子供に戻ったと思ったら女体化させられるし女として生きるべきか男のまま生きるべきか分からない俺はスワンプマン 作:千佳のはんぺん
「また、変な液体……」
夏休みに入ってもやる事はなく、家の外に出ようとするとお父さんから手を出されるから宿題と絵を描く日々。
以前より続く変な現象、見覚えのないものが部屋や家の近くに落ちていたり、盗撮されたものが私のサイトに紐付けられていたりといった悪質なイタズラはまだ続いていた。
犯人は誰なのか一向に分からない。けれど、この犯人は私の絵に対し何か思う事があるように思えた。それは単に気持ち悪いから、みたいな薄っぺらい理由じゃなく、何かその奥に隠された意図とか、明確な悪意とか、そういうのがしっかり詰まった感情なのだとイタズラの内容から思える。
初めは怖くて絵を描こうとする手を止める事もあった。けれど、家にいる時間が増えればお父さんに"使われる"機会"も増えるし、家畜のような扱いをされる度に渦巻く感情を形にしないと、本人にぶつけてしまいそうだと思った。だから私は、まだ絵を描いてはサイトにアップしていた。
鬱憤と承認欲求の歪んだ結び付き。そして、私のどんな感情を抱こうと、私の絵を誰かが見続けているという実感。それらが噛み合って、最近は特に悪意をぶちまけた絵を描く時に筆が乗るようになってしまった。
ぐちゃぐちゃと絵を描き終えた後に思う、醜いなという感想。絵が醜ければ醜いほど、自分の醜さを肩代わりしてくれるからそれで良かった。キモくて、グロくて、汚くて、おぞましい。そんな絵ばかり上達していく。
「これ、何なんだろう?」
絵が上手くなったなと自分で思う度にイタズラの度合いも酷くなっていくような気がした。以前までは規則性やメッセージは無かったけど、最近は明確、なにかの意図が込められているかに思えるイタズラをされている。
今回のこの謎の液体も、オレンジっぽい淡い濁った液体が入ったペットボトルがいくつも並んでいるというイタズラも、何かメッセージがあるのかもしれない。そう思い私は、ペットボトルの内の一つを取ってみた。
「……っ、きゃああああっ!?」
ペットボトルを持ち上げ、その裏側を見た時につい悲鳴をあげてしまった。
目玉が入っていた。
何の目玉かは分からない。何故か裏返した時に突然ペットボトルの中に目玉が浮かび上がって、私と目が合ったのだ。
「なに、これ、なにこれっなにこれなにこれなにこっ!?」
何の目玉だろう、人間だろうか? 人間じゃなくて他の動物だったとしても、じゃあそれは生きている動物からか死体から目を抉ったことになる訳で。そんなことを平然とできる人が普通なわけもないし、全身が悪寒で冷たくなっていくのを感じた。
オレンジ色は、血の色だ。血抜きをしても抜き切れなかった血が滲んだ色。なら、他のペットボトルも……?
「うっ、うぉえ゛っ!!!」
私はその場で戻してしまった。足から力が抜け地面にへたり込む。怖い。怖いのに、周りが見れない。指先が震える、キーンって耳鳴りがする。
どんな細工をして目玉を見えないようにしていたのかは分からない。そんな所に思考は回らないが、意味が分からずペットボトルを見ていたらその、目玉が見える側の面の底近くに付箋が貼ってあるのに気付いた。
「羨望……?」
付箋にはただ短く『羨望』とだけ書かれていた。それが何を意味するのかは分からない。でも、何かしらのメッセージであるのは間違いなくて。
腰が抜けて立ち上がれない私は、必死に腕を伸ばして他のペットボトルも手に掴んだ。
「……はっ!? はっ、はっ、はっ! はっ! しっ、なにこれっ、したっ、舌っ……!?」
やはり色の濁ったペットボトルは表からじゃ中身が見えないよう細工してあり、その細工の裏には、乱暴に千切られた断面を持つ長い肉のようなものが浮いていた。
私の想像力ではそれは舌にしか見えなかった。食事の時に使う舌だ。
まるで人間のものにしか見えないソレから目を逸らし、付箋を探す。
『ドブ臭い醜聞』
ミミズが這ったような汚い筆跡だが、辛うじて読める字でそう書かれていた。
他のペットボトルをひっくり返し、その裏面を見る。
「ひっ、ひっ……!?」
指、のように見える物が数個入っている物には『嘘の愛』と書かれた付箋が貼ってあった。いくつかの指は長い間ただの水に入れられていたせいか脱色し柔らかくなってほぐれ、形が崩れていた。
