子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
ミーンミーン。蝉が鳴く。梅雨が明けて例年より駆け足で夏が日本に上陸し、まだ7月だというのに路上は蜃気楼で揺れ動いていた。記録的猛暑だ。地球の限界を感じる。
八尋の奴が夏休みに入り、父親の仕事もこの時期になると休みを取ってくる可能性が高いとの事で、俺は荷物を纏めてネカフェ生活を始めていた。
「あれー? 廻さん、だっけ。こんにちは」
「おー……? おー、こんにちは」
AM11:00。郊外にある神社が付属されてる小山、の麓にある小さな川で釣りをしていたら鹿狩家で顔を合わせた事のある女子中学生がやってきた。
名前は確か、鷲見だっけか……? 髪を短く切り揃えたボーイッシュな女子だ。程よく日焼けしている、夏を満喫しているな。
「何してるんですか?」
「釣りだけど」
「それは見たら分かりますよ。なんでこんな所で一人で釣りしてるのかな〜って」
「今日はバイトも無いし、他にやる事ないんだよ」
「やること無くて釣りですか。おじいちゃんみたいですね」
「お兄さんな。鷲見さんは?」
「はい? 私?」
「何やってんの、こんな何も無い僻地で。国道からわざわざ降りてきた理由を問おう」
「散歩ですよ」
「散歩? 道無き道を? イノシシかな」
「冗談です。親戚が家に集まってて、抜けてきちゃいました。この時期の家の雰囲気苦手で……」
「なるほどね。……おっ」
垂らした糸にピンと振動が伝わる。指先でチョチョイッとくすぐるように糸を俺が座る土手石の下の方まで手繰り寄せ、一気にピンッと手作り竿を上げる。
「へぁっ!? な、なんですかそれ!」
「すごいリアクションしたな今。これはイワナ、うめぇ川魚よ」
「イワナ……!」
釣り上げたイワナを興味深く観察する鷲見さん。指でつんつんと突き、イワナが跳ねると「きゃっ!」などと声を上げ何故か喜んでいる。目新しいものを見た子供みたいな反応だな。
上等な竿がありゃ鷲見さんにも釣りしてみるか? って聞いていた所だが、生憎予算をケチって手作りしたオンボロな竿しか無いから勧められない。
てか相手女の子やし、針に虫を刺す工程を見たら気持ち悪がるだろうし勧めないのが正解か。折角なら釣り仲間を増やして休日の暇に当てたかったが、残念。
「あ、そうだ。腹減ってない? 鷲見さん」
「えっ? そういえば、ご飯が出来る前に抜け出してきたから結構腹ぺこ……」
「おっ。ちなみに川魚……焼き魚とかいける派?」
「焼き魚ですか? 好きですよ」
「おー。じゃあ折角やし食うか。イワナ」
「えっ、ここでですか?」
「おん」
一旦竿を置き、釣り上げたばかりのイワナをバケツに入れ移動する。足を運んだのはこの川に面した廃車置き場となっている空き地、そこに投棄された比較的損壊の少ない廃バスだ。
「あ、あの……」
バスの中に入り物を取り出そうとしたら背後から鷲見さんが控えめな声を掛けてきた。外で待っててって言い忘れてたな。
「どうした?」
「……ここって、前に鹿狩が辻井をボコボコにした場所ですよね」
「そうなん? 俺その時別事してたから知らないな。で、それがどうしたん?」
「変な事しないですよね!」
「しないわ。俺はお前ら中学生には手を出さん」
「出してたじゃないですか鹿狩に!」
「あー……じゃあ、頭イカれてる奴以外の普通の中学生には手を出さん。アレは手を出さなきゃ刺してくる輩やぞ、仕方ないやろ」
「刺してくるって……刺すか。アイツなら」
「刺すだろ。寝ていたらお留守の首と鎖骨の間に千枚通しをズブズブと。八尋だぞ」
「確かに……」
ジャッキーカルパスを口に放り込む。うまうま。やべ、頭の中での独り言なのに八尋の口調移ってるわ。
