さて、次の2週間、日直までの間が待ち遠しい。
逸る気持ちも合ったが、そんな心情とは裏腹に、そう待たされる事もないだろうと、なにか予感みたいなものは感じていた。
「峯岸くん。ごめん、お昼に、少し…」
次の日、お昼の長い休み時間。僕は屋上に向かっていた。
人目は気にしたんだろう、なんせ彼氏持ちだ。以前から交流の合ったわけでもない男子と話していただなんて、噂を立てられれば困ることは多い。
授業の合間、トイレに立った僕に声をかけた彼女は、勝手を言うだけ言って、逃げるように立ち去っていった。
何も律儀に貴重なお昼休みを潰すことはない。
このまま次の日直まで、彼女の気を揉ませておけば、その分催眠に掛かりやすくなってくれるだろうとも思うけど、僕にだって人並みの下心はある。
女の子からのお誘いを不意に出来るほど、冷めてはいないつもりだった。
「あの、昨日のことなんだけど…」
「ああ、びっくりしたよ。朝霧さんから急に」
「ちがっ、あれは私…。だから、違うの…好きとかそんなんじゃなくて、ちょっと、ぼぅってしてて、それで…」
「まあ、別に僕はいいけど。朝霧さんがそういう子だったてのは、意外だった」
「違うから…信じて、お願い」
彼女の目尻に涙が浮かぶ。
お昼休み、屋上に続く扉の手前。解放されてない屋上にまで足を運ぶ生徒の姿はなく、そこは学校という場所において小さな死角になっていた。
階下で生徒たちの賑わう声が聞こえる中、深と静まり返ったその場所で「ぐすっ」と、すすり泣くように涙を飲む声が聞こえ始める。
「ごめん、意地悪だったね。ちょっと足が滑っただけ、だよね? それで変な風に身体が当たっちゃって、皆には黙っていれば良い?」
「あ、うん。そう、それでお願い」
ほっとして、安心して、今にも泣きそうだった彼女の顔が綻んでいく。
悪いやつだな僕は。そんな事、本気で思っているわけもないのに。
安心して、油断している彼女をみていると嗜虐心がくすぐられる。
ポケットのスマホに指を伸ばしながら、果たしてどれだけニヤつく頬を抑えられていたもんか。
「言いふらしたってさ、僕の言葉より、みんな朝霧さんの方を信じるだろうから、どうせだよ。その代わり、でもないけれど」
スマホを取り出し、アプリを起動する。
彼女の方へ画面を向けた後、僕は一つ問いかけた。
「彼氏と、次のデートっていつ?」
「デート? うん、それは…次の土曜に二人で…そんな事聞いてどうするの?」
「じゃあ、デートしようよ。次の土曜にさ?」
「え、だって、その日は彼と約束が…。別の日じゃだめ?」
「それは次の機会にしてもらってさ。それに、困るんじゃない?」
「困るって?」
切り替えた画面に表示されていたものを見た途端に、彼女は目を大きく開き、涙の乾き始めていた瞳が再び動揺で揺れ始めた。
「ず、ずるいよ…こんなのって」
「嫌なら仕方ないかな。それじゃあ、また日直の日に…」
「まってっ!! わかった。するから、デート。だから…まって、お願い」
藁にも縋る。とは、まさにこの事だろう。
立ち去りかけた僕の手を掴み、咄嗟にでた大声には流石に驚かされた。
けれどその後の、今にも消え入りそうな声、悔しそうに歯噛みした彼女の表情は、僕の嗜虐心を存分に満たしてくれていた。
ーーーー
遊園地に向かう途中の電車の中。朝霧 なずなは、一人俯いて座っていた。
降りよう、降りようと、次の駅のアナウンスが聞こえる度に、ギュッと手の平を握りしめる。
あんな写真があったって、皆には、恋人には話せばちゃんと分かってもらえる。
無理矢理やらされただけとか、ただの加工だとかって、こじつけるならどうとでも言えるはずだった。
脅しになんかならない、アレを公開して困るのは私じゃない。むしろ彼の方にこそ非難がいくはずで、そう、何度も何度も自分に言い聞かせるのに必死だった。
電車が止まり、扉が開く。
勇気を振り絞って席を立ち、気づけば、私はまた電車に揺られていた。
