子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
あの日から、完全に俺は壊れた。
一人で致そうとした時、AVのサンプル画像を見ただけで、吐いた。
知らない女の裸を見た瞬間、全身が総毛立って、呼吸が浅くなったかと思えば抗いようのない吐き気に襲われて、それに対して俺ら少しも耐える事は出来なかった。
「おいこれ見ろよ! 近くに河川敷に落ちてたんだけどよ」
「ゔっ、ええぇっ!! ぼっ、ぶぇっ!!」
「うわっ!? な、なんだよ辻井!! 大丈夫か!?」
腕は壊れても野球部には顔を出した。自分は試合に出られなくても、手伝える事があれば、そう思っていた。
仲間達が部室で見ていたエロ本が一瞬目に入ると、それだけで俺の胃がひっくり返ったように中身を吐き出した。感情の色は自分じゃわからなかったが、凄まじい波が拒絶反応となって俺の腹を抉り回してくる。
野球部に顔を出せなくなった。
女と目を合わせられなくなった。
女の匂いが不快に感じられるようになった。
女の声が虫の羽音のようにしか聞こえなくなった。
女、女、女女女おんなおんなおんなおんなおんな。この世は女に溢れている。そこら中に毒虫が溢れているようだった。
学校に、自分の意思で行けなくなった。けれど、鹿狩は俺に自由をくれなかった。
俺が学校に来ない日があると、必ず鹿狩に連行されて、それで……。
……鹿狩に何回も抱かれた。鹿狩を何回も抱いた。
他の女の事は、柳瀬川でさえも俺はマトモに会話出来なくなったというのに。その代わりとでも言うのか、鹿狩の前で一言『許し』を貰うと、それだけで理性が蒸発して沸き立つ本能を抑えきれなくなる。
「へへっ、うける。辻井〜? ほら、ぴゅっぴゅしよ〜な〜」
「あっ……鹿狩っ、鹿狩っ!!」
「きゃー。めっちゃ出るじゃん変態だー」
鹿狩が俺の体を殴りつけ、刺し、捻り、焼き。でもその合間に女の体を使った快楽行為も織り交ぜてきて、俺はその快楽に溺れて為す術なく情けない姿をさらけ出してしまう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」
「ぁぎっ!? ぃいひぃ……っ!? ゆるめ、て、死んじゃっ」
「はぁはぁはぁっ!!」
「お゛っ? 重っ、んぁあ゛っ!?」
必ず鹿狩は俺にも攻めるターンをくれた。散々俺を狂わせた後、汗や液で濡れた身で仰向けとなり、俺に無抵抗を示すポーズを取りながら挑発する目をして誘いを掛けてくる。
胸が痛む。悲しみとか憎しみから由来するものでは無い、昔柳瀬川に向けていたものと同質の痛みが心臓を掴み鼓動を早めさせる。
俺に抱かれるとすぐに鹿狩は余裕が無くなる。可愛らしい嬌声はすぐに悲鳴のような無様な喘ぎに変わって、それがギリギリまで削り壊された俺の男としての尊厳を快復させる。
全身の血を抜かれ、別の血に入れ替えられるような感覚だった。
精神が元の形に戻ろうとする度にぐしゃぐしゃに砕かれて、鹿狩が用意した虚構の自尊心を押し込まれる。俺はアイツに求められる時以外の感情の発露が鈍くなり、思考のほとんどをアイツによって支配されるようになった。
中に果てる。女の中で絶頂に至る、それはきっと雄にとっての最上の喜びだ。そうとしか思えないくらい、鹿狩の中で果てる度に比較しようのない多幸感に包まれた。
この感覚を知ってから、多分俺は鹿狩に恋慕を抱くようになったんだと思う。
「馬鹿か俺は!?」
バットでアスファルトを叩く。怒りに任せた一撃は反動による痛みを鈍化させた。