「じゃあ廻さんは安全って事でいいんですか?」
「安全ではねぇだろ〜。こーんなやつ」
「自分で言うんだ」
「どう考えても不審者だろ。八尋ん家に住み混んでるだけで宿無しの根無し草だしな」
ガチャガチャと置かれたものを乱雑に漁りながら、なんで俺はあまり知りもしない中学生相手にこんな自己紹介してるんだろうと悲しく思う。一度地の底まで落ちた人間って、自由を手にしても人並みにまで這い上がるのに相当苦労するよなぁ。
「これ、外に設置しといて」
「は、はい。……折り畳みの椅子?」
キャンプ用品店で買った組立式の椅子を鷲見さんに渡すと不思議そうな顔をされた。こんな場所に何故私物を、という事なのだろうか。聞かれたら素直に答えよう、ホームレスする予定だった頃の仮拠点がここなのだと。
「よいしょっと」
別に何も質問されなかった。
言われた通りに鷲見さんは外に椅子を二つ設置し、その後も特に文句を言うことなく俺を手伝ってくれた。良い子だなあ。八尋にどんな事されたのか少し気になってくる。
椅子同士向かい合わせになった中継点に丸七輪を置く。机の板だけバスから出し、日除けの為に作ったシートの屋根の下に置く。
「一応発電機あるから扇風機も使えるけど、いる?」
「発電機って。凄いですね、災害起きても大丈夫だ」
「無きゃ流石に夏冬が堪えるからね〜」
発電機を少し離れたタイヤと別の廃車との隙間に設置し、リサイクルショップで買った扇風機と繋げる。送風が開始されると、初めは熱風だったが日傘やシートをいくつか組み合わせた屋根の作る影のお陰で直射日光が遮断され、空気に流れが出来循環する事で川で冷やされた空気が入ってきて涼しくなってきた。
「外なのにこんな事出来るんだ……秘密基地みたい! 普通に暮らせますねこれ!」
「劣悪な環境であるのは間違いないけどね。バスの中で生活するにしても穴を完全に塞げないから虫とかは入ってくるし、さっきも言ったけど夏と冬は」
「すっげぇ〜! 昔は男子のこういうの何がいいのか分からなかったけど、なんかワクワクする……」
「あ、うん。そりゃよかった」
まあ、本人が楽しそうなんだ。至らない点については言わないでおくか。
「釣った魚の下処理してくるから待ってて」
「手伝える事ありますー?」
「すぐに終わるしゆっくりしときな」
塩で揉んでエラと内蔵をナイフでほじくり出すだけだからトータルで10分も掛からない。気持ちはありがたいが、日陰で涼みながら待っていてくれた方がこちらとしても気を使わなくて良いので助かるという話だ。
強烈なキャラしてる堀口さんや辻井少年らと違って、鷲見さんの人となりはよく知らないからな。しかし八尋一派のわりかし初期に近いメンバーの一人なんだ、慎重に接するに越したことはないだろう。最近の中学生怖い。
「ほい。それじゃ並べてくぞー」
「おー……!」
下処理を終えたイワナやヤマメといった川魚を串に刺し、念入りに塩をまぶし振って網に並べる。ここからはじっくり腹と背中を焼いていく時間だ。焼き上がりが楽しみだなぁ。
「あとは待つだけですか?」
「あとは待つだけです」
「何分くらい待つんですか?」
「1時間弱は見ていきたいですねぇ」
「1時間弱……」
「丁度昼12時頃に食える計算よ。お昼時直撃だな」
その時鷲見さんの腹の虫が鳴いた。意外といやしんぼなんだな、鷲見さんは恥ずかしそうにお腹に手を当て苦笑した。
「あはは……そういえば、昨日の夜ご飯も、抜いたんでした」
「ダイエット中かね」
「そういう訳じゃないんですけど、親戚の馬鹿騒ぎがウザくて部屋に逃げてたから」
「難儀な問題だな。ちょっと待ってな」
バスに入り中を漁る。何かあれば直ぐに生活できるよう様々な設備や用意を置いてあるんだ。急な空腹など最も気にしなければならない事態、解決出来る策を講じていないわけがない。