鼻が入っているペットボトルには『思い出との別れ』と書かれた付箋が貼ってあった。
どこの部位が分からない肉が入ったペットボトルにはそれぞれ『自分だけ正しいと思っている』とか、『虚飾』とか、『雑踏みたいな歌声』とか、そんなような事が書いてある付箋が貼ってあった。
そこまで見て気付く物があった。この付箋に書かれているのは、私が描いた絵に付けたタイトルだ。私のサイトに上げている絵を開く時に出てくる、私がつけた絵の題名が付箋に書かれ、人体としか思えないパーツと共にペットボトルの裏に飾られていた。
そこで辞めておくべきだった。違和感に気付いて、私はそこで漁るのを辞めて、何もかも忘れて知らないフリして家に入ればよかった。ふて寝を邪魔されてお父さんに体を使われた方が、もしかしたらマシだったのかもしれない。
「……えっ」
切り取られた乳房があった。その乳房には、三日月の刺青が入っていた。
今ではもうあまり覚えていないお母さんの胸には私か、三日月の刺青が入っていた。
「ち、が、う、ちがう、ちがう、絶対違う、ちが」
そのペットボトルの付箋には、『今泉澄子』という題名がハッキリとした筆跡で書かれていた。
「おかあーー」
そう言おうとして、慌てて自分のゲロまみれの口を手で塞いだ。かくつく足で無理やり立って、そこからはもう現実から逃避するようにただただ家に入って自分の部屋にこもろうとした。
「あぁ? 帰っとったんかい絵里加。……? くさっ! なんやお前、吐いたんか……? 口ゆすげや気持ち悪い!!」
廊下でバッタリとお父さんと鉢合わせする。前を見てなかったから思い切りお父さんの固い贅肉の腹にぶつかり倒れてしまうが、お父さんは私を助け落とそうともせず引いた目で見下していた。
「口ゆすいで、風呂入ったら俺ん部屋こい」
「おっ、お父さん!!」
「ごらぁ。口ゆすげ言うとるんじゃゲロ。殺されたいんかあ゛ぁ!?」
普段は絶対しないのに、私はお父さんにしがみついた。だが、お父さんはそんな私を足蹴にして離そうとしてくる。でもそんなの気にしてられなかった。私には一つだけ、お父さんにどうしても確認しておきたい事があった。
「お父さん! ママって、胸にタトゥーあったよね!?」
「あ? ……ちっ。いきなり気ぃ悪い話すんなや馬鹿娘が」「答えてよぉ!!!!」
思い切り声を張り上げて、劈くような声でそう言うと私を蹴り飛ばそうとしたお父さんの動きが止まった。
「ママはっ、胸に三日月のタトゥーがあったよね!!?」
「…………クソが。シラフやから余計気ぃ悪いわ。あぁ、あったが、それが何じゃアホ」
「ママ、まだ生きてるよね!?」
「あ゛?」
お父さんの、目の色が変わった。苛立ちとは違う感情の色だ。もっと暗くて、揺らめく炎のような、弱々しい色だった。
まるで何かを恐れているかのようなそんな色に、つい私は口を滑らせてしまう。
「お父さん、お母さん用事、あるよね。市役所で、どんな内容かは知らないけど……」
「……」
「定期的に、二年とか三年おきに会ってるんだよね!? 今年も、会ったんだよね!?」
「……何が言いたいん、絵里加」
「生きてるよね!?」
「何を言っと」「外のペットボトルに入ってたの!!! ママと同じタトゥーが入った人の胸が入ってたのぉ!!!!!」
*****
「なんかもう、後戻り出来ない所まで来ちまった感じだよな……」
「大分前からそうなんだよなぁ。人様に断りもなく家に勝手に上がり込みやがってよ、このタコ」
また堀口さんと辻井が俺の家に居た。堀口さんをぶっ飛ばせばこの不法侵入は止むのだろうか、そう思っていたのだが、今回に関しては親父が家に入れたらしい。男女で来てるから普通に遊びに来たと思ったんだと、本人は家に来るって話を知らされてないのにね。
だが、親父がリビングにいるおかげか今日はこの二人に変な事をされずに済んでいる、そこはいい。二人は大人しく俺の部屋で各々くつろいでいた。
「でもよ、人をバラす手伝いをするのって絶対法に触れるよな。殺人とか死体遺棄の共犯じゃないかよ」
「手伝うっつったって助言しただけだよー? 普通に山に捨てたり水場に沈めたりするよりか、細切れにして水に入れてふやかしてから土に撒けば良いって。その方がバレにくいよって言っただけじゃん」