「なんでアイツに心まで屈してるんだよ! アイツの事好きになってって、頭おかしいだろおおぉぉ!! なに言いなりになってるんだよおおおぉぉぉっ!!! 鹿狩鹿狩鹿狩ぃいいっ、殺してやる! 殺してやるって決めたのになんでこうなるんだよおおぉおあぁぁっ!!」
バットを振り回し標識に当てる。金属音が鳴り響いた。頭を搔く、バットを振り回す。半狂乱になって騒ぎ、人の目が俺に降り注がれる。
「はぁ、はぁ……一時の感情に流されるな。冷静さを欠くな。殺せ、殺せ、殺せばいい殺せば終わる殺せ殺せ殺せ殺せっ!!」
バットを持つ手をブランと下ろし、引きずりながら歩く。洗脳は解けない、きっと鹿狩の裸を見たらまた俺はおかしくなる。だから、今度は完璧に、一瞬の隙も与えず確実に頭を打ち抜いてやる。
俺なら出来る。俺なら出来る。全てを奪われた俺なら出来る。鹿狩さえ殺せば酒田廻も機能しない。
あの悪魔を確実に殺して、せめて柳瀬川だけはーーーー。
*
「またバット。アン・パットナム。また懲りずに私を襲いに来たんだ」
奇襲は失敗した。
最近の鹿狩は護衛代わりに堀口と鷲見を引き連れている。だが家に住まわせている訳では無いし、その二人と別れるポイントは明確だった。大通りの交差点から家に着くまでの短い区画、そこを狙えば彼女は一人になる。
一人になり、家に入る前に奇襲してやろうと俺は自販機の影に身を隠していた。
だが、鹿狩は俺の襲撃を予知していたかのように自販機に差しかかる直前で立ち止まり、あろう事か自販機の側面に蹴りを入れた。驚きバットが少し浮き、俺の存在を確証した鹿狩は俺から距離を取った。
「なんで俺に気付いた、影になってて見えるはずないだろ!」
「いるかあ? その説明。気になるなら教えるけど、そりゃこんな一本道で隠れられる場所なんて自販機横くらいでしょ」
「……まるで俺が隠れている事自体は知っていた様な口ぶりだな」
「うん知ってたよ。知ってたってか、そろそろ辻井くんが爆発する頃合かなって思ってたというか」
「どういう意味だ」
「いや、もう夏じゃん。夏休み目前やん。失われた三年生最後の夏の大会、厄ネタでしかないじゃん。そりゃ警戒するよ〜」
鹿狩は俺を煽るでもなく、ただただ事実を口にするよう、淡々と当たり前にそんな言葉を吐いた。
困惑により勢いが弱まっていた憎しみに薪をくべられる。バットを握る手の力を強め、一歩踏み込む。
「こんな路上で私を殴り殺したら、高校生活まるっと少年院で過ごす事になるけど?」
「黙れ。黙れ黙れっ、何が高校生活だ! 俺から未来を奪った癖に!!!」
「それを言われちゃこっちとしても返す言葉ないんだよな……マジで、申し訳ない! この通り!」
鹿狩は俺に向けて腰を折り、両手を突き出し手を合わせて謝罪のポーズを取ってきた。その頭目掛けて、バットを振り下ろす。
「死ねぇ!!」
「うわっ!? ちょっ、どんな悪い事しても謝れば一旦許してくれるって聞いてたんだけど、アレ嘘だった!?」
声こそ焦ってはいるものの、鹿狩は俺を小馬鹿にするような顔でほくそ笑みながらバットを避けて距離を取った。だが、背中に目などは付いていない、こちらを向いたままバックステップを踏んだ鹿狩の足が地面にもつれ、バランスを崩した彼女は「きゃあっ」と短い悲鳴をあげて尻餅を着く。
「いてて……」
「おらああぁっ!!」
「こわぁ」
バットを横薙ぎに振るうが避けられ、すぐに切り返すと鹿狩の肘先にバットが掠った。鹿狩の顔から余裕が失せ、俺を観察する目が鋭くなる。呼吸が浅くなる。