「大丈夫、大丈夫だから。ただ、一緒に出かけるだけだから、デートとかじゃ」
足が動かなかったのか、それすらも分からなくなっていた。一瞬前の記憶さえあやふやだ。
確かに席を立ったはずなのに、今度こそ電車を降りようって頑張った筈なのに。その度に、繋がれた鎖がジャラリと音を立てたみたいだった。
息苦しい。
首輪を着けられた見たいな心地を嫌って喉を引っ掻いてみても、指に触れるものは何もなく、肌を傷つけた痛みが鈍く広がってくる。
「こんなんじゃ、私…」
まるで犬みたいだ。いや、散歩をさせられる犬ですら、もう少し自由は聞くだろう。
繋がれた鎖に引きずられるまま、結局 私が電車を降りられたのは、遊園地の最寄り駅に着いてからだった。
スマホを弄っている彼を見つけると、私の足は小走りに彼の元へと向かっていく。
ドキっと、胸が高鳴った。
そんなはずないのに、嬉しくなんて あるわけないのに。
それでも私の足は上機嫌に、待ち合わせをしていた恋人の様に駆け寄ってしまう。
「おはよう朝霧さん」
「うん。おはよう…峯岸、くん」
「それじゃいこうか」
ただ自然と彼に手を取られ、私も当たり前のように彼の手を握り返していた。
「っ…!?」
慌てて振りほどこうとして振りほどけ無い。嫌だって言おうとして、声が詰まる。思い出したのはあの写真。アレがある限りは私に滅多な事は出来ず、恐る恐るに、もう一度彼に確認をするしかなかった。
「ねぇ、待って。ほんとに、ホントなんだよね?」
「本当って?」
「だって。デートしたら写真消してくれるって」
「ああ、コレのことだろう?」
向けられたスマホの画面には、あの朝、キスをしていた私達の写真が映っていた。
どうしてだか自分でも分からない。
大した接点もない男の子に自分からだなんて。ただあの時は、そうしなきゃって、それが当たり前の様に思えてて、思い返すほどに悪い夢を見ているみたいだった。
その時の事を思い出したせいだろうか? 写真を見ていると頭がくらりとする。動揺のせいか、ぼぅっとしてきて考えも纏まらない。
今までの葛藤がすぅっと解けていき、「峯岸くんと、恋人みたいにデートをしなきゃ」なぜだか、そうしなきゃイケない気になっていた。
「もちろん。なんだったら、もう君に近づかないって約束をしても良い」
「うん、約束…だから。それじゃ、いこ? 峯岸くん」
繋いだ手を自分から引き寄せる。大胆にも彼の腕に抱きつき、私達は仲の良い恋人同士の様に、遊園地のゲートをくぐっていった。
おかしいと思ったのは一ヶ月ほど前。今思えば、彼が朝早くに登校してきてからだった。
ただの雑談。ううん、それ以下の「天気いいですね」みたいな社交辞令。
話してる時はそんなつもりだったのに、後で思い返すほどに奇妙に思う。
口を滑らせた。言う必要はなかった。何時もなら誤魔化してる所を、どうしてか素直に話してしまう。
彼の人柄がそうさせるのか? だとすれば、ただのクラスメイトだなんて思わないだろう。そんなコミュ力があるなら、もっとクラスの中心にいたって良いはずだ。
ただのクラスメイト、良くも悪くもそんな人。
同じ日直の当番でなければ、顔と名前も一致しないタイプ。
取り柄と言えば、悪目立ちをしない事で、悪く言えばクラスメイトという飾り。
好きも嫌いもない。いや、今この瞬間にも嫌いに傾いていってる人。
そんな人に、好きなものや、嫌いなもの、自分の事に、家の事。
果ては、彼氏の事まで喋ってしまうなんて、普段の私なら有り得なかった。
今日一日デートをする。言われた事に疑問すら浮かばない。
おかしくないのに笑えていて、嬉しくないのに心が弾む。
知らない誰か、鏡写しの自分はまるで別人の様で、知っている人から見ればきっと、恋人と一緒にいる時の自分の仕草に似ていたのかも知れない。
楽しい時間。恋人と過ごす二人の時間。その筈なのに、どうしてだろう?