「そ、そりゃそうだがさ……」
「そもそもこっちが何かする前に今泉パパが終わり人間になってたのには驚いたけどさ。丁度よかったじゃん。結果的にこっちは何も手を汚さず今泉パパを手中に収められたんだ。あの調子ならもし万が一が起きても今泉パパの自爆で終わりだって」
「でも捜査とかされたら芋づる式にこっちも疑われ出すんじゃない? って言いたいんじゃないかな、辻井くんは」
堀口さんがコンビニで買ってきたメロンパンを食べながらそう言う。床にボロボロとこぼれるんだよなぁ、家出少女の信ぴょう性が増す食い方しおってからに。下にゴミ箱を移動させてやる。
「危ないって? あのバラバラ今泉ママが警察とかに見つかったら、今泉パパが私らの事チクるかもって話?」
「それもあるし」
「俺と柳瀬川なんて数日アイツんち張ってたし、色々嫌がらせとかしてたろ? その痕跡から結び付けられたりも」
「どうだろうね? してたと言っても、ママを入れたペットボトルと以前のヘドロペットボトルは別件でしょ? 類似性で詰められたとしてさ、チクられたんなら先手取って『嫌がらせのつもりでそういう事したら手段を真似された』って言えばそれだけで済む話じゃない?」
「そ、そんな事言ったら俺も柳瀬川もいじめ嫌がらせで捕まるじゃないかよ!!」
残念ながらいじめ如きで人は捕まらないんだよな、少なくともこの時代は。人死にも関係無い所で勝手に起きた事だし、そんなん警察も「ほーん。そりゃいかんねぇ」程度にしか言わんと思うけどね。でも不安がってるし、テキトーにフォロー入れとくか。
「学校名と校長教頭の名前出して盾にすりゃいいじゃん。学校を人質に取ったら必死に隠蔽とかして庇ってくれそうじゃん、歴史に倣おうや」
「学校とは関係ない個人の範囲で行ってたって結論になったらその望みも薄くなると思うけどなー。ねー、鹿狩さんっ」
「なーんで後ろに乗っかってくるの」
ベッドに寝転んでクシャルダオラの素材を集めていたら堀口さんに背中に乗っかられた。ぐえー苦しい、あばら骨の下のゴリゴリしてる所がウィークポイントすぎて苦しいぞ。コイツ仲良くなると態度ウザくなるタイプか〜〜!!
「そんな事になったらいよいよ捕まるだろ俺達!!」
「まっ、実行に移してたのは主に辻井くんと柳瀬川さんだしぃ? あたしらは関係ないからどうでもいいもーん。ね! 鹿狩さんっ!」
「おー尻揉むのやめよーねー」
俺の尻肉を手で揺らす堀口さん。力強いなぁ……。
なんだコイツ、子供時代に友達相手に調子づいたムーブしてたらキレられて、逆ギレしてるうちにガチで孤立するようになってネットにハマり、性格ひねくれまくってコメントやらツイッターやらで不満や悪口を垂れ流すかうんこするかしか能動的に出来ない大人になるタイプやん。サクセスストーリーやんけ、おもろ。一生この子と友達やるわ俺。
「ねえ、今なんか失礼な事考えてたよね」
「え? いや。なんで?」
「鹿狩さんの顔がそういう顔になってた。ほくそ笑み顔」
「失礼な。満面の笑みですが」
「何に対して笑ってたの!」
「堀口さんは今日も可愛いなあって」
「えっ!? そ、そんないきなりっ、もう……ばかっ」
きっしょいなあこの人。
「か、鹿狩……」
辻井くんが不安げな表情で俺を見てくる。前まであんなに俺を殺したがってたのに、ここに来て俺にどうにかしてほしくて縋るんだなぁ。よーし、わざわざ私憤を煽りに煽った後にプライドぶっ潰した成果が現れてるわ。
「そんな目で見られても、実際堀口さんの言う通り辻井くんと柳瀬川さんしか困る人居ないからなぁ。ぶっちゃけ私関係ないし、手を貸してやる義理はないよね〜」
「なっ!? そ、そんなの無いだろ!? だってアイツに嫌がらせするように言ってきたのはお前なんだし! や、柳瀬川まで使って断れなくして、卑怯だろ!?」
「軽い気持ちで冗談半分で言った事を君ら二人が鵜呑みにした。なんて言ってしまえば、それだけで私は君らの件からえんがちょ出来るんだよ? そうなるように仕向けたわけだし」
「ふ、ふざけっ!!」「まあまあまあまあ。だからと言って見捨てるのは後味悪いし、辻井くんは他にも色々手伝ってくれたから個人的には恩義を感じてる。だから、少しくらいなら手を貸してあげてもいいけどね」
「さっき義理はないとか言ってなかったっけ?」