あった、カップヌードル日清。お湯は俺が一人黄昏れながらコーヒーを飲む為に用意したお湯が入った水筒がある。ひとまずの腹ごしらえは解決だな。
「鷲見さん、カップ麺あるけど。食べる?」
「いいんですか?」
「かまへんかまへん。何味にするよ、シーフードかカレーかチリトマトか」
「うーん……じゃあシーフードで!」
「川魚を控えてのシーフードか。汽水域だねえ」
「汽水……サロマ湖!」
「なんだそりゃ」
「えー! 国語とか社会とかで出てきますよ? サロマ湖」
「全然覚えてないわ。てか真面目に授業受けてなかったし」
「へぇー。廻さんっていつから不良やってるの?」
鷲見さんの選んだシーフードと、ついでに俺も食べたくなったのでチリトマトにお湯を注ぎながらひょんな事を聞かれた。
いつから不良をやっているのか、つまり俺は今尚不良認定を受けていると。ただの浮浪者なんだけどなぁ、実際の所は。
「ちゃんとグレたのは中二の頃だったかな。親が変な性格してて、フラストレーションが溜まっててな」
「親が……へぇ。苦労したんですね」
「苦労なんかしてないよ。不良になって嫌な事なんか、コンプレックスと自己嫌悪をだましだましにしてる時くらいで、何も考えてない時は多分誰よりもハッピーだぜ」
「そうなんですか? 先輩後輩とか厳しそうなイメージありますけど」
「今時のヤンキーだからねぇ。親世代ならまぁ、口の利き方一つでドラム缶詰めの女子高生とお揃いの死に方バンバンしてたって聞くけど、今はそんなの聞かないだろ」
「ドラム缶……女子高生?」
「なんでもない。まっ、不良時代は幸せだったよ。その後にあった出来事の方が余程しんどかった。今はグレやすくイキりやすい、若者に優しい時代だわな」
そう考えると、八尋がやってる報復とかって随分と時代を錯誤しているな。人間同士でペアを作らせて、相方がヘマしたらもう一人を拷問を掛けるとか。やってる事がまんま工場勤務のポン中野郎なんだよ。
「この釣った魚って鹿狩ん家に持って帰るんですよね? 大変じゃないです?」
ボーッと焼き加減を見ていたら麺を啜りながら鷲見さんが尋ねてきた。
「ん? アイツん家には寄らないよ。今アイツん家に住んでないし」
「そうなんですか? 追い出されちゃいました?」
何故か引いた目をされた。手は出し……出した事あるけど、別にこの頃は何もしてなかったっての。
「追い出されたわけじゃないけど、しばらく夏休みを満喫したいって八尋の奴が言ってたし。声が掛るまでは干渉しないでおこうかなと」
「なんか今ターゲットにしてる奴は辻井とか他の人らを使うっぽいんで、夏休み中は私らは自由かもですね」
「そりゃよかった。俺を使わんのなら大した犯罪行為もしないやろし、平和だな」
「え、なんですかそれこわ……人殺しがどうとかって話ですか」
「その話題は一応タブー扱いしてるつもりだから辞めような」
「えー。何でですか? 聞かせてくださいよ、鹿狩がチラッと言った程度にしか私知らないんですよ?」
「他人に話すような事じゃねえだろ。俺の口からは何も教えん」
「えー……ケチ」
ケチって。そんな事言われてもな……。話題逸らすか、まだしつこく聞いてきそうだし。
「鷲見さんは辻井や航太みたいな不良のようには見えないし、堀口さんともタイプが違うように見えるのに、なんで八尋の奴に目を付けられたん?」
「え? ……簡単に言えば、アイツをいじめたから、ですかね」
「マジでいじめてきた奴をランダムでいじめ返してんの? アイツ」
「そうじゃないですか。堀口なんて、進んで他人をいじめるようなタイプじゃないのに私とか、周りに流されて1度手を出しただけで、あんな酷い目に遭わされた」
