今朝もヴェルは婚約者達と共に朝食を済ませると、土木工事があるから,と慌ただしく出掛けていった。エルも用事があるとそそくさと外出する。
「(ヴェンデリン様は、本当に毎日そんな忙しいのかしら?)」
エリーゼは最近,疑念を感じる。これまでは結婚式の準備に忙殺され、ヴェルにあまり注意を振り向けてこなかったが、気になる手紙が祖父から届いていた。
「ねえ,ドミニク。」
男性陣が室内にいないことを確認すると、食器を下げようと入室した側仕えのメイドのドミニクに声をかける。
「ヴェンデリン様に,何か最近変わったことはないかしら。」
ビクンっとドミニクの背が揺れる。食器を片付ける音が止まった。食器を置いたドミニクがエリーゼに向き直った。
「エリーゼお嬢様、何か気になる事でもございましたか?」
「ヴェンデリン様の雰囲気がどこか変わった気がするの、それにお祖父様から気になる手紙が届いたのよ。」
手紙の内容は結婚を控えたエリーゼに異常はないか気遣う内容だった。その部分はいい。問題は下記の内容だった。
『ヴェンデリン殿の結婚に向けた準備として、バウマイスター家では兄嫁で未亡人のアマーリエ・フォン・マインバッハを側に仕えさせ、準備を整えさせている。ヴェンデリン殿の身体に何も問題はなく、万事上手く運んでいると報告を受けている。何があってもそれは役割の上の事、全てはお前の身を守る為の配慮なのだから、お前は何も心配せずに安心してヴェンデリン殿との初夜に臨み、ヴェンデリン殿との間に早く子をもうけなさい。くれぐれもヴェンデリン殿の準備の邪魔はしないように。』
手紙にはそう書かれていた。準備、男性の結婚に向けた準備とは一体何なのだろう。エリーゼに何を邪魔するなというのだろうか。万事問題なしと書かれていても、エリーゼの心がざわめく。
「先日、ヴェンデリン様のお部屋に誰かいたような気配がしたような気がして、誰か私達とは別の、大人の女性のその、匂いを嗅いだ気がするのよ。ローデリヒに尋ねたら、香水混じりの手紙が届いたせいではないかと誤魔化されてしまったのだけれど。
それにお祖父様からは、アマーリエさんがヴェンデリン様に側仕えに上がって結婚の準備を整え、万事順調だから邪魔しないようにしなさいって。」
ドミニクはエリーゼにとってもっとも信頼する親友に近い幼馴染。ホーエンバイム家のメイド長の娘で、少し年上だがずっとエリーゼのお付きとして過ごしてきた。バウマイスター家のメイドになったのも、エリーゼが婚約した為、身の回りの世話をする為についてきたのだ。
「エリーゼお嬢様、申し訳ありません。」
ドミニクが深々と頭を下げる。
「何か、知っているのね?」
「はい。母からも手紙が来ておりまして、その、ヴェンデリン様に『あてがい女』がついた、だから何かお尋ねがあったらエリーゼ様に上手く説明しておくように、と。」
「『あてがい女』?」
「はい、母の説明では、結婚を控えた貴族の男性は、年上の女性から手解きをうけるそうです、その、あの、夜の作法の。」
「それはつまり、勉強や礼儀作法を教える家庭教師のようなものかしら?」
「いえ,母によると、作法といっても勉強よりはダンスに近く、つまりその、花嫁と初夜を迎えるにあたって支障がないか事前にお試しで殿方と、その、実際に寝て確認する役回りといいますか。そのっ! 兄嫁のアマーリエさんが、ヴェンデリン様の童貞を捨てさせる、そういったお役目みたいですっ。」
「まあ。」
「子持ちの女性は出産経験があるので手ほどきに向いていて、未亡人なら後腐れがないからだと。大抵その生活に困っているので面倒を見ることを対価に従わせるのだそうな。もし『あてがい女』が妊娠しても、それは事故として処理される事が多いようです。」
箱入りで育てられたエリーゼは,初めて聞く貴族の風習に目を丸くする。
「それでヴェンデリン様に問題がなかったと書かれていたのですね。つまりアマーリエさんはもう。」
「はい、ヴェンデリン様とはもう、そういう関係になったそうです。お役目の上の事なので、これはヴェンデリン様の浮気ではない、そこは重々エリーゼ様にご説明するように、と。」
ヴェルとアマーリエは関係済みだと、ドミニクはエリーゼに現実を伝える。
「(愛しいヴェンデリン様が、もう他の女性に抱かれてしまった、もしかしたらもう子供まで出来ていてもおかしくないだなんて。)」
「ヴェルも男の子だったんだねー。」
横で話を聞いていたルイーゼが会話に参加する。耳年増なルイーゼはこういう話題には理解が早い。