「う、うるさいな、一々考えて物言うような頭はしてないんだよ私は!」
「あーん怒らないでよ〜」
「ぎゃあっ!? やーばこいつ。堀口さん、普通の女はカンチョーされたらブチギレるからね」
パンツの上から中指ケツの穴にねじ込まれそうになった。エロとかじゃないやん、汚いやん。普通に最悪なんだけど……。
「手を貸すとは言うけど、一体どうするんだよ……」
話を先に進めたがる辻井くん。そんな彼に堀口さんが「必死すぎ〜」と茶化していた。メスガキの敵幹部みたい。
「進めてこうとしてる計画からかなり外れるけど。要はどう動くか分からないジョーカーである今泉パパを黙らせりゃいいんでしょ?」
「お、おう。でも一体どうやって」
「それは後でのお楽しみ〜。柳瀬川さんがいる所で、改めて説明しようかな」
「あたしは仲間はずれ〜?」
「仲間はずれ〜。堀口さんはフリー素材にする程わるわるペナルティ重ねてないからね〜」
俺はスマホを出し、直接リンクを打ち込んでとあるサイトに飛ぶ。ねじ曲がった性癖を持った数少ない人間しか見ないような、悪趣味な写真や絵が何枚も貼り付けられたサイトだ。
「まあでも、まずはバラバラママンのペットボトルをいくつかサルベージしないとね」
「サルベージ、って。掘り出すのか……?」
「うん。掘り出して、ちょっとしたお題付けをするよ。ついでに中身透明トリックもしたいから、小さな鏡開き型の鏡も探しに行こうか」
「鏡開き型の鏡って、なんか頭悪そうだね〜」
「堀口さん今日うざーい!!!」
*******
「なんで、こんな所に……っ!?」
ソレを見た時、お父さんは片手を頭に置いてガリガリとかきながら困惑の表情を顔に浮かべていた。私はその様子を玄関の戸から見ていたが、お父さんが慌てた様子でペットボトルを家の中に運ぼうとしたから玄関から離れ、廊下まで逃げた。
「何ボーッとしてるんや、手伝え絵里加っ!!」
「お、お父さん! それ……」
「黙れ」
「おとうさ」
お父さんは戸を閉めると、私の所まで歩いてきて髪を掴み強引に引っ張り上げた。
体が持ち上げられ、体重を支える頭皮への痛みで涙が出てくる。お父さんは私を乱暴に床に叩き付けると、サンダルを履いたままの足で足や尻など、届く範囲の私の体に攻撃を加えてくる。
「黙れっ、黙れ黙れ黙れだまれだまれだまれだまれぇえええ!!! はぁ、はぁ、お、お前は言う事だけ聞いてればいいんじゃ!! 何も言わんと、さっさとコレ台所持ってけや!!!」
「だ、台所なんて持ってってどうするの……」
「流すに決まっとるやないか!! 詰まったら便所に流す、それでも詰まったらそのまま放置して腐らせてまた流すんや!!!」
「ば、馬鹿じゃないの!? そんなの」
つい、口を滑らせてしまった。
私に馬鹿と、そう言われた瞬間にお父さんの動きが止まる。こちらを振り向いた時既にお父さんの顔は赤くなってて、目も充血していて頬の辺りはヒクヒクと小さな動きを繰り返していた。
「お前も、俺を馬鹿にするんか」
「お、お父さん」
「おばえもばがにするんがえりがぁあああっ!!!」
「辞めてっ、やめてくださいお父さんっ!!! 嫌っ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!!」
自分の上にのしかかる男の重みに肺の中の空気が漏れる。息をする間もなくお父さんの拳が体にあたる。抑えきれない感情をただ吐き出すようにめちゃくちゃに叩きつけてくる。
お父さんと、お母さんの間に何があったのかは知らない。けれど、お父さんは酒に溺れてるし暴力も振るうし虐待もしてくる奴だけどここまで会話が出来なかったことは無かった。
最近のお父さんは人が変わったように、廃人のようになるか理性が無くなったような姿しか見せなかった。酒の量は相変わらずだが、それとは別に、お父さんの部屋のゴミ箱には見たこともないような透明のケースが沢山あった。
詳しく知りたくなどなかった。目を逸らしていくつもりだった。アレはきっと違法薬物に違いなかった。
「お父さんっ、やめてよ!! 嫌だよぉおおっ!!」
服を脱がされる。というかもうほぼ破られていた。人とは思えない怪力でお父さんは私の服を強引に破ると、濡れてもいない私の中にソレを思い切りぶち込んできた。
