。微塵も理解出来ない。だからこそ、鹿狩さんは自分と同じ人間だとは認識できなくなっていた。
「言っても分からない悪い子は、少し分からせなきゃだね。堀口さんへの報復ごっこも、中途半端に終わっちゃったし」
言うが早いか、鹿狩さんの腰の入った突きが鷲見さんの脇腹に刺さった。苦しそうに悶える鷲見さんに足をかけて転ばせると、背中の中心に足を乗せて重心を固定したまま鹿狩さんは私の方を向いた。
「柳瀬川さん。鷲見さんの上に乗っかって、動けないようにしてよ」
「えっ、なんで私が……」
「あ?」
鹿狩さんはさっきまで三日月を咲いたような笑い顔を作っていたのに、私が意見すると途端に表情のないビスク・ドールのような顔をした。
「なにやってんの。こっち来い。ここ、座れよ」
「鹿狩さん。も、もう」
「座れ」
鹿狩はそう言うと、少しも表情を動かさずに自分の手に刺さったままのハサミを引き抜いて鷲見さんの鼻を軽く挟んだ。
「待って! わかった、座るから、だからソレ下ろして……」
私が鷲見さんの上に座り鷲見さんを動けなくすると、すぐに鹿狩さんは堀口さんの髪を掴み上げ、鷲見さんと顔同士が向かい合うよう引きずってきた。
「ごめんなさい。許して、鹿狩さん。ごめんなさい」
「ん〜。そうだねぇ、特別に堀口さんだけ許してあげよっかな? 堀口さんはこの中だと一番心優しいからねぇ」
「ホントッ!? お願い、許して! あたしなんだってするよ! だからお願い、もう酷い事しないで!!」
「じゃあ鷲見さんの事殴ってみ?」
「えっ?」
鹿狩さんの提案に堀口さんは難色を示した。人を直接殴るなんて、気弱な性質である堀口さんに出来るわけが無い。それを分かってて、鹿狩さんは堀口さんを試していた。
「もう1回言うね。鷲見さんを、ぶん殴って?」
「……で、出来ないよ」
「へぇ〜」
鹿狩さんが手を伸ばす。てっきり堀口さんに暴力を振るう物かと思っていたが、しかし彼女は堀口さんの髪を指で摘んでクルンクルンと弄り、頭を優しくポンポンと叩いた。
「でも、堀口さんがここまでボコボコにされたのも、ゲロまで吐かされたのも、全部全部鷲見さんのせいなんよ? ムカつかん?」
「……それは、鹿狩さんの決まり事のせいで」
「堀口さんはボッコボコにされてんのに、鷲見さんは手ぇさえ出さなけりゃ髪をチョッキンされるだけで済んだんよ? ムカつかん?」
「……それは」
「そもそも鷲見さんが俺に刃向かって来なきゃ、今日以降堀口さんに手を出す気無かったのに。刃向かったせいでボコさなかんくなったから、目撃者である堀口さんをほっとくわけにはいかんくなった。それも鷲見さんのせい。どう?」
人形のような鹿狩さんの顔が、再び不気味な笑顔に歪んだ。
「ムカつかん? 自分の気持ちに正直になろうや」
「…………鷲見さんの、せい……」
「堀口さっ」
声を掛けようとしたのに鹿狩さんと目が合うと、言葉が喉奥に引っ込んでしまう。
「鷲見さん……」
鹿狩さんの言葉を聞き、少しの間黙っていた堀口さんが鷲見さんの名前を呼ぶ。その顔には少しずつだが、怒りの感情が滲み出てきていた。
「あはは。ほら、ここなら誰も咎めないよ」
鹿狩さんの甘い声でそう誑かされた瞬間、抑圧していた堀口さんの感情が爆発したのが分かった。そこから先は、あまり思い出したくない。
我を失って暴れ回る堀口さん、ロクに抵抗出来ずに暴力を振るわれる鷲見さん、そして笑い転げる鹿狩さん。
その凄惨な光景を見ている事しか出来なかった私は、もう私達三人は鹿狩さんには逆らえず、逃げられないのだと震える事しか出来なかった。