「ヴェルはまだ婚約者の誰にも手を出していないから、ヴェルが誰を初めての相手に選ぶのか気になってたんだけど、確かに正妻の貴族のお嬢様は箱入りだから、事前に花婿に夜の作法を教えるとなると、こうなるのか。でもアマーリエさんて人選は意外だったな。」
「アマーリエさん、例の事件で夫を亡くしたばかりで、2人の子供を抱えて大変だったものね。どうするのかしらと、思ってはいたけど。」
イーナも会話に参加する。
「エリーゼは貴族の風習に詳しいと思うけど、ヴェルがアマーリエさんとこうなってやっぱりショックだった?」
「はい、ヴェンデリン様が先に大人の女性にお相手されていたなんてショックです。しかも相手がアマーリエさんだなんて。」
バウマイスター騎士爵領を訪れた時、エリーゼはアマーリエとは顔を合わせている。クルトの事件ではアマーリエに同情もしていた。ただ、妙にヴェルとアマーリエが親しげなのは気になっていた。子供の頃から知っているお姉さんなのだからとこれまでは好意的に考えていたが、あの事件の後に急接近して一線を越えていたと聞くと,もう平静ではいられない。
「大丈夫。愛のない性交渉は獣と一緒。発情してしているだけだから,ヴェルもそのうち収まる。」
ヴィルマが意見を述べる。普通の相手なら確かにそうだろう。
「でもアマーリエさん、ヴェルとは凄く親しげでしたよね。」
「確かに。ヴェルの事を、ヴェル君ヴェル君って馴れ馴れしく呼んでいたね。ヴェルもアマーリエさんに『ヴェル君』って呼ばれるだけで、嬉しくて尻尾を振っている犬みたいな反応してた。」
イーナの言葉に、ルイーゼが同意する。
エリーゼは考え込む。元々仲が良かった上に初体験を捧げた相手。このままヴェルの寵愛がアマーリエさんに向けられてしまうのではないか。いや、もしも結婚式までの期間を利用して何度もアマーリエさんと愛し合っているのなら、これはもう既にそうなっていてもおかしくないのではないか。疑心が渦巻く。エリーゼは思わず唇を噛み締める。
「エリーゼお嬢様、いかがなさいますか?」
心配そうにドミニクが尋ねる。心情的にエリーゼの味方だが、エリーゼの実家からこうも釘を刺されている以上、エリーゼがおかしな動きはしないように抑え込む役割をドミニクは担わされているのだろう。
「・・・黙認します。だってそうするしかありません。」
悩んでいたエリーゼが結論を下す。そして、ふうっと息を吐いた。正室の決定に、側室達も口々に賛意を示す。貴族の風習という形で、既に外堀は埋められているのだ。
「アマーリエさんは気の毒な人です。だから今は、ヴェンデリン様はそこにほだされてだけ、そう思いましょう。式を迎えれば、私たち全員を相手にするのに忙しくてアマーリエさんに気持ちを振り向ける余裕は無くなるはずです。いいえ、私たちみんなでそうしましょう。」
「うん、ヴェルをボク達の魅力でメロメロにしないとね」
「精一杯、ヴェルを喜ばせないと。」
「一緒の夜は、ヴェルを寝かさないように体を張って頑張る。」
「私も、男爵家復興の為に可愛がって頂かないとなりません。」
「今はヴェンデリン様の準備を邪魔しないようにと書かれていました。このお話はこの場にとどめ、ヴェンデリン様には今まで通り、何も気づいていない素振りで接しましょうね。」
思わぬ事態、ヴェルの身を慰める『あてがい女』アマーリエの出現に、5人の妻達はエリーゼを中心に結束を誓い合った。
遂にエリーゼにもアマーリエとの関係がバレたとも知らず、ヴェルは今日も癒して貰おうとお茶を飲みにアマーリエの元を訪れていた。
「ねえ、ヴェル君。」
珍しく真剣な様子でアマーリエがヴェルに頼み事をする。
「最近、お隣さんからお裾分けを頂く機会があったの。」
アマーリエ義姉さんは性格もいいし近所でも大事にされてるんだろうな、とヴェルも思う。
「こういう時、相手に感謝されて、何か目立たないさり気ない物でお返しがしたいのだけれど、どうすれば良いかしら。」
それはささやかだが難しい問題だった。農民同士であれば、農作物を交換し会えば済むかもしれない。しかしヴェルに養われる形で領内に住むアマーリエの場合、何か貰っても返す手段が無いのだろう。
現金を渡すのも違うし、アマーリエが王都で買った品を渡すのも怪しまれるだろう。ささやかな品物でも、負債が膨らむのは良く無いと世情に疎いウェルでも感じる。その時、ヴェルの脳内で領内でバザーをした時の事が思い出された。
塩、ヴェルも以前は塩を切実に必要としていた。バザーの目玉も塩だった。塩は腐ることも無いし、まだパウルの領内では自給自足出来ないので喜ばれるだろう。