何者か分からない奴からのイタズラと、お父さんの異常。それらから目を背ける為に私は一人部屋にこもり絵を描くか、動物の死骸を撮りに外に出掛けていた。だから気付けなかったんだ、家が少しずつ変わっていて、何かに侵されていくのを。
今、本当に今初めて気付いた。家の中に、私の知らない匂いがあった。それは人の匂いのようにも思えた。誰かが行き来した痕跡だ。
血痕があった。破壊の跡があった。私が知らないものだ。
お父さんは怯えていた。薬物や酒で廃人になっていない僅かの間、お父さんはなにかに脅え、不機嫌さと恐怖心の間で揺れ動いていたような気がする。
お父さんなんてマトモに見たくなかったから気付けなかった。今になって次々と違和感に気付く自分に嫌気が差す。そうやって逃げてばっかで目を逸らしていたから、今私は殺されかけているんだ。
……もう、ダメだ。どうにかしないと。自分の力で。
「はっ、あぐっ!? ……はっ、あ゛っ!」
中で暴れるソレと腹を殴られる衝撃で、内蔵をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるかのような感覚で意識が薄れる中、周囲に目を配っていると床に落ちているボールペンに目が止まった。
これで刺せば、一旦は止まる。そう思い私は、ボールペンの方へと手を伸ばす。
「俺ァ言う事に従ったのに、なんでいつもこうなるんだよおおぉぉ!!!」
お父さんが叫びながら私の顔を殴りつける。でも、お父さんは私の意図に気付いた様子は無かった。私の血で汚れた手を拭く事もせず、頭を抱えて意味の分からない唸りを上げていた。
ギリギリ、手が届かない。指先がボールペンのペン先に擦れる。もっと、もっとだ。もう少し……!
「お前のせいじゃあああああっ!!!」
ゴキッ、という音が鳴った。お父さんが叫びながら、私の伸ばしている方の腕に思い切りドアを留める為の重石を振り下ろしたからだ。
「い、あ、ああああぁぁいたいいたいいいいいいああぁやあああっ!!?」
私の肘と肩までの中間辺りが奇妙にひしゃげた。あまりの痛みに叫ぶ。けど、骨が折れて腕の形が歪んだおかげか、手先にボールペンの感触はあった。
涙が止まらない。痛みで頭がズキズキする。けど、死にたくないとそう頭の中で繰り返し呟いていると、痛みを残したままだけど折れた腕が少しずつ動くのを感じた。
「しにたくない、しにたくない、しにたくない……!」
乱れる呼吸を正さないから酸欠で視界が白くなる。けど、折れた腕を体の横に来るまで動かすことが出来た。
私は、頭を抱えたままでいるお父さんに気付かれないようにそっと反対の方の腕を伸ばし、体の横に持ってきた筈のボールペンを取ろうとした。
「……あ、れ」
折れた腕の指に確かに引っかかっているはずのボールペンが無かった。どれだけ無事な方の手で探ってみても、それらしいものは見付からない。
頭を上げて確認する。やはり無い。そんな、なんで。確かに腕が折れているせいかボールペンの感覚はあまりハッキリとは分からなかったけど、でもちゃんと小指と薬指を曲げて持ってきたはずだ。指が曲がったままなのに、それが滑って指から外れるなんて、そんな事!?
元あった位置から体の横に来るまでの位置を見てもやはりボールペンは無い。確かに落ちていたはずなのに最初から何も無かったようだった。
そんな事を考えていたら突然、何かによって視界が妨げられる。
「だーれだ」
女の人の声だった。退屈そうな感情のない声だった。誰かが背後から近付いてきて、私の目を手で覆って隠したんだ。
「あ、あんたら、なんでこっ」
何か言いかけたお父さんの言葉が鈍い殴打の音によって中断される。肉体同士が物理あった音じゃない、硬い何かが肉体を打ち付けた音だった。
お父さんが何も言わなくなってすぐ、重いものが床に落ちる音がした。下半身から振動が伝わってくる。小刻みな振動だ。
「あ、ああぁ、誰、誰っ」
今にも気絶しそうな、声を捻り出した私に対し、背後にいる女は少し間を置いて答えた。
「お前のお母さんだよ。……名前、なんだっけ?」
「知らねえよ」
そんな、顔の見えない人同士のやり取りがされた後、私の顔にも何か硬いものが打ち付けられた。頭を思い切り床に打つと、目にゴミが入ったかのように視界がぼやけて直ぐに意識は暗闇へと落ちていった。