いつの間にか、学園に噂が広まっていた。
私と上代君が婚約している、という噂。
聞いた時は驚いた。
どうして私と上代君なのか。理解に苦しむ。
そもそも、私達は気心の知れた友人だ。
恋人同士など――考えた事も無かった。
まぁ、人の噂は七十五日というし、放っておいた。下らない。
それが一週間前。
その噂が上代君の口から出たのが五日前。
生徒会室で一緒にお弁当を食べていたら、その話題が上がったのだ。
上代君が面白そうに話していた。
それもそうだろう。
彼は人間で、私は悪魔だ。
悪魔よりも凄い人間と、魔王を輩出した悪魔の貴族の名家。
釣り合いは取れているのだろうか? そんな馬鹿な事を一瞬考えたが、それこそ馬鹿な事だ。
釣り合い以前に、私達は友人だ。親しいとは思うが、恋人、とは違うと思う。
事実は小説よりも奇なりと言うが、事実なんてこんなものだ。
そもそも、その噂の元がお姉様なのだから困る。
しかも広めたのは生徒会の役員。
上代君には悪い事をしたと思う。
あまり困っておらず、むしろその噂を笑っていたが。
多分私も笑っていたと思う。その時は。
まったく、椿姫達にも困ったものだ。
そしてお姉様にも。
もう随分前からだが、私と上代君が一緒に昼食を食べれるようにしていたのは、私達をくっつける為だったのか、と。
今まで気付かなかった私が鈍感なのか、気付かれないようにしていた椿姫達が有能なのか。
出来れば後者であってほしいと思う。
昼休み。
いつものように生徒会室へ向かいながら、小さく溜息を吐く。
さて、この下らない噂は何時まで続くのか。
噂というのは厄介だ。
消そうと躍起になると、余計に信憑性が増してしまう。
放っておくと、いつまで続くか判らない。
どうやって噂を消そうか、と考えていると、いつの間にか生徒会室に辿り着いていた。
鍵を開けて中に入ると、いつも通りの無人の部屋。
そこでようやく、大きく深い溜息を吐けた。
噂なんて面倒だなぁ、と。
今まで気にせず上代君と話していたが、今は人の目を気にしてあまり話せていない。
まぁ、気にし過ぎだと言われればそれまでだが。
というか、最初はあまり気にしてなかったが。
「面倒なものですね」
そう呟くと、返事があった。
視線を向けると、生徒会室の入口に上代君が立っていた。
からかわれて大変だから、避難してきたのだと。
失礼だと思うが、その言葉が可笑しくて笑ってしまった。
噂の渦中は、私と上代君だというのに。
「今、お茶を用意しますね」
いつもの昼食の時のように、上代君がお弁当を用意している間に、私がお茶を用意する。
今までと同じ流れ。
今まで通り。
違うとすれば、噂で少し、お互いを意識してしまっているという事か。
会話がぎこちない。というか、続かない。
お弁当を食べながら下らない話題で笑っていたのに、今は一言二言、ぽつぽつと話して話題が途切れてしまう。
「噂話で盛り上がるのは楽しいですが、噂の的になるのは面倒ですね」
そう言うと、同意の声と一緒に笑い声。
それにつられて、私も笑ってしまう。
ああ本当に――噂は面倒だ。
自分で用意したお茶を一口飲むと、上代君と目が合った。
「どうかしましたか?」
と聞くと、私が困っている顔が珍しい、という答えが返ってきた。
何を言っているのか、と。
呆れて苦笑しながら、もう一度お茶を飲む。
「貴方も噂されている一人だというのに」
噂は噂。
所詮は虚構。
まぁ、そうなんですけど、とは思う。
真実は――。
「相変わらず、レイナーレさんの料理は美味しいですね。また腕を上げたようで」
お弁当からおかずを一品交換するような、友人関係である。
上代君は料理をしないようだが、私のは手作りだ。
その事はすでに伝えている。
少しは思う所があってもいいと思うが、まぁ、鈍感な上代君だししょうがない。
女の子の手作り弁当を一品とはいえ食べているのだから「相変わらず美味い」という、いつもと変わらない感想はどうかと思う。
「しかし、実際問題としてどうしましょうか」
どうしようもない、と簡単に諦めないで下さい。
そう応えると、噂だから、と言われる。
どうしようもないと言われればそれまでだが、今の状態がいつまでも続くと流石に嫌だ。
こうやって会うのも、なんだか隠れて逢引きをしているようではないか。
別にやましい事は何一つないのに、どうして隠れて会わないといけないのか。
お姉様を問い詰めようにも、仕事が忙しいという理由で逃げられるし。
アレは絶対嘘だ。長年お姉様の妹をやっているから判る。
そう考えると、こう……ちょっと、イラっときた。
どうしていつもいつも、お姉様は私を困らせるのか。
あの独特な服装も、喋り方も。
いつもいつも、私を困らせる。
そして、今回も。
「もういっその事、本当に付き合ってみますか?」
多分、疲れているんだと思う。
普通なら絶対に言わないような事だ。
お姉様に振り回されて疲れたのか、噂に振り回されて疲れたのか。
まぁ、どちらにしても、だ。
そうやって、私と上代君は付き合う事になった。
それが、三日前。
そして今日も、私は満面の笑みの椿姫に捕まっている。
普段冷静な彼女にしては珍しい、そして最近見慣れたとても“イイ”笑顔だ。
その笑顔を見ながら、私はもう何度目かの溜息を吐く。
「それで、彼とのその後はどうなのですか?」
「その後も何も、別に何もありませんよ。それよりもうすぐ授業が始まりますよ? 席に戻りなさい」
「いいじゃないですか。副会長として、会長の恋愛には興味ありますし」
判らなくもないが、面と向かって聞かないでほしい。
少なくとも、告白はしてないし、好きと告げてもいない。
付き合う事になったのは勢いだし、そもそもアレから私達の関係が特別に変わった訳でもない。
今まで恋人を作った事が無かった。
彼氏彼女の関係など、初めてだ。
何を言いたいかというと――何をすればいいのか判らない。
そして、そんな事を椿姫に相談したら、またどんな事を言われるか判ったモノではない。
今度、リアスに聞いてみようかしら?