「そうだったのか」
「私や堀口よりも酷い事をした奴で、何もされてない奴だっている。逆に、堀口と同じようにたかが紙くずを投げた程度で口の中に化粧品を流し込まれたような奴だっている」
「いやエグすぎだろ」
「よく分かんないですよ。アイツなんなん!! 酷い目に遭ったから他人を酷い目に遭わせてもいいのかよ! ……された事と同じ事を、してきた相手にするのが正しい報復じゃないんですか」
「まあやり過ぎだな。そう考えたらあの変態堀口ちゃんも、可哀想なんだなって思えるよ」
「……」
鷲見さんが目を伏せる。堀口さん周りの事で負い目があるのだろう。
以前の堀口さんを俺は知らないが、今の堀口さんってなんというか、普通の精神状態じゃないように見える。見た感じの表現を文章に書き起すなら、彼女は致命的に壊れてしまっている、というのが適切な程度には目が虚ろで不安定だ。
もし堀口さんが純粋で明るくて、他人に強く言えないような優しい人物だったのなら。今の堀口さんの変わりようを見て痛ましいと思ってしまうだろう。
鷲見さんを見るに、そういう感じの変貌を遂げてしまったのだ。八尋と関わる事によって。
「……空気を読まなきゃ破綻するんですよ。女子ってそうなの。だから、誰も強制したわけじゃないけど、堀口は空気を読んで、それで……」
鷲見さんの口が止まった。あまり思い出したくない出来事でもあったのかもしれない。
「空気を読まなきゃ破綻する。だから、そういう事をしろって思ってる周りの空気を読まざるを得なかった。それは命令と大差ないと思うけどね」
「……男子が羨ましい、そういうわだかまりとか無さそうだし」
「あるにはあるよ。まあそういう空気は長続きせず、いつの間にか何事も無かったかのようになりがちだけどな。なに、それで髪短くしてボーイッシュな感じにしたん?」
「髪のことは触れないでください」
冷たい口調で言われた。なにか地雷を踏んだか。気を付けよう。
「そろそろいい頃合いだな〜」
しばらく話して魚がいい具合に焼けてきた。試しにひとつ実食。うん、旨し。
「旨味の極みだな。鷲見さんも一つ行くかい?」
「行きたいです!」
「じゃあこれ行きな」
鷲見さんにも焼けた魚の一つを指して食べさせてやる。身を口に運び、ハフハフと熱そうに息した後に鷲見さんの顔が綻んだ。
「おいし! 美味しいですね、全然ドブ臭くない!」
「綺麗な川だしね〜」
「塩加減もいい感じだし、めっちゃ美味しい……!」
「そうだろうそうだろうはっはっは。あぁ、こういうのでいいんだよ……セックスがどうとか復讐がどうとかじゃなく、こういうのでいいんだよ……」
瞼にジーンと涙が染みる。鷲見さん、八尋一派にも関わらずダークサイドに堕ちていないから一緒にいるだけで心が洗われる……。
「鹿狩ってなんなんでしょうね」
金麦を喉に流し夏の味覚を堪能していたら、鷲見さんが話を切り出してきた。クール系に見えて意外とお喋りらしい。
「演技上手いよな。素材もいいんだし、女優とかなれる気するわ」
「……演技。演技というか、アレも素でしょ。よく分からないけど、気持ち悪いけど、アレはもう演技とかそういうのじゃない」
なんか語り出したぞ。今日はそういうのいいだろ、折角の川魚を楽しみなさいよあなた。
というか、まあ俺も時々アイツが不思議すぎて考え込む事はあるが。鷲見さんと言い辻井と言い堀口さんと言い、アイツについてアレコレ考察し過ぎだと思うのだが。
他人の考えを分かろうとして何になるのだろう。分かった気になってああこうなんだな、と勝手に決めつけるならまだこちらの接し方が変わるだけだからいいが、こうなんじゃないだろうかと考えた所で相手が何か変わる訳でもなし。何を求めてこの子らは八尋についてアレコレ思考しているんだ……?
