「確かに母上に渡します」
微笑を浮かべて優一郎は奈月からパンフレットを受け取った。それでは、と会釈をして転移する。一瞬後、優一郎は立城のオフィスに姿を現した。モニタ画面に向かってキーボードを打っていた立城が手を止めて優一郎に微笑んでみせる。
「やあ、こんばんは。こんな遅くにどうしたの?」
笑顔で告げて立城が席を立つ。優一郎は勧められるままにソファに腰を下ろした。立城がちょっと待ってて、と言ってから内線で茶を持ってきてくれるように頼む。ほどなく立城の執務室には秘書の一人が姿を現した。立城と優一郎の前にそれぞれ紅茶を運んでから秘書が退室する。秘書が扉の向こうに消えたのをきっちりと見届けてから優一郎は立城に向き直った。
「これに見覚えはありますか?」
そう言いながら優一郎は白衣のポケットからリモコンつきのローターを取り出した。テーブルに乗せたそれを立城が驚いた目で見つめている。それから立城は優一郎を見つめ、首を傾げた。
「……なるほど。君の方に跳んだんだ?」
そう呟いた立城の口許には淡い笑みが浮かんでいる。立城はため息を吐いてティカップを持ち上げ、深くソファに寄りかかった。優一郎はおもむろに立ち上がり、右手を一閃した。頬を打たれた立城が目を細めて優一郎を見る。
「水輝さんと渚さんを殺しかけて、うちのヒューマノイドの半分になんらかの損傷を与えて、『なるほど、君のほうに跳んだんだ?』ですか?」
嗤って言いながら優一郎は立城を見下ろした。打たれた頬を押さえた立城が平坦な声で悪かったよ、と告げる。それから立城は手にしていたティカップをテーブルに戻し、立ったままの優一郎を見上げた。
「迷惑をかけてすまなかったね。もう二度とこんな真似はしないよ」
感情の失せた声で告げて立城はテーブルのローターを取り上げた。その手を軽く振る。立城の放ったローターは放物線を描き、狙い違わずごみ箱の中に落ちた。
「申し訳有りませんでした。つい激昂してしまって」
掌の上とわかっているのに、修行が足りませんね。そう呟いて優一郎は苦笑した。立城が静かに立ち上がり、優一郎に背を向ける。
「用はそれだけ? 気が済んだならさっさと出て行ってくれる?」
仕事の邪魔だから。静かに告げて立城が執務机に戻っていく。優一郎は立城の姿を目で追いかけてため息を吐いた。立城の思惟はぴったりと閉じていて何を考えているのかよく判らない。
「奈月さんから預かり物があります」
優一郎が告げると立城が机につきながらちらりと目だけを向ける。それから立城は冷ややかな声で言った。
「その辺に置いておいてくれるかな。後で見るよ」
思惟は読めないが、どうも機嫌を損ねてしまったらしいことは理解出来る。優一郎はため息を吐いて腰を上げ、立城に歩み寄った。机の前に回り、手にしていたパンフレットを乗せる。
「それでは失礼します」
にっこりと笑って優一郎は自分の部屋に転移した。疲れた息を吐きながら肩を落とす。水輝の眠るベッドの傍にいた奈月が恐る恐るの態で優一郎に声をかける。
「水輝さんの様子はどうですか?」
優一郎はそう言いながらベッドに近づいた。奈月が困惑したように優一郎を見つめ、次いで水輝を見る。見た目には特に水輝が具合を悪くしている様子はない。この分なら疲れが取れれば目が覚めるだろう。
「凄く、疲れていらっしゃるようです」
心配そうに奈月が告げる。それを見てふと優一郎は眉を寄せた。そういえば立城は水輝を心配している様子はなかった。それどころか水輝と渚が死にかけたことを優一郎が伝えても、特に動揺もしていなかったように見えた。やっぱり、母上の掌の上ということか。そう考えて優一郎は何気なく奈月を見た。奈月はもの言いたげな素振りをしている。
「奈月さん、何か心配事でも?」
優一郎は困惑した面持ちをしていた奈月にそう声をかけてみた。するとしばし戸惑ったように視線を泳がせてから奈月が口を開く。
「あの、紫さんはいらっしゃらないのですか?」
水輝さんがこんな目にあっているのに。悲しそうな面持ちで奈月がそう続ける。それを聞いた優一郎はしばし答えに迷った。
「お仕事が忙しそうだったので、母上に詳細な事は告げなかったんです。パンフレットは渡しましたから、ご安心下さい」
言葉を選びながら告げ、優一郎はにっこりと笑ってみせた。すると奈月が悲しそうな顔をしたまま、そっと水輝を見る。感情は顔に浮かんでいる表情を見取ることで何となくは読めるが、不思議なことに奈月の思惟は閉じられた感がないのにまるで読めない。
「とりあえず、この部屋はご自由にお使いください。僕は今日は修復作業で徹夜になりそうですので」
笑顔で告げて優一郎は奈月に会釈をした。つられたように頭を下げた奈月に見送られ、優一郎は静かに部屋を出て行った。
ビンタで済んでよかったと思います……。