大きく振りかぶってバットを振り下ろそうとしたら、鹿狩が鞄を投げてきた。顔に当たる、少しタイムロスが生まれたが、そのままバットを振り下ろす。
鹿狩は既に立ち上がり、俺から少し距離を離していた。
「今日なんかあった? 相当覚悟決まっちゃってるね、嘘偽りなく殺すつもりの挙動じゃん」
「そこ動くなよ」
「ん? あれ、受け答えが出来てないぞ?? 私は今壁に向かって話してるのカナ?」
安い挑発を口にすると鹿狩は踵を返し、全力疾走で逃げた。
俺はすかさずバットを投げる。鹿狩には当たらず、その横の壁に当たりガインガインと金属音をかき鳴らした。
ギョッとした顔で鹿狩はその光景を二度見していた。そして追いかけ始めた俺を目視すると、青い顔をして更に脚を速める。
「逃げても無駄だ! どうせビルにしか行けないだろっ、目的地は分かってんだよ!!」
バットを拾う。届く範囲に入ればすぐに頭を打ち砕けるようしっかり握る。
俺の投げかけた言葉に鹿狩は何も返さない。返す余裕が無いのだ。女の足で俺から逃げ切れるわけが無い、鹿狩は今、なりふり構わず真に全力疾走で俺から逃げている。
「はぁっ、はぁっ……山?」
逃げ惑う鹿狩の行先は彼女らの犯行拠点であるビルではなく、頂きに神社がある小さな山。その麓の桟橋横、落下防止で設置されたガードレールを飛び越え、急な傾斜を滑り降りながらジャブジャブと水深の浅い川を鹿狩は進んでいく。
慣れない道に進みが滞り、少し距離が空けられる。
鹿狩の身軽さはなんだ? その身体能力、喧嘩の強さといい、アイツがどんな小学生時代を過してきたのか疑問を抱く。佐藤が言うには普通に普通の子供だったと言うが……。
川を渡っていくと橋の下や、道路下のトンネル状になっている穴を抜け、やがて用水路と繋がる小型の滝のようになっている部分に差しかかると鹿狩は川から抜け出し、白い石が敷きつめられた駐車場を横断する。
「どこに逃げるつもりだぁ? そろそろ体力尽きただろ、ヘロヘロやぞ」
「はぁ、はぁ! ははっ」
錆びたコンテナや廃車が折り重なり、外部から中の様子が分かりづらい構造になっているスクラップ場まで来ると、鹿狩は振り返り俺と相対して深呼吸を始めた。
人目に付かない、鹿狩なら確かにリサーチしていそうな場所だ。まさかこんな場所が柳瀬川の家の近所にあるとは。川を歩いて渡るなんて発想は無いから知らなくても当然か。
日が落ちてしばらくし、コンテナに着いた電灯が幾つか点灯する。蛾や羽虫が光に集ってコツンコツンとぶつかる音がする中、鹿狩は俺の握るバットを見つめている。
「……よくもまあ、真面目に球児やってた奴がバットを武器になんて出来るよね。それ、野球に対する冒涜でしょ」
「黙れ。お前の頭でホームラン決めてやるよ。したら、メジャーリーガーになるよりずっっっっと気分がいいだろうな!」
「え、なにそれかっこよ。うわ〜、そんな感じの口上私も人に言いてえ〜!!」
「余裕じゃねえかよ。全身汗まみれの癖に、クソチビが」
バットを前に突き出し、一歩近づく。深呼吸をし呼吸は落ち着かせたが、一呼吸する度に肩や胸が大きく動いているからまだ体力は全快じゃない。
「……前の喧嘩忘れたの? そんな長い獲物、躱されたら掴まれて終わりちゃう?」
「近付けさせ無ければいいだろうが」
さらに一歩、鹿狩に近付く。
「お前の事はずっと見てたぞ、鹿狩。研究してたんだ。お前に勝つためにな」
「研究? あ〜、なんかよく私んちでボッタチしてたね」