「ほら、先生が来ましたよ」
「まぁ、いいです。後で上代さんに聞くとしましょう」
そう言うと、いつもより軽い足取りで戻っていく椿姫。
多分、上代君も同じような事を応えると思うけど、とは口にしないでおく。
私達が本当に付き合うようになって三日。
実際付き合っているので噂なんて今更だし、あとはどうやってお姉様を捕まえるかだが…多分時間が経てば油断してくれるだろう。
それはそれとして、問題は私の眷属達である。
どうしてか、私と上代君の事を根掘り葉掘り聞いてくる。
私の事を気にするくらいなら、自分達も彼氏彼女を作ればいいのに、と思う。
匙が私の事を好いてくれていたというのには驚いたが、匙の事は他の眷属の子達も好いている。
あの子には悪いとは思うが、私は匙を弟としてしか見れなかった。
……もっと早く気付いてあげられたら、とは思ったが。
「はぁ……」
授業の声が頭に入って来ない。
付き合うようになって、私の周囲は少し変わったが、いつも通りに戻りつつある。
そう、いつも通りだ。
昼休み。
いつも通り生徒会室で昼食を食べる。
私が先に行って鍵を開けて、後から上代君が来る。
そう、いつも通り。
“付き合う前から変わらない”いつもの昼休みだ。
どうやらそれが、椿姫たちには良く思われていないらしい。
「というわけで、椿姫たちを少し黙らせるためにも、恋人らしい事をしようかと思います」
対面でお弁当を食べていた上代君が、ご飯を喉に詰まらせていた。
お茶を差し出すと、慌てて飲んでいた。少し面白い。
また今度、こうやって驚かせてみようか、と思ってしまった。
「大丈夫ですか?」
驚かせるな、と言われた。
そんなつもりは無かったのだが…反応が面白いので、また今度驚かせよう。
「それで、恋人らしい事とはどんな事だと思いますか?」
そうやって、ご飯を食べながら二人で頭を悩ませる。
恋人らしい事……。
「デート?」
後案に出たのは、放課後一緒に帰ったり、名前を呼び合ったり、家で一緒に勉強したり?
いつの間にか、あまり案が出ない事に頭を悩ませていた。
というか、婚約者が居たのに、恋人らしいことが出てこないってどうだろう?
上代君から笑われてしまった。
「婚約者といっても、あまり興味がある方ではありませんでしたから」
そう言うと、支取らしいと言われた。
なんだろう? 凄く失礼な事を思われた気がする。
「まぁ、そう考えると――上代君の事には、興味を抱いているのだと思います」
良く考えると、上代君の『神器』の事を知ってから、彼には興味を持っていた。
最初は――どんな感情だったか。
得体の知れない『神器使い』とか、多分そんな感じだっただろう。
いつの間にか、一方的に友人のように思い、気付いたら友人関係になっていた。
それが今は、形だけとはいえ恋人関係だ。
世の中、物事がどう転ぶか判らない、とはよく言ったものだ。
「取り敢えず、名前で呼び合ってみますか?」
お弁当を食べ終わるまでに出た案は四つ。
というか、四つだけしか出なかった事に、私達がいかに恋愛下手かが窺い知れる。
その事に少しショックを受けながら、まずは一番簡単で手軽なものをする事にした。
名前を呼ぶ。
うん、一番簡単だ。
「かみし――ではなくて、徹君ですね」
そう呼ぶと、蒼那と呼ばれた。
…………。
「少しは恋人らしいでしょうか?」
どうだろう。二人で首を傾げてしまう。
まぁ、苗字で呼ぶよりは恋人らしいはずだ。たぶん。
しかし――。
「改めて名前で呼ぶと、少し恥ずかしいですね」
上代君も同じ事を思っているのか、少し顔が赤くなっていた。
その姿が、少し可愛いと思うのは、おかしいだろうか?
