判らないものが増えた。
理解できないものが増えた。
だが、それが何だというのか。
以前の我なら、気にしなかった事。
切り捨てていたもの。
手放したもの。
それが、増えていく。
少しずつ――。
些細な事から、心が揺さぶられるものまで――。
少しずつ、少しずつ――増えていく。
部屋に入ると、微かな寝息が耳に届いた。――それは、一人ではなく二人分。
音を立てないようにドアを閉めると、一直線に目的の場所を目指す。
暗い部屋。
以前、『禍の団』に居た頃の部屋のよう。
だけど、あの部屋のように冷たくはない。
この部屋は、悪くない。
そんな事を考えながら、ベッドへと歩み寄る。
そのベッドの上には、カミシロトオルが眠っている。
目を閉じたまま、動かない。
まるで死んでいるよう。
そしてその隣には、ベッドに潜り込んだ黒歌が居た。
カミシロトオルは嫌がるから、多分また勝手に。
ただ――きっとその表情は、幸せ、と言うべき表情なのだろう。
我はまだ理解できていない感情だが、見ていると、悪くない気分になる。
「…………」
夜の闇の中に響く寝息を聞きながら、カミシロトオルと黒歌を見下ろす。
上下する胸はカミシロトオルが生きている事を教えている。
カミシロトオルはいつも通り、黒歌は笑顔で眠っている。
眠っている時も、表情が変わるのか、と思う。
我は眠っている時、どんな表情をしているのか、と考える。
――きっと、カミシロトオルのように、死んだように眠っているのだろう。
そう結論付けた。
今度一緒に、ここで寝よう。
もしかしたら黒歌のように、笑えるかもしれない。
我はこの二人が気に入っている。
レイナーレも、白音も、ロスヴァイセも。
スコルもハティも――この家の住人を、我は気に入っている。
「……ん、にゃぅ」
黒歌が、小さく声を出す。
夢――を見ているのかもしれない。
眠っていると、夢を見るのだそうだから。
どんな夢を見ているのだろうか?
偶に、カミシロトオルの夢を見ると言っていた。
その時の黒歌の顔は……今でも思い出せる。
「黒歌。夢を、見ている?」
返事は無い。眠っているから当たり前だ。
だが、いつもの黒歌なら気配に敏感で、我が部屋に入ったら気付くはずだ。
それに気付かないほど疲れているのか。
それとも、カミシロトオルの傍はそこまで安心できるのか。
そんな事を考えながら、ベッドに腰を下ろす。
夜の闇と黒い服で、まるで闇と一つになってしまったと錯覚しそうになる。
だが耳に届く寝息が、我は一つの個だと教えてくれる。
心地良い。
永遠ではない、夜の闇の中の静寂。
嫌いではない二人の寝息を聞きながら、ただぼんやりと闇を見据え続ける。
その先には何も無い。
闇の先には、何も無い。
我はそれを知っている。
知っていて、その闇の先を目指した。
永遠の静寂を。
孤独を。
独りを。
鮮烈な赤との決着を――。
その先には何も無いし、何も残らない。
それを判り、理解し、望んだのだ。
そこまで考えて…指が、触れた。
熱を持つ、人の腕に。
「…………」
視線を向けると、カミシロトオルの腕があった。
そうだ。これだ――。
この熱だ。
何時からかこの胸の奥にある、不思議な感情。
それはこの熱を伴うモノだ。
この――カミシロトオルと同じ、熱のある感情。
これは、なんという名前なのか。
判らない。
まだ、理解できていない。
嬉しいなのか、楽しいなのか――よく判らない。
誰も教えてくれない感情。
カミシロトオルの腕に触れた指で、唇をなぞる。
あの日、あの時――カミシロトオルと交わした、三度の口付け。
思い出すだけで胸の奥の熱は高くなり、そして、いつかは冷める。
あの日から増え続ける、我の疑問。
判らず、理解できない、胸の熱。
「――カミシロトオル」
名を呼ぶ。
ただそれだけで、胸の奥が暖かくなった……ような気がした。
腕に触れていた指を動かし、カミシロトオルの指に触れる。
我のソレより大きな指。厚い皮。堅い爪。
なぞる。親指、人差し指、中指、薬指、小指――。
一本ずつ、ゆっくりと、丁寧に。
理解できない。
判らない。
疑問が、増える。増えていく。
なぜ我は、こんなにも感情を――好きを、知りたいのか。
……判らない。
判らない、が――その先にあるのはきっと、孤独ではない。
カミシロトオルの傍は賑やかだ。
静寂とは程遠い。
だが我は……嫌いではない。
「カミシロトオル。好きとは、何?」
応えは無い。
耳に届くのは、微かな寝息と時計の針が動く音。
不思議と、気持ちが良い。
ああ――この静寂は、嫌いではない。
カミシロトオルの指を握ると、微かに反応した。
返事は無かったのに、それだけの事に満足している自分が居た。