余裕を崩さず鹿狩は笑う。一歩近づく。鹿狩の目が一瞬俺の足元に向き、すぐに俺を正面に捉える。
「お前は素人じゃない。ボクシングの突き技、カウンターで相手の姿勢を崩して、マウントポジションを取ったら関節技で腕や足を外しに行く。一筋縄じゃ行かないけど、やってる事自体のバリエーションは少ない。それは何故か」
「……」
「お前のその短い手足と小さな体、心許ない筋力じゃ実戦で有用な技に限りがあるんだ。殴りは相手の意表を突き力を分散させる為、カウンターは相手の力も利用する為、そして手足を直接折りに行かず関節を外すのは、そっちの方が力が要らなくて反撃する隙も与えず人体破壊が出来るからだ」
「おー頭イったか? 何一人で喋ってんのこの人」
「その小さな身体で相手の懐に潜り込んで、至近距離から急所を攻撃する。いつも同じ手順だ、馬鹿みてぇに。だが、それが決まらなければ相手にもならない位お前はクソ弱い。堀口の奴にはよく取っ組み合いで負けてるしな」
「……なんでもいいけど、ベラベラほざいてる間にこっちはスタミナ回復してますが? 肉体スペック云々以前にさ、私に喧嘩で勝てないのは単に私より頭が悪いからだって、いい加減自覚してほしいんだけど?」
「お前のプライドをへし折る為にわざと待ってやったんだよ!!」
一気に踏み込み、バットを鹿狩の頭目掛けて振るう。鹿狩は膝を曲げて前転で俺の横方向に逃げると、バットがコンテナの壁面に当たって鈍い間隔が腕に走り抜けた。
石を手一杯に掴むのが見えた。それを俺の顔面にぶち込むのも分かっていた。蹴りじゃ届かない位置取りを鹿狩は取っており、彼女の拳が俺の顔に近付く。
「舐めんなあああっ!!」
「っ!? っ痛ぅ!」
俺を殴り付けようとする鹿狩の拳を、むしろこちらから頭突きで迎え撃ってやる。
額の硬い骨で受けた事でこちらも多少ダメージは食らうが、相手の方が受けるダメージは大きい筈だ。鹿狩の手から石がこぼれ落ち、彼女は手を振りながらサッと後ろに下がり俺を睨む。
「拳を潰されたら終わりなのはお前も一緒だよなボクサー崩れが! 野球を奪われた俺の気持ち、お前にも味わわせてやるよ」
「味わわんよ、現役じゃないし。てか完全にハイになってんじゃん。アドレナリンで痛覚逝ったん? キモいよお前」
「あぁずっと前から痛みなんか大して感じねえよお前に腕グチャグチャにされた時からなぁ!!! あのデブには感謝しねえとな、おかげで目が覚めてお前を殺せるんだから!!」
「何? デブ専目覚めた? やめときな〜。辻井くんチビやし、ハグしただけで怪我しちゃうっしょ」
バットを振る。連続で、鹿狩の上体、特に頭や胸の辺りを目掛けて振り回し、それを相手は一つ一つ見て、大きめな動きで躱していく。
「逃げてばかりかチビ女ぁ!!」
「威勢良すぎぃ〜。絶対跪かせてさっきの威勢はどうしたって聞いてやるからなお前!」
「やってみろ、よっ!!」
「ぎゃっ!?」
でも相手の動きは俺よりも僅かに緩慢だ。スタミナの消費もあるし、肉体的な違いでやはり俺よりも身体能力は劣っているのだ。
地面を蹴り上げ、石が鹿狩の足に当たり、一瞬気を取られた鹿狩が目を落としたのでその隙にバットを振り下ろした。
鹿狩は慌てて体を曲げ、背中で俺のバットを受ける。悲鳴をあげよろけるが、追撃を嫌いバットを掴んで俺の顔面に唾を吐きかけてくる。
「ぐぉっ、くそっ、てめぇ!」
鹿狩は俺の視界を唾で遮った後、バットを持つ手の手首を思い切り噛んで離させるとバットを思い切り遠くの方へぶん投げた。コンテナの向こう側、茂みの方へバットが転がっていく。