その時、心の片隅がチクリと痛んだ気がした…。
ー
「じゃあ、最後に観覧車でも乗ろうか?」
「うん…そうだね」
時刻は夕方。散々 遊園地を回って疲れた足には、その申し出はありがたかった。
その疲れも手伝ったのか、当たり前の様に彼女を演じていた自分に気づき、直ぐにもココから逃げ出したくなってしまう。
でも、デートしなきゃ。
その言葉が頭にこびり付いて離れない。
でも、これで最後だから、もう終わりだから。
拭えない違和感を抱えたまま、私は彼に手を引かれ、二人でゴンドラに乗り込んだ。
ゆっくり、ゆっくりと昇っていくゴンドラ。
次第に窓の景色は切り替わり、夕日に照らされた遊園地の施設と、遠くには赤く染まった街並みが目に入る。
綺麗だな…。
きっと、多分。恋人と二人きりだったなら。
でも、それなら私は、いったい誰とデートをしているんだろう?
恋人とデートをする。今日はそのはずで、それで二人で遊園地に居るはずで?
心がチクリと痛んだ…。そんな気がして、私は自分の胸に触れていた。
ゴンドラが真上にたどり着いた所で、彼に声を掛けられる。
「記念撮影でもする?」
「写真は、いいよ…私は」
「良いじゃん。少しくらいさ…」
急に向けられたスマホから咄嗟に顔を隠す。
少しくらいって、その少しが嫌で、どうしてだか彼と二人きりの写真を取られる事への抵抗を思い出す。
頭がくらっとした…。
また、この感覚だ。
大きくなった違和感が現実とすり替えられていく。
ダメっと、思ったときにはもう遅く、向かい合っていた席から彼の隣へ移ると、まるで恋人同士のように、私たちは肩を寄せ合った。
「うん、いいよ。撮ろうか。ほら、峯岸くんもこっちに」
思ってもいないのに、嫌だって、叫びたいのに。
なんで、どうして。滑り出した私の唇は、まるで恋人と一緒にいる時のような好意を形にしてしまう。
パシャ。
フラッシュの閃光に目を焼かれる。
一瞬できた暗闇の中。反射的に落とした瞼、私の頭の奥にまた、何かが刻み込まれたような気がして、遅れてきた寒気に背中を冷やかされた。
係りの人に見送られゴンドラを降りた後、私たちは並んで出口へと向かうと、ゲートを潜って外に出る。
そこでデートも終わりとばかりに私は「はっ」とさせられていた。
まるで鎖が切れたみたい。心と体が軽くなる。自由になった身体を抱きしめながら、私の足は彼から距離を取ろうと後ずさってしまう。
「写真…消して。約束だったでしょ」
「もちろん」
すぐにでもここから逃げ出したくて、スマホを操作する彼を焦れったい気持ちで見つめていた。
「ほら、ここをタップしたら全部消えるよ」
画面に表示された写真は2枚。いつの間にか増えていた事に気づき、ますます意味が分からなくなる。
彼の首に手を回し、自分から唇を重ねていった あの日の写真。
恋人同士の様に肩を寄せ合い、狭いスマホのファインダーに映る二人の姿。
「うん。これで…やっと」
削除のアイコン。確かにそこに触れたはずだった。
切り替わった画面に映る波のような映像。
奥へ、奥へと、手招きをするようにそれは揺れていた。
意識が、落ちていく。
奥へ、奥へと。
まるで、大きな穴の中に落ちていくように、私の意識は波に拐われる。
ゆっくり、ゆっくりとだ。
落ちていく、意識が遠のいてく。
振り返れば自分が遠くに見えた気がして、私の意識は波間に溶けていく。
溶けて、消える、その一瞬。
聞こえてきた彼の言葉が、呪いの様に頭の裏側に刻まれた気がしていた。