「……判らない」
胸の奥の熱がざわめき――薄れていく。
我の声への返事が無い。
その事が……胸の熱を冷ましていく。
不思議だ、と思った。
静寂だ。
我が望み、願った静寂。
だというのに、返事が無い事が――寂しい。
口付けの後に感じた、熱が冷めていく感情。寂しさ。
どうして我は、静寂を寂しいと感じるのか。
また理解できない事が増えた。
――永遠の静寂に至ったなら、永遠の寂しさに浸らなければならないのか。
「…………」
我はそれを知っていたはずなのに。
理解していたはずなのに。
どうしてそんな事を気にしてしまったのか。
――寂しい事が、こんなにも冷たいのだと感じてしまったのか。
指を握っていた手を解くと、両手でその腕を持ち上げた。
微かに寝息が乱れ事を感じ、動きを止める。
「……起きた?」
返事は無い。
なぜかその事に、少しだけ胸が軽くなった。
また判らない事が増えた、と。心中で呟く。
声には出さず、そう考えながら持ち上げた腕をベッドの上に置く。
その指に、自身のソレを絡ませる。
先ほどのように、指を握るのではない。
掌全体で感じるカミシロトオルの熱に、胸の奥が暖かくなる。
首を傾げ……指を絡めているのとは逆の手を、胸に添える。
そこには確かに――高鳴る心臓があった。
「なぜ?」
緊張している訳でも、興奮している訳でもない。
何故この時、この場所で。
どうして静寂の中に居るのに、心臓が高鳴るのか。
ああ――判らない事が増えていく。
絡めた指に力を込める。
少しだけ。起こさないように。
「判らない」
でも、悪くない。
手を握り、握り返される。
また少し、胸の奥が熱くなった。
どうして?
――判らない。
ただ……カミシロトオルの寝顔は、見ていて飽きない。
指を絡ませたまま、夜の闇を見通す龍の目で、その寝顔を見続けた。
「……ずーっと、何やってるの?」
どれくらいの時間が経っただろうか。
窓の外が明るくなり始める時間帯、その声が耳に届いた。
「なに、夜這い?」
視線を向けると、黒歌が目を開けていた。
カミシロトオルの腕に抱き付き、肩に頬を預けながら。
寝惚け眼ではなく、しっかりとした視線。
何時から起きていたのだろうか?
「夜這い?」
「そ、夜這い。トオルと一緒に寝る事」
ああ。黒歌がいつもしている事か。
そして、今も。
夜這いと言うのか。
「違う」
「あれ? そうなの?」
驚きの声に首肯する。
そして、気付かれないように絡めていた指を解いた。
「とてもそうとは思えないけどにゃー」
気付かれないように、と思ったが、気付かれてしまっていた。
黒歌はこういう事に敏い。
別に気にする事でもないのだが――どうしてか、また胸が高鳴った。
何故?
判らずに、首を傾げてしまう。
「どうかした?」
「判らない」
正直にそう応える。
隠すような事ではない。
だから――。
「ただ、カミシロトオルの寝顔を見ていた」
「指を絡めて?」
黒歌の目が、細まる。
まるで猫――ああ、猫なのか。
そんな感想を抱きながら、視線を重ねる。
「胸が熱い」
「そう」
そしてどうしてか、笑顔を浮かべていた。
首を傾げてしまう。
「どうして笑う?」
「嬉しいからだにゃん」
疑問に対する答えはすぐに帰ってきた。
故に――。
「どうして熱くなる?」
「さあ? 私はオーフィスじゃないから、判らないにゃー」
もう一度の問い掛けには、答えが帰って来ない。
黒歌は意地悪だ、と思う。
色んな事を教えてくれるのに、答えは教えてくれない。
「オーフィスが判ったら、私に教えてね?」
いつも、そう言う。
我は判らないから聞いているのに、判ったら教えてという。
白音がいつも言っている。黒歌は意地悪だ。
意地悪で――。
「ほらおいで。まだ早いから、一緒に寝るにゃん」
――優しい。
黒歌が捲った布団に潜りこむ。
カミシロトオルは、起きない。
寝苦しそうに寝返りを打って、我や黒歌の方を向く。
「ん」
すぐ目の前に、寝顔がある。
それはまるで、いつかの時――口付けを交わした時のよう。
また少し、胸の奥の熱が高くなった気がした。
「トオル、無防備すぎ。ここまでして起きないなんて、逆に心配しちゃうんだけど……」
黒歌の声は、少し呆れたようで、でも暖かいと感じた。
背中に感じる温かさが心地良い。
カミシロトオルとは違う、黒歌の温もり。
悪くない。
「オーフィスはどうして、胸が熱くなるのかにゃ?」
その声は、眠っている人を起こさないように、小さい。
二人で寝顔を眺めている事を知ったら、カミシロトオルはどう思うだろうか?
そんな事を考えながら、黒歌の問いの答えを探す。
どうして?