「最初はただの良い子だと思ってた。でも話すようになったら意外と生意気で、だから接し方もいつの間にか雑になったけど、そうなるくらい親しみやすくて。……だからこそ、男好きでちょっかいを掛けたやつだってなった時は余計に嫌悪感を抱いた。そういうのとは無縁だと思ってたから。今にして思えば、それらって全部嫌われる為にわざとそういう人間のフリをしてたように思えるんです」
「明らかに考えすぎだな?」
「私だって、ただクラスでいじめの標的になってるからってあんな事しなかった。相手が鹿狩だから、だから余計に嫌だった。悲しくて悔しくて、気持ち悪くて、ムカついたから……」
「その言い方だと手ぇ出した言い訳としか取られんぞー」
「上手い言い方が思い浮かばないんですよ!」
「はいはい。鷲見さんは悪くないぞーよしよし。八尋が悪いからな〜」
頭をなでなでする。セクハラですかやめてくださいと腕をはたかれるか、引かれるかするのを期待してこういう行動を取ってみたのだが、満更でもなさそうな顔をしていた。親にほっとかれて育ったタイプか、可哀想に。
「ま、アイツが意図してキャラクターを作ってるのは事実だわな」
「キャラクター……?」
「当たり障りなくて、分け隔てなくて、ノリは良くて、優しくて。ここまで揃ってる人間が居たらどう思う?」
「揃ってるって」
「この3つ、4つか。4つの条件が完璧に当てはまる様な人物が居たとしたら。そんな、パッと見非の打ち所の無さそうな性格超人が現実に居たら」
「……そんな人間居るわけないでしょ。普通裏があるって勘ぐりますよ。そんなに私お花畑じゃないんで」
「って思うだろ。お花畑を気取ってる奴も、他人に興味無いみたいな素振りしてる奴も、きっと裏があるっていうレッテルを胸の内で貼り付けるぜ」
「……そりゃ」
「したら人は距離を置くよな。隙のない完璧超人なんて同じコミュニティ内にいたら、普通一線を引くんだよ。ただの凡人以上に強固な線を。そうなったら、表面上でしか仲良くなれないよな」
スーパーで買ったレモンも絞って魚にかける。うみゃー! たまらん。ついでに生レモンサワーも作っちまおう!
「……続きは?」
「んぁーっすっぺ! 続き?」
「完璧な人がいたら何なんですか」
「あー。いや、八尋ってただ生きてるだけだとそこに当てはまるだろ」
「……はぁ?」
「アイツ他人を憎まないし、テキトーだからノリ良いし、他人に興味無いから分け隔てないし、頭動かさないから当たり障りないし。その上顔面はすっぴんでテレビ出れるレベルやしスタイルも男の煩悩くすぐりまくり。そんな奴に誰もプライベートで会って友達として遊ぼうだなんて思わないだろ」
「そんな事ないでしょ」
「遊んだとして一線は引くんだよ。八尋に自分は相応しいのか、みたいな考えになってどこか遠慮がちになるか、八尋をアクセサリーにするかで、アイツ自体に心を触れさせようとはしない」
鷲見さんが考え込む。勝手に食べ途中の焼き魚にレモン掛けたら怒るだろうか。素揚げにしてかけたやつだったら怒られないよな、きっと。油持ってこよ。
「だからなんですか」
「だからアイツは社会に溶け込むために、人並に負けず嫌いで愚直で素直で意地っ張る為に嘘も時々ついて、普通に人の事を悪く言ったりするし、贔屓したりして、わざと文句やイチャモンを言われやすいキャラを演じてるだろ? って話」
「それは、キャラって言うか!」
「鷲見さんは拷問途中、急にアイツに優しくされた事はないか?」
「っ! ……優しくっていうか、叫びまくってる時に、喉痛めると良くないからって、水と飴を貰ったことなら」