「辻井くんよ。体ちいさい、手足短いし、力弱いし体力も無い、そんな私相手に武器使うのは恥ずいと思わねえの? それでボコしたら可哀想だな、とは思わんの?」
「あ? 黙れブス。思う訳ないやろ。誰がお前なんかに同情するかよ」
「同情ってか、むしろ私が同情したいよ。辻井くんさ……」
鹿狩は服を捲りあげ、背中の素肌にコンテナの壁に引っ付ける。打たれた箇所を冷やしてるようだった。そして、その状態のまま俺を馬鹿にするような笑顔を作って口を動かす。
「対策だのなんだの得意気に言ってたけど。こんなちっこい女一人に何マジになってんの? もう真っ向勝負じゃ勝てないって認めちゃってんじゃん。本当に、ネタに出来んくらいダサいね、お前」
「……」
ブチッ、頭の中で何かの神経が千切れるような音が聞こえてきた。
何も持たずの状態で鹿狩に向かって走る。相手は背中を冷やしながら俺を観察している。
鹿狩の状態から突き技を出すとしたら、壁を蹴って直線上に飛び出て右足を踏み込む必要がある。しっかり踏み込まないと今の姿勢のままじゃ大した威力は出ないからな。その動きを敢えて誘発させるためにこちらも猪突猛進で突っ込む。
相手の間合いに入る直前、つまり少し離れた位置から拳を突き出して、飛び込んでくる相手に自分から拳に当たりに行かせてやる。
直前で立ち止まって回避行動を取っても、背後を追い詰めてる以上左右に避けるだけなら蹴りで追撃は余裕だ。この一撃は絶対決められる!
「つあっ!?」
鹿狩は目論見通りコンテナを蹴って大きく踏み込んできた。しかし、拳を突き出す事はしなかったため上体が前のめりになる事もなく、また回避行動も取らなかったため追撃も出来なかった。
鹿狩は俺の目の前で軸足をしっかりと踏み込ませると、腰を思い切り回転させて逆の足で俺のふくらはぎを蹴り抜いてきた。
「フッ! ……よっと」
あまりの痛みに膝を着きそうになる。土壇場の無理な攻撃かと思いきや、鹿狩は慣れたような動作で姿勢を直し、すぐさま同じ側の足を膝を折りたたんだ状態で腰の上まで引き上げ、上段回し蹴りを放って来た。
辛うじて腕でガードする。が、衝撃を殺し切れず体が大きく揺れる。
予期せぬ攻撃に心拍数が跳ねて混乱する俺に対し、右足を軸にバックスピンを行い、その回転の勢いを利用した後ろ蹴りを俺の胴体にぶち当ててきた。
体が後ろに飛び廃車の上に寝転がされる。急いで体勢を立て直すが、肝臓の痛みに直立が維持出来ず庇いながら鹿狩を睨む。
「ぐっ、く……なんだよ今の!」
「何って、蹴りやろ。ふつーに」
「お前蹴り技なんか使った事無いやろが!!」
「使う機会あったかなぁ……アリ1匹殺すために銃使うか? 普通に踏み潰すやろ」
「ボ、ボクシングじゃ蹴り技は反則行為だろうが!!!」
「格闘技経験者は喧嘩においても試合のルールに準じろと? ヤンキーなりたての中高生みたいな理屈やね。てか、ボクシングやってるなら蹴らないって思い込みも意味分からんし。キックとかシュートとか色々あるやん」
「だああぁぁぁぁああぁああぁああっ!!!」
ヤケになり掴みかかろうとしたら、ぺこりと謝罪するように上体を曲げた鹿狩が踵を上げてきて俺の顔面を靴裏で蹴ってきた。
仰け反った俺の肝臓にブローが刺さる。大きく体を曲げ痛みから逃れようとしながら、拳を振り回して鹿狩を離れさせる。
「今回もまた初見殺しで一本先取と。まだまだこっちは手札あるよぉ〜。どうする? そろそろやめとく?」
「だれがやめるかぁぁあっ!!」