「何百年、何千年。もっと生きた龍神さん。その答えを本当に知らないのかにゃ?」
「……判らない」
多分、ずっと、ずっと昔は知っていた。
けど、どこかの昔に忘れてしまった。
もしくは、最初から知らずに、今日まで来た。
判らない。
――判らない事が、ただただ寂しい。
「我は、好きを知りたい。カミシロトオルの好きを知りたい」
そう、と。
黒歌から抱き締められた。
その豊かな胸が、頭に当たる。
「ヴァーリとか美猴とか……アザゼルとアーサーは失神しそうだから却下だにゃ。あと、空気を読まなさそう。それと、あんまりお勧めしたくないけど、赤龍帝ちんとかに聞いてみたら?」
それは、我が知っている、カミシロトオルとは別の“男”。
だけど……。
「我は、カミシロトオルの好きが知りたい」
あの「サタンレンジャー」のように、レイナーレや黒歌達のように、誰かに好きだと囁き、その時に浮かぶ感情を知りたい。
その時……相手として浮かぶのは、カミシロトオルだった。
だから、他の誰にも聞く気は無い。
視線が、寝顔からその唇へと動く。
ああ――また、口付けがしたい。
そう思っていたら、頭を撫でられた。
「他の人じゃ駄目?」
「……嫌」
「そう」
どうしてか。
――その声が、とても嬉しそうだ、と思った。
「それが、答え」
「?」
答え?
判らない。
今の問答のどこに、我の胸の内の熱に対する答えがあったのか。
「トオル以外は嫌。それが、オーフィスの感情の答えだよ」
判らない。
また……判らない事が増えた。
同時に、また胸の奥が少しだけ熱くなった。
今はそれだけでいい、と思った。
カミシロトオルの寝顔に手を伸ばす。少しざらざらしているのは、髭を剃っていないから。
この感触も、嫌いではない。
そうしていると、眠っていたカミシロトオルの眼が開く。
「…………」
「あ」
ベッドの端に逃げられた。
少し――ほんの少しだけ、残念。
「おはよ、トオル」
「……起きた?」
黒歌に抱きかかえられて、ベッドから起きる。
頭の後ろには、柔らかい感触。
視線を自身の胸元に落とす。
我には無い。
……これがいいのだろうか?
黒歌は、朝食が抜きになった。
まぁ、偶にある事だ。
ちなみに、献立のメインは焼き魚だった。とても美味しかった。
「ぅにゃぁぁぁ」
朝食を食べ終わり、ソファで丸くなっている黒歌の隣に座る。
何かを話すわけではない。
テレビから流れるニュースを聞きながら、ぼんやりと過ごす。
カミシロトオル達は学校に行った。
昼食を食べたらスコルとハティと一緒に遊びに行こう。
それはいつもの事。我の日課。
カミシロトオルに会いに、学校へ行く。
そう考えていると、レイナーレがテーブルにお茶を置いてくれた。後お菓子も
「レイナーレ」
「なんですか?」
「レイナーレは、我の胸の奥にある熱の名前を知っている?」
カミシロトオルと話す時、触れる時、触れられる時。
高鳴る胸と、確かにある“熱”。不思議な感覚。
黒歌は、カミシロトオル以外は嫌だ、と我が言った事が答えだと言う。
よく判らない。
そして、それ以上は教えてくれない。
「我は、この熱をカミシロトオル以外には抱かない。抱きたくない。――この熱の名前を、知っている?」
その質問に、少しも驚く事無く、いつもの笑顔を浮かべて。
「はい」
そう頷いた。
そして、
「オーフィス様が判ったら、教えてください」
やっぱり教えてくれなかった。
「黒歌と同じ事を言う」
「もちろんです――」
隣の黒歌が、にゃぁ、と鳴いた。
「――オーフィス様は手強そうですから。ライバルに塩を送るのは、その“熱”の名前が判ってからにします」
掃除の為に去っていく背中を目で追いながら、首を傾げる。
「我とレイナーレ、ライバル?」
「あと、私と白音、ロスヴァイセに……きっと、ライバルは沢山だにゃ」
よく判らない。
ライバルというのは、昔のドライグとアルビオンのような関係だろうというのは判る。
でも――。
「我の方が強い」
「ふふ――そうだにゃ。だから、ライバルに塩を送るのは、もう少ししてからだにゃん」
判らなくて……首を傾げる。
また、判らない事が増えた。
でも考える時間はたくさんある。
「カミシロトオルは、戦うのが嫌い」
「……先は長そうだにゃぁ」
少し離れた場所で、レイナーレも笑っていた。
やっぱり、よく判らない。
ただ――。
「……我は、黒歌やレイナーレとは、戦いたくない」
「私もだにゃ」
――その選択は間違っていないと。そう思う。
早くカミシロトオルに会いに行きたい。
何故か、そう思った。
壁は死んだ。もう居ない。
だけど、俺の背中に、この胸に。
一つになって生き続ける。
次回はオーフィス夜這い編(嘘です
ちなみに、されるのは徹君。
……主人公とはいったい。うごごごご……
もう少しべたべたさせたかった。反省してる。
ロスヴァイセさんは、十七巻に言ってから投下予定。
予定は未定。でも、一本は書きたいです。