「初恋と男へのトラウマを植え付けた柳瀬川って女子の為にアイツ、ほぼ毎日走り込みに付き合ってた事あるぞ」
「は……?」
「辻井の体に穴を空けてる時なんか失血するかもってなった時、自分の血輸血しようとしたし」
「はぁ?」
「航太って不良が居るんだが、ソイツが拷問に耐えかねて逃げ出した時は車に轢かれかけて、アイツ自分の身を投げ打ってまでして助けたからな。轢かれる軌道だった。車がハンドル切ってなきゃアイツだけ即死してたルートよ」
「な、なにそれ、意味分からんし……!」
「釣り合いを取ってんだよ。客観的に出来た人間を素でやれてしまうなら意識して嫌な性格を見せつけるし、残酷な行為をして相手を傷つけたとしてもそれ以上不幸にならないよう、なんなら復帰出来るように自分の身さえ投げ打つ。プラスとマイナスの振り幅が0になるように調整してる」
「何でそんな事するんですか……?」
「アイツの価値観だが、人からの評価が50点に近い人間ほどより多くの人間と仲良くなれて、腹を割って話してくれるんだとよ」
「でもアイツいじめられてますよ! 失敗してるじゃん!」
「まー世間的に考えたら、いじめっ子よりいじめられっ子の方が取っ付きやすいだろ」
「取っ付きやすいって」
「アイツの考えの軸はソレなんだよ。いじめられっ子って、同情にせよ見下しにせよ相手側からの介入を受けやすいだろ。いじめられていたっていう過去は出すだけで味方ができるじゃんか」
「自分から望んで弱者になったって事ですか」
「弱者の方が相手に都合のいい関係を築きやすいのは確かだろ。強者だと衝突が付き物やろうし」
話しかけやすくて、仲良くなれば無意識的に自分の方が下だと相手に思わせられるくらい親しみやすく、気付かないうちに自尊心を保つ為の依存先にしてくる。
相手に合わせてその都度、少しずつ都合のいい人間を意図的に調整して演じ分ける。だからアイツは出会ったばかりの人間ともすぐに打ち解けるし、簡単な事でトラブルを引き起こし、人として軽視した扱いをされる。
最終的に自分を軽く見られる事こそがアイツの関わり方のテンプレートなのだ。今もそうだ、堀口さんも辻井も咳渡も、アイツをまるで性処理オナホのように扱っている。
依存させられている。だからアイツらは、八尋からの無理な頼みも断れない所まで来てしまった。俺と同じステージまで落ちたのだ。
「都合のいい女を演じて色んな人の弱みを握り、特徴を掴み、ストックする。相手を知って自分が変わるんじゃなく、引きずり込むんだよな」
「それが、アイツの洗脳術の正体……」
「洗脳術とすら思ってないだろうな。それが一番楽だからそうしてるってだけだろ。あとついでに、娯楽でもあるようやし」
「娯楽?」
オウム返しされた。ドラマとかで相手の話を聞く時の記者みたいな話し方になってきたな鷲見さん。ルポライターとか向いてるんじゃなかろうか。
「アイツわざと相手の神経逆撫でするような言葉選びをする時あるやろ」
「言われてみれば。その場面でわざわざ出す必要も無いのに、余計な一言を加える時とかあるような気がする」
あまり覚えてはいないが、ノリに乗ってる時のアイツの口ぶりを思い出す。
「ナンパしてきた男が居たら、突然『学生時代モテなかったんですか?』とか聞くんだよ。二人組だったら、二人共に向けて。あまり刺さらなかったとしても『モテたのにナンパしてるんですね。女で埋めなきゃ心が満たされないんだ。でも、ナンパする暇が出来る程度しかキープ出来てないんですね。どっちつかずだなぁ、楽しくなさそ』とか、勝手に話を進めて相手がひりつきそうな話題をあれこれ探るんだよ」
「性格悪すぎでしょ」