「アマーリエ義姉さん、俺は海で塩を作る事が出来ますよ。」
「海で塩を作る?」
アマーリエは海を見た事が無いのだろう、怪訝そうな顔をする。ヴェルの手持ちの塩はあらかたバザーで売ってしまった。あの時はとにかく領内で喜ばれる品を売るのが大事だったし、塩はいつでも作れるからだ。考えてみると、バザーで売却してから塩は補充していない。
「領地の東と南には海があるんです。魔の森があるので普通は辿りつけませんが、俺なら瞬間移動ですぐ行けます。海の水は塩を含んでいるので、煮詰めると塩が精製できるんですよ。」
「塩、塩を自分で作れるの?是非見てみたいわ。」
アマーリエが食いついた。
「では行きましょうか。海は日差しがキツイから、なるべく全身を覆ってください。帽子も被って、日傘も用意してくださいね。」
ヴェルはちょっとお茶をしに寄った筈が、この日はアマーリエに塩作りを見せる日になった。
「(ま、アマーリエ義姉さんが海を見て喜んでくれるなら、こんな日があってもいいよな。)」
そう考えて、ヴェルは思い出深い南の海岸にアマーリエを連れて瞬間移動した。
「わー、大きーい。これが海なのね。初めて見たー。」
波打ち際でアマーリエが波と戯れる。そんな少女のようにはしゃぐアマーリエを眺めながら、ヴェルはしみじみと考えていた。
「(ここに来ると、味噌や醤油も作りたくなるなー。)」
今日は土木工事の空き時間を利用して、軽くお茶を飲みにアマーリエの小屋に寄っただけだ。なので、簡単に塩を作るだけに留める。味噌や醤油はまた今度だ。
容器に海水を満たし、魔法を使って徐々に水分を飛ばしていくと綺麗な塩の結晶が出来る。いずれ街道がここまで伸びて領民が塩を作るようになった場合、火で海水を沸かし続けるか、太陽に海水をに晒して徐々に蒸発化させて結晶化するのだと思う。
「出来ましたよ。」
ヴェルは綺麗に結晶化した塩をつまむと、アマーリエに手渡す。興味深そうに塩の結晶を眺めていたアマーリエがヴェルに尋ねた。
「これ、頂いても良いかしら?」
「勿論です、アマーリエ義姉さん。今日はその為に来たんですから。俺も補充しておかないといけないので、もっと作りますね。」
アマーリエに見つめられながら、ヴェルは塩作りに没頭する。
「ヴェル君が魔法を使うところは何回か見た事があるけれど、いつもサッと魔法を使って終わりだから、こんな風にじっくり作業をしている所なんて初めてみるな。」
「塩作りは根気がいるんです。これでもだいぶ時間短縮していますが、実際の塩作りはもっと時間がかかります。ちゃんと時間をかけないと美味しい塩になりません。俺も何度もやり直しをしました。
それこそ太陽を使って乾かす方法だと、きっと何日もかかる作業になると思いますよ。」
「そうなのね。だから塩って高いんだわ。」
「生きていくのに、塩は必須ですものね。領内だと馬にも塩を与える必要ありますし。」
出来上がった塩は大甕に収納して魔法の袋にしまう。
「さ、今日はもう帰りましょうか。」
「もうこれで海に来る機会もないと思うと、少し名残惜しいわ。」
立ち上がって背伸びしたアマーリエは、尻の砂を両手で払うと海を見ながら大きく背伸びをしてそう言った。
「大丈夫ですよ、アマーリエ義姉さん。海に来る機会はまたきっとあります。それに海は大勢で来た方が楽しいんですよ。みんなで魚を捕まえたり、蟹や貝を取ってバーベキューにしたりできますからね。」
「そうなのね、それは楽しそうだな。ヴェル君、私をまた海に連れて来てくれる?」
「はい、勿論ですよ、アマーリエ義姉さん。」
アマーリエを抱き寄せてキスをしながら、ヴェルはアマーリエにそう答えた。
「(海、楽しかったな。)」
アマーリエは今日も楽しかったな、と回想する。ヴェルと過ごす日々は毎日が新鮮だった。
「(でもこんな時間も、ヴェル君が結婚するまで。後もう少しなんだよね。)」
ヴェルは小屋に塩の入った大甕を置いて行ってくれた。もし必要なら補充してくれるという。
「(マルレーネさん、ヴェル君の塩を喜んでくれるといいな。)」
マルレーネの秘薬にお返しする目処が立って、ホッとすると同時に、アマーリエはマルレーネの訪れを心待ちにしている自分を感じた。
「(早くまた、マルレーネさんともお話ししたいな。)」
マルレーネと話をするのは楽しい。それはきっとアマーリエにとって、マルレーネこそが唯一ヴェルについて全てを話す事ができる相手だからに違いなかった。