もしかしたら、こういうのを惚れた弱味というのかもしれない。
惚れた、というのがどういう事かまだ判らないが。
この恋人関係も、なんだかんだで勢いで恋人になったような感じだし。
けど、他の男子生徒たちよりも色々と相談できるし、信頼もしている。
そういう意味では惚れている……とは言えないか。うん。それとは何か違うと思う。
「恋人というのも、難しいですね」
私の言葉に、上代君も頷いている。
「上代君は、今までどなたかとお付き合いをした事は?」
首を横に振られた。無いらしい。
あと、また呼び方が上代君に戻っていた。
本当に、恋人って難しい。
ちなみに、徹君も私の事を支取と呼んでいた。
そんな事を話していたら、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った、
「今日はここまでですね」
お弁当箱を洗うのを忘れていたことに気付いたが、まぁ、帰ってから洗うとしよう。
そんな事を話しながら、揃って生徒会室から出る。
教室からは遠いので、生徒の姿はどこにもない。
というか、私達も急がないと遅刻扱いになってしまうだろう。
「では、今日の放課後。一緒に帰りましょうか」
いつもからかわれるのだし、生徒会の仕事は椿姫たちに任せる事にする。そう決めた。
今日くらいは良いだろう。
そういえば、と。
鍵を閉め終わるまで待っていてくれた徹君に向き直る。
「キスも、恋人らしい事の一つですね」
言って、上代君の驚いた顔を見て、あ、と思った。
自分でも驚くほど、顔が熱くなる。
だが、悪魔として、キス一つで照れる姿など見せたくない、となぜか思う。
それはただの虚勢でしかないが。
顔は赤いし、ポケットに直そうとした生徒会室の鍵は落とすし。
慌てて拾おうとして、鍵を何度も落としていると、徹君から笑われた。
「……あまり笑わないで下さい。私だって、変な事を言ったという自覚はありますから」
どうにも、上代君の前だと私らしくなくなる。
冷静で、真面目な生徒会長だと誰からも言われる。
私も、そんな“私”を私らしいと思っている。
でも――上代君の前だと、偶にこんな姿を出してしまう。
照れて、失敗をしてしまう私。
私が思う“私”らしくない、私。
それが良い事かどうかは判らないが…まぁ、気を許している、と思う事にしている。
上代君に対して、気を許して、心を開いている。うん、そう考えると、なんだか恋人っぽい。
内心で頷くと、ようやく落ち着けたようで、鍵を拾ってポケットに直す。
「戻りましょうか、上代君」
そう言って、また間違えたと気付いた。
上代君も、支取と呼んで返事をするし。
「……難しいですね」
並んで歩きながら、二人して苦笑する。
けど、こんな事も私達らしい、と思うのは変だろうか?
“私”は真面目で冷静な生徒会長だけど、“私達”は恋愛下手な恋人同士。
そんなものだ、“私達”は。
お互いに好きだと告白した訳ではない、付き合う事になったのも勢いからだ。
だから――そう思うと、少し気が楽になる。
この関係がいつまで続くか判らない。
卒業するまでか、卒業してからも続くのか。
いつまで続くか判らないからこそ、今の、この時間を大切にしようと思った。
いつかの未来。
こんな時間があって、楽しかったと、思い出して笑えるように。
「こちらの方が簡単です」
背伸びをして、その無防備な頬に口づけをする。
慌てて視線を向けてくる徹君から視線を逸らし、手を繋ぐ。
顔が熱い。多分、耳まで赤くなっている。
自分でもよく判る。
ああ、これは恥ずかしい。
世の恋人たちは、よくこんな事を平気で出来るものだ、と思う。
悪魔の私が、こんなことで照れるのも変な話なのだが。
しょうがない。初めてなのだから。
どんな事でも、一番最初は恥ずかしいものだ。
「……名前を呼ぶより、こちらの方が簡単です」
そしてまた、支取と呼ばれた。
私もまた、上代君と呼んだ。
やはり“私達”は、揃って恋愛が下手だ。
顔を赤くしたまま授業に遅刻して、噂というか、誤解が生まれる事を、私達はまだ知らない。
名前で呼び合うより、ちゅーをして手を繋ぐのが簡単な関係。
それが会長と徹君。
キスではなくちゅーです。
黒歌からだんだん難易度下がってるなぁ、と思わなくもない。
次のキャラは手を繋ぐだけで一杯一杯なんじゃなかろうかw