吠えながら鹿狩の方へと向かう。真っ直ぐ走れなくて本来ならもう退くべきなのに、終始余裕な態度を崩さない鹿狩に苛立ちを募らせた俺にそんな冷静な判断は行えなかった。
欠伸をした鹿狩が、涙を目に浮かべながら両拳を上げ顎とこめかみに寄せる。
「シッ!」
「ぶっ!? くっ、らあぁぁっ!!」
鹿狩が短く息を吐いて左拳を伸ばしてくる。ジャブだ。目で捉えられない速度の牽制の突きが頬に当たる。痛いし対応出来ない速度の攻撃に面を食らいそうになるが、止まらずに両手を伸ばす。
顎を下から打たれる、視界がグラつく。下がった手を縫うように左のジャブ、そして右ストレートの連打がバースト射撃のように絶え間なく胴を打ってきた。
「うがっ、あ!?」
「もういい加減にしようぜ。殴るこっちのが手ぇ痛いの。見てよ、内出血しちゃってる」
鹿狩が拳の頭を見せてくる。だがそんなの視界に入らない、俺が虚ろな目をして、グロッキー状態になってると思い込んで戦意を解いたのだろう。
コイツへの本当の対策、というか弱点はその詰めの甘さ、浅慮さにあった。
「うがああぁぁぁぁあああああああっ!!!」
「えっ」
鹿狩の肩を掴み、思い切り頭突きしてやる。ドタドタと足を忙しなく動かして後退った鹿狩が頭を押え呻く。
「あ、ふっぅ……いたっ……痛いっ!」
「があぁあぁぁ殺す殺す殺す殺すっ!!」
「っ!? やめっ、ぐえっ!?」
手で顔を庇う鹿狩をそのまま蹴ってその上に乗っかり、腕によるガードの上から鹿狩を殴りつける。上手い具合にこちらの拳に肘を当ててくるせいで俺の拳の皮がめくれ、内出血で青く膨らみが生まれるが、鹿狩の方も苦痛に顔を歪めており肘を震わせている。コイツは無敵なんかじゃない、押せばボコせる!!
人差し指、中指、薬指が腫れて鋭い痛みが走る。その痛みに殴る速度が遅くなるのを自覚した。そして、こちらの攻撃の合間を縫って、今度は下から鹿狩が俺の鼻を突いてきた。
「くはっ!? こ、のっ……!」
「いい加減にしてくんねぇかな〜〜〜!!」
「がぁはっ!?」
鹿狩に拳を掴まれ、腫れたり皮膚が剥けたりしている俺の拳に手のひらを押し付け擦らされる。ビリビリと鋭い痛み、皮膚が捲れる感触がして、同時にガラ空きの俺の肝臓に何度も拳が刺さる。
「かっ、はっ、はっ!?」
弱っている内臓を攻撃されたせいで筋肉が痙攣しマトモな呼吸が出来なくなる。腰が浮くと、すぐに鹿狩は横に体を転がして俺を振り落とし、両手を掴んで思い切り肝臓の位置に膝蹴りを当ててきた。
「ぐぉおおぇえっ!?」
「そろそろっ! カチキレるとはっ! 思ってたっ! けどっ! 何お前っ! 頑張りすぎちゃってんだよっ! 何がっ! あったかっ! 知らねえけどっ! ウザいんだよっ!! 雑魚がっ! 俺にっ! 勝てるわけっ!! ねえだろうがっ!!! マジで殺すぞっ! てめぇええっ!!」
最早蹴りでもなんでもなく。地面に転がる俺の内臓を、それを庇おうとうつ伏せになった俺の背中を、頭を、足を、手を。鹿狩は力いっぱい踏んづけ、暴言を吐き散らす。
「おい辻井コラ。生きてるか〜?」
「……ぁっ」
何十分経ったのだろうか。蹴られ続け、全身が痛みに包まれて熱くなっている。それは気の所為ではなく、本当に高熱が出ていて意識が朦朧としているのを感じた。
肩が重く、股間辺りも熱くなっている。尋常じゃない暴力に、早くも身体が生を手放そうとしていた。
鹿狩は意識朦朧な俺の頭に靴を乗せ、グリグリと押し付けながら嗤っていた。ポケットを漁ると、中からスマホを取りだし一枚の画像を表示して俺に見せてくる。