「な。アイツわざと自分を見下させたり相手を怒らせたりして、相手が反論を考えたり自分の言葉をどう受け取って思考が動いてるかを想像して、表情や反応を見てニタニタ悦に浸ってるからな」
「うわぁ……」
「優位に立てるかどうかはどうでも良くて。とにかく相手が数秒詰まったり瞳孔が動いたり不規則な呼吸になったりするのを見て楽しんでるんだよ。だから辻井の時はそれが顕著で、何度も反撃食らってたのに変わらずケラケラ笑いながら煽ってたろ」
「いや知らないです」
知らないか。実働部隊に一応加わってた時期あるよね、この子。あんまり周り見ないタイプなのかな。
「ま、深く考える必要も無いよ。アイツはもう鷲見さんに何もしないでしょ」
「それでも気になるんですよ。アイツが何考えてるのか、なんであんな風になっちゃったのか」
「そんな事まで? 意外と興味あるんだね、八尋に対して」
「……人の命奪っといて、それでも似合う髪型探したり、練習用のマネキンくれたりしたから。まじで意味わかんないんだもん」
「えっ、人の命……? おい待てアイツ知らん間にそんなレベルの凶行まで犯してたんか!?」
「あ、違うそういう意味じゃなくて!」
「
「ミソラ? ひばりやん。なんだなんだ、迷子か?」
素揚げを作ろうと鍋に油を注いでいたら上から大声で人名らしきものを叫ぶ男の声がした。歳は相当行ってそうな声だ。孫が行方不明になったのだろうか?
「待って」
上に行って手伝おうとしたら鷲見さんに手を掴まれた。そちらに意識を向けるとバスの中に引きずり込まれる。なんだと言うのか、イワナ美味ぇな。
「あれ、私のお父さん……」
「ハフハフッ。そうなん? 随分と慌ててるけど、行かんくって大丈夫?」
「……いいです。親戚が集まってる空気、嫌いだから」
「さっきも言ってたっけね」
「なので、ここでやり過ごしたいなって」
「それは無理やろ。あの人こっち方面に君が来たの気付いとるっぽいし」
「えっ」
「ついでに言うとせせこましいからくっつかれると暑いし。なんで」
バスから出て体を伸ばす。
「廻さっ」「あ、おいそこのあんた!」
シーっ、と小さく言って鷲見さんを抑える。バスの半壊の扉を閉める。
「いや〜いい釣り日和っすよね〜。どしたんすか、飼い犬でも逃げ出しました?」
「ここら辺でこんなくらいの背の、ツナギ着た娘見んかったか!?」
「ツナギっすか? 見ましたよ」
「本当け!?」
「大マジっすね。なんか泣きながらあっちの方走って行きましたよ」
おっさんが来た方とは逆の方を指差す。おっさんをそれを信じて国道の県境の方へと走って行った。
しばらく待った後にバスの扉を開ける。中で小さく縮こまっていた鷲見さんと目が合う。
彼女は不安そうな目で俺を見ていた。八尋に付き合わされて映画ばかり見させられていたせいだろうか、勝手に鷲見さんの家庭のバックボーンを想像してしまった。
「お父さんは……」
「居ないよ。どっか行っちまった、多分もう戻ってこない」
「ごめんなさい、変な事に巻き込んでしまって……」
暗い顔をする鷲見さん。日焼け短髪ボーイッシュ少女にはそういうくらい顔をして欲しくないな。似合わないよな、もっとルフィみたいにニカッと笑ってほしいものだ。
「ほれ」
素揚げを鷲見さんの前に差し出す。彼女はおもむろにそれを口に運び、咀嚼している内に段々と強ばっていた顔が綻んでいく。
「単純やね、君」
「何がですか」
「なんでも。残りもジャンジャン調理するから食ってけ〜」
そう言うと、鷲見さんが口の中の物を飲み込んだ後に小さく、遠慮がちに微笑んだ。
全てを間違えたあの日から、数年越しにやってきた平和な夏の到来に俺の顔も綻んでいた。