「私の奴隷如きが、私に逆らったらどうなるか、分かるよな? ソイツにとっての大事なもの、1個没収かぶっ壊し、な。辻井の場合、何になるかなぁ?」
「……ゃ、なせ」
「やなせたかしじゃないよ? アンパンマンなんて興味無いでしょ? ほら、よく見てみ〜」
鹿狩が画像のある一点を拡大し、スマホを今度こそ俺のすぐ目の前に立てて見せてきた。
そこに映し出されていたのはコイツらの拠点であるビルの一室のベッドに腰かけて酒を飲んでいる複数人の男。
そして、服を脱がされ裸にされた柳瀬川の姿だった。
「ゃ……め」
「やめんよ? お前俺に負けたじゃん。お前が嫌がる事"だけ"やってやる。後悔しろ?」
「たの、む、から……ゃなせがわには、なに、も」
「皆〜、もう出てきて大丈夫だよ〜」
そう大声で鹿狩が言うと、何処に隠れていたのかゾロゾロと不良達が現れ俺と鹿狩を取り囲むように集まってきた。
「大丈夫かよ八尋ちゃん。何発か貰ってたやろ」
「んーちょっと痛い……咳渡くんお酒飲んだ?」
「さっきまで飲みしてたわ」
「ん、じゃあ車ん中で私の顔冷やしてくんない? ちょっともうこれ以上の運動はきちぃ〜……」
「お。じゃあその間ハメてもええ?」
「勘弁して。鬼疲れてるんやって、戻ったら鷲見さんとかとヤりゃいいでしょ」
「たまにはいいだろうがよ。廻ばっかずりぃじゃん、俺だってお前とヤリてぇってのに」
「あはは……ま、そのうちね。今は先にやる事あるんですよ」
不良二人に腕と足を持たれ、荷物を運ぶように移動させられて近くに停まっていたセダンのトランクに突っ込まれる。
両腕両足を縛られ、口で俺の下着を噛まされた状態でガムテープを貼られ、何も抵抗出来ないようにされる。
「今から柳瀬川さんと会わせてあげる。大丈夫、酷い事はせずに待たせてるから。感動の再会と、関係の修復を一挙に行っちゃおうな!」
「ゔうぅぅっ!! ううゔうぅぅぅぅ!!」
「よーっしじゃあ出発し……咳渡くん、お尻触らないで!」
「ケチケチすんなよ〜」
「キショすぎ〜……もう。とにかく、大人しくしてなよ! 着いた時にお腹すいてたらご飯くらいは出してあげるから、今は我慢ね!」
そう言ってトランクが閉められ、暗闇に支配される。外では咳渡と呼ばれた男がまた鹿狩にセクハラをしそれを咎める和気藹々とした声が響いていた。
エンジンがかかり、移動が開始される。全身を滅多打ちにされた影響で上がった熱と車の振動が心地よい昼間のゆりかごのように感じられて、瞼がどんどん重くなっていく。全身の痛みの奥に安らかな心地良さがあり、それが俺の意識を刈り取りにやってくる。
「……や、なせが、わ……ごめ……」
言葉を全部出しきる事は叶わず、俺の体は抵抗力を失い重力に引かれて重い微睡みに引きずり込まれていった。
遠い意識のその向こうで、俺を非難する人々の声が聞こえてくる。
俺のせいで未来を失った後輩達、俺のせいで子供に期待出来なくなった親共、そして、俺のせいで無関係なのに巻き込まれてしまった柳瀬川。
怨嗟の声はビルに着くまで止むことはなく俺の心を蝕み続ける。
こんな目に遭ったのは全て鹿狩のせいなのに、途中から、煽りでも嘲笑でも罵倒でもいいから、愉快そうな声で不快な事を言う鹿狩の声で呪いをかき消して欲しいと感じるようになっていた。
こんな俺に、憎悪とは真反対の感情を向けるのはもう鹿狩だけだ。そう思わざるを得なくなる程に胸が切なく疼き、自分の中にあった自尊心が音を立てて崩れていくのを感じた。
もう既に、俺からは、鹿狩に逆らう気力は喪われていた。